浅田次郎のレビュー一覧
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ネタバレ浅田次郎はお約束の「鉄道員」とごく一部の短編集を手に取ったほかはあまりこれまで縁のない作家であったのだが、ほかの多くの人と同様、「終戦後に北方領土に取り残された日本軍がいた」という歴史的背景に興味をひかれて読んでみることになった。
北方領土どころか当時の日本領の最北端、カムチャッカ半島のすぐ南、占守島(しゅむしゅとう)の日本軍は終戦の8月15日以降にソ連軍の猛攻を受け、これを撃退しながら、最期は武装解除されたらしい。この部隊に様々な背景を持った(多くは招集された一般市民が)集まってくる経緯が小説の多くの部分を占める。
大本営が策定する何十万人単位の本土決戦計画が各自治体に下達され、県庁、さらには村役場と降りてくる過程で召集令状の宛先となる個人名が特定されていくシーンは綿密な取材を想像させ非常に読ませる。
また、そうした応召兵だけでなく、満州の精鋭部隊も配置転換されてくる。彼らは行き先を知らされない。(激戦の)南方か北方か、まさかとは思うが本土帰還か。戦車がディーゼル型とガソリン型に分けられ、ガソリン型の隊員が「寒さに強いガソリン部隊は南方はない」とひそかに安どするシーン、港で防寒服を返納する命令がなく兵士たちが喜びにどよめくシーンは胸に迫る。
同時に作者は東京の留守を守る家族も丁寧に記述する。調布から京王線で新宿に通勤する人がいる。新宿の伊勢丹はにぎわっている。が、変電所を爆撃された京王線は新宿手前での折り返し運転となり、伊勢丹の壁には機銃掃射の跡が残る。このあたりの描写は「ついこの間の非日常」を読み手に強く意識させる。
物語終盤では、鉄道員さながらのファンタジーめいた展開が「さあここで泣いてください」とばかりに展開し、そういうのはちょっと、という人もいそうだ。というか私もその一人だったのだが、それでも作者の思い、メッセージは強く訴えかけてくる。浅田次郎は集英社の「戦争×文学」の編纂を担っている。「記録」ではない「記憶」を残そうという意思はこの小説にも強く表れているように思う。 -
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今をときめく浅田次郎が全盛突入前の43〜44歳時に書いたエッセイ集、2年間の自衛隊生活やヤクザな稼業を体験して自称 世にも稀な体育系作家と宣うけど、いやいやどうして喜怒哀楽をストレートに筆にしていて面白い! 学歴も職歴も無いと卑下されるけど子供の頃からの悲願だった小説家になったのは非凡な何よりの証だ♪ さて、上品じゃない箇所もあるがふんだんにまぶしたユーモラスな表現に大笑しながらも時に振るわれる真剣に刮目させられる。タイトルにすぐさま歌が口ずさめる世代も さっぱりピンと来ない世代もあまねく読める秀逸なエッセイ集、続編が続いた理由もよく分かります。
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1970年頃の自衛隊を舞台にした短編集。戦争の記憶を引きずる川原准尉の話(若鷲の歌)内務が悪い小村二士が半長靴を失くして戸惑う話(小村二等兵の憂鬱)和田士長と渡辺一士の諍いの話(バトル・ライン)青年援護会の借金に喘ぐ赤間一士の話(門前金融)これから自衛隊に入営する米山の話(入営)佐々木二士と今野二士の初外出の話(シンデレラ・リバティー)自衛隊の連帯に怯え、脱柵を計る高津二士とバディの佐藤二士の顛末を描いた(脱柵者)元旦の不審番となった赤間一士の話(越年歩哨)満期除隊をする二士と坂崎一曹の話(歩兵の本領)。全編に自衛隊の組織の中の人間として絆が強く描かれている。
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シリーズ名こそついているけれど、これは厳密には〈勇気凛凛ルリの色〉ではない。
週刊誌に連載していたシリーズとは違って、初出誌は様々、講演記録もある。
週刊誌連載の時に比べて、父母や祖父母の思い出が多いかもしれない。
それから、小説家になることへの情熱。
結構破天荒な人生を送ってきた著者が、こと小説を書くことについては実にストイックなのである。
中学生のころに小説家になると決めて以来ずっと。
大作家と呼ばれるようになった現在も、書くことへの情熱は衰えない。
うらやましいなあ。
書く才能に恵まれたこともうらやましいけれど、書き続けられる情熱もうらやましい。
そんな作家が書いた作品を喜んで読み続ける情熱だけは、私にも与えられているようだ。 -
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破綻した山一証券の社長から社員まで、社会に対する責任よりも自分のことしか考えられない大人の無責任な姿や、選良の負うべき責任を自覚しないバカな野村證券社長や、新井将敬の自殺問題など、結構大きな社会問題に言及することが多かった今作。
実は、これでいったん休載したのだそうだ。
「無名作家のサクセス・ストーリー」
4巻通して読めば、そういうことになる。
4巻通して読めば、すべての読者にとっても凛凛たる勇気の源になるかもしれない。
そういうエッセイだったのだ。
そんなエッセイの中で一つだけ。
「オートメーションについて」
”思えば昭和三十年代には、ベルトコンベアーの上で生産工程が組まれ、製品がいっさい人間の手をわずらわせずにできあがることは、まさに瞠目すべき文明だったのである。(中略)ああおそらく私が大人になるころには、会社にも行かず仕事もせず、毎日を寝て暮らせるのだろうなどと考えたものであった。”
なんだか今のAIみたいだな。
便利になって、楽になるはずだったのに、ワーキングプアやブラック企業があふれることになってしまった。
AIも、IoTも、よい未来を次世代に残せるような方向に発展してほしいと思うのだけど。 -
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アメリカの若者が日本を探索するという共通点から清水義範さんの「スシとニンジャ」を思い出しながら読んでいた。両作品は20年以上の隔たりがあるものの,時代背景を除けば異文化に触れる面白さに変わりは無い。とても面白く,そして浅田さんらしく涙を誘う素敵な作品でした。
あらすじ(背表紙より)
日本びいきの恋人ジェニファーから、結婚を承諾する条件として日本への一人旅を命じられたアメリカ人青年ラリー。ニューヨーク育ちの彼は、退役海軍少将の祖父に厳しく育てられた。太平洋戦争を闘った祖父の口癖は「日本人は油断のならない奴ら」。日本に着いたとたん、成田空港で温水洗浄便座の洗礼を受ける。京都では神秘の宿に感銘し、日本女性のふたつの顔を知る…。異国の地で独特の行動様式に戸惑いながら列島を旅するラリー。やがて思いもよらぬ自分の秘密を知ることに…。圧倒的読み応えと感動。浅田文学の新たな到達地点! -
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『中原の虹』のその後、張作霖爆殺事件の謎を描く。
この事件、事件名くらいしか知らない己の情けなさ。
でも、ここまで読むまでは、張作霖について、あえて調べずに読むことにした。
昭和天皇の密命を帯びた陸軍中尉、志津が描いた報告書と、なんと、西太后の御料車(!)のモノローグで構成された物語。
中原に出た張作霖が、国民革命軍との戦いに敗れ、奉天に帰る。
その際、かつて西太后を乗せた英国製の御料車に乗って。
例の岡圭之介や、吉永将も登場する。
吉永は張作霖の乗った列車に同乗おり、途中で関東軍のたくらみに気づく。
吉永は張と運命を共にすることを選び、大怪我を負いながらも命を取り留める。
こうした経験から、本作で登場する吉永は心を病み、『中原の虹』の時とは別人のようになってしまっているのが痛々しい。
この人は実在の人物なのだろうか?
いずれにせよ、この時期、日本にも、中国にも、国家のエゴに翻弄されて、目の前にいる、関係を築いた隣国人との間で板挟みになって苦しんだ人はいたに違いない。
西太后の奉天行きの様子は、きっと記録にあることなのだろうと思うが、お付きの人々が座ることもできずに付き従ったという話は、さもありなん、と思った。
最後の、紫禁城を訪れる場面で、春児とあのシャーマンの老女が登場する。
春児は…出てこなくてもよかったかな?
ドラマチックに盛り上がるけれど、なにか話が作り物臭くなってしまう気がする。