あらすじ
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人気シリーズ「乙女の本棚」第37弾は、文豪・谷崎潤一郎×イラストレーター・夜汽車のコラボレーション!
小説としても画集としても楽しめる、魅惑の1冊。全イラスト描き下ろし。
その悶えは苦しいと同時に甘かった。
幼いときから稚児として寝食を共にしてきた千手丸と瑠璃光丸。何をするにも一緒だった二人の運命は、成長とともにそれぞれの道へと分かれていく。
谷崎潤一郎の名作が、ノスタルジーを感じさせる美しい作品で大きな話題を呼び、本シリーズでは江戸川乱歩『人でなしの恋』、谷崎潤一郎『刺青』、坂口安吾『夜長姫と耳男』を担当するイラストレーター・夜汽車によって描かれる。
名作文学と現代の美麗なイラストが融合した、珠玉のコラボレーション・シリーズ。
自分の本棚に飾っておきたい。大切なあの人にプレゼントしたい。そんな気持ちになる「乙女の本棚」シリーズの1冊。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
2025/11/01
「いやいや、妄想の闇に鎖されたまろの心と、そなたの胸の中とは、雪と墨ほどに違って居る。浄玻璃のように清いそなたは、わざわざ危険を冒して、修行をするには及ばないのだ。そなたの体に間違いがあったら、それこそ麿は上人へ申し訳がないではないか。面白い所へ出掛けるのなら、そなたを捨てて行きはしない。浮世はどんなにいやらしい、物凄い土地なのか、運よく命を完うして帰って来たら、まろの迷いの夢もさめて、きっとそなたに委しい話をして聞かすことが出来るだろう。そうすればそなたは、自分で浮世を見るまでもなく、幻の意味が分るようになるのだ。だから大人しく待って居るがよい。もし上人がお尋ねになったら、山路に蹈み迷って、まろの姿を見うしなったと云って置いてくれ。」
それでも千手は、名残惜しそうに瑠璃光の傍へ寄って、長い間頬擦りをした。物心がついてから一度も離れた例ためしのない友と山とに、ちょいとでも別れるのが辛いようでもあり勇ましいようでもあった。彼の感情は、始めて戦場へ出る士卒の興奮によく似て居た。実際死ぬかも知れないと云う懸念と、功を立てゝ凱旋したらと云う希望とが、小さな胸に渦を巻いた。
Posted by ブクログ
夜汽車の絵が美してすごく好きだ。綺麗で可愛らしくて神々しい稚児の瑠璃光丸と千手丸が、目映いばかりに神秘的に描かれている。
生まれてこの方、ずっと俗世を離れて比叡山で共に暮らしてきた稚児の千手丸と瑠璃光丸。美しい容姿を持つ点は共通しているけれども、千手丸は2つ年上、瑠璃光丸は血筋が高貴という点で違いがあった。
似たような境遇の二人が、異なる選択の末、全く違う人生を歩んでいくことになるのだが、幻想的な美しさに加えて、人の生き方をも考えさせる良書だと思った。
俗世を何も知らずに仏閣で暮らせるなんて素晴らしいと、二人は俗世を知る人々から言われ続けていたが、本当にそうだろうか。比較する対象を知っているからどちらが良いか言えるのであって、俗世を知らない二人が好奇心を持ち、体験していない俗世を羨むことは当然だと思った。
生まれてから一度も女という生き物と接したことがなく、「女は魔物。女は危険」とだけ聞かされ続けたら、確かめたくなるのは正常な反応だ。まぁ、それで頭から離れなくなってしまうのはまさに煩悩というのだろうが、耐えきれずに行動を起こして、女というものを確かめに行った千手丸は、煩悩に負けたといえども、行動的で素晴らしいと思う。女のいる俗世こそ極楽だったと発見できたことは、行動しなければ至らなかった境地だったろう。
女がいる俗世に一緒に行こうという千手丸の誘いを断った瑠璃光丸も、それはそれでスゴイ。血筋が違うと言われ続けて、同調したくないという思いがあったのだろうか。知っている世界は狭まったかもしれないが、誰も到達できない所に行ける可能性があるのは、彼の魅力だ。
どんな道を選ぶかで、人の人生は全く違う方向へ進んでゆく。どれが正しいということはないと思うけれど、人と違う生き方をしたいなら、大勢と同じことを選んでいては駄目だと思った。
こっちは行かないほうがいいと言われているのに、惹かれる気持ちもよくわかる。弱くったって、誰も責められない。人はないものねだり。なくても幸せだよと言われても、欲しくなってしまう。その煩悩や悩める姿に親近感を感じて、私は千手丸が愛おしいと思った。
行ってみたい方に行けばいいのだと思う。
どんな景色を見たいのか、堪えても見たいものがあるから耐えるのか、求める気持ちに屈してその世界を見に行くのか。
究極の選択という場面に誰しも巡り合うのだろう。どちらを選んでもいいのだけれど、尊敬されるのは少数の道を選んだ人。大多数はそうできないから、畏敬の念が生まれるのだ。そういう点で、瑠璃光丸を見習いたい。
できるならば、少数の人が選ぶ道の一つを、私も選んでみたいものだ。
Posted by ブクログ
絵がきれい。
文章と合っていて読み易く感じた。
谷崎さんだからちょっと変態的なとこへ行き着くのかしらんと期待したら、とてもきれいな最期でした。
でも急に前世の話が出て、とんとん拍子に進んでクライマックスはちょっと拍子抜けかな。
もっと長い話にもできたように感じた。
Posted by ブクログ
乙女の本棚シリーズの一冊。
ああ、これは乙女の本棚向きの短編だな。難しい言葉は頻発するものの、話自体はシンプルだし、美しく終わるし。
ただ、乙女ではない読者には少々疑問も感じる。終わりのほうに理解に苦しむ絵がある。唐突にこの絵が挟まれる理由は何だ?
この本に限らず、乙女の本棚シリーズを読んで思うことの一つは、作者がこのシリーズを読んだら、どう思うのかということだ。案外喜ぶのかな。
Posted by ブクログ
時代は平安
比叡山の二人の稚児
二人共幼い頃から山に預けられ
俗世を知らぬまま 15と13に
二人は美しく成長して 15になり出家を前にした稚児は煩悩に苦しむ
彼は「女人の危険」を知る為に山を降りる
外面似菩薩、内心如夜叉
山に残った稚児は殿上人の息子
俗世に降りた友人の誘いを断り仏門に専念して
来世への功徳を決意する
しかし15になった稚児は やはり煩悩に苦しみ始める その煩悩を苦行で乗り越えようとするが
本当に乗り越えられたのは 前世からの想いを繋ぐ鳥との邂逅
稚児が男性として成長する時の煩悩との戦い
夜汽車さん 稚児は美しくすぎるのではないのか
女人達が怪し過ぎるのではないか と思う
美貌の少年をたっぷりと
Posted by ブクログ
いやー相変わらず潤ちゃんムズい漢字使い過ぎだわ
いや分かるけども!
覚えたてで使いたくなるの分かるけども!(絶対そういうことじゃない)
というわけで谷崎の潤ちゃんですわ
うーん、あれ?
「女人こわい」ってこと?
「まんじゅうこわい」みたいなこと?(絶対違う)
実はめっちゃ好きってこと?(違うって)
そだよねー
女人いいよねー
分かるわー潤ちゃん分かるわー
それにしても非常に『乙女の本棚』向きのお話であった
夜汽車さんがめちゃくちゃ気合い入れてかわいい女の子描いてはった
つまり『二人の稚児』の主題は「女人いいよねー」だ!
間違いないよ
だって潤ちゃんなんか3回も結婚してるもの
それはそれでちょっと信じられないけど
Posted by ブクログ
三毒に満ち満ちた汚濁の現世と、欺瞞と上辺と建前と虚栄の法で飾り立てた信仰の山。
どっちにしろまともな救いは望めない…と思ったところに現れる第三の道。
最後の最後が美しい。
kawaiiと仏教曼荼羅のごとき装飾が一体となった夜汽車氏のイラストも豪華絢爛。
シリーズのなかでは『秘密』にならんで絢爛な絵だった。
Posted by ブクログ
そんなに女人をみたくなるものなのかと不思議だった。
ふたりは対照的な性格だなぁ。来世を信じているところが新鮮だった。
瑠璃光丸の三世にわたる恋が成就しますようにと祈らずにはいられない。
かといって千手丸を責める気もない。
Posted by ブクログ
イラストに酔わされて耽美さが強めにでてる。
煩悩に悩める少年達。気持ちに素直に生きた1人と、信仰心を優先した1人。
何を信じ何を軸にするかは人それぞれ。
ここまで極端じゃなくても、欲か理性かは我々にも問われることがある。どっちを選んでも後悔はある。
そんな当たり前のことをこんな耽美的な作品にしちゃうんですねぇ
2024.8.10
125
Posted by ブクログ
わぁい!
きれいな本! きれいな本!
と思わず手にとってしまいました。
たぶん、二人の稚児という作品は、挿し絵のない活字だけの本で何回か目にしています。
作品への印象はかなり違います。
実をいうと、登場する二人の稚児を一方は、世俗で成功し、一方は努力して信仰において成就したのだと、文字のみで読んだときにそう読んだのですが、どうも、そのようではないのではないか。
そもそも、ふたりは身分に隔たりがある。
こんな例って、他に何かあったろうか、と思ったら、そういえば、モーツアルトの歌劇「
魔笛」では、王子のパミーノ(?)と鳥刺しのパパゲーノの対照的な結末があり、そこでは高貴とおもわれる夜の女王の娘のパミーナ(?)と王子のパミーノが試練の末に結ばれ、いささか大衆的で子沢山のイメージでパパゲーナがパパゲーノと結ばれるというような対照的な結末がしくまれていたのでした。魔笛では、太陽を思わせる父王が、夜の女王を滅ぼし、大団円をむかえるのですが、かなり意図的に対照的にえがかれている感じがします。
登場人物の属性が、実は最初から設定にあつて各々の結末であるような用意周到さが、オペラの楽しさとは別にあるようです。
そう思った時に二人の稚児の作家は誰に向けて書いたのだろう、と実をいうと思いました。
発表された当時、この作品がどのようなかたちで、人の目に触れたのか。
稚児の二人の稚児の行く末に違いを考えたのはなぜなのか。
当時、小説はどんな風に読まれていたのだろう。
それを知ってどうというわけでもないのだろうけれど、かたちを変えて何度も目にする理由はたぶん作品に力があるからなのだと思います。
Posted by ブクログ
幼いときから稚児として寝食を共にしてきた千手丸と瑠璃光丸。成長とともに“煩悩”への向き合い方が変わって、それぞれの道へと分かれていく。女性の姿の描写が細かく丁寧で、谷崎さんの嗜好が現れているなあと…。どちらが正しいとか間違っているとも言えない難しいお話だったけど、“耽美”という言葉がピッタリな、“綺麗”なお話だと思った。
Posted by ブクログ
「乙女の本棚」シリーズ37弾。
幼少期から一緒に稚児として育ってきた千手丸と瑠璃光丸。女人禁制の比叡山で成長してきた二人の運命の分かれ道。
二つ違いの年齢で、成長の具合がズレてしまうのが、なんともいえない。
どちらが正解いうのでも、幸せかというのでもなく、個々人の選択の結果を、耽美に表現しているのが面白い。
夜汽車さんのイラストが、また秀逸。
Posted by ブクログ
乙女の本棚、谷崎潤一郎と夜汽車さんのコラボレーション。夜汽車さんの絵が、とても細かくて表紙から見入ってしまいました。透明感があったり、重厚感があったり、場面での使い分けが巧みで、とてもきれいでした。
物語は、女人禁制の比叡山に預けられ、山より外の世間を知らずに育った2人の稚児、千手丸と瑠璃光丸のことが、書かれていました。
2人が煩悩とどう向き合ったかが焦点の物語でした。煩悩と育ちに関係があるのか、気になりました。
前世でも煩悩に負けなかった瑠璃光丸が物語の最後にとった行動には、真の純粋さを感じました。(私のこの解釈でいいのか自信はないですが···)
この物語をどのように解釈すればいいのか、なかなか難しいと思いました。
Posted by ブクログ
乙女の本棚シリーズ。
仏教に詳しく無いけれど、そんなに女人を悪としている教義があるんですね?俗世へ行った千手丸は、見事に色に溺れているけど…。女以外にも、世の中に悪はあるだろうに、何で殊更そこを強調するのか疑問に思いました。この宗派に進んだ上人は、やはり女人に苦い思いをさせられたんでしょうか。
しかし自ら仏の道に進んだ大人は良いとして、何も知らず選べない稚児達は不憫です。
瑠璃光丸も少し危ういし、結局どうなったんでしょう。何を信じて生きるのか、どちらの人生にも大正解は無いという事なのかな?
Posted by ブクログ
比叡山で純粋に育てられた千手丸と瑠璃光丸。成長するにつれ女人への煩悩が彼らの心をかき乱す…
煩悩を断ち切れず下野した千手丸、悩みながらも信仰を貫く瑠璃光丸。2人の関係性、葛藤がひしひしと感じられる。
最後のシーンは結局女性の神格化…なのか?
Posted by ブクログ
2人の稚児、1人は煩悩に誘惑されもう1人は打ち勝つが最後は死んだのか??理解できなかった。
昨年読んでいたのを再読。やはり同じ感想だった。読力、理解力が全然進歩していない。
Posted by ブクログ
難解な仏教用語がたくさん出てきます。
観行を積まれたとか五濁の世界とか兜率天とか菩提心とか当たり前に出てくるし。
でもそういった難しいところは読み飛ばしても、物語自体はシンプルでわかりやすいので面白く読めました!
なにより乙女の本棚の最大の魅力であるイラストの美しいこと!
谷崎潤一郎の知られざる短編にスポットライトが当たり、その素晴らしさを再確認できるのは何より嬉しいです!
本棚に置いておきたい素敵な一冊!
Posted by ブクログ
文学作品をイラスト仕立てでYA世代にとっつきやすいようにしているシリーズ。きれいなイラストだけど、話は結構わかりにくかったかも。谷崎好きだけど、これ読んだことあるか覚えていない……。
Posted by ブクログ
乙女の本棚シリーズから、谷崎潤一郎さんと夜汽車さんのコラボ作品『二人の稚児』です。夜汽車さんのイラスト、とってもきれいで好きなんです。
幼いころから稚児として比叡山で過ごしてきた千手丸と瑠璃光丸…寝食をともにし、精進してきた二人だったが、世の“煩悩”の中でも、その最たるもの“女人”に対しての興味を持ちはじめた…。その後二人の運命は…。
大筋では理解できたつもりですが、ちゃんと理解するのは難しい感じでした。今回も夜汽車さんのイラストに助けられました。ラストがなんとも切なくて…キレイな余韻を感じることができました。