感情タグBEST3
Posted by ブクログ 2021年05月01日
あっという間に3巻を読み終えた。
武蔵は剣だけでなく、生活の中に潜む自身の弱さに負けることも許さない。自分自身を磨き高めようとする姿は、どこまでも愚直で一途でブレることはない。
「踏み敷く草も木も氷も、武蔵の足にかかるもの、敵でない物はない。勝つか負けるか!一歩一歩が勝敗への呼吸であった。神泉の中で...続きを読む氷化した五体の血が、今は熱泉のように毛穴から湯気を立てていた」
吉岡清十郎と1対1の真剣勝負では、誰も助太刀のいない場所で戦うことになる。武士として真剣に向かい合う臨場感が見事に描かれ、生死をかけて戦う緊張感がひしひしと伝わってくる。
また、書家であり陶芸家であり茶人でもある、本阿弥光悦との出会いが描かれる。優れた芸術に出会い、武蔵の芸術的な感性は刺激される。
自身を表現する手段があるということは素敵なことだなと思う。
Posted by ブクログ 2019年01月04日
脇役に光が当てられている三巻。
武蔵とすれ違い、人生を翻弄されている、お通、朱美、お杉婆の三人。
武蔵は、ひたすらに剣の道を究めんとする。
そのストイックな姿勢が万人の支持を得ているのではないだろうか。
中弛みなんか無い。
ひたすら全力で吉川英治の筆が冴え渡る。
Posted by ブクログ 2013年06月26日
「よく強がった侍が、念仏のようにいう、必死とか、覚悟などという言葉も、武蔵の考えからすると、取るに足らないたわ言のように思える。
およそ人なみの侍が、こういう場合に立ち至った時、必死になることなどは、当然な動物性である。覚悟のほうは、やや高等な心がまえであるが、それとても、死ぬ覚悟ならば、そう難し...続きを読むいことではない。どうしても死なねばならぬ事態に迎えられてする死ぬ覚悟だとすれば、なおさら、誰でもすることである。
彼がなやむのは、必死の覚悟がもてないことではなく、勝つことなのだ。絶対に勝つ信条をつかむことである。」
「人生の道はいつも、一歩が機微である。また、なにかの場合に、ふだんの常識さえあれば、分りきっていることを、ふと、心へ間違いを映しとってしまうためにその一歩が、十年のまちがいになったりする。」
「達人が剣をとって立った姿というものは、さながらこの世の人間とも思われない。その荘厳なものを今、茶をたてている七十の老母のすがたにも彼は見た。
(道――芸の神髄――何事も達すると同じものとみえる)」
Posted by ブクログ 2012年08月05日
オカンと関ヶ原の戦友ムードで懐柔して夜襲ってw、対宍戸梅軒戦から吉岡道場撃破を経て、偽小次郎、モノホンに諭されるの巻まで。もう求道にあらば何でもありかと。
でも、本当に生きていくためにはかなぐり捨てなきゃ見えないコトがある。それだけ見つめて権威にも序列にも中指を立てる武蔵が凛として清々しいのは、日本...続きを読む人男子のカタルシス。
Posted by ブクログ 2010年10月21日
お通・城太郎の旅路
朱美の受難
小次郎の登場と又八との出会い
清十郎と武蔵の立ち合い、そして伝七郎の登場
が描かれています。
武蔵の剣も精神も更なる研鑽を見せています。
光悦との出会いにより、今後どうなっていくのか楽しみです。
武蔵を追うお通と朱美の運命が悲惨すぎます・・・。
朱美は清十...続きを読む郎に犯され、後に小次郎の狂った愛を受けることになるし(ここでは小次郎はかなりの危険人物として描かれています)、お通はお杉婆に苦しめられることになります。
彼女らの旅もどうなっていくのでしょう。
この巻では人間模様が多分に描かれていると感じました。武蔵を中心に動いていく奇妙な人間の縁、どうなっていくのか楽しみです。
Posted by ブクログ 2017年09月11日
「『われ事において後悔せず』何事にも自分の為したことは、後悔をしないというような高い境地へまで到達するには、まだまだこの身を、この心を不断に鍛え抜かなければ及ばない。」
第3巻の武蔵の心情を表すもの。この後も武蔵の心情から成長を追っていきたい。
Posted by ブクログ 2013年11月02日
吉岡清十郎、本来なら才人・賢人なんだろうがあまりに偉大な先人とその遺産に潰されてしまった典型例として描かれている。
しかし一方で再起し生きようとする生命力の象徴としても扱われる。
この作品にファンが多いのは武蔵の求道的態度が一番なんだろうけど、脇役もそれぞれに深い味わいがあるからではないだろうか?
...続きを読むやっぱり日本の国民文学の一冊と評価されることに疑問の余地はないという感じでしょうかな。
Posted by ブクログ 2012年05月20日
吉岡清十郎との対決。武蔵にとっては相手にならなかった。
敗れた瀕死の兄清十郎は、戻ってきた弟伝七郎に対して、武蔵と対決するなと命じた。
賢者は悟る、「負けるが勝ち」だと。自分が太刀打ちできない相手と悟ったときは、このようにふるまうのも兵法ではないか。武蔵はすでに石周斎の草庵に貼ってあった漢詩をみて、...続きを読む自分が相手には及ばないとすぐに悟った。
Posted by ブクログ 2012年04月11日
3巻に入っておもしろさアップ。2巻までで引いた伏線がつながり始めた。
それと同時にそれぞれの感情がより濃く表現され始めて、おもしろくなってきた。
展開がドラマチック過ぎるのにもようやく慣れてきた。
武蔵と小次郎は、ニアミスはしたがコンタクトはまだ。次巻か。
Posted by ブクログ 2010年01月01日
~~出版社/著者からの内容紹介~~
吉岡清十郎と雌雄を決す!武蔵の年来の宿望は、ここに実現の運びとなった。時、慶長10年正月9日。場所は京都・蓮台寺野。もし武蔵が勝てば、その名声は京畿を圧するだろう。――武蔵は思いのままに戦い、勝利をおさめたが、彼の得たものは、心の虚しさでしかなかった。一方、蜂の巣...続きを読むを突いたような吉岡一門から、一門きっての暴れん坊、吉岡伝七郎が鎌首をもたげてきた。
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Posted by ブクログ 2022年01月28日
武蔵は、鎖鎌の使い手として知られる宍戸梅軒のもとを訪ねます。梅軒は、かつて武蔵によって殺された辻風典馬の弟であり、手下をつかって武蔵を葬り去ろうと画策します。
その後、一年の時を経て武蔵と吉岡清十郎の決闘がおこなわれます。決闘目前になって、武蔵は彼を慕う朱実に出会い、彼女の心のうちを明かします。し...続きを読むかし、二人の面会を城太郎とお通が知り、お通は武蔵への思慕に心を乱されます。さらにお杉まで登場し、お通は彼女に身柄を預け、又八と再会することになります。
他方、清十郎は朱実に強引にせまりますが、彼女の心は彼の思いのままになりません。そんな清十郎の心の弱さを見て取った佐々木小次郎は、武蔵との決闘で彼が敗れることを予期します。
清十郎との決闘は一瞬でかたがつき、そのくわしい描写は吉岡の門人の目撃談としてえがかれるだけとなっています。ストーリー展開上、こうした描写が効果的なのは理解しているのですが、そのぶんやたらにぎやかなお杉や又八の印象が強くなってしまっているのはどういうものかという気もします。
Posted by ブクログ 2020年10月08日
吉岡清十郎との戦いや佐々木小次郎との邂逅など面白い章もあるので一気に読めるが、お杉の武蔵&お通に対する怨念やお通の引っ込み思案にいい加減ウンザリしてくる。
様々な人々があまりにも偶然(以上に)袖振り合うのは面白いが、同じ町に住んでてすら滅多に会わないのに、諸国遍歴をしている者同士がこうしょっちゅう...続きを読む会うのも、物語の腰を折る。
もっと武蔵中心になればいいのだが。
Posted by ブクログ 2018年07月06日
映画化・ドラマ化・漫画化など、様々なかたちで紹介されてきた大人気歴史小説の第三巻。ここでは武蔵を追いかけている二人の女に焦点を絞ったエピソードが多く、やや中だるみしたような印象を受けた。
Posted by ブクログ 2017年02月07日
メインは剣豪宮本武蔵の武者修行の話だが、戦いだけではなく茶人本阿弥光悦親子の出会いなど、後の宮本武蔵の人格形成に不可欠な出会いの描写もあり、このシリーズが「人間宮本武蔵」をクローズアップしている物だなと感じることができました。逆に「剣と剣の戦い」という描写があまりに少ないのでその辺に期待すると面白く...続きを読むないかもしれないと3冊読んで思いました。お通さんは中々武蔵に会えず可哀想な気もしますがいつか出会えるのかな。その辺も含めてどんどん読んでいきたいと思います。
Posted by ブクログ 2016年08月14日
積ん読チャレンジ(〜'17/06/11) 14/56
’16/08/12 了
武蔵と城太郎・お通さん組との擦れ違いにヤキモキする巻。
武蔵とお通さんの男女の関係に、関ヶ原の合戦の直後から武蔵に思いを寄せていた朱美も絡んでくるから大変。
本阿弥光悦との出会いを通じて武蔵に芸術を解する素養...続きを読むがあることがあることが強く示されていて、これは絵を描いたり仏様を彫ったりといった後の彼の行動に繋がっていくことに気付く。
好敵手たる佐々木小次郎はとことんまで嫌な奴として描かれているし、その小次郎の名を騙って実力に伴わない大威張りをこいていたのが露見した又八の情けなさもここに極まれりといった具合。
また、吉岡拳法が二代目当主・清十郎を討ったことで吉岡一門と宮本武蔵の対立が決定的なものとなったのもこの巻の見所。
人恋しさから京都に親類を訪ねはしたものの、お杉婆の執拗な追跡のためにその親類から疎まれ、食卓を共に囲う間もないまま遁走する様と、直後に河原で餅を焼いて食う描写は読むものの涙を誘う。
巻が進むたびにお杉婆を嫌いになっていくが、こんな風に憎まれ役を鮮やかに描くことの出来るのも、吉川英治の文才のなせる業だなぁと思う。
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気に入った表現、気になった単語
「だが、五十鈴川の流れを越え、内宮へ、一歩入ると、何か人心地がまるで変っていた。草を見ても樹を見ても、ここには神のけはいを感じるのであった。--何ごとの在しますかはしらねども--鳥の羽音までが人の世のものではなかった。」(P9)
「すでに名古屋から吉岡方へ、決戦状は出してあるが、その後で、武蔵は、
(はら(月土)はできているか、きっと勝ちきることができるか)
と、自分で自分に向かって糺(ただ)してみると.遺憾ながら、心の隅に一脈の脆い層を認めないわけにはいかなかった。」(P14)
「恋は相思を求めていながら、恋をする者はまた、ひどく孤独を愛したがる。」(P112)
「思慕というものを、糸にたとえれば、恋はだんだんそれを胸のうちで巻いてゆく鞠のようなものだ。何年も会わないでいても、独りで思慕の糸をつくり、遠い思い出も、近い人づての消息も、みな糸にして、鞠を巻いて大きくしてゆく。」(P122)
「人間の情慾は、墓場に入ってしまうまでは、形を変えても人体のどこかに、燐のように元素的な潜在を持っていることを、丹左のふく尺八は、虚空へ自白していた。」(P155)
「なにか、やるそばから、人間はすぐ悔いる者らしい。生涯の妻を持つことにおいてさえ、男の大多数は悔いて及ばない悔いを皆ひきずっている。
女が悔いるのはまだ恕(ゆる)せる、ところが、女の愚痴はあまり聞えないが、男の愚痴がしばしば聞える。勇壮活潑なことばをもって、うちの女房を穿き捨て下駄のようにいうのである。泣いていうよりも悲壮で醜い。」(P174)
「(--理想のない漂泊者、感謝のない孤独、それは乞食の生涯だ。西行法師と乞食とのちがいは、心にそれがあるかないかの違いでしかない)」(P179)
【屠蘇】
一年間の邪気を払い長寿を願って正月に呑む縁起物の酒・風習
【こぐらかる】
1 糸などがからまって解けなくなる。もつれる。こんがらかる。
2 物事が複雑に入り組む。紛糾する。こんがらかる。
【歯の根が合わない】
恐ろしさや寒さのためにひどく震える
Posted by ブクログ 2015年04月07日
出会ってはいけない二人が出会う第三巻。
宍戸梅軒との意外な繋がりが判明するも、
経験を通して成長した武蔵は、
戦わずに逃げることを選び、
本阿弥光悦と出会い、惹かれるも、
自分とは住む世界が違うと思い、
彼の元を去っていく。
そして様々な苦難を乗り越え、
吉岡清十郎との果たし合いを
木剣一つであ...続きを読むっさりと済ませる。
一方、又八と小次郎、お通と朱美。
武蔵の周囲の出会ってはいけない二人が
ついに出会ってしまう。
あとがきで聖書との類似性が指摘されていたが、
どの辺が似ているというのだろうか。
私が思うに、宮本武蔵を読む人も
聖書を読む人も物語の結末は知っているが、
愛を貫くキリストと強さを求める武蔵が、
色々な人々や苦難と出会い経験することを通じて、
読者が様々なことを学んでいくということに
類似性があると思うのだが、どうだろうか。