森博嗣のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ「謝り慣れた人間ほど、ミスが多く、同じ失敗を繰り返す」「「絆」という言葉に美しいイメージしか持たないのが最近の傾向」「「有名」に価値があると思い込んでいる人が多い」「無料のものに支配される世の中」「「視点」と「目線」の違いを使い分けてほしい」「子供には、「検索ではなく、模索をしなさい」と教えたい」「目のつけどころの違いというのが、つまり才能の違いである」などなど…。
“無料ということは、別の方法で、見えないところで、少しずつ搾取されているということであって、けっして「お得」ではない。
支配がすべていけない、と言っているのではなく、支配されていることを自覚する、それが大切だ。忘れてはいけない。”
“不満に感じていることが解決しても、それは楽しさには直結しない。不満がなくなれば、満足がありそうなものだが、そうではなく、ただ「普通」があるだけである。一方、楽しさや満足を妨げるものは、不満になる。つまり、一方通行のようだ。”
などなど…。
短文と、それに付随する長文。
著者は、価値があるのは当然短文の方というが、短文ほどの切れはなくても、長文も深いよね。
というか、長文と言ったって所詮見開き2ページの話なのだけど。
凝り固まった自分の思考のくせをリセットするために、やっぱりたまには森博嗣を読まねばダメだ。
しかし、あまり続くのもよろしくない。
慣れてしまうと、考えなくなりがちだからね。
残り一冊は少し間を開けて読もう。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ森博嗣の文章は、見えていること以上に内容が深いことが多いので、読むのに大変時間がかかる。
小説でもそうなのだから、エッセイなんて、こんなに薄い本でも4日くらいかかってしまった。
「身もふたもない」といわれる森博嗣の文章は、他人事として読んでいる限りは痛快なんだけれど、自分に降りかかってくると猛烈に痛い。
森博嗣自身は、他人がどう感じようとかまわないというスタンスなんだけどね。
箴言のような短い文章がまずあって、それに対する解説のような文章がついて見開き2ページで一編。それが100。
「自慢をする年寄りは、悲観する年寄りよりは長生きしてもらいたい」「人の弱みにつけ込む最たるものとは、神である」「土地に縛られているのは個人ではなく、集団である」「つぶやくだけで良い。多くの普通の人の意見とは、その程度のものか」などなど。
“常に、自分から離れ、全体を俯瞰する視線を持つことが大事で、それはやはり想像することで養われる感覚である。”
しかし、周囲がみんな近視眼的になっているときに、ひとり全体を俯瞰しても、なかなか真意が伝わらないのよね。
たとえアウェイでも自分の視点を持ちつづけることができるか。
それが問われているのだな。
“いずれにしても、それというのも、経済というものが「発展」しか知らないからである。発展しないのは「悪」だ、と経済は教えている。どうしてそんなふうに考えるのかといえば、経済の中で、仕事もせず楽をして稼いでいる人たちがいるからだ。こういう人たちが経済を動かし、政治を動かしている。
エネルギィの問題は、科学技術とかではなく、経済という「人間の欲」に根元がある。少し離れてみれば、「楽して儲けさせてくれよ」という王様のような人たちが、「少子化は悪い」「増税は悪い」「太陽光発電は正義だ」などと、いろいろ大衆の耳元でささやく場面があちらこちらにある。”
経済について語る森博嗣。なかなかレアでは。
“偉そうな口調で文章を書く人は多い。本人はそのつもりはなくても、いつの間にかそういう表現になっている。それは、その人が自分の言葉ではなく、誰か本当に偉い人の文章、偉い人の物言いを真似しているから、そうなのである。その偉い人には、その人なりのバックグラウンドがあったわけだが、普通の人にはそれがない。したがって、口調は勇ましいのに、手応えがないことがたちまち見抜かれる。足許が覚束ない不安定感が支配的なのだ。”
ブログについて。耳が痛い。
“面白い映画を観たり、好きな小説を読んだり、というような感動を求める趣味も、考えてみたら同じだ。自分に変化はなくても良い、その一時が楽しければ良い、というわけである。悪くはない、それもありかもしれない。”
偉い人の話を聞いて納得しても、自分が偉くなったわけではない、と。
知らず知らず、勘違いしちゃうものなのかなあ。
気をつけよう。
映画や小説から何かを得ることはあると思うけど、森博嗣はきっと、「その程度で変わる自分なのか?」と畳み掛けてくるだろう。
常に自問。
ずーっと自問。 -
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Gシリーズ第9作
これで完結かと思ったが、どうやらまだ続きがあるらしい。
前回から登場人物がそれぞれの道を歩き始め、一同に会するのは何かがあった時という状況のようだが、今回は学会でおなじみの顔が勢ぞろいといったところか。研究から離れた加部谷だが、山吹のアシストで学会発表できるとは羨ましい...。今回は学会期間中に起こった事件のため、ほとんどが学会での描写だったのだが、読んでいて昔のことを思い出し、自分も山吹のように研究者の道に進めたらよかったななどと思いめぐらしていた。
学生時代の学会発表での緊張感や、山吹の「自分に答えられないような質問ならば、誰にも答えることはできない」という思いはポスドク時代の経験から非常に共感できた。久しぶりにアカデミックな空気の中にいた自分を思い出すことができて、とても楽しく読めた。
今回も雨宮の役どころがなかなか良い。前回から引き続き常連としての存在感が大きくなったように思う。
海月は相変わらずの冴えを見せるが、加部谷とのやり取りは...。加部谷よ、もう少ししっかりせいと言いたいところだ。
今回は島田文子が以前の印象と違っていたのが意外だった。みんな年をとっていくからなのだろうか。 -
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百年シリーズの三冊目だが、百年シリーズとWシリーズの先にある物語じゃないかと思う。「私たちは生きているのか?」にあったハギリのモノローグ、「人間は、いつか人間に決別することになるだろう。」正に人間に決別した後が本書の世界。
「私たちは生きているのか?」の仮想空間はあまり魅力を感じなかったが、いつか我々の意識や感覚が電脳空間に移転したら本書のような自分と他者の区別が判らなくなるんじゃないだろうか。
しばらく間に読んだ哲学入門や森先生の著作から、僕が求めていたビジョンが本書の世界かなと思う。でも、この世界観を思考では納得するんだが、心からこの世界観を希求するかというと、どうだろう。
途中、自己と他者の区別や夢と現実の間合いが判らなくなる箇所は筒井康隆を連想した。でも、もっとリアルティがあって、もっと判らないことだらけだった。
人形とか端末とは何だろう。操っている者がいるのか。操れるのか。
Wシリーズでもトランスファーがウォーカロンを綾っていたし、百年シリーズでも分離した頭脳が肉体を制御していた。一貫した感覚があると思うけど、森先生の作品に慣れていないと、この本は辛いかも知れない。 -
Posted by ブクログ
百年シリーズのこの本もコミックで読んでいる。
が、改めて本書を読むと、もっと前に読んでおくべきだったなと後悔した。
近未来のSFなのだが、古い時代のファンタジーの印象。
主人公のミチルのモノローグ。普通の作家の文章だったらさっさと読み飛ばす処だが、森先生に絡めとられるイメージ。
ミチルとロイディの会話の面白さ。緩急の付け方が素晴らしい。
恐らく森先生は、頭脳と肉体の分離の可能性を小説の中で考えていたのだと思う。
「面白い」彼女はまた微笑んだ。
昔、森先生の著作をはじめて読んだ時を思い出す。
あの彼女から始まる物語。あれから森先生の著作を沢山読んだ。
彼女は微笑んだ。「私が、ここにいると思う?私が生きていると思う?」
ミチル本人は判っていないが、ミチルはあのミチルだよな。
アキラは、あのアキラなんだろうか? -
Posted by ブクログ
百年シリーズは本作も「迷宮百年の睡魔」もコミックで読んで原作はまあそのうちにと、後回しにしていた。
「彼女は一人で歩くのか」から始まるWシリーズにデボラの名が出てきたり、殊に赤目が出てきたりと、これはちゃんと百年シリーズを読まなければと手に取る。
結構厚みがあり、読み応えがあったが、森先生の静謐な文章をじっくり味わった。
コミックの印象では現世と遠い世界でよっぽど未来のことだと思ってた。本作を読むと2113年とあるし、ウォーカロンは人工的に生まれた人間でなく、やや旧タイプのロボット。Wシリーズとの時間軸での関係はどうなんだろう。
本作もWシリーズも生きることがテーマになっているんじゃないかと思う。
「ものではない。集積したメモリと、そこに行き交う信号、その処理のシステムです。」
ならば、肉体は無くても、システムさえあれば生きられるのか。
さあ、「迷宮百年の睡魔」、「赤目姫の潮解」も読まなければね。 -
Posted by ブクログ
森博嗣、2013年発表の小説。
「百年シリーズ」三部作の三作目ですが、前二作との直接的なつながりはありません。前二作がエンターテインメントのSFミステリー風冒険譚であったのに対し、本作にはまっとうなストーリーがなく、断片的で唐突な飛躍跳躍を繰り返すエピソードと認識論、存在論に関する堂々巡りの対話の集合体のような実験的作品といえます。赤目姫という極めて魅力的なキャラクターも段々影が薄くなってついには存在自体が曖昧になってしまうし・・・。これが小説として成功しているのかどうか、非学な私には正直な所良くわかりません。しかしとても刺激的で面白い作品ではあり、一読の価値はあります。