楠木建のレビュー一覧
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ネタバレ著者の作品を読むと、いつも論理の束のイメージが浮かぶ。著者は企業の競争戦略の専門家であるが、その論理解明を支えているのは、本書で明かされているような経営に閉じない日々の考え事なのだなと改めて。経営も人間活動である故に、人間を知るためのあらゆるインプットが仕事に活きてくるということなのだろう。
本書の中で語られているのは、一言で言えば著者の価値基準(と、本帯にも書いてある)。故に所々は膝を打つ程納得する箇所もあれば、少し?マークが浮かぶ箇所もある。それこそが自分と著者の価値基準の差分であり、その差分は何なのかを考えることがまた、自らの基準を言語化することになるのだろうと思う。この価値基準は、自分なりのビュー/視点を生み出すための源泉と言い換えてもいいかもしれない。「自分はXX主義なので」等の安易なラベリングではなく、自分はどのような基準に基づいた人間であり、故に特定の事象に対してどう感じるのか、というところまで俯瞰して理解をすることができていれば、意見を異にする人々とのコミュニケーションも「ま、仕方ないか」と気軽に受け流せるはずである。この一連の読書感想文もそうなるための活動の一貫だが、とにかく日々考えたことを外部化し、振り返る時間を設けることが肝要。
・情報収集も時と場合によっては必要ですが、僕の仕事にとって何よりも大切なのは、自分の頭だけで考えるということ。孤独こそが思考の友(p.72)
・人間は放っておくと劣情に負けることもある(中略)自分の劣情を劣情と知らず躊躇なく全開にしている人を見ると、こうなったら人間おしまいだなーそう思えるようになりました(p.82)
・これを「消費を閉じる消費」と呼んでいます。自分の好きなものが「これだ」とわかり、手に入れてしまうと、そのカテゴリーのほかのものについては興味を失う。インターネットの記事も読まないし、お店にも行かない。自分の好きなもので完結し、その先の消費を閉じる。これが成熟のイイところだと思います(p.92)
・勇気が人間の基本的な美徳であるのはなぜか。それは勇気が自分の精神的・身体的な安全性ーー究極的には命ーーを犠牲にする行為だからです。こう考えてみると、勇気と並ぶ人間の美徳として気前の良さがあると言ってもよい。その理由は、気前が良いということがその人にとって(命ほどではないものの)大切な経済的な価値(お金だけでなく労力や時間を含む)を犠牲にする行為だからです(p.121)
・僕が直感的に研究の道を選んだのも、自分にとって重要だと思える問題を自分で設定して、それに対して自分なりの答えを捻り出すというプロダクトアウトの仕事だからでした。このことを遡及的に理解しました(p.146)
・仕事においてはその人に固有の哲学が問われる。さきほども話したように、あらゆる仕事には相手がある。仕事というのはお客(=自分以外の他者)に対する価値提供に他ならない。ところがお客ばかりはコントロールが効かない。常に結果が思い通りになるわけではない。上手くいくかどうかはやってみなければわからない。それでも、こちらの「事前の構え」は固められる。ここにその人の仕事哲学が出る。すべてがコントロールできるのであれば、哲学はいらない。哲学がものを言うのは、コントロールできないことに直面したときだ。順風満帆の状況下では本当の自分が分からない。人間の本質は逆境においてのみ姿を現す(p.166)
・自由ほどある意味で苦しいものはない。エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』が身に染みてわかりました。「自分の基準はこれだ」と定まってから、やっと自由を享受できるようになりました。自分の中に基準がないうちの自由は、本当に苦しいですね(p.201)
・人に知的能力があるという場合、3つの能力は漠然と並置ないしは選択できるようなものではなくて、階層をなしているということだ。つまり、①技能が最下層にあり、その上に②対人関係能力が乗っかっていて、一番上に③概念的能力がある。特定の領域での技能的能力があってはじめて対人関係能力を獲得できるのであり、その上にしか概念的能力は育たない(中略)だから「自分には何もないけれども構想力だけは自信がある」という人がいたら、あまり信用しない方がいい。「僕は特に何ができるわけではありませんがだれとでもうまくやっていけます」という人、こういう人はたしかに「いい人」かもしれないがしょせんそれだけで、「知的」能力がゼロだ(p.225)
・逆説的に聞こえるかもしれないけれども、「基盤」があってその上により高級で特殊な「専門」があるのではない。特定の専門で力をつけた上に一般性の高い知的基盤ができるのである(p.235)
・経営者の戦略構想と僕の仕事は、絵画芸術と芸術評論の関係に近似しています。優れた絵画芸術家はいちいち思考のステップを踏まずに「ポッと」出てくるように作品を創造します。僕はでき上がった絵を鑑賞したうえで、自分なりの基準と視点でそれを考察し、評価をします。なぜその絵が優れているのかを論理的に(できれば誰もが分かる形で)言語化するというのが僕の仕事です(p.249)
・非連続的な技術が登場しても、それを使う人間と人間社会は連続しています。基盤にある論理もまた連続しているということです。新しい技術について考えるとき、これが最重要の視点であると考えます(p.305) -
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たくさんの事例と共に、ひたすらギバーのメリットを書いている本である。反対のテイカーやマッチャーがどういう存在か、どういうデメリットがあるかも書かれている。
数々の自己啓発本に書かれた内容のほとんどがギバーに当てはまるものなんじゃないかと感じるくらい、ギバーは良いところがたくさんあるみたい。
年次報告書の1ページに丸々CEOの顔が掲載されている場合、そのCEOはテイカーであるという事例は面白かったし参考になった。
事例が多すぎて冗長的なところがあり、要点を抜粋したらだいぶ読みやすくなると思うし、最後の2章は逆に抽象的な内容で、ギバーにならざるを得ないコミュニティを作ることでテイカーやマッチャーもギバーになるということはわかったが、実際にどう活用するかイメージしづらかった。
前半部分だけ定期的に読み返すだけでも良さそう。
以下、振り返り用のメモ
人により多く与えるギバーは、自然と周りからの信頼が高まり、それが上限なく広まっていく。そして、与えた相手もギバーとして行動していく存在になる恩送りが生まれる。また、相手のことを考えて楽しく仕事ができるようなコミュニケーションがとれるため心理的安全性が高い環境を構築できる。ギバーの見栄を張ることはなく、弱みも見せるゆるいコミュニケーションも人を惹きつける理由の1つである。ギバーは本質がわかっているので、人の才能を見抜き、それを伸ばすこともできてしまう。逆に失敗したとしても、自分の立場にこだわらないのにすぐに軌道修正ができる。相手の話を聞くのが上手で相手に気持ちよく話してもらうことができるので、信頼がより築き上げられ、営業でもトップに立てる。アドバイスを求めることも相手からよく思われるポイントである。良いことばかり。
一方で、ギバーの注意点も書かれていて、ただ与えるだけの自己犠牲は燃え尽きてしまう。他者思考で、自分の目標や意義を持って取り組んでいくことが大事である。また、テイカーから搾取されないように相手を見極め、人によって対応方法を変えていくことの重要性も謳っている。周囲にサポートを求めることも燃え尽きないために大事である。また、相手のことを考えすぎないように、家族やチームの視点に立って判断するのもポイント。適切に交渉できるようになる。
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・脳の処理速度が早いからと言って、柔軟な思考の持ち主であるとは限らない。どれだけ高い能力を持っていても、考えや見方を変えようとする意思がなければ、多くの再考察の機会を見過ごしていしまう。ある研究によると、知能指数テストのスコアが高ければ高いほど、より速くパターンを認識できるため、既成概念にとらわれやすいという
・「自分を疑う」という最強・最大の知性。偉大な大統領を際立たせているのは、「知的好奇心」と「寛容さ」だ。知識がパワーであるなら、無知に気づくことは英知と言えるだろう
・知識の欠点は、時として未知を受け入れたがらないことだ。人は新しいことを受け入れる能力や積極的な意思があってこそ、良い判断ができる。人生において、見直すこと、考え直すことはますます重要な習慣となっていく。
・自分自身を笑うことで、真剣な決断を下すときでも、少し肩の力を抜いてもいいのだと、思い詰める必要はないのだと自分に言い聞かせることができる
・自分のミスを明らかにする新しいデータを否定するのではなく認めることで、彼らに対する信用や評価は上がるのだ。それを修正することが自分の責任であるなら、誰が壊したかはどうでもいいことだ
・論点が多すぎると、最も重要な論点を展開させることも、詳述することも、強化することもできなくなる。論拠が多くなればなるほど、それら一つ一つの論点の効果がより薄くなります。優秀なディベーターの殆どは、多くの情報を引用しない
・私達がすべきは、聴衆のために考えるのではなく、聴衆に問いを投げかけることだ。同じ観点から問題を見つめるよう聴衆をいざない、そして聴衆が自ら考えるように導く。討論の双方が討論をダンスと見るならば、手を取り合い、足並みをそろえて前進する方法を一緒に見つめていくことができるだろう
・相手の立場に立ってものを考える「他社視点取得」ではなく、実際に相手と対話することで相手の見解のニュアンスについて洞察を得る「他社視点探求」が役に立つ。
・相手が同じ問題を重要視していると知ったとき、その人のことをより信頼するようになる
・良い教育者とは「新たな思想、見解」を教えてくれる人であるが、偉大な教育者とは「新しい考え方」を教えてくれる人だ。教育というのは、私達が生涯にわたり草案を何度も書き直す習慣を築くこと、そして生涯にわたり学び続ける能力を培うこと
・自分の専門知識について、人前で恥ずかしい思いをさせられるような形で異議を唱えられることを恐れています
・あなたはなぜそのように想定するのか?その結論が正しいと思える理由は?それが誤っている場合、何が起こりうるか
・あなたの分析の中で不確定要素はなにか
・相手の意見はどのように形成されたのかを尋ねる
・意見の相違は対立ではない。ダンスのようにアプローチする
・「なぜ自分の見解が正しいのか」ではなく「なぜ自分の見解が間違っている(かもしれない)のか」を意識する
・私達が学ぶのは、自分の信念を肯定するためではない。学びの目的は、信念を進化させることなのだ
・その時点での信念を自分のアイデンティティと切り離す。自らの価値観に自信を持ちながら、謙虚に他社の見解を受け入れ、信念を進化させる。考え直すことは常にその人の価値基準を問う。逆に言えば、考え直すことはその人にとって価値基準を錬成する手段になる
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チャレンジしたりするのは、必ず良くするためのものと思い込んでいた。明日は必ず良くなるといつも思っていた。しかし、明日はいつまでも明日だった。
だいたい『絶対』と言う言葉を使うヤツを私は信用しないことに決めていた。
なるほど、「自分の思い通りにうまくいくことなんて、この世の中にはひとつもない」という前提で仕事をする。「心配するな、きっとうまくいかないから」と考えた方が、気が楽だ。世の中甘くない。自分の都合で世の中まわっていない。リスク管理から見れば、最悪を考えて行動すると言うことなんだね。「事前にうまくいかないと思っていて、やってみたらうまくいった」ということで、喜ぶ。そういう喜び体験を積み重ねる。ゆるキャラ的人生処世術。
アフリカで、幼少期を過ごした。フライドポテトが好きで、Mサイズ3つを食べれると嬉しい。いちごミルクが好き。お酒を飲まないけど柿ピーが好き。出てくる話題はフレンチクルーラー、かっぱえびせん。子供のままなんだね。成長しない大人の悲観主義というところかな。指導教官が、榊原清則だったのかぁ。榊原清則の事業ドメインという考え方がおもしろかった。著者が赤裸々に私生活を語っているのが、好感度高いなぁ。
満足の反対語は、不満足ではない。没満足である。不満足をなくしても、満足は得られない。人に信用されたり、仕事に意義を見出したときに満足は得られる。不幸の要因をなくしても、幸福にはならない。没不幸、仕事に意義を見出すことが幸福になる。人の不幸は、蜜の味である。これは、相対的な幸福感であり、そんなものを得ても仕方がない。カルロスゴーンは、自分中心で強欲であるだけだ。
著者が好きな高峰秀子は、信用と人気を分けて考えていた。
ブランディングは人気を志向し、ブランデッドは信用を求める。高峰秀子は、ブランデッドつまり信用を仕事の根底においていた。ブランデッドという言葉を初めて知った。
ブランディングは、「お洒落な会社だな」「面白い会社だな」という印象を作り出す。その会社に対する信用が増すわけではない。ブランデッドはブランド価値を高めるというよりも「顧客との信頼関係を築く」ことに注力する。
戦争と平和にも触れている。プーチンの狂気はどこからきたのか。戦争は不合理で不具合がある。日本の戦前の教訓から見ると戦争反対と言っていた人たちが、あっという間に戦争すべきだという意見に満ち溢れた。それは、戦争反対の人たちの言論を統制してしまったことだ。民主主義よりも専制主義が効率がいいと言っているが、専制者が意見を圧殺することに危険性がある。不効率だけど自由に言える民主主義がいい。
お金と時間。お金は人間の本性をあからさまにする。剥き出しの本能が明らかになる。金持ちと貧乏が話題となる。金は大切だ。しかし、死んだら金は持っていけない。お金は、基準になる。汎用性がある。著者は、500万円を損したことがあるという。だから、大損した人を探す。有名な建築家に建築を頼んだ話は、笑える。建設設計と家の模型で、家を建てる資金がなくなった。残ったのは、模型だけ。
時間は、人間にとって平等な資源。24時間に限定されている。お金と時間のトレードオフ。効率と効果もトレードオフになっている。
オーラがある人、カラフルな人、圧がある人、凄みのある人。ふーむ。オーラをそんな風に分類できるのだ。私は、獣性で凄みのあるオーラを纏いたいなぁ。品なんていらない。それにしても、自分のやったことをすっかり忘れてしまうということをやってしまった。そして、同じことを繰り返す。ちょっと、アブナイ。人生ドライブコーダーがいる。記憶に残る幕の内弁当はないという名言もいいな。
藤沢武夫はいう「経営はアートであり、演出の基本は意外性にある」いい言葉だ。
この本は、赤裸々でおもしろい。楠木健のストリップショーを見ているような気がした。 -
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人間は多数のマッチャーと少数のテイカーとギバーに分けられる。成功者にはやる気、能力、機会という3つの要素があるが、それに加えて人とのギブアンドテイクがある。ギバーは成功の下層だけでなく上層も占める。リンカーンはギバー。エンロンのケネスレイはテイカー。雄が雌にアピールするのをレックというが、CEO界でもテイカーはレックする。
人間は自分の時間、エネルギー、知識や情報を投資して誰かを助けると、相手がそれに値する人だと必死で信じようとする。マイケルジョーダンの例。
自己犠牲タイプではなく、自己の利益を見失わない他者志向タイプのギバーが成功しやすい。周囲からサポートを受けると燃え尽き症候群を防ぐことができる。
テイカーと付き合うにはマッチャーになり、寛大なしっぺ返しで対応する。 -
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友人に勧められて気になっていた一冊。
絶対悲観主義、あらゆることについてうまくいかないという前提を持っておく。
一見マイナスに見えるが自分にとってはとても役に立ちそうだと思った。
「自分に対して甘い人ほど、絶対悲観主義は有効にして有用です」17
とにかく一歩目が軽くなるというのが1番の利点だと思った。どうせうまく行かないし、いっちょやってみるかと軽い気持ちで一歩を踏み出せる。何をやるにも一歩遅い自分にうってつけ。
落ち込みそうなときは思い出してみよう。どうして、うまくいくと思ってしまったのだろう。人生のほとんどはどうせうまくいかないんだからと、 -
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本書は、「絶対悲観主義」の姿勢こそが仕事や生活にプラスの効果を与える、と説く著者が、仕事や生活について綴った連載を集めたもので、絶対悲観主義の神髄をゆるめに味わうことができます。
著者は、悲観主義を根拠のない楽観主義だと言います。
そのココロは、最初に「うまくいく」という前提を持ってしまうからこそ「うまくいかないのではないか」と心配や不安にとらわれ悲観に陥る、というものです。
「絶対悲観主義」とは、世の中には自分の思いどおりにいくことなんか一つもない、というある意味での達観だと思います。
どうせ思いどおりにならないんだから、最初から悲観主義であれば、上手くいかない時のダメージも和らぐし、逆に上手くいったときの幸福感も大きいよね、ということにもつながるのですが、人間って本当は心の中でこう思ってるんだろうな、ということが本書では分かりやすく言語化されています。
起業家思考の若者への「何の心配もいりません。絶対にうまくいかないから」というアドバイスがすごくいい。
成功の呪縛から逃れることこそが、物事に取り組む秘訣だと理解しました。
そう考えると肩の力も抜けるってもんです。
楠木さんの本は分かりやすくて面白い。
処世訓的な内容もたくさんあり、軽快に読み進めることが出来ます。
物事は考え方ひとつで大きく変わるもんだ。 -
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変化の激しい現代において、一つのやり方に誇示するのではなく、再考する文化を熟成させることが重要と言うことを示した本です。特に、自分には問題を解決する能力があると自分を信じつつ、今のやり方が最適ではないかもしれないと問い続ける"確信に満ちた謙虚さ"が重要です。
書籍の中では、心理学的な実験やNASAの失敗、ブラックベリーの衰退など、具体的でインパクトの高いエピソードがとても面白かったです。
近年はグリッド=やり抜く力も注目されていますが、グリッドと再考する力はコンフリクトするものではなく、これは手段と目的の話で考えると分かりやすいです。目標、目的に対してはグリッド(粘り強さ)を発揮し、その上で手段は常に科学者のように再考し続けるというのが理想的な状態という話がとても響きました。 -
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さすがアダムグラント、おもしろかった。
以下、引用。
違いを生み出す要因は、一見すると先天的な能力差のように思えても、実のところは、適切な機会や、意欲、向上心であることが多い
優秀さと先天的な能力とは、一般に期待されるほど強い関連性がない
重要なのは、どれほど努力したかという量よりも、どれほど人間として成長したか、という質である
成長のために必要な「三つの勇気」
第一に、「自分にとって最適」だと信じ込んでいる手法を捨てる勇気
第二に、自分の心の準備が整う前に、挑戦の場に飛び込む勇気
第三に、誰よりも多くの失敗を経験する勇気
セラピストは恐怖症治療を行う際、患者の状況に応じて二種類の曝露療法を使い分ける。一つは、系統的脱感作法、もう一つはフラッディング法洪水療法である
洪水療法とは、意図的に不快感を増大させることによって、結果的にその不快感を軽減させる治療法である -
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ギバーになろう。
もっというと「利他的」なギバーになろう!!
それが最終的に成功する道だ。
- 他者思考、もしくは自分を含む組織のギバーになる。
- 時間軸を広くもとう、帰ってくるなんて考えない
- 自分の弱みを曝け出すのも大事
- アドバイスを求めよう
- テイカーだって、与えられれば返したくなる。(ex. free cycle)
- 恩送りという考え方
- テイカーに対しては、マッチャーになる。ただし、時々楽観的なギバーにもなる。
- テイカーは、「自分」「私」を多用する。
- ギバーが強気に交渉するために。: 自分のためじゃなくて、自分の家族のためとか主語に周りの人を含める。 -
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アイリスの独自性は「ユーザーイン」というコンセプトに凝縮されています。「プロダクトアウト」と異なるのはもちろん、一般に言う「マーケットイン」とも似て非なるものです。ここにアイリスの戦略に僕が痺れる最大の理由があります。
「ユーザー」とは文字通りその商品を使う人、エンドユーザーのことです。「マーケット」はユーザーではありません。特定の基準や範囲でのユーザーの集計値に過ぎません。「マーケティング」は文字通りマーケットを相手にしたものです。マーケティングの名のもとにしばしば行われる消費者アンケートからは、マーケット全体の平均値や傾向しか分かりません。だれもが注目する儲かりそうな市場に目を向けます。参入企業が相次ぎ、同質的な競争になり、結局のところ儲かりにくくなります。マーケットインでは定義からして独自性は生み出せません。
アイリスのユーザーインは異なります。洞察力と想像力を駆使して、特定の生活シーンでの一人ひとりのユーザーが確実に「役に立つ」「使い勝手がいい」と実感できるものを創って、作って、売る。そういう生活提案型商品にしか手を出さない。しかし、生活提案型の価値を持つものであれば、カテゴリーや技術に縛られることなく果敢に挑戦する。ユーザーインの商品開発によって新しい需要を刺激し、これまでになかった市場を創造する。結果的にプロダクトアウトならぬ「マーケットアウト」にまで至るのがユーザーインの戦略の妙味です。ユーザーインのコンセプトで一つ一つの商品力に磨きをかけ、長い時間をかけて一歩ずつ事業領域を拡張してきたことが、現在の極端に多品種を手がけるアイリスを形成しています。
メーカーの営業社員はその本能からしてマーケットインの姿勢になります。直接の顧客は問屋や小売店ですから、 営業が流通業者のニーズに反応するのは必然です。しかし、流通(=マーケット)のニーズは必ずしもユーザーのニーズではありません。ここにマーケットインの盲点があります。例えば、多数の製品を扱う問屋は売れるかどうかわからない新製品よりも安定して売れている製品を扱いたいと思うのが普通です。あるいは、単純に安い方を選ぶかもしれません。目先の儲けが計算できるという意味で問屋にとっては合理的だからです。マーケットインはユーザーインではないどころか、かえってユーザーインのチャンスを殺してしまいます。
ユーザーインを駆動するために必要になるのが「メーカーベンダー」というアイリスの独特な位置取りです。アイリスはメーカーであると同時に問屋機能まで内部に抱えています。自社のECはもちろん、ホームセンターのような小売業者に対してアイリスは直接商品を納入し、売り場作りや販促まで自ら行っています。
普通のメーカーであれば工場から出荷した製品がどこにどのように流れているかは分かりません。しかし、メーカーベンダーであればいつどこで何が売れたかが分かります。データの裏付けをもって仮説を立て、商品を企画し、 ユーザーからのフィードバックに基づいて改良することが可能になります。一般に問屋を通さずに直接取引をする動機は中間マージンの排除にあります。しかし、アイリスの一義的な意図はコスト削減ではありません。真のユーザーニーズを流通の都合で歪めたくないからです。店頭活動まで責任を持つことでユーザーニーズへの洞察が磨かれます。
逆向きの因果関係もあります。「問屋を通さない」と「問屋機能を持つ(=メーカーベンダー)」もまた似て非なるものです。小売業者はベンダーに品ぞろえを求めます。ベンダーとして機能するためには一つの製品をたくさん売るだけでは不十分で、小売店の棚を押さえなければなりません。ベンダーとして小売店に選ばれなければ商品の供給経路とユーザー情報の獲得経路が遮断されてしまいます。メーカーベンダーという位置取りは、商売がユーザー視点から逸脱することを防ぎ、ユーザーインのコンセプトを強制する規律にもなっています。ひとつの、ひとつだけの商売の基――独自性の基盤となるコンセプト――が明確に定まっていて、決してブレない。優れた戦略の最も大切な条件です。
第3の、最も重要なポイントは、 本書のタイトルにある「仕組み」です。
考えてみればある企業の競争優位が長期にわたって持続するというのは不思議なことです。儲けるよりも、儲け続ける方が何倍も難しい。なぜならば、競争があるからです。ある企業が高いパフォーマンスを達成していれば、 ごく自然に他社の関心を集めます。好業績の背後にどのような戦略があるのか、誰しも興味を持って注目します。 利益ボテンシャルに富んだ市場セグメントや好業績をもたらす戦略ポジションはすぐに世の中に知れ渡るところとなります。コンサルティング会社はさまざまな企業の成功要因を分析し、ありとあらゆる知識を提供してくれます。
一時的に成功したとしても、その戦略はいずれ模倣されてしまい、その結果、競争優位を長期的に持続するのはますます困難になるはずです。
しかし、現実はそうなっていません。競争優位を長期的に持続する企業が確かにある。その最たるものがアイリスです。四方八方から戦略を注視され、模倣の脅威にさらされながらも、長期にわたって競争優位を維持し、「いかなる時代環境でも利益を出」し続けています。これはなぜか――僕はこの問題についてずっと強い関心をもち、 持続的な競争優位の正体について思考を巡らせてきました。そのうちに、従来見過ごされていた論理があるのではないかと考えるようになりました。それが「ストーリーとしての競争戦略」――個別の打ち手ではなく、それらが一貫した因果論理でつながっているストーリーの総体にこそ競争優位の源泉がある――という視点です。アイリスはストーリーとしての競争戦略のほとんど完璧な事例を提供しています。
戦略ストーリーは業務や取引の体系ではありません。論理の体系です。先述したように、アイリスの戦略ストーリーの最上位にはユーザーインというコンセプトがあります。ユーザーインである以上、ベンダー機能を自社に持つ。メーカーベンダーだからこそユーザーインが実現できる。この論理がアイリスの戦略ストーリーの主軸になっています。
アイリスのさまざまな「仕組み」は、すべてこの基幹となる論理から派生しています。裏を返せば、個別の仕組みに注目しているだけではアイリスの強みの正体は分かりません。仕組みをばらばらに取り入れても、アイリスの競争力は手に入りません。
例えば、毎週月曜日のプレゼン会議。2万5000点にのぼるアイリスの商品を生み出す原動力であるこの仕組みはよく知られています。同じような会議を取り入れる会社も少なくありません。それでも、アイリスのような成功にはつながっていません。なぜでしょうか。アイリスの仕組みは戦略ストーリー全体の中ではじめて機能するものだからです。
プレゼン会議だけではありません。「ICジャーナル」を使った情報共有、伴走型の製品開発、経常利益の50% を毎年将来への投資に回し、発売3年以内の新製品の売上高比率を50%とするといったようなKPIの設定――こうした仕組みはいずれもアイリスに独自のユーザーインとメーカーベンダーの文脈においてはじめて意味を持ちます。確かに戦略を実行するうえで仕組みは不可欠なのですが、アイリスでうまくいっている仕組みをつまみ食いしても、期待する成果が出ないどころか、かえってパフォーマンスが低下する恐れがあります。
そこにアイリスの持続的な競争優位の核心があります。アイリスの戦略ストーリーを構成する仕組みには、ストーリーの文脈から切り離してそれだけを見れば一見して「非合理」なものが数多くあります。これがストーリーとしての競争戦略の観点からとりわけ興味深いところです。
高い業績をあげている企業A社があるとします。競合企業B社はA社の戦略を模倣しようとするでしょう。このような状況において、なぜA社の競争優位が持続するのか。従来の競争戦略論は「模倣障壁」の論理に依拠してきました。つまり、B社はA社の戦略を模倣しようとするのだけれども、そこにいくつかの障壁があるので、完全には真似しきれない。だからA社の競争優位が持続するという論理です。
しかし、です。もしA社の戦略ストーリーの中に、B社から見てあからさまに「非合理」な要素が含まれていたらどうでしょうか。B社はA社の戦略を部分的には模倣するにしても、一見して非合理な要素については手を出さないはずです。その結果としてA社の戦略は独自性を維持することになります。
ここでの持続的な競争優位の論理は、模倣障壁ではありません。そもそも競合他社が真似しようという意図をもたないという「動機の不在」にあります。模倣するどころか、他社は合理的な意図を持って模倣を忌避するにれが戦略による独自性(レベル3)の一段上を行くレベル4の競争優位です。レベル4にある戦略は、競争優位の持続性という点で徹障壁という防御の論理よりもさらに強力です。今のところ僕はこれが究極の競争優位の正体であると考えています。アイリスの競争優位はこのレベルにあるというのが僕の見解です。
コロナ禍が本格化して、アイリスは即座にマスクを増産し、売上を伸ばしています。2011年の東日本大震災のときも、震災発生の2週間後にLED照明の大規模な増産に踏み切り、これをきっかけに市場で支配的な地位を獲得しています。即断即決の瞬発力といえばそれまでですが、こうしたことが可能になるのはあらゆる設備の稼働率を意図的に7割以下に抑え、わざと生産能力に余裕を持たせているからです。しかし、稼働率を意図的に低くするということそれ自体は明らかに非効率です。しかもアイリスは部品から内製化しています。市販されている標準部品を使った方がコストの点でも機動力の点でも合理的であるように見えます。
そもそも自社生産をしていること自体が表面的には非合理です。売上高新製品比率をKPIとし、新しいニーズをとらえた製品を次々に市場化するのであれば、自社工場を持たず、生産を外注するファブレスメーカーである方が合理的に映ります。資産も軽くできます。現実にほとんどの企業は柔軟性を確保するための手段としてファブレスを選択しています。
メーカーベンダーにしてもそれ自体では非合理な面が多々あります。問屋相手の商売であればケース単位で出荷できます。しかし、ホームセンターに直接出荷するとなると、製品1個単位の発注形態になります。売り場の面倒まで見なくてはなりません。実に手間がかかります。
メーカーベンダーであるアイリスは顧客が欲しいものを迅速に供給しなければなりません。そのため、工場を物流拠点としてとらえています。生産効率だけで工場立地を決めないということです。日本国内では、高速道路へのアクセスなど物流立地を勘案して生産を9つの工場に分散させています。これにしても、生産効率だけを考えれば非効率な面があります。
こんなに「非合理」なことをやろうという企業はまず出てこない。ところが、本書をじっくり読めばわかるように、ユーザーイン→メーカーベンダーという補助線を引いてみれば、一見して非合理な打ち手(仕組み)がストーリー全体の中で他社が真似できない合理性に転化しています。
第1の説明は、PDSの戦略の模倣障壁に注目するものだ。PDSの収益性が高いことは業界で知られている。PDSが個々の具体的な施策として何をやっているかは見ればわかる。しかし、戦略の起点にして終点にあるコンセプトは模倣が難しい。ここに模倣障壁の基盤がある。PDSがあれやこれやの打ち手を繰り出して実現している 「気がイイ場所」という統合的な顧客価値はそう簡単には真似できない。本質的な顧客価値を要素に還元して説明できないということは、競合他社にも競争優位の実体がつかめないということを意味する。「気がイイ場所」をもたらしている原因が特定できない。あまりに複雑性が高く、個別の打ち手との因果関係が判然としない。顧客にしてもPDSのホテルやレストランやウェディングの「何が良いのか」を説明できない。したがって、類似の価値を提供する他社を思いつかない。PDSの提供する空間がその顧客にとって他に代替できない特別のものとなる。 PDSのメニューや店舗デザインを真似することはそれほど難しくない。現に、競合他社の中にはPDSの商品や店舗設計をあからさまに模倣しているところもある。しかし、そうした表面にある要素を忠実になぞるだけでは、 「気がイイ場所」は再現できない。
とりわけ模倣が難しいのは、PDSの競争力の中核を支える人材だ。特定の分野でのスキルを持つ人材ならば、 コストさえかければすぐに獲得できる。スキル開発の方法や定型的な評価システムも用意されている。しかし、センスを見極め、「イイやつ」を採用し、日常の仕事の中でセンスが育つ土壌を耕すマネジメントは一朝一夕ではできない。きわめてノウハウの密度が濃い。膨大な人数を相手に手間暇かけた面接をしていく中でしかうまくできない。事実として、PDSはこれを20年間やり続けているのである。
さらに言えば、PDSの積分型戦略には、社内の人材だけでなく、顧客までを巻き込んだダイナミックな好循環の論理が組み込まれている。これが模倣障壁を一層高めている。PDSの店舗は顧客にとって「また来たくなる場所」であり、「一度行ってみたい場所」ではない。利用経験を重ねるほど価値についての顧客の理解が深まり、また来たくなる。来れば来るほど経験が記憶として積み重なり、「気がイイ空間」の価値はますます増大する。他社がPDSに近づこうとしても、その時点でPDSはさらに先を行っているので、追いつけない。
第2の説明は、競合他社の「動機の不在」に注目する。すなわち、「真似できない」のではなく、そもそも真似しようという動機を他社が持たない。もっと言えば、他者の目にはPDSの戦略が「真似したくない」ものに映る。 他社は模倣しようとするどころか、むしろPDSのポジションから意識的に距離を置こうとする、という説明だ。 私見では、第1の模倣障壁よりも、第2の動機の不在にこそPDSの持続的競争優位の正体がある。
戦略の基盤にあるトレードオフは、「あちらを立てれば、こちらが立たず」という論理に基づいている。Aを取れば、Bを失う。Bを選択すれば、Aはできない。このときに、AとBの有効性が同等であれば、単純に「一長一短がある2つのどちらを取るか」という問題になる。これが「普通の(ニュートラルな) トレードオフ」だ。しかし、 競合他社の主観において、有効性がAVBに見える「強いトレードオフ」があったとしたらどうか。Aを取ってB を捨てるのが、(少なくとも主観的には)合理的な戦略となる。
ブランドを統一しなければ、幅広いブランド認知による範囲の経済は手に入らない。個店経営にこだわれば、標準化による効率を喪失する。歴史と文化を背負った特別な物件が出てくるのを気長に待っていれば、急速な新規出店による成長機会を追求できない。人材の供給を新卒採用に求めれば、業界での経験がある即戦力人材に手を出せない。そもそも人手不足になる。キャパシティに合わせて人を割り当てず、人に合わせて客席を減らせば、貴重な資産の回転が犠牲になる。ウェディングの料理や飲み物を充実させると、原価低減のチャンスをみすみす失うことになる――PDSはありとあらゆる側面で一見して非合理に見えるBを選択している。他社は「合理的」な損得勘定に基づいてAを維持し、Bにリポジションしようとしない。したがって、PDSのポジションはいつまでたっても脅かされず、独自性が持続する。ここにPDSの戦略の妙味がある。
しかし、いつまでも成長期が続くわけではない。マクロで見れば、経済が成熟するにつれて、稼ぐ力の源泉は、 企業を取り巻く外部の機会から企業内部でつくり込む独自価値へとシフトするのが一般的な傾向である。「成熟した成熟期」にある日本やヨーロッパでは、○企業よりもQ企業が前面に出てくる。
Q企業の条件は次の5つ。(1)立ち位置(事業領域)を明確に絞り込み、(2)そこで一貫した戦略ストーリーをもち、(3)競合他社と差別化した独自の顧客価値を創出し、(4)それゆえ長期利益を稼ぎ、(5)結果として成長を実現する。○企業が量的成長を一義的に追求するのに対して、Q企業にとっての成長は、長い時間をかけて顧客価値を練磨した結果としての成長である。
企業が空間軸で間口を広く取るポートフォリオ経営であるのに対して、Q企業は時間軸での事業の深掘りで勝負する。時間をかけてその事業を練磨し、他社が容易に模倣できない価値を実現し、それをテコにして長期利益を実現する。
つまり、Q企業のカギは「専業性」にある。洋服のファーストリテイリング、エアコンのダイキン工業、モータ ―の日本電産(現・ニデック)、精密加工装置のディスコ、靴小売りのABCマート、ホテルやレストランのオペレーションのプラン・ドゥー・シー、リゾートホテルや旅館を運営する星野リゾート製造業かサービス業か、 B10BかB10Cかを問わず、いずれも特定の事業領域を継続的に深耕することによって長期利益を稼いでいる企業だ。
Q企業にとっての成長は目的というよりは結果である。ユニクロはこの数年急速にグローバル化を進めている。 確かに海外の成長市場はユニクロにとって重要な成長機会を提供している。しかし、闇雲に機会を求めて海外に進出したわけではない。グローバルな成長にしても、長い時間をかけて磨きをかけた独自の価値が海外でも通用したからだ。一義的に成長を追求する企業とは物事の優先順位が異なる。
だとすれば、カギを握るのは事業経営を丸ごと担える経営者人材の層の厚みだ。ここでいう「経営者」は役職やタイトルの問題ではない。仕事に対する構えの問題だ。「商売丸ごと動かして稼ぐ」を自分の仕事としている人、 それがここでの経営者の定義だ。
ここで大切なポイントは、「経営者」と「担当者」との区別である。優れた競争戦略は組織的分業からは生まれない。戦略は「部署」ではなく「人」がつくるものだ。本社中枢の「経営戦略室」や「経営企画部」といった部署のスタッフはそもそも戦略を構想する任にない。戦略はあくまでもその事業の経営者がつくるもの。経営企画部門はそういう経営者がいるという前提で、経営者をサポートする「担当者」に過ぎない。
担当者の仕事は「ここからここまで」と範囲が決まっている。必要なのはその仕事に必要なスキルだ。財務や法務やITやマーケティングのスペシャリストはそれぞれの分野の知識やテクニックには精通している。しかし、いくらスキルを磨いても、その延長線上で経営者になれるわけではない。この2つの仕事はそもそもカテゴリーが違う。経営者の仕事に範囲も分野もない。担当がないのが経営者だ。
繰り返し強調するが、一度ある事業を立ち上げてしまえば、その後に本社のトップマネジメントができることは限られている。事業の成否はそれをドライブしていく経営者にかかっている。事業経営者の重要性は筆舌に尽くしがたい。 経営者にはセンスとしか言いようがないものが求められる。スキルは育てられるが、センスは育てられない。しかも、スキルに長けた担当者は労働市場から調達できる。一方のセンスには育てるための体系的な方法がない。だから、経営人材は最重要であると同時に常に最も希少な経営資源となる。
通常のEコマースですと、訪問者数や購入金額などをKPIとして追求します。ところがクラシコムはそういうものを重視していません。アクセスする人がオウンドメディアの記事を楽しむことを一義的な目的にしている。 入が起きるかどうかはあくまでも結果。購入金額をKPIに設定してしまうと、かえってライフカルチャープラットフォームとしての魅力を薄めてしまうからです。彼らがひたすら追求しているのは、あくまでもエンゲージメント数。そこがほかのEコマースとは違う。
ここで言うエンゲージメント数とは、例えばSNSのフォロワー数や、ユーチューブチャンネルの登録者数、アプリのダウンロード数を指しています。これらを追求していくと結果的にLTV (Life Time Value)が増大する。 年間のお客さんの平均購入金額はずっと伸び続け、営業利益率15%以上という高い収益性を達成している。商売としてきっちりと儲かっています。
企業の内部に目を向けると、社員の9割が元顧客です。同社が発信する生活哲学に共感したお客さんが、「この会社で自分も働きたい」と入ってくる。「北欧、暮らしの道具店」というライフカルチャーのプラットフォームが、 採用のプラットフォームにもなっている。人材を採用して育成するというより、もともと価値観・世界観が合っている人を探る。この人手不足の時代に採用倍率は200倍です。
こうして見ていくと、クラシコムという会社の商売の組み立ては、2012年にポーター賞を受賞したほぼ日 (受賞時は東京糸井重里事務所)にかなり似ていることに気がつきます。ほぼ日もオウンドメディア「ほぼ日刊イトイ新聞」でいろいろな記事を発信し、それに共感する人たちのコミュニティが作られ、その人々が最終的に何かしらの商品を買っている。
ただし、です。この2つの会社には決定的な違いがあります。クラシコムには糸井重里さんがいない。強力な発信力を持ち、コミュニティを作る軸になる特定個人が存在しない。しかも、「ほぼ日手帳」のように、毎年必ずたくさん売れて、しかもマージンが大きい商品があるわけでもない。ライフカルチャープラットフォームとしてのE コマースが、より高い純度で実現されていると言ってよいでしょう。
この商売を作ったクラシコムの創業経営者が、青木耕平さんです。何を大切に経営しているかと聞くと、青木さんは「自由・平和・希望」と即答しました。まさに卓見です。優れた競争戦略とは要するに何なのか、僕が考えていたことをたった3つの言葉で非常にうまく表している。フランス革命は、Liberté, Égalité, Fraternité 由・平等・友愛。これに対して、優れた戦略は自由・平和・希望だと青木さんは言います。
対概念がないと、メッセージがただのかけ声になります。政治家の発言を見ていると、形容詞と副詞がとにかく多過ぎる。「しっかりと」「スピード感を持って」――――混じりっけなしのかけ声です。意味のあることを何も言っていないのに、ポジティブな形容詞や副詞を連発して何かいいことをやろうとしているような気にさせる。しかも、 だれからも反対されない。なぜなら、どの理を優先し、何を捨てるのかがまったく見えないからです。「頑張ります」と言われて反対する人はいません。言っているほうも気持ちいいし、聞いているほうもいい。とりあえず、なんとなく「やる気」を感じさせて、その場をしのぐ。実に姑息です。
このところ政治家が連発する「なんとしてでも医療崩壊を回避しなければならない」――かけ声以外の何物でもありません。コロナ騒動で感染者が急増するたびに「医療崩壊」という言葉を耳にしました。しかし、それが何を指すのかを多くの政治家は明らかにしません。
大雑把に言えば、医療崩壊とは「医療リソースが不足して十分な医療行為を行えない」ことです。それはわかる。 だとしたら、不足しているのは具体的に何なのか。病床という空間なのか、人工呼吸器をはじめとする医療機器なのか、感染防護服などの消耗品なのか、お医者さんや看護師といった人的資源なのか、あるいは単純にカネがないのか。どこにボトルネックがあり、どこに資源投入を集中し、何を得て、何を捨てるのか。二言目には「国民的な議論を」と言うのですが、ここをはっきりしてもらわないことには議論になりません。
「かけ声をかける」――リーダーが絶対にやってはいけないことの一つです。かけ声は何の構想も戦略も実行もない人の逃げ場に他なりません。かけ声をかけているうちは二流経営者です。
石井『会社という迷宮』にはハッキリと書かなかったのですが、株主や経営者の皆さんにどうしても伝えたいことがあります。何か新しい枠組みをつくろうとなったとき、日本では「まず、公的な機関を設けよう」となりがちです。公的な機関では、何を判断するにも全員の意見を聞いて平均値を取るとか、総意の最大公約数を取ることから始めようとしがちです。そんなところからは「リスクを取る」発想は生まれません。
日本とアメリカの企業の本質的な違いは何か。それは、「決める人」をリーダーに選んでいるかどうかです。日本では、リーダーになると必ずこう求められます。「一つひとつのプロセスを透明化してください」「どんなに小さなことでも説明責任を果たしてください」――。要するに、「決める人」を選ぶ仕組みになっていない。
アメリカのようにリーダーに大きな決定権を持たせないと、「リスクを取って挑戦する」世界を体現できません。 「俺はこの事業に懸けているんだ。これがいいと思うからやるんだ」―――主観を持った経営者こそ、リスクを取って挑戦できます。「決める人」をトップに選ぶ。一旦決めた以上は、その人の好きなようにやってもらう。もし「この社長、まずいな・・・・・・」と思ったら、ほかの人に替えればいい。この割り切りが、日本ではできていません。
株主が企業を評価する際には、経営者が頭の中で描いている将来像をしっかり見定めなくてはいけません。同時に株主には、中立的な視点――「公的」ではなく、「無私」に近い観点が必要です。
注目すべきは、無給の背後にあった経営者としての意思です。20世紀のことは20世紀中に片づける。ため込んだ負の遺産は全部片づけて、2世紀からは大攻勢に転じるというのが丹羽の経営方針でした。
実は、無報酬は私の独断で決めたことです。役員会で話し合って決めたわけでなく、先月十日の取締役会で私から発表しました。その場で一部の役員から「社長だけが責任を取るのはおかしい。私も無報酬でいい」という発言も出た。(中略)「責任はみんなで、ケジメは一人で取ろう。 「責任はみんなで、ケジメは一人で取ろう。みんなの分をまとめて私がやったと思ってくれ」と言って、気持ちだけ受け取る形にさせてもらいました。それでも一部の役員は返上したいというので、 「じゃあその分、僕がもらおうか」と言ってやりました(笑)。
「責任」と「ケジメ」、この2つの言葉は同じ意味で使われがちですが、丹羽ははっきりと区別しています。そもそもケジメとは、連続する物事に区切りをつける、前と後の境目をはっきりとさせるという意味です。
伊藤忠は収益構造を大きく変えようとしていました。「ラーメンからミサイルまで」と言われたように、従来の総合商社は事業の間口を横に広げて、取引の手数料を収益源としていました。バブル崩壊を受けて、伊藤忠は自らリスクを取って投資をし、事業主体となる方向に舵を切ります。ここまでは他の総合商社も同じです。
ただし、伊藤忠と他社には路線の違いがありました。三菱商事や三井物産が、投資が当たればリターンが大きくなる資源ビジネスに向かったのに対して、伊藤忠はファミリーマートの株式を取得するなど、非資源の消費財ビジネスに資源配分を集中します。丹羽は当時、この戦略を「横の総合化」から「縦の総合化」と表現しています。川上から川下まで、伊藤忠の主導で商流を構築する。原料の調達から生産、末端の消費に至るまで、すべての機能に関与していれば、仮にどこかで損をしても全体としてバランスを取って儲けることができる。これが丹羽の戦略意図でした。
「社会性を重んじる経営問題が出てきている。それをぼくはルールといい、企業目的というんだな」と言う木川田に対して、桜田は「ぼくは、それは社会性というより、経済法則そのものの中に組み込まれなきゃダメだっていうんだ」と主張し、議論は平行線のまま終わります。
筆者は桜田に軍配を上げます。サステイナビリティはもはや実需です。社会性を無視した商品や経営はもはや顧客が受け入れません。裏を返せば、顧客価値を真剣に追求する経営は、サステイナビリティの条件を自動的に満たすということです。「サステイナビリティを重視するので、利益はほどほどに・・・・・・」では、本末転倒です。そういう人は株式会社を非営利組織に鞍替えして社会のサステイナビリティに邁進すべきです。
儲けるだけが企業ではありません。しかし、それでも結果の優劣を示す最上の尺度は長期利益にこそある――古今東西変わらない経営の本質にして原理原則です。SDGsにしても、イの一番に来る目標は「貧困の撲滅」です。 誰も反対しない正論ではあります。しかし、経営者たるもの、そんなことを言う前に社員の給料をもっと上げるべきです。それができずに、なぜアフリカの貧困が解消できるでしょうか。
真っ当な競争があれば、長期利益は顧客満足のもっともシンプルかつ正直な物差しとなります。長期利益を稼いでいれば、株価も上がり、結果として企業価値も大きくなる。おまけに法人所得税を支払って社会貢献もできる。 長期利益はすべてのステークホルダーをつなぐ経営の王道です。「ぼくは、それは社会性というより、経済法則そのものの中に組み込まれなきゃダメだっていうんだ」―――半世紀前の桜田の本質を衝いた言葉にはいよいよ重みがあります。
筆者の提唱する「逆・タイムマシン経営論」のメッセージを一言で言うと、「新聞雑誌は寝かせて読め」。歴史に埋もれた過去の記事は、現代を生きるわれわれにとって知恵と洞察の宝庫です。
新浪 相手としては、できるだけ支配されないようにしたいので、後々、「買収時にこう約束したはずだ」と言われてしまう。その結果、日本の経営陣としては彼らに任せるしかなくなるので、知らないところでいろんなことが起こるようになります。
でも本来は、もっと厳しく支配しなければなりません。
楠木 それは新浪さんにとっては、得意中の得意(笑)。
新浪 そうですけど、たいていの日本人はそれができないわけです。日本人は真面目だから、相手がわざと高いポールを投げてきても、「これを受けないと、この人辞めちゃうかな」と、受け取ってしまいます。
でも本当のことを言えば、一定の給料を出せばアメリカではいい人材がたくさん見つかるので、辞められても別に構わないはずなのですよ。向こうが足元を見て、わざと高いボールを投げてきたら、絶対に受けてはいけない。 日本企業の海外買収があまりうまくいかない理由のひとつは、この点にあると思いますね。
荒井 そんなことはありません。家の説明に経験が必要だというのは思い込みです。「家」という「モノ」の説明ですから、マニュアルで十分。だから、だれでもできる。中でも、能書きを垂れるのではなく、素直で腰が低いタイブが向いています。
これは不動産業界に限ったことではなく、どんなB60Cビジネスでも営業マンの仕事力は、出身大学の偏差値と反比例すると思います。頭のいい人は慇懃無礼だったりしますから。一方、BOBだったら逆で、相手に優秀であるというアピールが重要だから、偏差値が高いほうが有利でしょう。B60Cは、自分がお客さんより下の立場にならないとだめです。上の立場に立ちたいのは、人の本性です。僕も長らくわからなかったのですが、人は自分が上の立場になりたいと本能で思うから、へりくだってくれる人を好きになる。だから、お客さんはロジックで整然と説明する営業マンよりも、礼儀正しく感じがいい営業マンを好きになる。人に好きになってもらうと、自然と家も売れるのです。
楠木 商品の基本的な価値は担保されている。あとは足を使ってお客さんをキャッチし、気持ちよく接するというのが営業マンの役割になる。
荒井 だから、当社の営業マンは頭がいいとはいえませんが、汗はとつぷりかける(笑)。官僚は頭がいいけど、 国民から怒られる。その理由は、僕から見ると、「冷たい」からです。完全にBtoBマインドです。
もっと言ってしまうと、BtoCは「おバカっぽい」のがいいのです。おバカっぽいとは、それだけサービス精神があるということです。お笑いタレントがまさにそう。なぜ、彼らがモテるのかというと、サービス精神が圧倒的に優れているからです。もちろん、我が社には確かな「家」がある。だから、あとはサービス精神さえあれば、売れるのです。 -
Posted by ブクログ
名著と思われる雰囲気があった。
だた、内容盛りだくさんで逆に全体としての印象がぼやけてしまった。
# 面白かったポイント
- 歴史に名を残した人「キング牧師」とか、すごかった、オリジナルであったというより「タイミングが良かった」要素も多分にある。
- 先行者で必ずしもある必要はない、後発でもよい、他者とは違う「良いもの」であること
- 成功者がリスクを冒してるとは限らない。意外と二足の草鞋で安定をとりながらチャレンジして成功した人も多い
- 天才に必要なのは、圧倒的な行動量(ピカソ)
- 成功者だって市場を捉えられず失敗する。 ex. セグウェイ
- ブジャデ(新語): 見慣れたものを初めて見るように感じること
- 兄弟の長男は「しっかり者でリーダ気質」次男は「リスクをものともしない傾向」にあり。(お笑い芸人も次男以降が多い」(出世学)
- 褒める時は、具体的だけでなく「その背景にある価値観」を褒める
最後の楠木さんのコメントみたいなのが
結構鋭くて良かった。
結局は根本的に「世の中に良いインパクトを残すことをしなければならない」しかし競争社会の中でoriginalは難しいそのためには、「一見不合理に見えるが、ストーリーの中では合理的ことを行う」という話だ。