感情タグBEST3
Posted by ブクログ
上巻に続けての一気読みでした。
どこまでが史実に則しているのかはわかりません。
でも、読み終えてそこに間違いなく親鸞が生きた時代を垣間見ることが出来た。
続編も楽しみに読み進めていきたい。
説明
内容紹介
親鸞は比叡山での命がけの修行にも悟りを得られず、六角堂へ百日参籠を決意する。そこで待っていたのは美しい謎の女人、紫野との出会いだった。彼が全てを捨て山をおりる決意をした頃、都には陰謀と弾圧の嵐が吹き荒れていた。そして親鸞の命を狙う黒面法師。法然とともに流罪となった彼は越後へ旅立つ。
内容(「BOOK」データベースより)
親鸞は比叡山での命がけの修行にも悟りを得られず、六角堂へ百日参篭を決意する。そこで待っていたのは美しい謎の女人、紫野との出会いだった。彼が全てを捨て山をおりる決意をした頃、都には陰謀と弾圧の嵐が吹き荒れていた。そして親鸞の命を狙う黒面法師。法然とともに流罪となった彼は越後へ旅立つ。
著者について
五木 寛之
1932年福岡県生まれ。朝鮮半島より引き揚げたのち、早稲田大学露文科に学ぶ。PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門』(筑豊篇ほか)で吉川英治文学賞を受賞。81年より一時休筆して京都の龍谷大学に学んだが、のち文壇に復帰。2002年にはそれまでの執筆活動に対して菊池寛賞を、英語版『TARIKI』が2002年度ブック・オブ・ザ・イヤースピリチュアル部門を、04年には仏教伝道文化賞を、09年にはNHK放送文化賞を受賞する。2010年に刊行された本書は第64回毎日出版文化賞を受賞し、ベストセラーとなった。代表作に『戒厳令の夜』、『風の王国』、『風に吹かれて』、『百寺巡礼』(日本版 全十巻)など。小説のほか、音楽、美術、歴史、仏教など多岐にわたる活動が注目されている。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
五木/寛之
1932年福岡県生まれ。朝鮮半島より引き揚げたのち、早稲田大学露文科に学ぶ。PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、’66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、’67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、’76年『青春の門』(筑豊篇ほか)で吉川英治文学賞を受賞。’81年より一時休筆して京都の龍谷大学に学んだが、のち文壇に復帰。2002年にはそれまでの執筆活動に対して菊池寛賞を、英語版『TARIKI』が2002年度ブック・オブ・ザ・イヤースピリチュアル部門を、’04年には仏教伝道文化賞を、’09年にはNHK放送文化賞を受賞する。2010年に刊行された「親鸞」は第64回毎日出版文化賞を受賞し、ベストセラーとなった。小説のほか、音楽、美術、歴史、仏教など多岐にわたる活動が注目されている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
Posted by ブクログ
貴族から庶民のための宗教に移り変わり始めている時の話。
庶民にもわかりやすく、念仏を唱えればどんな人も救われる。そういう教えなのに、いつの間にか、何をしても念仏さえ唱えればなんとかなるという間違った教えが広まることに。
新しい事は、いつの時代もなかなか権力のある人には受け入れられず、いつの時代も苦労しますね。
Posted by ブクログ
範宴が法然上人のいる吉水に通い始めてから、親鸞となって吉水を去るまで。
この話の中でこの人はまた何回も名前が変わった。
範宴から法然の弟子となった綽空
この名前の時、恵信(紫乃)と結婚。
選択本願念仏集の書写を終えて善信
信州へ流罪となり、親鸞へ。
ようやく知っとる名前になった!!!
Posted by ブクログ
上巻に続いて下巻も変わらずテンポよくワクワクしながら読んだ。そして気付いたのは私自身煩悩まみれであるという事(笑)
でも親鸞自身もそんな感じで最高の伴侶を得たりしてて人間味を感じた。そこから見えてくるものだってあると思う。何も無駄じゃないんだなと勝手な解釈(笑)
Posted by ブクログ
続きだが、彼が求めてきたものが少しずつ形になる。
やはり普通というよりはどこか異端児なところがある。
かつ一つのことを貫き通す。
そういう人が記憶に残り、また人々から愛されていくのだろう。
Posted by ブクログ
信仰の自由など到底考えられず、国家による介入が当たり前だった時代、いわゆる鎌倉新仏教が立ち上がるに至る、激動の物語。法然とのかかわりを中心に綴られる本下巻。内部での人間模様も魅力的に描かれていて、単なる仏教話ではない、小説としての面白さも担保されている。やっと”親鸞”の名前に落ち着いたところで、いったん物語は完結。でも既に続きも刊行されているようで、そちらも楽しんでいきたいと思います。
Posted by ブクログ
親鸞は名前を変えていく。生まれ変わって名前を変えていく。最後は新潟に出発するまでの話。親鸞に名前を変えるまで。法勝寺の八角九重塔って本当にあったんだな。見てみたかった。法然も親鸞も叡山で修行して今は叡山にも飾られていて、時の流れを感じるとともに叡山の人材輩出振りに改めて関心する。激動篇も楽しみ。
Posted by ブクログ
「他力の念仏。情けない愚か者には、二度、三度と呼びかけられるのが仏の慈悲。呼ばれるたびに愚直に答える者が、どうして救われないことがあろうか。」「われらは末世の凡夫である。罪悪の軽重をとわず、煩悩の大小によらず、ただ仏の本願による念仏によってのみ救われるのだ。」あみ、だんぶ、なも、あみ、だんぶ、なも。
Posted by ブクログ
忠範、範宴、綽空、善信と親鸞の名前は変わってきた。下巻最後にようやく親鸞が出てきた。越後に旅立つ巻末は情景が目に浮かぶ、作者の表現の素晴らしさが垣間見えた。この先も楽しみである。
Posted by ブクログ
越後に流罪となり、親鸞の名乗るまでの下巻。叡山から吉水に下り、法然上人に学ぶ中、政治的な弾圧を受けるなか、師の教えを信じ信念を突き通す真摯な姿勢は仏門に限らず、矜持を持つ生き方として畏敬と憧れを感じる。恵信との結婚や鹿野を巻き込んだ同門の遵西、そして黒面法師との対決など見どころも多く、遵西の処刑、親鸞の旅立ちの場面が最大の見せ場ですね。
方苦しくなくとても読みやすい文体と感じました。
続編も読みたいと思います。
Posted by ブクログ
前半にも増して仏教感や精神論も深くなって来たが、決して難しくもなく、次々といろんなことが起こりエンターテイメント性が強くなって歴史小説と思えないほど。
ドラマにしてほしいくらい。
最後にやっと親鸞誕生で、これまでの諸々の素地があって親鸞は生まれたのか、、と納得。
まだまだ続きが楽しみです。
Posted by ブクログ
怒濤の展開の下巻。凝縮されすぎていて感想を書くのが難しいくらいおもしろい。当時の宗教観や死生観は、心の支えでありながら、自らを律する鎖でもあったのだろうと思う。現代人には少し欠けてる部分なのかも。
めちゃくちゃするやつももそれなりに出てくるのだが、皆真っ直ぐなので嫌いになれない。
Posted by ブクログ
比叡山を飛び出し、法然のもとへと走った範宴は、綽空と名を改めることになります。彼は、弁才とともに病人の治療に当たっていたときの彼に手巾を渡してくれた紫野という女性に惹かれていきます。
しかし、やがて紫野は病を得て故郷へと帰ってしまい、彼女の代わりに紫野の妹の鹿野という女性が彼のもとへとやってきます。範宴は、鹿野が彼に寄せる想いに気づきながらも、紫野への思慕を断ち切ることはできません。そんな範宴の態度に傷つけられた鹿野は、彼の兄弟子である安楽坊遵西という僧のもとへと走ることになります。
範宴は、やがて法然の厚い信頼を得るようになりますが、兄弟弟子の間には、そんな範宴に対する妬みがくすぶっていきます。そんなある日、範宴は遵西から、一つの提案を持ちかけられます。彼は、法然の教えを広く世の中に伝えるため、事件を引き起こして、法然の態度をもはや旧仏教徒の対決が避けられないところに追い込もうと画策していたのです。彼は、かつて「六波羅王子」と呼ばれ、現在は「黒面法師」と名乗っている伏見平四郎と手を組み、寺に火を放ち禁裏に攻め入る作戦を立てます。
綽空は、遵西と行動を共にすることはできないと彼の誘いを退けますが、遵西は鹿野を人質にとって、綽空に決断を迫ります。彼は紫野とともに鹿野のもとへ向かいながら、黒面法師のような五逆十悪の者たちに呼びかけるためには、法然の教えをいっそう突き詰めていくことによるほかないと考えます。
後巻もドラマティックな展開を孕みつつ、法然の教えから親鸞が何を受け止め、それをどのように突き詰めていったのかが解き明かされています。「生」についての教えに偏り、「浄土」の持つ意義が薄くなっているのではないかという疑問もありますが、歴史小説という枠組みの中で親鸞という人物を見事に造形化した作品だと思います。
Posted by ブクログ
親鸞自身が なかなか 悟りを開くことができないことを
自分の業が深いと思っている。
また、女性に対する想いが強く 煩悩を断ち切ることが
できないことも、親鸞をなやませる。
『放埒の血』になやむ。
じつに 人間臭い のである。
仏に つかえる身 であり、仏に 解脱することが
修業であるが 苦行を通じてしか生まれない。
一種の狂信的な行為が 必要なんだね。
基本もしくは 原点で素直に悩む。
『仏とは?』
この問いかけが 親鸞の原動力となる。
範宴は、釈尊に出会うのではなく
聖徳太子に 出会うことが 面白いな。
鹿野に対する 態度に対して
サヨが手酷く しかる ところは、
さすが オンナの目が したたかでもある。
お経とは 声を出して 読むもので
良い声,悪い声というものがあるものだ。
安楽房遵西は、イケメンであり、声がいい。
詠い方は独特で女子を引きつける。
今様、和讃。
ワクをはみ出て はじめて 新しいものの創造が可能である。
親鸞は 自分が満足しなかった故に、
自分を窮地に追い込むことで 切り開いていく。
先人である 法然が すごいんだね。
忠範 範宴 善心 そして 親鸞への 4度名前がかわる。
紫野が 労咳 となり、信心して なおし 恵信 となる。
そして,再び会うことで 範宴は こころの安寧をえる。
法然上人から 善心は 若くして 信頼を得る。
そして、後鳥羽上皇の怒りにより 法然上人 親鸞とも流刑に。
法然上人は 土佐へ 親鸞は 恵信の故郷 越後に 流刑になる。
親鸞の物語も こうやって 小説になると親しみやすいものだ。
親鸞の人となりが 人間臭いが それでも 前に進もうとする
決意が 尊いのだろう。
Posted by ブクログ
最後に「完」とあるものの、その直前ようやく「親鸞」を名乗ることになり越後に着いたところで終わるという、序章がやっと終わっただけという感じ。浄土真宗はまだ気配すらありません。引き続き「激動編」が楽しみ。まだ新聞連載中の「完結編」も早く本当に完結してくれたらなと思います。
ともあれ、真宗の「一念義」や「悪人正機」でこれまで疑問に思っていたところが実にわかりやすく説明されていて、非常に勉強になりました。
Posted by ブクログ
親鸞の幼少から越後への流刑までの物語として、歴史上の人物を面白く膨らませ、小説らしく楽しく読める。また、親鸞の人生を知る上でも貴重な小説になっている。印象深いのは、法然が親鸞に撰択本願念仏集の書写を許したとき、親鸞がそれを釈尊の最後の言葉「わが教えをよりどころとして、おのれの道を往け」と解して、自立し旅立つところ。「往生するのは善人か、悪人か」と問われて、「善人・悪人の区別をつけない。みな、深い闇を抱いている」と応えているところは、親鸞の言葉でもあり、著者の言葉でもあり、なるほどと思う。面白かったが、この本を読む人たちには、親鸞の他力にすがりたいという想いがあると思う。それに応えるインパクトは不足している気がする。
Posted by ブクログ
「親鸞」が9才で比叡山に入り20年に及ぶ修業を積むが限界を感じて下山、「法然」の門下に入り、朝廷による「専修念仏」の停止から越後へ流刑となるところまでを描く。
司馬遼太郎の「空海の風景」的な小説や伝記かと思いきや、エンターテイメント小説。伝記を想像して読むとがっかりするが、エンタメとすれば100万部を超えるというが分かる。
「親鸞」としての布教や7子を設けた話はない青春記。
Posted by ブクログ
親鸞の少年期から「親鸞」と名乗るまでの間の揺れる心情が描かれている。親鸞が親鸞と名乗る前に3つも名前があり、人生の節目に、生き方を変え、それにあわせて名前も変えていたとは。日本仏教の歴史の一端が見え、面白い。
Posted by ブクログ
後の親鸞が範宴と名乗り、六角堂に百日参籠することを決めるところから始まる。
そして、流罪によって越後へ旅立つ。この時親鸞と自称する。とこの本はそこまでのお話。
(範宴29歳〜親鸞34、5歳)
絶体絶命のピンチに見舞われても、親鸞は周りの人々に守られ、窮地を脱す。
どんなオーラを纏った人物だったのかなと実際に見てみたい気持ちが湧いた。
Posted by ブクログ
五木寛之の小説は面白いのであるが、長編は間延びがある。わずか2巻なのに随分かかってしまった。この次の編も読もうと思うが、全部読み終わるのはいつになるやら…
Posted by ブクログ
親鸞が越後に流されるまで。上下巻を通じ、テンポ良くストーリーが展開していき楽しめた。ただ浄土真宗の開祖が主人公なので、もっと荘厳な哲学風のものを想像していたが、悪との闘い、死地からの脱出と、かなりエンターテイメント色が強かった。吉川英次の作品も読んで比べてみたい。2017.12.21
Posted by ブクログ
範宴は比叡山を降り、綽空と改名し、さらに法然から秘伝書である選択集を授かったときに、善信と改名し、越後に遠流の刑となったときに、親鸞と改名した。
恋あり、チャンバラあり、政争ありの俗世間にまみれた僧の話。
仏道のみならず文化全体の最高学府としての叡山
Posted by ブクログ
浄土宗の開祖が法然で、法然の弟子の親鸞は浄土真宗の開祖である。違いは浄土宗を継承発展させたのが浄土真宗なのだとか、浄土真宗も後年には東本願寺・西本願寺・大谷派と分派する。同じ念仏仏教の雄、日蓮宗の開祖、日蓮について気になるので調べてみると、日蓮が親鸞より49歳年下で同じ時代を生きていた。ネットで調べるとお互い知ってはいたがあったことはないらいしい、いろいろと興味は尽きない。
Posted by ブクログ
どんな内容だか気になってはいたが、意外とドンパチものもあって、エンタメ的に仕上がってはいる。
深くしようとするといくらでも深くできそうな気はする題材のため、これはこれでいいかも。
本書は親鸞になって終わる。
この話にはやはり続きがあるとのこと。その後、どう浄土真宗を開いたかまでやはり読まないといけないか。