あらすじ
大和の吉野を旅する男の口を通して、失われた古きものへの愛惜と、谷崎生涯のテーマ、永遠の理想の女性たる母への思慕の情を謳った随筆的小説『吉野葛』。夫浅井長政を兄織田信長のために滅ぼされるお市の方の悲劇的生涯を中心に、戦国時代を生きた人間の喜怒哀楽を美しく描き出した『盲目物語』。ともに、日本的なものへの傾斜を深めた谷崎中期の代表作である。
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⬛︎吉野葛
死別した母への愛慕から、母の郷里である奥吉野・国栖を訪ねるという津村に同行し、「私」は小説の材料を探して一帯を彷徨する。津村が母や吉野に対して寄せる思いについては、いくつかの印象的なモチーフ-狐・鼓・琴・紙漉きーを伴った伝聞として叙述される。津村は国栖で出会った遠戚の娘に母の面影を見出し、嫁に迎える決心をする。「私」の方は、結局小説を書けずじまいに終わる。
⬛︎盲目物語
織田信長の妹・お市の波乱の生涯を、盲目の奉公人による口述という形で描く。まず目を引くのは、ひらがなを多用した文体である。冒頭から「たんじょうは天文じゅう一ねん」というような表記があり、また同じ熟語について漢字表記・ひらがな表記が混在している場合もある。これによってどういう効果が得られているだろうか?漢字表記は一般的に公的・政治的あるいは男性的な印象を与える。ひらがなはそれと対照的な存在といえよう。本作の文脈で言えば、天下取りに明け暮れる武士=公とそれに翻弄される市井の個人という構図を連想できる。兄・織田信長の策謀を端緒として波乱の人生を歩むことになるお市もさることながら、奉公人の「わたくし」もまた、戦国の世の動乱に翻弄される存在であることを強く印象付ける効果があるのではないか。
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随筆的小説と称される「吉野葛」。和歌か俳句を一篇の小説にしたような、わび・さびのある珠玉の短篇。大和の吉野の地に伝わる歴史伝説と、友人津村の「親の在所が恋しゅうて」という心もちが織り重なって綴られる。葛の葉、熟柿、蔦、櫨、山漆……秋の吉野は偲ばれる母の双眸。「春琴抄」を発表する前の作品。
豊臣秀吉の側室である茶々の母であり、織田信長の妹、お市の烏孫公主を、「めくら」の三味線ひきが語る「盲人物語」。按摩ついでに語ったものなのか、ひらがな多めで記されており、寥々とした唄のように染み入った。
この盲人、しわしわの爺やと思いきや、32歳ということが終わりころ判明。人生50年の時代だもんね。
お市を慕い、長年女房らにまじって仕えてきたこの三味線ひきが、茶々を背負って逃げる際(秀吉の小谷城攻めで)、茶々の肢体から伝わる温もりでお市のなまめかしさを思い出し、お市らと共に自害するはずであったのに、今度は茶々の慰みとなるため生き長らえようと即座に意を固めるあたり、谷崎らしさが爆発していた。
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吉野葛:伝承や伝説に満ちた大和国吉野を舞台に、母への思慕を美しく描く。
盲目物語:お市の方に仕えた盲目の法師の回顧談という形で、物語が展開される。哀しくも美しい。哀切が心に沁みる。
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「吉野葛」は大好きな作品です。主人公の男が吉野に旅をする、というだけの話なんですけど。「盲目物語」は少し読みにくい文章になっています。これは語り手の教養の低さを表すためにわざと平仮名を多用しているせいなのですが、漢字と平仮名が両方あっての日本語なんだなあ、と思わせてくれます。日本語の表記をローマ字だけにするなんて却下です!
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『吉野葛』
-芥川の呪縛を離れて
吉野葛は奈良県の銘菓だが、美食家谷崎による「食れぽ」ではない。
尤も、熟柿(ずくし)の魅力を語る場面では、涎が滴るが•••
本作は、吉野を訪ねた作者が語る、母恋物語。
この作品を谷崎潤一郎が書いたのは1931年。
谷崎 45歳。
谷崎を思うと、その6歳年下の芥川龍之介を思い出さざるを得ない。
芥川の『羅生門』発刊記念パーティに招かれた谷崎が芥川と共に写っている。
二人は友好関係を築くが、1927年、小説の筋を巡って激しく論争する。
その論争の直後、7月24日に芥川は自殺する。その日は、「河童忌」と呼ばれる。
だが、それは谷崎潤一郎の「誕生日」だった(!)。
この自殺の日程の決定にも二人の関係を読み取りたくなるのは、当然だろう。
そして、38年後、谷崎は79歳で死去して、両親の墓に葬られるが、その墓の真後ろが、芥川の墓だった。
反発しても引き合ってしまう。
そんな関係を想像してしまう。
因みに、谷崎が不倫関係の末に結婚する根津松子は芥川のファンで、谷崎が彼女を知るのは芥川を通じてだった。
どこまで深い関係なのか。
谷崎に、芥川の呪縛、芥川に対する何らかのオブセッションがあったことは確実だろう。
日本橋生まれの谷崎は関東大震災(1923年)を機に、関西に移住する。
その四年後の1927年に、ライバルであり、盟友でもあった芥川を失う。
『蓼食う蟲』『卍』を発表するが、細君譲渡事件、再婚で困窮、借金取りから逃れるために高野山に籠る。
そこで書かれたのが、『吉野葛』『盲目物語』『武州公秘話』だ。
これらは、芥川との因縁を振り解く作業だったのではないか、というのが、勝手な妄想だ。
『吉野葛』は以下の6章から成り立つ、比較的短い作品だ。
「その一 自天王」
「そのニ 妹背山」
「その三 初音の鼓」
「その四 狐噲」(こんかい)
「その五 国栖」(くず)
「その六 入の波(しおのは)」
この小説の形式を何というのだろうか。
書き手は一貫して「私」であり、作者の一人称で語られる。
芥川と「小説の筋」論争を行い、「小説の筋」を小説の根幹であると擁護した谷崎だが、本作では「小説の筋」らしいものは希薄だ。
だが、芥川の『歯車』などのように、「筋」がなく、神経が剥き出しになった作品とは明らかに異なる。
小説らしい「筋」はない。
だが、ストーリーは面白い。
だから、これは、芥川との論争が作り出した新しい「小説」と言える。
谷崎による「筋のない小説」の創作による芥川への回答、対抗なのではないか。
「小説」のネタを探す作家の旅行記の体裁を取る。
これを現代の批評家は「メタ小説」と呼ぶ。
そんな概念が存在しない時代に、谷崎は、芥川の呪縛を逃れるように(ために)本作を描きたのだ、と思うのだ。
全く新しい「小説」であるが故に、本作は毀誉褒貶を受けた。
だが、現代では、谷崎潤一郎の傑作の一つという評価が定まっている。
それは、本作を、小説世界を構築しようとして失敗した経緯を第三者の視点で描いたメタ作品として、その「現代性」を評価したからだ。
だが、これを書いた昭和初期の谷崎にとって、そんなことはどうでも良かったろう。
書いていたらこうなったのだ、何が悪い、という大家の開き直りを感ずるばかりだ。
これは谷崎に対する非難ではない。
賛嘆だ。
そうした大家の居直りが、新しい小説形式を生み出し、芥川の呪縛から自らを解き放つことになったのだ。
本書のテーマは何か?
谷崎のオブセッションの一つである「母恋い」だ。
後南朝をめぐる小説を構想する語り手が登場するが、後南朝をめぐる歴史物語ではない。
小説の構想を求めて、後南朝の跡を吉野に辿る旅が語られるが、いつしかテーマは「母恋い」に移ってゆく。
「母恋い」は、語り手が、幼い頃、母親と見た『義経千本桜』の歌舞伎を想起するシーンからスタートする。
そして、『義経千本桜』には、親狐の皮を張られた「初音」の鼓の音色に、子狐が人間の姿となって現れる場面がある。
吉野では、その「初音」の鼓の現物(?)が出現し、それにまつわる、案内人である友人の「母恋い」譚がクローズ•アップされてくる。
もし、谷崎が後南朝の歴史物を書いたら、面白いものが出来ただろう。
だが、それは、『義経千本桜』に連なる浄瑠璃•歌舞伎に相応しい、日本人の琴線には触れるが、荒唐無稽の「筋のある小説」となったはずだ。
語り手は、後南朝最後の天皇(?)自天王の物語の構想をこう書く。
「南朝—花の吉野—山奥の神秘境—18歳になり給ううら若き自天王—楠木次郎正秀—巌窟の奥に隠されたる神璽—雪中より血を吹き上げる王の御首—•••。
そこに配するに、鬼の子孫—大峰の修験者—熊野参りの巡礼—王に配する美しき女主人公(大塔宮の子孫の女王子)—•••。」
これは、谷崎の書くべき題材というよりも、柴田錬三郎の伝奇ものと言うべきだろう。
だが、この構想によって、谷崎の想像力が、浄瑠璃•歌舞伎に連なる「伝奇もの」に飛翔していたことが分かる。
彼が、この「後南朝」残映とでもいうべき作品をものしていたら、魅力的な作品になったことだろう。
だが、それは、荒唐無稽な「伝奇もの」がひとつ追加されたことにしかならない。
芥川との小説の「筋」をめぐる論争を、更に芥川の自殺という事態を経て、谷崎には、筋のある「伝奇もの」を書くという意欲が失せていたのだ、と思う。
そのため、『吉野葛』のような、本人にも思いもよらない新しい小説形式が図らずも生み出されてしまったのだ。
蛇足ながら、「後南朝」について触れておこう。
南北朝時代についても、ましてや「後南朝」時代についてもあまり語られることがないからだ。
谷崎が「後南朝」に目をつけたのもそのためだ。
誰も注目しない時代にこそ、想像力を飛翔させる題材がある、そして、その題材は「判官贔屓」と言う日本人の心性に触れる、と小説家の本能が蠢いたのだ。
「自天王」とは何か?
南北朝時代、いや、その後の「後南朝」時代、吉野にいた後亀山天皇の玄孫に当たる、「天皇」を名乗る者のことだ。
後亀山は、南朝の天皇で、後醍醐天皇の孫。後醍醐の皇子、護良(もりなが)親王にとっては(後亀山は)甥に当たる。
元々は、大覚寺統の流れで、亀山天皇を祖とする天皇家の一族だ。
一方の北朝は持明院統の流れで、亀山の兄、後深草天皇を祖とする。
この二つの皇統が交互に天皇を出す仕組みを「両統迭立」と言う。
だが、二人の天皇が同時に並び立ち、南朝•北朝と呼ばれるようになったのは、大覚寺統の後醍醐が、それまでの両統迭立のシステムを廃して、自らの大覚寺統の皇統を唯一の天皇家にする方針を打ち出し、更に、室町幕府(足利尊氏)と対立したからだ。
対抗のため、足利将軍家は、持明院統の北朝を唯一の皇統として天皇を立てた。
このため、日本に天皇が二人並び立つ、「南北朝時代」という、奇怪な時代が現出した。
そんな時代が60年間も続いたのだ。
天皇は暦を支配する。
だから、この時代、元号は二つ存在する。
その対立が解消されたのは、足利三代将軍義満の時代で、南朝の後亀山は皇位を北朝の後小松に譲ることで、晴れて南北は統一される。
天皇は一人になったわけだ。
60年にも及ぶ天皇家の分裂は、足利将軍家に漁夫の利をもたらした。
鎌倉幕府がなし得なかった、西国における支配権を、弱体化する天皇家から室町幕府は容易く奪い取ることができたのだ。
義満は、「両統迭立」を条件に、南朝を懐柔した。
しかし、足利幕府(義満)はその約束を反故にする。
南朝の系統、大覚寺統が皇位を継承させることはなかったのだ。
旧南朝=大覚寺は、「契約違反!」と反発する。
だが、この義満の行為は、かつて後醍醐によって天皇位を大覚寺統で占有するという独占方針に倣ったものと言えなくはない。
それに怒った南朝の遺臣たちは幾度も反乱を起こす。
彼らは、吉野の山奥に「朝廷」を作って「後南朝」と号し、半世紀以上にわたって、北朝•室町幕府と対立するのだ。
一時は、勢力を拡大して、京都に侵入、三種の神器のうち、神璽(勾玉)を奪って、吉野の山に持ち帰ることまでする。
三種の神器の一部を失った北朝は、その正統性の危機に瀕したこともあったわけだ。
だが、最終的に、三種の神器取り戻し作戦によって、山奥にいた、18歳のうら若き後南朝の天皇(?)=自天王(北山宮)は殺害され、神璽は北朝に戻されることになった。
(奪われたのは「勾玉」と「草薙剣」であったという記録も残っている。しかし、戻ったのは「勾玉」だけだ。ということは、「草薙剣」は、今も吉野の山奥に眠っている可能性がある)
この自天王の死を持って、「後南朝」の歴史は終わる。1457年のことだ。
時の将軍は義政。
自天王を謀ってその首を刎ねたのは、当時お家断絶となっていた赤松家の家臣たちだった。
赤松家はこの勲功により、足利幕府よりお家再興を許される。
「後南朝」は50年以上続いた。
だから、南北朝と後南朝を合わせると、1世紀以上、二人の天皇がいたことになる。
日本史上最も混乱した時代であったことが分かるだろう。
谷崎が興味を持ったのは、この後南朝と自天王にまつわる伝承だ。
自天王はそれに出自不明で、本当に皇胤なのか、確定できていない。
しかし、後南朝では、自天王を天皇として遇していたことは間違いないようだ。
谷崎は、自天王の事績を中心に歴史物を書いてみたいと思っていた。
自天王を欺いて殺害した赤松一族は、自転天王の首と勾玉を持って逃走したが、追っ手に追われて、首は雪の中に埋めて逃げたという。
雪の中に埋められた首から血潮が吹き出したことで、後南朝の者たちは、自天王の首を発見し、首塚を作って懇ろに弔った。
その末裔たちは、今でも南朝•後南朝の末裔たちはであることを誇り、密かに自天王を祀っている。
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吉野葛は何故か再読したくなるんだけど、盲目物語の語り手からちらほら滲み出る盲人の卑屈(自虐)みたいなのがどうしても好きになれない…
(春琴抄では春琴も盲目になってから性格が卑屈っぽくなったみたいな描写はあったはずだけどこう言う直接的な心理描写はない)
解説にあるように、お市の方を非常な運命に弄ばれた女性、故に美しいってのこの盲人に語らせるから良いのかなんなのか…
多分全部計算してるからこそこの美しさなんでしょう
何年かぶりの再読でしたが、難しい…
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旅エッセイ風の小説「吉野葛」と、お市の方を描いた歴史小説「盲目物語」の中期二篇。
「母」に「主」‥‥初期のマゾヒリズムとは少し趣が変わっていても、「従属する」という部分で変わらない作者の嗜好を感じてしまった。好きだ〜っ
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ある理由から谷崎潤一郎氏の吉野葛を読む必要ができた事から読んだのであるが、思いの外地元奈良を書き写すことに成功しており引き込まれた。
国栖の紙漉きや義経千本桜の初音の鼓、津村の母が嫁いだ島之内と奈良を結び付けるのに暗がり峠が持ち出されたり、と奈良の歴史を理解する上でも重要な要素要素が上手に散りばめられており谷崎氏の才覚が遺憾なく発揮された所であることがわかった。地元奈良は何故にこれに触れぬのか理解しがたい。
舞台、アニメにしても味わえそうだわ◎
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『吉野葛』は随筆形式の旅行記。秋の澄んだ空気と光が差すみずみずしい果物と紅葉、吉野は実際に訪れた場所なので、美しい古典文体で思い出の情景に深みが増したのが良かった。歴史探訪から亡き母の面影を巡る話へと繋がる話。『盲目物語』はお市の方につかえた盲目の按摩師を語り部にした歴史小説。盲目ゆえの五感でお市の方の心情を感じ取ることができ、それが細かな心理描写に見られる。壮絶な人生に感情移入してしまい、今とは時勢も倫理観も違うけど、自分の生き方死に方を考えてしまった。両作とも母親像が描かれており、めっちゃ谷崎って感じ。
Posted by ブクログ
吉野葛・盲目物語
(和書)2010年02月14日 22:39
1951 新潮社 谷崎 潤一郎
思っていたより随分良作だった。
二作品ともとても良くオススメします。
吉野葛の取材日記というかなんと言ったら良いか分からないが不思議な感じに感動。
盲目物語の歴史小説もなかなか戦国の中での盲目である語り部の取り合わせが絶妙だと感じた。
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吉野葛 良質の紀行文かしらと思いつつ読んでいくと
これから結婚を申し込みに行く娘を
恋しい母親、見た記憶すらも淡い母親のように
育てていこうと言うくだりがあって
あら源氏物語みたいなのね、と気づかされる。
盲目物語・大河ドラマに良く出てくる戦国時代
お市、茶々のことを知り語るあんまの弥一。
あんまですから触覚に頼る彼の語る
お市、茶々の肉感はなまめかしい。
両作とも「女のために」○○をする男と言う話し。
谷崎ならではで、ところどころセクシーで
かつ名文で、そのバランスが下品さをなくしていて
ほんと文章ってすごい。
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現代と戦国期を並べたのは、谷崎の意図だろうか?どちらも違った意味での郷愁を感じる。お市といえば、かつて光秀の娘・玉子が細川家に嫁ぐ際、戦国の世の女の定めを説いたと言われているが、その意味を深掘りしたくて、お市の生き様に興味を持っていた。それを盲目の尼僧が語るというのが斬新で、一層物悲しさを引き立てる。
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谷崎潤一郎の中期の名作"吉野葛"と"盲目物語"を収録。"吉野葛"は谷崎らしい作品だと感じました。幼くして亡くした母への息子の追慕を扱う点で後期の"少将滋幹の母"を思い出した。本人ではなく、第三者の友人を主人公にしている点が面白かった。吉野の自然や人の暮らしの描写も紀行文的な雰囲気が良かった。一方、"盲目物語"は歴史小説です。織田信長の妹、お市の方の波乱の人生を仕えていためしいのあんまが感じたことや聞いたことを話すという形式で第三者を通して語らせています。やはり日本語の選び方が綺麗で、読んでて気持ちがいい。
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白州正子の『かくれ里』に谷崎の『吉野葛』の話が出てきたので吉野葛目当てに買ってみた。
奈良には行ったことがあるが、吉野には行ったことがない。行ってみたい土地だ。谷崎の美しい文章で吉野の地が広がる。とはいえ行ったことのない土地は想像が付きづらいので、Googleマップやネットを駆使して実際の情景を見ながら読むのもまた一興。
『盲目物語』は浅井長政の奥さんであるお市の方に仕える座頭による語り。ひらがなが多くて正直読みづらいため、若干うっとなってしまうが、読み始めるとこれが滅法面白い。時は戦国時代。織田信長、浅井長政、豊臣秀吉、明智光秀など錚々たる面々が登場するが、座頭はただ1人お市の方の身を案じる。一昨年、麒麟がくるでちょうどこの時代をやっていたこともあり登場人物が大河メンバーで想像できてしまった笑 戦国時代は裏切りで出来ている。死を覚悟する浅井長政や柴田勝家が本当に切ない。
盲目物語を読んで、谷崎の書く歴史小説の面白さを知った。吉野葛では材料負けで書けなかったとあるが、南朝時代の自天王の話も読んでみたかったなあ。
Posted by ブクログ
同じ時期に書かれているので文庫本ではドッキングされているが、片方は紀行随筆でもう片方は盲人による説話とまるでタッチが違います。井上靖の巻末解説のほうが出来が良かったように感じたというのがなんともはや。
さいわい盲人物語は登場人物を官職名も含めてほとんど知っていたので不思議と私はつっかえなかった。吉野葛はあのあたりに住んでいる人にはピンとくるのかも。 ある程度谷崎潤一郎に慣れた中級者向け
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エッセイ・吉野葛と歴史小説・盲目物語の二編。盲目物語はひらがなが多く凄く読みにくかった…。谷崎は言葉の選び方、表現が相変わらず綺麗だなと思う。2013/144
Posted by ブクログ
久々に谷崎読みたくなって読んでみました。
相変わらず文章が綺麗で世界には浸れますが、結構疲れました。
「盲目物語」のほぼ平仮名文体は参りました……そりゃ、語り手の思考は平仮名なので当たり前なのでしょうが、これを読むとなると……
Posted by ブクログ
作者が必死に練りこんで書いたというよりも、長年温めてきた題材をたまたまこの時にふと思いついて作品にしてみたのでは、と思えるような、心にじんわりと刻み込まれるような2つの中編。『盲目物語』は織田信長の妹であり淀君と徳川秀忠御代所の母であるお市の方の半生を描いた作品です。
Posted by ブクログ
あらすじは、お市の方に長年仕えた盲目の男の独白。浅井家に奉公し、お市の近くに仕え、やがて浅井が滅亡し、お市が柴田勝家に再縁して、その柴田も滅び、豊臣も滅び……といった歴史が男の視点から語られる。私の脳内では長政が完全に無双のサラサラ金髪でトンガリのアレなのでニヤニヤしながら楽しめた。
「吉野葛」での時間遡行や追想が伝説や創作の域を出なかったのに対し、「盲目」は、作者(谷崎)が資料で知ったことが、作中では男の体験として語られる。「蘆刈」のようにある女性を貴びながら物語るのだけれど夢幻の彼方には行かず、男は現世にとどまり続ける。
というよりは取り残される。
男にとってはお市に仕えることが何よりの幸せだったのに、勝家とお市が自害する段になって欲を出してしまったために、お市には取り残され、第二のお市である茶々には遠ざけられ、俗世に埋もれることになる。「蘆刈」の男は夢幻に消えたが、「盲目」の男にそれは許されなかった。
男は自分で「お市の方の傍にいられればそれでいい」と言っているけど、読めばわかるが男はお市を好きだったのよね。それはお市をどうにかしたいという愛情ではなくて、愛する貴人の傍にいつまでも仕えて、時に得意の唄や三味線で慰めて差し上げたい、という愛。
だから男はお市を生きながらえさせようと間者の策に手を貸したわけだし、お市の死が定まって、それに従って果てようとしたその時、茶々の救出を任せられて、生きている第二のお市である茶々に仕えたいと願って生き延びてしまった。
その時にお市と共に死んでいればあるいは死後も傍に仕えられたかもしれないが、逆臣の罪を背負って生き延びたために、今更死んでもお市の傍には寄れず、生きていても茶々ら娘たちに憎まれて居場所がない。
そうして俗世を漂いながら年老いていく。豊臣も滅亡し、家康も死に、時代は徳川の世である。男と同じ時間を生きた人間は殆ど亡くなり、あるいは遠いところに行ってしまった。
男は独り、在りし日を懐かしむのみである。