あらすじ
盲目の三味線師匠春琴に仕える佐助の愛と献身を描いて谷崎文学の頂点をなす作品。幼い頃から春琴に付添い、彼女にとってなくてはならぬ人間になっていた奉公人の佐助は、後年春琴がその美貌を何者かによって傷つけられるや、彼女の面影を脳裡に永遠に保有するため自ら盲目の世界に入る。単なる被虐趣味をつきぬけて、思考と官能が融合した美の陶酔の世界をくりひろげる。
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Posted by ブクログ
佐助はいい男だし、春琴は美しい こんな師弟関係の本ならいくらでも読めますよ
恋愛という言葉の枠から離れてこの二人の間でしか成立しえないタイプの愛情
私の趣味には驚くほど合致していましたし、自分の本の性癖がわかったきっかけでした
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春琴抄。パッと見読みづらいのかなーと思ってたけど、じっくり単語単語で見ていくと意外とすんなり入ってきて、読めた。それがまず嬉しい。
ただただ美しかったと思う、ところどころで爆発的に良い部分(感情的に)があって、たまらんですわ
僕は潤一郎の書く自尊心の強い女が好きなんだと思った。
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美しい。
心理描写なんてないのに、なんでか佐助が好きになっちゃう。
夏目漱石樋口一葉がお札になって谷崎潤一郎がお札にならない理由がわかんない。作品に癖が漏れてるから??
内容は一歩間違えれば変◯的なのに、文章が美しすぎて純文学みたくなっちゃう、それが谷崎潤一郎。
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高校生のとき初めて読んで、大学で卒論を書いた作品だから、思い入れが強く、定期的に読みたくなる。
名家に生まれながら幼少期に病気で視力を失った春琴と、長年彼女に仕えた佐助の愛の物語。
強い女性と翻弄される男性という谷崎潤一郎らしい構図だ。
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変な愛 究極の愛 誰にも入ることのできない恋愛!
目が見えない女の子、師弟関係だからこその、この二人でしか完成できない愛の形だなー。こんなこともあるのかぁと思った。
ここまで心で繋がりあってる相手との恋愛、イチャイチャとかは幸福度エグそうやなっと思った
こういう古い言葉使いの本読んだことなかったけど、この言葉だからこそ昔の師弟関係の張り詰めた感じ、春琴ちゃんの我儘でお高くとまるお人柄が、伝わった気がした。春琴ちゃんかわいい
目プスプスは好きな人の為or好きな人像を壊したくない自分の為 どっちなんだろう。
あそこの、春琴の喜びに震える声と佐助がそれに気づいて莫大幸福を感じている描写がめっちゃ面白かった。一手一手が細かく書かれていて緊迫して時間がゆっくりすぎる感じ 古風な言葉と狂ってる偏愛が合っていて美しいまである 何回も読み直した!
誰目線やねんって感じの構図もなんか2人のインサイトを詳しく説明してくれて、春琴伝との違いが面白かった
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自分の国語力のなさを痛感しながら、意味を見ながらなんとか読めた。
なんとも、理解しがたい愛の形。
最後の10ページくらいで、怒涛の言葉が続きドキドキがとまらなかった。
はじめからか、句読点がないのに読めてしまう不思議。
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愛ではなく変愛。言葉によってこそ変愛は輝くし、変愛によってこそ言葉は輝く。歪んでなんぼの文学、そう考えると日本文学の最高峰の一つでしょう!非読書家の僕が断言します!!
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以前に刺青を読んで他の谷崎作品が気になっていたものの、当時の体調と文体の相性が良くなく断念していたものを、機会あってようやく読んだ。
全体として読点句読点がほとんどなく、何処で文章が切れるのかよくわからない部分も多く、読むのにやや苦労したが、記憶とは違い極度に漢文調になっているということもなく、先述の点での骨折りがあった他はすらすらと読めた。
刺青にあった艶めかしく暗い妖しさはこの作品にはなく、読んでいる最中はずっと「いつこれが暗転するのだろう」と思っていたが、とうとう刺青のような薄暗い情念のようなものは表れずに終わり、少し呆気に取られたのだが、読み終わって暫くの後、上手く言い表せないが胸の内を満たすものがあり、優しい、ともすればぼんやりとした味わいでありながらカロリーの高い作品であったことがわかった。佐助の春琴への穏やかながらも凄絶な敬慕と愛の物語。
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本作は「痴人の愛」と違って春琴の容色が衰えた後の話もあるんですね。悲しくなっちゃったよ、佐助どんが絶対に絶対に関係性を変えることを認めなくて。現在の春琴を受け入れることを拒否していて。
佐助が目を潰して2人でおいおいと泣いたその時は春琴にとってどんなにか嬉しかったか知らない。だけれどもそれは春琴を思ってのことではなく、佐助の中の美しい春琴を永遠のものとするためだった。春琴は盲目であの性格でだけど佐助だけはきっと自分のことを分かっていると考えていたのだろうがそれは違った、裏切られたような気分になったろうが佐助は最初から美しくない春琴なんか求めちゃいなかったんだ。佐助が最初からそうだったのか春琴の横暴な振る舞いが佐助を変えてしまったのか。私は後年の春琴を思うとやりきれないよ、孤独で孤独で佐助はそれを分からしめる絶対的な他人で、後悔ばかりが残ったんだろうと。
「痴人の愛」の後続けて読んだ。ナオミみたいに愛されたい自分の欲望と向き合うために。
容姿端麗であることは絶対条件ですね(この時点で無理)
Posted by ブクログ
被虐趣味という言葉で称されることが多い本ストーリーだが、今日の関係性でいえば、そこまで逸脱した関係性と思えない…というのが正直な感想だった。
どちらかというと…伝聞調で記される2人の間の出来事には、主観や心の機微が意識的に記載を避けられている。そのため、あまり直情的に訴えるものがないのではないか。一方で、伝聞調による行間があるからこそ、色々な経験を積んだ人には感ぜられるものが多い…甘酸っぱかったり、苦々しかったり、憧れたり…描写されていない2人の行間を人によりさまざまに味わうことができる。ここが本書の良書たる所以であり、今日に至るまで愛される作品となってる理由なのではないか。
Posted by ブクログ
我儘で気の強い春琴と崇拝にも及ぶ愛を持った佐助の物語。
私は「愛するということは、その人のために自分の命をも捧げられるということ」と定義している。
佐助は春琴のために「視力」を捨てて、彼女と同じ苦痛(彼等にとっては苦痛ではなかったが)を受け入れた。春琴が私のために死ねと言えば、彼は自分の左目を針で刺したように、自分の命でさえも春琴を想い、満足を感じながら捧げたであろう。
春琴は佐助が盲目になって以降も、依然心を開いていたのは彼に対してだけであり、「ほんとうの心を打ち明けるなら今の姿を外の人には見られてもお前にだけは見られとうないそれをようこそ察してくれました。」というセリフからも、佐助への気持ちが伺える。
物語は三人称視点で書かれており、読み進めていく間、春琴と佐助ふたりの(特に佐助に厳しく接する春琴の)気持ちが気になっていた。形式上、結婚など愛し愛される関係にはならなかったが、以上のように、私はふたりの間にはふたりだけに通ずるものが存在していたことに、美しさを感じた。
あと、あまりにも具体的で繊細であったから、
え、これ実話?違うよね、え??フィクション?すごまじかってかんじ
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「今まで肉体の交渉はありながら師弟の差別に隔てられていた心と心とが始めてひしと抱き合い一つに流れて行くのを感じた」
この一文に佐助と春琴の愛の模様が表れていると思った。
またその後の「盲人の師弟手を取り合って空を仰ぎ遥かに遠く雲雀の声が落ちて来るのを聞いていた」の一文から、最も彼らの愛の深さ、様子を感じられた。
彼らの中でしか通じない愛の形。彼らだけの幸せの形。
Posted by ブクログ
盲目の三味線奏者の春琴と彼女の奉公人である佐助を描いた小説。二人は師弟関係であるが、徐々にお互いに恋愛感情を抱くようになる。ところが話が進んで終盤辺りになると、彼は春琴と同じ状態になろうと針で両目を潰すという行動に走った。その際の描写は痛々しく、佐助の異常さが伝わる。
Posted by ブクログ
盲目の娘・春琴、彼女の下男・佐助、二人だけの人生が描かれた物語。
物語の途中から佐助は春琴の弟子となり歪な師弟愛が展開され、めくるめく耽美を味わうものの、春琴が重い火傷を負い佐助が自ら眼を傷つけ盲目となる件は狂気が過ぎる。読んでて目が痛いーーー。
語り手による物語は自分の拙い想像力では鮮やかに再現できない場面もあり、ところどころ文章を楽しむことに重きを置いて読み切りました。読み慣れていない文章ですがやっぱり文豪の作品って面白いです。
佐助にとって春琴は永遠でありすべてだったんでしょうね。
Posted by ブクログ
はじめての谷崎潤一郎でした。
美しい文章で有名なので一度は読んでみようと思って、薄いからこれなら読めそう!と思って手に取りました。
久しぶりの古典的な文章で、やっぱり私のレジェンドは芥川だなぁと思いつつも、なかなかに面白い。
注釈がかなり丁寧ですが、ほとんど文脈で読み取れる程度のもので、思ったよりも敷居が高くなかったです。
愛と狂気は紙一重だなと思いつつ、間違いなくこの2人の晩年は愛なのだなあと思いました。
谷崎潤一郎がずーっと語りかけてくるような、なんとなくダラダラした文章なのですが、それがまた心地いい感じでした。
そしてそんな描写一切ないのに、なんだか想像してしまうエロがありますね、、、。
この感じ、なんだかハマりそうです、、
次は代表作の細雪かしら、、
Posted by ブクログ
4.2/5.0
盲目の年上S嬢と年下M男。
歪な愛の形に異様な美しさを感じた。
恋には、それまでの常識や世間体を全て吹っ飛ばすような魔力がある。
佐助が自らの目を潰し、何よりの幸せを感じるシーンに恋の偉大さと危うさを感じた。
Posted by ブクログ
この二人だけの愛の形。
二人だけの世界…美しい。
結局は、当人同士が満ち足りてさえ言えれば
周囲の理解なんかなくても良いんだろうな。
出来れば当人同士の心理描写で読んでみたかったけど…
解説にあったようにあえてこのような形式を取ったのであれば、それこそ二人の心情なんて、他人に知られる必要なんて無いのだろう。
Posted by ブクログ
美しく才のある盲目の女とそれに連れ添う男の、複雑に絡まった愛の物語。
短めではあるが、全体を通して香しい印象があり、退屈せずに読むことができる。
読者に干渉してくる作品ではなく、手記を読むような、寝かしつけるために昔話を話してもらうような作品。
句点、句読点、改行が異様に少なく、古い文体に不慣れなのもあり多少の読みづらさを感じた。
しかし、畳み掛けるような語り口は、1冊分の落語を聞いているような心地がするし、溢れんばかりの想いの描写において特に強い効果を感じた。
ページの黒さが圧巻であるし、ある種この読みづらさが面白いので、こういう本があってもいいと思う。
主従か、夫婦か、狂信か、愛としか言いようがないものを描いたこの本を、好きな人は必ずいると思った。
Posted by ブクログ
ページ数が少ないと言う意味では読みやすいと言えるけど、句読点が省略されている点では読みにくいと言える。自分は慣れない文章のリズムに苦戦して結構時間がかかった。
話自体は至ってシンプル。
心理描写も少なく物足りなさを感じるほど簡潔。
言われるほどの良さが分からなかったなと思い巻末の解説を見ると、春琴抄のその簡潔さに究極の美を感じる人が多いよう。
「百の心理解剖だの性格描写だの会話や場面だの、そんなものがなんだとの感じが強く湧いてくる」と谷崎潤一郎は苦悩したという。
昔は(今も少し)結末を有耶無耶にして「あとは皆様のご想像にお任せします……」というような投げかけの物語が大嫌いだった。もやもやするし、意地悪に考えればそれは「逃げ」なんじゃないのと思っていた。でも今はちょっと違う。
物語の延長に読み手の考える余地を残しておいてくれることは、書き手から読み手への信頼があるんじゃないかと思っている。
全部を説明しなくても分かる、情景や心理描写に言葉を尽くさなくても感じてくれる、読み手にそんな期待を持ってくれてるのではないか。
勿論人間同士言葉を尽くさなくても理解しあえるなんていうのは傲慢な考えだけど、こと芸術においては自分の思うままを表現して、それが読み手に正しく伝わった時の心の共鳴はお互いにとって何者にも変え難い瞬間だと思う。
谷崎潤一郎の独自の文体も、敢えて省かれた心理描写も、ある種の作者と読者の信頼の形であると考えるのは慢心なのかもしれない。
Posted by ブクログ
伯母の本棚からいただいてきたもの。昭和49年発行。100円。新潮文庫の谷崎作品のカバーはだいぶ昔からこのデザインなんですね。このデザイン好き。
さて、春琴抄。短いのと伝聞調で内面に深く立ち入りすぎないからテンポ良くて良いですね。同じ芸道ということで唄や器楽だけでなく浄瑠璃や歌舞伎の例も触れられてましたが、このシンプルだけど強力な引力を持つ話は歌や演劇など別の表現方法でも映えるんでしょう。実際繰り返し映画化もされてますし。手元にあるものの表紙折り返しのそでには1972年『讃歌』の写真が引用されてました。どれか見てみようかな。
Posted by ブクログ
ちゃんと谷崎潤一郎を読んだのははじめてかも。
男女の具体的な描写が無いにもかかわらず、官能的な物語。この二人の物語は、もっと深く濃厚なものであろうことが、短い短編にもかかわらず、想像が展開する。これ以上の表現も説明も不要なのだろうが、まだまだこの二人の物語に身を置きたいという余韻を残す。
Posted by ブクログ
オタクは春琴抄が好きらしい(デカ主語)と聞いて、オタクなので読んでみた。
春琴、ツンデレレベル100億って感じ。二人の関係は愛というより信仰とか洗脳みたいなものだと思う。二人とも、もうお互いしか選べないというか。美しい愛!というより、互いに相手の理想の姿をぶつけあっているみたいな息苦しさを感じた。春琴は佐助ならわかってくれるだろうと慢心しているし、佐助は春琴を美しい人だと信じきってしまって、それを献身的に支えられる自分に酔っているように感じた。相手を愛しているというよりも。
「。」がところどころない特徴的な文体だったけど案外読みやすく、するする読めた。こういう文体のものを読んでいると「ムツカシイもん読んでんな〜自分!」という気持ちになって頭がよくなった気がするので楽しい。
Posted by ブクログ
これは…今風で言うと
女王さまと下僕笑(違ったらごめんなさい)
こういう文豪の名作はしっかり読むモードに入るのでいつもより時間がかかります
人を傷つけちゃいかんでしょ、と思いつつも受ける側がどう見ても喜んでるんだよなぁ
だとすれば
これはこれで二人の愛のかたちなので良いのかもしれない
お勧めされて読んでみたけど
今までに読んだことないジャンルだったので新鮮でした
Posted by ブクログ
作品としては短いのに読んでる途中で胃もたれする部分はあったが割と面白かった。最初は句読点カギ括弧改行がかなり大幅に省略されていて少々読みづらかったが、中盤以降は慣れていきスラスラ読めた。
佐助が春琴を真似るように暗闇の中で三味線を弾いているときからなんとなく気づいてはいたが佐助の愛情の歪み具合は異質だった。
妊娠が発覚してすぐに子供は養子に出されたため子供に関する描写が一切なかったのがなんともいえない。もうちょっと子供にフォーカスを当てた章があっても良かったと思う。
春琴の好きなものについての描写が若干読んでて疲れた。別にそこが後々の伏線になっているわけでもなかったので、そこを端折って子供について書けばいいのになー
後半15ページ辺りからの展開が早すぎてそれ以前はなんだったの???と思ってしまった。正直面白かったのはその15ページだけだった。
前半部分は結構内容が薄いのに最後の15ページでトントン拍子で話が進んでいってしまったのが少し残念。
わたしの読解力がないのかわかんないんだけど何で佐助は春琴が好きなの?という疑問だけが残るラストだった。春琴のために失明までするほど春琴がいい女だとは思えなかった。でも多分そこも含めて佐助がマゾって言われてるんだろうけど。そういう解釈で合ってる?
なんか極端にこの春琴抄を評価してる人多いけど正直絶賛するほどではないと思う。まあ面白くはあった。盲が笑うと醜いみたいな描写あって時代を感じた。
映像化や漫画化もされてるみたいなのでその辺も見てみたい。
Posted by ブクログ
初めて読んだ時は何だこの気持ち悪い愛情表現はと思っていたが、この前改めて読み直すと谷崎さんの素敵な文字選びと2人の不器用な愛がなんとも愛くるしい
これが谷崎ワールドなのかもしれない!!!!
洗脳!!!
Posted by ブクログ
盲目の琴の名人春琴と丁稚の佐助、二人の恋物語。容姿端麗で琴の腕も名人並の春琴だが盲目になったことで性格も意地悪くなるが、そんな春琴の身の回りの世話をしていたのが佐助。彼女の傲慢な要求にも誠実に応える佐助。ある日春琴は何者かによって火傷を負わされ誇っていた綺麗な顔が醜いものへと変貌してしまい、その姿を佐助に見られたくないと言う。それに対して佐助は自らの眼球を針で刺し盲目となることで彼女の綺麗な姿を頭の中に留めることにする。
思ったりよりも読みやすかった。佐助の愛が凄すぎる。自分じゃ到底できない。盲目になってから見える世界があると佐助が言ってるのがまたいい。
Posted by ブクログ
愛というものに翻弄された男と五体満足に生まれ、蝶よ花よと大切に育てられてきたにもかかわらず、運命に翻弄されて身体的自由を奪われていく女のお話。
人を愛することの重さをずっしりと感じる、厚みの薄い本なのに読み終えた時にはぐったりするような重い愛のお話でした。
愛した人の為にどこまでも自分を犠牲にし、どんなにキツく当たられても気持ちを変えることなく尽くしぬく不変の愛情を注いだ一生と身分の差があろうが身体を張って死ぬまで守ってくれた男がずっとそばに居てくれた一生。ある意味それは究極な幸せだったのかもしれないですね。