谷崎潤一郎のレビュー一覧
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時代は平安
比叡山の二人の稚児
二人共幼い頃から山に預けられ
俗世を知らぬまま 15と13に
二人は美しく成長して 15になり出家を前にした稚児は煩悩に苦しむ
彼は「女人の危険」を知る為に山を降りる
外面似菩薩、内心如夜叉
山に残った稚児は殿上人の息子
俗世に降りた友人の誘いを断り仏門に専念して
来世への功徳を決意する
しかし15になった稚児は やはり煩悩に苦しみ始める その煩悩を苦行で乗り越えようとするが
本当に乗り越えられたのは 前世からの想いを繋ぐ鳥との邂逅
稚児が男性として成長する時の煩悩との戦い
夜汽車さん 稚児は美しくすぎるのではないのか
女人達が怪し過ぎるのではないか と -
Posted by ブクログ
いやー相変わらず潤ちゃんムズい漢字使い過ぎだわ
いや分かるけども!
覚えたてで使いたくなるの分かるけども!(絶対そういうことじゃない)
というわけで谷崎の潤ちゃんですわ
うーん、あれ?
「女人こわい」ってこと?
「まんじゅうこわい」みたいなこと?(絶対違う)
実はめっちゃ好きってこと?(違うって)
そだよねー
女人いいよねー
分かるわー潤ちゃん分かるわー
それにしても非常に『乙女の本棚』向きのお話であった
夜汽車さんがめちゃくちゃ気合い入れてかわいい女の子描いてはった
つまり『二人の稚児』の主題は「女人いいよねー」だ!
間違いないよ
だって潤ちゃんなんか3回も結婚してるもの
それ -
Posted by ブクログ
ネタバレ一応、千倉磊吉(ちくららいきち)という作家の家で働く女中さんの話というフィクションの態を取っているけど、これは谷崎純一郎宅で働いていた女中さんたちの話。
すべてがすべて完全実話じゃないかもしれませんが、この突拍子もなさは多分ほとんど実話。
だからとても愉快に読んだ。
今のご時世、女中さん(お手伝いさん)を雇っている家となれば大金持ちでしかありえないけれど、昭和の初めころのそれは、わりとよくある職業の一つだった。
何せ原作マンガのサザエさんでさえ、ご近所のお手伝いさんとして働いていたことがあるのだから。
しかしさすがは文豪谷崎潤一郎。
彼の家には複数人の女中さんたちが入れ代わり立ち代わり雇わ -
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Posted by ブクログ
下巻になり、雪子と妙子の運命がそれぞれの方向に極まってくるスピード感と盛り上がりはさすが。
どこか突き放した描き方になっていくところが面白くもあった。
貞之助の手紙が何度も出てくるが、(当然作者の谷崎が書いたものであるのだが)縁談を断るのも、お願いするのも、待ってもらうのも、相手を気遣い、その上で、複雑な自分の立場をうまく相手に伝える、最上のお手本のような仕上がり。
おお、うまい書き方だなあと何度も感心した。
この小説の蘆屋の家の空気にすっぽり入ってしまっていたらしく、読み終わってみると、ああ、もうこの人たちと会えないのか、とさみしくなった。
長編小説の良さはこういうところにある。 -
Posted by ブクログ
作家の千倉磊吉(ちくら らいきち)が昭和10年に50歳で二度目の妻の讃子と所帯を持ってから、戦後の昭和30年代まで、たくさんの女中さんたちが千倉家で暮らした。
前の職場で、あるじに手篭めにされそうになって逃げてきた子などもいたが、磊吉はそんなことはせず、女中たちにも美味しいものを食べさせ、妻の讃子も、困っている者があればすぐに雇った。
そういう家風(?)のせいか、女中さんたちは存分すぎるほどにに個性を発揮する。
さほど厚い本ではないけれど、「女の一生」を何冊も読んだ気分になる。まさに、女の博覧会のよう。そのリアルな描き方はさすがに谷崎ではあるけれど、視線は働く若い女性に対するエールにあふれてい -
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Posted by ブクログ
昭和初期に書かれた、日本における光の意味を教えてくれる本。
ほどほどのあかりで、見るべきではないものはそのままに。
当時の光の増大に対する違和感は、現代で言うところの、情報量の増大と似ていると思った。
西洋人は闇を排除し隅々まで明るく照らし、光による闇の討伐を目指した。一方で、日本人は闇と共存し、ある意味、一体化していた。
しかし、日本人は、親しい闇を、西洋文明の流入により、追いやった。
見るべきではないものを突きつけられ、どう対処すべきか、悩まされる。実は、悩む必要などなく、対処すべき事でもない。それとは、ずっと前から無意識に共存してきたのである。
鎖国によって生じた文明の遅延に対する劣等感
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