小尾芙佐のレビュー一覧
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友人に裏切られ、免罪をかけられ、婚約者も失ったサイラス・マーナー。神にも人間にも絶望したサイラスを救ったのは何か?
金を蓄えることだけが彼の唯一の救いとなるが、そんな金も盗まれてしまう。孤独で寂しいマーナーからこれ以上何を取れば気が済むのかと言いたくなるほどの不幸。しかし、これを後に本人が、不思議な軌跡だと言う。
エピーという1人の赤ん坊が彼の人生を救った。19世紀は科学の目覚ましい発展(ex. 進化論)によって聖書の非論理的な神話性に疑問を抱く時代であった。著者エリオット自身、もともと福音主義者だったが、22歳に聖書を合理的客観的に解釈する高等批評に触れ、宗教観が一変する。
そんなエリオットが「孤独を救済するのは一体何か」と言う問いにアプローチする中で生まれたのが『サイラス・マーナー』なのかもしれない。 -
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全く別の人格が、都合の良い場面で登場するというのは、実は理にかなっているのではないかと穿ってしまう。
主人公は本来引っ込み思案でオドオドした性格。別人格では、明るくて陽気な人格や、冷静で知的で芸術家肌の人格など、私もほしいと思うような羨ましいものもある。凶暴な人格もあるが、戦わなければならない場面も生活には存在する。
もちろん、それらの人格がきちんと意識下にあり、コントロールできれば、という条件がつくだろうが。
不思議なことだが、本人が見たら全く理解できない書籍を別人格が読破していたり、難解な数式をいとも簡単に解いてしまうというのは、多重人格者には本当にあり得るのだろうか?24人のビリーミリガンでは、別の言語を話す人格もいたようだったが。
下巻では人格の統合がテーマになると思われる。どのように統合し、治癒されていくのか興味深い。 -
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ネタバレ15歳3ヶ月のクリストファーはある真夜中、向かいの家の庭で犬のウエリントンが農作業用フォークに刺されて死んでいるのを発見。一人で数学の問題を解くのが好きで他人と関わるのは苦手なクリストファーだったが、犬を殺した犯人を突き止めようと聞き込みを開始する。父は調査を打ち切るよう言ってきたが、ルールの穴をついて近所の老婦人と話したクリストファーは病気で死んだ母にまつわる重大な隠し事を知ってしまう。
常に数学的で論理的な視点で世界を見ている少年が〈親〉という理不尽に直面する、一風変わったジュヴナイル・ミステリー。ふだん我々が"あるある"で済ませていることは論理的に考えると何も"あるある"ではないと教えてくれるクリストファーの語りは、終始真面目なのだがユーモラス。それでいて、冒頭から犬の死を悲しんでいたら警察を呼ばれて留置所に入れられるというハードな展開の小説でもある。
「親が嘘をついていたと知ること」は、10代の頃にはとても大きなショックだ。クリストファーのように「嘘をつけない」子なら尚更。父がひた隠しにしてきた秘密を知ってしまう中盤のヒリヒリ感、それまでの世界がひっくり返るような絶望感は普遍的なものだと思う。中盤以降はクリストファーに感情移入して本当にしんどくなってしまって、とにかく彼にひどいことが起きませんようにと祈っていた。あらすじには「冒険を通じて成長する少年の心」とあるが、作中では「きみは今日一日でじゅうぶんな冒険をやったと思うよ」という台詞がクリストファーの実感とあまりに乖離した侮辱的なことばとして発せられている。
でも、クリストファーの両親が特別悪い人間というわけじゃない。クリストファーの一人称で書かれていながら、彼のような子を持つ親たちの生きづらさにもしっかりとスポットをあてているのがこの小説のうまさだ。二人とも一度クリストファーの信頼を裏切れば回復に長い時間がかかることを知っていてなお、もう一度彼と向き合いたいと願い、自分の行いを悔いている。だが、彼らが自分自身の問題と格闘しているときに口をついて出る「おまえのため」「おまえのせい」ということばが、クリストファーを取り巻く社会の姿を図らずも反映してしまってもいる。だからこれはクリストファーの成長譚ではなくて、両親が成長を促される物語だったのだと思う。母の決断と父の謝罪で終わることからして作者の意図もきっとそこにあったはずだ。
クリストファーのような人を都合の良いときは「天才」と呼び、都合の悪いときは「落ちこぼれ」と呼ぶ社会にまだ私たちは生きている。"ふつう"や"平均的"ということばに疑問を抱いたことのない人にとっては、この小説も自閉症の天才を扱った"特殊な"話に過ぎないのかもしれない。けれど、クリストファーにとっての数学と物理学は生きていくために離すまいと必死で掴んでいる命綱のようなものだ。コンピュータがこうした人たちに社会的な居場所を与えた意義の大きさを初めてちゃんと認識できた気がしている。
クリストファーの視点を通じて〈今まで変わろうとしてこなかった世界〉の不親切さを読者に追体験させるという構成はこの小説に込められたメッセージと完全に不可分であり、その伝え方はソフトでスマートだがはっきりと目的意識を持って書かれている。作中ある人物が「おまえは生まれてこのかた、たった一度でも、他人のことをちょっぴりでも考えたことがあるのか」とクリストファーをなじる場面があるが、マジョリティだという自認に甘えて〈他者〉のことを考えてこなかったのは社会のほうなのだ。我々なのだ。 -
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ネタバレまず最初に書いておきます。
泣きました。
でも、文句ならたくさんあります。
まず、タイトルの『消えた少年たち』。
上下巻合わせて1000ページ近くになるのに、実際に連続少年失踪事件のことが書かれ出したのは下巻の280ページを過ぎてから。
そして、それが動き出したのは、430ページ以降。
で、470ページで作品は了。
これでは消えた少年たちが浮かばれない。
ほぼほぼ、両親の思うに任せない社会生活と、育児の苦労。
会社の人間はことごとく裏に何かありそうだったのに、結局何もなかったね。
才能のあるコンピュータプログラマーを雇ってしたことといえば、才能の飼い殺しの上に数々の嫌がらせ。
そんなことに大金を使う会社なんて、早晩倒産するんじゃないの?
宗教上のグループ内でのマウントの取り合い。
どう見ても精神に異常をきたしている精神科医の息子。
幼児性愛だだ洩れの天才プログラマー。
逆恨みの元スティーヴィの担任。
怪しい人は多々出て来るも、すべて小者。
しかも少年失踪の話すらみじんも出てこない。
さすがにこれは、ひどい。
『あるモルモン教徒一家の半年』とか、そういうタイトルでいいのでは?
でもまあ、家族を愛し守ることを第一義にしているステップとディアンヌが、散々スティーヴィを心配しながらも、彼と向き合いきれなかった理由が、次々現れるトラブルメイカーに振り回されてしまったからという免罪符を与えるための、数百ページなのだろう。
大切な人の、救えるはずの命を、純真無垢な善意の塊のその命を、取りこぼしてしまう。
どれほどの悔いが残るだろう。
長男が生まれたとき、あまりにもかわいくて、あまりにもいい子で、この子は2歳までに死んでしまうと泣いた自分を思い出しました。←バカ親過ぎる
だから、「この本長すぎる!無駄が多すぎ!」と怒りながら、号泣してしまったのだ。
だって子どもに罪はないもの。(T^T) -
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ネタバレタイトルと表紙から鑑みるに、複数の少年が消えてしまう話と思われる。
序章替わりの「ぼうず」という章で、なんとなく誰かが少年たちをさらう話だということがわかる。
しかし、本編ではまだ、誰も姿を消してはいない…と思う。
怪しいのは、主人公一家の長男であるスティーヴィ。
ベストセラーのパソコンゲームをデザインしたことのある父が、今や日々の生活にも事欠くほど収入が減ってしまったため、アメリカ南部の片田舎の学校に転校することになった。
元々繊細で大人しいスティーヴィは、南部なまりを聞き取ることができなかったためにクラスメイトと担任の先生にいじめられ、学校に行きたくないと思っている。
東部育ちで標準語を話すスティーヴィに対して、南部なまりのコンプレックスから子どもたちにいじめを奨励する、そして自らも徹底的にスティーヴィを無視したり貶めたりする担任の先生の仕打ちが本当にひどくて、読むのが辛くてしょうがなかった。
父親も、パソコンのことなどほとんど知らない上司に権利と時間を搾取され、家族との団欒など考えられないような生活を送らされる。
会社の誰をも全く信用できない中で、孤立無援の日々を送っている。
さて、日本ではあまりなじみがないが、スティーヴィの両親は敬虔なモルモン教徒である。
私も詳しくはよくわからないけれど、禁酒禁煙のストイックな生活を送る彼らは、独自の教会活動があり、スティーヴィの両親は熱心に教会活動に参加し、そのうえ善きモルモン教徒であろうと努力をする。
家庭を守り、他者に悪意を持たず、神の御心を疑うことなく過ごそうと努力するも、スティーヴィだけではなく、父(ステップ)の会社の人や、教会関係者たちの悪意に蝕まれていく彼ら家族の話は、細かな部分もしっかり描写されることによって、次のページが気になってしまうこと間違いない。
というか、消えた少年たちの話であると思うのだけど、ほぼほぼステップの会社の人たちの悪意ある嫌がらせに目が行ってしまって、最後の方になるまでスティーヴィを気にかけながらも、そこまで辛い目に合っていたとは想像していなかった。
善意の塊のような一家に一体何が起きるのか。
上巻だけでは全然わからない。
上巻が1冊にまとまった単行本で読めばよかったと後悔することしきり。
一体どういう結末が待ち受けているのか。
どうか哀しい話じゃありませんように。
スティーヴィの弟・4歳のロビーがまたいい子なのだ。
兄のことが大好きで、そのことをいつも大っぴらに表明し、まだ手のかかる妹(2歳のベッツィ)の面倒をよく見る、明るくて優しいいたずらっ子。
ロビーの存在が、この不穏な作品の中の希望の灯りなのだ。(私にとって)
どうか最後まで、ロビーの笑顔が失われませんように。 -
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島で唯一の小さな書店「アイランド・ブックス」の店主、フィクリー。愛する妻を事故で亡くし、1人きり本を売る日々を送るうちに、偏屈な性格になっていた。
ある日、書店の中にぽつんと幼女が置き去りにされた。幼女の名前はマヤで、彼女の若い母親は遺体で発見された。
フィクリーは戸惑いながらも使命感を覚え、マヤを引き取り育てることに決める。そして時間は過ぎ、フィクリーは再び女性を愛することが出来るようになり…。
物語の冒頭、主人公のフィクリーはとても偏屈で嫌な男として映る。だけどそれには抱えた悲しみとか孤独感とか理由があって、読み進めるにつれて彼の人間的な魅力がどんどん明かされていく。
フィクリー以外もキャラクターがとても魅力的。ほんの少しずつ悪い心を持ち合わせていたりするところが人間臭くてリアル。
フィクリーの亡くなった妻の姉・イズメイ、フィクリーの友人であり警察署長のランビアーズ、フィクリーの後の妻で編集者のアメリアのキャラクターがとくにとても好きだった。
ポップな雰囲気だけど、人間関係の入り組み方がけっこう複雑だったり、悲しい死が訪れる場面もいくつかある。だけど悲壮さをあまり感じないのは恐らく、前向きに強く生きる人々が描写されているから。
フィクリーの娘となったマヤは聡明な少女へと成長し、書店主の娘らしく文学の才能を発揮し始めるところも素敵。マヤが小学生になり学校の課題で書いた掌編が出てくるのだけど、とても素晴らしい内容だ。
各章の冒頭に、実在する本がたくさん登場するところが面白い。その本についてフィクリーが語り、そして次のページから始まる本編とも関わっていく、というつくり。
オコナーやサリンジャーなど有名な作家の本も取り上げられていて、また読みたい本が増えてしまった。
悲しく思えたラスト近くの後に訪れる本当の結末はとても希望的だった。
誰かを想う気持ちが人の生き方を変えることは現実にもある。そういう人々の生き様を、温かい気持ちで見届けられる結末だった。 -
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ディック27歳のSF長編第一作。権力者がくじびき機械のランダム性によって決められるという設定を皮切りに、テレパシー、最終戦争、植民惑星、管理階級社会、人造人間、など、この時期からすでに世界観ががっつり作り込まれていて、読者を引きずり込むディックらしさが感じられる。ただ、得体のしれない不安感を誘うところや、現実崩壊感覚などはまだ強くはなく、刺客ペリグの設定と手に汗握るアクション的な攻防が最大の見所だと思う。近年大ヒットしたあの3D映画を思い出した人も多いだろう。この小説が1955年発表のものであることに驚く。未知の世界へ宇宙船でたどり着いた果てに聞こえる最後の言葉は、若かりしディックの前向きな心情を感じる。