五木寛之のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
この著者のエッセイは良く読むのであるが、この「大河の一滴 最終章」は30年前の「大河の一滴」よりも良かったよ、なにしろ書いた年齢が93歳の時なのだから、人間が練れてる。若い時書いた文章よりも老いて書いた文章の方が含蓄に富んでいるのは当たり前なのだが、置いても衰えない執筆活動がすごい。
この本の最後に,秋田でやった講演の内容が書いてあるのだが、時間がなくて1時間の講演の時の話だった。彼の普段の講演は3時間から4時間ないと十分話せないと追うのだからすごい。この講演でも喑秀なんて言葉が平安時代からどんな使われ方をして明治時代に夏目漱石や森鴎外がしばしば使っていた。そしてそのような言葉は世界の各地にあるというのだ。人間というものは明るく元気な状態からエネルギーを引き出しているだけじゃなく、辛くて哀しい状態の中からでもエネルギーを出してきたのだ。
オーディブルで聴いたのだが、内容にとても引き込まれた。紙の本を買って座右に置こうと思った。 -
Posted by ブクログ
Audibleにて拝聴
本当に、無駄に謙虚であろうともしなければ、自分をよく見せようという欲もない方なんですね。戦争で亡くなったお母様のために生きようという気持ちは、きっと覚悟といったものではなく、自然と湧き出てくる感情なのかなと。
達観している、世を捨てている、世界に期待をしていない、諦めているとかそういったことでもないですよね。死ぬのが怖いということはないけれど、明らかにおかしくなっている現代の15年後をこの目で見たいという純粋な興味でもうちょっと生きたい、という所が印象的でした。
60代になったら『大河の一滴』を、90代になったら本書をまた読み返したいと思います。 -
Posted by ブクログ
親鸞が誰か、どんなことをした人か、何も知らずに上下巻を購入し、読み終えた。そして泣いた。
読むことのすごさを、また感じる作品に出会えた。なぜなら、その時代の様子と今との差を知ることができるから。そして、ドキドキ、ハラハラと感情が動き、本の中に没入することができる。
鴨川に死体がゴロゴロ転がっていたり、人を物のように売ったり、傷つけたりする。そんな残忍な時代でも、親鸞や恵信のように、何かを強く信じる心を持った人たちがいる。
今まで、こんな残酷な世界があったことを考えたこともなかった。
一方で、人と人との友情や愛情、つながりは、今も昔も同じなのだと感じた。また、人が大成していくときには、人一倍努力すること、信頼できる人に出会うこと、そして仲間の存在が重要であることも、今と同じなのだと思う。
親鸞について、もっと知りたくなった。
本を読むことのもう一つの良いところは、好奇心が止まらなくなることなのだ。
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Posted by ブクログ
戦い疲れて罅割れた心に染み入る一冊だった。
そして、読む時期によって感じ入る場所も理解の進み方も変わるのが本なのだということも感じた。
近頃にようやく、人生とはそれほど順風満帆なものでも理想や綺麗事ばかりでもないこと、そして悲しみや喪失感といった負の感情も正と同様に重要で不可欠な存在であることを実感した。
理想や期待からのズレに失望し憤るのではなく、世界はそういうものなんだと受容し、それでもなお自分の人生をどう生きようか、何をして生きたいかを考え続けることが肝要なのだと思いたい。
「喜ぶことと悲しむことは同じ人間の大事な感情である。明るい気持ちになって、すかっとした気持ちになることも大事である。しかし、本当に人間にとって重要なことを深刻に悩むことによっても人間の自然治癒力とか、命は活性化していくのだ、というふうに、ぼくは考えたい。」 頁202 -
Posted by ブクログ
ネタバレこの本が新刊として書店に並んだ時に購入しましたが、当時はとても難しく思えて理解ができず、
読めませんでした。最終章が発売された事をきっかけにようやく読めました。
この世はそもそも地獄、だから時折感じる幸せが天国、生きているうちに天国は味わっている。
どんなにもがいても、どんなに抗っても、
所詮人生は大河に流れる水の一滴に過ぎない。
もうこの2つだけでどんなに心が救われたことでしょう。
取り返しのつかないくらいの後悔があり、
落ち込む時期もありましたが、そもそもここは地獄だったのか、と思った瞬間から霧が晴れました。
どんなに泣いても後悔しても私の人生は大河の一滴に過ぎないんだ。
自分の悩みを高い空の上から見下ろした感覚です。
当時は私も若かった(笑)ので理解出来なかったことも歳を重ねたお陰でとても深く読み込めたように思います。歳を重ねると言うことは、
素敵なことかもしれません。 -
Posted by ブクログ
中学生のころ、『青春の門』を少し読んで、読みやすすぎると感じてそっと閉じた。生意気な年頃だった。難解な文体にこそ文学的価値があると思い込んでいた。
あれから何十年。読みやすい文章を書くことが、どれほど難しいか。読書歴を積み重ねてようやくわかってきた。五木寛之の文体は変わっていない。変わったのは、こちらの目のほうだ。
CFプロデューサーを主人公に据えた本作は、情報を操る闇の組織が絡んでくると、しだいにオカルトめいた様相を帯びてくる。かつての自分なら荒唐無稽と笑い飛ばしたかもしれない。だが今は笑えない。ネット社会とAIが情報流通を根底から変えつつある現在、この物語はもはや寓話ではなく、現実の輪郭に触れている。
主人公が情報戦争から「降りる」ことを選んでエンディングを迎えるとき、清々しさと薄ら寒さが同時に来た。降りられる個人と、降りることのできない世界。その非対称に、しばらく考え込んだ。
450ページ、一気読み。リーダビリティは正義。
角川文庫 446ページ
『海を見ていたジョニー』は中学の頃でもハマった記憶がある。
もう一度読んでみよう。 -
Posted by ブクログ
ページターナーズで対談をみて、上品でユーモアがあり、すごい情報収集量、知識量、行動量。とても惹きつけられた。
自分も50代に入って急に人生の終わりが迫ってくる感覚があって、みんなどんな気持ちで、考えで、歳を重ねているのかが気になっていた。本を読んでいて、わたしはいま50半ばだが、体力気力を失っている場合ではないと猛省。
生きる意味とか、どう生きていけばいいか、この歳になってから考えるようになった。シンプルにだいじな人たちのために長く生きる、誰かのために生きる。という目標こそが、本当の生きる力になる。と考えるのがしっくりくるし、誰かのため、も大小あるのだろうけど、目の前にいる人のためを思っていきているだけでも意味があると思えば救われる気もした。
孤独とは認識のねじれ、という考えも面白かった。孤独感につけるクスリ、それは想像力。
人生は運と努力。それもまた、そうだなと。運に見放された時に努力はできる。でもその努力がうまくいかない人がいる。それも運。努力は報われるなんてことない、と言うけどホントにそうだなと。世の中は矛盾したものだ。というのは、細谷功さんの無理の構造にも通ずる気がした。
ふと、これまでの人生、うまくいかなかったことの答え。いま、いろんな本を読んで確かめているのかもなって思ったりもした