あらすじ
肌をさされてもだえる人の姿にいいしれぬ愉悦を感じる刺青師清吉が年来の宿願であった光輝ある美女の背に蜘蛛を彫りおえた時、今度は……。性的倒錯の世界を描き、美しいものに征服される喜び、美即ち強きものである作者独自の美の世界が顕わされた処女作「刺青」。作者唯一の告白書にして懺悔録である自伝小説「異端者の悲しみ」ほかに「少年」「秘密」など、初期の短編全7編を収める。
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Posted by ブクログ
言葉だけでこんなにも色気を操れるものか、谷崎潤一郎のエロティシズムへの才能と狂気に魅せられた。
短い物語だけど、大作を読んだ時と同じ余韻を感じられる。
女を描くのに長けていて、その描写から羨望せざるを得ない。
彼にとっての愛はただ彼の中にあるこの世には存在しないもので、その空虚をこの世にある一番美しいもので埋めているにすぎないと思った。
全ては表裏一体、均等などは存在しない。
Posted by ブクログ
どの作品も女性の美しさに焦点を当てていて、フェティシズムを刺激する美しい描写がたくさんあった。精神的屈辱や身体的苦痛に美しさを見出す谷崎だからこそ他の小説家には表現できない作品を生み出せたのだと思う。特に「少年」は思わず息を呑む様な官能的な描写が多かった。エロのカテゴリーが少なかったであろう時代にこんな小説を書いたのは本当にすごい。
Posted by ブクログ
何とも言えない妖艶な物語、風情ある文章が素敵。
物語が進むにつれ、心情の変化が言葉巧みに書かれているので、自分の思いを上手く文章にできない私としては、さすが上手いな、見事だと敬服。
作家はこうでなきゃ!
全部良かったが、敢えていうなら『秘密』『刺青』だな。
Posted by ブクログ
圧倒的文才は変態すら芸術に変える
内容はかなり変態的だが、不朽の名作して残っているのは、美しい文章のおかげだと思った。
美しい文章を書くにはやはり知性や自分の感覚を磨く必要がある。
勉強の大切さを痛感した。
Posted by ブクログ
"当時の芝居でも草双紙でも、すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。誰も彼も挙って美しからんと努めた揚句は、天稟の体へ絵の具を注ぎ込む迄になった。芳烈な、或いは絢爛な、線と色とがその頃の人々の肌に躍った(『刺青』より、p.8)"
少し前に谷崎潤一郎の本のレビューを拝見し、僕も何か読みたいと思い積読本の中から引っ張り出してきた。谷崎の初期の短編7作を収録。
『刺青』
谷崎の処女作であり、代表作の一つ。娘を眠らせその背に刺青を彫ることで己の嗜虐性を満たす清吉だが、その裏には「美しい女の前に身を投げ出し、その足に踏みつけにされたい」という欲望が隠れているように思える。サディズムなのか、マゾヒズムなのか、それらが混然とした彼の複雑な悦びに本作の魅力がある。ただ、他の作品に比べるとそれほどピンとこなかった。そもそも体に絵を彫りつけるのが美しいという感覚がよく分からない。(キモいと言われるのかもしれないけど)素肌の方が良くないか?
『少年』
"纔かに膝頭に届いて居る短いお納戸の裳裾の下は、靴足袋も纏わぬ石膏のような素足に肉色の床靴を穿き、溢れるようにこぼれかかる黒髪を両肩へすべらせて、油絵の通りの腕環に頸飾りを着け、胸から腰のまわりへかけて肌を犇と緊めつけた衣の下にはしなやかな筋肉の微動するのが見えて居る。(p.64)"
一番気に入った作品。解説によれば谷崎自身も自信作だと語っていたそうだが、確かにこれはめちゃくちゃ良い。
冒頭、やけに既視感があったのだが、多分『銀の匙』(中勘助)かなぁ、と。「私」は、学校であまり話したことのない信一から、彼の家の庭で行われる祭りに招待を受ける。そこで、「私」は学友たちの隠れた一面を知る。学校ではいじめられっ子だが家ではサディズムの衝動に取り憑かれている信一、学校では餓鬼大将で威張っているが家ではすっかり信一の言いなりになっている仙吉。蔵の中で、大人たちから隠れて密かに行われる子どもの遊戯に、まだ解き放たれていない無意識の官能を感じる。彼らは、その無垢さゆえに性の衝動に身を委ねることが許されるのだ。
圧巻なのは終盤、仙吉と同様信一の言いなりだった彼の姉の光子が、マゾからサドへ立場を一気に逆転させ、"女王(p.70)"となるシーン。彼女の劇的な変身は意外ではあったが、こうやって転換して終わらせるものなのかと感心させられる。
『幇間』
これも、凄まじい作品。
ある幇間(太鼓持ち)の、人から軽んじられ憐れまれることに快感を抱くその倒錯を描く。彼が、惚れた芸者から真剣に扱われていないことを悟ったとき、即座に彼女が仕掛けた悪戯に乗っかって自らを道化に仕立てる様には、むしろ薄ら寒いものを覚えた。
『秘密』
「秘密」の甘美さによって辛うじて保たれていた男女の関係。秘密が失われると、忽ちにして色褪せてゆく。
『異端者の悲しみ』
この本の中では他とかなり毛色の違う作品。谷崎の自叙伝的な面が強いという。自分に非があると分かっていながらも、つまらない意地を張って一層強情になるなんていうのはきっと誰しも覚えがある感情ではないだろうか。それに付き合うのは正直勘弁被りたいが、自分の卑しさを最もよく分かっていて、深く絶望しているのは、他でもない自分なのだと言いたい。
『二人の稚児』
王朝文学的な設定。女人禁制の比叡山で育てられた二人の美少年の、「女性」への憧れ。上人や仏典は女性を恐ろしい魔性のものだと言うが、成長するにつれどうしようもなく惹かれていく。ラストシーンの、絵画のような儚い美しさが印象に残る。
『母を恋うる記』
読み始めてしばらく、主人公がどのような状況にあるのかよく分からなかった。どこか不条理な情景を描いた作品である。見かけたお婆さんを自分の母だと思って「お母さん」と声をかけるシーンでは、『赤い繭』(安部公房)を思い出した。まぁ結局この不条理は昨今評判の悪い「夢オチ」なのだが(笑)、ここで夢と現実が重なってきてとても切ない(「あぁ、お母さんはもう死んでいたのだった・・・」)。
それにしても、やはり谷崎は文が美しい。谷崎は『文章読本』で、日本語の調子には大まかに言って"源氏物語派(=和文的)"と"非源氏物語派(=漢文的)"の二つがあると述べているが、前者の特徴は"一語一語の印象が際立つことを嫌い(『陰翳礼賛・文章読本』(新潮文庫)p.232)"、単語から単語へ、センテンスからセンテンスへ、境界をぼかしてなだらかに繋げるところにあるという。谷崎の作品で言えばそれが極められているのが『春琴抄』だが、本短編集でも谷崎の文章へのこだわり・工夫を見ることができる。例えば『幇間』では、
"草行きの電車も蒸汽船も一杯の人を乗せ、群衆が蟻のようにぞろぞろ渡って行く吾妻橋の向うは、八百松から言問の艇庫の辺へ暖かそうな霞がかかり、対岸の小松宮御別邸を始め、橋場、今戸、花川戸の街々まで、もやもやとした藍色の光りの中に眠って、その後には公園の十二階が、水蒸気の多い、咽せ返るような紺青の空に、朦朧と立って居ます。(p.72)"
といった具合で、これでまさかの一文である。この息の長い調子が、『幇間』の長閑な雰囲気を生んでいると感じた。
Posted by ブクログ
あとがきを読んで知ったんだけれど「刺青」は処女作ということで、才能が「開花」してますね。
谷崎には「開花」という言葉が相応しいように思える。
あまり谷崎文学に触れてこなかったけれど、彼の小説の見方がぐっと変わりました。
最初に有名な「痴人の愛」を手に取ったのですが、沼に落とされた感と、またこれから谷崎文学に触れたいという方がいたら私はこの本を薦めたいです。
妖しくも艶めかしい内容ですが、それを上回る描写力。
沈美の作家とも言われていますが、圧倒的存在感と真逆の少しふわふわした感じが良い按配で詰め込まれている、気品高いお重の中の風変わりなお菓子と言ったところ。
甘くて妖艶。
少し苦い。
Posted by ブクログ
再読です。言わずもがな有名な「刺青」「少年」を収録し、なにゆえ谷崎文学が耽美派と呼ばれているのか、その作風が大体わかる一冊になっています。私の場合、谷崎はこの本からのめり込んでいったので、非常に思い入れのある話が多いです。「刺青」や「秘密」は大好きな話ですが、谷崎文学では異色の「異端者の悲しみ」や、幻想的な情緒を醸し出す「母を恋うる記」なども好きです。まあ要は全部好きです(笑)。
Posted by ブクログ
表題の「刺青」や「少年」などはまさに谷崎氏らしいエロティックな作品ですが、「母を恋うる記」は凄まじく綺麗な風景描写が心に残りました。作者でなければ書くことのできない美しい表現を用いて風景が描かれており、そこに感動しながら読んでいるとお決まりの?谷崎氏らしい人物描写も登場し、短い話ですがたいへん読み応えがあり、大好きです。ぜひ読んで欲しい作品です。
ただ、「異端者の悲しみ」や「二人の稚児」は途中までは面白いのですがオチが突然すぎてあまり脈絡なく感じたのが残念でした。(解説を読んで作者がなぜ書いたのかは納得はしました。)
しかし「母を恋うる記」がよすぎてこれだけでこの本は買いだ!となりました。
Posted by ブクログ
「刺青」と「母を恋うる記」が好きでした。
男性視点からみる「女性」についての様々な話が収録されていた。
日本語はこんなにも美しいのかと再認識させられるような本でした。特に「幇間」の春の描写は息を呑むほど綺麗。
Posted by ブクログ
先日鑑賞した作品に『刺青』が引用されており、「そう言えば谷崎潤一郎は読んだことがなかったな」と手にとってみた。
知識としてどういう作風かは知っていたつもりだったけれども、想像以上に耽美な世界観だった。サディズムとマゾヒズムがふんだんに織り込まれている。情景としてはおぞましいはずの場面も、滑らかな筆致でするすると飲み込まされてしまう。なんというか、ずるい文体だ。個人的には『秘密』が好き。
『異端者の悲しみ』だけはすっきりしない読み心地でもやもやしたが、解説によると自伝的な作品であったとか。そういう見方をすると、確かに受け取る印象は変わってくる。
谷崎潤一郎、女性と母親像とに物凄い思い入れがあることは全編通して強く認識した。他も読んでみるかなあ。
Posted by ブクログ
「刺青」
短いお話ですが、冒頭の一文から引き込まれ、最後女の背中の刺青が朝日に照らされる一文まで読み終わると、ずっしりと妖しい空気感が残るような感じ。
「秘密」
素性を隠して自分を夢の中の女としてみせることで男を繋ぎ止めておこうとするなんていじらしくて可愛いと思ったけど、この主人公にはそんな平凡な哀れみの心はないんだろう。
最後の一文から、この男はさらなる歓楽にも、きっと同じように夢中になり、全容を悟ってしまっては飽きてを繰り返してどこまでも堕ちていくんだろうなと思った。
Posted by ブクログ
刺青
話自体は展開の予想がついたが、いろんな後世の作品がオマージュにしているんだろう。そういうところではなく、言葉の美しさ(なんて言えるほど学はないが)を浴びるよさ。短さもあって音楽を聞いてるよう
少年
幼さからくる残酷さ、無邪気さ。普通そうはならんやろと思うが、閉鎖的で、階級が存在する社会ならあり得るか。和製、甘口蝿の王。
幇間
座の中心になる人っているけど、こういう下に見られるようなタイプは現代あまりいない、いたとしても終始とはいれないなぁ。やっぱりおもちゃにして遊んでるんだな。
秘密
探偵小説や、犯罪小説の読書を終始喜ばせる「秘密」「疑惑」の気分に彷彿とした心持ちで、私は次第に人通りの多い、公園の6区の方へ歩みを運んだ。そうして、殺人とか、強盗とか、何か非常な残忍な悪事を働いた人間のように、自分を思い込むことができた。
前半と後半で「秘密」のもつ美しさと危うさが変わっていった。前半部の秘密は、経験はないがなぜかすごく共感できる。その自分だけが知り得るという優越感。
後半部の秘密は、解き明かす側だからこそ焦がれる思いと、蓋を開けて失望する感覚。設定に現実味はないのに共感できるってすごい。
異端者の悲しみ
自伝なん?
なんだかんだと理由をつけて、周りに迷惑かけてまで酒と遊びに溺れるシリーズ。本人はもちろんクソだけど、結局有耶無耶にしちゃう友だちもよくない。友だちづきあいには、価値観も金銭感覚も大事。
二人の稚児
信仰によって救われた…のかは解釈。とにかく信仰は本人がよければいいの。お金とか無理なことを強いなければ。
現世ストイックで来世に備えるというのは本末転倒じゃないか。生まれ変わりでなく、無限地獄とか言われたらそりゃ嫌やけど。
母を恋うる記
キサラギ駅?こわーと思ってたら、まさかの夢オチ。母を恋うると、どうしてああいう描写になるのか。舐めたい足の裏?完璧な鼻?濡れたような髪束?
痴人の愛、春琴抄も読んで「マゾヒズムは文化」と括ったら浅学か。
Posted by ブクログ
大正7年(※)、新進作家の谷崎潤一郎は麻生市兵衛町に新築されたばかりの永井荷風亭を訪ねた。小さな庭に設えた巴里のカフェに模した丸卓で相向き乍ら、祝いに持参した葡萄酒を注ぎ合った。昨年「中央公論」に発表した『異端者の悲しみ』に現れた妹と父母との遣り取りはどこまで真実なんだい、などと荷風は問い、全部真実です、などと潤一郎は答えた。
「勿論、世之介のように、遊び人の心情に即して描いた小説がなかったわけじゃない。でも君は今にも死にそうな肺病病みの妹を心で罵り、友人の借金を踏み倒し、家にも帰らない穀潰しの貧乏長屋の学生を嬉々として描いた。また新しい文学を描いたね」
「そう先生に褒めて頂けると、耻を忍んで書いた甲斐がありました。思えば8年前に先生の三田文学の批評を頂いたからこそ、今の自分があるようなものです。全く感謝しております」
「いや、『刺青』にしても、『少年』にしても、『秘密』にしても、みんなこの世界的な大都会でこそ生まれるべき、デカダンスな小説を、生ませるべくして産んだ君の成果だよ」
「いえ。そう評価してくださる方は未だ少数で‥‥」
「その上君は、昨今益々消滅しかけている江戸の町の風景のみならず、風俗や、穢(きたな)い所含めての人情を、小説として書き留めてくれている。僕も僕なりにやろうとしているけれども、1人じゃ限界がある。却って感謝しているよ」
「そんな‥‥」
「まぁでも、君のMasochist趣味には付いていけないんだけどね」
アハハハと潤一郎は笑った。其の声には荷風先生とは違う、自分なりの世界を築きつつあるという自負も含んだものだと荷風には聞こえた。
「でも、先生、本当に感謝しているんです。万が一、この偏奇館が地震などで潰れた時には、必ず私が何をものにもかえてお世話させて頂きます」
うふふと、荷風は曖昧に応えた。
このあと27年後に、地震ではなく空襲によってこの館が灰塵に帰し、荷風は遥か岡山真庭の地で、潤一郎の歓待を受けることなど、想像もしていない2人ではあった。
※今気が付きましたが、永井荷風偏奇館入居は大正9年でした。まぁ、もともといい加減なレビューなので、許してください。(23.10.05記入)
Posted by ブクログ
谷崎潤一郎文学忌 1886.7.24.〜1995.7.30
谷崎忌 潤一郎忌
「刺青」しせい
1910.10 デビュー作のようです。
人々が「愚か」という貴い徳をもっていて 世の中が今のように激しくきしみ合わない時分でした。
この一文から始まる刺青は、小説の時代背景を希薄にして、美しい事が全てという世界観を容認させてしまいます。そして、美しい事、強さがある事は、これからの作品に継承されていきます。
元浮世絵職人の彫師。自分の望む美女に魂を込めて、掘りたい画題がある。彼は、偶然見知った、足の美しい女に「肥料」と題したその絵を掘り上げる。多くの男達の死骸を見つめる桜の木の下に佇む女の絵。女は、彫物によって、より美しく自信を持った。自分の彫った絵と女の美しさに、彼自信も肥料となる。
「少年」
1911.6
裕福な家の同級生の少年。彼は、学校と家でその表情を変える。普段大人しい少年は、家では姉や使用人の子らに遊びの延長として、支配し時には暴力的になる。子供心にその支配に心地よさを感じる。ある日、姉は巧みにその支配を逆転させる。子供達の遊びの中のギリギリの暴力と支配。恐怖と快楽の危うい境界。というような、快楽の目覚め的な情景を詩的に書いてくる。
「幇間」 太鼓持ちのこと
1911.9
生まれ持って、幇間の気質の男。本職は、借金で駄目になり、とうとう柳橋の太鼓持ちに弟子入りする。芸はできるし、お座敷は盛り上がる。芸者に騙されたふりをしたり、妻を寝取られたり、何をされようと怒りの感情を持ち合わせない。人に笑われることに喜びを感じる。結局、そんな男を周囲も可愛がる。
ラストの一行「プロフェッショナルな笑い方をしました。」とあり、本物の幇間としての賛美なのか、プロに徹した生き方への賞賛なのか、わからない。
「秘密」
1911.11
都会の喧騒から逃れ、現実から離れた生活を求めて寺に住み始めた男。酒、読書、女装、に浸る。
自分の女装の美しさに外出をするようになる。
ある夜、昔付き合いのあった女と再会。その女を手に入れる為、男に戻る。女にも秘密が有り、それを隠して男を誘い込んでいた。男は、その秘密を知った時から、女に興味を失う。
「異端者の悲しみ」
1917
東京下町貧民街で暮らす大学生。家、家族全てに不満を持つ。自分には、才能があるのに金がない。金にだらしなく、親戚、友人から借り返すことをしない。何をするでもなく僻み、面倒事から逃げる。とにかくこの男に嫌悪感を持つ。
が、これは谷崎の自伝的小説らしい。デビュー前、自分の環境に苦悶して、精神状態も危ういようですね。
妹が死んで2ヶ月の後、小説を書いた。として終わります。
「母を恋うる日記」
1919
谷崎の美しかった母親を幻想的な夢の中で追い続けるファンタジー。
「二人の稚児」
1918.4
比叡山の上人の元、二人の稚児が修行していた。二人とも、もの心つく前に入山している。二人は女を知らない。15歳となった一人が、俗世間の真実を自分の目で見ようと下山する。そして、山に帰らず、俗世間の素晴らしさを手紙に書いて、残した稚児に届けさせる。しかし、誘惑に負けず信仰を深める決心をする。
煩悩と信仰の間で揺れる。残された稚児も15歳になった時、再び煩悩に苦しむ。再びの苦悶からみすごりという修行に入り、満願の日、前世から繋がりのある女性の事を知る。そして、来世での再会を祈る。
この小説は、すごく面白いと思う。
「女ごのように可愛い」と先人達にほめられるが、女人は悪魔と教えられている稚児達は、混乱する。「菩薩のように美しい」と言い換えられても、女人禁制なのになぜ女人の菩薩なのか考える。
煩悩に苦しむのは、心も身体も大人になりつつある15歳。下山した稚児も、山に残った稚児もそれぞれに自分の気持ちに忠実だったりする。そして、それぞれの道に生きていく。唯識論などを知っていれば、もっとわかるんだろうなあと思いました。
Posted by ブクログ
最近の文学だけではなく、幅広く文学を…と思い手に取った本作。
大江健三郎さんに引き続き、次は谷崎潤一郎さんの作品。
いやーーー、本作面白かったーーー( ̄▽ ̄)
谷崎潤一郎作品、「耽美派」、「性的」、「フェティシズム」なんて様々にご立派な言葉で表現されてきていますが…
いや、なんというか格式高いロリコンドMエロ小説(こんなこと言うと怒られるのかもしれませんが…)ですね、まどろっこしい言い方してんじゃないよと(笑)
端的に言うと「美女にめちゃくちゃにされたい願望」っていう…
いやー、でもコレがとっても面白い(´∀`)
文章がとても綺麗なので、ただのエロってだけでは無く、完成度の高い文学として成立しているのかなと。
あと「エロ」って時を超えて不変なものなんだなと(笑)
古い作品って、時代背景が違ったりするとイマイチ感覚的に理解できないことも多いんですけど、動物の本能的な部分に近い感情は変わらないものなんだなと、そんなことを考えたりもしました。
個人的には「秘密」が好きでした。
女装して、麻酔薬持って犯罪の匂いを楽しんで、目隠しして車に乗せられて女に会いに行って、さるぐつわ外して巻きタバコ…(´∀`)
フェチの要素もありながら、物語としても純粋に面白い。
「秘密」が楽しさの原点というのも、とても分かる気がしました。
本作でまた今までに知らなかった小説のジャンルを知れて、さらに世界が広がった感じ。
コレがあるから小説は辞められない…( ̄▽ ̄)
次は長編の「痴人の愛」あたりも読んでみようかなと。
<印象に残った言葉>
・如何なる意味をも鮮やかに表し得る黒い大きい瞳は、場内の二つの宝石のように、遠い階下の隅からも認められる。顔面の凡べての道具が単に物を見たり、嗅いだり、聞いたり、語ったりする機関としては、あまりに余情に富み過ぎて、人間の顔と云うよりも、男の心を誘惑する甘味ある餌食であった。(秘密)
<内容(「BOOK」データベースより)>
究極の美女に土下座し、踏みにじられたい。
谷崎が描くエロティシズムの極み。
肌をさされてもだえる人の姿にいいしれぬ愉悦を感じる刺青師清吉が、年来の宿願であった光輝ある美女の背に蜘蛛を彫りおえた時、今度は……。
性的倒錯の世界を描き、美しいものに征服される喜び、美即ち強きものである作者独自の美の世界が顕わされた処女作「刺青」。作者唯一の告白書にして懺悔録である自伝小説「異端者の悲しみ」ほかに「少年」「秘密」など、初期の短編全七編を収める。
用語、時代背景などについての詳細な注解を付す。
目次
刺青
少年
幇間
秘密
異端者の悲しみ
二人の稚児
母を恋うる記
注解細江光
解説河盛好蔵
Posted by ブクログ
谷崎の異世界を覗く感じが好ましい。特に刺青、幇間、秘密、少年の各編は怪しさ満ち満ちていてどきりとする。さすがに美しく端正な文章である。他の谷崎作品も読みたい。
Posted by ブクログ
腕利きの彫物師である清吉
彼に見染められた娘は背に刺青を彫られていく
そして、背の刺青が完成するに至り「娘」は幾多の漢たちを足踏みにしていくような「女」に変わっていく
清吉が本当に女に望んだものとは…
その妖艶さに惹かれて何度も読み返してしまう
Posted by ブクログ
「春琴抄」に続き2冊目
マゾ的な作品が多かったように思う。耽美というのはよくわからなかった。わからないものは近より難く、危ない、妖しいになる。
Posted by ブクログ
7つの短編集
特に前半は、アブノーマルな性癖がテーマで、覗いてはいけない世界観を覗いた感覚。私には、表現の美しさよりも描写の気持ち悪さが印象に残ってしまった。
Posted by ブクログ
まだ、途中だけど、「少年」えぐいいい。どこが最推しかというと、主人公が表門から入って色んな人に、タダで食べられるから、食べな!と勧められるところ。まじで、描写が綺麗すぎて、主人公のプライドというか、が、少しずつ、でも、着実に削られていく様子が美しすぎる!!
Posted by ブクログ
この本のうち、『刺青』が特に有名だが、今回収録されている作品のなかでも、内容としては短めである。しかし、本作を一読すると、谷崎の、女性に対する見方の一端に触れられる。
Posted by ブクログ
•『異端者の悲しみ』
谷崎の稀有な自伝作品。
偉大なる芸術の才を持つ有為な人間であると自らを認めつつも、困窮を極める家庭環境に底知れぬ劣等感を抱いていた谷崎の苦しみが伺える。あるべき自分に達することのできない恐怖とそれによる底なしの体たらくに捕らわれる時期が自らにもあったので、谷崎の徹底的な自己暴露には幾許か同情の余地を残しつつも、「堕落の元凶を全面的に他者に委ねるのは如何なものか」と馬鹿真面目に考えてしまう面白みのない自分もいる。(自分の卑さを一番理解し、最も深く絶望しているのは本人だとわかっているのに、谷崎に寄り添いきれない事がなんとも悔しい)
「自殺=精神的脆弱性であり悪である」というステレオタイプがある。しかし、嫌悪する境遇から逃れ出る道を講じることもなく、己の不幸をかこちながら醜い生を続けていくことが果たして強さだと言えるだろうか。単に怠惰から来る薄志弱行ではなく、どれほどに己を奮い立たせようとも心に行動を伴わせることができない瞬間が人間にはある。そんな苦しみから死を持って自らを解放させる事ができるのならば、それもある意味強さだと思う。
物語ラストは富子の死によって文学的な芸術の才能(『刺青』)を開花させたということか?ここの繋ぎ目がよく分からない。
•『少年』
無垢な少年少女のマゾヒスト、サディスト的嗜好の開花とそれによる征服の過程を描く。
•『秘密』
秘密は秘密であるからこそ愉楽である。
やはり谷崎は視覚型よりも聴覚型の作家である。彼の言葉の端々に、文才とはこのようなものを言うのだと、感嘆させられる。
Posted by ブクログ
正直『春琴抄』を読んだときは、確かに谷崎は変態ではあるけれど、そんな騒ぐほどのものだろうか、と思っていた。本篇所収の『少年』を読むまでは。
全く谷崎の頭の中は発酵している。本人が『異端者の悲しみ』の末尾で「彼の頭の中に発酵している悪夢」と書いているぐらいだから、そうなのである。
『春琴抄』で連れ立って厠に行くシーンがあったので、谷崎には多少スカトロ趣味のようなものがあるんだろうとは思っていた(『異端者の〜』でも終わり近くになって唐突に危篤の妹・お富にそれ系のシーンを演じさせている)。しかし『秘密』の話中で展開される汚さに比べたら…耽美派なんて言われてるけど鼻くそやら痰やらを食べさせることのどこが耽美なんだ。私は想像力豊かなのでこういうシーンはホントに堪えられない、吐き気を我慢しながら読んだ。汚ければなんでもいいってものではないんだぞ谷崎、せめて秘所周辺から出るものに留めておけ。そういう意味で、本篇の表題は『刺青・少年』にするべきだったんじゃないかと思う。
ところで、私はずっと谷崎のマゾ気質がイマイチ理解できずにいた。世にそういう男性が多いのは知っている。でも力も学もある男性である彼らがなぜ足蹴にされたいのかがどうしても納得いっていなかった。本篇を読んでいて、女が時に男にめちゃくちゃにされたいというのと同じ根っこから出てるような欲求を谷崎も抱えていたのかしら、だったらちょっと解るかなぁと初めて思えた。『春琴抄』を読んだときの私は20歳そこそこ、社会に植え付けられた性的役割の規範にどっぷり浸かっていて、そんな発想ができなかった。そんな自分の歩みとも向き合えるのがこの人の作品を読む醍醐味なのかもしれない。
Posted by ブクログ
秘密 がよかった。
大概いい暮らしをしながら、それに飽きて女装を始める。女装した自分のクオリティがそれなりに高いというのもアレだが、それを超えてくる女の子に対して、女として嫉妬するところがキマってる。
その上異国で引っ掛けた女の子だと。
まーあこの主人公のような人は、手に入れるまでの過程に快感を覚えるタイプの変態。好奇心の向き方が変わってんだよな。
次は田畑へ行って何を見つけるのか知らんが、そういう主人公の欲望のアリカを追う物語は面白いですね。
Posted by ブクログ
虐げられ、笑われ、堕落していく快楽が描かれる初期作品集。
少年期の暴力的な遊びを描いた「少年」は被虐が加虐に鮮やかに転換し、後のナオミに繋がる。そのほか、身を落としてまで笑われることに喜ぶ「幇間」、女装をして夜の街を徘徊する「秘密」、まだ見ぬ浮世と女人に懊悩する「二人の稚児」が面白い。
「異端者の悲しみ」は自叙伝的作品で、「母を恋うる記」は母親が亡くなった二年後に書かれた潤一郎版「夢十夜」のような作品。
Posted by ブクログ
面白かった〜「刺青」「幇間」「少年」あたりは本当にThe性癖と言わざるを得ない文章だった。圧倒的に美しい女に、天性の加虐性や性質をぶつけられて心身が捻くれることに喜びを見出している男ばっかり出てくる。なおかつ相手も同じ(ただしベクトルは反対の)喜びを感じていてほしいという... 文章が上手いのでそういう心理がさらさら入ってきますね。
「異端者の悲しみ」も良かったな。最後主人公が芸術を発表したくだり、ねじれて澱んで、しかしそれを悲しいと思わないわけでもない主人公の性質が花開いたかんじがする。好きな終わり方でした。