谷崎潤一郎のレビュー一覧

  • 春琴抄

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    今更、自分ごときがどうこう言う作品でないのは重々承知ですが、個人的備忘録を兼ねて。

    「主人と奉公人」「師匠と弟子」そして「視覚障害者と介助者」の歪んだ愛。
    主人であり師匠であり視覚障害者である春琴は、最大の自慢であり、自信の源泉である美貌をとある事件によって失うことになる。
    奉公人であり弟子であり介助者である佐助は、春琴が見られまいとするその変わり果てた姿を、生涯目にしないことを決意する。
    二人の育んできた歪んだ愛は、二人の手によってさらに歪まされることにより、ついに完成するのである。

    一般的な恋愛とはあまりにもかけ離れた愛の姿。
    そのどうしようもなく歪んだ愛が感動を誘う。

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    2026年02月10日
  • 痴人の愛(まんがで読破)

    購入済み

    ええ話や!!

    ええ話や!現代に通ずるものがあるわ!ナオミって女郎相の女?女郎祖だよね!男をとっかえひっかえ!羨ますイー自由奔放!

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    2026年02月09日
  • 痴人の愛 アニメカバー版

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     少女を理想の妻に仕立て上げるはずが、いつのまにかその尻に敷かれることとなってしまった男の物語。
     読者としては何度も繰り返されるナオミのふしだらな行動にげんなりしてしまい、その度譲治に「いい加減別れてしまえ!」と思ってしまう。しかし、彼・浜田・熊谷やその他諸々のナオミと関係を持った人にしか分からないであろう、彼女の持つ悪魔的魅力について考えると、彼女に一度会ってみたいような気がして、でもやっぱり恐ろしくてたまらないような気がして、結局何も言えなくなるのだった。

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    2026年02月07日
  • 春琴抄

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    初めての谷崎作品。文体が古風で馴染みがなく読みにくい感じがしましたが、文章が美しく、描写が鮮やかで引き込まれてしまいました。
    マゾヒズムと書かれていましたが、そういう風に捉えることはなく春琴と佐助の純粋な愛の物語だと思いました。フィクションなのにドキュメンタリーを読んだような感覚になりました。

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    2026年02月05日
  • 谷崎潤一郎フェティシズム小説集

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    代表作の『刺青』をはじめとして、谷崎文学の重要な要素であるフェティシズムにこだわった短編集。『富美子の足』がお気に入り。

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    2026年01月13日
  • 陰翳礼讃

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    谷崎潤一郎の和の陰影の世界に入り込んだ外の光への嘆き

    これが本の骨幹だと思います。しかしそれに対して日本がそれ以前に大切にしてきた陰影とは何か、何処にあるのか、沢山の例があり非常に面白く、知識本としても良かった。
    谷崎の言葉に合わせて載せられた写真等のどれもが素晴らしく、この本をより一層の高みへと作り上げていると思います。

    色んな方にお勧め出来る本だと思います。

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    2026年01月13日
  • 陰翳礼讃

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    「なぜ日本人はうすくらがりが好きなのか」。西洋文明への「負け惜しみ」を含んだ谷崎独自の東洋文明論。谷崎が「薄暗いトイレは落ち着く」とか「電球は暑苦しい」とかつらつら述べるんだけど、これが妙な説得力。ほほう、これが噂の「大谷崎」ワールドかぁ……ってなった。関東大震災で洋館の自宅を焼かれ、関西に移住した谷崎の「実感」がこもっているからだろう。

    今の私たちは、スマホも含めて視覚を使いすぎだと思う。西洋の影響を受けた清潔で明るい家は快適だけど、刺激が多すぎて脳のバッファが足りなくなってるのかも。かつての日本人が持っていた、「陰翳」の中にじっと沈み込むような瞑想的な感覚を、情報過多の今こそ大事にしたいな、と感じた。

    大川氏の写真もすごく良くて、「漆器の中に闇を見る静けさ」のような感覚がじわーっと染みてくる。
    たまには部屋の電気を消して蝋燭でもつけて、スマホも置いて、この濃密な陰翳の中にどっぷり浸かってぼーっとしてみるのもいい。そんな、時間が止まったような「悠久」の怖さを味わってみたくなる本。

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    2026年01月03日
  • 刺青 痴人の愛 麒麟 春琴抄

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    「刺青」変態性。刺青を彫るということの耽美さは、たしかに「蛇にピアス」や「国宝」でも描かれており、理解できなくはない。この話はその先。彫り師としての作品の追求、というよりは欲望の追求。作品の土台となる理想の人体を見つけたとき、その人体が手に入るか手に入らないか。

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    2025年12月31日
  • 谷崎潤一郎犯罪小説集

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    ネタバレ

    乱歩に影響を与えたと言うのがなんとなくわかる
    すべての作品に谷崎潤一郎の持つ「癖(へき)」みたいなの(語彙力がないからこう言う表現しか出来ないのが歯痒い)がちゃんとあって良かった

    いつの作品を読んでも情景が思い描けて美しく、耽美でわくわくさせてくれる。

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    2025年12月03日
  • 卍(まんじ)

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    やや久々の谷崎。卍というタイトルの通り、男女の入り組んだ関係が題材で、主要人物の一人である園子による過去の出来事の告白体、ほぼ全編が絡みつくような大阪弁の会話主体で構成されている、という辺りが特徴。解説では「変態性欲」とざっくり評されているけれど、個別の関係に倫理や常識を踏み外すものがあるのは確かだけど、『痴人の愛』のような倒錯感はそれほど強く感じないし、よりフェティシズム的な側面が強い作品に比べると「変態」感はむしろ感じなくて、それぞれの人物がそれぞれの弱さや執着の中で絡み合っていくという意味ではそこまでドロドロはしていない印象を受ける。この構成や語り口で描きたいんだという谷崎の狙いやこだわりを強く感じるのも良いところ。

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    2025年11月28日
  • 吉野葛・盲目物語

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    『吉野葛』
    -芥川の呪縛を離れて

    吉野葛は奈良県の銘菓だが、美食家谷崎による「食れぽ」ではない。
    尤も、熟柿(ずくし)の魅力を語る場面では、涎が滴るが•••
    本作は、吉野を訪ねた作者が語る、母恋物語。

    この作品を谷崎潤一郎が書いたのは1931年。
    谷崎 45歳。
    谷崎を思うと、その6歳年下の芥川龍之介を思い出さざるを得ない。
    芥川の『羅生門』発刊記念パーティに招かれた谷崎が芥川と共に写っている。
    二人は友好関係を築くが、1927年、小説の筋を巡って激しく論争する。
    その論争の直後、7月24日に芥川は自殺する。その日は、「河童忌」と呼ばれる。
    だが、それは谷崎潤一郎の「誕生日」だった(!)。
    この自殺の日程の決定にも二人の関係を読み取りたくなるのは、当然だろう。
    そして、38年後、谷崎は79歳で死去して、両親の墓に葬られるが、その墓の真後ろが、芥川の墓だった。
    反発しても引き合ってしまう。
    そんな関係を想像してしまう。
    因みに、谷崎が不倫関係の末に結婚する根津松子は芥川のファンで、谷崎が彼女を知るのは芥川を通じてだった。
    どこまで深い関係なのか。
    谷崎に、芥川の呪縛、芥川に対する何らかのオブセッションがあったことは確実だろう。

    日本橋生まれの谷崎は関東大震災(1923年)を機に、関西に移住する。
    その四年後の1927年に、ライバルであり、盟友でもあった芥川を失う。
    『蓼食う蟲』『卍』を発表するが、細君譲渡事件、再婚で困窮、借金取りから逃れるために高野山に籠る。
    そこで書かれたのが、『吉野葛』『盲目物語』『武州公秘話』だ。
    これらは、芥川との因縁を振り解く作業だったのではないか、というのが、勝手な妄想だ。

    『吉野葛』は以下の6章から成り立つ、比較的短い作品だ。
    「その一 自天王」
    「そのニ 妹背山」
    「その三 初音の鼓」
    「その四 狐噲」(こんかい) 
    「その五 国栖」(くず)
    「その六 入の波(しおのは)」

    この小説の形式を何というのだろうか。
    書き手は一貫して「私」であり、作者の一人称で語られる。
    芥川と「小説の筋」論争を行い、「小説の筋」を小説の根幹であると擁護した谷崎だが、本作では「小説の筋」らしいものは希薄だ。
    だが、芥川の『歯車』などのように、「筋」がなく、神経が剥き出しになった作品とは明らかに異なる。
    小説らしい「筋」はない。
    だが、ストーリーは面白い。
    だから、これは、芥川との論争が作り出した新しい「小説」と言える。
    谷崎による「筋のない小説」の創作による芥川への回答、対抗なのではないか。
    「小説」のネタを探す作家の旅行記の体裁を取る。
    これを現代の批評家は「メタ小説」と呼ぶ。
    そんな概念が存在しない時代に、谷崎は、芥川の呪縛を逃れるように(ために)本作を描きたのだ、と思うのだ。

    全く新しい「小説」であるが故に、本作は毀誉褒貶を受けた。
    だが、現代では、谷崎潤一郎の傑作の一つという評価が定まっている。
    それは、本作を、小説世界を構築しようとして失敗した経緯を第三者の視点で描いたメタ作品として、その「現代性」を評価したからだ。
    だが、これを書いた昭和初期の谷崎にとって、そんなことはどうでも良かったろう。
    書いていたらこうなったのだ、何が悪い、という大家の開き直りを感ずるばかりだ。
    これは谷崎に対する非難ではない。
    賛嘆だ。
    そうした大家の居直りが、新しい小説形式を生み出し、芥川の呪縛から自らを解き放つことになったのだ。

    本書のテーマは何か?
    谷崎のオブセッションの一つである「母恋い」だ。
    後南朝をめぐる小説を構想する語り手が登場するが、後南朝をめぐる歴史物語ではない。
    小説の構想を求めて、後南朝の跡を吉野に辿る旅が語られるが、いつしかテーマは「母恋い」に移ってゆく。
    「母恋い」は、語り手が、幼い頃、母親と見た『義経千本桜』の歌舞伎を想起するシーンからスタートする。
    そして、『義経千本桜』には、親狐の皮を張られた「初音」の鼓の音色に、子狐が人間の姿となって現れる場面がある。
    吉野では、その「初音」の鼓の現物(?)が出現し、それにまつわる、案内人である友人の「母恋い」譚がクローズ•アップされてくる。

    もし、谷崎が後南朝の歴史物を書いたら、面白いものが出来ただろう。
    だが、それは、『義経千本桜』に連なる浄瑠璃•歌舞伎に相応しい、日本人の琴線には触れるが、荒唐無稽の「筋のある小説」となったはずだ。
    語り手は、後南朝最後の天皇(?)自天王の物語の構想をこう書く。
    「南朝—花の吉野—山奥の神秘境—18歳になり給ううら若き自天王—楠木次郎正秀—巌窟の奥に隠されたる神璽—雪中より血を吹き上げる王の御首—•••。
    そこに配するに、鬼の子孫—大峰の修験者—熊野参りの巡礼—王に配する美しき女主人公(大塔宮の子孫の女王子)—•••。」
    これは、谷崎の書くべき題材というよりも、柴田錬三郎の伝奇ものと言うべきだろう。
    だが、この構想によって、谷崎の想像力が、浄瑠璃•歌舞伎に連なる「伝奇もの」に飛翔していたことが分かる。
    彼が、この「後南朝」残映とでもいうべき作品をものしていたら、魅力的な作品になったことだろう。
    だが、それは、荒唐無稽な「伝奇もの」がひとつ追加されたことにしかならない。
    芥川との小説の「筋」をめぐる論争を、更に芥川の自殺という事態を経て、谷崎には、筋のある「伝奇もの」を書くという意欲が失せていたのだ、と思う。
    そのため、『吉野葛』のような、本人にも思いもよらない新しい小説形式が図らずも生み出されてしまったのだ。

    蛇足ながら、「後南朝」について触れておこう。
    南北朝時代についても、ましてや「後南朝」時代についてもあまり語られることがないからだ。
    谷崎が「後南朝」に目をつけたのもそのためだ。
    誰も注目しない時代にこそ、想像力を飛翔させる題材がある、そして、その題材は「判官贔屓」と言う日本人の心性に触れる、と小説家の本能が蠢いたのだ。

    「自天王」とは何か?
    南北朝時代、いや、その後の「後南朝」時代、吉野にいた後亀山天皇の玄孫に当たる、「天皇」を名乗る者のことだ。
    後亀山は、南朝の天皇で、後醍醐天皇の孫。後醍醐の皇子、護良(もりなが)親王にとっては(後亀山は)甥に当たる。
    元々は、大覚寺統の流れで、亀山天皇を祖とする天皇家の一族だ。
    一方の北朝は持明院統の流れで、亀山の兄、後深草天皇を祖とする。
    この二つの皇統が交互に天皇を出す仕組みを「両統迭立」と言う。
    だが、二人の天皇が同時に並び立ち、南朝•北朝と呼ばれるようになったのは、大覚寺統の後醍醐が、それまでの両統迭立のシステムを廃して、自らの大覚寺統の皇統を唯一の天皇家にする方針を打ち出し、更に、室町幕府(足利尊氏)と対立したからだ。
    対抗のため、足利将軍家は、持明院統の北朝を唯一の皇統として天皇を立てた。
    このため、日本に天皇が二人並び立つ、「南北朝時代」という、奇怪な時代が現出した。
    そんな時代が60年間も続いたのだ。
    天皇は暦を支配する。
    だから、この時代、元号は二つ存在する。

    その対立が解消されたのは、足利三代将軍義満の時代で、南朝の後亀山は皇位を北朝の後小松に譲ることで、晴れて南北は統一される。
    天皇は一人になったわけだ。
    60年にも及ぶ天皇家の分裂は、足利将軍家に漁夫の利をもたらした。
    鎌倉幕府がなし得なかった、西国における支配権を、弱体化する天皇家から室町幕府は容易く奪い取ることができたのだ。

    義満は、「両統迭立」を条件に、南朝を懐柔した。
    しかし、足利幕府(義満)はその約束を反故にする。
    南朝の系統、大覚寺統が皇位を継承させることはなかったのだ。
    旧南朝=大覚寺は、「契約違反!」と反発する。
    だが、この義満の行為は、かつて後醍醐によって天皇位を大覚寺統で占有するという独占方針に倣ったものと言えなくはない。
    それに怒った南朝の遺臣たちは幾度も反乱を起こす。
    彼らは、吉野の山奥に「朝廷」を作って「後南朝」と号し、半世紀以上にわたって、北朝•室町幕府と対立するのだ。
    一時は、勢力を拡大して、京都に侵入、三種の神器のうち、神璽(勾玉)を奪って、吉野の山に持ち帰ることまでする。
    三種の神器の一部を失った北朝は、その正統性の危機に瀕したこともあったわけだ。
    だが、最終的に、三種の神器取り戻し作戦によって、山奥にいた、18歳のうら若き後南朝の天皇(?)=自天王(北山宮)は殺害され、神璽は北朝に戻されることになった。
    (奪われたのは「勾玉」と「草薙剣」であったという記録も残っている。しかし、戻ったのは「勾玉」だけだ。ということは、「草薙剣」は、今も吉野の山奥に眠っている可能性がある)
    この自天王の死を持って、「後南朝」の歴史は終わる。1457年のことだ。
    時の将軍は義政。
    自天王を謀ってその首を刎ねたのは、当時お家断絶となっていた赤松家の家臣たちだった。
    赤松家はこの勲功により、足利幕府よりお家再興を許される。
    「後南朝」は50年以上続いた。
    だから、南北朝と後南朝を合わせると、1世紀以上、二人の天皇がいたことになる。
    日本史上最も混乱した時代であったことが分かるだろう。

    谷崎が興味を持ったのは、この後南朝と自天王にまつわる伝承だ。
    自天王はそれに出自不明で、本当に皇胤なのか、確定できていない。
    しかし、後南朝では、自天王を天皇として遇していたことは間違いないようだ。
    谷崎は、自天王の事績を中心に歴史物を書いてみたいと思っていた。
    自天王を欺いて殺害した赤松一族は、自転天王の首と勾玉を持って逃走したが、追っ手に追われて、首は雪の中に埋めて逃げたという。
    雪の中に埋められた首から血潮が吹き出したことで、後南朝の者たちは、自天王の首を発見し、首塚を作って懇ろに弔った。
    その末裔たちは、今でも南朝•後南朝の末裔たちはであることを誇り、密かに自天王を祀っている。

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    2025年11月17日
  • 卍(まんじ)他二篇

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    ネタバレ

    谷崎の愛欲系としてまずは手に取りやすそうな厚さで、かつ挿絵が入っている新装版が出ていた本作から!中公文庫は、棟方志功が「鍵」に挿絵入れてる版が出ていたり、目が離せない。本作も中村明日美子の絵がいい味を加えていて大満足。あとは、痴人の愛と春琴抄は読もうと思っていまする。。笑
    卍自体は途中まではー光子と園子がどんどん仲良くしてるあたりーテンション上がってたんですけど、綿貫が出てきて姉弟の契りを結ぼうじゃないかみたいなところから、園子夫にバラされ、海岸の別荘でうんたらしようとして、結局夫も光子と関係持ってしまって、そこから光子に薬使ってコントロールされる、、みたいな後半戦は正直だる〜〜となってしまいました笑。というか谷崎の描くヴァンパイア像が、私の理想の?ヴァンパイアと違うから、光子がいまいち好きになれなくて、う〜〜ん、出だしはよかったのに、、谷崎とやっぱり宗派が違うんだよなあという結論で終。細雪のように関西弁で話が進むのはよかった。
    女性同士の恋愛小説だと三島の「春子」が好きだった記憶あるし、残念〜。というか谷崎実際の光子と園子の絡み自体はほとんど描かないから私に刺さらないんだよ!、もうちょっと接触してほしい、、笑

    以下卍で好きだったところ。電話とか手紙とか、そういうやりとり、いいよね。
    「あてあんな人と夫婦やあれへん。あてはマドモワゼルやもん。光ちゃんさい承知やったら、もしもの時は二人で何処いでも逃げて行くわ。」「まあ、姉ちゃん! それほんまかいな? きっと、きっと、うそ違う?」「うそやないとも! あてもうちゃあんと覚悟してるわ。」「あてかって覚悟してるわ。姉ちゃんあてが死ぬいうたら一緒に死んでくれるなあ?」「死ぬわ、死ぬわ、光ちゃんかって死んでくれるなあ?」(その九/p.70)

    ほんまに、あの晩のような出来事でもなかったら、なかなかこない綺麗さっぱりと切れるいう訳に行けしませんのに、これも神様の思召おぼしめしやろ、口惜しいことも悲しいことも済んでしもたことはみんな夢とあきらめよと、ようよう幾分か落ち着いて来ましたのんは、あれから半月も立った六月の下旬ごろのことで、――去年の夏は空入梅からつゆでしたよって、毎日々々日照りがつづいて、家の前の海岸に泳ぎに来る人がちょいちょい見えました。(その十二/p.97)

    会うたあとではいつでも後悔しなさって、ああ、ああ、自分は仰山の女の中でも人に羨うらやましがられる器量持ってながら、あんな男に見込まれるやなんて何ちゅう情なさけない身の上やろ、もうもう止めてしまいたい思いなさるのんですけど、そら不思議と、また二、三日も立つうちに自分の方から跡追い廻すようになってしまう。そうかいうて、それほど綿貫恋しいのんかいうたら、精神的にはええ思うとこ一つもない、顔見るのんさいムカムカするような気イして、卑いやしい奴やッちゃ、見下げ果てた奴ッちゃ、いう風に、お腹なかの中では常時激しいに軽蔑けいべつしてる。そいで毎日のように会うてることは会うてるけど、二人の気持シックリすることめったにのうて、いつでも喧嘩けんかばっかりしてて、その喧嘩いうのんが、自分の秘密人にしゃべったやろとか、いつまで待たす気イやとか、例のキマリ文句で、愚にもつかんようなこと取り上げては疑がい深いにちゃにちゃした口調でいいますのんで、……(その二十二/p.156)

    一緒に収録されている「蘿洞先生」「続蘿洞先生」は気軽に読める小品で、こっちは好きでした笑

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    2025年11月12日
  • 猫と庄造と二人のおんな

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    ☆3.5 題名そのまま
     庄造がかはいがってゐたリリーが先妻の品子に奪はれ、猫を送った後妻の福子にはせいせいされるといふ人間模様が書かれてゐる。
     とりたてて起伏のあるといふわけではないが、一匹の猫と単純なストーリーでここまで人間関係をふくらませられる力量と、ほとんど説明描写しかない物語なのに、手を替へ品を替へ文章がすらすらとつづくのは、さすが面白く読めた。
     むかし丸谷才一がほめてゐて、それは『別れの理由』に載ってゐる。
     

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    2025年11月05日
  • 陰翳礼讃

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    わたしにとって、筆者が考える影の人に与える影響や感じ方は、普段生活の中で触れて、無自覚に分かっていたけれど、答えがでなかった事や新しい発見であった。美徳感や美しさ、快適、不都合さは現在の物が溢れている世の中で、人生を豊かに生きるために、再定義し考えなければならないと思う。海外の人と日本人の考え方の違いも面白く、物事の観点が大きく面白かった。忘れたころにもう一度読み返し学びたい本である。

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    2025年10月30日
  • 卍(まんじ)

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    (Audibleにて、ナレーター:斉藤範子)
    Audibleを初体験するのに何が良いかと思いつつ選んでみたが、なかなか良かった。ナレーターさんの関西弁は多少不自然だったが、耳当たりが良く楽しく鑑賞できた。
    本で読むのとはだいぶ印象が変わるのかもしれないが、改めて読むつもりはないのでそれはわからない。

    ハズに色々とバレたあたりからのドンデン返しのような展開は予想を超えていて呆気にとられた。え?そんなことになるん?すっかりモブキャラと思ってたハズさんの豹変にびっくり。それまでの長々とした筋書きは手の込んだ仕込みだったとは。
    純粋なのか異常なのか、「先生」はどう思ったのでしょうね。

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    2025年10月24日
  • 細雪(下)

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    奔放でいろいろ事件に遭う四女、内向的で見合いをしても煮え切らない三女、2人と仲良しだが苛々させられもする次女、なんとなく厭われて出番も少ない長女。
    関西の上流家庭が花見や芝居見物に行ったり。話の起伏は少ないが、日常の中で姉妹を好きになったり嫌いになったりする描写は、共感してしまうところが多い。

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    2025年10月19日
  • 疵(きず)の迷楼 耽美幻想セレクション

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    まず装画が怪しげで綺麗!いわゆるジャケ買い
    あとタイトル『疵の迷楼』別世界へと誘い込まれるような魅惑的な感じに加え、名だたる文豪たちの作品に興味を引かれてしまう。
    まだ、このとき耽美という言葉の意味を理解していなかった。ただ「美しい」くらいにしかとらえていなかったので読んでみたら本当の意味を思い知らされ、常軌を逸した世界への入り口だった。

    なかなか普通の感覚では理解、共感し難い作品ばかり。どの作品も何かに心を奪われていたり、病的にのめり込んでいたりと現実からかけ離れていて危うい空気が漂っている。
    抗いがたい好奇心や欲望、まるで[パンドラの箱]を開けてしまったようなそんな感じだ。

    収録されている一部の作品の感想

     『鏡地獄』 江戸川乱歩
    鏡や凹レンズの魔力の虜囚となっていくKの話。
    自宅の実験室で奇妙な物を作りその後Kは…
    Kが見た世界は何なのか?鏡に纏わる話はたくさんある。異界の入り口、魂を抜き取られる、神の依り代。そんな鏡の持つ神秘性、恐怖感とあわせ、鏡に耽溺していく狂気の過程とKの末路が常人には理解し難くカオス。極めてはいけないものを極め、見てはいけないものを見た。
    そしてKの見たものも語られていないから一層恐怖心と好奇心がわいてくる。

    『妙の宮』 泉鏡花
    少年士官が肝試しに妙の宮という神社を訪れ不可思議な光景に遭遇し不可解な結末を迎える。
    明治28年の作品とあって文体が古臭くて読みづらい、けれどどこか美しい文章。たった四頁の中にはたくさんのメッセージが詰まっていた。
    寂れた山中の神社が醸し出す妖しい雰囲気、夢か現実か幻か。いったい全体どこへ引き込まれてしまったのか?曖昧で幻想的な世界観にゾクリとさせられる。
    金時計が意味するものは何なんだろう?時間を盗られた?

    『死後の恋』 夢野久作
    美しい宝石に魅入られ元貴族の男が罪悪感に耐えられず死後の恋というロマンスに変え自己正当化しようした?
    宝石が持つ魔力と呪いが彼を狂気に導き歪んだ愛に発展させたのか。そもそも語り手の男の話がどこまでが真実かも曖昧。
    実は敵軍に殺されたのではなく語り手の男が殺し話を美化したのかも。
    戦争の狂気、宝石の魔力が男を狂わせたのか?
    結末も曖昧なので読み手に委ねられる。
    「強制的な肉体の結婚」という言葉が衝撃的だった。

    『疑惑』 芥川龍之介
    芥川らしい繊細な男の物語。
    罪の意識、良心の呵責から「本当は妻を殺したかったから殺した」のではと悩み苦しむ男の話。そもそも本当に殺したいと思っていたら、そんな長期間悩まないのではないだろうか。
    妻を愛していたが故に自分を罰するために「愛していないから殺したことにしたかった」という風に思いたい。
    どうもこの物語の主人公の男が芥川自信の心の葛藤を投影しているように思えてしょうがない。
    「今日私を狂人と嘲笑っている連中でさえ、明日私と同様な狂人にならないものでもございません」最後の台詞がこころに妙に残った。

    耽美文学は面白いとか面白くないではなく
    耽美的、幻想的な世界観を楽しむもののように感じた。
    たまにはこういう変わった世界観を味わうのも良い読書経験になった。

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    2025年10月15日
  • 新装版 細雪 中

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    四姉妹それぞれ個性豊かだけれど、皆とても性格が良いように思う。姉や妹をお互いに想い、できるだけ好きなようにさせてあげたいと思う姉妹愛に心打たれる。
    登場人物のなかでは、私は幸子の夫の貞四郎が好き。優しくて飄々としていて、結構男気もある。そして現代的な考えも持っていて、この人が四姉妹の仲をうまく取り持っているんじゃないかな。
    続きが楽しみ。

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    2025年10月14日
  • 新装版 細雪 上

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    細雪読み始める。
    上巻ということもあって、四姉妹の状況説明にだいぶ費やされている。
    ですがやはり、谷崎潤一郎の筆致の美しさに読み進めるうちにウットリ。
    京都の桜巡りの箇所は、実際にそこに桜が見えるよう。読めば誰でも、平安神宮の枝垂れ桜を見にいきたくなると思う。

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    2025年10月14日
  • 細雪(中)

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    ネタバレ

    引き続き面白い〜淡々とした日々なんだけど、普通に続き気になるし、面白いんだよなあ。。下巻もこのまま続けて読んでしまう

    社会の情勢はそろりそろりとよくなくなり、隣人のドイツ人一家も引き上げてしまう。上は三女の雪子が中心だったけど、中は四女の妙子へスポットライトが多く当たる。
    まさか板倉とああなるとは、大水の際には思いもせなんだでしたが、進んでみればそうなるのも当然のような経緯で、とはいえ板倉が死んでしまうし(驚き!)、これが下巻でどうなっていくのか。。

    以下好きだったところ。
    …彼女(幸子)と二人の妹達の間柄は、ちょっと普通の姉妹の観念では律し難いものであった。彼女はしばしば、貞之助のことや悦子のことよりも、雪子のことや妙子のことを心に懸けている時間の方が多いのではないかと思って、自ら驚くことがあったが、正直に云って、この二人の妹は彼女に取って、悦子にも劣らぬ可愛い娘であったと同時に、無二の友人でもあったと云えよう。…(p.227)

    …或る日、夕方帰宅した彼は、幸子が見えなかったので、捜すつもりで浴室の前の六畳の部屋の襖を開けると、雪子が縁側に立て膝をして、妙子に足の爪を剪って貰っていた。…貞之助は、そこらに散らばっているキラキラ光る爪の屑を、妙子がスカートの膝をつきながら一つ一つ掌の中に拾い集めている有様をちらと見ただけで、又襖を締めたが、その一瞬間の、姉と妹の美しい情景が長く印象に残っていた。そして、この姉妹たちは、意見の相違は相違としてめったに仲違いなどはしないのだと云うことを、改めて教えられたような気がした。…(p.294)

    その他、歌舞伎を見に行く描写も好き。三島とかの小説にも「今月は〇〇が出ているので〜」みたいな描写あるけど、私もそう思うから親近感を覚えるポイント。
    …その明くる日の歌舞伎座で、最後の吃又の幕が開く少し前…(三十三の一文目、P332)など

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    2025年10月14日