小尾芙佐のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ読み終わったばかりで思考の整理が追いついてないが、率直にめっちゃ切ない、、、。久しぶりに泣くかと思った。
本作の重要なポイントは、オリジナルのチャーリーと知能を獲得したチャーリーが統合されるのではなく、別人格として成立している。かつ2つの人格が2人の人間として存在していることだと思った。
知能獲得後もオリジナルのチャーリーが天才チャーリーに自分の存在をたびたびちらつかせる。これは勝手な解釈だが、自分の存在を明らかにさせようと家族に会わせたりするのもオリジナルではと思った。最終的に天才チャーリーもオリジナルのチャーリーがずっと心の奥にいることに気付き、同時に自分の存在を残そうと必死になっている。
しかしその努力虚しく、知能を失っていくチャーリーのフラストレーション、焦り、恐怖をひしひしと感じた。持つことがそのまま幸せにつながるのではないと思わされた。
そして、最後にチャーリーがなるべく周りに負担をかけない形で養護学校へと向かうのは何とも皮肉だと思った。結局社会から隔絶した場所でないと生きていけない現実を突きつけられたように感じたからだ。
キニアン先生もノーマも結局は、オリジナルのチャーリーを周りに置くことはできないし、それを一番痛感しているのがチャーリー自身であり、だからこそ去るしかない現実があると思う。
作者も言及していたが、持ち込みで断られた出版社の編集者からはチャーリーが知能を獲得してキニアン先生と結ばれるというハッピーエンドにストーリーを変更するよう指摘されたという。本作のエンドが現実を突きつける形で終わってよかった。
こうした現実の厳しさはあるが、やはり何よりも重要なのはエンパシー、共感力である。天才チャーリーのセリフにある通り、共感力のない知識は無意味だと思う。そして、何よりもこの共感力が人間を人間たらしめているのだと思う。
そういう意味でいえば、オリジナルのチャーリーは誰よりも人間らしいのかもしれない。しかし、そんな彼も養護学校に戻るしかない。この事実が何よりも切ないのである。 -
Posted by ブクログ
『ブロンテきょうだいのちいさな手づくり絵本』をきっかけとして、ブロンテ姉妹のいろんな作品を読みたくなった、その第二弾はシャーロット。
妹エミリーの『嵐が丘』と比較して、女性キャラクターが本好きであることや、主要人物の人間心理を追い求めようとする姿勢等、共通する部分が多いのが興味深く、それは両親が亡くなり孤児となった本書の主人公、『ジェイン・エア』がリード家に引き取られたものの、皆から嫌われていて辛い思いをする序盤の展開に、まるでアーンショー家に連れてこられたヒースクリフを思わせたことも同様で、そんな二作品は発表年も同じだった(1847年)。
その一方で、ヒースクリフは語り手が別にいたため心の中は読めなかったものの、ジェインは自ら過去を回想する進行役という形で展開されるため、彼女自身の本音がそのまま垣間見えるのが最大の相違点であり面白さなのだと思う。
リード家に居た頃は、涙を『私の苦痛の空しい証』と感じたり、『私は社会的な身分を捨てて自由を手に入れるほど勇気のある人間ではなかった』と思っていたジェインが、やがてローウッド養育園へ学びに行き、ソーンフィールドで家庭教師として住み込み生活をするようになってと、彼女の人生がどのように変化していくのかという点に加え、こちらも独特な人間性に興味が湧く、家庭教師先の館主である『ロチェスター』との恋愛要素も含めた関係性に注目したい中、何故か盛り込まれているスリラー的(?)キャラも目が離せない。
そうした数ある読みどころに於いて私が印象深かったのは、『心にひどい傷を負い、今日にいたるまで尾を引いている』けれども、『私の心の琴線をひきちぎりながら、ご自分は私の悪い根性を正していると思いこんでおいでだったのだから』と解釈する、ジェインの赦しの姿勢であった。
下巻に続く。 -
Posted by ブクログ
最後らへん、実際自分が迎える自分の死に際を読んでいるようだった。最初の100ページくらいを読み進めるのに気が進まず2ヶ月くらいかかったが、賢くなり始めると一気に200ページほど、翌日に最後まで読み切った。
幼児レベルの文章を読むのが辛かったのは、内容が薄いし読みづらさもあるからだけど、最後らへんの拙い文章は、最後何を感じ考えて過ごしているんだろうと興味を持ちながら、且つ死への焦燥も駆り立てられながら、自分の動悸を感じながら読んだ。
8ヶ月くらいの出来事?だけど、私たちもこれを引き延ばしただけで同じような人生を送るのだと、どこか虚しく心を削りとられていく気持ちになりながら読み進めた。
映像化されたものも観てみよ〜、えっちな部分の描写がどんなのかが気になるぜ〜