太宰治のレビュー一覧
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ネタバレ前半は母とかず子の日常が中心で、あぁ可愛そう。ああ健気だなんて思いながら読んでいた。
しかし、好きなのは弟の直治の日記と手紙、どう狂乱しても貴族であったこと。死ぬことへの権利は母の前では見送らなければならないこと。なんだかとてももどかしく愛おしかった。ママ。という呼び方。決して遊ぶことが楽しくなかったなんて、分かってくれとひとりでに綴られる文章は生暖かくていい。
母は最後の貴婦人というフレーズは、たまらなく好き。かず子が上原との子を直治の子だと偽って奥さんに抱かせたいというのは、最初どういう事だろうと悩んだ。しかし直治の子を抱かせる。それが偽りだとしても、都合のいい夢であっても、尊いような気がしてしまった。 -
Posted by ブクログ
いる、こういう人。
幸せになることから無意識に逃げて、幸せになりかける度、幸せになれない言い訳を自ら作ってしまう。
叶うのが怖いのか、深層心理では幸せを追いかけていたいタイプなのか、だから終着もしないし、欲もない。
欲があると、手に入れたら幸せになってしまうもんね。
幸せにならないように、でも不幸からは距離を置いているつもりで、結果、不幸にあしをとられながら泳ぐ感じ。
常に不幸の渦潮がそばにあるみたいな、引っ張られるんかな。
苦しいよね、そりゃ。
変わり方は簡単なのに…
できない(しない)頑固さだけが強い。
これが『人間失格』やったかと。
すごい切り口だなと。
『人間』というものがもし、
生まれた時から幸せに向かうようにプログラムされていたとしたら
(その幸せとは、例えば『私は今幸せだ!』と言えること、だとして)
葉蔵は間違いなくそのプログラムのミスで欠陥品、
つまり『人間失格』なんだろう。
でも人間はプログラムされてないし、
幸せは人それぞれだし
最近はダイバーシティとかと謳われていて
心や脳の病気は誰しもがなり得るもので
そんな現代であったなら、葉蔵は自分を
『人間失格』まで思うだろうか。
あと、アドラーの、『嫌われる勇気』を読んだら
どう感じるんだろう葉蔵は。
辛くしてるのは自分なのだよと。
ただ、
『世間というのは、君じゃないか』
それは、ほんとにそう! -
Posted by ブクログ
乙女の本棚でございます♡
少しずつ読んでます(o^^o)
今回は太宰治でございます
お恥ずかしながら
たぶん太宰治も初めてですね、、、
(教科書はわからないけど)
きりぎりすです
売れない画家であった夫が
成功したら、変わってしまった
それを嘆く妻の思いについて書かれています
イラストはしまざきジョゼさん
物語の雰囲気に合った作品を邪魔しないイラストでした(^^)
貧乏でも慎ましく暮らすことに幸せを感じる妻。そして成功して変わってしまう夫に失望していく、、、、
私なら成功バンザーイ!ってなりそうだけど笑
夫のいやーな感じがとてもうまいなぁと思いました。やっぱり嫌よね。
ぐるになるって言葉が出てきて
この時代からあったのかと驚きました
グループのグルだと思ってたけど
外来語じゃなくて正真正銘の日本語だそうで
江戸時代でも使われてたそうです
最後の、きりぎりすが鳴くあたりの意味合いが私には理解しきれず
いろんな人の考察読んだりしてみた読書でした
まだまだ勉強が必要です!!!
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「正義と微笑」を読みたくて買ったが、表題作「パンドラの匣」もよかった、面白かった。
「太宰文学に珍しい明るく希望にみちた青春小説」とあらすじにあったが、確かにこの2作は、堕落していく方向ではなく、先を目指していく男子を描いていて明るいと感じられた。それでも、「正義と微笑」の芹川進くんは死にたいと思案するし、「パンドラの匣」のひばりも死を見つめるところから始まっている。
この作品を読んで「明るさ」について考えた。
何も不安がなくて馬鹿みたいに明るいことも違うし、飾って明るくしようと努めるのも違う気がする。太宰の書いた明るさは、苦しみ抜いた先でふっと力が抜ける(作品の中の言葉を使えば)「かるみ」にあるのではないかと思った。
まあ、そんなことを変に考えなくても、この作品は面白かった。太宰が好きだと思うから、或いは、そう思いたいから面白く感じられたってこともあるだろうし、本を読んでいるときの体調も大いに感想には関係すると思うが、私は今、太宰作品を面白いと感じて、読んでいて楽しいのである。それでいいだろう。
次は、方向をがらっと変えて二度目の『人間失格』へ。
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仲間はずれでも、よろしい。こんな仲間にはいって、無理にくだらなくなる必要はない。ああ、ロマンチックな学生諸君! 青春は、たのしいものらしいねえ。馬鹿野郎。君等は、なんのために生きているのか。君等の理想は、なんですか。なるたけ、あたり触りの無いように、ほどよく遊んでいい気持になって、つつがなく大学を卒業し、背広を新調して会社につとめ、可愛いお嫁さんをもらって月給のあがるのをたのしみにして、一生平和に暮すつもりで居るんでしょうが、お生憎さま、そうは行かないかも知れませんよ。思いもかけない事が起りますよ。覚悟は出来ていますか。可哀想に、なんにも知らない。無智だ。
けれども僕は、白痴の天才は断然、否定しているのだ。今に見ろ、と思っている。無器用ものの、こった一念の強さほど尊いものは無いのだ。
君のような秀才にはわかるまいが、「自分の生きている事が、人に迷惑をかける。僕は余計者だ。」という意識ほどつらい思いは世の中に無い。
僕は色気が無いどころか、大ありだった。それこそ意馬心猿とでもいうべき、全くあさましい有様だったのだ。 -
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男性の存在意義はなんなのだろうか。
自分にも家庭にも臆病で、自信がなくて。後ろめたいことがあると、真っ向から向き合うことに怯えて短略的に怒鳴ることしか出来ない。仕事をしてお金を家に入れることだけが役割だったのだとしたら、今は女性もお金を稼ぐ。夫にも気を遣え、子供も育てられ、配給の情報を取り生きるために食べ物や衣服を揃えることもできる万能な女性。
男性に出来ることってなんなのでしょう。
などと、男性の家庭での必要性について考えさせられるお話でした。
ふと時間を置いてみると、この作品は男性を頼りなく魅せるために、女性の忍耐美のようなものを際立たせている気もする。私が悶々と考えた、男性の家庭での必要性についても太宰治によって必然的に考えさせられていたのでは。と感じた。