【感想・ネタバレ】くらやみの速さはどれくらいのレビュー

あらすじ

〔ネビュラ賞受賞〕近未来、治療可能になった自閉症の最後の世代であるルウは製薬会社に勤務しフェンシングを趣味に、自分なりに充実した日々を送っていた……ある日上司から、新治療の実験台になるよう迫られるまでは。主人公の繊細な視点が感動を呼ぶ“二十一世紀版『アルジャーノンに花束を』”

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Posted by ブクログ

ネタバレ

タイトルに惹かれて読んでみた。
原題の"THE SPEED OF DARK"を『くらやみの速さをどれくらい』と訳したセンスが素晴らしい。

ルウ目線の文章と健常者目線の文章がはっきりと違いが分かるように訳されていてすごい。文が破綻している訳でもないのに、これは"普通"の人が書いたものではないなと分かる。
書いていることの中身が違うというのはもちろんあるが、前後の文のつながりが薄かったり、短文が多かったりと"普通"の人と文章構成が全然違って、とても読みづらかった。

読みづらかったがこういう風に考えている人も社会にはいるんだろうなあという想像が広がったので、よい読書体験だったなあと思う。
後半はすっかりトムに感情移入してしまって、悲しさを覚えながら読んだ。

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2025年10月26日

Posted by ブクログ

タイトルも著者名も美しいネビュラ賞受賞作。裏表紙に「21世紀版『アルジャーノンに花束を』」とありますが、なるほど同じ訳者なんですね。

自閉症の療法が飛躍的に進化した近未来。治療の適齢を過ぎた最後の世代であるルウは、製薬会社に勤めていて、クラシックを聴いたり、仲間とフェンシングをするなど、充実した日々を送っていました。そんなある日、会社に新任の上司が着任し、ルウたち自閉症者を集めたセクションに、解雇をちらつかせながら、自閉症治療の実験台になることを迫られます。ルウは、ノーマルな人たちが普通に感じ取れる微妙なニュアンスや、他人の表情や仕草から感情を読み取れないことを気に病んでいました。それでもフェンシングは楽しいし、好きな女性がいるなど、今の自分を変える必要があるのか、ルウの視点から語られます…。

自分は、自閉症の人の内面は、この小説で語られる内容でしかわからないですが、ルウの視点から語られる内容はとても考えさせられました。しかし、逆にノーマルの世界も、あまり褒められたものではないことに気付かされて、少し複雑な気もしました。特に嫉妬の感情とか。ルウの車に対するイタズラなどは、ちょっとした犯人探しになっていますが、ルウの思考がとても興味深かくて好きですね。

あと、ラストについては、自分はこれで良かったと思いました。

他に印象深かったシーンの覚え書き。
P271-275の自分は何物なのかということについて、脳の働きを学ぶ決意をするところ。
P471-473の心の葛藤。
P538-542での実験に対する決意と友への心情の吐露。

追記:
クラシックでバッハやマーラー、パガニーニやショパンなどが出てきますが、登場人物でジャニスとヘンドリックス博士の名前が面白いです。ロックのジャニス・ジョプリンとジミ・ヘンドリックスから名付けたんでしょうね。著者も好きなのかもしれない。

正誤 (2刷)
P492の14行目:
それがだれの声がわからなかった。

それがだれの声かわからなかった。

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2024年06月17日

Posted by ブクログ

自閉症の男性が主人公。自閉症とは言え、自分に合った職業があり、フェンシングの趣味ももち、それなりに満たされた暮らしをしている。
彼の一人称で話が進む。彼が音楽を理解して感じるやり方や、他の内面世界は、一般的な自閉症者のイメージと違ってとても豊か。感情的には落ち着いていて、合理的で美学も感じるような世界観。それに加えて数学の才能も天才的。
だが、新しい上司が彼ら自閉症の従業員を自閉症治療の治験者にしようと圧力をかけてくる。
趣味のフェンシングサークルでの人間関係のいざこざもあり、その治験を受けることを決める。リスクを感じつつも決断する、その葛藤、筋道の付け方がしっかりしている。
結果的に、治療は成功して、彼は元々持っていた宇宙工学への夢を叶える。失ってしまった元の自分と、新しく生まれた自分、それが統合されて、最後は感動的。
自閉症だった彼も、そうではなくなった彼も魅力的で、その二つの立場から世界を見る面白さがある。変化に立ち向かう勇気と未来への希望に満ちている(作中には治療に失敗した同僚の存在も窺わせるものの、詳細はなく、勇気を出して治療してよかった、という印象)

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2023年10月22日

Posted by ブクログ

随分前に時間を掛けて読んだ
主人公の性格が好きだった
ラストもかなり好みだった
物凄く読むのに体力が必要だったがまた読み返したい

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2023年06月18日

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ネタバレ

「21世紀版『アルジャーノンに花束を 』」と言われている作品ですが全然違います。アルジャーノン的な話だと思って読むと、1/3くらい読んだところで不安になってくるので、別物だと思って読みましょう(笑)


※ここからネタバレあり※※


私が感じた大きな違いは主人公・ルゥは、ただ、マイノリティである、ということ。自閉症者であるルゥは、健常者(ノーマル)の感覚や価値観とただ異なっているだけでノーマルに比べて全く劣る存在ではないのです。ですが「障がい者」というレッテルを貼られ、ノーマルに合わせることを強要されます。私も、ある立場においてはマイノリティなので、ルゥの置かれた理不尽な状況に共感が止まりません!

一方で私も(たぶん)ノーマルなので、ルゥの感じ方に「そういう考え方もあるか!」と驚き!…そうだよね、なんでいちいち挨拶とかしてんだろ…。

そんな私のメンタリティはルゥの上司のオルドリンに一番近い(笑)。悪人にもなれず、かといって表立って声を上げることもできなくて、ルゥから「助けたい、と言うということは、なにもしてないということだ」みたいに思われてる、彼のたくらみが実を結んで本当に良かった!

治験を受ける前の秋の公園のシーンは物悲しくて美しかったですね。マジョリティならば決して取る必要のないリスクを取って、結果として、失うものはあっても、たくさんの可能性を手に入れられたルゥ、本当に良かったなと思いました。傑作です!

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2023年03月13日

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自閉症者が健常者とのコミュニケーションで感じるちょっとした違和感や、自閉症治療前後の自己の同一性に対する疑問などがうまく描かれており、とても興味深かった。

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2018年05月16日

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SFとは思えない作品で評価が人によって分かれるのは仕方がないと感じ、あのムーンの作品である驚きがある
表紙   6点岩郷 重力   小尾 芙佐訳
展開   7点2003年著作
文章   7点
内容 765点
合計 785点

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2017年11月28日

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進駸堂書店×早川書房コラボカバー作品。
自閉症者枠で高度な仕事についているルゥが新たな治療の被験者となることを選ぶまでの彼の世界があまりにも豊かで瑞々しく、深く、そして美しすぎて、ずっとその世界にいて欲しいと思ってしまう。けどそれはあくまで部外者の気持ち。
ノーマルなルゥとして新しい人生を歩き始めた彼の、その人生は「元ルゥ」の人生よりも先にある暗闇だったのか、あるいは逆か。
「自閉症」という病気だから読者の気持ちは大きくぶれる。別の病気だったらだれもが生まれ変わった彼を祝福するだろう。
本当は、どっちが幸せなのか。それは誰が決めるのか。

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2017年07月29日

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自閉症の治療が開発されたとき、彼らは何を決断するのか。結末はとても意外だったし、主人公ルゥを応援するような気持ちで読んでいた私には切ないような気がしたが、彼の生活を体感してきたかのような物語のあとではルゥの決断以外にあり得ないような気もする。それが彼にとって幸せだったのか、読み終わってからも分からない。
SF小説のジャンルになっているが、自閉症の(となっているけどアスペルガーと思われる)ルゥの一人称で書かれる物語は、彼らが世界をどう知覚しているのかが肌で感じられてとてもリアル。

ルゥがノーマル(正常)な人に抱く感情はとても共感するものがあって、読めば読むほど、なにが自閉的で、なにがノーマルなのか分からなくなってきました。それは私がルゥの性質に近いからなのか、それとも実際のところノーマルと自閉にそれほどの差がないからなのか、分からないけれど。突き詰めるほど、ノーマルな人の方が行動原理がナゾだなぁと思えてくる…。

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2016年06月23日

Posted by ブクログ

 もしも自閉症の完全な治療が可能になったら。

 最先端の臨床試験と精神遅滞の主人公をとりまく世界を描いた小説、と聞いたら多くの人はダニエル・キイスの名作『アルジャーノンに花束を』を連想することと思います。

 「あんたは、健常者の友だちといつもいっしょにいる」エミー
 「隠喩だと言うなら―鯨は砂漠のシンボルとも言えるわね」ルシア

 エリザベス・ムーンの近未来小説『くらやみの速さはどれくらい』は、自閉症である主人公が同じく自閉症の仲間たちと彼らが言うところの健常者(ノーマル)との生活の狭間で突如新たな治療法の実験台となることを薦められる物語。

 「むかしむかし、機械は二たす二もできなかった」クレンショウ
 「彼らは知的障害者じゃない」オルドリン

 そこにあるのは主人公と新しい世界との出会いではなく、自分という人間を捨ててでも変わるべきかどうか滔々と苦悩する姿。主人公目線で描く細やかな感性からはそういう”生き辛さ”みたいなものが目立たない形で顔を覗かせてるんですが、これって良く考えたら自分たちの生活となんら変わらないのかもしれない、と思ったりもします。

 「ちがうということは悪いことではありません」エリック
 「ノーマルになんかなりたくない。あたしはあたし。それで幸せ」リンダ

 日本国内だけで約120万人いるとされている自閉症患者。その数と同じだけの意味を持ち過ぎた言葉に翻弄される中で主人公は最終的にどういった決断を下すのか。

 「暗闇はもっと速いかもしれない―いつも光より先にあるから」ルウ
 「<こんちは-あたし-シルビア>」シルビア

 将来なりたい自分を思い描くことは容易ですが、それを実現するためにはまず今の自分を見つめ直すことが大切なのかもしれません。
『アルジャーノン~』と同じネビュラ賞を受賞し、同じ訳者によって日本語化されたこの小説はいろんなことを考えさせてくれるはず。

 そんなお話。

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2016年02月17日

Posted by ブクログ

 21世紀版『アルジャーノンに花束を』なんて嘘である。
 作者の狙いは自閉症者の視点から人間社会を描くことのようだからである。
 近未来、自閉症が幼少期の治療により治癒する時代。ルーはその治療の恩恵に浴せなかった世代で、コミュニケーション技術のトレーニングにより、社会参加はできているものの、「正常者」とのコミュニケーションに困難を抱えている。会社の上司が替わり、自閉症の障害を改善する実験的な治療を強要されそうになる。というのがストーリーだが、ルーを取り巻く人間たちがルーの一人称で語られるのが本書の味わい。
 自閉症者は言葉に騙されない。字義的にしか捉えられない傾向があるため、正常者たちの用いる常套的なレトリックが理解できない。ルーの受けたトレーニングは、レトリックをルーが対処可能なようにいわば翻訳して受け止めることである。ルーの目を通したとき、いかにわれわれが虚飾に紛れた世界で嘘をつきながら生きているのかが突き付けられる。正常者からしたら、自閉症者はコミュニケーションの機微がわからない困った人たちなのだが、彼らの視点からみたとき、彼らほど純粋で高潔な人々はないと思えてくる。本書を読んでいる間、私は自閉症になる。自閉症でいて幸せである。私は自閉症のように感じ、自閉症のように考え、自閉症のように愛する。
 話はルーの日常生活の些事である。そこからするとこれはSFではない。しかし、異星人や未来人の目から現代の社会を異化しつつ描くというSFの伝統に乗っているともいえる。「くらやみの速さ」とは作者の自閉症の息子が実際に言った言葉らしい。光に速さがあるなら、その光が到達する前にある闇は光よりも速いのではないか。いかにも自閉症的な紋切り型の思考なのだけれど、そこからルーをめぐる光と闇に思いがめぐらされるとき、この言葉は詩情をもって立ち現れる。
 自閉症でいて幸せなルーがこの実験的治療を受けようと思う心理的過程にも、治療後の顛末にも暗闇の速さが関係しているのだ。

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2016年02月11日

Posted by ブクログ

 自閉症であるルウは症状と付き合いつつ、仕事に趣味と自分なりに充実した日々を過ごしていた。しかしある日ルウは、彼の職場の上司から、自閉症治療の実験台になることを要求される。

 語り手となるのは自閉症患者のルウ。この語りが非常に繊細です。普段自分たちが会話している中では考えもしていないようなことがルウの語りでは描かれます。そこには自閉症というテーマとしっかりと向き合った著者の努力が表れていると思います。

 そしてフェンシング場での人間関係や社内政治、ルウに対する何者かからの嫌がらせなど、そうした出来事を通し、ルウは自閉症の自分と”ノーマル”の人たちの違いは何なのか。
 また治療を受け自閉症でなくなった自分は、それは本当の自分なのか、という自らのアイデンティティの問題と向かい合うことになっていきます。

 異常と正常の境目ほど分かりにくいものはないと思います。状況や時代によっては普通の人が異常者や犯罪者扱いされたり、またその逆もありました。
 現代も現代でなんとなく社会が思う異常と正常の境目はあると思うのですが、それも曖昧模糊としたもの。そのあいまいさをルウは自分が自閉症の”異常者”と自覚したうえで、素直な疑問として読者に問いかけてきます。

 それはルウの視点だから視える世界なのでしょう。彼の問いかけは一読の価値があると思います。

 終盤はルウが治療を受けるかどうかの決断に話がうつっていきます。彼の決断の是非、それによって手に入れたもの、失ったもののどちらに価値があったのか。

 この話の結末は読む人によってそれぞれ意見が分かれそうな、とても微妙なものだったと思います。治療を受け”ノーマル”になり新たな可能性を見つけるという決断も、自閉症の自分も自分であると受け入れ生き続けることもどちらの決断も人として間違っていない決断だからだと思うからです。

 21世紀版『アルジャーノンに花束を』と評されている
作品ですが、二つの共通点はあらすじうんぬんより”ノーマル”でない視点から改めて「人間とは」「自分とは」という問いかけがされてくるという点だと思います。

 そしてルウが『アルジャーノン』の主人公チャーリィと異なっているのは、チャーリーは物語の展開上自分で決断ができなかったことを、ルウは自分の決断で自らの最後の道を選びとったことだと思います。

 物語はテンポは非常にゆっくりであくまでルウの日常描写が中心です。でもその日常描写があったからこそ見えてくる”ノーマル”の人間の姿、アイデンティティの問題、そして彼の最後の決断と彼を取り巻く様々な人たちの意見や思いが伝わってきます。

 そしてそれぞれの描写がルウが最後の決断を下したとき非常に意味のあるものだったのだと気づかされます。
ルウの問いかけ、そして最後の決断は”ノーマル”である自分にもいろんなことを考えさせてくれました。

ネビュラ賞

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2014年10月01日

Posted by ブクログ

もしくらやみに速さがなく、そこに停滞するものだとしたら、光はくらやみの場所を奪ったことになるのかもしれない。
そんなことを考え始めると、結末がまた違う形で見えてきた。
ルウは好きだし、その選択も否定はできないけど、トムに共感してしまうなあ…。

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2012年06月05日

Posted by ブクログ

全600ページ。
フェンシングとか、
脳神経とか、
クラシック音楽とか、
宇宙とか。
他の人とのコミュニケーションが少しだけ苦手で、
他人の言動をちょっとだけ気にしすぎて、
極めて素直で真面目で純真な主人公の話。
"自閉症"って病気の名前がそもそもどうなのかとも思うが、
"ノーマル"って言い方がそもそもどうなのかとも思うが、
世間では"ノーマル"ではないとされていると本の中では描かれている
"自閉症"の人たちの話。
『アルジャーノンに花束を』よりは現代的で読みやすかった。
とはいえ外国の作品なので、
特有の雰囲気はあるけれど。
最後の50ページぐらいがなかなか考えさせられた。
本のタイトルも深い意味。
文庫本のくせに1000円もしやがるが、
その価値はある。
素晴らしい本だと思う。

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2011年10月29日

Posted by ブクログ

帯に「21世紀のアルジャーノンに花束を」とあった気がする。
そのうえでレビューをすると、こちらの方が上だと思う。
幼少期であれば治療が行えるようになり、自らの世代以降には患者がいなくなった自閉症の主人公が送る日常、治療法が発見された時の彼の選択、そしてそのエピローグ。

「光が届く前に暗闇があるのであれば、光が届くときには暗闇がなければならない。とすると暗闇の速さはどれくらいなのか」という質問自体は決して難しくはない。しかし、答えることは難しい。

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2010年06月30日

Posted by ブクログ

ネビュラ賞受賞作。


自閉症の幼少期において治療可能になっている近未来。

自閉症者最後の世代であるルウが様々な困難を乗り越え、決断していく姿に打たれます。


訳者の方の力量が素晴らしい。

「アルジャーノンに花束を」の訳者、小尾美佐氏にも拍手です。


くらやみの速さはどれくらい?

天文学のパラドックス。

ルウの決断。

あなたはどう答えますか?

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2010年02月13日

Posted by ブクログ

今まで読んだ中で
一番痛いと思った小説。

光より常に先にある暗闇は
光速よりも速く進むって、
光がいくら速くても暗闇はいつも先に。
だから光を追う限り
終局に辿り着くことはない。*

世界に入り込んで、
わたしは、
そのままのルウを愛してた。

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2010年01月31日

Posted by ブクログ

「光の前にはいつも闇がある。だから暗闇のほうが光よりも速く進むはず」
自閉症と診断を受けている主人公のルゥはそのアイデアを胸のうちで温めている。
裏表紙のあらすじで「光の前にはいつも闇がある。だから暗闇のほうが光よりも速く進むはず」という言葉を読んだだけで、内容もまったく知らないうちから、深く感動して泣いてしまいそうになる。なぜ感動したのか自分でも思うわからない。それどころかそのセンテンスが果たしてなにを意図しているのかさえもわからぬまま、泣きそうになる。そういったことが、この小説のなかにはあふれている。

ルゥの語りによって物語は進む。『アルジャーノンに花束を』に似ているとのことだったが、実際には似ているところもあればそうでないところもある。この物語は、新開発の自閉症の治療法を、ルゥが受けることにするかどうか、その過程に重きをおいている。『アルジャーノンに花束を』のように、自閉症の状態と、自閉症でなくなった状態がどう違うかに重きをおいた作品ではない。
自閉症とはなにかということをルゥは突き詰めていく。自閉症であることによってなにを失ってきたのか、自閉症でなくなることによってなにを失うのか。自閉症であることはノーマルであることとどう違うのか。ノーマルとはどれだけノーマルなのか。はたして私たちは治療されなければならない存在なのか。その問いは果てしのないものだ。そして切実だ。

作中での描写や発言の意図を完全に理解するのは難しい。理解することが難しいことが、この本の持つ魅力になっている。そして理解するのが難しいことはルゥが自閉症だからだという人もいるだろう。一方で他者の言動からその人の思考を推測することはつねに不可能なことなのだともいえる。一見繋がっているようにみえる論理も、一見充溢しているようにみえる意味内容も、果たしてこれまで一度でも本当の意味で理解されえたことはあっただろうか? この問いかけは、作中で繰り返し扱われる、ノーマルは自閉症性をいっさい排除しているのか、ノーマルと自閉症のあいだで誰がどうやって線を引いているのか、自閉症は異常なのか、という問いかけに呼応する。意味はつねにひとつのアナロジーであり、理解とはアナロジーによって生み出されるものだ。意味の理解とはひとつの構造であるはずだ。ゆえに、ルゥの語りの「真意」を知ることはできずとも、私たちはその文章を理解することができる。そこに、祈りを読みとることができる。翻って、意味がわからないということそのものが、そのまま、ある祈りなのだ。

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2024年07月11日

Posted by ブクログ

自閉症者の自我、というか、感性というか、自意識というか、とにかく彼らがどのように感じ、人と関わっているのか、それは知る由もないのだが、本書を読む限り、健常者になるよりも今のままでいても充分幸せだったんじゃないかと感じさせる。
果たして、どちらのルウが本当に幸せなんだろう?

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2019年10月13日

Posted by ブクログ

ネタバレ

アルジャーノンとはちょっと方向性が違うけど、自閉症の人々の感性とかものの見方とかへぇ…って感心した。

どう頑張っても「自閉症の人」って扱いをされてしまうし、わたしだって「自閉症の人なんだな」って思ってしまうし、もう自閉症は自分のアイデンティティだよっていうキャラクターもいたけど「自閉症」から逃れられなくてどうしても「ノーマル」になりたいっていうのもなんかちょっと分かるしラスト付近すごい辛かった。

最後、ルゥは同じ人じゃない…って思ってしまった。
結局、光の速さとくらやみの速さは同じになったのだろうか

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2019年04月20日

Posted by ブクログ

自閉症が胎児または幼少期のうちに治療が可能となった近未来、主人公ルウの世代はその端境期で、ルウ世代より若い自閉症患者は存在しない。特異な計算能力を活かして製薬会社の自閉症患者だけのセクションに務め、趣味のフェンシングに精を出し、両思いではないものの淡い恋愛を楽しむルウ。ある日彼の会社が成人の自閉症患者の治療方が見つかったから受けて欲しいと彼らに頼む、というか脅す。そこから彼らは変わる。手術のメリットうんぬんというよりかは自分とは何かという問い。同一性、感覚の統合、「こだわり」の正常な範囲とは?手術を選ぶ前から彼らは変化してしまう。それは会社からの圧力とかそういう問題ではない。何かを知るというのは否応無く変わるということだ。

ルウは確かにノーマルとは違う、違うことは自覚があり、ノーマルは万能だという勘違いを抱いていた節もある。しかしある日ノーマルの友達がルウに嫉妬し、ルウの車を破壊し、ルウに銃口を向け、逮捕される。彼は脳にチップを埋め、他者に対する凶暴性を取り除くという更生処置を受けることになる。彼はノーマルだけれども「異常」だからチップを埋められ、彼ではなくなる。
チップを埋められる前の彼と埋められた後の彼。同一性はいかに?

ありのままで生きるのは難しい。それは社会のせいだろうか。そうとも言い切れない。ルウは社会に歪められたからありのままを捨てたわけではない。「知った」から変わった。ルウはありのままでも素晴らしい。けれどありのままを強要してはならない。自分が想定する自分を維持する1番のさまたげは自分自身だ。ルウの未来は明るかった。でも闇の中に落とされた人もいた。

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2014年06月21日

Posted by ブクログ

一体何が“普通(ノーマル)”で、何が幸せなんだろうと考えさせられた。ルウにとって自閉症の治療をしたことは幸せだったのだろうか、と悶々としてしまう。
暗闇と呼ばれるものは宇宙であり、未来であり、未知の・未踏の世界と考えると、それを「いつもそこで待っている」と言い表すところにぐっときた。見えないからこそ怖くても勇気を出して飛び込む価値があるのだと、ルウは意図せず教えてくれたのかもしれない。
タイトルが秀逸。詩的でうつくしい。

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2012年01月14日

Posted by ブクログ

「あなたはほんとうに癒されたいのか」

自閉症をもつ主人公は、自分の特性を活かした仕事に就き、趣味を持ち、日常生活に苦労しながらも自分なりに楽しく生活している。
そんな時「自閉症を治す」治療法が開発されて…

印象深かったのが、
礼拝にて司祭が話す、ヨハネ書、癒しを求めてベテスタ池のほとりに横たわる男の話。
ベテスタ池には天使がやってきて水をかき回す。その間に池に入ることで癒されるという伝説がある。
そこに現れたイエスが、男に「あなたはほんとうに癒されたいのか」と尋ねる。
一見愚問にも見えるこの問いは、
「元気になりたいと望んでいるのか」
「水に身を浸すという特別な体験を望んでいるのか」
よく考えよ、と迫っていると司祭は説明する。

そこできょう私たちに投げかけられる問いとは、
「わたしたちは自分たちの命の中に聖霊の力が宿ることを望んでいますか、それともただ望んでいるふりをしているだけですか」

ということだと言う。
方法が目的になっていないか。

「毎日、あなたがたのまわりを、あらゆる場所を見まわしなさい。…自分に問いなさい、『わたしは癒されたいのか?』と。
そして、はい、と答えられない時ーなぜ答えられないのか問いなさい。…
あなたが癒される覚悟ができた時、あなたのすべての病が癒される準備ができるのです」

まずは自分の心にきくこと…思いがけないところからヒントをもらいました。

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2011年09月21日

Posted by ブクログ

自分や世界とは、脳が知覚してきたものの集積だとしたら、脳のパターン認識を変更してしまうことは、自分が自分でなくなってしまうことなのだろうか? 本書はそういったテーマを、近未来の治療を受けようとするべきかを迷う自閉症の主人公の主観視点による淡々とした日常の場面描写の中に描く。世界とは、その人の知覚したものによって様々な様相である、ということと、自分が自分でなくなってしまうこととは、成長や変化ととらえた場合ふつうに体験しうることでもある、ということを示唆してくれる。

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2010年07月28日

Posted by ブクログ

全自閉症患者がルゥみたいだったらいいけど、重度はもう手がつけられんからなあ…
幼児の頃に治療ができる世界、羨ましいな

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2025年02月08日

Posted by ブクログ

自閉症者のルウ・アレンデイルは、パターン認識能力の高さを買われ、製薬会社の研究部門にある発達障害者を中心としたチームで成果を上げている。私生活ではフェンシングのサークルに加入し、健常者であるサークルメンバーとも仲が良く、ほのかな恋心を抱く女性もいるが、一部の健常者はルウの存在を快く思わず、障がい者の中にもルウを攻撃する者がいる。それでも公私共にまずまずの日々を送っていたルウだったが、所属先の上役から、自閉症を「治療」するための施術を受けることを要求される。日常に充実感を覚えているルウにとって、施術を受けることは「今の自分」を否定することでもあった。悩むルウの前に、あからさまな敵意と思われる事件が発生する・・・

作者のムーンには自閉症のお子様がいるとのことで、当事者や関係者へのインタビューを重ね、専門領域の知識も取り入れつつ、可能な限り客観的に「自閉症者が見ている世界」を言語化することを試みている作品です。壁紙の色やタイルの配列を仔細に観察したり、こだわるところには徹底的にこだわったり、不安を感じると体を動かさずにいられなかったり、といった特性が丁寧に描き出されており、それがために分厚い本になっていますが、作者の温かな眼差しが感じられます。また、健常者と発達障がい者のどちらにも与することなく、双方の想いを尊重して選んだのがこの結末なのだな、とも、鴨は感じます。
「21世紀の『アルジャーノンに花束を』」と評されるのも、なるほどなと思いました。

ただ、ここからは鴨の全く個人的な印象ですが、主人公のルウが置かれている状況が、公私共に比較的恵まれていて、リアルな世界と比べてちょっと浮世離れしている印象を、正直受けてしまうんですよね・・・。
特性のある人でも社会的に自立して人生を謳歌できる、それが「あるべき姿」なのだろうとは思います。しかし、ルウは物語が始まった時点で既に相当自立しており、自分でもそれをわかっていて、「治療」されることによって今の人間関係や女性への想いが変化してしまうことを恐れています。その恐れに、むしろ鴨は共感します。
ルウが最終的に下した決断は、人ごととして捉えれば「めでたし、めでたし」で済むのでしょう。でも、なんというか、うーん・・・それで本当に良いのかな。それを読者が判断して、本当に良いのかな。
いろいろな意味で、考えさせられました。

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2025年01月22日

Posted by ブクログ

自閉症者の一人称で始まるSF小説。

自閉症者の一人称小説というのがキャッチー。主人公は文中で平坦に物事を受け止め自分の決めたパターンに則って行動する。自閉症者に特有のこだわりや特別な感覚も表現されている。
ただ作者自体が自閉症者でないので書かれている内容がどの程度自閉症者の思考に近いのか疑問が生じた。他の書評によると自閉症というより自己愛性パーソナリティ障害の患者の思考に近いというが、その場合自閉症の視点から考える思考SFという前提は成り立つのか? 

あと、著者は「くらやみの速さ」にこだわりすぎな気がした。知と無知になぞらえるのもしっくり来なかった。正直いらない要素では。フレーズとして気に入っているのはわかるけど。

「アルジャーノンに花束を」と比較されるのもわかるが、どちらかというと「時計じかけのオレンジ」に似ていると思った。そして、平常者と違う視点を描くという点に関しては、「アルジャーノン」に一票。あちらは知的障害者が日記を書いている(それが小説そのものである)という設定で、表現としての文章の稚拙さや知的障害者の思考の再現性をうまくカバーしている。

この小説はSFというよりヒューマンドラマではないのかな。序盤は面白く読めたが、後半にかけて上記の点が気にかかってしまった。

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2014年09月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

SF。自閉症が治療可能になった近未来。自閉症最後の世代である主人公ルウ。友人や同僚との交流を通してルウの視点が細やかに描かれる。
正常(ノーマル)ではないと言われ、ふつうになれと言われ続けて、しかしどうすればよいのか分からないという状態はつらいなあ。
訳が丁寧で読みやすい。宣伝に使われている21世紀版『アルジャーノンに花束を』というのは違うと思う。

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2013年10月19日

Posted by ブクログ

自閉症の治療が可能になった近未来。幼児期に行えば完全に、青年期であれば軽度(アスペルガーに近い)に抑えられる。

主人公ルゥは軽度の自閉症ながら、その特徴である高度なパターン認識能力を活かした適職に就いている。そこへ、青年でも自閉症を完全治療できる新たな治療法のニュースが入り、勤める会社から被験者になるよう命じられる。

ルゥは葛藤する。「健常者」になりたい。しかし、そうすればアイデンティティを失ってしまうのでは……。自閉症者でも、好きな仕事、趣味、異性と充実した日々を送ることはできる。「健常者」になるのは、それほど望ましいことなのか……。治療をめぐる、周囲との交流や衝突を経て、ルゥの下した決断とは……。

21世紀版『アルジャーノンの花束』。

『「暗闇は光がないところのものです……光がまだそこに来ていませんから。暗闇はもっと速いのかもしれない――いつも光より先にあるから」』

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2010年05月04日

Posted by ブクログ

自分が思う自分、他人が形作る自分、望む自分の姿
過去に残してきたもの、暗闇の先に夢見るもの
守るか、進むか。
言われる程、アルジャーノンとは思わない。
あっちは変化してから、こちらは今ある姿で

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2014年10月05日

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