楠木建のレビュー一覧

  • ビジネス・フォー・パンクス ルールを破り熱狂を生むマーケティング

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    思っていたよりもビジネス書。
    出たばかりのころに読めたならもっと楽しめたかもしれないが、この手の本は今の自分には新鮮味が足りない。

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    2026年04月09日
  • 絶対悲観主義

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    悲観主義を前提に生きることで、人生をかえって楽観的に生きられる。つらいことは、まぁそんなもんかと。嬉しいことは、超嬉しいと。

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    2026年04月08日
  • GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代

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    ギバーであることの恩恵は時間とともに大きくなっていく。リスクもあるが、長い目で見れば、素晴らしい結果をもたらしうるのだ。

    重要なポイントは、ギバーが「受けとるよりはるかに多くを与える」ということである。

    人に尽くしすぎてしまうと思う人もいるだろうが、将来助けてくれそうな人が誰かなんて、必ずしもわかるわけがないのだ。

    非常に才能のある人は他人に嫉妬されやすく、嫌われたり、うらまれたり、仲間はずれにされたり、陰で中傷されたりする。ただし、これがギバーであれば攻撃されることはない。むしろ、ギバーはグループに貢献するので感謝される。

    人間は「他人がしてくれたこと」より、自分が「してあげたこと」に関する情報をより多く手に入れる。自分がした努力はすべてわかっているが、パートナーの努力については一部を目撃するにすぎない。だから、誰が偉いのかを考えるとき、自分自身の「してあげたこと」をよりわかっているのは当然だ。
    互いの貢献度を正しく判断するカギは、「他人がした貢献に注目すること」である。それには、自分自身がやったことを評価するまえに、相手がしてくれたことをリストにするだけでよい。
    うまくいかないときは自分が責任を負い、うまくいっているときは、すぐにほかの人を褒めるのである。

    教師が生徒の可能性を信じると「自己成就予言」(他人から期待されると、それに沿った行動をとって期待どおりの結果を実現すること)が働く。教師が生徒を「伸びしろがある」と信じたことで、その成長に大いに期待をかけたからなのだ。
    つまり、成績のよくない生徒や、差別を受けているマイノリティグループの生徒の成績と知能検査のスコアを向上させるには、教師が生徒に対し期待を抱くことがとりわけ重要だということなのだ。

    自分よりも他人のために選択するとき、より的確で創造的な決断が下せる。自分を中心に考えると、エゴを守ろうとすることによって決断が歪められるだけでなく、考えうるあらゆる局面に適した選択をしようと悩むことになる。
    しかしギバーがごく当たりまえにやっているように、他人を中心に考えて選択すれば、エゴや比細な事柄に振り回されることは少なくなるだろう。ギバーは全体を見て、ほかの人びとにとって一番大切なことを優先させるからだ。

    ギバーにとって有利な交渉術がある。それは「アドバイスを求めること(アドバイス・シーキング)」だ。最近の調査では、自分に権威がない場合に人に影響をおよぼすための、驚くほど効果的な方法であることがわかっている。
    人にアドバイスを求めることには四つのメリットがあるという。それは、①情報の獲得、②自分の身になってもらえること、③相手とのかかわり合いを強める④ごますりである。

    「他者志向」になるということは、受けとるより多くを与えても、けっして自分の利益は見失わず、それを指針に、「いつ、どこで、どのように、誰に与えるか」を決めることなのである。
    他者への関心に自己への関心がかなり結びつけば、ギバーは燃え尽きたりやけどしたりすることが少なくなり、成功しやすくなる。
    ギバーが燃え尽きるのは、与えすぎたことよりも、与えたことでもたらされた影響を、前向きに認めてもらえていないことが原因なのである。
    ギバーは、与えることに時間とエネルギーを注ぎ込みすぎるせいで燃え尽きるのではない。
    困っている人をうまく助けてやれないときに、燃え尽きるのである。

    与えることも、同じ分野でやり続けると身も心も消耗してしまうが、貢献する対象を別の人びとに広げることで、もっとよい結果を得られる。

    自分の幸せをかえりみず与え続ければ、精神的・肉体的健康を害するリスクが高まることを発見した。しかし、他人のことだけでなく自分自身のことも思いやりながら、他者志向的に与えれば、心身の健康を犠牲にすることはなくなる。

    一日に一つずつ与えるよりも、一日にまとめて与えた人のほうが幸福度が増した。

    ボランティア活動の「百時間ルール」。このラインを限度に設定しておけば、大きなパワーが得られ、疲労感がもっとも少ないのである。
    年間百時間は、割ると、週わずか二時間だ。

    自己犠牲タイプのギバーは他者志向のギバーより助けを受けることがはるかに少ないのを発見しており、そしてそれは、精神的にも肉体的にもダメージをおよぼすことがわかっている。
    また、社会的支援の久如が燃え尽きにつながると結論づけている。
    それとは対照的に、他者志向のギバーは、自分自身の幸せを守ることの大切さを理解している。
    いまにも燃え尽きそうになると、他者志向のギバーは人に助けを求め、やる気や気力を維持するのに必要なアドバイスや協力を仰ぐ。
    周囲からサポートを受けることこそ、燃え尽き防止の強力な特効薬だ。

    自分のためにお金を使っても、幸福度は変わらなかったが、ほかの人のために使った人は、幸福度がかなり上がった。
    これは他者志向の与え方であり、助ける相手を自分で選んでいるから、気分がよくなるのである。
    経済の専門家はこれを「倫理的満足感」と呼び、心理学者は「ヘルパーズ・ハイ」と呼ぶ。
    最近の神経科学の証拠では、与えることによって脳の報酬中枢が活性化することがわかっており、人の利益のために行動すると、そこから喜びや目的意識などの信号が伝達されるのだという。
    こうした恩恵は寄付だけに留まらず、人のために時間を割いたときにも得られる。
    ボランティア活動をすると一年後、幸福度、人生への満足度、自尊心が高まり、うつ病が軽減したのである。


    どのくらい与え、どのくらい受けとるかは動機や価値観によって決まるもので、その人の性格とは無関係である。
    「感じがいいか悪いかは、その人が自己中心的か他者中心的かということとはまったく関係ない。これらは別個のものであり、正反対のものではない」とかく見落とされがちだが、無愛想なギバーもいるのだ。

    交際中のカップルはーとりわけ愛し合っている場合、自己犠牲のギバーとして振る舞った。パートナーのニーズに共感し、自分自身の利益をかえりみず、相手が望むものを与えようとしたのである。

    テイカーとつき合うときには、マッチャーになればいいのだ。ただし、最初はギバーでいたほうがよいだろう。情頼は築くことこそ難しいが、壊すのは簡単だからだ。それでも、相手が明らかにティカーとして行動したら、ギバー、マッチャー、テイカーの三タイプを使い分け、ぴったりの戦略をとるのが得策だろう。

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    2026年04月04日
  • リーダーの教養書

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    ネタバレ

    楠木 僕自身が人間観として大切だと思っていることは、人間は多面的で、一貫性がないものであるということです。選書でも触れたサマセット・モームの本から学んだことですが、あれだけ人間について洞察を重ねた作家が行き着いた結論が「首尾一貫した人はいない」。そして、その理由は「誰もが結局のところ自分だけは特別だと思っている」からだと言うのです。
    出口 本当は愚かなのに、自尊心だけは強いですからね。
    楠木 ええ、自己愛です。これは誰しもがそうですね。僕は、それを無視して人に一貫性を求めるのは無理があると思います。「声高に正論を言う人」が僕は大嫌いですね。そういう人ほど、すぐに自分を棚に上げる。
    出口 大脳生理学者の研究では、人間の脳の構造からしてリテラシーの高い人ほどコロコロ自分の意見を変える傾向があるとの実験結果が出ています。つまり、相対的に賢い人でもコロコロ意見を変えてしまうものなのですね。脳は、自分を保護するために見たいものを見えるようにできていますし、都合が良いように考えてしまうのです。

    出口 また、先ほども述べたように、僕は「人間は不器用な動物だ」と思っているので、何事もプロに教えてもらわないと上達しないと思います。
     スポーツでも、先生が教えてくれたことを真似して上達していきますよね。それと同様に、自分の頭で考えて、自分の言葉で自分の意見を言うことも、これまでの歴史の中で優れた脳を思っていた人がどういうロジックを組み立てたかを学べば身につくと思うのです。
     例えば、アダム・スミスはどういう数字・ファクトを積み重ねて『国富論』や『道徳感情論』などを書いたのかなどと考えながら読むことで、彼の思考のプロセスを追体験できます。それを丁寧に読み込んで真似していくことで、能の筋肉は鍛えられていくのだと思います。僕は人・本・旅の中でもとくに本に過大な期待をかけているのかもしれませんが、他の二つに比べていいものを選びやすい点と、効率がいい点、それから考える力を養える点で、本以上のものはそう簡単には見つからないと思うのです。
    楠木 僕は、人間が取りうるあらゆる活動の中で、読書が最もコストパフォーマンスが優れていると思っています。しかも、他の活動に比べて桁違いに優れている。

    人間の不合理さが分からなければビジネスはできない
     そもそも経済学とはどのような学問か。経済学は合理的な意志決定をするための「選択の学問」だ。文字通り、ビジネスにおいて選択を間違えると致命的になる。だからこそ、「選択」について解明が必要だ。経済学は、人々が、いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのような方法で「選択」をするのかを解明する学問なのだ。選択の5W1Hを知るには、伝統的刑事額と行動経済学の二つがヒントになる。それぞれを説明していきたい。
     伝統的経済学とは、情報を集めて、合理的な推論に基づいて、課題解決への最適ルートを求めるための学問であり、未来の選択をどうすべきか最適解を模索する。これが可能とされるのは、合理的な人、言い換えれば導き出した最短ルートを通ることができる人を前提条件にしているからだ。原理原則上の最適解を叩き出し、ベンチマークを知る点では伝統的経済学は必要な学問と言える。組織の経営理念やバリューなどのグランドビジョンを求め、システムを構築するのに有効だ。そもそもの目標、ベンチマークがなければ実務にブレイクダウンすることができない。
     しかし世の中の多くの人は、合理的な行動を取るばかりではない。頭で理解できていても、行動は感情に左右されてしまうものだ。
     そうした人々の行動を描写するのが、行動経済学だ。つまり、人がなぜ想定とは異なる道を選び、行動したのかを探る学問だ。そして得られて成果から、人が選択するときに囚われがちな思考におけるトラップの理屈、理論を解明する。
     この二つをPDCAサイクルに当てはめると、伝統的経済学で決めた理想的な計画を考え、行動経済学的に実現可能な形に定式化し、実際に実施した結果を、行動経済学の観点からチェックし、計画の修正を図ることができると言える。
     リーダーは両者を学ぶ必要がある。学ぶ順序はどちらでもいいが、リーダーのレベルによって求める思考スタイルは変わるだろう。企業のビジョンやバリューを打ち出し、時代に合った人事システム、経営戦略を企てるには伝統的経済学が適している。一方で、長時間労働の解消や日々の改善のノウハウなど、社内の小さな制度改革には行動経済学が役に立つ。後者はアジェンダが明確なものほど、より具体的に解決できるメリットを持つ。繰り返しになるが、両方の経済学をどちらも学ぶことを推奨したい。「両方」を強調する理由の一つは、伝統的経済学で捉える原理原則と、行動経済学で捉える現実のどちらが欠けても、学び手の社会に対する現状認識が偏ってしまうと考えるからだ。
     経済学から「未来のことを選択するのか、過去に選択したことなのか」を学ぶと、ビジネスで成功の道を切り開く手がかりとなる。拙著『経済学のセンスを磨く』(日経プレミアムシリーズ)ではレタス農家の経営を例に挙げつつ、経済学のセンスを持つと、個人や企業の判断が、果たして合理的判断かどうかチェックできるようになると説いた。過去に選択したが現在の選択によって戻ってこない賃金や労力はサンクコストと呼ばれる。未来の選択を行う上でサンクコストを考慮しても意味がない。しかし、私たちは過去にこういう選択をしたのだから、それを続けるべきだ、と考えがちだ。サンクコストのバイアスから逃れることができれば、ビジネスに携わる上で有利に働く。なぜなら合理的判断は損得勘定に関わり、判断を下せるか否かによって、事業の利益を大きく左右するからだ。

    『いつも「時間がない」あなたに』センデイル・ライナタン、エルダー・シャフィール
     私たちは追い詰められると、素晴らしい成果を発揮できる。しかし同時に、それ以外のことは目に入らなくなってしまう。貧困者が、貧困から抜け出ることができないのは、毎日のお金のやりくりに注意を集中させるため、長期的に有利なお金の使い方に気を向けられないからだ。これは貧困者だけでなく、高所得者にも言えることだ。例えば、仕事に集中しすぎると子育てや家庭生活を犠牲にしてしまうことがある。その集中した状態を、まるでトンネルの中にいるみたいに視野が狭くなり、先の出口しか見えなくなる状態に喩えて「トンネリング効果」と呼ぶ。
     本書は、人が欠乏状態に陥ると優れた能力が発揮できると同時に、代償として失うものがあることを説得的に示しており、頼もしいことにそれへの対応策も提示してくれる。
    「トンネリング効果」を知ると、長時間労働を減らすべき理由も分かる。長時間労働で、一次の集中によって瞬発的な生産性を高めても、重要なことを無視してしまったり、自分の健康を悪化させてしまったりして、長期的な生産性を下げてしまうのだ。労働の集中を敢えて断ち切らせるため、インターバル時間の意識的な導入などが本編には挙げられている。もちろん、これは従業員だけの話ではない。リーダーこそトンネルに入ってしまうとそのコストが多大になることを留意しておきたい。

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    2026年03月18日
  • ストーリーとしての競争戦略 優れた戦略の条件

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    おもしろかったです。読み終わったのがちょっと前で、読後の熱量はちょっと失っているため、ポイントだけまとめておきます。

    ・競争戦略とは、施策と施策が因果関係によって繋がっているものであり、因果関係によって繋がっていることがストーリーである
    ・経営者は初めからそのストーリーを思い描いているわけではなく、結果として振り返った時にできているものである
    ・この因果関係(ストーリー)が長く連なれば連なるほど、小手先で真似をすることができなくなり、競争優位性を生み出す源泉になる

    こういった視点で、サウスウエスト航空、デルといった海外企業から、ヤマト運輸、セブンイレブン、任天堂、ユニクロといった身近な企業まで様々な実例を紹介していて、おもしろかったです。

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    2026年02月03日
  • 絶対悲観主義

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    普段から、数多くの失敗を経験している私にとって、絶対悲観主義の考えを持っておくことは、自分を保っていくうえでありかもしれない。

    絶対悲観主義とはなんなのか。

    著者の言葉を借りると、あらゆることについてうまくいかないという前提を持っておくことを指す。

    うまくいかなければ、事前の想定通りとなり、特に落ち込むわけでもないし、うまくいけば、それはラッキーで嬉しく感じる。

    思い通りにならない人生だからこそ、やり抜く力やうまくいくことが求められがちな世の中だからこそ、それを逆手に取って肩の力を抜く感じがとても良い。

    ただし、読み終わって注意が必要だと思ったのが、絶対悲観主義を持ちつつも、うまくいかなかったときにどう対応していくのかは自分次第だと感じたところ。

    うまくいかないことを正当化し、放置するのはいかがなものか。

    うまくいかないことが当たり前になるのがどうかと思うが、まさにこんなことを私は思っている時点で、著者のいう絶対悲観主義の境地からは程遠いということか!

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    2026年02月03日
  • 絶対悲観主義

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    筆者の性格や仕事の向き合い方が詰まった本。

    少し「陰」の要素も含むが、そういう考え方も日常に取り入れることで、自分から動き出すことができたり、誰かとの関係性でモヤモヤすることが減り、人生楽しく過ごせるのではないかと思えた。

    ・他人に期待をしない
    →そもそも自分の期待通りに動かないのだから
    ・うまくやろうとしない、うまくいかない事が当たり前
    →そこでうまく行った時の喜びは、次への一歩に繋がる
    ・流れに身を任せる、あがこうとしない
    ・カラフルな人、凄みのある人
    →わたしもそんな人になりたい

    誰かと比べず、喜びを言葉にできる「喜び」と「幸せ」を噛み締めて生きていきたいと思った。

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    2026年01月16日
  • GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代

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    読んでて少し疲れる。色んな人のストーリーで「ギバー」の行動が語られるが、事実なのかもしれないが上手くいってることが多くて少し胡散臭さがある。

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    2026年01月02日
  • HIDDEN POTENTIAL 可能性の科学──あなたの限界は、まだ先にある

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    たぶんだけど、「成長マインドセット」みたいな話だと思う。

    キャロル・ドゥエック『マインドセット』に似てるかもしれない。

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    2025年12月21日
  • 経営センスの論理

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    経営にはスキルではなくセンスが必要であるということ。経営戦略やマーケティング、アカウンティングなどスキルは誰でも身につけられるものでもあるし、それを使って判断、実行することにはセンスが求められる。
    センスはその人の好き嫌いによって形成されてくるものでもある。自分の好き嫌いについて意識づけしセンスを理解することも大事である。
    好き嫌いで仕事はできないが好き嫌いが仕事の原動力にもなるということ。

    センスは美意識に近いものだと解釈する。好き嫌いだけではなくその人に備わる教養、考え方、姿勢が伴ってくると考える。

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    2025年10月17日
  • 経営センスの論理

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    書かれている話は着眼点がよくどれも素晴らしい。
    ただ、本全体として構造化されていないせいで話がいろいろ飛びまわっており、面白いのだが、今なんの話をしているんだ?と置いてきぼりにされてしまう。

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    2025年09月23日
  • 絶対悲観主義

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    面白い章もあったがそうではない箇所もパラパラとあったがその緩急がまた良かった。

    「この数十年、頭の仕事に経済的評価が集中し、手仕事と人のケアをする心の仕事がないがしろにされてきた。」著者のこの言葉にはとても共感できる。将来的にはコミュニケーション能力などが評価されるとあるが、でもやはり価値が高いとされるのは、頭の仕事+コミュニケーション能力がある人であり、社会的構造は変わらないのでは、と思った。

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    2025年08月26日
  • ストーリーとしての競争戦略 優れた戦略の条件

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    すぐれた戦略はすぐれた物語を内包するという当たり前のことを書いている。とくに発見はない。こんなことが新鮮な驚きなのかとむしろそこに発見があった。

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    2025年08月18日
  • 絶対悲観主義

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    絶対悲観主義については、初めの章にしか書いてありませんでした。その後は、世間話?メンタルのためにと読みはじめましたが、全部読む必要は無いかも。

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    2025年07月17日
  • THE CULTURE CODE 最強チームをつくる方法

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    チーム力を醸成する文化は1安全な環境2弱さの開示3共通の目的。強いリーダーは必要ない。チームのパフォーマンスはメンバーの言葉の知性と比例する。強い関係を確立するにはあなたのことを気にかけているというメッセージを送り続ける必要がある。1回ではダメ。チームの目的はハッピーになることではなく、難しい問題を解決すること。目的を達成するには言いにくいこともはっきり言わないといけない。3つの帰属のシグナル1あなたはチームの一員である2このチームは特別で高いレベルが期待されている3あなたにはそのレベルに到達する力があると信じている。相手の話をさえぎらず聞きすぎるほど聞く。早い段階で自分の弱さを認める。積極的に弱点や欠点をさらけ出す。リーダーから助けを求められるとどうにか助けたいと思いいろいろアイデアが出る。人が笑うのは心から安心し、仲間とのつながりを信じている証拠。失敗をふり返る。真実を追求することを習慣にする。本当の勇気は、真実を見て、お互いに真実を告げること。大切なのは、強いリーダーシップや決断力ではなく、発見する力。自分の失敗を認められるのは、リーダーにとってもっとも大切な資質。新しいチームをつくるときに1最初に弱さを見せるとき2最初の意見の衝突の2つのタイミングで2つの可能性がある。Aお互いに強がって本音を語らず、相手を蹴落として自分の上に立とうとするチームBお互いに協力して未知の領域を冒険し、一緒に新しいことを学んでいく仲間になる。弱さを見せられる環境をつくるうえでは、何を言うかではなく何を言わないかがカギになる。弱さを見せる上での障害1感情が傷つく2自信を失う。言葉に気をつかうことで信頼と協力という価値観がチームのアイデンティティとして定着する。評価と能力開発(教育)は明確に区別する。小さなシグナルをつねに送り合い、チームとしての目標をメンバー全員で共有するのが大切。

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    2025年05月31日
  • 絶対悲観主義

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    ネタバレ

    タイトルとは裏腹に前向きな生き方について、筆者の経験も踏まえながら語られていて、わたしと同じく完璧主義な人には一度手に取って欲しいなと思いました。
    なかなかそんなにすぐに自分の考え方は変えられないな…と思って星は低めになっちゃいました

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    2025年05月30日
  • 絶対悲観主義

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    【なぜ】オーディブルのおすすめ

    【ここだけ】結局、知性と教養が最重要
    -抽象化して本質を見抜く
    -自律

    【感想】悲観主義だけでもネガティブな印象を受けたが、すでに一部自分も取り組んでいたことだった。内容は面白かったが、自分に、自分の人生に
    自分の仕事に還元できる部分がどれほどあるだろうか。
    オーディブルではなく一度本で読んでみたい。

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    2025年05月02日
  • 絶対悲観主義

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    ハーズバーグの二要因理論、満足の反対は没不幸ではない。
    転職時に条件を満たしても、それだけで仕事に満足を覚えることはできない。

    手っ取り早く幸せになるのは、「他人の不幸は蜜の味」だが刹那的。
    上手く行かないのが当たり前なのに、根拠のない有能感がある人はマクロ他責(日本が悪い、生まれた時代が悪い)しがち。しかし会社が悪いと言えば転職すればと言われるので、自分で選べない国のせいにする。完璧な国家や時代はなく、戦国時代より平和なのにと。

    ある程度、特に30歳以上になるとマネジメント経験なかったら転職厳しいという言説があって、若い時から「将来はリーダーになりたいです昇進したいです」と面接で言わなきゃ行けないと思ってた。でも給料が大幅に増えるならいいけど、実際はたいして変わらず責任と労働時間だけが増えるのを見てきて、私やっぱりやりたくないと気づいた。50代の著者も同じように考えていて安心した。
    年下の上司?まぁ仕方ないね。年上年下関わらず言われたら嫌なことは同じだし。

    不幸の原因は他者との比較と他律性。特に比べやすい同時代、同国(アラブの王子や中臣鎌足と比べる人はいない)、しかも身近な人(大谷と比べる人もいない)と比べるから嫉妬にかられる。これも、根拠のない有能感があるから他者と比べてしまうのだ。しかも相手の恵まれているところしか見ない。最初から自分の能力に確信を持たない悲観主義者は嫉妬とは無縁である。また、東大や大蔵省など他人がいいと思うものを持っているのが幸せであると思い込むのが他律的ということ。

    寿命が伸びたことによる高齢者の幼児化。クレーマー、悪いおじいさんの増加。子供は自分の思い通りに物事が動く前提で生きている。自分の思い通りに行かないと機嫌が悪くなる。サザエさんの時代、1946年の男性の平均寿命は50歳で、波平は54歳。今は80歳くらいになって、自分の人生まだ先があると思うから30歳でも覚悟を持った大人になり切れない。明治時代の30歳の方が大人。

    戦争の抑止は道徳以前に損得で考える。

    自己認識。
    他者の自分に対する認識を受け止めるとき、どういう他者に向き合うかは重要な問題。ターゲットを意識しておかないと不特定多数の意味のない声に引きずられて振り回されるだけになってしまう。ストレングスファインダーとかで当たってる、と思うのは自己認識ではなく確認。便利なツールや専門家に頼りすぎると、わかったつもりの浅薄な認識になってしまう。もっと自分の頭と経験でゆっくり考えた方がいい。

    チーム力の映画
    『大脱走』戦時中の捕虜収容所
    『12人の怒れる男たち』陪審員

    『婚活したらすごかった』

    リモートワーク
    ディビッド・グッドハート『頭 手 心』
    人の心をケアする仕事や手を使った仕事がないがしろにされ、頭を使う仕事ばかりが重視されてきた。しかしAIの台頭で、安い外国人や機械に頼ることができるようになり、コミュ力や共感力の方が重視されてきている。人々の文章力も劣化した。
    →やばい、手も不器用だしコミュ力もないわ。

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    2025年04月19日
  • 楠木建の頭の中 仕事と生活についての雑記

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     高峰さんが亡くなったあとに編集された『高峰秀子の反骨』という本があります。これを読んで知ったのですが、1971年、46歳の高峰さんはこんなことをおっしゃっています。自分はあんまりテレビを見ないのだけれども、クイズ番組をしょっちゅうやっているのは知っている。クイズに正解するといろいろな賞品をもらったり、外国旅行に行けたりするらしい。これこそ、あらゆる低俗の中で最もいやしい部類に入る行為なんじゃないか。そういうことはもう、やめたらどうか――。
     こういうちょっとしたコメントひとつを取っても、いろいろと考えさせられます。彼女が批判しているのは「劣情」――劣った情動です。いい物が欲しいとか、お金が欲しい、おいしい物を食べたい、みんなに褒められたいといった欲望は、人間である以上だれもが多かれ少なかれ持っている。ここまでであれば人間の本能であって、劣情ではない。
     金が欲しければ自分で稼げばいいし、おいしいものが食べたければ自分が稼いだ金で食べればいい。ちやほやされたい人は自分の力でそういう状態を手に入れればいい。要は好みの問題です。ところが、大した理由もないのに手っ取り早く、うまいこと自分の利得を手に入れようとする。こうなるともはや劣情です。
     いきなり「お金をください」なんていう人はさすがにいません。卑しいことだからです。それと同じ論理で、僕は「感動をありがとう」という言葉を嫌悪します。感動は果たして「もらうもの」なのか。「もっと感動させてくれ」というのは劣情なんじゃないか。
     人間は放っておくと劣情に負けることもある。僕も週に3回ぐらいは劣情に負けているのですが、高峰さんのおかげでそれが「人間として劣った情動である」と自覚できるようになりました。自分の劣情を劣情と知らず躊躇なく全開にしている人を見ると、こうなったら人間おしまいだな――そう思えるようになりました。高峰さんの著作から僕が深い影響を受けてきたことの一例です。
     高峰さんは自分の生活様式に非常にこだわる人です。自分の趣味やセンス、スタイルで厳選した、気に入った物しか周りに置かない、身に着けない。服飾自体は表面的なものですが、その人の本質がにじみ出る。そこに高峰さんの生活哲学を学ぶことができます。
     彼女の服飾の原則はこうです。人前で目立ってはいけない。おしゃれは飛び出してはいけない。これはかつての本職だった俳優としての仕事哲学とも完全に一致しています。高峰さんはつねに主役でした。しかし高峰さんの考え方はこうです。主役も単なる配役の一つに過ぎない。主役だからと言って自分だけが前に出ると、作品が壊れてしまう。画面から飛び出さずに作品と調和する。それが本物の主役――服飾や趣味にも、この考え方が表れています。表層的な見た目、深層に潜む哲学、すべてに筋が一本通っていて全部が統合されている。そこにシビれます。
     高峰さんについて知っていくうちに僕は、彼女が何をしたかではなく、何をしなかったかをよく見るようになりました。彼女が絶対にしなかったことを知れば、生きていく指針としてはほとんど完全なものを手に入れられると思っています。

     名著『美について』で美学者の今藤友信は「美の究極は自己犠牲にある」と結論しています。単に言葉や態度で他者に配慮するだけでなく、他者の利益のために自己を犠牲にする行動、これが最も美しい。まったくもってその通り。自分の生活があまり美しくないことを思い知ります。
     勇気が人間の基本的な美徳であるのはなぜか。それは勇気が自分の精神的・身体的な安全性――究極には命――を犠牲にする行為だからです。こう考えてみると、勇気と並ぶ人間の美徳として気前の良さがあると言ってもよい。その理由は、気前が良いということがその人にとって(命ほどではないものの)大切な経済的な価値(お金だけでなく労力や時間を含む)を犠牲にする行為だからです。

     大学生のころ「クリスマス」というのがイヤでイヤでたまりませんでした。宗教的な儀式なのに、ほとんどの人がキリスト教徒でない日本でなぜ世の中がこうも盛り上がるのか。「バカじゃねえの……」とひとりで怒っていました。
     同じく「バレンタインデー」にも「バカじゃねえの……」と一人で怒っていました。僕のようなものには誰もチョコレートをくれなかったわけですが、それはまあイイ。それよりもみんながその意味内容も考えずにチョコをあげたりもらったりしているのがたまらなくイヤでした。もちろん「ホワイトデー」(最近はなくなったのかな?)にも一人で怒りを爆発させていました。
     いま振り返ると自分の未熟にイヤになります。クリスマスに心が1ミリも動かされないことは変わりません。相変わらず誰もバレンタインにチョコをくれない(で、その方がイイと思っている)ことも変わらない。単純に「自分の趣味でない」というだけの話です。六本木ヒルズのけやき坂がライトアップでワンワンやっていても、そこで「ステキ! 写真撮らなきゃ」というカップルを目にしても、「あーそういえばその時期か」とだけしま思わなくなりました。
     ようするに個々人の好き嫌いが違うだけ。自分の好みと合わないだけのことを「悪いこと」「間違っている」と思い込み、ヘンな考えにとりつかれていました。若い頃の僕は自分という存在が大きすぎた。世界の中心で自分が叫ぶ。ジッサイは中心でも何でもないのに、あのとき君は若かった。
     今となっては、世のことごとの90%は好き嫌いの問題と思えるようになりました。良し悪し基準で論じるのは間尺に合わない。趣味が違うだけ。他者の好みや考えが違っても、自分にとってはどうでもイイ。かかわらない。つながらない。コメントするな「スキですな」の一言。気持ちよく放置。ビバ! 多様性。
     裏を返せば、この世の中で自分にとって本当に重要なことはそう多くはありません。みなさまにおかれましては、それぞれの生活の実質を大事に、平穏な日々をお過ごしください。

     この10年ほどでよく使われるようになったフレーズに「イラッとする」がある。いまの時代を悪い意味で象徴する言葉だ。何を象徴しているかというと「大人の幼児化」。偏見かもしれないが、「イラッとする」という言葉には底抜けの幼児性を感じる。和田英は当時16歳。いまの基準ではタダの「子供」だが、現代のその辺の大人よりもはるかに大人だった。決してイラッとしない。
     幼児性の中身には以下の3つがある。1つ目は世の中に対する基本的な認識というか構えの問題だ。子どもは身の回りのことごとがすべて自分の思い通りになるものだという前提で生きている。物事は自分の思い通りになるべきであって、思い通りにならないことは「間違っている」。これが子どもの世界認識だ。
     繰り返すが、仕事においては「世の中は自分の思い通りにならない」という前提が大切だと心得ている。これだけ多くの人間が、それぞれ違う好みとか目的をもって、利害関係のあるなかで生きている。そういう世の中で自分の思い通りになることなど、ほとんどない。そういう前提で生きていれば、思い通りにならなくてもいちいちイラッとすることもない。
     本来は独立した個人の「好き嫌い」の問題を手前勝手に「良し悪し」にすり替えてワアワア言う。これが幼児性の2つ目だ。誰かが「オレは天丼が好きだ」と言うのをカツ丼好きが聞いたとしても、あまりイラッとしない。イラッとするのは、「カツ丼のほうが正しい」と思っているヘンな人だけだ。本当は「好き嫌い」にすぎないことを勝手に良し悪しの問題に翻訳する。だから妙な批判をしたり意見を言いたくなったりする。
     悪い意味での「意識高い系」にもそうした手合いが多い。口では「多様性が大切!」とか言いながら、自分とちょっと考えが合わない人に対してすぐにイラッとする。世の中は文字通り多種多様な考え方の人々が集まって構成されているのに、そこに考えが及ばない。この種の人は意識は高いかもしれないが、アタマが悪い。「意識の高い(大人の)子ども」ほど厄介なものはない。
     第3に、大人の子どもは他人のことに関心を持ちすぎる。なぜそうなるかといえば、本当にその人に関心があるというよりも、自分のなかに何かの不満や不足感があって、その埋め合わせという面が大きいのではないかと思う。自分の仕事や生活に鬱憤や鬱屈がある人は他人の欠点や問題、もっといえば「不幸」を見て刹那的な心の安らぎを得るところがある。ようするに、「他人の不幸は蜜の味」、ここに幼児性の最たるものがある。
    「出る杭は打たれる」。世の中、そういうこともある。これはこれでうすらさびしい言葉だが、それ以上にイヤなのが「出すぎた杭は打たれない」というフレーズだ。「うまいこと」を言っているつもりなのだが、ますますセコい話に聞こえる。この比喩から浮かび上がる光景をイメージしてほしい。杭が横一線にずらずらと並んでいる。色も形もすべて同じ。マットな暗い茶色の杭が黙って並んでいる。多少引っ込んでいようが出ていようが出すぎていようが、傍から見れば一介の杭であることには変わりない。出すぎたら打たれないかもしれないが、「それでも杭は杭」だ。
     出るとか出すぎるというのは、つまるところ周囲と比較しての差分を問題にしている。ある物差しをあてて、その上での人の能力なり成果を認識する。平均値や周囲の誰かとの差をもって優劣を競う。こういうアプローチを取っている限り、ロクな仕事はできない。ひどいのになると、「俺は『出すぎた杭』だからさ……」とか言って悦に入っているバカがいる。こういうのに本当に仕事ができる人がいた試しがない。
     人と比較してばかりの人は嫉妬――おそらくもっとも醜く、非生産的で、意味のない人間感情――にさいなまれる。「イラッとする」のも、つまるところ嫉妬であることが少なくない。
     嫉妬が生まれる条件は「比較可能性」にある。自分の知らない国で生活しているような外国人や歴史上の偉大な人物など、時空間で遠く離れた人には嫉妬しない。シーザーや始皇帝や織田信長や聖徳太子に嫉妬して歯軋りしているような人はまずいない。そもそも自分との比較の対象になりえないからだ。
     面白いことに、嫉妬に駆られている人は対象となる人物の良いところ、恵まれているところしか見ていない。一見大変な魅力と能力で成功しているように見える人でも。その人の仕事や生活の総体――それは外から見ているだけで決してわからない――を知れば、わりと不運や不幸に苦しんでいるものだ。しかし、彼らに嫉妬する人にはそういう負の面は見えない。ま、なかには何の苦労も矛盾もない人もいるだろうが、それはこの際おいておく。
     いずれにせよ、人はそれぞれ自分の価値基準で生きている。人は人、自分は自分、ほとんどの場合、比較には意味がない。自分と反対の考えの人がいてもイラッとせず、「そういう人もいるのか。世の中は面白いねえ……」と受け止めたい。
     仕事ができる人ほど、出来合いの物差しで他人と自分を比較しない。人と比べてあれができる、これができると言っているうちはまだまだだ。本当にすごい人は他人との差分で威張らない。余人をもって代えがたい。ここまでいってはじめて本当のプロといえる。
     ただし、全方位的にスゴイ人などこの世の中に存在しない。「この人には敵わない……」と思わせる人でも、ある分野において余人をもって代えがたいのであって、すべてについてスゴイわけではない。「全面的に余人をもって代えがたい」となると、もはや超人だ。レオナルド・ダ・ヴィンチぐらいだろう。
     ある分野で圧倒的な能力を持つ人でも、別の分野になると意外なほど抜けているというのが面白い。あることは得意中の得意なのに、別のことになるとからっきしダメになる。
     考えてみればこれは当たり前の話。ようするに強みと弱みはコインの両面なのである。何かについて不得手であるということが、そのまま別の何かについて得手である理由になっている。ここが人間のコクのあるところだ。「弱みを克服して、強みを伸ばす」というのは虫が良すぎる。その人の最大の強みは最大の弱みと隣り合わせになって初めて存在する。両者は切っても切れない関係で結びついている。下手に弱みを克服しようとすると、せっかくの強みまで矯めてしまうことになりかねない。
    「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ)というのは名言に違いないが、裏を返せば「みんなちがって、みんなダメ」。余人をもって代えがたいほどスゴイ人ほど、自分のダメなところ、弱いところを自覚している。自分の強みはあくまでも条件付きの強みであり、全面的に優れているわけでは決してないことをよくわきまえている。だから他者にも威張らない。自分を抑制して威張らないのではない。そもそも威張る理由がない、威張る気にならないのである。
     自分一人ですべてに秀でる必要はない。世の中にはいろいろな得手不得手の人がいる。そうした人々の相互補完的な関係が仕事を成り立たせている。それが社会の良いところだ。他人を気にせず、自分と比べず、いいときも悪いときも自らの仕事と生活にきちんと向き合う。それが大人というものだ。

     スキルを向上させ、自分の仕事能力の価値を高めていく。いうまでもなく大切なことです。ところが、です。現実に仕事ができる人は依然として少ない。試みに周囲を見回してください。「ああ、この人は確かに仕事ができるなあ」と思わせる人はそれほど多くないと思います。いかにもスキルがあるにもかかわらず、仕事ができない人がいます。
    「仕事ができる」とはどういうことか。あっさりいえば「頼りになる」ということです。「安心して任せられる」「この人なら何とかしてくれる」、もっといえば「この人じゃないとだめだ」、そう思わせる人が本当の意味で仕事ができる人です。
     この意味での仕事能力は、「あれができる・これができる」というスキルを超えています。それを総称して、僕は「センス」と呼んでいます。外国語を駆使しても、肝心の仕事の場で外国人相手に意思の疎通ができない人がいます。さまざまなフレームワークに精通しているのに、戦略を描けない人がいます。ロジカルシンキングとプレゼンテーションのスキルがあるにもかかわらず、話がものすごくつまらない人がいます。こういう人は「作業」は得意でも「仕事」ができない。スキルはあってもセンスがないのです。
    「あれができる、これができる」と言っているうちはまだまだです。代わりになる人はいっぱいいる。極論すればマイナスがないだけ。ゼロからプラスをつくっているかどうかはその人のセンスに強くかかっています。
     なぜスキルの先にあるものが大切なのか。その最大の理由は、仕事生活がわりと長く続くということにあります。スキル一本槍でも、途中まではわりと順調に行ける。しかしある時に厚い壁にぶち当たります。当人は「スキルで突破できる」と思っていても、いつかどこかで「あれ? おかしいなぁ、こんなに頑張っているのに……」ということになります。
     スキルがあるというだけで買われる状況は、人が足りないときに限られます。そのジャンルの人が足りないという状態ではスキルがものをいう。昨今のプログラミングのように「旬のスキル」というのはいつの時代にもあります。多くの人が旬のスキルに目を向ける。ところが、人間はすぐには死にません。仕事は長い間続いていく。いずれはその分野のスキルを持つ人は増えていきます。平均点に高い評価を与える人はいません。
    「ポータブルなスキルを持て」と言うけれど、その分野にはまらないとスキルは使えません。汎用性があるのはむしろセンスの方です。職位や職務領域を超えて、しかもどんな局面でも四六時中使える。リアルの営業でセンスがある人は、オンラインの営業でもだいたい上手くいく。相手が本当のところ何を欲しがっているのかを見抜く力がその人の営業力の中核にあるとしたら、そのセンスは人事の仕事にも活かせるはずです。センスは長い仕事生活を通じた拠り所になります。
     スキルであればそれを開発する定型的な方法、すなわり「教科書」があります。リスキリングというと大変なことのように聞こえますが、やるべきことは決まっています。定評のある優れた方法を選び、継続的に努力を投入すれば、かならずスキルは向上します。やればいいだけ――こんなにうまい話はありません。
     センスには標準的な教科書はありません。それでも生得的な能力ではありません。センスは自らが経験を重ねる中で錬成するものです。他者が「育てる」ものではなく、当事者があるセンスある人に「育つ」しかありません。
     だとしたら何ができるのか。その第一歩は、身の回りにいる「センスがある人」を一人選び、その人をよく見るということです。「センスの良さ」は一言では言語化できません。それでも、センスがある人とない人の違いは容易に見分けがつきます。ある局面や状況で、なぜその人はそうしたのか。なぜこうしなかったのか。漫然と見るのではなく、考えながら見る。この作業を続けていくうちに、センスの輪郭がだんだんと見えてきます。
     スキルが特定の物差しの上での量の多寡の問題(例えば「私はTOEIC900点です」)であるのに対して、センスは千差万別です。センスがある人(と同時にセンスがない人)の行動を注視し、ひとつひとつの文脈で「センスの良さ」を読み解き、掴み取っていく。見て、見続けて、見破る――センスを磨くためにはこうした帰納的方法しかあり得ません。
     だからこそ「仕事ができる人」はいつも稀少な存在なのです。

    「コンセプト」とは、われわれが興味をもっている対象とか現象とか物事の本質を凝縮した形でえぐり出した言葉のことだ。概念的認知能力は「問題の全体像を理解して、そこから本質的な問題を導き出す力」を指している。技術的能力があらかじめ設定されている特定の問題を解決する力であるとすれば、概念的能力は解くべき問題を発見して設定する力だ。コンセプトは組織や個人をつき動かす方向性とかパワーの大もとになる。
     もう少し具体的な例でいうと、今ここに経営不振に陥っている会社がある。その理由はさまざまで、いろいろな問題がぐちゃぐちゃと入り組んだ形で山積している。「何が問題なのかが問題だ」という状況だ。こういうときに、「われわれの進むべき道はこれだ!」という方向を明確に打ち出すということ、そして「なるほど、そうだよね」とみんながうなずいて元気が出てくること、「おーし、それでいくか」と周囲の人々がつき動かされているということ、それがコンセプトづくりであり、そこで必要となる力が概念的能力である。
     概念的能力を使って問題が立った後に、それをさまざまな部分で解決していくのが技術的能力の担当となる。社会の中にいる以上人間の活動は個人で完結するということはないので、そこでは技術的能力だけではなく対人関係能力も重要になる。
     もう一つの重要なポイントは、人に知的能力があるという場合、3つの能力は漠然と並置ないしは選択できるようなものではなくて、階層をなしているということだ。つまり、①技能が最下層にあり、その上に②対人関係能力が乗っかっていて、一番上に③概念的能力がある。特定の領域での技術的能力があってはじめて対人関係能力を獲得できるのであり、その上にしか概念的能力は育たない。
     概念的能力は確かに一番重要で上等なのだけれども、何もないところに概念的能力をつけようと思ってもそれは甘い考えだ。技能、対人関係能力という積み重ねの上にはじめて概念的能力が生まれる。
     だから「自分には何もないけれども構想力だけは自信がある」という人がいたら、あまり信用しない方がいい。「僕は何ができるわけではありませんがだれとでもうまくやっていけます」という人、こういう人はたしかに「いい人」かもしれないがしょせんそれだけで、「知的」能力はゼロだ。
     繰り返すが、ここでいう知力としての対人関係能力がある人というのは「ただのいい人」では決してない。「いい人なんだけどなあ、でもちょっとね」という人は、技術的能力の裏付けのない「人間力もどき」の人であることが多い。
    「自分はこれしかできない。人とのやり取りも下手だし、大きなコンセプトもない」という人は一見狭量で暗そうだが、こういう人の方がまだ健全で筋がよい。なぜなら、この人は技能を備えた人であり、それに立脚して上位のスキルを開発していく可能性を秘めているからだ。
     大学での勉強の目的は概念的能力の育成にある。これは大学での勉強に限らず、およそあらゆる知的研鑽は概念的能力の獲得を目めざしているといえる。つまり、大学での勉強は、まず技術的能力のトレーニングからはじめて、だんだんと階層を上っていき、最終的に概念的能力の獲得に至るという流れをたどるわけだ。この順番をしっかりとアタマに入れてほしい。

     人手不足は、労働市場を通じて、企業の経営に規律を課します。きちんとした労働環境や報酬を与えられない企業には、人が来なくなる。この規律が経営の質を高めていく。規律がゆるむことにより、すべてがぶち壊しになる。安い労働力を使いながら、「給料は払えないですが、人手不足なんです」と言っている企業は、そもそも経営が間違っている。
     本来であれば存在価値のない企業が、安い労働力を手当てすることによって延命している。これがゾンビ企業の退出を抑制し、人的資源が必要なセクターへの人の移動を阻む。要するに、経済活動の新陳代謝を妨げます。
     経済活動の本筋からすれば、人手不足倒産ほど健全な話はありません。賃上げは喫緊の問題です。人手不足が賃上げドライバーとなるのは言うまでもありません。労働市場の需給がタイトな昨今にあって、まともな賃金や労働条件を提供できない会社は働き手を集め、維持することができません。そうした会社が市場から消えていくのは当然の話です。
     技術への投資や活用もまた阻害されます。本来、人手不足や賃金の上昇は、技術への投資を促進するはずです。コンビニでいえば、安い賃金で移民を雇い働かせるよりも、レジの自動化や、全く新しい決済の仕組みなどに投資をしていくべきところです。そういった技術への投資・応用を怠り、なんとか安い労働力で延命しよう――時代遅れの石器時代が続いてしまいます。
     石器時代は、石がなくなったから終わったのではありません。青銅器など、それに代わるもっといい方法を発見し、そこに移行していったからこそ終わったのです。石がなくなるまで石器時代を続けるのは愚の骨頂です。
     人間は必ず目先の楽な方向に流れる。だからこそ規律が必要です。就職氷河期の時代は、人は余っていた。どこでもいいから、仕事が欲しいという人が多かった。これが、経営を甘やかした。本来、この人手不足は日本の経営の体質を改善する千載一遇のチャンスのはずです。

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    2025年04月09日
  • LEADER AS HEALER 最強のリーダーは人を癒すヒーラーである

    Posted by ブクログ

    著者に具体の経験があることを表現しているものと思いますが、私のような凡人の想像の中に入ってこない部分もあり、なかなか難しい本なのかなという印象を持ちました。

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    2025年03月22日