小尾芙佐のレビュー一覧
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ネタバレアリスが最後にチャーリイの部屋を出ていく前に言った「高いIQをもつよりもっと大事なことがあるのよ」という台詞に代表されるように「知能が高いからと言って幸せではない」という文脈で語られることが多い作品だけど、果たして本当にそうなのかと読んでいて思った。
アリスが言っていることは結局彼女がどこか安全地帯にいるからこそ言えるだけの上辺の美学なのではないか。
チャーリイは何知らない方が幸せだったのか。
チャーリイは知能を得ることで、素直さや優しさを忘れてしまったのか。
私はそうは思わなかった。彼は人を傷つけようと意図して傷つけることはなかったし、高い知能を私利私欲のために使うことはなかった。自分に酷 -
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知的障害のある主人公チャーリーが、知能が高まる手術を受けて、それからの物語。それは研究者にとって壮大な実験で、物語はチャーリーが研究者に提出するために書いている「経過報告」により進んでいく。
読み書きが苦手なチャーリーの経過報告は、初めはすごく読みにくい。
でも徐々に高い知能を得て、読み書きは難なくできるようになり、様々な言語を使いこなし、論文を執筆することもできる人間へと一変する。その一方で、過去の出来事の自分が知らなかった側面や、人間の汚さ、知らない方が楽だったことを知る。
それはどんなに心揺さぶられることか。
そして、チャーリーよりも先に同じ手術を受けて、天才ネズミになっていたアルジ -
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本作が提起する問題は、大きく二つあると考えます。一つは「知識を獲得し、これまで知らなかったことを理解できるようになるのは、果たして幸福なのか、それとも不幸なのか」という問い。もう一つは、人為的に知能を向上させる実験に対する倫理的な問題です。しかし、物語が強く訴えかけているのは、間違いなく前者の方でしょう。
作者が言わんとしていることは、非常によくわかります。知識を身につけ、世界に対する解像度が高くなればなるほど、世の中の嫌な部分までより鮮明に見えてしまいます。本来なら知らなくてもよい他人の感情の機微まで、敏感に察知してしまうのです。では、だからといって読者は「自分の知能を下げたい」と願うでしょ -
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こちらはずっと前にドラマで観ました。
ユースケサンタマリアさんが主役をされていたもの。
その後、山Pが主役のものも放送されたようですが、そちらは知らなかったし、観ていません。
また外国版の映画も観た記憶はあれど、内容はぼんやりとしか覚えておらず。
ずっと原作も読まなければ、と思い続け今回ようやく手を伸ばしてみました。
読み終わって、なんとも言えない気持ちになった。正直しんどかった⋯
この作品は、ただ感動したとかそんな安っぽい言葉で表現できるものではないと思う。
ヨルシカさんの“アルジャーノン”という曲を聴くと、涙が止まらない。
チャーリイ・ゴードンという青年が生きたひとつの記録。
同じ境 -
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いつか読まねばと思っていたSF作品の名作。
アシモフ先生は『黒後家蜘蛛の会』を先に読んだので、一体どれだけの「もし〜だったら?」を生み出す天才だったのだろう……と改めて感服しました。
人間よりもロボットを愛したキャルヴィン女史の語りを通じて、数十年のロボットの歩みを語る構成も、あまり読んだことがない形式で興味深かったですね。
考えてみると、私が持っている「ロボット」のイメージは、機械的で非人間的なもの……ではなく。
不器用だけれども人間への愛に溢れている、そんな温かな存在という印象です。
そしてそのイメージは、「ロボット三原則」の「ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過 -
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ネタバレこの作品はハッピーエンドなのだろうか……と考え込んでしまった。この話を読みながら私は主人公のルウを好きになった。努力を怠らず、周囲の人々と仲良くして、パターンを見つけるのが得意なルウ。でもそのルウはもういない。自閉症が治るとともに失われてしまった。そのままのルウでよかったのに、と私は軽々しく言ってしまいそうになる。だけどそれは酷いことだ。だってルウ自身が言うのだ。みんなと違うのは嫌です。普通になりたいです、と。そのままのルウを愛しているというのは、「私のためにそのまま苦しんでいてくれ」というのと一緒では無いのか。そう思うと胸が詰まる。どうすれば良かったのだろう。自閉症のルウ、ピザの好きなルウ、
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ネタバレ小説だけど本当の物語のように読むので、
読んでいる間は心苦しかった
心もとなく笑っているチャーリー。
目に浮かぶような表情など心理描写が細やかで、
感情の流れがすごく伝わってきた
濃度の違いはおおいにあるにしても、
人が成長していく段階や、環境が変わって知らなかった解釈の仕方に触れたり、
これまでと見え方が変わっていくこと。
受け止め方が違うものになっていくことは、どんな人にもあるような気がする
チャーリーのように、物事への理解が深まっていく中でも、芯にある温かなところは消えてしまうことなく、より良い方向へ繋がると信じた選択を積み重ねられたらと思う -
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ネタバレ昔ドラマを観て、悲しかった思い出があった。泣く、と思って嫌厭していたけれど、泣かずに淡々と読めた。人権フル無視のありえない人体実験だったから、あんまり感情移入しなかったのかも。でも終わってからGeminiであーだこーだ聞いてもらってたら、なんか泣きそうになってきた。いい作品だった。
知能だけがアンバランスに上がるにつれて、いろんなもの、ことが見えるようになったチャーリィ。賢くなって天才になっても、見たくないもの、知りたくないことがたくさんあった。孤独になった。無邪気に、俺って天才!って思えなかったのは、アンバランスさ故だと思った。
天才になって、昔のチャーリィを疎ましくも愛おしくも思い、大 -
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アルジャーノンに花束をを読み終えて、強く残ったのは、これは知能の上昇や下降を描いた物語ではなく、人が世界とどう関係を結び、どう壊していくかを描いた物語だという感覚だった。賢くなることも、賢さを失うことも、主題ではない。変わっていくのは、世界の輪郭と、人との距離だ。その変化が、逃げ場のない形で積み重ねられていく。
物語の前半、チャーリーの言葉は拙く、文も不安定だ。けれど、そこには疑いのない視線がある。人を信じ、言葉を信じ、世界をそのまま受け取っている目線だ。胸が苦しくなるのは、彼が「足りない」からではない。むしろ、信じすぎているからだ。傷つけられていることにさえ気づかないほど、世界を善意で見て -
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