太宰治のレビュー一覧
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表題の「パンドラの匣」、そして「正義と微笑」
どちらも太宰作品特有の陰鬱さがなくて読みやすい。
どちらも好きだけど、「正義と微笑」が特に好き。
主人公の進がいかにも少年らしいプライドの高さと貪欲さを持っていて、現状は辛いことが多いのだろうけど、きっと彼ならそれらを乗り越えて大成するんだろうと思えるし、応援したくなる。
「微笑もて正義を為せ」
この言葉は自分の人生でも活かしたいです。
「パンドラの匣」は結核を患った主人公の入院生活が書かれており、同室の患者や看護師との交流が書かれていて、そんな日常の中の何気ない場面の表現が繊細さとユーモアがあり、そこに太宰を感じます。
看護師との恋愛は特に、終盤にかけてだんだん主人公の本心がわかってきて、その不器用さに切なくなってしまう。 -
Posted by ブクログ
陰影の気配は、ときに陽光を残酷なまでに際立たせる。
明るさと暗さを対立するものとしてではなく、明るさの中にも暗さがあり、暗さの中にも明るさがあるものとして捉えたとき、そこに描かれる束の間の幸福や、差し迫る滑落は、ただの真昼の太陽の輝きや、闇夜の深い孤独とも違って見える。
太宰治の筆を通して読む人物たちの心情は、複雑でありながら、どこか簡素でもある。その矛盾を抱えたまま描かれる人間の姿に、僕は「美」を感じる。
斜陽と黎明。意味はないが、無意味でもない。
明るさと暗さ、生と死、希望と絶望。それらを対立するものとして切り分けてしまうことは、本当に正しいのだろうか。
対立的に捉えることは、ときに分断を生む。そのあわいにあるものを見つめることにこそ、人間の心を理解する余地があるのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
中学生に読んで以来で、久々に読みました。
中学の時は、人間失格も、桜桃も、正直あまりわかっていなかったように感じます。けれど成人してから読み直すと、やはり全然感じるものが違うのを実感しました。
ご興味のある方は是非呼んでください。文学作品ですので、ライトノベルや最近の作品に比べると、耳慣れない言葉もいくつかありますが、文体としては比較的読みやすいかと思います。文学作品デビューしたい方にもオススメです。
※以下、ネタバレありの感想です。
【人間失格について】
葉蔵という男の人生を通して、太宰の人生の一部を見られる作品。私がこの話を読んで一番最初に感じたのは、葉蔵への哀れみであり、同情でした。作品に描かれた葉蔵の心はとても生々しくて、私にとっても、身に覚えのあるものが多かったからです。
葉蔵が幼い頃から抱えていた、人間に対する恐怖は、理解できないものへの恐れであり、もしかしたら同じような人間になりたくない、世間という色に染まりたくないという反発心のようなものでもあったのかもしれないと感じます。葉蔵が周りの人間や世間に感じていた薄気味悪さというのは、現代日本にもまだ色濃く残っているものもあり、誰しもが一度は感じたことのあるもののはずです。
しかし多くの人は、本人の前では「大成功」と笑い、後から「つまらなかった」と愚痴を言う人たちを見て不快に感じても、だからと言って自分にはどうしようもないのだとすぐに諦めて、忘れてしまうのだと思います。そして周りにそういう人が多ければ、徐々に染まっていく。染まらなくても徐々に慣れて、そういう人への不快感に鈍くなっていく。そういう日本の社会・世間の闇を、葉蔵は受け入れられ流すことができず、恐れ、道化に走った。葉蔵はそういう意味で、幼い頃からとても鋭く、敏感で、繊細な人物だったのだろうなと思います。
【桜桃について】
人間失格同様に、こちらもとても生々しく、夢などひとつもないリアルな人間関係の闇を感じる作品でした。家族というのは、幸せばかりではなく、喧嘩をしない夫婦だからと言って、不幸も悩みもない訳では無いのだということを眼前に突きつけられたような気持ちになりました。
子供のために尽くすことで、自分のことが疎かになっていき、子供を愛し大切にしたいという気持ちの裏で、自分ですら無意識に、自分の願望を潰し、妻の願望が潰れる音を聞き、しかしどうしようもなく、ぶつける先もなく、薄氷の上の平穏を守り続ける。
現代においても、存外ありふれている現実的な夫婦の姿なのではないかと感じます。 -
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ー理想ばかり夢みて、現実がちがうのだと管を巻く。
「カルチベート」という言葉を知り、正義と微笑に太宰治が書いているらしいということで読んでみました。
なかなか面白かったです。人間失格書いた人と同じなの?!と思うくらい、時々くすりと笑えて、太宰治のひょうきんさを感じました。
他人から与えられた夢や目標って、その栄光を手にした自分は容易に想像できるけれど、結局自分のやりたい事じゃないから、継続した努力はできない。
周りや環境に不平不満を持ち、結局自分は悪くないと正当化してしまうのは、昔も今も同じなんだなあと思いました。
カルチベートについても日々勉強や読書をすることがとても価値のあることなのだと思えました。
日記形式で日々が進んでいくのもまた面白くて、芹川進の怠惰な毎日からの成長をとても感じました。
好きなフレーズ
「忍苦は人間の理性を磨いてくれるものだ。
理性においてすぐれていたから、きっと静かな幸福をうむだろう。これからの幸福を決して怪我させない尊い力をもっているのだ。」
「チイムを統率するには、技術よりも、人格の力が必要なのだ。だからチイムの気迫においても技術においてもがた落ちだ。」
「何事も為さざるは罪をなしつつあるなり。」
表題のパンドラの匣は、つらつらと結核療養所での出来事を描いています。正直、全然面白くなかった!!笑
結核患者の治療が乾布摩擦?なのが、時代を感じましたね、、。
終着点がやたらとあっさりしてるなーと思ったら、やはり新聞連載を途中で早く切り上げた結果なんですね。
なぜこちらが表題になっているのか不思議です。 -
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第二次世界大戦後の、没落貴族の母、娘、息子。
敗戦後の生活の様子や、貴族が没していく様子、そこからの自分の生き方を決めるまでが書かれています。
太宰治は人の転落を書くのがすっごく上手い。
何か本人の人格に問題があるというわけでもないのに、取り巻く環境やタイミングによってこんなに人生を左右されてしまうのかと、自分ももしかしら近い将来そうなるのかもしれないと思わされる生々しさがある。
かず子はきっと、本人は逞しく図太くなることなんて望んでいないんだろうけれど、環境がそうさせてはくれないんだろうなあ。
貴族という立場ではいられず、1人の女性として、1人の母として、どうにか生きていかなくてはいけないんだと自分を奮い立たせているようにしか見えなくて気の毒で痛ましい。
ただ応援はしたいけど、29歳、バツイチでそんな突っ走っちゃうことある?!と同情しきれないところもある。 -
Posted by ブクログ
この小説が、普段は道化によってひた隠しにしてきた作者の内的真実を徹底的に深掘りし告白した自叙伝だからこそ、現代において違和感や生きづらさから自分を取り繕ったり、嘘を言ってしまうような読者の人に対して、その行動の裏にある意識が書き連ねられているようで、今もなお共感を得て、愛読され続けているのだなと感じた。すなわち私たちは自己分析の究極系を見せられ、その重なりに自己を投影しているのだと思う。作者と思考の深さは違えど、どこか通ったことのある道のような既視感があり、破滅に至るような凄まじい作者の人生をどこか間近で見れているような感覚がある。苦悩に対する目から鱗のような解決策を提示してくれる訳ではないけど、往年悩んでいた作者がいたという事実、そしてそれに共感して長く愛し続けている読者がいるという事実、それらは目で推し量ることはできないけれど、同じ類の人間が確かに存在しているという安心感を与えてくれる。もっと他の作品も読んでみたいなと思った。
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「自分は、これまでの生涯に於いて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。」
これだけで、語り手の殆どがわかってしまう素晴らしい文章。一語一語をにらみ、じっくり読むことで見えてくると言うのではなく、すぱっと頭に入ってきたと同時に、語り手の人格が形成されていく流れを体感できる。もちろんこれまでの文章が助けに入ってくれているのだろうけども、それにしても良い。
語り手は罪人として縛られているときの方が、そうでないときよりも不安を覚えず、ほっとした気持ちになる。この描写がやけに印象深い。簡単に自らを彼に重ね合わせてはいけないような気がする(彼に対してあまりにも不遜に思えて)けども、なんか分かる。全く同じ状況というのは体験したことないし、体験しないようにしていきたいが、程度の違いを許容できるのであれば、記憶の中にも同じ状況はある。何かに自らを縛ってもらうことで、自身がどこかに飛んで行ってしまうのを防いでくれているのか、ふとした瞬間に自分でも知らない突発的な何かにとりつかれないように思えているのか。語り手と同じかは分からないが、ある空間に自身をおいていることが私にとっては好ましく、限りなく広がる空の下に居るときはどことなく不安を感じてしまう。それと比べ、小さな部屋の中というのは自身がどこに居るかがわかりやすい。なんとなく三人称視点のような気持ちを感じやすく、その部屋の中にあるものとの位置関係を把握できていることが好ましいのだと思う。どこまでが自分であるかが理解できるからなのかな。
罪の対義語(アントニム)を語り手は考え続ける。その答えまでの道のりが長く、とうとうたどり着くことができなかった。一方堀木は平然に法律だと答える。この会話もまた印象深い。初期の最後にも悲劇喜劇ゲームの描写があることも作用しているのか。罪の対義語について考える機会というのはなかなか珍しいのではないだろうか。堀木のように法律とも言えるかも知れないけど、個人的には寛容とか信頼とかなんじゃないかなとは思える。この考えには、自らが出した結論が何なのかは正直どうだって良くて、何らかの答えが出るかどうかにスポットライトを当てるべきだと思う。罪の反対を知らないならば、罪の反対の行動をとることができない。罪を犯してしまわないような行動をとることができない。んじゃないかな。罪に対して興味が無い堀木という存在も、少し悲しいかな。あの時、罪に多少なりとも興味のある人間と、罪のアントについて議論できていたらと思うと、少しばかり悔しい気持ちになる。
初めて読んだ太宰作品(メロスはノーカンとさせてほしい)だったけど、思っていたよりずっと楽しめたし、そこまで昔の作品でないというのが作用していると思うが、読みにくさもない。暗い作品だと知っていたが、思っていたよりも暗くない。一人の人間が描かれたありのままだと思った。文学的な観点での解説や批評などは何一つできやしないが、面白かった。