吉川英治のレビュー一覧
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ネタバレ永遠の№2と呼ばれる黒田如水が主人公の物語。登場人物一人一人の心情が細かく描かれており、楽しく読めた。秀吉の如水への信頼感や、人間味あふれる信長の行動と後悔がとっても楽しかった。ただ、如水が秀吉と出逢う所から荒木村重に幽閉され、解放されるまでしか描かれていないのがとっても残念だった。もっと吉川先生の文章で読みたかった。本能寺の変や中国大返しなど面白そうな話題がいっぱいあるのに。
「三人寄れば文殊の智というが、それは少なくとも一と一とが寄った場合のことで、零と零との会合は百人集まっても零に過ぎない。時代の行くての見えない眼ばかりがたとえ千人寄ってみたところで次の時代を見とおすことは出来ないが、評議となって列座すれば、誰ひとりとして、(それがしは、めくらである)と、いう顔はしていない。そのくせ信念もなければ格別の達見も持ってはいないので、ただ自己をつくろうに詭弁と口舌の才を以てすることになる。従って、評議は物々しくばかりなって、徒らに縺れ、徒らに横道に入り、またいたずらに末梢的にのみ走って、結局、何回評議をかさねても、衆から一の真も生まれず、そしていつまでも埒はあかないという所に陥ちてしまうのだった。」(8ページ)
この文章は、今の日本の政治家・議会に向けて描かれたものではないか、と思ってしまうぐらい政治における真実を描き出している一節だと思った。国づくりにおいても、戦国時代における身の処遇においても、未来を見据え、決断し、それを実行する事が大切なのであろう。 -
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ネタバレ吉川英治による上杉謙信と武田信玄の川中島の4度目の合戦を中心に展開する物語。
書籍のタイトルは上杉謙信だが、終生のライバルである武田信玄についても描かれており、その対比が面白い。この第4次川中島合戦だけでこのボリュームであるので、生まれてから死ぬまでを描いたとするとかなり長大な作品になったに違いない。
川中島後のいわゆる「敵に塩を送る」故事も描かれているなど、川中島それだけにはとどまらず、上杉謙信という人となりを立体的に描こうとしている。ただやはり生まれや幼少の頃の景虎、第4次川中島までの謙信が描かれていれば、もっと魅力的な人物として読者に訴えかけるものがあったのではないかと悔やまれる。 -
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ネタバレ吉川英治による平将門の一代記。
吉川英治のこと、将門記など古来からの文献を詳細にあたった上で執筆されたであろう事は想像に難くないが、これまで抱いていた平将門像とはずいぶんとかけ離れ、実にいい人且つすべからく物事に乗り気しないまま流されている印象を受ける。藤原純友と盟友となり、東西に分かれて乱を起こした大罪人で、その怨霊というか生き霊というか、その怨念の強さが故に守り神として祀られている人とは思えない。
しかしながら、それらが理由もなく描かれているわけではなく、将門記などに記されている故事を元に組み立てられているところが説得力を持たせる。
いずれにしても、乱を起こしたくて起こしたわけではなく、幼き頃より虐げられていた親類を敵に回して、将門からすれば正義を行っただけであるのに、大罪人として追われ、ついにはあっけなくしんでしまう将門の生き様は、時代に翻弄されたという側面もあると思うが、やはり切なく、やりきれない思いがする。むしろ、やりたい放題をして思い残すことなく討たれる方が、読者としてはスッキリするのだろうが。 -
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「『武蔵様も凡質とは思われませんが』
『いや決して、天稟の才質ではありますまい。その才分を自ら恃んでいる風がない。あの人は、自分の凡質を知っているから、絶えまなく、研こうとしている。人に見えない苦しみをしている。それが、何かの時、しょう然と光って出ると、人はすぐ天稟の才能だという。――勉めない人が自ららん惰をなぐさめてそういうのですよ』」
一人の人間のすさまじいまでの人間としての成長、道を求める苦難。それを続け抜いた生き方に感動します。三国志同様、一気に読んでしまいました。
しかも、話としても非常に面白く、最後に向かいすべての人間が収束していきます。見事でした。本って面白いなぁと改めて思います。 -
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「『将軍家の御指南役って、偉いんだろうね』
『うむ』
『おらも大きくなったら、柳生様のようになろう』
『そんな小さい望みを持つんじゃない』
『え。…なぜ?』
『富士山をごらん』
『富士山にゃなれないよ』
『あれになろう、これに成ろうと焦心るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ。世間へ媚びずに、世間から仰がれるようになれば、自然と自分の値うちは世の人がきめてくれる』」
「『人と人とが円満に住んでゆければ地上は極楽だが、人間は生れながら神の性と、悪魔の性と、誰でも二つもっている。それが、ひとつ間違うと、この世を地獄にもする。』」 -
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「志賀寺の上人でさえ、同じ血をもっていた。法然の弟子親鸞も、同じ煩みを持っていた。古来、事を成す人間ほど、生きる力の強い人間ほど、同時に、この生まれながら負って来る苦しみも強く大きい。」
「『ああ、富士山か』
武蔵は少年のように驚異の声を放った。絵に見ていた富士、胸に描いていた富士を、眼のあたりに見たのは、今が生れて初めてなのだった。
しかも寝起きの唐突に、それを自分と同じ高さに見出して、対い合ったのであるから、彼はしばらくわれを忘れ、ただ、
『――ああ』
というため息を胸の中に曳いて、瞬ぎもせず眺め入っていた。
何を感じたのであろうか、そのうちに武蔵の面には涙の玉が転びはしっている。拭こうともしないで、その顔は朝の陽に灼かれて涙のすじまで紅く光って見えた。
――人間の小ささ!
武蔵は衝たれたのである。。広大な宇宙の下にある小なる自己が悲しくなったのであった。
(中略)
畢竟、人間は人間の限度にしか生きられない。自然の悠久は真似ようとて真似られない。自己より偉大なるものが厳然と自己の上にある。それ以下のものが人間なのだ。武蔵は、富士と対等に立っていることが恐くなった。
(中略)
――ばか、なぜ人間が小さい。
と、いう声がした。
――人間の眼に映って初めて自然は偉大なのである。人間の心に通じ得て初めて神の存在はあるのだ。だから、人間こそは、最も巨きな顕現と行動をする。――しかも生きたる霊物ではないか。
――おまえという人間と、神、また宇宙というものとは、決して遠くない。お前のさしている三尺の刀を通してすら届きうるほど近くにあるのだ。いや、そんな差別のあるうちはまだだめで、達人、名人の域にも遠い者といわなければなるまい。」
「――剣術。
それではいけないのだ。
――剣道。
飽くまで剣は、道でなければならない。謙信や政宗が唱えた士道には、多分に、軍律的なものがある。自分は、それを、人間的な内容に、深く、高く、突き極めてゆこう。小なる一個の人間というものがどうすれば、その声明を託す自然と融合調和して、天地の宇宙大と共に呼吸し、安心と立命の境地へ達し得るか、得ないか。行ける所まで行ってみよう。その完成を志して行こう。剣を『道』とよぶところまで、この一身に、徹してみることだ。」 -
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「そこで吉野が説明していうには、この扇屋の囲いの中にある牡丹畑は、扇屋の建つよりもずっと以前からあるもので、百年以上も経った牡丹の古株がたくさんある。その古株から新しい花を咲かせるには、毎年、冬にかかるころ、虫のついた古株をきって、新芽の育つように剪定してやる。――薪はその時に出来るのであるが、もちろん、雑木のように沢山は出来ない。
これを短く切って炉にくべてみると、炎はやわらかいし眼には美しいし、また、瞼にしみる煙もなく、薫々とよい香りさえする。さすがに花の王者といわれるだけあって、枯れ木となって薪にされても、ただの雑木とは、この通り違うところを見ると、質の真価というものは、植物でも人間でも争えないもので、生きている間の花は咲かせても、死してから後まで、この牡丹の薪ぐらいな真価を持っている人間がどれほどありましょうか?」
「何千年何万年という悠久な日月の流れの中に人間一生の七十年や八十年は、まるで一瞬でしかない。たとえ二十歳を出ずに死んでも、人類の上に悠久な光を持った生命こそ、ほんとの長命というものであろう。またほんとに生命を愛したものというべきである。
人間のすべての事業は、、創業の時が大事で難しいとされているが、生命だけは、終る時、捨てる時が最もむずかしい。――それによって、その全生涯が定まるし、また、泡沫になるか、永久の光芒になるか、生命の長短も決まるからである。」 -
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「よく強がった侍が、念仏のようにいう、必死とか、覚悟などという言葉も、武蔵の考えからすると、取るに足らないたわ言のように思える。
およそ人なみの侍が、こういう場合に立ち至った時、必死になることなどは、当然な動物性である。覚悟のほうは、やや高等な心がまえであるが、それとても、死ぬ覚悟ならば、そう難しいことではない。どうしても死なねばならぬ事態に迎えられてする死ぬ覚悟だとすれば、なおさら、誰でもすることである。
彼がなやむのは、必死の覚悟がもてないことではなく、勝つことなのだ。絶対に勝つ信条をつかむことである。」
「人生の道はいつも、一歩が機微である。また、なにかの場合に、ふだんの常識さえあれば、分りきっていることを、ふと、心へ間違いを映しとってしまうためにその一歩が、十年のまちがいになったりする。」
「達人が剣をとって立った姿というものは、さながらこの世の人間とも思われない。その荘厳なものを今、茶をたてている七十の老母のすがたにも彼は見た。
(道――芸の神髄――何事も達すると同じものとみえる)」