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楠木建氏が、経営書から教養書まで、縦横無尽に語り尽くす。 『原書を読むよりも面白い』と評される、楠木建氏の書評を網羅した珠玉の書籍解説集。「今すぐに読みたくなる本」と出合え、そして「知的体幹を鍛える本の読み方」を追体験できる1冊。 「著者からのメッセージ」 僕にとっての優れた書評の基準はただ一つ、「書評を読んだ人がその本を読みたくなるか」だ。本書が読者にとって「今すぐにどうしても読みたい本」と出合うきっかけとなることを願っている。
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Posted by ブクログ
読書記録は、読むものではなく、自ら書くものだと思っています。 ただ、仕事と趣味を兼ねた著者のコメントには共感するものが多く、過去作品も読んできたので、迷わず手に取って読ませていただきました。 対談で記録内容のフォローがあったり、キチンと読ませてくれる構成がイイ。裏にも期待。勿論、いくつかの書籍は手に...続きを読むとってみたいと思いました。
「考える」を考え直す――アダム・グラント『THINK AGAIN』解説 1921年、不幸なことにローズヴェルトはポリオに罹患する。腰から下が不随になる可能性があったが、不屈の意志で克服した。症状が重くなった理由は、最初の医師の判断の間違いにあった。このことが彼の専門家への不信をもたらした。多くの側...続きを読む近にさまざまな角度から助言をさせ、その中から最善なものを選ぶというスタイルが確立した。 落選や闘病などの逆境を経て、ローズヴェルトは人間的な成長を果たした。以前はがむしゃらに活動的だったが、物事をゆっくり考えるようになった。落ち着いた寛容さをもって、人の話をよく聞いた。「足でバランスをとれないが心でバランスをとることを学んだ」のである。後年、妻のエレノアはこう言った。「ポリオにならなくても大統領になっていたでしょう。でもまったく違うタイプの大統領になっていたと思います」 「恐れなければならいのは、恐怖心そのものだけ」という名言で知られるローズヴェルトは、ニューディール政策で並外れた指導力を発揮した。彼は決して経済理論の専門家ではなかった。すべての見解が出そろった後で最終決定を下し、抜群の説明力で国民に訴えた。アイデアを行動に変える「スイッチボード」――それが大統領としての彼自身の役割定義だった。ローズヴェルトの指導力の核心は、謙虚さに裏打ちされた知的柔軟性にあった。 謙虚さが大切――言われてみれば、当たり前の結論だ。多くの論者がこれまでも知的謙虚の重要性を指摘してきた。しかし、一見して当たり前の背後にある論理の頑健性と明晰さにこそ本書の魅力がある。組織心理学の研究の蓄積を幅広く参照し、概念を明確に規定し、因果関係をモデル化し、その上で結論を導く。ストイックさを身上とする研究者ならではの深い議論がある。だから「謙虚さが大切」と言うだけでなく、なぜ、どういう意味で謙虚さが重要なのか、なぜ謙虚であることが難しいのか、謙虚さを保持するにはどうしたらいいのか、理解が腹落ちする。 「投資家に使われる経営」から「投資家を使う経営」へ――中神康議『投資される経営 売買される経営』 しかし、だからと言って経営者が投資家との建設的な相互作用を諦めてしまっては元も子もありません。新聞などで、「市場がこれを嫌い……」とか「市場が歓迎した結果……」というように、「市場」というやたらフワフワした表現をよく目にしますが、統一的な意思を持った「市場」はそもそも存在しません。それは種々雑多な投資家の集まりにすぎません。そこにはいろいろな考え方の人種が交錯しています。つまり、蛇は蛇でも、ものすごくクネクネした蛇もいれば、ゆっくりとしかクネクネしない種類の蛇もいるということです。 本書の第3の価値は、投資家という生き物を、その基本的な投資に対するスタンス――投資哲学と言ってもよい――に基づいて分類し、その中でも「投資される経営」が向くべき長期投資化の思考と行動を明らかにしたところにあります。 投資家の声を聞く、対話するといっても、すべての株主と向き合う必要はありません。クネクネのピッチが速い蛇は、文字通り「売り買い」を飯のタネとしています。この種の蛇と向き合ってしまえば、「売り買いされる経営」になるのは必定です。 あまりクネクネしない蛇、すなわち長期投資化こそが資本市場側の真のカウンターパート、経営が正面から向き合うべき相手だということを本書は教えてくれます。長期投資家も生物学的分類で言えば、蛇であることには変わりはありません。だから多少はクネクネする。ただし、次項で改めて述べるように、この蛇の「多少のクネクネ」は、まったくクネクネしない経営者(生き物としての種が違う)を補完し、「投資される経営」をサポートしてくれるという意味で、良いクネクネなのです。 本当の顧客は誰か。この問いは、僕の専門の競争戦略では、戦略作りの一丁目一番地として決定的に重要な意味を持っています。『ストーリーとしての経営戦略』(東洋経済新報社)という本で詳しく議論しているので、気が向いた方は読んでいただきたいのですが、戦略ストーリーの起点は「コンセプト」を定義することです。それは「(本当のところ)誰に何を売るか」「誰がなぜ・どのように喜ぶのか」という問いに対する答えです。その事業の本質的な顧客価値を凝縮して表現した言葉、それがコンセプトです。コンセプトをつくる。ここに経営者の最大の腕の見せ所があります。コンセプトは「商売の基」です。このところが決まらなければ、戦略構想は一歩も先に進めません。マーケティングの世界でも、ターゲット顧客の選定がまず大切になるということは昔から繰り返し強調されています。 「長期」の本質――中神康議『三位一体の経営』解説 長期持続的な競争優位を構築するためには、3章で議論されている「事業経済性」があるだけでは十分ではありません。どの企業も願わくは経済性がある事業立地で商売したいと思います。魅力的な事業には参入企業が増え、競争は次第に熾烈になるのが道理です。したがって、資本コストを大きく上回るような超過利潤を長期維持するためには、競合が攻めてきても跳ね返せるだけの「障壁」(4章)が必要になります。煎じ詰めれば、いかに障壁を築き上げるかが戦略の焦点となります。一見して事業経済性が乏しいような立地でも、障壁があれば「複利の経営」に持ち込むことは十分に可能です。 ただし、強固な障壁をつくるのは容易ではありません。容易にできることならそもそも障壁にならないからです。5章で詳細に議論されているように、業界の常識からして「呆れるほどのコストをかける」「腰を抜かすほどのリスクを取る」必要があります。いずれにせよ、腰を据えて何かに突っ込まなければ障壁は築けません。一方で利用可能な経営資源は限られています。だとしたら「どこに突っ込むのか」「なぜそこに突っ込むのか」が問題の核心になります。 この問いに答えるのが、その経営者に独自の「事業仮説」です。その究極の例の一つとして、中神さんは宅配便という事業カテゴリーを創造したヤマト運輸の小倉昌男氏の独創的な事業仮説に注目しています。この部分はとりわけじっくり読むに値します。中神さんも感嘆しているように、痺れるような事業仮説が構想されています。「これぞ戦略ストーリー」と唸らされます。 複雑な問題に直面したとき、凡百の経営者は物事の要因を箇条書き的に列挙して解を得ようとします。しかし、小倉氏に代表される優れた経営者は、要因間の因果関係についての論理にまで踏み込み、全体が全体として作動するメカニズムを解明しようとします。ようするに「大局観」です。 本書では触れられていませんが、小倉氏の戦略構想で最も面白いと思うのは、宅急便の出発点でカギとなった「サービスが先、利益が後」という意思決定です。サービスと利益は表面的にはトレードオフの関係にあります。ですから、普通の経営者であれば、両者の「バランス」をとろうとします。しかし、それは愚策です。両方を追求すれば「二兎を追うもの一兎をも得ず」。小倉氏は優先順位をはっきりさせます。 ここから先がいよいよ真骨頂です。小倉氏の戦略の神髄は、トレードオフを単純な「選択と集中」で終わらせないところにあります。サービスを取って利益を捨てるわけではないのです。両方を達成できた方がいいに決まっている。ここで戦略ストーリーの出番となります。まずはダントツのサービスに集中する。サービスがダントツであれば、荷物の受け手の満足を高めることができる。満足した受け手は宅急便という新しい荷物のやり取りの手段の価値に気づく。やがて送り手としてもヤマトを選択するようになります。ここまでバトンをつながれて初めて6章で描かれている「ネットワークの事業性」が動き出すわけです。 小倉氏のような「戦略芸術家」の凄みは個別の意思決定ではなく、やることの順序、シークエンスに表れます。AとBとCとが箇条書きにならない。「これを全部やれ」じゃなくて、「まずはここに集中する」という指示が出てくる。AがあってこそBがあり、BができてCが出てくる。AとBとの間にロジックがあり、BとCの間にもロジックがある。これは「優先順位をつけなさい」という話とは似て非なるものです。 結局、なんで儲かるかと言うと、他の人が知らないことを知っている、ほかの会社ができないこと・しないことをするということです。オリックスの経営を長くお勤めになった宮内義彦さんお話をしているときのことです。「僕から見ると、オリックスってなんで儲かるのか分かりにくい会社ですよね」と言ったら、「お前みたいなヤツにすぐ分からないから儲かるんじゃないか」と言われました。まったくその通りです。 優れた経営者について、「ほかの人とは違った景色が見えている」ということをよく言います。小倉昌男氏はその典型です。これは、その人の独自のフィルターを通したときに、客観的に同じことであっても、それが「違って見えている」。古い話ですが、川上哲治氏は「ボールが止まって見える」と言いました。しかし、本当にボールが止まっているのではありません。ようするに「違って」(differently)という副詞であって、本当に「違った」(different)ものを見ているのではない。 ここでフィルターに相当するのがその人が持っている事業仮説なり戦略ストーリーです。その人にしか手に入れられないような「特別の秘密情報」というものはない。そういうのを持ってくるのはだいたい詐欺師です。なぜほかの人が知らないことを知っているのか、見えないものが見えているのかというと、自分の戦略ストーリー上に位置づけることで、見ている対象が、独自の意味を持ち始めるからです。 サービスの質と利益は短期的にはトレードオフです。しかし、そこに時間軸を組み込み、背後のメカニズムをつかめば、トレードオフが違って見えてきます。戦略は箇条書きのアクションリストではありません。戦略の優劣は個別の打ち手そのもので決まるわけではありません。打ち手が明確な論理でのつながり、そのストーリーの中で表面的な二律背反が解け、好循環が生まれ、両方が実現される。「サービスが先、利益が後」というトレードオフをはっきりさせることが、結果的にトレードオンを生み出すという逆説です。これにしても、トレードオフをトレードオンに転化することに「長期」の本質があるということを物語っています。 「長期」の時間は物理的な時間ではありません。論理的な時間です。「長期的に考えろ」と言うと、「じゃあ、5年先を考えよう」「いや、10年先を考えるほうが長期だ」とかいう話になりがちです。そうではなくて、仮に物理的な時間で計測すれば1年先のことだとしても、「こういうことが先行して起きて、こういうことができるようになる」「次にこういう道が開けるので、ああなってこうなって……」という論理があることが大切なのです。事業仮説はゴールから逆算してつなげていくものです。本は最初から順にページをめくって読みますが、戦略ストーリーは逆にエンディングから読まなければ分かりません。論理とは「XがYをもたらす」という因果関係についての信念です。因果関係である以上、論理は時間を背負っています。そこには必ず時間軸がある。「短期の戦略」というのはあり得ません。戦略は定義からして「長期」になります。 戦略の構想と実行は、中神さんが言うように、人間の性との戦いという面があります。「呆れるほどのコスト」や「腰を抜かすほどのコスト」は誰にとっても恐ろしい。思いっきりコストをかけ、リスクを取ったからと言って、障壁が確実に手に入るという保証はありません。どんなに秀逸な戦略ストーリーであっても、事前においてはあくまでも仮説にすぎません。実際に成功するかはやってみるまで分かりません。 だとしたら、経営者にとっての事前の拠り所は何か。優れた戦略ストーリーにつきものの恐怖を克服するうえで、何に頼ればいいのか。「論理的な確信」しかない、というのが僕の結論です。 本書は哲学者の三木清の言葉を引用しています。「仮説的に考えるということは論理的に考えるということと単純に同じではない。仮説はある意味で論理よりも根源的であり、論理はむしろそこから出てくる。仮説は自己自身から論理を作り出す力さえもっている」 まことにその通りで、小倉氏にしても宅配便の戦略ストーリーの発端にあったのは、論理を越えた事業観、もっと言えば直観だったに違いありません。しかし、直観だけでは恐怖に勝てません。その成否は事後的にしか分からないにせよ、小倉氏が「呆れるほどのコスト」「腰を抜かすほどのリスク」に突っ込めたのは、彼の事業仮説が論理的に筋が通っていたからです。論理的な確信こそが経営者の勇気の源泉です。 視点を転換し、司会を広げるためには何よりも抽象化が必要です。「業界けもの道」に精通している経営者は自分の業界や会社、事業については誰よりもよく知っているはずです。しかし、その業界や事業の文脈にどっぷりつかっているため、抽象化思考はどうしても手薄になります。 プロダクトづくりの極意――トニー・ファデル『BUILD』解説 アップルのiPodやiPhone、ネストのサーモスタットはいずれも破壊的なイノベーションをもたらし、人々の生活を変えた偉大なプロダクトだった。しかし、著者が自分自身でこれ等のプロダクトをつくったわけではない。本書の中で強調しているように、著者の一義的な役割はプロダクトを開発する部門なりチームを統率するマネジメントにあった。 シリコンバレーでは再発明と破壊がすべてであるとされる。それは一面では正しいのだが、組織とマネジメントの本質は変わらない。結局のところ生身の人間の集団がやることだからだ。本書が伝授するマネジメントについてのアドバイスは、いずれも古典的なものだ。やろうとしていることは破壊的であっても、それを実行する組織とマネジメントはオーセンティック(正統的)――このコントラストが面白い。マネジメントには古今東西普遍の原理原則があるということを再確認した。 マネジャーとプレイヤーの仕事ははっきりと異なる。マネジャーになったら、それまでのプレイヤーとして仕事の成果は関係ない。自分でやるのではなく、部下に仕事をさせ、部下を成長させるのがマネジャーの仕事だ。マネジメントは才能ではない、と著者は断言する。仕事の経験の中で修業を重ねるしかない。個性は二の次。誠実さがものを言う。 目標設定、採用、評価、進捗確認、もめごとの解決……ようするに「何か困っていることない?」と聞いてまわるのがマネジャーだ。一にも二にも部下とのコミュニケーションが大切になる。このときもWHYを伝えることが肝心だ。WHATやHOWを指示する前に、なぜその仕事に意味があるのかを部下が理解していなければならない。 部下が活躍して自分の存在が霞んでしまうようになる。これこそがマネジャーとしての成功だ。決してプレイヤーの部下と競争してはならない。部下と張り合うマネジャーはマイクロマネジメントに走る。これが組織をダメにする。 よく知られているように、スティーブ・ジョブズはアップルの絶対権力者として君臨し、独裁者として振る舞った。チームが開発しているプロダクトのクオリティにはとことんこだわった。ジョブズが宝石商のごとくルーペを取り出し、ディスプレイ上の一つひとつのピクセルにまで目を光らせ、ユーザーインターフェイスのグラフィクスがきちんと描かれているか確認する姿を著者は目撃している。ハードウェアからパッケージに書かれた文言の一字一句に至るまで、同じレベルの注意力で目を光らせた。それでも、プロダクトに直接手は出さなかった。部下が文句なしに最高のプロダクトをつくっているかに意識を集中し、成果を確実なものにする。プロセスではなく結果にコミットする。成果をどうやって生み出すかは部下の仕事だ。任せることができなければマネジャーではない。 これが競争戦略だ!――白井健太郎『クック的の競争戦略』解説 まずはっきりさせておくべきは、経営が持つべき目標です。目標が間違っていれば、あらゆる戦略は無用の長物です。結局のところ、経営は何を極大化するべきなのか。答えは長期利益です。長期利益は経営の優劣を示す最上の尺度です。「カネ儲けがすべてだ!」という話ではありません。従業員や顧客、株主、社会、すべてのステークホルダーに対して企業は貢献しなくてはなりません。逆説的に聞こえるかもしれませんが、だからこそ長期利益の追求が何よりも大切です。 企業活動に対価を支払ってくれるのは顧客です。結局のところ、すべては顧客のためです。ただし、です。極大化すべきは「目標」が長期利益だということは、企業の「目的」――最近の言葉でいえば「パーパス」――が顧客に対する価値提供であることと何ら矛盾しません。真っ当な競争があれば、長期利益は顧客満足の最もシンプルかつ正直な物差しとなります。その企業がなくなったら、どれだけ困り悲しむ人がいるか――この総量がその企業の提供する独自価値であり、それは確実に利益に反映されます。長期利益と顧客価値はコインの両面のようなものです。まったく儲かっていないのに顧客満足を標榜する経営は欺瞞です。 長期利益を稼いでいれば、投資家が評価し株価も上がる。株主に支払う配当も利益処分の一形態です。儲けが出ていなければ分配もできません。経営者がもうかる商売をつくれば、雇用を生み出し、守ることができます。いよいよ日本でも賃上げが重視されるようになりました。労働分配を増やすためにはまず稼げる商売をつくることが先決です。 刹那的な儲けであれば話は違ってきます。客を騙して設ける、従業員を泣かせて儲けることも可能です。しかし、それでは持ちません。持続的な利益の実現はすべてのステークホルダーをつなぐ経営の基本線となります。 チラシに掲載された商品と価格は、本部による指令です。もし、現場での商品や価格では売れないと考えても、チラシとして出してしまっている以上、従わなければならない。現場の仕事は維持管理だけになります。商売の本来の楽しさである仕入れや値付けの自由がすべて奪われてしまう。それでは創意工夫のしようがない。現場の方が顧客ニーズについて正しい情報を持っており、的確な判断ができるはずなのに、指示書に従わなくてはならない。現場では「売りたくないものを売らなくてはならない」という葛藤が生じます。 自分が本当に良いと思った商品は全力で売ることができる。自信を持ってお客さんにオススメすることができる。しかし、「売れ!」と強制されたものは売る気になれない。売れなかった場合でも、現場の従業員が自分の考えと判断で発注した商品であれば、気づきや反省が生まれます。それが次の発注精度を高め、商売人としての成長を促します。ところが、本部がチラシで主導してしまうと、肝心の学習機会が喪失されます。現場は「本部が悪い」という他責に傾きます。こうなってしまうと、従業員主導の活気ある売り場で集客する戦略をとるクックマートにとっては致命的なダメージとなります。 チラシによる販促が「楽しむ、楽しませる」というコンセプトと折り合いがつかない理由について、著者は実に深い洞察を述べています。 チラシというのはある種の麻薬で、長年打ち続けた会社がピタッと辞めると、急に売上が下がります。それは、「販促効果がなくなったからだ」と解釈されがちですが、実は、「指示命令がなくなって現場が混乱しているから」ということの方が大きいのではないでしょうか? 長年チラシによる「指示・命令」に慣れた組織が急に「自分で気づき、考えろ」と言われてもすぐにはできません。会社の仕組みが「チラシありき」になっているからです。チラシがなくても店が機能するためには、そのための仕組みや組織文化と、「気づき、考える人」が必要なわけです。しかし、それは一朝一夕につくれるものではありません。よって、チラシは止めたくても止められないのです。 クックマートの戦略は「気づき、考える人」によって支えられています。現場に大きく依存した経営と言っていいでしょう。あらゆる戦略は実行するためにあります。実行されない戦略は机上の空論です。クックマートの戦略が秀逸なのは、戦略的ポジショニングが独自であるのみならず、それを実行する能力の構築にも目配りが効いていることにあります。 モノづくりこそコトづくり――川内イオ『ウルトラニッチ 小さな発見から始まるモノづくりのヒント』解説 「無競争」と「高くても売れるモノ」に加えて、本書が紹介するウルトラニッチの起業家は「仕事や商売の本質」も教えてくれています。仕事は「趣味」ではありません。「自分以外の誰かのために役立つ」ことが仕事です。自分を向いた自己満足では商売になりません。それはただの趣味です。 動物の義肢装具をつくっている島田さんの仕事は、「動物用の義肢を必要としてくれる患畜・飼い主・獣医師が確実にいる」という確信に支えられています。菊野さんも、最初は完璧な時計を求めていましたが、ある時に、そんなものはないと気づきます。お客さんと相談しながらその人のためにつくりあげた時計を喜んでもらうことが最大の歓びだと言います。森さんは、試行錯誤を経て、人間にとって最も大切なのは幸せであり、笑顔であることに行き着いています。朴さんは就活に物足りなさを感じて目の前で困っている人を救いたいと思い至ります。亀山さんの言葉は示唆的です。マウスピースをつくること自体はそう難しくない。クライアントが希望するマウスピースをつくるのが難しいのです。 自分以外の誰かに喜んでもらうことを一義的な目的にする――これは道徳や倫理の話ではありません。他者に喜んでもらう、他者に貢献することが自分にとってもいちばんうれしいというのは人間の本性です。本性だから無理がない。この本性に忠実であることが、商売が長続きする秘訣です。 これは日本資本主義の父と言われる渋沢栄一の「論語と算盤」にも通じる話です。商売の本質は自分以外の誰かの役に立つことにあるからこそ、渋沢は「道徳的であればあるほど結局いちばん儲かる」という原理原則に到達したのです。 ちっとも儲からない売上1000憶の会社が1社あるよりは、売上高1億でも商売の王道を貫いて長期利益を出している会社が1000社あった方がいい。成熟した日本はその段階に入っています。 昨今、「経済のサービス化」とか「モノづくりよりもコトづくり」といった言葉が飛び交っています。本書に登場する10人は「モノづくりこそコトづくり」を地で行っています。モノがコトを創造し、モノがコトの強力なメディアになる――本書はこれからの日本モノづくりの一つの方向を示しています。 「高峰精神」を今に伝える――谷川俊太郎『散文』、高峰秀子『わたしの渡世日記』、斎藤明美『高峰秀子の捨てられない荷物』 谷川俊太郎の散文を好んで読む。何せ詩人、言葉のセンスに優れていて、散文も独特の滋味がある。 谷川俊太郎の散文集を読み返した。タイトルは文字通り『散文』。読書についての指摘が面白い。二宮尊徳の銅像を「薪運びをしながらも、読書に励んだ」と称える。なぜ「本を読みながらも、薪運びに励んだ」ではないのか。本を読むこと自体にさしたる意味はない。そこから何かをつかみ取り、それを実際の生活の中で生かすことにこそ読書の意義がある。読書家ではなく実践家だったことに尊徳の偉さがある――。 まったくその通り。読書は手段の目的化を起こしやすい。月に何冊読んだとか、挙句の果てには速読術だの「フォトリーディング」だの、そういうことを言う人には近づきたくない。 谷川は言う。読み過ぎるよりも、読み足らぬ方がいい。本当に意味のある本など、一生のうちに数冊しかない――その通りだと思う。しかし、一生に数冊しかないからこそ、数多く読まなければ「運命の一冊」との出合いには至らない。 アスリートのロジックに学ぶ――落合博満『コーチング 言葉と新年の魔術』、鳥谷敬『明日、野球やめます』、為末大『生き抜くチカラ』 スポーツに興味がない。自分でやらないのはもちろん、観ることもあまりない。自分の気質はアスリートと対極にところにあると思う。それでも、というか、それだけにスポーツの世界で生きてきた人の知見は勉強になる。 私見では、スポーツ界で活躍した人の中で最も優れた書き手は落合博満だ。これまでも著作をいくつも読み、豊かな経験と知性、何よりも深い人間観察に基づいた仕事論に感銘を受けてきた。『コーチング』も例外ではない。 コーチングの核心は「教える」ではない。「見る」ことにある。なぜならば、実際にやるのは選手だからだ。本人の感覚までは分からない。コーチが何を言っても、それをどう理解するかは選手のセンス(感性)次第。だから、ひたすら見る。その選手について何が良くて何が悪いのか見極める。見極めておけば選手が教えを求めてきたときに説明できる。教えるのではなく学ばせることにコーチングの本領がある――。 コーチングを定義する冒頭部分を読むだけで著者が優れた指導者であることが瞭然とする。センスというかつかみどころがないものを相手にすると、凡庸な指導者は精神論や感覚論に傾く。しかし著者は違う。一人ひとりのセンスを最重視しながら、それをどう扱うかについては徹底して論理的。ここに落合野球の神髄がある。 好きこそものの上手なれ――ピョートル・グジバチ『PLAY WORK』、リースト・トーバルズ『それがぼくには楽しかったから』、高野秀行・清水克行『世界の辺境とハードボイルド室町時代』 グーグル社の人材育成と組織開発の分野で活躍した著者。帯にも「Google式・世界最先端のワークメソッド」というそれらしい惹句が躍っている。しかし、その手の「ベストプラクティス」を紹介する本ではない。筆致は軽く、本の体裁も柔らかいが本書はもっと深いところをついている。 タイトルにある「PLAY WORK」とは、「仕事と遊びの境界線があいまいで、仕事をしているのか遊んでいるのか分からない状態」を意味している。一見して、チャラチャラした話に聞こえる。しかし、これこそが働き方改革の王道なのである。遊びであれば誰でも好きなことをする。好きこそものの上手なれ。公私混同ではなく、公私融合。これが生産性を高める。 政府主導の「働き方改革」はやたらと労働時間の削減を叫ぶ。オンを少なくしてオフを充実させろ、という話なのだが、肝心の仕事が苦痛であれば問題は何も解決しない。オンとオフの境目がなくなれば、遊び上手になるように、仕事上手になることができる。 何もグーグルのような会社に転職しろ、という話ではない。会社は「枠」でなく、自分が好きで得意なことを活かすための「軸」。自分に合った仕事の楽しみ方を知り、楽しく仕事ができる環境を自ら作り出すことが大切だ。 当たり前の話だが、そのためにはまずもって自分を知らなければならない。何を大切にし、何が好きで、何が嫌いなのか、自分の価値基準を知ることがPLAY WORKの基点になる。しかも、それが周囲の人々に理解されなければチームとして動けない。本書には自己認識と自己開示のための多種多様なアイデアが盛り込まれている。 著者はユングの「不幸の最大の理由は幸福の追求にある」という名言を引き、WhatやHowを追い求めても幸せにはならないと言い切る。好きなことを仕事にするというのは、ケーキ屋になりたいとか、サッカー選手になるのが夢、というような小学生レベルの話ではない。自己認識のカギはWhyにある。抽象化と言ってもよい。私的な趣味で山登りが好きな人がいる。この好みを一段抽象化すると、「一人で黙々と取り組む仕事とそこから得られる達成感が好き」という価値基準が見えてくる。なぜある仕事が楽しく、別の仕事はつらいのか。「なぜ」の自問自答を繰り返す先に自分が分かる。自分が分かれば仕事と生活はもっとシンプルになる。幸せとはWhy(目的)に向かって自分の中から湧き出るもの――「世界最先端のワークメソッド」というより、むしろ仕事と人間の原点に回帰せよという主張だ。 [著者との対談]――松田雄馬『人工知能に未来を託せますか?』 楠木 DXが大切なのは言うまでもない。それは「健康って大切だよね」と言っているのと同じです。デジタル技術で物事を効率化することそれ自体はいいに決まっている。スポーツをする人が「足が速いことは大切だよね」と言うのに近い。 ただし、DXはどこまで行っても「手段」でしかない。その手段によって「何を大切にしようとしているのか」「その目的に対して、DXという手段が有効なのかどうか」は、個別の企業の商売の文脈の中で初めて決まってくるものです。相撲取りにとっての足の速さと、陸上選手にとっての足の速さは違います。だから「DXに乗り遅れるな」は、その通りなんだけれども「具体的には何をどうするのか?」が大切です。 例えば、「今は十分健康な状態なので、特に何も変える必要はありません」という会社もあるわけです。それは「個別」の問題です。現代は、個別性が無視されやすい時代だと思うんですよ。なぜなら、入ってくる情報量が多いからです。注意が分散することで、個々の問題に対する注意の量が減っている。思考は注意から始まります。このところのAIやDXの議論は、企業や個別性を軽視していると思います。 手と心の逆シフト――デイヴィッド・グッドハート『頭 手 心 偏った能力主義への挑戦と必要不可欠な仕事の未来』 「頭」(認知能力に基づく仕事)ばかりが重視され、「手」(手仕事)と「心」(人のケアをする仕事)はないがしろにされる――本書はこの数十年の労働と社会倫理のトレンドを鋭く批判する。 頭がいいことは悪いことではない。原子力計画は有能な専門家に任せた方がいい。その仕事をする能力を基準に選抜するシステムは必要だ。しかしそれは「能力主義社会」とは別物だ、と著者は強調する。能力主義社会は能力と人間の価値や尊厳を混同する。 しかも、能力主義社会は多元的な人間の認知能力を教育システムが課すテストのスコアへとむりやり一元化している。本来の頭は全体を見る能力だった。周囲の状況を深く広く理解し、何をすべきかを悟る。それはテストで測れる機械的な認知能力ではない。誠実さ、経験、常識、勇気、勤勉、共感、想像力、気骨もまた重要な知的資質のはずだ。 なぜこのバイアスが定着したか。その方が公平であるかのように見え、説明がつき、それゆえ合意形成が容易だからだ。要するに評価が楽なのである。知的能力のごく一部――学校の試験に合格し、効率的な情報処理をする能力――を持つだけの「頭のいい連中」が力をつけ過ぎた。その結果として、その他大勢に自分を落ちこぼれだと思い込ませるような社会が出現した。問題の核心は、相対的な低所得ではなく、働く意義と自尊心の喪失にある。 頭優位の社会は、現在いよいよ曲がり角にきている。パンデミックが富裕国の人々に仕事の意味を再考させたということもあるが、それ以上に頭社会そのものが自壊しつつある。ITやAIの進歩で、多くの頭の仕事の価値が低減している。共感や関係構築の能力が見直され、イギリスの会計事務所や金融機関の中には新入社員の採用条件から大卒資格をはずすところも増えている。 捨てられなかった本②――石井光太郎『会社という迷宮』 僕が受け止めたこの本のメッセージを一言で言うと「経営における主観の復権」。経営というものは得てして外形的な基準に追い立てられ、本当はありもしない正解探しに明け暮れがちです。経営者が本来持つべき自由意思の重要性を強調しています。自由意思で経営する――当たり前の話ですが、この根本のところが希薄になっている。石井さんは「common sense」、そもそも経営者が持つべき常識的な感覚を取り戻すべきだと言っています。 本書は経営の本質(だけ)を論じています。その文章は実質的にアフォリズムに近い。哲学者のエリック・ホッファーは、精神生活を語るためには詩かアフォリズムのどちらかしかないと言います。石井さんの文章もホッファーのスタイルに通じるものがあります。 例えば、「会社は競争するために生まれて来たのではない。志を実現するために構想しなければならなくなっただけだ」――これにはいきなりシビれました。僕は競争戦略の分野で仕事をしています。構想は所与の条件。競争の中で独自の価値を創出しなければならない。そのための優れた戦略は何か……無意識のうちにそう考える癖がついている僕にとって、石井さんの指摘はガツンときました。
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