五木寛之のレビュー一覧
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「青春の門」第6部は「再起篇」という題名がついている。第5部の「望郷篇」では、信介は、生まれ故郷の筑豊に戻り、世話になった塙竜五郎の最後を看取ることとなった。その後、ひょんな偶然から実業家の早しに見込まれ、林の家に書生的な立場で住み込むことになるところまでが、第5部だ。
第6部では、林家を出て、プロの歌手となっている織江のマネジャーとして再出発することになる。だから、「再起」という言葉は、実業家の林の庇護のもとでの恵まれた暮らしを捨てて、再度、自分の力で世間と渡り合っていこうという意味合いとなる。普通、再起と言えば、失敗とか挫折とかといった状態から、再び立ち上がって元の状態に戻ることを言うと思う。信介が林家にいたことは、別に失敗でも挫折でもないので、最初、再起という言葉は大げさかなと思った。
しかし、五木寛之にとっては、青春の只中にある者が、誰かの庇護のもとでリスクの少ない生き方をすること自体が、失敗であり、挫折になるのであろう。そういう風に解釈した。 -
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第5部にあたる「青春の門 望郷篇」の単行本は1979年に発行されたとのことなので、今から40年以上前の話になる。
私は第1部の「筑豊篇」から読んでいるが、第2部の「自立篇」から第4部までの「堕落篇」までは、あまり好きではなかった。伊吹信介という筑豊出身の青年は、正義感に溢れた竹を割ったような向こう見ずの性格であったはずであったのであるが、上京してからの信介は、まずは「頭で考える」いじいじした行動をとる人物として描かれており、そういう点が好みではなかった。
ただ、この第5部になって、もともとの思い切りの良い伊吹信介が戻ってきつつある気がする。そういう意味では、久々に「青春の門」を楽しめた。本書は、現在のところ第9部まで発行されているようだ。あと4部、楽しんで読みたい。 -
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ネタバレ本書にてシリーズ完結。
無知故にどこまでが史実かはわかりません。
もとより、親鸞に纏わる資料事態も少なく、その生涯には不明なところも多いようです。
始まりとなる青春篇が世に出た時から気になっていた本書を含めた三部作。
私の中の親鸞は本書の中が全てと言っても過言ではありませんが、出会えて良かったと思える作品でした。
内容(「BOOK」データベースより)
偉大な師にして父親の親鸞に認めてもらおうと善鸞は東国行きを志願するが、父子の懸隔はかえって広がる。一方で最後の闘いの時も迫っていた。怪僧・覚蓮坊、謎の女借上・竜夫人、若き日に出会ったツブテの弥七、黒面法師らとの、永く深い因業が解き明かされる。そして、九十歳で入滅―。入魂の三部作、完結。
著者について
五木 寛之
1932年福岡県生まれ。朝鮮半島より引き揚げたのち、早稲田大学露文科に学ぶ。PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門』(筑豊篇ほか)で吉川英治文学賞を受賞。81年より一時休筆して京都の龍谷大学に学んだが、のち文壇に復帰。2002年にはそれまでの執筆活動に対して菊池寛賞を、英語版『TARIKI』が2002年度ブック・オブ・ザ・イヤースピリチュアル部門を、04年には仏教伝道文化賞を、09年にはNHK放送文化賞を受賞する。2010年に刊行された本書は第64回毎日出版文化賞を受賞し、ベストセラーとなった。代表作に『戒厳令の夜』、『風の王国』、『風に吹かれて』、『百寺巡礼』(日本版 全十巻)など。小説のほか、音楽、美術、歴史、仏教など多岐にわたる活動が注目されている。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
五木/寛之
1932年福岡県生まれ。戦後朝鮮半島から引き揚げる。早稲田大学文学部ロシア文学科中退。’66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、’67年『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞、’76年『青春の門』で吉川英治文学賞を受賞。’81年から龍谷大学の聴講生となり仏教史を学ぶ。ニューヨークで発売された『TARIKI』は2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門銅賞)に選ばれた。また’02年度第50回菊池寛賞を、’09年にNHK放送文化賞を、’10年には長編小説『親鸞』で第64回毎日出版文化賞特別賞をそれぞれ受賞した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) -
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ネタバレやらかしたぁ〜(><)
シリーズ第2作となる激動篇を読み終え、そのまま本棚に手を伸ばしシリーズ最終となる完結篇の上巻にあたる本書を手にしたつもりでした...
何か少し話が飛んだなぁ...
なんて思いながら読み進め、ふと手を止めた時に...
!(◎_◎;)
上巻だと思い読み進めていたのはシリーズ最終巻となる完結篇の下巻‼︎
①本棚に収納する順番が間違えていた
②よく確認もせずに読み始めた
③なんとなく違和感を感じながらもすぐに物事の世界に没入していた
以上の理由から、大失態をやらかしてしまったのです...トホホ
気がついた後に慌てて本書を手にとり、先程読み終えました。
☆4つの理由にはそんな背景があり、決して本書の内容に不足がある訳ではありませんので(^人^)
さて、いよいよ完結篇です。
京に留まる親鸞もすでに80歳を過ぎました。
無知故に親鸞が何歳で浄土へ旅立たれたのかは存じませんが、医学が進歩した現代であっても80歳の男性といえば平均寿命よりも長生きで、まして西洋医学もなく、祈祷や薬草などに頼っていた時代に生きた人としては間違いなくその時は迫っているのでしょう。
親鸞の長男である善鸞をそそのかし、親鸞が人生を懸けて書き上げた「顕浄土真実教行証文類」を持ち出させた覚蓮坊。
東国より親鸞のもとへ戻った唯円、私財を投じ遵念寺を建立しようとする竜夫人、等々...
下巻を半分ほど先に読んでしまった私には、ようやく話が繋がってきましたが、複雑に絡み合った今生での縁。
絡まった糸をどう解し、その先に何が待ち受けているのか。
いよいよ完結です。
説明
内容紹介
東国から帰洛した親鸞に魔手が伸びる。専修念仏を憎悪する怪僧・覚蓮坊が、親鸞の長男・善鸞をそそのかし『教行信証』を奪おうとしたのだ。だが、その前に立ちはだかったのは、数奇な半生をたどり、宋の富商に身請けされたという謎の女借上、竜夫人だった。このふたりと、親鸞の因縁とは? 入魂の三部作、完結。
内容(「BOOK」データベースより)
東国から帰洛した親鸞に魔手が伸びる。専修念仏を憎悪する怪僧・覚蓮坊が、親鸞の長男・善鸞をそそのかし『教行信証』を奪おうとしたのだ。だが、その前に立ちはだかったのは、数奇な半生をたどり、宋の富商に身請けされたという謎の女借上、竜夫人だった。このふたりと、親鸞の因縁とは?入魂の三部作、完結。
著者について
五木 寛之
1932年福岡県生まれ。朝鮮半島より引き揚げたのち、早稲田大学露文科に学ぶ。PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門』(筑豊篇ほか)で吉川英治文学賞を受賞。81年より一時休筆して京都の龍谷大学に学んだが、のち文壇に復帰。2002年にはそれまでの執筆活動に対して菊池寛賞を、英語版『TARIKI』が2002年度ブック・オブ・ザ・イヤースピリチュアル部門を、04年には仏教伝道文化賞を、09年にはNHK放送文化賞を受賞する。2010年に刊行された本書は第64回毎日出版文化賞を受賞し、ベストセラーとなった。代表作に『戒厳令の夜』、『風の王国』、『風に吹かれて』、『百寺巡礼』(日本版 全十巻)など。小説のほか、音楽、美術、歴史、仏教など多岐にわたる活動が注目されている。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
五木/寛之
1932年福岡県生まれ。戦後朝鮮半島から引き揚げる。早稲田大学文学部ロシア文学科中退。’66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、’67年『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞、’76年『青春の門』で吉川英治文学賞を受賞。’81年から龍谷大学の聴講生となり仏教史を学ぶ。ニューヨークで発売された『TARIKI』は2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門銅賞)に選ばれた。また’02年度第50回菊池寛賞を、’09年にNHK放送文化賞を、’10年には長編小説『親鸞』で第64回毎日出版文化賞特別賞をそれぞれ受賞した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) -
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「五木寛之」を代表する作品のひとつ『青年は荒野をめざす』を読みました。
昔っから、読もう、読もうと思っていて、なかなか読めてなかった作品… ようやく読みました。
-----story-------------
青春の冒険を描き共感を呼んだ「五木寛之」の代表作
モスクワ、ヘルシンキ、パリ。
ジャズとセックス、薬。
20歳の「ジュン」の冒険を求めた青春の彷徨。
熱狂と頽廃の先にあるものは何か
ジャズ・ミュージシャンを目指す二十歳の「ジュン」は、ナホトカに向かう船に乗った。
モスクワ、ヘルシンキ、パリ、マドリッド…。
時代の重さに苛立ちながら、音楽とセックスに浸る若者たち。
彼らは自由と夢を荒野に求めて走り続ける。
60年代の若者の冒険を描き、圧倒的な共感を呼んだ、「五木寛之」の代表作。
解説「植草甚一」
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「五木寛之」が、実際にソ連と北欧を旅した際の経験が下敷きになっており、主人公の青年「ジュン」が、横浜~ナホトカ(当時のソ連 極東シベリア)~モスクワ(当時のソ連)~ヘルシンキ(フィンランド)~ストックホルム(スウェーデン)~コペンハーゲン(デンマーク)~パリ(フランス)~マドリッド(スペイン)~リスボン(ポルトガル)~ニューヨーク(アメリカ)と旅する模様が描かれた作品です。
■第一章 霧のナホトカ航路
■第二章 モスクワの夜はふけて
■第三章 白夜のニンフたち
■第四章 地下クラブの青春
■第五章 人魚の街のブルース
■第六章 パリ・午前零時
■第七章 南ヨーロッパへの旅
■解説・植草甚一
「ジュン」に感情移入しつつ、次はどんな出来事が待っているんだろうかと、ワクワクしながら読みました。
様々な土地を巡るだけでなく、移動手段もフェリー、貨物船、国際急行列車、航空機、乗用車等々… 多様なところも、旅情をかきたてますね。
そして、自由と夢を求めて、もがきながらも前に進もうとする姿勢に共感… 愉しく読めましたね、、、
十代のときに、この作品に出合っていたら人生が変わっていたかもしれないなぁ… と思いました。
もう冒険できる年齢じゃないけど、、、
もう一度、青春時代をやり直せるなら、こんな人生を歩んでみたいな… と思わせる作品でしたね。
読んでいると、ジャズ聴きたくなりましたねぇ… 自分で演奏できるのが理想だけど、楽器を奏でることなんてできないもんね、、、
久々にジャズに浸りたくなったな。
「青年は荒野をめざす」… イイ言葉ですね。 -
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以下、2008年12月に読み終えて、当時別サイトに寄せていたレビューです。
文庫になったのを見つけ、本日購入した。
先ほどまでCAFEで読みふけり、たまらずレビューを寄せている。
まず、冒頭の「百寺巡礼の旅のはじめに」から、私は強く引き込まれた。
人生を4つの時期に分けるという古いインドの考えに触れているのだが、
読んでいて心休まり、その冒頭部分は、
まるで寺院へ向かう参道のような役割を果たしているかのように思われた。
本書は決して本格的な仏教本ではなく、
純粋に寺や仏像を好きである私達のような普通の人間に、手にとりやすいものとなっている。
読むほどに寺の美しさが伝わり、仏像との出会いに憧れを持たせてくれる。
仏像の拝観にあたり、作者は、
「ただその前に立ち、ああ、ありがたいな、という気持ちで拝むことが一番だろう。
いま、この仏様に会えてよかった、・・・・・と素直に思えることのほうが大事なのではないだろうか。」と書いている。
それを読んで私も、「あぁ、私のような拝観の仕方でもいいんだ」と安心した。
私は寺という空間そのものが好きであり、仏像を前に感動するが、
仏学には疎いし、美術的な批判も全くの個人的好みでしてきたからだ。
長くなったが、兎に角、
本書は寺院を身近なものにさせ、私達の目線でその建築の美しさを教えてくれる。
そして、すぐにでもその寺を訪れたくなる一冊である。
そうそう。
個人的には第5章にもある、秋篠寺がお薦めの寺だ。
ここの伎芸天は女性らしい肢体と、優しい表情が実に美しい。 -
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北海道での短い織江との暮らしの後、信介と織江は北海道を後に上京する。織江はプロダクションに所属し、歌手を目指すことになる。信介は大学に戻る。大学に戻った信介は政治運動の団体に入り、筑豊を後にして以来、初めての充実感を感じるが、それも長くは続かず、盛り場のチンピラや水商売の女たちとの関りを深めていく。
主人公の伊吹信介は、「直情径行」型の人間という紹介のされ方を、物語の中でされている。その直情径行型人間像を強調するために、出身を九州、それも気性の激しい筑豊とされている。が、実際に物語で描かれている伊吹信介は、どちらかと言えば煮え切らない男だ。行動力はあるが、あれこれ悩み、なかなか腰が据わらない。また、物語とは言え、かなりなドジをしてしまう男でもあり、悩みは、実際の暮らし面での困難に変わっていく。
ただ、この巻の終わりあたりから、信介はやや破滅型の行動をし始めており、物語は少し違う展開を見せ始めるのではないか、という期待がある。 -
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今年になって、「青春の門」の文庫版を再読し始めた。2月に第1巻を読み、5月に第2巻。そして、今月になって、この第3巻を読んだ。
東京の大学に進学した主人公の伊吹信介は、誘われて、学生の劇団に加わり、北海道の函館に渡る。当時の多くの学生がそうだったのかは分からないが、劇団のメンバー達の多くは社会主義・共産主義の社会の実現を願っている。自分達の芝居の興行を行い、観に来てくれる人たちの反応を見ながら、大衆の、民衆の演劇を作り上げることを目指している。大学に通うエリートとしてではなく。
こういうことを書いても時代背景が異なるので分かりにくいと思う。昭和30年頃、大学進学率がまだ高くなく、大学生が社会のリーダー予備軍として見られていた時代の話である。おそらく作者の五木寛之は、そういった時代背景の中で実際に大学に通い、伊吹信介と同じように、自分が何者なのかということに悩んでいた経験があるのだろう。伊吹信介の煮え切らなさは、五木寛之の煮え切らなさなのだろう。 -
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寺を巡ってゆくエッセイとなれば、和辻哲郎「古寺巡礼」が有名だが、鬱々としたそれと比べて本シリーズはあっけらかんとかなり明るい。前書きを見れば、編集者と一緒に「モノローグをつづけ、語り、文章を書いた。そのすべてを記録し、肉声も、メモも、原稿も、まるごと集録して一冊の本が生まれた」とある。2年間で百寺を巡る企画なので、そういう形になったのだろう(あとで知ったが、もともとはテレビ番組で、これはその書籍化らしい)。旅ガイドにもなっているし、時々自分の人生も振り返っている。当然、京都で修行した仏教知識は全開である。旅の前後のお供本としては丁度良いものだろう。
私は全く別の感想を持った。
潤沢な資金を持たない一般人の我々ならば、こういう本を作るならば何年必要だろうか。例えば、「百の古墳巡礼」という企画ならば、昨今のブームを受けて成立するのではないか?(全国の古墳数は16万基なので、それでもほんの一部になる)マイナーな古墳にスポットを当てて、古墳の新たな面を照射する企画である。
書く人ならば、いないことはない。
もう30年以上、おそらく万は越していると思われる古墳巡りをしている方を知っている。平家蟹さんという方で「古墳のお部屋」というページを開設していて、道なき山の、痕跡しかないような古墳の全てを、一人で歩き通して写真を撮り、経度、緯度の座標を記入してきた人である。2度ほど古墳巡りを一緒にさせて貰ったことがあるが、これがどれほど凄く、全国の古墳ファンの役に立っているかは計り知れない(約99%の古墳はweb地図に記載など無いから)。平家蟹さんは一度訪れた古墳はほぼ真っ直ぐ迷いなく行くことができる。行って何をしているかというと、石室に入れるところは入ってしばらく恍惚に浸るのだそうだ。五木寛之のような「蘊蓄」は一つも語らないが、当然古墳に対する知識は半端ない。
何度か、本にしたらどうですか?と勧めたことはあるけれども、全然その気はなかった。
私が書くならば「百弥生遺跡巡礼」か‥‥。
全然売れそうもないな‥‥。 -
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今年の2月に第1巻を読んだのに続き、第2巻を読んだ。
主人公の伊吹信介は、大学入学のために、筑豊から東京に出て来る。初めての東京で、筑豊にはいないタイプの人たちと出会い、戸惑いながら大学生活を始める信介の姿を描いている。
この小説の年代は小説には書かれてはいない。ネットで調べると、信介が大学に入学したのは、昭和29年(1954年)であるという記述がいくつか見つかった。正確に昭和29年かどうかは別にして、おおよそ、それくらいの年代の話であろう。
信介が大学に入学したのは、私が生まれる前の話であるが、それでもモデルになっている大学は、私の母校であり、親しみを感じる。私自身も九州出身であり、大学に入学するために上京したのは信介と同じであり、信介の戸惑いが理解できる部分も多い。
「青春の門」を初めて読んだのは高校生の頃だと思う。記憶が曖昧であるが、読んだのは、この第2巻までだったと思う。第3巻以降は初読となり楽しみだ。