楠木建のレビュー一覧
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刺激的な対談の本である。
一流の経営者(知らない人が多かったけど)に対して 好き嫌いを問う。
時代を騒がしている経営者も ゆったりと意見を言っている。
何方かと言えば 楠木健の 自分評価が ゆるゆる で だらだらで
机上の空論 をこね回している というポジショニングが
対談相手の エネルギッシュさを 浮き彫りにする。
良し悪しは文明、好き嫌いは文化である。
「良い悪い。正しい正しくない。」と言う範疇の論議ではなく
「好きか 嫌いか」を聞く。
これだけ 素直に 好き嫌いだけを といかけるのも
最初は 抵抗があったが、対談がすすむにつれて 快感になるのは不思議だ。
抵抗感が うまれるのは 人間くささ にあるのかもしれない。
嫌いなものは
「偉そうにする」「人との競争」「実質を伴わないもの」である。
大前研一の 実質を伴わないものと言う判断基準は 全てに及んでいる。
結婚式は 実質が伴わずといって断り
葬儀は 過去にふれると言って積極的に参加する。
94歳まで生きるというのが スケジュールでできているのが面白い。
まぁ。そうじて 偉そうにするのは 嫌いなようだ。
一方 好きなものは 多様である。
好きなものに 邁進できれば意味がある。
そう言う好きというものが 人生の中にあることは楽しいのだ。
「なんでも一番」「でかい商売」「雷と大雨とクライシス」
「嫌いなヤツに嫌われる」「小トルク高回転」「今に見てろよ」
「好きなことを最初に」「活字と歴史」「理系ギーク」
「図面を引く」「スキーと目標設定」
と 好きなものは いろいろあるなぁ。
蓼喰ふ虫も好き好き。というが やはり そう言うのがあるから
一生懸命がんばれるのだろうね。
好きであれば 集中でき 継続的となる。それが 結果を生み出す。 -
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本の紹介を通じて、
著者の考え方と紹介された本の考え方が
両方得られて、興味深くよんだ
しかも、文体が読みやすく
話を聞いているようにすらすら入ってきた
著者は、
知的活動を「抽象と具体の往復」
と考えているが、そう考えてこの本を
読むと、納得することが多々あった
特に、隈研吾さんの10宅論についての
書評がすばらしい
著者自身が、「抽象と具体の往復」を
しながら隈氏のすごさの本質を見抜いて
いるところが、特に印象に残った
柳井氏の「当然ですけど、当たり前ですけど」と、出口氏の「当たり前大作戦」も、
頭の良い人ほど、
シンプルな考え方をされていることが
よくわかり、興味深かった -
Posted by ブクログ
・誰でもいいので、まずは自分の周囲のひとでセンスがよさそうな人をよく見る。そして見破る。「見破る」というのは、その背後にある論理をつかむということだ。
→著者曰く、経営は「女にもてる」と同じようなセンスであり、それぞれの方法は個性的なものであって、資格のように学んで取得できるものではない。
多数の著書からその個性と論理を抽出していて、とても面白い。
―元祖テレビ屋大奮戦! 井原高忠
・ここにも彼の戦略家としてのスタンスがみてとれる。「自分が丸ごと全部を動かせるという感覚が戦略を構想するリーダーには不可欠だ。戦略家は常に「全体」の「綜合」をする人でなければならない。
・早くスタジオに入れと言われたタレントが、入ってみたら10分もぼーっと待たされているような状況がしばしばある。「今VTRの頭出しが流れています」とか、「あと何分です」という情報がリアルタイムでわかれば、そこにいる全員が自分がなにをすべきか分かる。小道具が、次に草履を揃えなきゃとか、刀を二本用意しとかなきゃ、といった具合に、それぞれの持ち場で判断して自律的に動ける。
戦略ストーリーとは全体の「動き」「流れ」についての構想である。分業は仕方ないにしても、戦略の実行局面では「分業しているけれども分断されていない状態」を保つ。ここにリーダーの本領がある。サブ・コンからトークバックを全開にして全員に指示を飛ばすというスタイルにはまことに味がある。理想的なリーダーの構えだ。
―一勝九敗 柳井正
・話が具体的な案件になると、具体のレベルで思考がひたすら横滑りする人が多いものだが、柳井さんにはそうしたことがない。どんなに具体的な問題であっても、柳井さんは必ず原理原則の抽象レベルにまで問題を引き上げ、ことの本質を突き詰める。そのうえでもう一度具体的な問題に降りてきて、意見や判断を述べる。急降下爆撃だ。
柳井さんの思考は目の前で起こっている具体的な物事と抽象的な原理原則の体系と常時いったりきたりしている。この具体と抽象の振幅の幅がとんでもなく大きい。振幅の頻度が高く、脳内往復のスピードがきわめて速い。
戦略ストーリーを構築する経営者の能力は、どれだけ大きな幅で、どれだけ高頻度で、どれだけ早いスピードで具体と抽象を行き来できるかで決まる。
・柳井さんの議論のスタイルを観察していると、口癖のように「当然ですけど」という言葉が頻発する。たとえば「われわれの商売は売場でお客様に商品を買ってもらわなければ何も始まらない。だから、つくることよりも売ることのほうが何倍も大切になる。当然ですけど」という調子である。場合によってはその後に「当たり前ですけど」と続いて念押しする。「商売は売場で完結しなければならない。あらゆる仕事が最高の売り場をつくるということに直結していなければならない。当然ですけど。当たり前ですけど」。
→一勝九敗は有名な著なのでどうかと思ったら、著者が柳井さんと一緒に仕事をした実例から切り取られていて新たな発見が多かった。特にその「23条の経営理念」はとても当たり前のことなのだが、「わかる人には万能薬、わからない人にはただの水」で、例えば第一条は「顧客の要望に応え、顧客を創造する経営」なのだが、柳井さんはこれについて何時間でも「つまりこういうことである」という具体論を話すことができるそうだ。
―『バカな』と『なるほど』 吉原英樹
・いつぞやも僕の仕事場にわざわざいらして、唐突に「キミはこういうところがダメだ。このまま行くとダメになる」と割と本質的な批判をして、すーっと帰ってしまった。
・馬車を何台つなげても、蒸気機関車にならない。―シュンペーター
―スパークする思考 内田和成
・内田さん自身は、常に20くらいの引き出しを持っているのだという。引き出しにはそれぞれのテーマがあり、テーマはときどき入れ替わる。20ある「脳内引き出し」にはそれぞれ見出しがついている。これが内田さんの「注意」のフィルターになっている。このフィルターをもって情報のなかに身をおいていると、引っかかる情報は自然と引っかかって引き出しに仕分けされる。引っかからない情報はさしあたって自分には意味のない情報だからどうでもいい。無視するに限る。
―最終戦争論 石原莞爾
・石原という人が面白いのは、何かを考えるときに、必ずそれが「何ではないか」を考えているということだ。
・もしも石原莞爾が失脚せず、戦争指導していたらどうなったのか。石原を失脚させた東条英機は、石原よりはるかに格下であり、「担当者」の器量しかない人物だった。冷徹なリアリズムと歴史から抽出された骨太のロジックを併せ持った石原であれば、あのタイミングでは開戦しなかっただろう。開戦を余儀なくされても、機をとらえてすぐに引いただろう。いずれにしても、多くの人が言っているように、東条が石原だったら、歴史は大きく変わっていたはずである。
ただし、それで彼の戦略ストーリーどおりに事が運び、予測したとおりに1970年ぐらいに世界最終戦争が起きていたら、それはそれで最悪ではある。
―『日本の経営』を創る 三枝匡
・経営人材は「育てられない」。だから「育つ」土壌を耕す。
―Hot Pepper ミラクルストーリー 平尾勇司
・ホットペッパーの本質は「特定の狭い地域に限定された消費情報を、今までにない形で流通させ、その地域の消費を喚起する」ことにあると定義された。ひいては「地元の消費を活性化し、地域を元気にする」。これがホットペッパーの目的となった。言葉としては素っ気ないが、「狭域情報ビジネス」は大義をとらえた志の高いコンセプトであった。
面白いことに、このコンセプトはそれまでのリクルートの「勝利の方程式」のことごとく逆をいくものだった。
・「綜合」というとすぐに「シナジー」とか「組み合わせ」という言葉が出てきがちだ。しかし、ストーリーという戦略思考の真髄は、組み合わせよりも「順列」にある。物事の時間的な順番に焦点を合わせるからこそ、因果論理が明確になり、戦略に「動き」が出てくる。「流れ」を持ったストーリーになる。
・僕がもっとも感銘を受けたのは、平尾さんが構想したストーリーがその実行にかかわる人々の気持ちに火をつけ、人々を実行に向けて自然とやる気にさせるものになっているということだ。
―映画はやくざなり 笠原和夫
・データを頭に叩き込むと、「コンセプト」と「テーマ」が一層リアリティを帯び、深みを増してくる。しかし、だからといって、調査や資料の読み込みがコンセプトづくりに先行してはならない。先にあるべきはあくまでも本質を荒括りにするコンセプトとテーマでなくてはならない。
僕が尊敬する経営者の一人に日本マクドナルドの原田泳幸さんがいる。原田さんがよく言う言葉に「リサーチから始まる戦略はモノにならない」というのがある。
・笠原は、「起・承・転・結」のそれぞれの区分のなかで、山場を「序・破・急」のリズムで刻んでいくことを心がけていた。
・この本の最後で「だからといって、骨法などに捉われて、自分の『切実なもの』を衰弱させてはならない」と笠原はクギを刺している。いちばん大切なのは「体の内側から盛り上がってくる熱気と、そして心の奥底に沈んでいる黒い錘りである」。
―市場と企業組織 O・E・ウィリアムソン
・経済取引のガバナンスには二つのメカニズムがある。一つが「市場」、もう一つが「組織」だ。だからタイトルが『市場と企業組織』になっている。市場の反対は組織で、組織の反対が市場だというのがウィリアムソンの考え方だ。
・「満足を呼び起こすような交換関係」といった「雰囲気」は、市場メカニズムでは十分に扱えない。「1リットルいくらで買います」といった具合に血液を必要なときに必要なだけ市場から吸い上げるシステムは理にかなっていないのである。
こうした「雰囲気」にまつわる議論は、本書の中では付随的にしかなされていない。しかし、ここでウィリアムソンがぼんやりとモデルの中に入れている「雰囲気」こそが、僕はこれからの組織のよりどころではないかと考えている。
…ようするに、「濃い組織でなければ、組織として存在する意味がない」というのが僕の仮説だ。なぜ市場がパワーを持つこの時代に「会社」をやっているのか。この問いに明確に答えられる組織でなければ市場メカニズムに侵食されて、会社としての存在理由を失ってしまう。
・初対面で人を判断できないのは底の浅い人間だけである。―オスカー・ワイルド -
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コンビニなどの冷蔵ケースでよく見かける、エナジードリンク「レッドブル」を世界に広めたオーストリア人実業家、ディートリッヒ・マテシッツ氏のお話。
伝記的な内容を期待したが、本人とレッドブル社が頑なに取材を拒否しているため、特にプライベートな情報は少ししか掲載されていない。あまりにも表舞台に出るのを徹底して避けるため、マテシッツ氏が実在する事を疑っている社員もいるそうだ。
ユニリーバ社で営業を担当していたマテシッツ氏が、東南アジアで出会った栄養ドリンクに目をつけて、ヨーロッパで販売しようと独立したのがレッドブル社の始まりらしい。なぜ栄養ドリンクだったのかというと、その裏にはリポビタンDの存在があったという逸話が面白い。
レッドブル社は、レッドブル以外にも様々な商品やサービスを販売しているが、他の事業はあまりパッとしないようだ。多分レッドブルが爆発的に売れたのは、マーケティング力だけではなく色々な意味でタイミングが良かったのだと思う。あのドリンクから一番強く大きな翼を授かったのは、ディートリッヒ・マテシッツ自身なのかもしれない。
当事者が取材に協力してないためビジネス書としての評価は低目だが、スポーツ業界の話題などは結構詳しく紹介されており、読み物としてはまあまあ面白い方だと自分は思った。少なくとも読む前よりは、あの青い缶とCMが身近になったような気がする、一回も飲んだことないけどね -
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ネタバレ戦略と経営について、22冊のジャンルの異なる本(建築や芸についてなども)から解き明かしている。非常に濃い内容だった。本題とは異なる箇所でハッとさせられる考え方が多かった。本を読むモチベーションも上がる本。
■印象に残った言葉
・「「やくざ映画のライターという仮面をかぶってやってきた。最初は、生活のために引き受けただけだった」と、笠原(和夫)は名言している。その一方で、「本当に面白いものを書くために、自分が何かしら乗っかれるものを、探す必要があった」。」
・個々の「モノ」の意味が、「モノ」の内側から一意的に決定されるのではなく、「モノ」の置かれた「場所」(すなわち「モノ」の外側)によって決定されている有様を記述すること。そして「モノ」の行う象徴作用が「場所」に深く依存している様相を解き明かすこと。これが本書(「10宅論」)の主題である。
・グローバル化は相手のある話だ。常にこちらから出ていく先の国や市場や人々がいる。自分たちの都合だけで完結できる話ではない。…考えてみれば、鎖国体制の崩壊と開国以来、明治維新を経て現在に至るまで、日本は「グローバル化される」側にあった。
・理論(セオリー)じゃなくて論理(ロジック)を考えるのが僕(著者 楠木建)の仕事だと心得ている。論理というのは因果関係についての洞察。一方の理論とは再現可能で一般性が高い因果関係についての法則を意味している。 -
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あの名著「ストーリーとしての競争戦略」で知られる楠木 建さん待望の新刊。
というものの、ダイヤモンド社のオンラインサイト「ハーバードビジネスレビュー」
での連載を再編集したもの。 前作とはつくりか違う。
書評は、悪いものも多くちょっと躊躇していたが、やはり読もう。
「スキルだけでは経営できない。センスが必要。」自分にはセンスがあるのだろうか???
【ポイント】
16/まず、スキルとセンスをわけて考える。「アナリシス(分析)とシンセシス(総合)」との区別と置き換えられる。
「代表取締役社長の担当業務を粛々とこなしています。」←まともな戦略ででるわけがない。
「センス」は他者が育てるものではない。当事者がセンスある人に「育つ」しかない。センスは自動詞だ。
32/ビジネスの根本原則は「自由意志」だ。経営者自らが「・・・せざるを得ない」と言ってしまっては、もはや経営の自己否定。
34/こういうことをするぞという」という自らの意思、それがすべての原点だ。 (いいものを作ったから、米人に使ってもらおう)
「日本のマーケットが縮小したから、海外に進出せざるを得ない」は最悪。
39/経営はすべて「特殊解」:売れているものを作れば売れる。←ZARAの独走的発想 (第三コーナーで馬券を買う)
42/本を読むのではなく、本と対話することが大切
42/イノベーションは「進歩」ではない、本質は「非連続性」にある。
44/イノベーションは、供給よりも需要にかかわる。多くの人に受け入れられて、その結果社会にインパクトを与えられること
45/技術の進歩は「できるかできないか」だが、「イノベーション」はできるできないではなく、「思いつくかつかないか」の問題。
53/既存の価値を連続的に増大するだけでは、技術進歩であってイノベーションではない。技術進歩がなくても、顧客にとって新しい
価値の次元を切り開くものであれば、それはイノベーション。
イノベーションは、供給よりも需要に関わる。顧客の心がうごかなければない。
58/顧客が受け入れてこそのイノベーションとは、「非連続の中の連続」(非連続の中に一定の連続性が確保されている)
63/非連続な技術でもそれが「できる」だけではイノベーションにならない。顧客がその気になって必ず「する」。これが描けて
初めてイノベーションとなる。
アップルほど、「できる」と「する」の間のギャップに敏感な会社はない。多くの人があからさまにそそられ、自然と「する」と
いう確信がもてる製品しかださない。顧客がその気になって必ず「する」という確信が持てる機能に厳しく絞り込む
70/なぜある企業が儲かっているのか。その答えは「戦略」。「景気」や「業界構造」といった上のレイヤーをみてしまうが、
深層にある「戦略」を正しく理解せねばならない。
74/特に優れた戦略ほど「似て非なるもの」がある。
126/グローバル化の本質は、それまでのロジックで必ずしも通用しない未知の状況でビジネスするという「非連続性」にこそ
グローバル化の本質がある。
128/
経営人材には商売人としての「センス」が必要。スキルをいくら磨いても経営者になれない。優れた「担当者」になるだけ。
129/経営は、「これは!」という商売センスの匂いのする人を抜擢して早い段階から小さな単位で商売まるこど任せる。
その機会を与えることで、そのひとのセンスを見極め、センスを引き出し、伸ばす。
145/日本が抱える問題を「複雑性」と「不確実性」で分けて考えると本質が見える。
問題の複雑性は高いが、不確実性は高くない。
社会を統治する仕組みには、「市場」と「組織」がある。市場が相対的に得意なのは不確実性に対応すること。
組織(政治)はそもそも複雑性に対処することに使命がある。
147/★「日本は複雑な問題を抱えて大変だ。だが、そう不確実ではない。問題の正体はわかっているし、何をすればよいかも
決まっている。ついては、こういう段取りでこういう順番でこういう風に問題を片づけていく。この先、この段階はこういう
立場にある人々には苦しい状況にある。しかし、その先の未来は開けているのだからついてきてほしい。」
という強いストーリー。
148/企業は逆境を正面から受け止め人のせいにしないこと。ここは、問題の本質を直視して腰を据えて戦略ストーリへを作る。
それをステイクホルダーにいやというほど繰り返し発信する。それが経営者の仕事。
157/GEは「ホートフォリオ経営」。日本は一意専心の経営が時間軸を比較的長くとった時にむしろ変化対応力をもたらす。
これが日本企業の強みと言える。
日本は「中小企業の国」といつていいい。
横に幅広いポートフォリオを抱え、システマチックに事業評価してポートフォリオを最適化するのは苦手。
158/これだと決めた領域に長期的にコミットし、商売をどんどん深堀していくのが得意。
専業をテコに競争力を高めている中小企業的な経営の方が日本企業は力を発揮できるのではないか。
グローバルな視点で見ると、「一意専心の中小企業」というスタイルは競合他社との違いになりうるし、競争優位の
源泉として大きな可能性を持つ。 ←戦略そのものの定義は、「他社と違ったことをする」
217/本質を掴むためには、抽象化・論理化した方がずっと効果的な場合もある。
218/具体と抽象の往復を、振れ幅大きく、頻繁に行う。これが「あたまがよい」ということだ。
219/人間と情報をつなぐ結節点となるのが「注意」である。
221/そもそも情報をインプットする目的は、二つ。?インプットそれ自体のため(趣味)と?アウトプットのため(仕事)
230/「面白い話」であれば、自然とインプットされる。
「論理の面白さ(「知的な面白さ」とか「知識の上質さ」)とは、ようするに「ハッとする」こと。
まるで関係ないとおもっていたものが実はつながっている」というパターン。 例)取引コスト
単一のものだとおもっていたものが実はまったく違う複数だった時 「二要因理論」
人間が仕事に不満を感じるときは、問題はその外部環境にある。 ←給与、対人関係、作業条件
231/人間が仕事に満足を感じているときは、その人の関心は仕事そのものに向いている。 ←「達成感」「承認されること」「仕事そのもの」
満足と不満足は、一本の物差しの両極ではない。
非常に仕事に満足していながら、非常に不満足もありうる。 達成感はあるが、安月給。
233/主体的・自発的に勉強を続けるためには、論理(化)の面白さを経験で知ることが大切。
見たり、読んだりするときに、いつもその背後にある論理を考えてみるとよい。
235/どんな仕事でも優秀な人というのは「面白がる力」の持ち主だ。
自分が面白がられるようになったのはなぜか。その背後にある「論理」を考えてみよ。
【目次】
第1章 「経営者」の論理
第2章 「戦略」の論理
第3章 「グローバル化」の論理
第4章 「日本」の論理
第5章 「よい会社」の論理
第6章 「思考」の論理 -
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尊敬する上司がおすすめしていたので手に取りました。
私は比較的ギバーだなと。自分の行動を言語化されてすっきりした部分もあり、勉強にもなった。
ただ、この本に限らずだけど、事例が外国企業・外国人だとどうも頭に入らない。筆者が外国人だから当たり前なんだけど。自分の弱点だなぁ。
一番おっと思った言葉↓
・夫婦の家事分担の話。人間は、他人がしてくれたことより、自分がしてあげたことに関する情報をより多く手に入れる。自分がした努力はすべてわかっているが、パートナーの努力については一部を目撃するにすぎない。だから2人で1つのことをしたときの貢献度の総和が100を超える=責任のバイアス
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ネタバレ
今後はスキルと呼ばれてきたものの多くを生成AIが担う。
人間に残された知的センスはセンスへ集約されていく
仕事は結果責任を伴う→人間
作業は結果責任を伴わない→ AI
人と会って話す、人を見るということは、センスを磨くための基本中の基本
思考の五悪 怒り 恨み 妬み 悔やみ 悩み
情報のストック これは面白いな、人に話したいな
考える→対象を理解する
理解→物事の構造や因果を捉える新しい枠組みやフレームが自分の中に同時にできあがる、つまり自分自身が変容して、従前の自分とは同じでいられない
意外だけど、納得感がある ハッとしてグッと
仮説が先、AIが後
自分の中で、対話を起こすことがアウトプットの原動力になる
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Posted by ブクログ
職場で同僚の依頼や相談事に自分の時間を奪われて、自分の本来の業務ができず、パフォーマンスが落ちていく経験はないだろうか?やむを得ず、ある時から「それは私には分かりません」「それは私の仕事ではありません」といった塩対応をせざるを得なくなり、自分に仕事が回ってこないような立ち回りを覚えていくもの。それを要領が良いと評価する考えまであり、不器用な若い頃の自分は絶望を感じていた。
他人に親切にしすぎて疲弊している人は是非読んでいただきたい一冊。
だからといって、「明日からこうしよう!」という解決策は容易に得られない。残念ながら。ただし、自己犠牲な現状に向き合い、考え方を変えるための小さなヒントは得られると思う。
社会的に最も成功する人も、一番失敗する人も「ギバー」であるという説には納得するが、やはりある程度成功してから心の余裕ができて「テイカー→マッチャー→ギバー」へと変貌するのが現実ではないか?日々の生活をしていく(長時間残業を回避し、なおかつ職場での円滑な人間関係のバランスも保つ)ために、テイカーになる傾向が強いのは当然だろう。
「マッチャー」という考え方は、グラデーションが大きく、その時々の状態によってギバー寄りのマッチャーになったり、テイカー寄りのマッチャーになったりするもの。どの人にもギバーとテイカーの両素質は潜在的に存在し、社会的地位や繁忙状況によって、どちらの要素が発現するのか変化するものだと思う。そして、公私で使い分けをしている人も多いのではないだろうか。
自分の場合、「公」ではガチガチ・ギラギラのテイカーが多いと感じている。テイカー的な視点で見ると、私に仕事を平気で押し付けるアコギな後輩ですら存在することを認識している。勿論、このような視点は持つべきではなく、そんなことでイラつく暇があるくらいなら、現在のタスクに集中して忘れるべきである。
そして、少なくとも「私」の方は、素晴らしいギバー素質を持つ友人たちに恵まれており、ゆるい繋がりながらも、長く付き合っていくべきネットワークがあることに感謝している。今の自分にできることは、弱肉強食のジャングルのような環境に置かれている間も、Give & Takeの「駆け引き」にできるだけ鈍感であり続け、ギバーの友人と接する機会を維持することだろうか。