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Posted by ブクログ
1170年ごろ。清和源氏の八幡太郎義家の孫娘の”吉光女”が母とされており,源義経は親鸞のまた従兄弟にあたる。9歳の時,慈円(後の天台座主)のもと得度し,範宴(はんねん)と改名。
叡山の天台宗門徒の形にとらわれた仏教を民衆のための仏教にしようと一生を費やす。従来の聖道自力(自力本願)の僧は,やたらに自分にも行いがたい禁欲を強いられており,いたずらに物絶ちをもって清浄とし,形式にばかり囚われて実はかえって裏には大きな矛盾を抱えており,夜中には叡山から洛中に下りて,酒や女と遊ぶようになる。浄土門の易行道(他力本願)では,そういうエセ聖の真似を最も嫌う。ありのままの姿を清浄とするのである。肉もよいし酒もよい。女人が男性を,男性が女人を持つ。これも自然の人間の姿のままを尊ぶ。おのずからそこには男女の道というものがある。道を外さぬほどならば,それでよい。職業も他の生活もそのありのままで立派に往生できる。難しい事ではない。そのためにはただ念仏を唱えれば良い。実社会というものを尊重し,人間の生活を本義にしているのだ。
残水の小魚,食をむさぼって,時に渇くを知らず。
糞中の穢虫(えちゅう),居を争って,外の清きを知らず。
こう言って,実社会での富や名声に嬉々としている人々を悲しむべき人とした。
ありのままに生き,それを尊いとするため,南無阿弥陀仏の御名号を唱えるべきと親鸞はすすめた。
全3巻
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