司馬遼太郎のレビュー一覧
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▼はじめに読んだのは恐らく中高生の頃。その後の30年間くらいの間に少なくとも1度は再読しているはず。ただ、確実にこの10年は読んでいなかったので、軽い気持ちで再読。
▼やはり、面白い。幕末の、長州藩の、吉田松陰と高杉晋作が主な題材で、第1巻は全部、吉田松陰。ものすごく頭が良くて真面目で憂国の志士。だが同時に底抜けに明るくて礼儀正しくて、あんぽんたんのように人をすぐに信じて騙されて、歩くコメディのようにやることなすこと詰めが甘く不運でことごとく失敗する世間知らずのお坊っちゃんでもある。
▼司馬さんは証言や手紙から、その「明るく礼儀正しく騙されやすく不器用」というところに愛を感じたんだろうなあ、という奇妙な青春物語になっています。吉田松陰は、一部戦前皇国史観的な考え方の中では、「聖人」だったようで、その名残か、この小説は初出当時一部の人から「松蔭を冒涜している」と怒られ、司馬さんには殺害予告まで来たそう。とんでもない話ですね。
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Posted by ブクログ
ネタバレ関ケ原の戦い。その結末を知っていても、細かいことは知らずにいた。実は戦をする前に勝敗は決していたともいえる。
幼いころからテレビで見ていた時代劇はたいていが潔癖な正直者正義漢が勝つものだった。しかし、この戦国時代はもっともっとどろどろの義や恩よりも利や保身を探って動く実に腹黒い政治力によって生き抜き合戦があったようだ。
そんな中で西軍の大谷吉嗣や島左近たちの命を惜しまない男気のある戦いぶりは実に爽快だった。その家来たちも負けるとわかっていながら大将の「逃げよ」という勧めにも従わず、堂々と死地に赴いていく。この潔さは胸をうたれ、深く余韻が残った。
一度は逃げた石田三成もかくまってくれた農民に被害が及ぶのを憂い、やがて東軍の追手のもとに身を捧げている。皆、いさぎよく死んでいく。
現代は生きてるだけで儲けものという言葉をよく聞く。もちろんそういう時代である。だが、この小説の時代は死ぬことの美学があり、あっぱれな死に様は名誉尊厳とともに後々の今になってもなお、息づいている。
もしこの時代に将軍としての身分があったなら、自分は決して家康のような切れ者にはなれないし、悲しいかな石田三成のように生き下手で人間感情に鈍い武将であったと思う。できれば友情、義を重んじいさぎよく死んでいった大谷吉嗣に憧れる。決して小早川のような後代数百年後まで馬鹿にされるような将軍にはなりたくなかったと思う(わからんけど)。
最後の初芽と黒田 如水を登場させてこの物語を締めくくったのは血生臭い戦の物語をそこそこきれいに洗い流してくれたように思う。
上巻は8日間で。中巻は3日。下巻はほぼ1日で読んだ。 -
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青森は、一見地味な存在ではあるが、三内丸山遺跡など縄文時代の遺跡、津軽、南部、下北の歴史、または、太宰治や棟方志功などの芸術、また岩木山等の自然、浅虫温泉等々、大変な無形資産を抱える県であることが、この本を読んで実感する。
司馬遼太郎の「街道をゆく」をずっと読んでいるが、読後にどの地域も訪れたいと思うのだが、まだ訪れたことのない青森に対してより強い気持ちを抱かせる。
以下抜粋~
・明治維新後の津軽弘前における最大の事項は、この東奥義塾の建設だったといえる。
実質的には英語習得を主とし、漢学を学ぶ学校だった。教師には、慶応義塾出の人が多かった。
何人かの外国人教師も加わった。
・むかし、井上ひさし氏と東北について語り合ったとき、
「会津は東北じゃありません」
といわれたのがおかしかった。
早い時期に”脱東北”した。
弥生式の稲作文化も、関東地方とさほどかわらない時期に会津盆地に入った。
・江戸期、大坂や若狭に運ばれた昆布は、主として北海道のものだったが、陸奥湾の昆布も、日本海まわりで上方へ運ばれたのである。
昆布は、上方にとってふしぎな食品である。煮物や吸物の味をつけるのに欠かせないものでありながら、地元ではとれない。
・「会津若松市に、薩摩の鹿児島市だったか、仲直りしよう、といってきたそうですが、断ったといいます」
申し入れたのは薩摩ではなく長州の萩市だったようである。
「その断り口が、斗南の人達の意向もあることだから、ということだったそうです」
そういってくれるのがうれしい、と山僧めいた星さんがいう。 -
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上巻は9日かかって読んだけれど、中巻は2日と少しで読み終えた。派手な合戦に至る前のその裏で各々の諸将たちの腹の探り合い。仁と義と利とが脳裏に渦巻く中で、友情をもって不利な戦に赴こうとする将もいる。この時代、命というものはかくも重みがなかったのかと、かくもいさぎよく死を受け入れることができたものかと粛とした心境になる。
それにしても石田三成の嫌われようは悲惨で残念でもある。何せわたくし、卵焼きは好きだけれど巨人も徳川も大嫌いで西軍ひいきの身であるからして。
生き上手、出世上手になるにはただ、正義正直誠意だけではダメなのだ。タヌキ、狐になり腹黒くならなくてはならないのは今の世の中でも同じなのだろうか。 -
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日本史上まれにみる世紀の大決戦!などとはなはだダサい書き出しをお許しくださいませ。
以前から興味のあった本ではありますが、結末もおおよそのことも知っているから今更というのもありました。でも、今回これを読んで、裏のうちではこんなことがあったのかとぐんと興味が深まりました。まだ,上巻を読み終えたばかり、前半ペースが上がりませんでしたが、秀吉、利家が亡くなってからは一気にスピードが上がりました。
それにしても家康というやつは賢くて腹黒くて性悪でデブで嫌な奴ですなぁ。こんなやつがその後300年間も安泰な日本の祖を作り上げたのですかねぇ。
日本人は誠実で礼儀正しい民族だというけれど、それは一般大衆に言えることで、その昔にこんな正義感もないはかりごとだらけのまっとうでない大将が国を治めたりしたものだから、今の政治家もろくな奴がいないのかもしれない。(少し、司馬さんの大阪びいきも感じられたりして)
さて、あと2巻楽しみに読みます。 -
Posted by ブクログ
以下抜粋
・「もし首里の街が戦前のままそっくり残っていたら、沖縄は京都、奈良、日光と肩をならべる」観光地になっていたろうと言われる。
・竹富島は、民俗学の宝庫とされている。というよりも沖縄の心の宝庫だという意識が住民の側に濃厚にあり、外部資本に土地を売らないだけでなく、住民がいまの暮らしの文化をそのまま維持できるよう、経済的にも配慮されたのが、この徹底した民宿主義なのである。
・床の間はいうまでもなく室町文化の所産である。
室町というのは乱世だが、しかし生活文化からいえばこんにちの日本の文化からいえばこんにちの日本の伝統芸能や生活文化の源流のほとんどが室町期に発している。
食事が日に二度から三度になったのも室町末期からだし、茶道、いけ花、能狂言や謡、歌舞伎、行儀作法から結婚式のしきたりにいたるまでがそうで、われわれがごく日常のものとして馴れっこになっている生活文化の光源は室町に発し、いわば室町文化を灯台としていまもそのひかりを浴びつづけているのである。
・日本の原始神道の斎主が女であったように、沖縄においてもそうで、神の前では女がより神に近く、男はより遠い。
・真の信仰とは事実を信じることではなく虚構を信ずることによって真実に入りうるのだという意味のことを親鸞はその語録の「歎異抄」でいっているのである。