あらすじ
熟考したつもりでも、私たちは思い込みや常識など具体的な事柄に囚われている。問題に直面した際、本当に必要なのは「抽象的思考」なのに――。「疑問を閃きに変えるには」「“知る”という危険」「決めつけない賢さ」「自分自身の育て方」等々、累計1300万部を超える人気作家が「考えるヒント」を大公開。明日をより楽しく、より自由にする「抽象的思考」を養うには? 一生つかえる思考の秘訣が詰まった画期的提言。
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Posted by ブクログ
久々の満点。
だいぶよかった。森博嗣すごいなぁ。
インスタで知って、タイトルがなんか胡散臭いけど森博嗣だから読もうと思って、読んでよかったと心から思った。これは買いです。
何度も繰り返し読みたい。
日記に書き写しておいて、あとで日記を読み返したときにまた触れて我に返りたい。
庭のこと、首が折れるほど頷ける。
自然や植物に対する畏敬の念というか、教えられること、癒やされること、救われるということを年と共に強く感じる。
年をとってよかったと思うことのひとつ。
最後がなんともいいんだよな。
先生に褒められた気分。
ふふふ。
Posted by ブクログ
日々具体的な諸問題、課題に悩まされている。
中にはその問題のせいで(いや、自分の考え方のせいだが)感情的になったものもある。
しかし、1つ2つ上の視点から考えると、少し穏やかになり、冷静に物事を考えられるようになった。
雑多な要素を取り除いてぼんやりと考える。
そんな時間を毎日少しでも作っていこうと思う。
Posted by ブクログ
理系の研究者であり、作家である森先生のことをつい最近知りまして、強く興味を持ちまして、ここ数年で出版された新書を三冊ほど購入したうちの一冊目。
物事に対する考え方について知ることができたよ一冊でした。
付箋は12枚付きました。
Posted by ブクログ
具体的ではなく、抽象的にものごとを考えることの重要さを説いている。
多くの人が「具体的な思考法」という即効性のあるものばかりを追い求めるため、
結果として、独創的な発想や斬新なアイデアが出てこなくなるという。
知っているのと知っていないのとでは、
日々の生活の捉え方がかなり変わる気がする。
Posted by ブクログ
すごく素晴らしい本だった。
森博嗣さんの著作を追っていくことになりそうだ。
抽象的に考えることによって、いろんなことを
解決することができるかもしれない。
まあ、解決出来なくてもいいけれど。
僕の中では絶対的にこの本がおすすめなんだけど、
面白くないという人もたくさんいるような気がする。
でも、読んだ方がいい、という気もする。
Posted by ブクログ
人間は例えば、与えられたものについてあまり深い意味を考えずに使ったり、具体的な事象にばかり目がいってしまって抽象的に物事を考えられなったりする。そこを改善できるとより良い考えが出来るとのこと。後半、森先生の自宅の話が沢山出てきてとても良かった(こういうものを読みたかった!)
Posted by ブクログ
森博嗣の小説は1行たりとも読んだことがないのだが,エッセイ的なものは結構読んでる。
抽象的思考の大切さを語る1冊で10時間で書いたそうである。驚異的な速筆だ。原稿をベタ打ちするだけでも10時間では終わらないと思う。
抽象的思考と客観的思考の方向性の類似というのは新しい視点だった。何となく,客観的=数値化可能=具体的と考えていたのだが,そもそも数字というのがある意味究極の抽象な訳で,そう考えると抽象性と客観性には類似が認められる。それでもなお,両者には本質的な違いがあるように思うが,抽象化することに付随して客観性が増すということはあり得るなと思った。
同時並行で安藤昭子『問いの編集力』をAudibleで聴いていて,ほとんど同じテーマだなと思った。もうひとつ,抽象と言えば細谷功だが,具体と抽象をロジカルに説明するスタイルとは異なる語りで,その違いが面白いと感じた。
結論としては,著者の言葉そのものの「もうちょっと考えよう」というだけの話ではあるのですが,生活に余裕がないとなかなか考えられないものなのですよね。なお,著者は「考える」と「選択する」を区別するけど,「考える」と「悩む」を同視してるような気がして,その点は独特かもしれない。一般的には,「悩むな,考えろ」的な主張が多いので。
Posted by ブクログ
抽象的に考える事のメリットが分かりやすく理解出来た。
ぼんやりと頭を空っぽにしている時に良いアイデアが生まれた事を何度か経験した事があるが先入観のない無の状態からしか良い発想は生まれないのだろう。常識を疑う事から習慣化していきたい。周りに流されない自分の意見や価値観をしっかり持ちたい。
多数派の一般的な人が考えない事を思いつき内省してこれから大事に育てていきたいと感じた。
Posted by ブクログ
色々なものを抽象的に捉える人は、日頃から、抽象的にものを見ているから、頭の中に、それらがぼんやりとした広がりをもって収まっている。ぼんやりとしているため、他のものとリンクしやすい。なんとなく、あれが近そうだ、どことなく似ていないか、というように連想され、紐を手繰り寄せるように、頭の中から引っ張り出されることになる。
発想をする以前にも、この種の連想を繰り返しているので、なんとなく関連のあるものが「近く」に置かれ「似ている」ものとして認識されている。だから、 いざというときに取り出せるのである。
自分が得た情報を、別の情報と照らし合わせたり、理屈を考えて、どうしてこういったものが伝わってきたのだろう、といちいち考える人も少ない。そんな暇はないのかもしれない。しかし、ちょっと考えてみれば、「これはできすぎている」「嘘かもしれない」と疑うことができるはずだし、その情報の陰に隠れている動機、相互関係といったものを類推することもできる。真実はわからなくとも自分なりの解釈を持つことで、ものの見方は変わってくる。自分なりのものの見方を持っていることが、 客観性や抽象性を育てる。
客観的思考、抽象的思考というのは、客観的な見方、抽象的な見方によって始まる。目で見る見方でなく、頭の中でどう捉えるのかということだから、ちょっと違う面を想像してみたり、奥にありそうな見えない部分を想像してみたりする、というのは視点や視野を切り換える感じに似ている。
このへんすごく共感した、日頃していることを言語化されてる感じがした。
そしてこれを贈ってくれるのが彼女らしいなと思った。
Posted by ブクログ
「抽象的思考」をするにはどうすればいいか、という話から、広く人生についてまで書かれた本。
前半の抽象的思考については、なるほどね、と思いつつもあまり響かなかったが、後半の著者の人生に対するフラットな姿勢に心動かされました。
結局死にゆく人生なのだけれど、自分なりに楽しんで生きればいいじゃないか、という温かく背中を押してくれるような考え方に、あくせく毎日を送る自分をなんだか許せる気がしました。
自分なりの「庭」を作りながら、心穏やかに生き、そして死んでいきたいと思います。
Posted by ブクログ
抽象思考の重要性、方法論についての本だった。
物事を抽象的に捉えることでパーツ化され他の思いもよらないことと関連付いて全く新しい発想に繋がること。一朝一夕に役立てることは難しいけど心がけて身に付けたいと思った。
庭の話、イングリッシュガーデンということで、なんとなく「裏庭」を思い出した。
最後の一文が優しく、思わず微笑んでしまった。読破してよかった。
Posted by ブクログ
疑う、考える。決める・決めないことを見極める。ぼんやりしていてもいい。方法にとらわれて目標を見失いがち。決めつけず、柔軟かつ冷静に。
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先般、「意識・無意識」に関する本を読んだ際に、「意識」というのは非常に「思い込み」や「決めつけ」が多く、主観的になってしまいがちな性質があるということを知った。意識が働くと、「ああではないか」「こうではないか」と勝手な想像を巡らしがちだというのである。
多分それと関係するのかもしれないが、著者は「世間一般の人たちの考え方は、極めて主観的であり、大多数は具体的である」と言い、しかも「その考えがスタンダードであると思い込んでいる」ところを非常に憂いている。
「主観的で具体的」というのは、「自分はコレ」という考ええであり、簡単に言えば「決めつけ」である。しかもそれを標準と考えるのだから「狭いものの見方」となり、ときには感情的になりがちだというのである。
そこで、著者は「いろいろな問題についてどう考えていけば良いのか」という命題を立て、その答えとして「客観的で抽象的に考えよ」と提案している。もちろん決めつけているわけではなく、どうでしょうかと読者に問うている。
例えば「原発の問題」「領土問題」などを例に出して、「主観的で具体的」な意見どうしを戦わせていても、議論が進まないのであり、それを「客観的で抽象的」に発想を変えてみれば、議論の幅が拡大していくのではないかというようなことを述べている。この議論の幅(=発想を広げること)の大切さを特に強調していると思う。
事件のニュース報道で「バールのようなもので壊された」というような表現がされるが、これが「バールで」と表現する場合(具体的)と、「バールのようなもので」と表現する場合(抽象的)では、断然後者のほうが発想が広がるのであり、つまりは具体的より抽象的なほうが発想が広がるというこの説明は分かりやすかった。
本書のエキスはおそらくコレである。抽象化のメリットとして、「適用範囲が広がる」とか「類似したものが連想しやすくなる」などをあげていたが、これはすなわち「考えの選択肢が広がる」とか「より適切な解決が得られる可能性が広がる」ということにつながってくる。
現在の情報社会で、我々は一見豊富な情報に恵まれているように感じるが、それらの情報の多くは、主観的で具体的な「決めつけ」情報である場合が多い。マスコミ情報も同様である。
昔の取材は、記者が自ら記事を取りに行っていたが、今はすべての記者が同じ場所に集められて、提供側から出される一方的な情報をメモしているだけで、その報道を受けている我々も「主観的で具体的な決めつけ」を鵜呑みにしているだけ、というような趣旨の話が書かれていたが、これにはハッとさせられた。
社会がそういうスタイルになっているだけでなく、現代人そのものがネット情報を鵜呑みにするというような生活スタイルとなってしまっており、「客観的で抽象的」に考える力が退化しているというような指摘もあったと思う。
著者は、作家以前は、工学系の准教授として研究者の経歴をもっており、その時代の習慣はひたすら「客観的で抽象的」に考えることであったから、自分の中にその習慣が定着しているという。それもそうだろうが、そういう経歴以前に、著者自身がすでに自由度の高い発想の人であったように思える。
著者の話を聞いているだけで(読んでいるだけで)、非常に発想の幅が広がり、生き方の自由度が広がって、人生が楽しくなるように感じられるのは確かである。
著者には、ガーデニングというライフワークがあるようだが、「抽象的思考の場は、まさに自分の庭のようなものだ」と述べている。「それぞれが自分の庭という思考空間を頭の中に既に持っているのである。そこは、基本的に他者に邪魔されることなく、自分が思い描くとおりに整備することできる。」だそうである。
Posted by ブクログ
抽象化という言葉に対して、ぼんやりしていてはっきりしないマイナスなイメージを持っていた私からしたらこの著者の考えは目から鱗でした。
最後の章とあとがきがちょっと蛇足感。
島は自国の中の相手国側の専門家を立てればいいだとか、若者は抽象的であるだとか、前半とても響きました。
Posted by ブクログ
・なにものにも拘らない
・人生を楽しむためには、この虚しさと親しみ、明日死ぬと思って毎日行動することだし、また、永遠に生きられると想像して未来を考えることである。
・考えることは苦しいことだ。のんびりとリラックスしているときにアイデアが浮かぶよりも、忙しくて必死になって考えているときの方が、断然発想することが多い。酒を飲んで良い気分のときには、残念ながら、頭からはなにも出てこない。
Posted by ブクログ
工学研究者であり小説家でもある森博嗣氏が、日常のなかでどのような考え方をしていけば豊かな精神を築けるかについてを語る本です。キーワードは抽象思考。世間では具体的なことがらに囚われすぎているとし、そこから一歩引いて客観的・抽象的に考えると発想が柔軟になりやすいとしています。本の内容を要約するのがちょっと難しいですが、とても参考になる本でした。柔軟な発想ができるひとになりたいなあ。
Posted by ブクログ
何か物事を捉える際、思考の余地を残すため敢えて抽象的な枠組みを用いるのはそれなりに有用という事が腑に落ちた。具体化することで物事を把握するのは容易だが、その反面誤った捉え方をしているという危険を常に孕んでしまうのね。(同じようなことをタレブがブラックスワンで散々語っていたみたいだけど、言い回しが冗長過ぎて全然頭に入らなかった)
Posted by ブクログ
印象に残ったキーワード・キーフレーズ
1. 漠然と庭をいじっていて「あっ、ここいいな」と思う瞬間が見つかった
目的が漠然としていても思考をこねくり回すことで良いものを発見する(アイデアを思いつく、目的に対する具体的な手段が見つかる)瞬間がある。重要なのは「こねくり回す」の部分。
2. 他者を抽象化してもいいが、自分が他者をどう抽象化しているかは他の人に言わない方が良い
はい。
3. 文系の人は理系の人より論理的だと思う
学校の勉強で論理でなく「発想」が必要になることがあるのは数学だけである。発想があるとすぐ解けるような問題は「エレガントな問題」と呼ばれるが、エレガントな問題は二度と同じような問題を出せないので滅多に出題されない、という記載が面白かった。
私も理系の人が論理的だとはあまり思わない。法則から推測しているという点では文系も理系も変わらないし、研究職をやっていると「どの法則に則った答えが正しいのかが分からないまま推測(思い込み、賭け?)で研究している」という点などは確かに理系の方が論理的の度合いが低いような気もする。
Posted by ブクログ
抽象的思考。今まで持っていなかった考え方です。尊敬する人にこの本を頂き、世の中の見方が少し変化したように思います。
ものごとを俯瞰してみて、共通点や本質を感じることはとても面白いことです。時たま読み直し、その都度の感想を楽しみたいと思います!
Posted by ブクログ
価値観を固定化しないで自分なりの考えを持つ。
抽象的な思考が現実に応用が効くことを説く。
色々なことに疑問を持つこと感情的な反論は避けることを教わりました。
Posted by ブクログ
重要なことは「人間はそんなに単純なものではない」ということ。言動は時と場合によって変わる、考え方もタイプもずっと同じではない。揺れ動いているのが普通である。さらに、深い考えをする人間ほど、なかなか本心というものはわからない。どう見せようかという事を考えて行動しているため、言動から類推できることはあくまでも作り物、演じられている外交的な型でしかない。そういう人は、場合によって全く違うタイプになることがあって、あたかも多重人格者のようにも観察されるが、それは、こちらの見方が部分的だから起こること。
重要なのは「決めつけないこと」抽象的にぼんやりと捉えることで、決めつけないという基本的な姿勢を変えない。
「悩み」について、悩ましいものを自分で見つけたことが、その人の能力であり、その発見にまず一番の価値がある。・・・この文章は、悩み多き私に大きな勇気を与えてくれる。
昔、私が中学生のとき、美術の先生が、絵を描く時には「目を細めて対象物を眺めるといい」と教えてくれた。これは、具体的にものをみないで大雑把にものを見つめると輪郭から全体像を把握しやすいということだったと思う。
具体的に詳細に物事を見るのは機械でもできる。人間の人間たるゆえんは「~のような」大きな把握をして「だいたい」のフォルダに入れるとお互いの事柄がリンクしやすいのかもしれない。
ー歳をとると自分に無縁なものが増えてくるし割り切れるようになる。予感や願望だけの「美しさ」は無益な物として排除される。ついにはもう毎日の自分の身の回りの損得しか考えなくなる。考えるというよりも、ただ「こっちが得」だというせんたくをしているだけにすぎない。犬や猫でもできる判断と同レベルであるー
という文章は痛烈なインパクトだ。「犬猫と同じ」
「目を細めてみる」ことにヒントが多く隠されている。
「具体的に見ない」ことが
Posted by ブクログ
著者の説明と照らし合わせると、自分は客観的なものの見方は、まだできている方だと思いましたが、抽象的な発想に欠けている、頭が固いと感じました。
読み進めて行っても、抽象的なものの見方というのが今一つ分からないでいましたが、庭仕事の例えで、すとんと理解できました。
これまでできなかった抽象的発想が、簡単にできるようになるはずもありませんが、本書をヒントに地道にこつこつ、こつこつと土壌から作るイメージで日々過ごしていけたらと思いました。
Posted by ブクログ
「客観的に考える」ないし「抽象的に考える」ということについて、著者自身がふだんから心がけていることを紹介しながら、自分で考えるための方法を読者に向けて語っている本です。
けっして語り口はむずかしくないのですが、著者特有の概念の用いかたになれず、しばしば戸惑いをおぼえました。たとえば、「考えてみたら変な話だが、言語という具体的なもので、抽象的なことを表現するのである。きっと「~のような」という表現を多用することになるだろう」と書かれているのですが、言語というのは抽象的な概念を表現するものであり、「~のような」というのはイメージの連絡をかたちづくっていくことを意味するのではないか、といったようなことにそのつど引っかかってしまいます。
著者の日々の生活についてつづられているところは、エッセイとしておもしろく読むことができました。
Posted by ブクログ
2018.9.19
最後の庭の例え話が面白かった。
最近年のせいか何を読んでも残らない。
この本もあとがきを読み終えて「あぁ、おもしろかったなぁ」と思った矢先、「ハテ、この本はどんな内容だったかナ?」と思った次第。
我が頭の庭はすでに荒野と化して、ただ一陣の風がびょうと吹くばかり。