楠木建のレビュー一覧
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さすがアダムグラント、おもしろかった。
以下、引用。
違いを生み出す要因は、一見すると先天的な能力差のように思えても、実のところは、適切な機会や、意欲、向上心であることが多い
優秀さと先天的な能力とは、一般に期待されるほど強い関連性がない
重要なのは、どれほど努力したかという量よりも、どれほど人間として成長したか、という質である
成長のために必要な「三つの勇気」
第一に、「自分にとって最適」だと信じ込んでいる手法を捨てる勇気
第二に、自分の心の準備が整う前に、挑戦の場に飛び込む勇気
第三に、誰よりも多くの失敗を経験する勇気
セラピストは恐怖症治療を行う際、患者の状況に応じて二種類の曝露療法を使い分ける。一つは、系統的脱感作法、もう一つはフラッディング法洪水療法である
洪水療法とは、意図的に不快感を増大させることによって、結果的にその不快感を軽減させる治療法である -
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ギバーになろう。
もっというと「利他的」なギバーになろう!!
それが最終的に成功する道だ。
- 他者思考、もしくは自分を含む組織のギバーになる。
- 時間軸を広くもとう、帰ってくるなんて考えない
- 自分の弱みを曝け出すのも大事
- アドバイスを求めよう
- テイカーだって、与えられれば返したくなる。(ex. free cycle)
- 恩送りという考え方
- テイカーに対しては、マッチャーになる。ただし、時々楽観的なギバーにもなる。
- テイカーは、「自分」「私」を多用する。
- ギバーが強気に交渉するために。: 自分のためじゃなくて、自分の家族のためとか主語に周りの人を含める。 -
Posted by ブクログ
アイリスの独自性は「ユーザーイン」というコンセプトに凝縮されています。「プロダクトアウト」と異なるのはもちろん、一般に言う「マーケットイン」とも似て非なるものです。ここにアイリスの戦略に僕が痺れる最大の理由があります。
「ユーザー」とは文字通りその商品を使う人、エンドユーザーのことです。「マーケット」はユーザーではありません。特定の基準や範囲でのユーザーの集計値に過ぎません。「マーケティング」は文字通りマーケットを相手にしたものです。マーケティングの名のもとにしばしば行われる消費者アンケートからは、マーケット全体の平均値や傾向しか分かりません。だれもが注目する儲かりそうな市場に目を向けます。参入企業が相次ぎ、同質的な競争になり、結局のところ儲かりにくくなります。マーケットインでは定義からして独自性は生み出せません。
アイリスのユーザーインは異なります。洞察力と想像力を駆使して、特定の生活シーンでの一人ひとりのユーザーが確実に「役に立つ」「使い勝手がいい」と実感できるものを創って、作って、売る。そういう生活提案型商品にしか手を出さない。しかし、生活提案型の価値を持つものであれば、カテゴリーや技術に縛られることなく果敢に挑戦する。ユーザーインの商品開発によって新しい需要を刺激し、これまでになかった市場を創造する。結果的にプロダクトアウトならぬ「マーケットアウト」にまで至るのがユーザーインの戦略の妙味です。ユーザーインのコンセプトで一つ一つの商品力に磨きをかけ、長い時間をかけて一歩ずつ事業領域を拡張してきたことが、現在の極端に多品種を手がけるアイリスを形成しています。
メーカーの営業社員はその本能からしてマーケットインの姿勢になります。直接の顧客は問屋や小売店ですから、 営業が流通業者のニーズに反応するのは必然です。しかし、流通(=マーケット)のニーズは必ずしもユーザーのニーズではありません。ここにマーケットインの盲点があります。例えば、多数の製品を扱う問屋は売れるかどうかわからない新製品よりも安定して売れている製品を扱いたいと思うのが普通です。あるいは、単純に安い方を選ぶかもしれません。目先の儲けが計算できるという意味で問屋にとっては合理的だからです。マーケットインはユーザーインではないどころか、かえってユーザーインのチャンスを殺してしまいます。
ユーザーインを駆動するために必要になるのが「メーカーベンダー」というアイリスの独特な位置取りです。アイリスはメーカーであると同時に問屋機能まで内部に抱えています。自社のECはもちろん、ホームセンターのような小売業者に対してアイリスは直接商品を納入し、売り場作りや販促まで自ら行っています。
普通のメーカーであれば工場から出荷した製品がどこにどのように流れているかは分かりません。しかし、メーカーベンダーであればいつどこで何が売れたかが分かります。データの裏付けをもって仮説を立て、商品を企画し、 ユーザーからのフィードバックに基づいて改良することが可能になります。一般に問屋を通さずに直接取引をする動機は中間マージンの排除にあります。しかし、アイリスの一義的な意図はコスト削減ではありません。真のユーザーニーズを流通の都合で歪めたくないからです。店頭活動まで責任を持つことでユーザーニーズへの洞察が磨かれます。
逆向きの因果関係もあります。「問屋を通さない」と「問屋機能を持つ(=メーカーベンダー)」もまた似て非なるものです。小売業者はベンダーに品ぞろえを求めます。ベンダーとして機能するためには一つの製品をたくさん売るだけでは不十分で、小売店の棚を押さえなければなりません。ベンダーとして小売店に選ばれなければ商品の供給経路とユーザー情報の獲得経路が遮断されてしまいます。メーカーベンダーという位置取りは、商売がユーザー視点から逸脱することを防ぎ、ユーザーインのコンセプトを強制する規律にもなっています。ひとつの、ひとつだけの商売の基――独自性の基盤となるコンセプト――が明確に定まっていて、決してブレない。優れた戦略の最も大切な条件です。
第3の、最も重要なポイントは、 本書のタイトルにある「仕組み」です。
考えてみればある企業の競争優位が長期にわたって持続するというのは不思議なことです。儲けるよりも、儲け続ける方が何倍も難しい。なぜならば、競争があるからです。ある企業が高いパフォーマンスを達成していれば、 ごく自然に他社の関心を集めます。好業績の背後にどのような戦略があるのか、誰しも興味を持って注目します。 利益ボテンシャルに富んだ市場セグメントや好業績をもたらす戦略ポジションはすぐに世の中に知れ渡るところとなります。コンサルティング会社はさまざまな企業の成功要因を分析し、ありとあらゆる知識を提供してくれます。
一時的に成功したとしても、その戦略はいずれ模倣されてしまい、その結果、競争優位を長期的に持続するのはますます困難になるはずです。
しかし、現実はそうなっていません。競争優位を長期的に持続する企業が確かにある。その最たるものがアイリスです。四方八方から戦略を注視され、模倣の脅威にさらされながらも、長期にわたって競争優位を維持し、「いかなる時代環境でも利益を出」し続けています。これはなぜか――僕はこの問題についてずっと強い関心をもち、 持続的な競争優位の正体について思考を巡らせてきました。そのうちに、従来見過ごされていた論理があるのではないかと考えるようになりました。それが「ストーリーとしての競争戦略」――個別の打ち手ではなく、それらが一貫した因果論理でつながっているストーリーの総体にこそ競争優位の源泉がある――という視点です。アイリスはストーリーとしての競争戦略のほとんど完璧な事例を提供しています。
戦略ストーリーは業務や取引の体系ではありません。論理の体系です。先述したように、アイリスの戦略ストーリーの最上位にはユーザーインというコンセプトがあります。ユーザーインである以上、ベンダー機能を自社に持つ。メーカーベンダーだからこそユーザーインが実現できる。この論理がアイリスの戦略ストーリーの主軸になっています。
アイリスのさまざまな「仕組み」は、すべてこの基幹となる論理から派生しています。裏を返せば、個別の仕組みに注目しているだけではアイリスの強みの正体は分かりません。仕組みをばらばらに取り入れても、アイリスの競争力は手に入りません。
例えば、毎週月曜日のプレゼン会議。2万5000点にのぼるアイリスの商品を生み出す原動力であるこの仕組みはよく知られています。同じような会議を取り入れる会社も少なくありません。それでも、アイリスのような成功にはつながっていません。なぜでしょうか。アイリスの仕組みは戦略ストーリー全体の中ではじめて機能するものだからです。
プレゼン会議だけではありません。「ICジャーナル」を使った情報共有、伴走型の製品開発、経常利益の50% を毎年将来への投資に回し、発売3年以内の新製品の売上高比率を50%とするといったようなKPIの設定――こうした仕組みはいずれもアイリスに独自のユーザーインとメーカーベンダーの文脈においてはじめて意味を持ちます。確かに戦略を実行するうえで仕組みは不可欠なのですが、アイリスでうまくいっている仕組みをつまみ食いしても、期待する成果が出ないどころか、かえってパフォーマンスが低下する恐れがあります。
そこにアイリスの持続的な競争優位の核心があります。アイリスの戦略ストーリーを構成する仕組みには、ストーリーの文脈から切り離してそれだけを見れば一見して「非合理」なものが数多くあります。これがストーリーとしての競争戦略の観点からとりわけ興味深いところです。
高い業績をあげている企業A社があるとします。競合企業B社はA社の戦略を模倣しようとするでしょう。このような状況において、なぜA社の競争優位が持続するのか。従来の競争戦略論は「模倣障壁」の論理に依拠してきました。つまり、B社はA社の戦略を模倣しようとするのだけれども、そこにいくつかの障壁があるので、完全には真似しきれない。だからA社の競争優位が持続するという論理です。
しかし、です。もしA社の戦略ストーリーの中に、B社から見てあからさまに「非合理」な要素が含まれていたらどうでしょうか。B社はA社の戦略を部分的には模倣するにしても、一見して非合理な要素については手を出さないはずです。その結果としてA社の戦略は独自性を維持することになります。
ここでの持続的な競争優位の論理は、模倣障壁ではありません。そもそも競合他社が真似しようという意図をもたないという「動機の不在」にあります。模倣するどころか、他社は合理的な意図を持って模倣を忌避するにれが戦略による独自性(レベル3)の一段上を行くレベル4の競争優位です。レベル4にある戦略は、競争優位の持続性という点で徹障壁という防御の論理よりもさらに強力です。今のところ僕はこれが究極の競争優位の正体であると考えています。アイリスの競争優位はこのレベルにあるというのが僕の見解です。
コロナ禍が本格化して、アイリスは即座にマスクを増産し、売上を伸ばしています。2011年の東日本大震災のときも、震災発生の2週間後にLED照明の大規模な増産に踏み切り、これをきっかけに市場で支配的な地位を獲得しています。即断即決の瞬発力といえばそれまでですが、こうしたことが可能になるのはあらゆる設備の稼働率を意図的に7割以下に抑え、わざと生産能力に余裕を持たせているからです。しかし、稼働率を意図的に低くするということそれ自体は明らかに非効率です。しかもアイリスは部品から内製化しています。市販されている標準部品を使った方がコストの点でも機動力の点でも合理的であるように見えます。
そもそも自社生産をしていること自体が表面的には非合理です。売上高新製品比率をKPIとし、新しいニーズをとらえた製品を次々に市場化するのであれば、自社工場を持たず、生産を外注するファブレスメーカーである方が合理的に映ります。資産も軽くできます。現実にほとんどの企業は柔軟性を確保するための手段としてファブレスを選択しています。
メーカーベンダーにしてもそれ自体では非合理な面が多々あります。問屋相手の商売であればケース単位で出荷できます。しかし、ホームセンターに直接出荷するとなると、製品1個単位の発注形態になります。売り場の面倒まで見なくてはなりません。実に手間がかかります。
メーカーベンダーであるアイリスは顧客が欲しいものを迅速に供給しなければなりません。そのため、工場を物流拠点としてとらえています。生産効率だけで工場立地を決めないということです。日本国内では、高速道路へのアクセスなど物流立地を勘案して生産を9つの工場に分散させています。これにしても、生産効率だけを考えれば非効率な面があります。
こんなに「非合理」なことをやろうという企業はまず出てこない。ところが、本書をじっくり読めばわかるように、ユーザーイン→メーカーベンダーという補助線を引いてみれば、一見して非合理な打ち手(仕組み)がストーリー全体の中で他社が真似できない合理性に転化しています。
第1の説明は、PDSの戦略の模倣障壁に注目するものだ。PDSの収益性が高いことは業界で知られている。PDSが個々の具体的な施策として何をやっているかは見ればわかる。しかし、戦略の起点にして終点にあるコンセプトは模倣が難しい。ここに模倣障壁の基盤がある。PDSがあれやこれやの打ち手を繰り出して実現している 「気がイイ場所」という統合的な顧客価値はそう簡単には真似できない。本質的な顧客価値を要素に還元して説明できないということは、競合他社にも競争優位の実体がつかめないということを意味する。「気がイイ場所」をもたらしている原因が特定できない。あまりに複雑性が高く、個別の打ち手との因果関係が判然としない。顧客にしてもPDSのホテルやレストランやウェディングの「何が良いのか」を説明できない。したがって、類似の価値を提供する他社を思いつかない。PDSの提供する空間がその顧客にとって他に代替できない特別のものとなる。 PDSのメニューや店舗デザインを真似することはそれほど難しくない。現に、競合他社の中にはPDSの商品や店舗設計をあからさまに模倣しているところもある。しかし、そうした表面にある要素を忠実になぞるだけでは、 「気がイイ場所」は再現できない。
とりわけ模倣が難しいのは、PDSの競争力の中核を支える人材だ。特定の分野でのスキルを持つ人材ならば、 コストさえかければすぐに獲得できる。スキル開発の方法や定型的な評価システムも用意されている。しかし、センスを見極め、「イイやつ」を採用し、日常の仕事の中でセンスが育つ土壌を耕すマネジメントは一朝一夕ではできない。きわめてノウハウの密度が濃い。膨大な人数を相手に手間暇かけた面接をしていく中でしかうまくできない。事実として、PDSはこれを20年間やり続けているのである。
さらに言えば、PDSの積分型戦略には、社内の人材だけでなく、顧客までを巻き込んだダイナミックな好循環の論理が組み込まれている。これが模倣障壁を一層高めている。PDSの店舗は顧客にとって「また来たくなる場所」であり、「一度行ってみたい場所」ではない。利用経験を重ねるほど価値についての顧客の理解が深まり、また来たくなる。来れば来るほど経験が記憶として積み重なり、「気がイイ空間」の価値はますます増大する。他社がPDSに近づこうとしても、その時点でPDSはさらに先を行っているので、追いつけない。
第2の説明は、競合他社の「動機の不在」に注目する。すなわち、「真似できない」のではなく、そもそも真似しようという動機を他社が持たない。もっと言えば、他者の目にはPDSの戦略が「真似したくない」ものに映る。 他社は模倣しようとするどころか、むしろPDSのポジションから意識的に距離を置こうとする、という説明だ。 私見では、第1の模倣障壁よりも、第2の動機の不在にこそPDSの持続的競争優位の正体がある。
戦略の基盤にあるトレードオフは、「あちらを立てれば、こちらが立たず」という論理に基づいている。Aを取れば、Bを失う。Bを選択すれば、Aはできない。このときに、AとBの有効性が同等であれば、単純に「一長一短がある2つのどちらを取るか」という問題になる。これが「普通の(ニュートラルな) トレードオフ」だ。しかし、 競合他社の主観において、有効性がAVBに見える「強いトレードオフ」があったとしたらどうか。Aを取ってB を捨てるのが、(少なくとも主観的には)合理的な戦略となる。
ブランドを統一しなければ、幅広いブランド認知による範囲の経済は手に入らない。個店経営にこだわれば、標準化による効率を喪失する。歴史と文化を背負った特別な物件が出てくるのを気長に待っていれば、急速な新規出店による成長機会を追求できない。人材の供給を新卒採用に求めれば、業界での経験がある即戦力人材に手を出せない。そもそも人手不足になる。キャパシティに合わせて人を割り当てず、人に合わせて客席を減らせば、貴重な資産の回転が犠牲になる。ウェディングの料理や飲み物を充実させると、原価低減のチャンスをみすみす失うことになる――PDSはありとあらゆる側面で一見して非合理に見えるBを選択している。他社は「合理的」な損得勘定に基づいてAを維持し、Bにリポジションしようとしない。したがって、PDSのポジションはいつまでたっても脅かされず、独自性が持続する。ここにPDSの戦略の妙味がある。
しかし、いつまでも成長期が続くわけではない。マクロで見れば、経済が成熟するにつれて、稼ぐ力の源泉は、 企業を取り巻く外部の機会から企業内部でつくり込む独自価値へとシフトするのが一般的な傾向である。「成熟した成熟期」にある日本やヨーロッパでは、○企業よりもQ企業が前面に出てくる。
Q企業の条件は次の5つ。(1)立ち位置(事業領域)を明確に絞り込み、(2)そこで一貫した戦略ストーリーをもち、(3)競合他社と差別化した独自の顧客価値を創出し、(4)それゆえ長期利益を稼ぎ、(5)結果として成長を実現する。○企業が量的成長を一義的に追求するのに対して、Q企業にとっての成長は、長い時間をかけて顧客価値を練磨した結果としての成長である。
企業が空間軸で間口を広く取るポートフォリオ経営であるのに対して、Q企業は時間軸での事業の深掘りで勝負する。時間をかけてその事業を練磨し、他社が容易に模倣できない価値を実現し、それをテコにして長期利益を実現する。
つまり、Q企業のカギは「専業性」にある。洋服のファーストリテイリング、エアコンのダイキン工業、モータ ―の日本電産(現・ニデック)、精密加工装置のディスコ、靴小売りのABCマート、ホテルやレストランのオペレーションのプラン・ドゥー・シー、リゾートホテルや旅館を運営する星野リゾート製造業かサービス業か、 B10BかB10Cかを問わず、いずれも特定の事業領域を継続的に深耕することによって長期利益を稼いでいる企業だ。
Q企業にとっての成長は目的というよりは結果である。ユニクロはこの数年急速にグローバル化を進めている。 確かに海外の成長市場はユニクロにとって重要な成長機会を提供している。しかし、闇雲に機会を求めて海外に進出したわけではない。グローバルな成長にしても、長い時間をかけて磨きをかけた独自の価値が海外でも通用したからだ。一義的に成長を追求する企業とは物事の優先順位が異なる。
だとすれば、カギを握るのは事業経営を丸ごと担える経営者人材の層の厚みだ。ここでいう「経営者」は役職やタイトルの問題ではない。仕事に対する構えの問題だ。「商売丸ごと動かして稼ぐ」を自分の仕事としている人、 それがここでの経営者の定義だ。
ここで大切なポイントは、「経営者」と「担当者」との区別である。優れた競争戦略は組織的分業からは生まれない。戦略は「部署」ではなく「人」がつくるものだ。本社中枢の「経営戦略室」や「経営企画部」といった部署のスタッフはそもそも戦略を構想する任にない。戦略はあくまでもその事業の経営者がつくるもの。経営企画部門はそういう経営者がいるという前提で、経営者をサポートする「担当者」に過ぎない。
担当者の仕事は「ここからここまで」と範囲が決まっている。必要なのはその仕事に必要なスキルだ。財務や法務やITやマーケティングのスペシャリストはそれぞれの分野の知識やテクニックには精通している。しかし、いくらスキルを磨いても、その延長線上で経営者になれるわけではない。この2つの仕事はそもそもカテゴリーが違う。経営者の仕事に範囲も分野もない。担当がないのが経営者だ。
繰り返し強調するが、一度ある事業を立ち上げてしまえば、その後に本社のトップマネジメントができることは限られている。事業の成否はそれをドライブしていく経営者にかかっている。事業経営者の重要性は筆舌に尽くしがたい。 経営者にはセンスとしか言いようがないものが求められる。スキルは育てられるが、センスは育てられない。しかも、スキルに長けた担当者は労働市場から調達できる。一方のセンスには育てるための体系的な方法がない。だから、経営人材は最重要であると同時に常に最も希少な経営資源となる。
通常のEコマースですと、訪問者数や購入金額などをKPIとして追求します。ところがクラシコムはそういうものを重視していません。アクセスする人がオウンドメディアの記事を楽しむことを一義的な目的にしている。 入が起きるかどうかはあくまでも結果。購入金額をKPIに設定してしまうと、かえってライフカルチャープラットフォームとしての魅力を薄めてしまうからです。彼らがひたすら追求しているのは、あくまでもエンゲージメント数。そこがほかのEコマースとは違う。
ここで言うエンゲージメント数とは、例えばSNSのフォロワー数や、ユーチューブチャンネルの登録者数、アプリのダウンロード数を指しています。これらを追求していくと結果的にLTV (Life Time Value)が増大する。 年間のお客さんの平均購入金額はずっと伸び続け、営業利益率15%以上という高い収益性を達成している。商売としてきっちりと儲かっています。
企業の内部に目を向けると、社員の9割が元顧客です。同社が発信する生活哲学に共感したお客さんが、「この会社で自分も働きたい」と入ってくる。「北欧、暮らしの道具店」というライフカルチャーのプラットフォームが、 採用のプラットフォームにもなっている。人材を採用して育成するというより、もともと価値観・世界観が合っている人を探る。この人手不足の時代に採用倍率は200倍です。
こうして見ていくと、クラシコムという会社の商売の組み立ては、2012年にポーター賞を受賞したほぼ日 (受賞時は東京糸井重里事務所)にかなり似ていることに気がつきます。ほぼ日もオウンドメディア「ほぼ日刊イトイ新聞」でいろいろな記事を発信し、それに共感する人たちのコミュニティが作られ、その人々が最終的に何かしらの商品を買っている。
ただし、です。この2つの会社には決定的な違いがあります。クラシコムには糸井重里さんがいない。強力な発信力を持ち、コミュニティを作る軸になる特定個人が存在しない。しかも、「ほぼ日手帳」のように、毎年必ずたくさん売れて、しかもマージンが大きい商品があるわけでもない。ライフカルチャープラットフォームとしてのE コマースが、より高い純度で実現されていると言ってよいでしょう。
この商売を作ったクラシコムの創業経営者が、青木耕平さんです。何を大切に経営しているかと聞くと、青木さんは「自由・平和・希望」と即答しました。まさに卓見です。優れた競争戦略とは要するに何なのか、僕が考えていたことをたった3つの言葉で非常にうまく表している。フランス革命は、Liberté, Égalité, Fraternité 由・平等・友愛。これに対して、優れた戦略は自由・平和・希望だと青木さんは言います。
対概念がないと、メッセージがただのかけ声になります。政治家の発言を見ていると、形容詞と副詞がとにかく多過ぎる。「しっかりと」「スピード感を持って」――――混じりっけなしのかけ声です。意味のあることを何も言っていないのに、ポジティブな形容詞や副詞を連発して何かいいことをやろうとしているような気にさせる。しかも、 だれからも反対されない。なぜなら、どの理を優先し、何を捨てるのかがまったく見えないからです。「頑張ります」と言われて反対する人はいません。言っているほうも気持ちいいし、聞いているほうもいい。とりあえず、なんとなく「やる気」を感じさせて、その場をしのぐ。実に姑息です。
このところ政治家が連発する「なんとしてでも医療崩壊を回避しなければならない」――かけ声以外の何物でもありません。コロナ騒動で感染者が急増するたびに「医療崩壊」という言葉を耳にしました。しかし、それが何を指すのかを多くの政治家は明らかにしません。
大雑把に言えば、医療崩壊とは「医療リソースが不足して十分な医療行為を行えない」ことです。それはわかる。 だとしたら、不足しているのは具体的に何なのか。病床という空間なのか、人工呼吸器をはじめとする医療機器なのか、感染防護服などの消耗品なのか、お医者さんや看護師といった人的資源なのか、あるいは単純にカネがないのか。どこにボトルネックがあり、どこに資源投入を集中し、何を得て、何を捨てるのか。二言目には「国民的な議論を」と言うのですが、ここをはっきりしてもらわないことには議論になりません。
「かけ声をかける」――リーダーが絶対にやってはいけないことの一つです。かけ声は何の構想も戦略も実行もない人の逃げ場に他なりません。かけ声をかけているうちは二流経営者です。
石井『会社という迷宮』にはハッキリと書かなかったのですが、株主や経営者の皆さんにどうしても伝えたいことがあります。何か新しい枠組みをつくろうとなったとき、日本では「まず、公的な機関を設けよう」となりがちです。公的な機関では、何を判断するにも全員の意見を聞いて平均値を取るとか、総意の最大公約数を取ることから始めようとしがちです。そんなところからは「リスクを取る」発想は生まれません。
日本とアメリカの企業の本質的な違いは何か。それは、「決める人」をリーダーに選んでいるかどうかです。日本では、リーダーになると必ずこう求められます。「一つひとつのプロセスを透明化してください」「どんなに小さなことでも説明責任を果たしてください」――。要するに、「決める人」を選ぶ仕組みになっていない。
アメリカのようにリーダーに大きな決定権を持たせないと、「リスクを取って挑戦する」世界を体現できません。 「俺はこの事業に懸けているんだ。これがいいと思うからやるんだ」―――主観を持った経営者こそ、リスクを取って挑戦できます。「決める人」をトップに選ぶ。一旦決めた以上は、その人の好きなようにやってもらう。もし「この社長、まずいな・・・・・・」と思ったら、ほかの人に替えればいい。この割り切りが、日本ではできていません。
株主が企業を評価する際には、経営者が頭の中で描いている将来像をしっかり見定めなくてはいけません。同時に株主には、中立的な視点――「公的」ではなく、「無私」に近い観点が必要です。
注目すべきは、無給の背後にあった経営者としての意思です。20世紀のことは20世紀中に片づける。ため込んだ負の遺産は全部片づけて、2世紀からは大攻勢に転じるというのが丹羽の経営方針でした。
実は、無報酬は私の独断で決めたことです。役員会で話し合って決めたわけでなく、先月十日の取締役会で私から発表しました。その場で一部の役員から「社長だけが責任を取るのはおかしい。私も無報酬でいい」という発言も出た。(中略)「責任はみんなで、ケジメは一人で取ろう。 「責任はみんなで、ケジメは一人で取ろう。みんなの分をまとめて私がやったと思ってくれ」と言って、気持ちだけ受け取る形にさせてもらいました。それでも一部の役員は返上したいというので、 「じゃあその分、僕がもらおうか」と言ってやりました(笑)。
「責任」と「ケジメ」、この2つの言葉は同じ意味で使われがちですが、丹羽ははっきりと区別しています。そもそもケジメとは、連続する物事に区切りをつける、前と後の境目をはっきりとさせるという意味です。
伊藤忠は収益構造を大きく変えようとしていました。「ラーメンからミサイルまで」と言われたように、従来の総合商社は事業の間口を横に広げて、取引の手数料を収益源としていました。バブル崩壊を受けて、伊藤忠は自らリスクを取って投資をし、事業主体となる方向に舵を切ります。ここまでは他の総合商社も同じです。
ただし、伊藤忠と他社には路線の違いがありました。三菱商事や三井物産が、投資が当たればリターンが大きくなる資源ビジネスに向かったのに対して、伊藤忠はファミリーマートの株式を取得するなど、非資源の消費財ビジネスに資源配分を集中します。丹羽は当時、この戦略を「横の総合化」から「縦の総合化」と表現しています。川上から川下まで、伊藤忠の主導で商流を構築する。原料の調達から生産、末端の消費に至るまで、すべての機能に関与していれば、仮にどこかで損をしても全体としてバランスを取って儲けることができる。これが丹羽の戦略意図でした。
「社会性を重んじる経営問題が出てきている。それをぼくはルールといい、企業目的というんだな」と言う木川田に対して、桜田は「ぼくは、それは社会性というより、経済法則そのものの中に組み込まれなきゃダメだっていうんだ」と主張し、議論は平行線のまま終わります。
筆者は桜田に軍配を上げます。サステイナビリティはもはや実需です。社会性を無視した商品や経営はもはや顧客が受け入れません。裏を返せば、顧客価値を真剣に追求する経営は、サステイナビリティの条件を自動的に満たすということです。「サステイナビリティを重視するので、利益はほどほどに・・・・・・」では、本末転倒です。そういう人は株式会社を非営利組織に鞍替えして社会のサステイナビリティに邁進すべきです。
儲けるだけが企業ではありません。しかし、それでも結果の優劣を示す最上の尺度は長期利益にこそある――古今東西変わらない経営の本質にして原理原則です。SDGsにしても、イの一番に来る目標は「貧困の撲滅」です。 誰も反対しない正論ではあります。しかし、経営者たるもの、そんなことを言う前に社員の給料をもっと上げるべきです。それができずに、なぜアフリカの貧困が解消できるでしょうか。
真っ当な競争があれば、長期利益は顧客満足のもっともシンプルかつ正直な物差しとなります。長期利益を稼いでいれば、株価も上がり、結果として企業価値も大きくなる。おまけに法人所得税を支払って社会貢献もできる。 長期利益はすべてのステークホルダーをつなぐ経営の王道です。「ぼくは、それは社会性というより、経済法則そのものの中に組み込まれなきゃダメだっていうんだ」―――半世紀前の桜田の本質を衝いた言葉にはいよいよ重みがあります。
筆者の提唱する「逆・タイムマシン経営論」のメッセージを一言で言うと、「新聞雑誌は寝かせて読め」。歴史に埋もれた過去の記事は、現代を生きるわれわれにとって知恵と洞察の宝庫です。
新浪 相手としては、できるだけ支配されないようにしたいので、後々、「買収時にこう約束したはずだ」と言われてしまう。その結果、日本の経営陣としては彼らに任せるしかなくなるので、知らないところでいろんなことが起こるようになります。
でも本来は、もっと厳しく支配しなければなりません。
楠木 それは新浪さんにとっては、得意中の得意(笑)。
新浪 そうですけど、たいていの日本人はそれができないわけです。日本人は真面目だから、相手がわざと高いポールを投げてきても、「これを受けないと、この人辞めちゃうかな」と、受け取ってしまいます。
でも本当のことを言えば、一定の給料を出せばアメリカではいい人材がたくさん見つかるので、辞められても別に構わないはずなのですよ。向こうが足元を見て、わざと高いボールを投げてきたら、絶対に受けてはいけない。 日本企業の海外買収があまりうまくいかない理由のひとつは、この点にあると思いますね。
荒井 そんなことはありません。家の説明に経験が必要だというのは思い込みです。「家」という「モノ」の説明ですから、マニュアルで十分。だから、だれでもできる。中でも、能書きを垂れるのではなく、素直で腰が低いタイブが向いています。
これは不動産業界に限ったことではなく、どんなB60Cビジネスでも営業マンの仕事力は、出身大学の偏差値と反比例すると思います。頭のいい人は慇懃無礼だったりしますから。一方、BOBだったら逆で、相手に優秀であるというアピールが重要だから、偏差値が高いほうが有利でしょう。B60Cは、自分がお客さんより下の立場にならないとだめです。上の立場に立ちたいのは、人の本性です。僕も長らくわからなかったのですが、人は自分が上の立場になりたいと本能で思うから、へりくだってくれる人を好きになる。だから、お客さんはロジックで整然と説明する営業マンよりも、礼儀正しく感じがいい営業マンを好きになる。人に好きになってもらうと、自然と家も売れるのです。
楠木 商品の基本的な価値は担保されている。あとは足を使ってお客さんをキャッチし、気持ちよく接するというのが営業マンの役割になる。
荒井 だから、当社の営業マンは頭がいいとはいえませんが、汗はとつぷりかける(笑)。官僚は頭がいいけど、 国民から怒られる。その理由は、僕から見ると、「冷たい」からです。完全にBtoBマインドです。
もっと言ってしまうと、BtoCは「おバカっぽい」のがいいのです。おバカっぽいとは、それだけサービス精神があるということです。お笑いタレントがまさにそう。なぜ、彼らがモテるのかというと、サービス精神が圧倒的に優れているからです。もちろん、我が社には確かな「家」がある。だから、あとはサービス精神さえあれば、売れるのです。 -
Posted by ブクログ
名著と思われる雰囲気があった。
だた、内容盛りだくさんで逆に全体としての印象がぼやけてしまった。
# 面白かったポイント
- 歴史に名を残した人「キング牧師」とか、すごかった、オリジナルであったというより「タイミングが良かった」要素も多分にある。
- 先行者で必ずしもある必要はない、後発でもよい、他者とは違う「良いもの」であること
- 成功者がリスクを冒してるとは限らない。意外と二足の草鞋で安定をとりながらチャレンジして成功した人も多い
- 天才に必要なのは、圧倒的な行動量(ピカソ)
- 成功者だって市場を捉えられず失敗する。 ex. セグウェイ
- ブジャデ(新語): 見慣れたものを初めて見るように感じること
- 兄弟の長男は「しっかり者でリーダ気質」次男は「リスクをものともしない傾向」にあり。(お笑い芸人も次男以降が多い」(出世学)
- 褒める時は、具体的だけでなく「その背景にある価値観」を褒める
最後の楠木さんのコメントみたいなのが
結構鋭くて良かった。
結局は根本的に「世の中に良いインパクトを残すことをしなければならない」しかし競争社会の中でoriginalは難しいそのためには、「一見不合理に見えるが、ストーリーの中では合理的ことを行う」という話だ。 -
Posted by ブクログ
著者は確信を「自分自身に対する確信」と「自分のやり方に対する確信」に分けるべきだと言う。自己信頼に基づく確信は、自分の「やり方」を確信している度合いとは異なる。謙虚さとは確信を抑制することではない。自分自身に対しても自分のやり方に対しても確信がない状態は不安でしかない。身がすくんでしまい、アクションに踏み出せなくなる。逆に、両方に対して強い確信を持つと独りよがりの思い込みに陥る。理性的な判断ができず、過信サイクルが回りだす。自分自身に十分な能力があるという自信を持ちながら、目標を達成するための正しい手段については常に自問する謙虚さを持つ。ここに確信と謙虚さの真のバランスがある。
信念と価値観を区別する
本書の中で僕にとっていちばんインパクトがあったのは、「自分の意見や考えを自分のアイデンティティから分離する」という主張だ。人は自分の信念や信条に基づいて自分を定義しがちだ。しかし考えてみれば、その時々の信念はその人にとつって永続的な価値観ではない。信念と価値観は似て非なるものだ。
自分は誰なのか、アイデンティティを問う時、あなたの信念ではなく、価値観に基づいて自分を定義すべきだ。 価値観は、人生の中核となる原理である。それは優良さや寛大さかもしれないし、自由や平等、または安心感や誠実さかもしれない。そのような価値観を基盤にしてアイデンティティを築きあげれば、あなたは柔軟な心を保ち、それらの価値観や視野を広げるための最善な方法を喜んで受け入れることができるはずだ。
あなたが必要とするのは、人の健康を守ることに重きを置く医者であり、生徒が学べるように喜んで手助けする教師であり、安全と正義を重んじる警察だ。それらの人たちが、己の信念や考え方でなく、価値観によって自分自身を定義するならば、新しい証拠を踏まえて、それまでのやり方を改める柔軟さを備えることができる。
ここでアップルから声がかかる。これがすべての始まりだった。当時のアップルは崩壊の瀬戸際にあった。主力事業のPC(マッキントッシュ)のシェアはわずか2%と低迷していた。時価総額は40億ドル。王者マイクロソフトの時価総額は2500億だった。はじめはアップルに対するコンサルティングでフューズの従業員の給料稼ぎができればいいという程度の考えだった。ところが、「顧客にとってどうしても必要で、世界を変える力があるプロダクト以外は存在すべきではない」というスティーブ・ジョブズの理念に痺れた著者は、2001年にアップルに入社する。初代iPodが発売されたのはその10ヵ月後だった。
最高のアイデアはビタミン剤ではなく鎮痛剤でなくてはならない。ビタミン剤は不可欠ではない。ひっきりなしに続く日常的な不快な体験を除去する――ここにプロダクトの価値がある。人生はささやかな、それでいてとんでもない不便に満ち溢れている。しかし、世の中の人々はそれに慣れている。だから誰も問題の存在自体に気づいていない。
ジョブズは人が気に留めていないことに意識を向ける天才だった。素人であり続けろ。プロダクトを新たな目で見直せ――「1000曲をポケットに」を標榜するiPodの成功は、それまでウォークマンに親しみ、デジタルミュージックを体験したことがない「普通の人々」の日常的な問題を解決したことにあった。
目標設定、採用、評価、会議、進捗確認、もめごとの解決・・・・・・ようするに「何か困っていることない?」と聞いてまわるのがマネジャーだ。一にも二にも部下とのコミュニケーションが大切になる。このときもWHYを伝えることが肝心だ。WHATやHOWを指示する前に、なぜその仕事に意味があるのかを部下が理解していなければならない。
部下が活躍して自分の存在が霞んでしまうようになる。これこそがマネジャーとしての成功だ。決してプレイヤーの部下と競争してはならない。部下と張り合うマネジャーはマイクロマネジメントに走る。これが組織をダメにする。
よく知られているように、スティーブ・ジョブズはアップルの絶対権力者として君臨し、独裁者として振る舞った。チームが開発しているプロダクトのクオリティにとことんこだわった。ジョブズが宝石商のごとくルーペを取り出し、ディスプレイ上の一つひとつのピクセルにまで目を光らせ、ユーザーインターフェイスのグラフィクスがきちんと描かれているか確認する姿を著者は目撃している。ハードウェアからパッケージに書かれた文言の一字一句に至るまで、同じレベルの注意力で目を光らせた。それでも、プロダクトに直接手は出さなかった。部下が文句なしに最高のプロダクトをつくっているかに意識を集中し、成果を確実なものにする。プロセスではなく結果にコミットする。成果をどうやって生み出すかは部下の仕事だ。任せることができなければマネジャーではない。
競争戦略の勝利条件
まずはっきりさせておくべきは、経営が持つべき目標です。目標が間違っていれば、あらゆる戦略は無用の長物です。結局のところ、経営は何を極大化するべきなのか。答えは長期利益です。長期利益は経営の優劣を示す最上の尺度です。「カネ儲けがすべてだ!」という話ではありません。従業員や顧客、株主、社会、すべてのステークホルダーに対して企業は貢献しなくてはなりません。逆説的に聞こえるかもしれませんが、だからこそ長期利益の追求が何よりも大切なのです。
企業活動に対価を支払ってくれるのは顧客です。結局のところ、すべては顧客のためです。ただし、です。極大化すべき「目標」が長期利益だということは、企業の「目的」――最近の言葉で言えば「パーパス」――が顧客に対する価値提供であることと何ら矛盾しません。真っ当な競争があれば、長期利益は顧客満足の最もシンプルかつ正直な物差しとなります。その企業がなくなったら、どれだけ困り悲しむ人がいるか――この総量がその企業の提供する独自価値であり、それは確実に利益に反映されます。長期利益と顧客価値はコインの両面のようなものです。まったく儲かっていないのに顧客満足を標榜する経営は欺瞞です。
長期利益を稼いでいれば、投資家が評価し株価も上がる。株主に支払う配当も利益処分の一形態です。儲けが出ていなければ分配できません。経営者が儲かる商売をつくれば、雇用を生み出し、守ることができます。いよいよ日本でも賃上げが重視されるようになりました。労働分配を増やすためにはまず稼げる商売をつくることが先決です。
刹那的な儲けであれば話は違ってきます。客を騙して儲ける、従業員を泣かせて儲けることも可能です。しかし、 それでは持ちません。持続的な利益の実現はすべてのステークホルダーをつなぐ経営の基本線となります。
何よりも、長期利益は社会のためになります。企業による社会貢献の王道は法人所得税の支払いです。社会的目的のために使うことができる原資を創出する。そこに企業の社会貢献の本筋があります。あとはすべてオマケです。
「みなさま、私は今こそ、よほどしっかりした考え方で、真の経済再武装を計らなければならない時機だと考えるのであります。経済再武装――それは利益を尊重するということです。・・・・・・今日、企業の儲けの半分は、税金として国家の大きな収入源となり、このお金で道路が造られたり、福祉施設ができたり、また減税も可能になり、直接に間接に全国民がその恩恵を受けているのであります。・・・・・・逆に、企業が赤字となれば、これは単にその商店や会社の損失にとどまらず、社会に対して一つの大きな罪を犯したのだという厳しい自覚をもってしかるべきだと思うのであります」――松下幸之助さんが1965年6月の『電波新聞』に出した意見広告の文章です。タイトルは一言、「儲ける」でした。柳井正さんが2007年に打ち出したファーストリテイリングの方針はやはり一言、「儲ける」でした。まことに正しい方針です。長期利益の追求は不変にして普遍の原理原則です。
ローカル食品スーパー「クックマート」を運営するデライトの経営が優れている理由もまたここにあります。創業以来増収を重ね、売上300億円超の規模にまで成長しています。一店舗の売り場面積は平均300坪と小さいのですが、一店舗当たり27億円の平均年商を上げています。これは一般的な食品スーパーの倍近くの数字です。22 店舗の来店客数は年間1000万人超。生鮮食品にフォーカスして商品のクオリティを高め、リーズナブルな価格で着実にファンを増やし、来店頻度と買い上げ点数を伸ばすことによって、この売上を達成しています。
本書では明示されていませんが、業界平均以上の利益を持続しているはずです。従業員の給与水準も業界の中では高い水準にあるでしょう。顧客に対して独自の価値を提供できているのはもちろん、儲かる商売を通じてあらゆるステークホルダーに価値をもたらす―――デライトは経営の王道を行く会社です。
クックマートの組織能力の構築において経営者である著者が果たしている役割として、少なくとも次の3点が指摘できます。第1にターゲット社員の定義です。能力は人に体化されています。戦略がターゲット顧客の絞り込みを必要とするように、能力構築においてはターゲット社員をはっきりとさせることが不可欠です。
クックマートのターゲット社員は「マイルドヤンキー」――――従来のヤンキーのような攻撃的な不良ではなく、地元志向が強く、同年代の友人や家族との仲間意識をベースとした生活をする層――です。
マイルドヤンキーの何がいいかというと、無理をしていない、自然体なところ。ある意味健全。人間らしい。 生まれた場所で育ち、そこに満足し、そこから出ない。即ち、満たされている。ゆえにルサンチマン(怨念) がない。挨拶が元気。笑顔が素敵。めっちゃいい人が多い。
都会では「マインドフルネス」が流行っているそうですが、マイルドヤンキーの生活は言ってみれば「毎日がマインドフルネス」。瞬間瞬間に生きているわけですから、ある意味、自然体で図らずして「悟りの境地」です。「マインドフルネス? なにそれ? うまいの?」という世界。瞑想する必要もなく元気。都会人が意識的に「マインドフルネス」をしないと元気になれないということは、それだけ都会が人間にとって「過酷な場所」「不自然な場所」ということなのかもしれません。
彼らは地元に住み、地元に根差す人々です。ターゲット顧客であるローカルな生活者の思考と指向と嗜好を自然と理解できる。「地元の普通の人々」たちが楽しく、納得感を持って仕事ができる組織をつくれば、ターゲット顧客に対する価値創造が可能になります。「人材獲得」「人材育成」というと、そもそもモチベーションが強く、上昇志向があり、スキル習得に熱心な層を重視しがちです。『日本経済新聞』やニューズピックスで利いた風な口をたたいている連中がその典型です(僕もその一人なのですが)。しかし、クックマートはそうした人々は相手にしません。
ようするに、競争市場だけではなく、労働市場でもはっきりとしたトレードオフを選択し、独自のポジションをとっているということです。これはあくまでも経営者の戦略的な意思決定です。ボトムアップでやっているうちに気づいてみたらそうなっていた、ではありません。
第2に、マネジメントのためのユニークな仕組みの設計です。著者はこれを「仕事を通じて人生を楽しめるプラットフォーム」と表現しています。5章で詳しく論じられているように、その構成要素には、「シンプルでざっくりした」人事制度、定期的なリアルイベント、「ユルい」部活動、社長による対話型の研修、社内SNSによるカジュアルな情報共有などさまざまなものがあります。どれをとっても、「楽しむ、楽しませる」という戦略コンセプトをブレイクダウンする中で経営者自らが作っていったものです。
考えてみると、マイルドヤンキー(=ローカルで生活する普通の人々)のマネジメントは、クックマートのみならず、 日本全体にとっても重要な示唆を含んでいます。なぜなら、日本全体で見ると、そういう人の方が圧倒的に多いからです。世間で語られている人事制度やキャリア開発は「東京のエリート」視点に偏っています。『日本経済新聞』 やニューズピックスで喧伝されているようなキャリアモデルやキャリアプランに興味がない人もたくさんいる。労働市場で厚い層を形成しているのは、むしろそうした人々です。著者はこう言っています。
仕事がつまらなくなるのは「目的」が喪失し、「全体像」が見渡せず、「自分が何をやっているのかわからない」「やっていることに意味を見いだせない」状態に陥るからではないか? このマインドセットのまま、「お金」や「休み」や「福利厚生」を手厚くしても、みんな幸せになれるのか?
いわゆる「働き方改革」をいくらやったところで、そもそも仕事自体がつまらなく、仕事についての「モノの見方」がネガティブだと、永遠に「仕事、ダリィ」ということになるのではないか? だから、私は「働き方改革」もいいけれど、同時に、職場が「仕事を通じて人生を楽しめるプラットフォーム」であること、加えて、 それ以前の「モノの見方改革」(なぜ、働くのか? 自分にとっての幸福とは何か? 根本的な自己認識=「自分なりの基準」を持つこと)が重要ではないか? と思っているのです。
第3に、これが最も重要なことですが、上述した組織能力は、戦略ポジショニングがなければあり得なかったということです。トレードオフを明確に選択し、「何をやらないか」がはっきりしている。だからこそ、やることについては能力を継続的に深めていけるという成り行きです。人間の注意や努力には限りがあります。「何でもできる」を目指してしまうと、「何もできない」ということになる。
ようするに、戦略がはっきりしているから、能力構築に本腰を入れて取り組めるわけです。戦略が先、能力は後。
この順番が大切です。裏を返せば、デライトの組織能力が優れているからといって、全国チェーンの大手スーパーや一般的な食品スーパーが、上述したような能力構築の仕組みを「ベストプラクティス」として導入したら、戦略とのミスマッチをきたし、指揮命令系統が崩壊し、かえってパフォーマンスは低下するでしょう。組織能力が真似できないのではなく、その前提となっている戦略が真似できないのです。繰り返しますが、現場任せのボトムアップでは能力構築はままなりません。組織能力はあくまでも経営者が自らの責任において設計し、開発するものです。
私見では、フランクリンのリーダーとしての特質は次の3点に集約される。第1に、ジェネラリストであること。リーダーに「担当」はない。定義からしてリーダーは担当者とは異なる。特定の専門分野に閉じこもらず、成すべき目的を実現するためには何でもやる。自分の前の仕事丸ごとを相手にする。今日では「ジェネラリスト」というと専門能力がない凡庸な役職者のように聞こえるが、それは誤解だ。そもそも「ジェネラル」とは総覧者を意味する。ようするに「総大将」。フランクリンは言葉の正確な意味でのジェネラリストだった。
第2に、プラグマティスト(実利主義者)であること。耳障りがいいばかりでその実空疎なかけ声に終始する似非リーダーが少なくない。目的の実現にコミットするのがリーダーの仕事だ。そのためには言うだけでなく実行しなければならない。しかも、一人でできることは限られている。自らの構想に多くの人を巻き込んで、目的の実現に向けて動かしていかなければならない。そのためには合理的でなければならない。あっさり言えば、みんなにとって得になることをやるということだ。合理的でないと、立場や利害を超えて人々が乗ってこない。実行するためには構想や指示や行動が現実的かつ具体的でなければならない。フランクリンはどんな仕事をするときも常に合理的で実利的だった。
第3に、社会共通価値を追求したこと。フランクリンは生涯を通じて実利を求めた人だった。しかし、スケールが大きい。彼が追求した利得は彼だけのものではなかった。自分の周囲にあるコミュニティーの人々、ひいては社会全体にとって得になることを常に考えていた。だからといって、自分の利得を劣後させ、自己犠牲の精神を発揮したわけでは決してない。自分の利得になることが社会全体にとっても利益になればなおよい。さらに重要なこととして、社会にとって大きなスケールで得になることをした方が、自分にとっての利得も大きくなる――表面的には矛盾するかのように見える利他と利己が無理なく統合されている。ここにリーダーとしてのフランクリンの思考と行動の最大の特徴がある。
プラグマティズムの人
何もないところから身を立て、苦労を重ねながら実業家として成功したフランクリン。彼の信念は「信用第一」。 信用を獲得するためには、勤勉で誠実で正直でなければならない。フランクリンは生涯にわたってこの価値観を貫いた。
彼の勤勉で誠実な生き方は観念的な倫理や道徳によるものではなかった。それが結局のところ自分の利益になるからだ。どんな仕事でも勤勉に働く姿を見て、周囲の人々はフランクリンを信用するようになった。「私はなにも、 自分の勤勉さを自慢したいわけではない。これを読んだ自分の子孫に、勤勉さがどれだけの利益をもたらすか知ってもらいたいだけだ」――フランクリンの思考と行動は徹底してプラグマティズム(実利主義)に基づいていた。
自分の利益が社会全体の利益と共通している。フランクリンの目的設定は常にこの意味での共通価値を向いていたフランクリンの思考様式は、後世の日本に現れた渋沢栄一――日本近代資本主義の父――のそれと驚くほど共通している。渋沢の持論であった「論語と算盤」をある種のバランス論と勘違いしている人が少なくない。つまり、 資本主義なり商売の利益追求(算盤)はしばしば暴走してしまう。したがって、人間道徳(論語)でブレーキをかけなければいけない。渋沢は今日のESGやSDGsを先取りしていた――渋沢の主義主張をこのように理解している人は、おそらく「論語と算盤」をまともに読んでいないと思う。
道徳的な商売が長期的にはいちばん儲かる――これが渋沢の結論だった。頭の中が算盤だけの人は実は欲がない。本当に大きな欲を持つ商売人は必然的に「論語と算盤」になる。フランクリンと渋沢はともに大欲の持ち主だつた。世の中全体を相手にしながらも、現実的合理主義で実利を見据え、自ら実行することによって社会共通価値の創造を果たした。
フランクリンや渋沢は現代のESGやSDGsを先取りしていたのか。そうではない。企業が社会的存在であることは今も昔も変わらない。人間の本性やそれによって構成される社会の本質もまたフランクリンの時代から変わらない。変わらないことにこそ本質がある。世の中の不変にして普遍の本質をつかむ人は、国や時代がどうであれ、 同じ結論に到達するというだけの話だ。
リーダーの一義的な資質は人間社会についての洞察力にある。人間と社会の本質を見極め、その本性を善用する。 そこに古今東西のリーダーの本領がある。大きな仕事を成し遂げるリーダーとはどのような人か――――本書『フランクリン自伝」は、この永遠の問いに対するほとんど完璧な回答を与えている。
「リーダーシップが求められるのはチャンスとピンチのとき。それ以外のときはそれほど必要ありません。ここぞというときに、いかに明確なリーダーシップを発揮できるか」――これほどリーダーシップの本質を深く鋭く抉り取る言葉を他に知らない。
宿澤氏は著書として『TEST MATCH」を遺している。日本代表監督時代を振り返った「戦記」だ。リーダーの仕事の核心は戦略の決定にある。それは勝つ確率をできる限り増大させるものでなくてはならない。宿澤監督の戦略の神髄は「絞り込み」にあった。
1991年のワールドカップの地域予選。3戦中2勝しなければ本選に進めない。韓国に勝つのは絶対条件として、残る西サモアとトンガのどちらかに勝たなければいけない。この局面で、西サモアに勝つことは早々に諦め、 トンガ戦に持てるすべてを集中する。これが本選出場への「最短距離」という判断だった。
本書の冒頭に「この本を21世紀のラガーマン達に捧ぐ」という言葉がある。ラグビー宗主国の8ヵ国と互角に渡り合う。その目標に向けて日本ラグビーの基盤づくりに奔走した宿澤氏。没後13年を経て、その遺言は実現した。 天国で「遅えよ」と言いつつも、にっと笑ったに違いない。
基本的に世の中はよい方向に向かっている
楠木 やはり文明の終わりが文化の始まりなのであって、物質的に充足して文明化が終わりに近づいている今は、 単に進歩を目指すのではなくその是非が問われているということですね。「衣食足りて礼節を知る」と言われますが、これは裏返すと「足らないと知れない」ということです。
その意味で、僕はポジティブに考えています。おっしゃるように企業が個人の便益にあまり言及しないのは、物質的な充足よりも社会的な課題解決の方が多くの個人にとっての価値になりつつあることが背景にあると思うんです。
山口 アメリカの哲学者ケイト・ソパーが、エシカル消費やミニマル消費は自己利益の抑制ではなく、社会や環境に対する利益、配慮が積極的に自己利益に内部化されていることであり、それをよしとする世代がマジョリティになりつつあることを見誤らないように、と指摘しているのですが、先生がおっしゃっているのもまさにそういうことですよね。
楠木ええ、そうです。その傾向は消費財だけでなく産業財やB10Bの世界にも広がり始めていると思います。 ヨーゼフ・シュンペーターはイノベーション理論で知られた経済学者ですが、僕がすごいと思うのは、彼は今から 100年以上前に資本主義が成熟すると限界を迎え、社会主義になると言っていることです。資本主義に内在されているロジックから必然的に社会主義になるんだと。実際、今の資本主義にはどんどん社会主義的な修正がかかっていますよね。ただし、シュンペーターは問題が一つあると言っている。やることがなくて退屈な世の中になってしまうんだと、ある種の人にとっては。