あらすじ
熟考したつもりでも、私たちは思い込みや常識など具体的な事柄に囚われている。問題に直面した際、本当に必要なのは「抽象的思考」なのに――。「疑問を閃きに変えるには」「“知る”という危険」「決めつけない賢さ」「自分自身の育て方」等々、累計1300万部を超える人気作家が「考えるヒント」を大公開。明日をより楽しく、より自由にする「抽象的思考」を養うには? 一生つかえる思考の秘訣が詰まった画期的提言。
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Posted by ブクログ
久々の満点。
だいぶよかった。森博嗣すごいなぁ。
インスタで知って、タイトルがなんか胡散臭いけど森博嗣だから読もうと思って、読んでよかったと心から思った。これは買いです。
何度も繰り返し読みたい。
日記に書き写しておいて、あとで日記を読み返したときにまた触れて我に返りたい。
庭のこと、首が折れるほど頷ける。
自然や植物に対する畏敬の念というか、教えられること、癒やされること、救われるということを年と共に強く感じる。
年をとってよかったと思うことのひとつ。
最後がなんともいいんだよな。
先生に褒められた気分。
ふふふ。
Posted by ブクログ
疑う、考える。決める・決めないことを見極める。ぼんやりしていてもいい。方法にとらわれて目標を見失いがち。決めつけず、柔軟かつ冷静に。
Posted by ブクログ
先般、「意識・無意識」に関する本を読んだ際に、「意識」というのは非常に「思い込み」や「決めつけ」が多く、主観的になってしまいがちな性質があるということを知った。意識が働くと、「ああではないか」「こうではないか」と勝手な想像を巡らしがちだというのである。
多分それと関係するのかもしれないが、著者は「世間一般の人たちの考え方は、極めて主観的であり、大多数は具体的である」と言い、しかも「その考えがスタンダードであると思い込んでいる」ところを非常に憂いている。
「主観的で具体的」というのは、「自分はコレ」という考ええであり、簡単に言えば「決めつけ」である。しかもそれを標準と考えるのだから「狭いものの見方」となり、ときには感情的になりがちだというのである。
そこで、著者は「いろいろな問題についてどう考えていけば良いのか」という命題を立て、その答えとして「客観的で抽象的に考えよ」と提案している。もちろん決めつけているわけではなく、どうでしょうかと読者に問うている。
例えば「原発の問題」「領土問題」などを例に出して、「主観的で具体的」な意見どうしを戦わせていても、議論が進まないのであり、それを「客観的で抽象的」に発想を変えてみれば、議論の幅が拡大していくのではないかというようなことを述べている。この議論の幅(=発想を広げること)の大切さを特に強調していると思う。
事件のニュース報道で「バールのようなもので壊された」というような表現がされるが、これが「バールで」と表現する場合(具体的)と、「バールのようなもので」と表現する場合(抽象的)では、断然後者のほうが発想が広がるのであり、つまりは具体的より抽象的なほうが発想が広がるというこの説明は分かりやすかった。
本書のエキスはおそらくコレである。抽象化のメリットとして、「適用範囲が広がる」とか「類似したものが連想しやすくなる」などをあげていたが、これはすなわち「考えの選択肢が広がる」とか「より適切な解決が得られる可能性が広がる」ということにつながってくる。
現在の情報社会で、我々は一見豊富な情報に恵まれているように感じるが、それらの情報の多くは、主観的で具体的な「決めつけ」情報である場合が多い。マスコミ情報も同様である。
昔の取材は、記者が自ら記事を取りに行っていたが、今はすべての記者が同じ場所に集められて、提供側から出される一方的な情報をメモしているだけで、その報道を受けている我々も「主観的で具体的な決めつけ」を鵜呑みにしているだけ、というような趣旨の話が書かれていたが、これにはハッとさせられた。
社会がそういうスタイルになっているだけでなく、現代人そのものがネット情報を鵜呑みにするというような生活スタイルとなってしまっており、「客観的で抽象的」に考える力が退化しているというような指摘もあったと思う。
著者は、作家以前は、工学系の准教授として研究者の経歴をもっており、その時代の習慣はひたすら「客観的で抽象的」に考えることであったから、自分の中にその習慣が定着しているという。それもそうだろうが、そういう経歴以前に、著者自身がすでに自由度の高い発想の人であったように思える。
著者の話を聞いているだけで(読んでいるだけで)、非常に発想の幅が広がり、生き方の自由度が広がって、人生が楽しくなるように感じられるのは確かである。
著者には、ガーデニングというライフワークがあるようだが、「抽象的思考の場は、まさに自分の庭のようなものだ」と述べている。「それぞれが自分の庭という思考空間を頭の中に既に持っているのである。そこは、基本的に他者に邪魔されることなく、自分が思い描くとおりに整備することできる。」だそうである。
Posted by ブクログ
抽象化という言葉に対して、ぼんやりしていてはっきりしないマイナスなイメージを持っていた私からしたらこの著者の考えは目から鱗でした。
最後の章とあとがきがちょっと蛇足感。
島は自国の中の相手国側の専門家を立てればいいだとか、若者は抽象的であるだとか、前半とても響きました。