【感想・ネタバレ】親鸞(しんらん)(下) 【五木寛之ノベリスク】のレビュー

あらすじ

親鸞は比叡山での命がけの修行にも悟りを得られず、六角堂へ百日参籠を決意する。そこで待っていたのは美しい謎の女人、紫野との出会いだった。彼が全てを捨て山をおりる決意をした頃、都には陰謀と弾圧の嵐が吹き荒れていた。そして親鸞の命を狙う黒面法師。法然とともに流罪となった彼は越後へ旅立つ。

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

親鸞を読み始めて、東本願寺の朝のお勤めに参加。さすがに比叡山で音覚法印に読経と声明を修業しただけはある美しい読経だった。おまけに渉成園で朝ごはんをいただく。真宗が日本の歴史に、特に武士の時代に果たす役割は大きかったんだろうなぁと思い至った。

0
2025年09月28日

Posted by ブクログ

親鸞の決して平坦ではない修行を通じての生き様と、法然上人と易行念仏に行きつく過程が、常に迫力を持って描かれていて、とてもリアルに飽きることなく読み進めることができた。弥七がかっこよく、ファンになってしまった笑

0
2025年05月27日

Posted by ブクログ

(2010/7/10)
五木親鸞の下巻、上巻からちょっと間をおいて、ようやく読んだ。相変わらず一気に読める。
法然の説く念仏教の意味をついに理解して弟子となり、かねてから愛する女性と再会し妻とする。いわゆる破戒。
世俗にもまれながら、本当の念仏教を極め、広めてていく親鸞、、、ではなく、範宴、棹空、善信、親鸞!あら棚成長段階を迎えるごとに名を変える。

仏教でもキリスト教でも、元の教えはシンプルなはず。釈尊(仏陀)もイエスキリストも民衆とともにあり、教えをたれていたはず。それがいつしか階層化する。修行したものだけが教えを理解できるような形にして、民衆を下におき、僧侶が、牧師が、神父がなんらか権限を持つ。政治に係わる。
何で、虎の威を借る狐かな担ってしまうのだろう、人間って。
人の上にたちたがるんだろ。

親鸞はそれに真っ向から戦った。
無論法然もそうだった。民衆に念仏だけでいいと教えながら、法然自身は戒律を敗れなかった。叡山にとらわれていた。
親鸞はそうではなかった。妻帯し、肉を食い、世俗にまみれる。そして、どんな善人にも悪がある、だからみな南無阿弥陀仏と唱えることで極楽にいけると説く。

地に足のついた宗教家だ。
親鸞と法然は互いを信じあっていたというのがいい。その上で、法然の教えを自ら体現し伝える親鸞。

かくありたい!
いま一度吉川英治親鸞を読むべきだろうと思う。

0
2024年09月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

上巻に続けての一気読みでした。

どこまでが史実に則しているのかはわかりません。

でも、読み終えてそこに間違いなく親鸞が生きた時代を垣間見ることが出来た。

続編も楽しみに読み進めていきたい。

説明
内容紹介
親鸞は比叡山での命がけの修行にも悟りを得られず、六角堂へ百日参籠を決意する。そこで待っていたのは美しい謎の女人、紫野との出会いだった。彼が全てを捨て山をおりる決意をした頃、都には陰謀と弾圧の嵐が吹き荒れていた。そして親鸞の命を狙う黒面法師。法然とともに流罪となった彼は越後へ旅立つ。
内容(「BOOK」データベースより)
親鸞は比叡山での命がけの修行にも悟りを得られず、六角堂へ百日参篭を決意する。そこで待っていたのは美しい謎の女人、紫野との出会いだった。彼が全てを捨て山をおりる決意をした頃、都には陰謀と弾圧の嵐が吹き荒れていた。そして親鸞の命を狙う黒面法師。法然とともに流罪となった彼は越後へ旅立つ。
著者について
五木 寛之
1932年福岡県生まれ。朝鮮半島より引き揚げたのち、早稲田大学露文科に学ぶ。PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門』(筑豊篇ほか)で吉川英治文学賞を受賞。81年より一時休筆して京都の龍谷大学に学んだが、のち文壇に復帰。2002年にはそれまでの執筆活動に対して菊池寛賞を、英語版『TARIKI』が2002年度ブック・オブ・ザ・イヤースピリチュアル部門を、04年には仏教伝道文化賞を、09年にはNHK放送文化賞を受賞する。2010年に刊行された本書は第64回毎日出版文化賞を受賞し、ベストセラーとなった。代表作に『戒厳令の夜』、『風の王国』、『風に吹かれて』、『百寺巡礼』(日本版 全十巻)など。小説のほか、音楽、美術、歴史、仏教など多岐にわたる活動が注目されている。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
五木/寛之
1932年福岡県生まれ。朝鮮半島より引き揚げたのち、早稲田大学露文科に学ぶ。PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、’66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、’67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、’76年『青春の門』(筑豊篇ほか)で吉川英治文学賞を受賞。’81年より一時休筆して京都の龍谷大学に学んだが、のち文壇に復帰。2002年にはそれまでの執筆活動に対して菊池寛賞を、英語版『TARIKI』が2002年度ブック・オブ・ザ・イヤースピリチュアル部門を、’04年には仏教伝道文化賞を、’09年にはNHK放送文化賞を受賞する。2010年に刊行された「親鸞」は第64回毎日出版文化賞を受賞し、ベストセラーとなった。小説のほか、音楽、美術、歴史、仏教など多岐にわたる活動が注目されている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

0
2020年03月22日

Posted by ブクログ

貴族から庶民のための宗教に移り変わり始めている時の話。
庶民にもわかりやすく、念仏を唱えればどんな人も救われる。そういう教えなのに、いつの間にか、何をしても念仏さえ唱えればなんとかなるという間違った教えが広まることに。
新しい事は、いつの時代もなかなか権力のある人には受け入れられず、いつの時代も苦労しますね。

0
2019年06月15日

Posted by ブクログ

範宴が法然上人のいる吉水に通い始めてから、親鸞となって吉水を去るまで。
この話の中でこの人はまた何回も名前が変わった。
範宴から法然の弟子となった綽空
この名前の時、恵信(紫乃)と結婚。
選択本願念仏集の書写を終えて善信
信州へ流罪となり、親鸞へ。
ようやく知っとる名前になった!!!

0
2016年11月25日

Posted by ブクログ

誰もが抱える心の闇を、ほんの少しでも照らす光明を信じて生きて行きたい。
マジでそう思わせてくれる。

0
2015年10月13日

Posted by ブクログ

上巻に続いて下巻も変わらずテンポよくワクワクしながら読んだ。そして気付いたのは私自身煩悩まみれであるという事(笑)
でも親鸞自身もそんな感じで最高の伴侶を得たりしてて人間味を感じた。そこから見えてくるものだってあると思う。何も無駄じゃないんだなと勝手な解釈(笑)

0
2015年08月26日

Posted by ブクログ

続きだが、彼が求めてきたものが少しずつ形になる。

やはり普通というよりはどこか異端児なところがある。
かつ一つのことを貫き通す。

そういう人が記憶に残り、また人々から愛されていくのだろう。

0
2015年07月12日

Posted by ブクログ

信仰の自由など到底考えられず、国家による介入が当たり前だった時代、いわゆる鎌倉新仏教が立ち上がるに至る、激動の物語。法然とのかかわりを中心に綴られる本下巻。内部での人間模様も魅力的に描かれていて、単なる仏教話ではない、小説としての面白さも担保されている。やっと”親鸞”の名前に落ち着いたところで、いったん物語は完結。でも既に続きも刊行されているようで、そちらも楽しんでいきたいと思います。

0
2015年04月26日

Posted by ブクログ

法然の弟子になり、綽空、善信となり、自分の道を進むことを決心した。

念仏道は、既存の仏教の教えを選択して、念仏を唱えるだけで救われると言う危うい教え。

既得権益の集団から狙われることに。黒面法師の最後が意外にあっけなかった。

豪胆な法然と親鸞にびっくり。

0
2024年07月30日

Posted by ブクログ

親鸞となるまでの幼年から青年期までの葛藤が人間らしく、歴史上の人物にとても興味を持つきっかけになりました

0
2024年05月12日

Posted by ブクログ

親鸞として改名して越後に流罪として流されるまでが描かれている青春篇。面白くて一気に読んでしまいました。

0
2021年10月24日

Posted by ブクログ

親鸞は名前を変えていく。生まれ変わって名前を変えていく。最後は新潟に出発するまでの話。親鸞に名前を変えるまで。法勝寺の八角九重塔って本当にあったんだな。見てみたかった。法然も親鸞も叡山で修行して今は叡山にも飾られていて、時の流れを感じるとともに叡山の人材輩出振りに改めて関心する。激動篇も楽しみ。

0
2020年07月15日

Posted by ブクログ

「他力の念仏。情けない愚か者には、二度、三度と呼びかけられるのが仏の慈悲。呼ばれるたびに愚直に答える者が、どうして救われないことがあろうか。」「われらは末世の凡夫である。罪悪の軽重をとわず、煩悩の大小によらず、ただ仏の本願による念仏によってのみ救われるのだ。」あみ、だんぶ、なも、あみ、だんぶ、なも。

0
2020年05月05日

Posted by ブクログ

忠範、範宴、綽空、善信と親鸞の名前は変わってきた。下巻最後にようやく親鸞が出てきた。越後に旅立つ巻末は情景が目に浮かぶ、作者の表現の素晴らしさが垣間見えた。この先も楽しみである。

0
2019年05月16日

Posted by ブクログ

越後に流罪となり、親鸞の名乗るまでの下巻。叡山から吉水に下り、法然上人に学ぶ中、政治的な弾圧を受けるなか、師の教えを信じ信念を突き通す真摯な姿勢は仏門に限らず、矜持を持つ生き方として畏敬と憧れを感じる。恵信との結婚や鹿野を巻き込んだ同門の遵西、そして黒面法師との対決など見どころも多く、遵西の処刑、親鸞の旅立ちの場面が最大の見せ場ですね。
方苦しくなくとても読みやすい文体と感じました。
続編も読みたいと思います。

0
2018年11月24日

Posted by ブクログ

前半にも増して仏教感や精神論も深くなって来たが、決して難しくもなく、次々といろんなことが起こりエンターテイメント性が強くなって歴史小説と思えないほど。
ドラマにしてほしいくらい。
最後にやっと親鸞誕生で、これまでの諸々の素地があって親鸞は生まれたのか、、と納得。
まだまだ続きが楽しみです。

0
2018年10月30日

Posted by ブクログ

ぬおおお、親鸞誕生!ドラマチック、ドラマチックです。その分、史実通りじゃない部分もあるのかもしれないけど、ドラマチックです。激動編が楽しみ。

0
2018年04月29日

Posted by ブクログ

怒濤の展開の下巻。凝縮されすぎていて感想を書くのが難しいくらいおもしろい。当時の宗教観や死生観は、心の支えでありながら、自らを律する鎖でもあったのだろうと思う。現代人には少し欠けてる部分なのかも。
めちゃくちゃするやつももそれなりに出てくるのだが、皆真っ直ぐなので嫌いになれない。

0
2016年12月05日

Posted by ブクログ

比叡山を飛び出し、法然のもとへと走った範宴は、綽空と名を改めることになります。彼は、弁才とともに病人の治療に当たっていたときの彼に手巾を渡してくれた紫野という女性に惹かれていきます。

しかし、やがて紫野は病を得て故郷へと帰ってしまい、彼女の代わりに紫野の妹の鹿野という女性が彼のもとへとやってきます。範宴は、鹿野が彼に寄せる想いに気づきながらも、紫野への思慕を断ち切ることはできません。そんな範宴の態度に傷つけられた鹿野は、彼の兄弟子である安楽坊遵西という僧のもとへと走ることになります。

範宴は、やがて法然の厚い信頼を得るようになりますが、兄弟弟子の間には、そんな範宴に対する妬みがくすぶっていきます。そんなある日、範宴は遵西から、一つの提案を持ちかけられます。彼は、法然の教えを広く世の中に伝えるため、事件を引き起こして、法然の態度をもはや旧仏教徒の対決が避けられないところに追い込もうと画策していたのです。彼は、かつて「六波羅王子」と呼ばれ、現在は「黒面法師」と名乗っている伏見平四郎と手を組み、寺に火を放ち禁裏に攻め入る作戦を立てます。

綽空は、遵西と行動を共にすることはできないと彼の誘いを退けますが、遵西は鹿野を人質にとって、綽空に決断を迫ります。彼は紫野とともに鹿野のもとへ向かいながら、黒面法師のような五逆十悪の者たちに呼びかけるためには、法然の教えをいっそう突き詰めていくことによるほかないと考えます。

後巻もドラマティックな展開を孕みつつ、法然の教えから親鸞が何を受け止め、それをどのように突き詰めていったのかが解き明かされています。「生」についての教えに偏り、「浄土」の持つ意義が薄くなっているのではないかという疑問もありますが、歴史小説という枠組みの中で親鸞という人物を見事に造形化した作品だと思います。

0
2015年07月07日

Posted by ブクログ

親鸞自身が なかなか 悟りを開くことができないことを
自分の業が深いと思っている。
また、女性に対する想いが強く 煩悩を断ち切ることが
できないことも、親鸞をなやませる。
『放埒の血』になやむ。
じつに 人間臭い のである。
仏に つかえる身 であり、仏に 解脱することが
修業であるが 苦行を通じてしか生まれない。
一種の狂信的な行為が 必要なんだね。

基本もしくは 原点で素直に悩む。
『仏とは?』
この問いかけが 親鸞の原動力となる。

範宴は、釈尊に出会うのではなく
聖徳太子に 出会うことが 面白いな。

鹿野に対する 態度に対して
サヨが手酷く しかる ところは、
さすが オンナの目が したたかでもある。

お経とは 声を出して 読むもので
良い声,悪い声というものがあるものだ。
安楽房遵西は、イケメンであり、声がいい。
詠い方は独特で女子を引きつける。
今様、和讃。

ワクをはみ出て はじめて 新しいものの創造が可能である。
親鸞は 自分が満足しなかった故に、
自分を窮地に追い込むことで 切り開いていく。
先人である 法然が すごいんだね。

忠範 範宴 善心 そして 親鸞への 4度名前がかわる。
紫野が 労咳 となり、信心して なおし 恵信 となる。
そして,再び会うことで 範宴は こころの安寧をえる。

法然上人から 善心は 若くして 信頼を得る。
そして、後鳥羽上皇の怒りにより 法然上人 親鸞とも流刑に。
法然上人は 土佐へ 親鸞は 恵信の故郷 越後に 流刑になる。

親鸞の物語も こうやって 小説になると親しみやすいものだ。
親鸞の人となりが 人間臭いが それでも 前に進もうとする
決意が 尊いのだろう。  

0
2014年01月23日

Posted by ブクログ

最後に「完」とあるものの、その直前ようやく「親鸞」を名乗ることになり越後に着いたところで終わるという、序章がやっと終わっただけという感じ。浄土真宗はまだ気配すらありません。引き続き「激動編」が楽しみ。まだ新聞連載中の「完結編」も早く本当に完結してくれたらなと思います。
ともあれ、真宗の「一念義」や「悪人正機」でこれまで疑問に思っていたところが実にわかりやすく説明されていて、非常に勉強になりました。

0
2013年11月23日

Posted by ブクログ

後の親鸞が範宴と名乗り、六角堂に百日参籠することを決めるところから始まる。
そして、流罪によって越後へ旅立つ。この時親鸞と自称する。とこの本はそこまでのお話。
(範宴29歳〜親鸞34、5歳)

絶体絶命のピンチに見舞われても、親鸞は周りの人々に守られ、窮地を脱す。
どんなオーラを纏った人物だったのかなと実際に見てみたい気持ちが湧いた。

0
2024年02月01日

Posted by ブクログ

人は、他人の悲しみの上にしか
自分の幸せをおくことができないのか

信じると言うのは、物事ではなく、人です。
この二言が印象的であった。

0
2022年05月25日

Posted by ブクログ

 五木寛之の小説は面白いのであるが、長編は間延びがある。わずか2巻なのに随分かかってしまった。この次の編も読もうと思うが、全部読み終わるのはいつになるやら…

0
2021年03月13日

Posted by ブクログ

親鸞が越後に流されるまで。上下巻を通じ、テンポ良くストーリーが展開していき楽しめた。ただ浄土真宗の開祖が主人公なので、もっと荘厳な哲学風のものを想像していたが、悪との闘い、死地からの脱出と、かなりエンターテイメント色が強かった。吉川英次の作品も読んで比べてみたい。2017.12.21

0
2017年12月21日

Posted by ブクログ

範宴は比叡山を降り、綽空と改名し、さらに法然から秘伝書である選択集を授かったときに、善信と改名し、越後に遠流の刑となったときに、親鸞と改名した。

恋あり、チャンバラあり、政争ありの俗世間にまみれた僧の話。

仏道のみならず文化全体の最高学府としての叡山

0
2016年07月14日

Posted by ブクログ

 浄土宗の開祖が法然で、法然の弟子の親鸞は浄土真宗の開祖である。違いは浄土宗を継承発展させたのが浄土真宗なのだとか、浄土真宗も後年には東本願寺・西本願寺・大谷派と分派する。同じ念仏仏教の雄、日蓮宗の開祖、日蓮について気になるので調べてみると、日蓮が親鸞より49歳年下で同じ時代を生きていた。ネットで調べるとお互い知ってはいたがあったことはないらいしい、いろいろと興味は尽きない。

0
2016年05月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

どんな内容だか気になってはいたが、意外とドンパチものもあって、エンタメ的に仕上がってはいる。
深くしようとするといくらでも深くできそうな気はする題材のため、これはこれでいいかも。

本書は親鸞になって終わる。
この話にはやはり続きがあるとのこと。その後、どう浄土真宗を開いたかまでやはり読まないといけないか。

0
2015年09月01日

「歴史・時代」ランキング