あらすじ
どんなに前向きに生きようとも、誰しもふとした折に、心が萎えることがある。だが本来、人間の一生とは、苦しみと絶望の連続である。そう“覚悟”するところからすべては開けるのだ――。究極のマイナス思考から出発したブッダや親鸞の教え、平壌で敗戦を迎えた自身の経験からたどりついた究極の人生論。不安と混迷の時代を予言した恐るべき名著が、今あざやかに蘇る。〈心の内戦〉に疲れたすべての現代人へ贈る、強く生き抜くためのメッセージ。
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Posted by ブクログ
五木寛之さんの著書を初めて読みました。
なんて謙虚な人なんだろう、というのが第一印象。
・プラス思考だけでなく、マイナス思考も大切だ。
・病院でのブードゥー死
・面授
・癌細胞の捉え方
・心の内戦
など、興味深い考え方がいっぱいありました。
平成11年初版の本ですが、今にも通じるものが多い、、合理性を追及してきた結果、世の中がカラカラに渇ききっている。だから物の見方を寛容に変えていこう、、ほんとにそうだなと思う。
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これからの時代は、頑張らなくてもいい。
寂しいとか、悲しいとか思った時、今までは、頑張らないと!となったけれど、これからは、その気持ちに寄り添う時代。と書かれていて、すうっと力が抜けました。
何かに追い詰められた時、頑張らなくても大丈夫。と思える1冊でした。
健康な体と礼節さえあれば大丈夫。それを意識して生きたいと思いました。
Posted by ブクログ
五木寛之さんの本は初めて
大河の一滴はかなり話題になっていたことは覚えている
ただずっと小説だと思っていた
無知の極み‥
哲学的な書として紹介されているのをキッカケに手にとって見たが、
数ページ目からもうすでに目から鱗?
すべての文章が身体の中にストン!と落ちてきて
じわっ〜と染み込んでいくのがわかった
あーなんで今まで読まなかったかと悔やむ一方で
今だから響いているんだろうか
とも思った
話題になっていた頃に読んでいても
油ぎっていた身体に染みてはいなかったかもしれない
「人が生きるということは苦しみの連続なのだ」
マイナス思考から始まる人生、その中で思いがけず注がれるしあわせ
「早天の慈雨」
世は地獄、その中で一筋の光があればそれが極楽
そして浄土に向かう
死を迎えた時に、周りから拍手されるくらいのそんな死を迎えたいとも‥
「人はみな大河の一滴」
永遠の時間に向かって動いていくリズムの一部
一生という水滴の旅を終えると、やがて海に還る
母なる海に抱かれてすべての水滴と溶け合い、やがて光と熱に包まれて蒸発し、空へ
そして再び地上へ
親鸞の話など今までは聞いていても全く頭に入ってこなかったものがなぜかすぅーっと心に入ってきた
そしてそして人は生きているだけで凄いことだと改めて確認した!
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励まし、慰め、人の相談に共感できないことが多くて、嘘の励ましを乱用していたなと感じた。それは非常に無責任だったなと思う。共感できないことには素直に悩む姿勢が相手にとっても自分にとっても優しいのかな。
Posted by ブクログ
死生観が揺さぶられるような気持ちにさせられた。人の人生はは大河の一滴程度の儚いものだが、生きてるだけで価値があるということを言わんとしているのだと思う。大河に飲み込まれながらも一滴ほどの自分の価値をどう捉えるか考えさせられる一冊だった。
Posted by ブクログ
初めて五木寛之に出会った本。「大河の一滴」にもなろうという、その心掛けがすごいと思った。究極のマイナス思考から発せられる、生きることに対するエネルギーが強烈だった。
Posted by ブクログ
新しい視点をもらいました。
この世は地獄。
その中に極楽がある。
マイナスの中のプラスが希望の光。
冷たい夜と闇の中にこそ朝顔が咲く。
暗黒の中でないと、小さな光は見つけられない。
暗黒の中で見つけた光は、小さくても強い輝きのように感じる。
ここからは読んで考えたこと。
AIが医師や教師の代わりになるという意見がある。それに反対する意見もある。なんか、世の中が、AI対人間という考えに向きすぎている気がする。
本の中に「面授」という言葉がある。面と向かって教えてもらうことが大切で、知識だけなら本で得れば良い。会って直接聴いて得るものがある、という考えだが、そうなるとAIにはできないことを医師や教師はできるので、AIはむしろ医師や教師の価値を高めてくれたのではないのか。
なんて考える。
Posted by ブクログ
『大河の一滴』五木寛之氏
冷たい夜と闇の濃さのなかにこそ朝顔は咲くのだ。(291ページ)
【こんな方におすすめ】
「少し心も体も疲れているな、、、」「でも、、、無理して頑張るという気持ちにすぐにはなれないな・・・」。
もしも、そんな状態ならば・・・この書をポケットにいれて、お気に入りの喫茶店や近所の公園のベンチでくつろいでみる、そんなひと時はいかがでしょうか?
――――――――
【作品】
優しい、しっとりとした語り口のエッセーです。
五木さんは敗戦を「平壌」で迎えたと記述しています。戦後の復興から現代までをつぶさに観察してきた作家のおひとりです。
作品は、バブルがはじけて約10年、阪神淡路大震災のあとに生まれています。また、当時の自殺者人数は2万人を超えていました。
五木さんは、そんな時代に危機感を持ちながらも、決して批判をするわけではありません。ご自身のなかで「どのように解釈をしたらいいのだろうか?」と悩みながら、読者のわたしたちに語りかけてくれます。
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【読み終えて】
自身と外の世界の対比 ★★★★★
自身の心の光と闇の対比★★★★★
二律背反の世界への解釈★★★★★
自分の心と体、そして五木さんが見る世界を対比することによって、足りていること、足りていないことを考える機会に浸ることができました。
また、同時に、なにに光を見出し、どんな闇に怯えているのか?についても併せて考えることとなりました。
何が正しい、何が正しくないという二進法で物事をとらえることが多いです。この考え方に加えて、もう少しいい加減にとらえてもいいのでは?という解釈、選択肢をもつ「しなやかさ」に出会うことができました。
30代前半で読んだときと、人生折り返しで読んだときのとらえ方、受け入れ方。
面白いほどに大きく違うんだな・・・と認識することができました。
30代のころは、自分に置き換えるというとらえ方ではなかったから・・・。
五木さんの世界を知るがメインであったから・・・。
【本書より】数字は掲載ページ。
25
親切に慣れてしまえば感謝の気持ちも自然と消えていく。だから慣れないことが大切だ。いつもなにも期待しない最初の地点に立ちもどりつつ生きるしかない。
65
世の中はときに澄み、ときに濁る。(省略)清らかにすんでいないことをひとり嘆き、怒っているばかりでは生きていくことはできない。
77
私という自分が二つある、というのは、そういうことである。すべての人間と共通している自分と、だれとも異なるただひとりの自分。その二つの自分は、ときとして対立し、ときとして同調する。
112
人間の値打ちというものは、生きている、この世に生まれて、とにかく生き続け、今日まで生きている、そのことにまずあるのであって、生きている人間が何事を成し遂げてきたか?という人生の収支決算は、それはそれで、二番目くらいに大事に考えていいのではなかろうか、
124
なにもやらなくてもよい、失敗した人生であってもよい、それはそれで、人間として生まれてきて、そして人間として死んでいく、そのことにおいて、まず存在に価値があるのだ、と思うことがある。
129
混沌を認め、もう少しいい加減になることによって、たおやかな融通無碍の境地をつくることが、枯れかけた生命力をいきいきと復活させることになるのではないでしょうか?
159
ひょっとしたらマイナス思考とか、あるいはネガティブ・シンキングとか、こういうものもすごく大事なことではなかろうかと考えるようになってきました。
187
規則正しい生活というものをあまり強調しすぎることによって、規則正しい生活をしなければいけないということが人間の心と体の自由を奪うようになっては、これも問題なのではないか、
188
問題は、その人間にとって、どういう生きかたがいちばん自分らしく、そして自分で納得のいく生きかたなのか、ということにかかわっているのではないでしょうか
189
プラスとマイナスがお互いに反撥しあい、また引かれあうような、そういう物の考えかた、両極端のどちかではなく、<どっちも>という考え方を、このへんで、もう一ぺん振りかえってみたいという気がします。
248
自由に、豊かに、言葉を使って、自分を表現することは素晴らしいことです。しかし、その<言葉>にも限界があるということを、常に感じていたい、と、ぼくは考えるのです。
291
冷たい夜と闇の濃さのなかにこそ朝顔は咲くのだ。
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2度目の完読。
1度目は「世界一受けたい授業」で五木先生のこの「大河の一滴」が取り上げられていて、なんだか面白そう、と軽はずみながらもちゃっかり後日、本屋で買った後のことだった。暗い中にも包み込んでくれる様な温かさを感じる文章に虜になり、必ずや、時をあけてまた読み返すことを誓ったことを覚えている。
2度目となった今回だが、1度目とは違った温かみに包まれた感覚になった。というのも初回は言ってしまえば、まだ人生に希望を持てていた時期だったのに反して、今回はある意味人生の“果て”の渦中にいる中での読書だったからなのかもしれない。また、初回は月日をかけて読み切ったのに対して今回は2日で読破したからというのもあるだろう。
五木先生は本書の1行目から「私はこれまでに二度、自殺を考えたことがある」という大胆でかつ偽りの無い経験を隠すことなく伝えてくれる。この告白によって読者のこちら側としては心を許して耳を傾けていくのだ。
極限にある人間というのは励ましは効かず、慰めがのみ少しの効力を見せる。人生は苦しみと絶望の連続だと、あきらめることから始まることがある。絶妙に曖昧で矛盾多き人間という社会的動物である我々の横に腰をかけ「そっか、そうだったか。そうだよな。」と暖かく手を重ねてくれる、そんな感覚を覚えるこの一冊に出会えたことを改めて感謝し、また月日を挟んでから3度目の熟読を約束したいと思う。
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ラジオ深夜一夜物語がよかった。
ライ麦の根から気づいた、人間は生きてるだけでいちばんの大きなかちがあるということ。ぼんやり生きてきたように見えても、じつは大変な闘いをしながら生きてきている。なにを成し遂げたかなんて、二の次でよいという。まさにそのとおりだと思う。生きるために、生きている、そのことですでに誰もが懸命に必死に戦っている。それだけで素晴らしいと思いながら、また生きること。このことを大切にしながらこれからも生きていきたいと思う。
子どもたちにもこのことは親としてしっかり伝えていきたい。
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人生初のインド旅行のお供に、飛行機の移動時間やホテルでの休憩の際に読んだ本。
東洋哲学をベースにした、押し付けがましくない著者の思想や価値観には感動すら覚えるほどの共感を得ました。良い意味で肩の力を抜いて現代社会を生きていける勇気を貰える気がします。
「インド旅行」という非日常の中で読んだという要素も相まって思い入れが深い一冊。また数年後や10数年後に読んだ際に自分がどう感じるのか楽しみです。
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五木さんが今の日本や世界を見たらなんと言うだろうか。自殺者は一応、減ってきてはいる。けれど、液晶端末を見つめる人々に何を思うだろうか、と思う。
弱々しくとも、社会に悪いことを及ぼす人間だとしても、生きているだけでものすごく頑張っているのだと、今言ってもらえるとしたら、どれだけの人が救われるだろう。
全てのことには二面性がある、寛容に受け入れること、面白いエッセイ、たくさんのことを教えてもらえる本でした。
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わたしも人の一生は水流が巌にぶつかって弾け飛んだ水一滴のように感じてたので、この本に引き寄せられた。
1998年当時、ポジティブとネガティブを包摂するとか、多様性とかいえる人間性に脱帽する。
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傷心的になった時に再度読み返したい
何もやらなくて良い、失敗した人生であっても良い、それはそれで人間として生まれてきて、そして人間として死んでいく、そのことにおいて、まず価値がある
ラジオ深夜一夜物語では、著名人が発した言葉などを引用に五木さんの意見を述べる。どの話も面白かった。どんな出来事も自分の糧となっている、マイナス思考から抜け出すのことを考えるのではなく、人生はマイナスだらけでプラスなんてほんの少し、そういうもんなのかと。
Posted by ブクログ
五木寛之さんの作品を読んだこともなく、生い立ちも知らなく、ただこの本はおススメと言われ読んでみたら、なかなかよかったです。中身は共感できる言葉ばかりで、弱者、ネガティブな気持ち、がんばれない人たち、気持ちの切り替えが不可能なひとたち、そういう人や感情を受け入れて良しとすることを伝えてくれるから、勇気をもらえる気がする。
初版は平成11年だけど、今にも通じる言葉がたくさん書かれている。全然古くない。
Posted by ブクログ
五木先生らしい平易で明瞭な文章による、生きることや言葉についての随筆集。題名にもなっている冒頭部分の「大河の一滴」に関する章に最も心打たれた。自分は全編通じて興味深く読めたが、何かストーリーがあるようなの本ではないので、エッセイや評論を読むのが苦手な人はしんどいかもしれない。
Posted by ブクログ
1.著者;五木氏は小説家・随筆家。少年時代は、父親から古典の素読や詩吟を教えられました。小説を読む事を禁じられたので、坪田譲治や江戸川乱歩を隠れて愛読。中学以降は、ドフトエフスキー・ゴーリキー等を読み漁る。「さらばモスクワ愚連隊」で作家デビュー。「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞、「青春の門」で吉川英治文学賞など、多数受賞。「大河の一滴」他、仏教に関する著作も多い。
2.本書;五木氏が1999年に書いたエッセイ。構成は5章建て47項目。第一章;人はみな大河の一滴(なぜかふと心が萎える日に他) 第二章;滄浪の水が濁る時(この世に真実はないのか他) 第三章;反常識のすすめ(他人とは違うただ一人の自己他) 第四章;ラジオ深夜一夜物語 第五章;応仁の乱からのメッセージ。あとがきより「私は著しく自分の人間性を歪めてきた・・・。多くの心優しい人達の犠牲の上に、強引に生き延びて母国へ帰ってきたいかさま野郎がこの自分」と。苦労人ならではの言葉、「人間の一生は苦しみと絶望の連続。そう覚悟する事から道は開ける」と。
3.個別感想(心に残った記述を3点に絞り込み、感想と共に記述);
(1)『第四章;ラジオ深夜一夜物語』より、「他の人間と比べて、自分の人生にコンプレックスを持ったり、優越感を持ったりする事は、全く意味のない事ではないでしょうか。・・・普通の人以上のエネルギーや幸運を与えられた(人はその)事をむしろ謙虚に感謝すべきである。そして、僕達はその人達を羨む必要もない。人間は一生、何もせずに、ぼんやり生きただけでも、ぼんやり生きたと見えるだけでも実は大変な闘いをしながら生き続けてきたのだ、というふうに、僕は考えます」
●感想⇒❝262法則(優秀な人=2割 普通=6割 優秀でない=2割)❞は全ての集団に適用するそうです。だとすれば、コンプレックスを持つ人が優越感を持つ人と同程度いるという事です。私はコンプレックスを持って良いと考えます。生きていく上で、人間関係は避けれません。他人より劣っていても良いではありませんか。それをバネにして自分らしい目標を決めて、努力すれば良いのです。目標を達成出来なくても、自分を褒めてあげましょう。そのプロセスに意義があり、きっと人生の肥しになります。過日、新聞である女性の投稿記事を読みました。「中学の時、療養で高校進学を諦めたが、独学で高校と大学を卒業・・・」とありました。そして、「重ねた努力はその後の人生の糧になる。自分の生き様を誇れる人でありたい」と。辛い事を乗越えて、努力する人への応援歌ですね。感動 ❢
(2)『第四章;ラジオ深夜一夜物語』より、「健全なる精神は、健全なる身体に宿る。・・・きちんと朝起きると顔を洗って髭を剃り、一応、服装を整えて髪もなでつけ、顔をあわせると❝おはよう❞と挨拶し、ものを食べる時には❝頂きます❞という人もいる。こういう社会的なマナーを身に着けた人が意外にしぶとく強く、(南極という)厳しい生活環境の中で最後まで弱音を吐かなかった。・・・人間は健康とか体力だけで厳しい条件に耐えられるものでは無い」
●感想⇒「健全なる精神は、健全なる身体に宿る」。その通りだと思います。健全な精神の基本は、❝清潔な身なりを保つ(不快感を与えない)、人に会ったら挨拶する、社会のルールを守る、どんな時でも感謝の気持ちを忘れない・・・❞等を自然体で出来るという事です。常に意識する態度が必要です。「他人に学ぶ、勉強する・・・」気持ちを忘れず、精神面を充実したいものです。健全な身体は、健康に留意して病気にならない。食事に留意し、適度の運動に心掛けましょう。それでも病気を患ったら、滅入ることなく養生しましょう。聞いた話です。近所に大企業の幹部がいるそうですが、「その家族は、町内会の行事に参加せず、道で会っても挨拶しない」。企業の地位が世間にも通用するという思い込み、残念です。マナーは社会人の基本。「他人のふり見て我がふり直せ」ですね。
(3)『応仁の乱からのメッセージ』より、「人間の傷を癒す言葉には二つあります。ひとつは❝励まし❞であり、ひとつは❝慰め❞です。人間はまだ立ち上がれる余力と気力がある時に励まされると、再び強く立ち上がる事が出来る。ところが、もう立ち上がれない、自分ではもう駄目だと覚悟してしまった人間には、励ましの言葉など上滑りしていくだけです。・・・頑張れと言われれば言われる程辛くなる状況もある。その時に大事な事は何か。それは❝励まし❞ではなく、❝慰め❞である」
●感想⇒本で学んだり、人生の先輩から教えられました。「精神的に落ち込んでいる人には、励ましの言葉は禁句、聞き役に徹する事」「相談相手は親族よりも、親しい友人が良い」と。五木氏は「自分ではもう駄目だと覚悟してしまった人間には励ましの言葉など上滑り、❝慰め❞だ」と言います。私は、可能であれば、何でも聞いてあげ、それについては意見を言わず、ましてや❝頑張れ❞と言わない事だと考えます。自分が落ち込んで人と話したくない時に思いました。そっとしておいて欲しいと。相手の状況判断がポイントですね。素人判断せずに専門家に頼るのも良いかも。
4.まとめ;本書はバブル経済の崩壊により、厳しい不況が続いた時に出版。2020年の某社調査で、文庫部門の週刊ベストセラーに輝きました。コロナの蔓延で、社会に暗雲が垂れ込める中、ベストセラー「大河の一滴」が人々に注目された、と言えます。「市場原理と自己責任という美しい幻想に飾られた今日の世界は、ひと皮むけば人間の草刈り場に過ぎない。私達は最悪の時代を迎えようとしているのだ」は現代でも通用します。私達はウクライナ問題を始め、人類の危機に立たされています。疑似平和を謳歌するだけでなく、政治に関心を持ち、将来を考える事も必要です。解説の言葉です。「本書は、不安だったり、自信喪失に陥ったりしている人には効き目のある、人生座右の書」。(以上)
Posted by ブクログ
「世界一受けたい授業」で取り上げられていて、キャンセル待ちをしてようやく手に入れた本を、ようやく読みました。
読み手の年齢や時代や個人の状況によって、受け取り方が大きく異なってくるかもしれませんが、私にはとっても心に沁みるお話ばかりでした。
本当そうだなぁー…と頷きながら読んでいました。
そしてこの本の初版が発行されたのが平成11年で、著者が“昔と比べて今はこんな風に変わってしまった(ネガティブな意味)”というようなことを語ったりするのですが、それから23年が経ち、世の中はもっと悪くなってしまったと嘆いていらっしゃるのではないかと想像してしまいます…。
20年以上も前の本ですが、現在の私たちに響く言葉ばかりです。
ラジオを聴いているような感覚で、一冊あっという間に読んでしまいました。
個人の思いや考えを知ることはとても興味深いですが、昨今の動画サイトなどを見ると、個性を強く主張して目立とうとする風潮があるように思えます。
本作は、終始優しい語り口でも強い思いはしっかりと伝わり、仏教や著名人のエピソードなども交えてお話しくださるので、学びにもなります。
また著者がどうしてこのようにネガティブに思うのかについて、戦争という凄まじい体験が根底にあり、改めて戦争の惨さを感じました。
人によってはなかなか受け入れにくい文章もあるかもしれません、でもある程度の年齢になると、誰かしら、どうしようもない耐えがたい絶望的な気持ちになる経験があると思います、そんな気持ちに対して、無理に励ますのではなく寄り添ってくれます。
そしていかに著者がマイナスな感情を持ち、その中でもプラスの思考を見いだそうとしているか、世界で起こっている事象について、問題点の投げかけと改善策を考えてみる、という後半は特に勇気づけられ、背筋を正してくれて、この言葉もあの言葉も忘れたくない!と思いながら読み進めていくうちに、気付いたらたくさんのドッグイヤーが付いていました。
私たち人間は自然エネルギーも必要としますし、自分よりも弱い生物を犠牲にすることも必要としますし、精神的な魂の食べ物(愛・友情・人生の目的etc)も必要として生きています。
人(だけでなく植物や動物もみんな)にとって、生きるということがどれほどの大きな努力に支えられているのかに改めて気づかされました。
そして現在・過去・未来はすべて“今”に集約できること、今を大事に見つめ続けることの重要性や、人間は喜ぶと同時に悲しむことが大事という話は、ディズニーの名画『インサイド・アウト』を思い出して余計に納得しました。
また免疫学の観点から、寛容<トレランス>の精神の重要性も教えてくれました。
そしてP167~のC・W・ニコルさんのお話、アウシュビッツから奇蹟の生還をはたしたフランクルさんのお話では、礼儀や身だしなみという、極限状態では後回しにされそうなことが最も重要であること、感動すること、喜怒哀楽の人間的な感情を忘れない人がサバイバルでは生き残る、というも印象的でした。
心と体は深くかかわりあい、人の命を支えている。
そして人間は一人で決して生きてはいけない。他人の悲しみを自分が代わってあげることはできないけれど、相手の痛みを自分の痛みのように感じることはできる。
そして<布施行>への意識はこれからも忘れずに持ち続けていきたいと思いました。
また言葉の力の大きさ、蓮如が勧めた、できるだけものを言うようにすることへの意識、とは言えども、言葉にならない深い思いというものもある、という事もきちんと理解しておきたいです。
先日衝撃的で信じられない事件が起こり、ここ最近、とある特定の宗教がニュース番組で毎日取り上げられていて色々と考えさせられます。
個人的な宗教そのものの世界観についてですが、
生きていく中ではどうしようもない絶望感に囚われてしまうこともあり…、そのようなときに救いとなるものが、宗教のような精神的な世界だと思っています。
著者のP39~『大河の一滴としての自分を見つめて』の中で宗教について書かれていますが、本当にその通りだなと思いました。
*****引用*****
“私たち日本人のほとんどは、意外に思われるかもしれないが、常に宗教と背中あわせに生きているものなのである。夕日を見てなんともいえない不思議な気持ちになったり、深い森を不気味に感じて恐れたり、アスファルトの裂け目にめぶく雑草に感動したり、その場その場で私たちはおのずと目に見えない世界に触れるのである。”
“宗教とは教義や組織によって成り立つものではない。人間の自然な感情から出発するものなのである。”
***********
暗闇の中にいるからこそ光を感じられることの喜びや有難さに気づけていけるようになりたいです。
Posted by ブクログ
生と死について、納得したり発見できることがあった本でした。
自殺する人が多いなか、「生きたくても生きられない人もいるのに」と非難されることがあるけれど、
筆者をはじめ紛争や戦争などで死が身近にあった人たちにとって、生への喜びや執着などものすごく大きなパワーが生み出されていたでしょうから、現代の「普通に生きられている」人たち(私を含めて)が、死を選択したりなんとなく生きているのも、ある意味しかたがないのかなと考えさせられた。
生きているということを実感するためには、「死」を意識するしかないのかな。。。
死ぬ気になればなんでもできるというけど。
面白かったのは、
「人間が生まれてくるのに10ヶ月かかるのなら、死んでいくにもやっぱり10ヶ月かかる」というところ。
亡くなった人の社会的な存在や記憶を、10ヶ月時間をかけてゆっくりと送り出す
お葬式や四十九日という儀式がより尊く大事なものに感じました。
Posted by ブクログ
20数年前に上梓された本ですが、この手の本で本質をついているであろう内容は全く今でもズレを感じず得心がいくものが多くありました。
癌の告知を受け残される家族の苦労を減らす為に駆けずり回る内に腫瘍が縮減したとか、ライ麦の根の総延長1万1千2百kmとかの生命の神秘の話や、「あれか、これか」ではなく「あれも、これも」で良い、とか、寛容のすすめ、などの話は、今現在のコロナ禍だったり民族対立、LGBTQ+等に起因する分断の問題に正に当てはまるなと思いながら読みました。
折に触れて読み返すに値する本と感じます。
Posted by ブクログ
天国の中に天国はない。
地獄の中に天国があり、濃い闇を見て背後の光に気付き、夜があるから朝が来る。
「あれか、これか」ではなく「あれも、これも」と包括的に生きること。
親鸞の「寂しさから逃げてはいけない、寂しさはあなたを育てる運命」という言葉は印象に残った。
干天の慈雨に感謝して寛容に生きろということを伝えたかったのかなと思った。
今生きている世界では大多数の人が周りとの比較や自己顕示欲に囚われていることが事実。
そのため、私も生にランクの違いはなく、それぞれの想いを抱えて今日まで生きていることが偉業なのだと思いたい、思っているが、どこか隅の方で自分が他人より幸せではないと感じたり、幸せにならなければならないという強迫観念に駆られてしまう時があるのも事実。
筆者は、そのことを心から信じることができているように見えて少し悔しい気持ちになったし、筆者が既に何か成し遂げた側の人間であるからそう思えているのでは?と感じてしまう自分もいた。
もっと多くの経験を積みたい。
Posted by ブクログ
なんとか前向きに生きたいと思う。しかし、プラス思考はそう続かない。頑張ることにはもう疲れてしまった―。そういう人々へむけて、著者は静かに語ろうとする。「いまこそ、人生は苦しみと絶望の連続だと、あきらめることからはじめよう」「傷みや苦痛を敵視して闘うのはよそう。ブッダも親鸞も、究極のマイナス思考から出発したのだ」と。この一冊をひもとくことで、すべての読者の心に真の勇気と生きる希望がわいてくる
…………
言ってることはわかるが、やはり背景が古いので、何となく心には響かない。
当時の人々には響いたであろうが。
今の世代には難しいかなぁ。
戦争の頃の話を持ち出されても、想像ができない自分がいる。随所に出されてしまうと、読み進められない。朝の連続ドラマもそうなのだが、戦争の話になると思考停止になってしまう。
こんな自分が情けない。
Posted by ブクログ
40代にもなるとある程度人生の先行きが見えてきて、希望がない感覚に陥ることがある。「ミドルエイジ・クライシス=中年の危機」と呼ばれるこのアイデンティティや自己肯定感の喪失は、人生100年時代と言われても残りの時間がただ延長されて辛いだけみたいな絶望感に苛まれる。
そんな人生の有意義・無駄を評価するメリトクラシー的な価値観こそが傲慢であり、自分自身だけではなく他者にもそんな考えを押し付けようという在り方が、実はその苦しさの正体なのではないか。とくに経済的な成功や社会的地位の上昇など、都市的な分かりやすいアイデンティティにこそ落とし穴があると筆者は指摘する。
人間は時代という大河を流れるほんの一滴の水みたいなもので、基本的にこの世は地獄。自分にも社会にも期待しないところから出発するのだ、という筆者の論にはまだ理解が及ばないが、将来的な期待利益を勝手に想定していま現在を疎かにする、そんな資本主義的な生き方からは逸脱できていると感じる今日この頃である。
Posted by ブクログ
つまらんけどいい本だよ(笑)
いやいや❗内容はめちゃいいんだよ❗
ただ普段、ラノベとか小説ばっか
読んでるからさ❓
展開無い本って読むの辛い・・(笑)
説法じみてるんだよね。内容が。
淡々と説かれる感じで。
だから途中で飽きる・・(笑)
それでも、少しづつ読み進めていくと、
じわじわと内容が染み込んできて
普段の生活の中での意識とか、
立ち振舞とか、考え方とかね❓
色んな事に気付かされる。
.
下手な自己啓発本とか、
スピチュアル本を読むより全然オススメ。
.
ただ、この本の評価は、
読む人によって全く分かれるかな❓
今、毎日が充実してて、
生きてる事が楽しい❗✨って人には、
ぶっちゃけ、読んでもつまんないかも。
Posted by ブクログ
開始:2022/9/15
終了:2022/9/23
感想
上滑りした小手先の知識ではない、深みのある知恵。自分の中の澱を掬い出し陽の光に当ててみる。それは意外にもキラキラ輝いているのかも。
Posted by ブクログ
著者が、終戦を北朝鮮で迎えた後ソ連の捕虜となり、その後引き揚げたと言う過酷な体験は、想像を絶するもので、理解することは容易ではないが、ここで語られている著者のお考えや信念と言ったものが、その様な体験から裏打ちされたものなのだと思う。
生きていく上で、心に留めておきたい事が色々ありました。
この本が発行されたのは、1999年。当時も痛ましい出来事が次々起こりバブルも崩壊した真っ只中で生きづらい世の中だったのを思い出すが、その後起こった同時多発テロや東日本大震災、コロナ、異常気象、ロシアのウクライナ侵攻。。。などを思うと、著者の言うようにこの世は苦しいことばかりであり、生きているだけで価値があるのだ、自身を大河の一滴と捉える、と言う考えは今の世を乗り越えるためにも心に持っていると良いように思う。
備忘録
あれもこれも、と抱え込んで生じる混沌を認め、もう少しいいかげんになることによって、たおやかな融通無碍の境地をつくることが、枯れかけた生命力をいきいきと復活させることになるのではないでしょうか。
大きく喜ぶためには、大きく悲しまなければならない。深く泣ける人でなければ本当の笑いを笑うことができないのではないか。希望というものは絶望と背中あわせになっていて、深く絶望する者だけが本当の希望をつかむことができる。明るさと暗さは相対的なものであって、どちらか片方だけを、見る考えかたは必ず行きづまってしまします。