あらすじ
光子という美の奴隷となり、まんじ巴のように絡みあいながら破滅に向かう者たちを描いた心理的マゾヒズム小説の傑作。他に短篇「蘿洞(らどう)先生」「続蘿洞先生」を収めた。中村明日美子による美麗なカバー画・口絵、挿画十五葉は本文庫版のための描き下ろし。〈解説〉千葉俊二〈註解〉明里千章 附・大正末期から昭和初期の大阪市街地図と蘆屋周辺地図
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
春琴抄がとても良かったので、谷崎文学に触れたくて、書影が妖しく美しい本作を手に取った。
古風な関西弁の一人語り。セリフが、改行無しで羅列される独特の文章。
な、な、何だ?これは?面食らう。こんな文体、有りなの?谷崎文学の2作目として選んだのは失敗だったかな、と思いきや、中盤から不可思議な展開に目が離せなくなってしまった。
人妻園子と美しく魅力的な娘、光子。惹かれ合うが、光子には男が居た。
園子の語りでいろいろな事が明かされていく。
女同士、光子への止まらない愛。
園子、光子、光子の男綿貫、そして…。
美しい光子に狂わされていく。
人間関係が絡み合い、正に卍(まんじ)となった時、表題とのシンクロに唸った。そして、この時代(昭和5年)に倒錯した歪な性をここまで赤裸々に描き切った谷崎のぶっ飛び具合に驚嘆した。
園子が自分達夫婦の寝室で光子の裸を見せて欲しいと懇願する場面が淫らで耽美的。強く印象に残る。
古き良き関西弁の独特な響きとリズム感が柔らかくて心地良い。その味わいを感じる事ができた今回ほど自分が関西人で良かったと思った事はない。
卍は、功徳円満を意味する梵語。追いかけ合うように縦横に乱れるさまを卍巴という。(本書p269註解より)
この文字の印象に淫靡な意味合いが加味されたのは本作、谷崎のせいだと気づいた。
Posted by ブクログ
谷崎の愛欲系としてまずは手に取りやすそうな厚さで、かつ挿絵が入っている新装版が出ていた本作から!中公文庫は、棟方志功が「鍵」に挿絵入れてる版が出ていたり、目が離せない。本作も中村明日美子の絵がいい味を加えていて大満足。あとは、痴人の愛と春琴抄は読もうと思っていまする。。笑
卍自体は途中まではー光子と園子がどんどん仲良くしてるあたりーテンション上がってたんですけど、綿貫が出てきて姉弟の契りを結ぼうじゃないかみたいなところから、園子夫にバラされ、海岸の別荘でうんたらしようとして、結局夫も光子と関係持ってしまって、そこから光子に薬使ってコントロールされる、、みたいな後半戦は正直だる〜〜となってしまいました笑。というか谷崎の描くヴァンパイア像が、私の理想の?ヴァンパイアと違うから、光子がいまいち好きになれなくて、う〜〜ん、出だしはよかったのに、、谷崎とやっぱり宗派が違うんだよなあという結論で終。細雪のように関西弁で話が進むのはよかった。
女性同士の恋愛小説だと三島の「春子」が好きだった記憶あるし、残念〜。というか谷崎実際の光子と園子の絡み自体はほとんど描かないから私に刺さらないんだよ!、もうちょっと接触してほしい、、笑
以下卍で好きだったところ。電話とか手紙とか、そういうやりとり、いいよね。
「あてあんな人と夫婦やあれへん。あてはマドモワゼルやもん。光ちゃんさい承知やったら、もしもの時は二人で何処いでも逃げて行くわ。」「まあ、姉ちゃん! それほんまかいな? きっと、きっと、うそ違う?」「うそやないとも! あてもうちゃあんと覚悟してるわ。」「あてかって覚悟してるわ。姉ちゃんあてが死ぬいうたら一緒に死んでくれるなあ?」「死ぬわ、死ぬわ、光ちゃんかって死んでくれるなあ?」(その九/p.70)
ほんまに、あの晩のような出来事でもなかったら、なかなかこない綺麗さっぱりと切れるいう訳に行けしませんのに、これも神様の思召おぼしめしやろ、口惜しいことも悲しいことも済んでしもたことはみんな夢とあきらめよと、ようよう幾分か落ち着いて来ましたのんは、あれから半月も立った六月の下旬ごろのことで、――去年の夏は空入梅からつゆでしたよって、毎日々々日照りがつづいて、家の前の海岸に泳ぎに来る人がちょいちょい見えました。(その十二/p.97)
会うたあとではいつでも後悔しなさって、ああ、ああ、自分は仰山の女の中でも人に羨うらやましがられる器量持ってながら、あんな男に見込まれるやなんて何ちゅう情なさけない身の上やろ、もうもう止めてしまいたい思いなさるのんですけど、そら不思議と、また二、三日も立つうちに自分の方から跡追い廻すようになってしまう。そうかいうて、それほど綿貫恋しいのんかいうたら、精神的にはええ思うとこ一つもない、顔見るのんさいムカムカするような気イして、卑いやしい奴やッちゃ、見下げ果てた奴ッちゃ、いう風に、お腹なかの中では常時激しいに軽蔑けいべつしてる。そいで毎日のように会うてることは会うてるけど、二人の気持シックリすることめったにのうて、いつでも喧嘩けんかばっかりしてて、その喧嘩いうのんが、自分の秘密人にしゃべったやろとか、いつまで待たす気イやとか、例のキマリ文句で、愚にもつかんようなこと取り上げては疑がい深いにちゃにちゃした口調でいいますのんで、……(その二十二/p.156)
一緒に収録されている「蘿洞先生」「続蘿洞先生」は気軽に読める小品で、こっちは好きでした笑