谷崎潤一郎のレビュー一覧
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ネタバレ夜汽車の絵が美してすごく好きだ。綺麗で可愛らしくて神々しい稚児の瑠璃光丸と千手丸が、目映いばかりに神秘的に描かれている。
生まれてこの方、ずっと俗世を離れて比叡山で共に暮らしてきた稚児の千手丸と瑠璃光丸。美しい容姿を持つ点は共通しているけれども、千手丸は2つ年上、瑠璃光丸は血筋が高貴という点で違いがあった。
似たような境遇の二人が、異なる選択の末、全く違う人生を歩んでいくことになるのだが、幻想的な美しさに加えて、人の生き方をも考えさせる良書だと思った。
俗世を何も知らずに仏閣で暮らせるなんて素晴らしいと、二人は俗世を知る人々から言われ続けていたが、本当にそうだろうか。比較する対象を知ってい -
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本作は「痴人の愛」と違って春琴の容色が衰えた後の話もあるんですね。悲しくなっちゃったよ、佐助どんが絶対に絶対に関係性を変えることを認めなくて。現在の春琴を受け入れることを拒否していて。
佐助が目を潰して2人でおいおいと泣いたその時は春琴にとってどんなにか嬉しかったか知らない。だけれどもそれは春琴を思ってのことではなく、佐助の中の美しい春琴を永遠のものとするためだった。春琴は盲目であの性格でだけど佐助だけはきっと自分のことを分かっていると考えていたのだろうがそれは違った、裏切られたような気分になったろうが佐助は最初から美しくない春琴なんか求めちゃいなかったんだ。佐助が最初からそうだったのか春琴の -
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被虐趣味という言葉で称されることが多い本ストーリーだが、今日の関係性でいえば、そこまで逸脱した関係性と思えない…というのが正直な感想だった。
どちらかというと…伝聞調で記される2人の間の出来事には、主観や心の機微が意識的に記載を避けられている。そのため、あまり直情的に訴えるものがないのではないか。一方で、伝聞調による行間があるからこそ、色々な経験を積んだ人には感ぜられるものが多い…甘酸っぱかったり、苦々しかったり、憧れたり…描写されていない2人の行間を人によりさまざまに味わうことができる。ここが本書の良書たる所以であり、今日に至るまで愛される作品となってる理由なのではないか。 -
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春琴抄がとても良かったので、谷崎文学に触れたくて、書影が妖しく美しい本作を手に取った。
古風な関西弁の一人語り。セリフが、改行無しで羅列される独特の文章。
な、な、何だ?これは?面食らう。こんな文体、有りなの?谷崎文学の2作目として選んだのは失敗だったかな、と思いきや、中盤から不可思議な展開に目が離せなくなってしまった。
人妻園子と美しく魅力的な娘、光子。惹かれ合うが、光子には男が居た。
園子の語りでいろいろな事が明かされていく。
女同士、光子への止まらない愛。
園子、光子、光子の男綿貫、そして…。
美しい光子に狂わされていく。
人間関係が絡み合い、正に卍(まんじ)となった時、表題とのシンク -
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ネタバレ◾︎刺青
耽美派と言われてイメージする作風そのもので,知識人のいう「純文学の味わい」とはかくなるかという印象を受けた.
あるファッションモデルが服を着ることで魂をインストールするといった旨のことをどこかで書いていた気がするが,そういった描写をこんなにも艶かしく描けるものかと.
◾︎少年
個人的に最も谷崎らしいといった感想.
各々の描写は汚く,眉を顰めざるを得ないところが多々あるものの,流麗な文体ゆえに何故か美しさも感じる.生々しいのに,一枚薄布が張ってあるような感覚.
秀逸だと思うのは,最後に少年の姉が関係内に置いて覇権をとり,宛ら女王の振る舞いになり,少年らを蹂躙するシーンがあるのだが,直 -
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▼かなり以前に読んだんですがその時に感想を書き忘れたもの。だいぶ忘れていますが。
▼平安時代、初老の中級貴族?が、歳の差婚の若妻を、権力者の藤原ナントカさんに、奪われるんです。でこの若妻は当然評判の美人である。初老貴族は屈辱に震えます。悔しい。惨め。この若妻との間に子供がいて、これがのちの少将滋幹なんです。つまり少将滋幹にとって、幼年期にそんな形で生き別れになっちゃった、お母さん。少将滋幹の母。
▼この顛末と、母恋の思い。これが実に心理劇で映画「羅生門」の如きサスペンスフル。な、だけではなくて。それに加えてなんだか禁断な恥ずかしさ。身悶えするほどの気はづかしさ。そしてなんだかエグくて儚くて -
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初版は中央公論社、1963年。「夢の浮橋」が後の潺湲亭のオモテ側を美しく描いた作品とすれば、こちらはその舞台裏とも言うべき小説。大所帯だった谷崎家の暮らしを支えた女中さんたちの「活躍」が列伝風に書き込まれる。
ほんとうに久しぶりの再読だったが、谷崎が女中部屋を「鹿児島県人会」と呼ぶほど、鹿児島からの娘たちが次々とやってきていた、という話はやはり興味深い。高峰秀子の付き人の一人が谷崎家からの紹介だったことも記憶しておきたい。
後の潺湲亭は住宅としては決して大きいとは言えないものだったから、最大で7人の家族と5〜6人の女中さんがいたというからには、相当に賑やかな家だったのだろう。「なぜそん