吉川英治のレビュー一覧
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これも高校時代に挫折した本です。いろいろ挫折してます;
1巻目はまだ物語的な感じが強いです。
「人間の差は、年にはよらないものである。質でありまた質の研きによる。平常の修養鍛錬がものをいうことになると、王者と貧者とでも、この違いはどうにもならない。」
「『たとえば、おぬしの勇気もそうだ、今日までの振舞は、無智から来ている生命知らずの蛮勇だ、人間の勇気ではない、武士の強さとはそんなものじゃないのだ。怖いものの怖さをよく知っているのが人間の勇気であり、生命は、惜しみいたわって珠とも抱き、そして、真の死所を得ることが、真の人間というものじゃ。…惜しいと、わしがいうたのはそのことだ。おぬしには生れながらの腕力と剛気はあるが、学問がない、武道の悪いところだけを学んで、智徳を磨こうとしなかった。文武二道というが、二道とはふた道と読むのではない。二つを備えて、一つの道だよ。――わかるか、武蔵』」 -
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面白い!!!
「関羽は杯を下において、
『むかし漢の高祖は、項羽と天下を争って、戦うごとに負けていましたが、九里山の一戦に勝って、遂に四百年の基礎をすえました。不肖、われわれも皇叔と兄弟の義をむすび、君臣の契をかため、すでに二十年、浮沈興亡、極まりのない難路を越えてきましたが、決してまだ大志は挫折しておりません。他日、天下に理想を展べる日もあらんことを想えば、百難何かあらんです。お気弱いことを仰せられますな』と切に励ました。
『勝敗は兵家のつね。人の成敗みな時ありです。…時来れば自ら開き、時を得なければいかにもがいてもだめです。長い人生に処するには、得意な時にも得意に驕らず、絶望の淵にのぞんでも滅失に堕ちいらず、――そこに動ぜず溺れず、出処進退、悠々たることが、難しいのではございますまいか』
関羽は、しきりと言葉をつづけた。ひとり玄徳の落胆を励ますばかりでなく、敗滅の底にある将士に対して、ここが大事と思うからであった。
彼はふと、乾き上がっている河洲の砂上を見まわして、
『――ごらんなさい』と、指さして云った。『そこらの汀に、泥にくるまれた蓑虫のようなものが無数に見えましょう。虫でも藻草でもありません。泥魚という魚です。この魚は天然によく処世を心得ていて、旱天がつづき、河水が乾あがると、あのように頭から尾まで、すべて身を泥にくるんで、幾日でも転がったままでいる。餌をあさる鳥にもついばまれず、水の干た河床でもがき廻ることもありません。――そして、自然に身の近くに、やがて浸々と、水が誘いにくれば、たちまち泥の皮をはいで、ちろちろと泳ぎだすのです。ひとたび泳ぎだすときは、彼らの世界には俄然満々たる大江あり、雨水ありで、自由自在を極め、もはや窮することを知りません。…実におもしろい魚ではありませんか。泥魚と人生。――人間にも幾たびか泥魚の隠忍にならうべき時期があると思うのでございまする』
関羽の話に人々は現実の敗戦を見直した。そこに人生の妙通を悟った。」 -
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面白かった!!義朝の敗北も紙一重なんだけど、長い目で見れば必然に思えてきて、頼朝を生かすことが平家の滅亡の因になっているという点も、非常に「妙」と思った。
作中著者が民衆のことを、「生命」と表現していた。「人間」でもなく「人」でもなく「生命」と。その表記を読めただけでも僕は「三巻を読んでよかった~」と思えた。だって善いも悪いもそれをやるのは「人」なんだけど、誰もが両面を持っていると思うから。時や環境でどっちの面が強くなるかだから、やっぱり「全部含めて生命なんだろな」って思えた。
清盛が義朝に勝っても義朝をリスペクトしている。それも作者の「生命観」があるからかなって。だからこういう視点で書いてくれる作家さんは好き。僕が吉川英治さんを好む理由です。 -
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『三国志』や『宮本武蔵』などの国民的大衆小説でお馴染の吉川英治氏の自叙伝。
学生時代に『三国志』と『新平家物語』を半年がかりで読んだ。思えば自分が本好きになったのはこの頃からで、その後、『私本太平記』を読み、『平将門』『源頼朝』『上杉謙信』と読んだ。意識していなくても、おそらく自分は吉川英治氏の史観の影響を受けている。そんなこともあり、手にとってみた。
この本を読むまでは、とても厳格で、間違ったことが大嫌いな人格者、ちょっと堅物、というイメージが自分のなかにあったが、実際はそんなことはなく、間違いもすれば、悩み、落ち込みもする、いたって普通の人だった。
子供のころは父の事業が好調で、おぼっちゃまのように育ち、嫌味なこともするし、高飛車なところもあった。女中を蔑み手をあげたとき、「おぼっちゃまもいつかしっぺ返しをくらいますよ」と言われた。その言葉通り、父が事業に失敗してからは、一転貧乏のどん底に落ち、弱気になったり、卑屈になったり、で大変な苦労をしたようだ。丁稚奉公に出された妹が死んで深い悲しみも味わっている。作家になるような素養なんか微塵も感じない。
父親の独善に生涯母親は耐え忍んだようだ。今なら即離婚でも明治では無理な話で、かわいそうになってくる。でも父が悪いのかというと、この当時の男は、たぶんみんなこんななんだろうとも思う。日本全体が貧乏だった時代だから、過酷な競争社会で、人を蹴落としてでも勝ちにいった。プライドを失った男の悲哀が父親の人生には以後ずっとつきまとう。 母親は「お前たちがいなかったらと考えることが何度もあった」と言う。自殺を何度も考えるほど追い込まれたのに、それでも耐えて、子どもたちを育てた母の愛情は深い。
氏は青年時代、横浜のドックヤードで働いていたときに、高所から落ちて大けがを負う。それも同僚の不手際が原因なのに、生死の境から帰還したときも、その同僚は笑ってごまかし責任は感じていなかった。命の軽い時代だ。
明治に生きた家族の物語として十分に楽しめると思う。生きることが当たり前ではなく、必死にならないと生きることができなった時代だったのだと思う。
氏は『上杉謙信』の中で、「死中生あり、生中生なし」という言葉を謙信に語らせている。謙信の言葉ではあるけれども、氏が自らの人生の中で得た言葉のようにも思う。
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ようやく壇ノ浦の戦いが終了し、源平合戦にピリオドが打たれた。と同時に、平家物語という題名にも関わらず、主役は平家一族から源義経にシフト。しかし、それは連戦連勝の大勝利を得た偉大な総大将というよりは、常に鎌倉の兄:頼朝の目を気にして萎縮する悲哀に満ちた男の姿である。最も気の毒に感じたセンテンスが、
「愚かな弟を平家追討の道具に用いられ、既に平家も亡んだ故、道具は無用というお考えか」
と言う義経の頼朝に対する声無き声。義経の悲哀が本巻を含む残り3巻のメインストーリーラインとなるのだろう。
そう言えば気付いたことがある。本作品の第1巻から本巻まで通して登場する唯一の人物の存在に。清盛の妻の弟、平時忠である。若い頃は聞かん坊のやんちゃキャラだったが、年を増すにつれて、平家一族を冷静に見つめる顧問のような役割を担っていく。かの檀ノ浦の戦いにおいても、義経と内応し、三種の神器返還や和平交渉に努めてきた。更に、その娘:夕花が義経に嫁ぐという展開も見せる。結局、平家物語における平家はまだ根絶やしになっていないということか。
残り2巻、どこまでの時代をどう描くのか分からないだけに、興味津々である。 -
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本巻はまさに義経の逃避行を描いた書。宇治川、一の谷、屋島、壇ノ浦と連戦連勝してきた源氏の大将が、今や肉親の頼朝に追われる身。不運に不運が重なり、従者も弁慶や伊勢三郎など数人。愛妾の静とも今生の別れを果たす…。これでもかというくらい、悲哀を描いている。私個人的には戦記よりも人間模様の方が好みなので読みやすかったが。
本巻では、久しぶりに西行が登場。彼も平時忠と同じく、第一巻から登場しているキャラクター。鎌倉の御家人、安達新三郎が義経と静の子供を沈めるよう命じられたものの、そのフリだけをして静ともども逃がしたというアングルにおいて、それを見た僧ということで登場していた。おそらく、これが最後の登場となるのだろう。出家する前は佐藤義清として清盛の若き頃の学友という設定だったのだが、今や69歳。いやはや、長い長い期間を描いた物語である。
さて、いよいよ次は最終巻。最後、どんな終わり方をするのだろうか。弁慶と蓬の弟姉の再会はあるのか…?気になるから、すぐ読もう。