春琴抄がとても良かったので、谷崎文学に触れたくて、書影が妖しく美しい本作を手に取った。
古風な関西弁の一人語り。セリフが、改行無しで羅列される独特の文章。
な、な、何だ?これは?面食らう。こんな文体、有りなの?谷崎文学の2作目として選んだのは失敗だったかな、と思いきや、中盤から不可思議な展開に目が離
...続きを読むせなくなってしまった。
人妻園子と美しく魅力的な娘、光子。惹かれ合うが、光子には男が居た。
園子の語りでいろいろな事が明かされていく。
女同士、光子への止まらない愛。
園子、光子、光子の男綿貫、そして…。
美しい光子に狂わされていく。
人間関係が絡み合い、正に卍(まんじ)となった時、表題とのシンクロに唸った。そして、この時代(昭和5年)に倒錯した歪な性をここまで赤裸々に描き切った谷崎のぶっ飛び具合に驚嘆した。
園子が自分達夫婦の寝室で光子の裸を見せて欲しいと懇願する場面が淫らで耽美的。強く印象に残る。
古き良き関西弁の独特な響きとリズム感が柔らかくて心地良い。その味わいを感じる事ができた今回ほど自分が関西人で良かったと思った事はない。
卍は、功徳円満を意味する梵語。追いかけ合うように縦横に乱れるさまを卍巴という。(本書p269註解より)
この文字の印象に淫靡な意味合いが加味されたのは本作、谷崎のせいだと気づいた。