小尾芙佐のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ15年前くらいにドラマで見たのを覚えていたので、書籍でも読みたいと思ったのがきっかけ
最後の1ページで泣けた
賢くなったチャーリーがかなり利己的、衝動的で幼い印象だった。元の人に好かれたいという素直な性格や”友達”がいるチャーリーから、猜疑心が強くなり孤独、周りとの衝突が増えるなど対比が切ない。このままIQが元のように下がり、養護学校に入ってチャーリーが過去の自分とのギャップに苦しんだり知識を忘れていく姿を想像してさらに泣ける。
与えられた中でベストなパフォーマンスをすることが運命なのかも、今回は知能と心がメインでフォーカスされていたけど、持ちうる能力才能外見…すべて、どれか一つを無理に突飛させてもそれは自分ではないかもしれない -
Posted by ブクログ
アルジャーノンに花束をを読み終えて、強く残ったのは、これは知能の上昇や下降を描いた物語ではなく、人が世界とどう関係を結び、どう壊していくかを描いた物語だという感覚だった。賢くなることも、賢さを失うことも、主題ではない。変わっていくのは、世界の輪郭と、人との距離だ。その変化が、逃げ場のない形で積み重ねられていく。
物語の前半、チャーリーの言葉は拙く、文も不安定だ。けれど、そこには疑いのない視線がある。人を信じ、言葉を信じ、世界をそのまま受け取っている目線だ。胸が苦しくなるのは、彼が「足りない」からではない。むしろ、信じすぎているからだ。傷つけられていることにさえ気づかないほど、世界を善意で見ている。
やがて手術によって知能が上がり、文章は洗練され、思考は鋭くなる。その瞬間から、物語の温度は確実に変わる。理解できることが増えるほど、理解できなかった過去が浮かび上がる。親切だと思っていた言葉が嘲笑だったと知る瞬間。仲間だと信じていた関係が、利用だったと気づく瞬間。
知能の上昇は祝福ではない。それは、世界の残酷さを正確に読み取れるようになることに過ぎない。
ここで突きつけられるのは、賢さが人を幸せにするわけではない、という事実だ。むしろ賢くなるほど、人は孤独になる。相手の感情を読みすぎ、言葉の裏を疑い、自分の立ち位置を過剰に意識する。かつて無意識に成立していた関係は、分析の対象になった瞬間から壊れ始める。
後半、チャーリーが辿る道は容赦がない。失われていく知能、崩れていく論理、戻らない時間。だがこの物語は、単なる悲劇では終わらない。ここで浮かび上がるのは、「人の価値はどこにあるのか」という、極めて根源的な問いだ。
賢さとは何か。理解されるとはどういうことか。人として尊重されるとは、何によって決まるのか。
知能が高いときのチャーリーは、確かに優秀だ。だが、必ずしも幸せではない。知能を失ったあとのチャーリーは、確かに不完全だ。だが、そこには確かな人間性が残っている。この対比は、読む側の価値観を静かに、しかし確実に揺さぶる。
そして最後に残るのは、説明でも救済でもない。ただ、祈りに近い感情だけが残る。忘れないでほしい、覚えていてほしいという願い。それは知能とも能力とも関係のない、きわめて人間的な欲求だ。
この作品が忘れがたいのは、読み終えたあとに「自分はどちらの側に立ってきたのか」を考えさせられるからだ。理解する側か、理解されない側か。賢さを誇る側か、優しさに救われる側か。あるいは、その両方を無自覚に行き来してきた存在なのか。
『アルジャーノンに花束を』は、泣くための本ではない。感動するための物語でもない。自分がどんな眼差しで他人を見てきたのか、どんな言葉で世界を切り分けてきたのかを、あとから静かに問い返してくる本だ。
読み終えたあと、以前と同じように人を笑えなくなる。以前と同じように「賢さ」を手放しで称賛できなくなる。その不自由さこそが、この本が残す最大の痕跡だと思う。
これは、一度読めば終わる本ではない。時間が経つほど、年齢を重ねるほど、立場が変わるほど、読み返すたびに違う痛みを連れてくる。そしてそのたびに、人としてどう生きるかを、否応なく考えさせられる。
静かで、残酷で、そして限りなく人間的な一冊。忘れたい本ではない。忘れられなくなる本だ。
#2026年7冊目 -
Posted by ブクログ
クリストファーに何らかの障害があることはすぐに分かった。
自分の決めたことが絶対的で、それが周囲をどれだけ振り回しているのかを自覚していない彼を想像すると、クリストファーの挙動に耐えられなくなり別の男と出て行った母親や、クリストファーを守ろうとするあまり縛りつけるように過保護になった父親が、どうしても悪い人たちには思えなかった。
実際、2人のいさかいがクリストファーにストレスを与えてはいるけれど、その内容はクリストファーを育てるのはどちらが相応しいかで、絶対に我が子を見捨てたりはしなかった。
まあ、クリストファーはそういう特性を持っており、“普通”の人からしたら全く違う人間のように思えるだろう。ナイフを持ち歩いたり、線路に飛び込んだり。
そんな中、ミセス・シアーズの犬、ウェリントンが殺された事件を契機に自分から外の世界に飛び出していく。クリストファーにとっても、周囲の人間にとっても恐ろしいことだ。
本書ではクリストファーの特異さが全面に出ているが、その裏には両親からの変わらぬ愛情が存在している。母も父も変わらずにクリストファーを愛していた。家族愛を感じるとても良い作品だった。
一つ気になったこと。
クリストファーは茶色が嫌いなのに、薄茶色の犬をあげても大丈夫なのかな?可愛いからOK?
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Posted by ブクログ
ネタバレ最初は、ただのホラーかと思っていた。でも凄い。心情描写とかいじめだとか。それがいい。過去と現在を行ったりきたりする。特に印象ぶかかったことは、みんな過去を思い出すことはないくらいトラウマなんだけど、電話をきっかけに思い出すこと。心の奥底に閉じ込めていたトラウマを、体が防衛するために無自覚に閉じ込めていた悪夢を。いじめのシーンはきつかった。ベンがいじめっこにいじめられる。しかも3対1で年上から。読むのに耐えられない。心苦しかった。正直IT(それ)より気持ちが悪くて下賤で不快だった。本当にキモいのは人間かもな
ジョージデンブロウが最初殺されるシーンは、やはり恐ろしいんだけど、いい小説の引きだよね -
Posted by ブクログ
1940〜50年に書かれたとは全く思えない、2026年の今なお読んでもギャップを感じない名著。
短編集として区切りがあって読みやすいうえに、
構成としても、1編目の「ロビイ」から分かりやすく入り込みやすいテーマを扱い、
徐々に深いテーマを扱っていく構成が、
作品全体に入り込みやすい。
また、ロボット工学三原則を生み、それを扱った内容としても面白い。
『第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。
また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。 』
簡単に言えば、ロボットは人間を傷付けることは出来ない、という意味だが、
各短編が、この原則を元にしたテーマを扱っていて、
かつロジカルに、ロボットの行動矛盾やロボットの心理を読み解いていて、理系・心理学の書物としても面白い。
個人的に特に面白かった話は、
キューティが出てくる「われ思う、ゆえに……」(キューティお前ロボットらしからないな…と思いながら読んでいた)と、
バイアリイの「証拠」(この話のオチは先に分かってスカッとした)。
特に、「災厄のとき」の次のフレーズが印象に残った。
(マシンがいずれ人類から仕事を奪うのではないかというテーマに対して)
「マシンはしょせん機械です、計算とか判定という重荷を人間の肩からとりさることによって人間の進歩を早める役には立ちますよ。しかし、人間の脳の仕事は相変わらず残っている。つまり、分析すべき新しいデータを発見すること、検査する新しい概念を考えだすことだ。
(中略)
有能な人間はわれわれの社会ではいまもっておおいに需要がある。われわれはマシンに尋ねるしかるべき質問を考えだせるような聡明な人間を必要としています。」
まさに今現代においても、AIが仕事を奪うのでは、という懸念や不安が取り沙汰される中で、著者アイザック・アシモフは1950年に既にひとつの答えを見つけていたんだという衝撃。
本当にこの通り、単純な仕事は近いうちにAIに取って代わられるだろうけれど、
"考える"ことを生業とする仕事は、AIには代われないだろう。
ChatGPTやGeminiなどのAIが色々なことを出来るようになってきた今だからこそ、読むべき1冊だと感じた。
デジタルネイティブの若い世代には特にオススメ。 -
Posted by ブクログ
製造されたロボットはロボット工学の三原則を必ず守ることを前提として、もし〜だったらこうなる、という話を集めた短編集。
学術的にも当たり前に使われているrobotics(ロボット工学)という単語が、この小説で造られたものだということに驚いた。
ロボット工学の三原則
第一条
ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条
ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りではない。
第三条
ロボットは、前掲第一条および第二条に反する恐れのない限り、自己を守らなければならない。