あらすじ
夫に不満のある若い妻・園子は、技芸学校で出会った光子と禁断の関係に落ちる。しかし奔放で妖艶な光子は、一方で異性の愛人・綿貫との逢瀬を続ける。光子への狂おしいまでの情欲と独占欲に苦しむ園子は、死を思いつめるが――。おたがいを虜にしあった二人の女が織りなす、淫靡で濃密な愛憎と悲劇的な結末を、生々しい告白体で綴り、恋愛小説家谷崎の名を不動のものとした傑作。
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いやーすごいなぁ
谷崎潤一郎が書く女は強烈に強い!ほんで美しい!
男を狂わすほどの強い女、今回は女も狂わせちゃってるので相当な女でした
面白くてすぐ読めるんやけどすんごい疲れた
わたし大阪人なので心斎橋の大丸とか、宗右衛門町とか、天王寺公園、梅田などなど出てくる度にウホホとうれしくなりました、最後までベタベタな古い大阪弁です
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随分と前に読んだ川端康成の乙女の港振りにシスターフッド(のようなもの)を題材とした本を読んだ!やはりこの関係性が異性との関係よりも上等なものとされるのは、男尊女卑だった当時だったからこそなのだと思う。同性に崇拝される方が何倍もよい気持ちになるの、すごくわかる。ただの安っぽい褒め言葉なんかでなく、本当の意味での崇拝。異性間では出せない神々しさを感じる。
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いやはや恐ろしい女よ光子は。これはこれは全員光子の沼にハマっていく様子が面白かったわぁ
4人全員の絡み合いを描いた作品の題名が卍って谷崎潤一郎のセンスの良さひかりすぎている。最後にかけて本当にページを捲る手がとまらなくなった。そんで持って夫まで死ぬんかい!!で園子は生き残るかい!!驚愕のラストでした。夫が園子といた時は恋愛を分からなかったけど光子としてからは恋をしたことに気づくのが好き。これの実写化はハードル高そう〜
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谷崎潤一郎作品の山に踏み入ろうと思い、かなり過去に読んだ、短編集の刺青に続いて。女性の魔性を描く、というスタイルは一貫していて、その魔性をもってして、周囲の社会的ゲシュタルトが溶解していくのだが、この溶解されゆく感じ、こそがマゾヒズムの真骨頂だと思いました。ゆえにして、肉体的ではなく、それさえ生温いゲシュタルトの内にある低次元な快楽でしかないと告げるように、飽くまで精神的耽溺、一種の麻薬的プラトニックラブが称揚されている。谷崎イズ谷崎。ドープでした。
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序盤に園子さんの肩書きが書いてあったことをすっかり忘れて読み進め、感情が揺り動かされたラストでした。情緒の細かいところまで語られているので何ともリアリティがあり、読者の私も光子さんに翻弄されました。最初は女学生の百合だ!って喜んでいたのに…(笑) 生まれ持った性質で人を自然と堕としてしまう魅力の女性というのは、こういう人なんでしょうか。会ってみたいような、恐ろしいような、そんな感じがします。
大阪弁の口語調で綴られているので、関西弁になじみがない人には読みにくいかもしれません。時間はかかりますが、心の中で音読しながら読むのが何とも楽しく、日本語の美しさを感じます。
中村さんの解説も、谷崎氏の作品のなかでどういった位置付けなのかが書かれていて、参考になりました。
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主人公 園子の大阪弁による一人語りで物語は展開される。美術学校で出会った両性愛の女性 光子に、関係する男女が翻弄されていく。昭和初期の作品ではあるが、一風変わった愛のカタチとして、三浦しをん著『きみはポラリス』の1編として加えてもいいかも。。。
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やや久々の谷崎。卍というタイトルの通り、男女の入り組んだ関係が題材で、主要人物の一人である園子による過去の出来事の告白体、ほぼ全編が絡みつくような大阪弁の会話主体で構成されている、という辺りが特徴。解説では「変態性欲」とざっくり評されているけれど、個別の関係に倫理や常識を踏み外すものがあるのは確かだけど、『痴人の愛』のような倒錯感はそれほど強く感じないし、よりフェティシズム的な側面が強い作品に比べると「変態」感はむしろ感じなくて、それぞれの人物がそれぞれの弱さや執着の中で絡み合っていくという意味ではそこまでドロドロはしていない印象を受ける。この構成や語り口で描きたいんだという谷崎の狙いやこだわりを強く感じるのも良いところ。
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(Audibleにて、ナレーター:斉藤範子)
Audibleを初体験するのに何が良いかと思いつつ選んでみたが、なかなか良かった。ナレーターさんの関西弁は多少不自然だったが、耳当たりが良く楽しく鑑賞できた。
本で読むのとはだいぶ印象が変わるのかもしれないが、改めて読むつもりはないのでそれはわからない。
ハズに色々とバレたあたりからのドンデン返しのような展開は予想を超えていて呆気にとられた。え?そんなことになるん?すっかりモブキャラと思ってたハズさんの豹変にびっくり。それまでの長々とした筋書きは手の込んだ仕込みだったとは。
純粋なのか異常なのか、「先生」はどう思ったのでしょうね。
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関西弁の告白態小説。疑心暗鬼に陥る様が丁寧に描かれていて面白かった。光子の自分勝手で強欲な所が周りを狂わせていく感じとか、登場人物は少ないのにドロドロとしていた。
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有名な話なのであらすじは知っていたのだが、読んでみると面白くて。話の展開が上手くて、若奥様の語りが魅力的。
巻末の中村光夫の解説には「変態性欲」の話で、約十年後に書かれた『細雪』に比べると劣るみたいなことが書いてあって身も蓋もないが、いやいや大したものだと思った。『細雪』読んでないので比べられないけど。
「変態性欲」なんて書かれるとエロ本みたいだが、エロ本と違うのは「行為」は書かれていないところである。それを書かずにここまで異様な盛り上がりが描けるのはすごいと言うしかない。何度も映像化されて、エロ的に消費されがちな設定ではあるが、映像と文学は違うのである。
映像で描ききれないのは、語り手と作者の距離、一歩引いて見た時の人間の愚かさである。
光子は悪魔的なファムファタルというより、どこか自己肯定感の低い人間のように感じる。だからいつでも自分を賞賛してくれる人を求める。命をかけて自分を好きでいてくれる人がいて、はじめて生きている喜びを感じる。そのせいで綿貫のような人物につけ入れられてしまう。光子が観音の格好をした自分を鏡にうつしてうっとりするシーンがあるが、この美しさをちゃんと認めてくれたのが園子である。しかし光子が園子にしろ、孝太郎にしろ、本気で愛していたとは思えない。
美貌で、裕福な家の娘で、良い縁談(つまり金も地位もある人物からの求婚)が次々に来る、傍目にはなんの不自由もない光子がどうしてこうなっちゃったかと考えてみると、もちろん谷崎はそれを意識していたとは思えないが、社会の圧力だったのではないか。美人であっても、望めるのは結婚だけである。結婚してしまえば、園子同様特にすべきこともなく(家事は使用人がする)、習い事をするか浮気するくらいが関の山。子どもを産むことは今よりあからさまに強制された時代である。(園子が輸入した英語の本で避妊を工夫しているのが印象的。)何も面白くない。わくわくもウキウキもドキドキもなし。それが死ぬまで続く。夫も最初は優しくてもしばらくすれば妾を囲ったりする。(当時の金と地位のある男はそうだった。)そんな人生、光子のような女性にはつまらなすぎる。
光子は現在ならビジネスで才能を開花させたかもしれない。あるいはモデルや俳優となって自由に生きたかも。
当時としては彼女の死は避けられなかった。本当は園子と孝太郎も一緒に死んで欲しかったんだよね。
語り手として園子を残したわけだけど、最後ちょっと違っていたらもっと良かったかもしれないと思った。文豪に対して無礼ではあるが。
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これほど人間の愛情という感情に切り込んだ小説を初めて読んだような気がする。
物語は当事者である柿内未亡人の語りで語られるのもリアルさが増し、どんどん引き込まれた。
ただ内容に引き込まれれば引き込まれるほど、気持ち悪い感情が出て来て、読むのを止めようかと思うけど辞められない麻薬のような物語だった。
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知人と「パートナーがその同性と浮気したらどうする」という話になった。「なんか、敵わないよね」という結論に至った気がする。本書はそんな昔話を思い起こさせる。
ただ、設定としての同性愛や中村光夫が解説で使う「変態性欲」というキツめの言葉、触れ込みの「淫靡で濃密な愛憎」を真に受けると谷崎は誤読すると思う。
見えてくるのは周囲を誤魔化してでも崇拝される者たろうとするエゴに満ちた悪魔的人間と、跪かざるを得ない凡夫たちだ。悪魔はそのまま谷崎的な女性崇拝につながるのだろう。
物語はその関係性を構築するため緻密に稼働する。まるで悪魔に奉仕するかのように。
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光子の誘惑というか、悪魔的な魅力がホント恐ろしい…。
異性のみならず、同性をこうも骨抜きにまでしてしまうその手段。少し味わってみたいけど、味わったら多分ハズさんと同じ道に陥るんだろうな(笑)
ミステリーみたいな感じもして、ハラハラしながら読み進められました。
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故郷の祖母と話しているような文体が懐かしかった。
内容はスキャンダラス、だけどはっきりとは書いていないから上品でもあった。後半の薬を多用する辺りからはヤベーな・・・と思って読んだ。
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あまり読み慣れない文体(関西弁、昔の言葉)だったので、最初の方は読みづらかったが、慣れるとテンポよく読めた。
1回2人が離れたとき、このまま夫と幸せになれと思ったがそうもいかず(笑)、まさか夫まであんなことになろうとは…。
私も、園子と同じように、最初は光子さんは好きで綿貫と付き合っているのかと思ったけど、綿貫のことが分かってきてから状況が一変。
光子さんはどこまで計算していたのか、本当は園子とその夫のことをどう思っていたのか…。
光子さん側の独白も見てみたかった。
物語には関係ないが、2人が園子の夫のことを「ハズさん」と呼んでいるのが可愛くていいなと思った。
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ひと昔前の昼ドラを思わせる、衝撃の展開。
四人の感情が複雑に絡まりあっていく。
独占したくて、欺く。
信じるがゆえ、欺かれる。
光子が本当に愛したのは誰だったのか。
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「卍」は吉祥の徴と聞いていたのだけれど、この作品に限っては、捩れた情愛の兆だったようです。
正直、「その三十」に来るまでは、「なんでこのタイトルにしたんだ?三つ巴くらいがちょうどじゃない?」と思っていました。
「今まで読んだ谷崎より全然気持ち悪くないや」と侮ってさえいました。
それが、「その三十」を読んだ途端。
それまで確かに見ていたはずのたおやかな大阪弁たちは曖昧に去り、気づけば、赤地にぬめりと刷り込まれた「卍」が頭の中を埋め尽くして。
男女四人の情愛が、崇敬が、執念が、ぐるぐるぐると、「卍」のように誰もが誰にも追いつけないまま回っているような。
それでいて、誰かと誰かは繋がり合っているような、いや、どこかで全てが結ばれているような。
なんとも不気味な気持ち悪さに囚われていました。
作中の、一人の女をめぐって堕ちていく男女について語る園子の緻密な破綻の描き様は、さすが谷崎、なのですが。
それより何より、このタイトルの妙が、凄まじい。
このタイトルより他に、この作品を説明するのに相応しい言葉も文字も、私には思いつきません…
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あの谷崎潤一郎が、百合を……!?と食いついてしまい、購読。
口語体の上に関西風で読みづら〜い!と思いつつ、序盤の園子さんと光子さんの出会いから関係が深まるまでの描写がやはり、百合に惹かれて手に取ったものとしてはたいへんよかったです
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エスがもつ特有の愛のカタチ。周りからは理解されないかもしれないけれど、男尊女卑が激しかった当時では、女性同士の絆というものは特別に固かったかなと考える。進んでいくにつれて新情報がたくさん出てきて振り回され、読み終えるまでが早く感じた。普通に面白かった。
Posted by ブクログ
良家の若奥様だった園子の告白というかたちで、大阪のことばで語られる。標準語にはない物腰の柔らかい口調に、自然と引き込まれる。登場人物である園子、園子と禁断の関係に落ちる光子、光子の愛人・綿貫、そして園子の夫。みんながそれぞれ愛に盲目的になり、その愛を失わないようにと画策する様は醜いようであり、反面自分の心に正直で純真なのかもしれないと感じた。
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女性同士の恋愛関係で有名な作品かもしれないけども……。
個人的には、ラストの展開を押したい。実際にあった事件を参考にしたのか、それとも……。
大谷崎には、もっとミステリーやサスペンスを書いて頂きたかったな……。
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これから語られる二組の男女の複雑な愛憎劇の当事者の女性が、大阪弁で告白する形式で書かれています。一人の語りだけで、これだけの物語を読ませ、引き込むという流れが高度だなぁと。
園子(語部)は絵画教室で知り合った美貌の光子の小悪魔的な振舞いに夢中になっていく。そこに光子の元婚約者のイケメン男性が入り込む。彼は三人の関係を均衡を持たせようとする。そして、弁護士である園子の良人までも巻き込んでいく。夫は、理性的な人間だったが、光子の奔放な妖艶さに妻と共に支配され始める。光子が思いのまま振る舞い策略していく様子は、恋愛サイコかな。真面目な夫が、どこか真面目な感じに狂っていく様子が救えない。最後は、なかなか。
Posted by ブクログ
関西の文語のような表現で、いささか理解力が無いと苦労しました。主人公が欺かれる所は何とも言えない虚無感があり、読者にとっての読み応えのあるものにとって代わった様です。嫌らしい綿貫の誓約書により破滅まで追いやられる様子や、最後に夫までもが光子に靡いてしまうという設定は見るに堪えませんが、それこそ人間のいやらしさを描いていて良かったです。最期の盛り上がりに欠けたような気もしましたが、園子が実は冷静な女だった事が分かったので安心しました。
Posted by ブクログ
「卍」は、女性の同性愛について書かれた本。著者の谷崎潤一郎は生涯にわたり性を追求した人物。半自伝的小説と言われる「仮面の告白」と比較して内面を深掘りしたような描写が少なくストーリー色がより強い。大阪弁で「先生」に伝えるという形式で書かれているが、強い大阪弁が少し読みづらい。しかし、大阪弁の表現であるからこそ、力強く伝わってくる部分がある。難解な文章で理解できなかった部分も多いが再び挑戦したい。
名作には違いないが、自身がこの本を理解しきれていない部分も多いため、今回はこの評価