あらすじ
そろそろ覚悟をきめなければならない。「覚悟」とはあきらめることであり、「明らかに究める」こと。希望でも、絶望でもなく、事実を真正面から受けとめることである。これから数十年は続くであろう下山の時代のなかで、国家にも、人の絆にも頼ることなく、人はどのように自分の人生と向き合えばいいのか。たとえこの先が地獄であっても、だれもが生き生きした人生を歩めるように、人間存在の根底から語られる全七章。
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五木寛之さんの作品は、「青春の門」などの小説やエッセイなど、若い頃によく読みました。本書も確か一度読んだと思うのですが、まだ若かった自分には、五木さんが仰ることが何か暗く、後ろ向きに感じて、当時はあまり本書に対する印象は良くなかったような記憶があります。五木さんの70代の作品(2008)で、これから日本も世界も自分も下り坂になっていくので、その中で覚悟を決めて生きていかねばならないと説いています。あれから17年。どうでしょう、本書で言っているような社会の閉塞感がまさに、日本、世界を覆ってきているではありませんか。自分も人生後半戦に入り、若い頃とは異なる人生観を持つようになってきました。なんと、作家の、五木さんの感受性とは凄いものなんだろうと、今、感じます。
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生きていることに価値があり、大変さと儚さを胸に、一日一日を感謝して生きていく覚悟が必要だとあった。読みごたえがある一冊だった。私も向上心ばかりでなく、毎日の無事に感謝する心を持って、寿命まで元気に健康で仲良く暮らしたいと思った。
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人生の岐路に立っている自分にとって、この本の如くどかにいても這いつくばって地獄に縋るように生きると覚悟すれば、なんとでもなるのかもしれないと思った。今も昔もあまりこの世は変わらない。
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非常に読みやすくておもしろかった。
たくさん線を引きました。
P7.『どんな人でも、自分の母国を愛し、故郷を懐かしむ気持ちはあるものだ。しかし、国を愛するということと、国家を信用するということとは別である』
現代ではここがごっちゃになってしまっている印象
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これからの国家の信用とは、統計やデータでは見えない人間の真の感覚とは、鬱という状態について、自分と他人とは、そして覚悟とは。人間の存在そのものを考えさせられる本。
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五木寛之・著。
初版・2008年11月、191ページ。
重い。暗い。深い。
五木寛之氏の本は初めてで、この人の考え方に触れたのは初めてだったので、少々びっくりした。
少なくとも、30代前半の自分としては、現段階では、その深い意味での理解ができないと思った。
ただ、氏が、自身の原体験として、戦後のエグい体験があるからこそ、「覚悟」「あきらめる」ということに対して、かなりの説得力がある。
武士道の精神や、日本的な思想・宗教観などとも近く、かなり納得し、実生活においても、氏の考え方を取り入れて行動していける部分はあるが、
ただ、個人的には、氏の考え方は否定的に過ぎると思うので、自分なりにポジティブな部分と氏の思想とをうまく合わせた発想を作り、行動に移していきたいと思った。
テクニカルな発想、ポジティブな思考を否定するものではないが、そうは言っても、「一つの文明が終わる」という現代にあっては、こういう思想を自分の中の一つの考え方として持っているのは、生きる上で有用なのかと思う。
40~50代くらいともなれば、氏の考え方により共感できるのかもしれないが、自分としては、まだまだここまでは割り切れない。
そういう意味では、10年後ぐらいに再読する必要があるような本だった。
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生きることの大変さと儚さを胸に、この一日一日を生きていくしかない。そう覚悟しているのです。五木氏はこの本でこう締めくくっている。無条件にこの本は良かった。
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『世間は「あきらめない」ことを賞賛しますが、「あきらめる」は決して弱々しい受け身の姿勢ではなく、正しい覚悟をきめる上では不可欠なのだと思います。』
あきらめる覚悟かぁ
なんか重石をとってくれる本でした。
#人間の覚悟
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人生を登山と下山になぞらえて語る五木寛之さんです。頂上目指して希望に燃えて歩を進める登山、歩いて来た道の景色を眺めながら達成した満足感と心のゆとりを持ってゆっくり歩を進める下山。戦後50年、特に平成の世になってからは日本の社会全体が下山の空気に。自殺者年3万人超、生活保護世帯100万超、病気の氾濫と鬱の医学・・・。そんな時代を生きるには「覚悟」が必要と。健康、安全、安心はあり得ない。死を見つめながら一日一日を充実させていくよりほかはないと。著者は悲観的に考えているわけではなく、覚悟の必要を説いてます!
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生きているだけで価値がある、というのは、実は人は生まれた時から何らかの関係を持っていて、そこで繋がりがあるから価値があるのだと思います。
僕は、純粋に『生きているだけで価値がある』とは思いません。やっぱり、何か自分にしかできない事やアイデンティが持てないと価値が見出だせないと思います。で、生きていれば誰かと某かの関係を築き、刺激し合ったり、心地よくなったり、深く関わり合ったり、その関係の連続性が、現代では見えづらくなっているのではないでしょうか。その事に気付き、他力を信じる事が、著者の言いたい事なのだと思います。
熊木杏里の『一千一秒』という曲の歌詞に、
いつまでもあなたの傍らで
冬の後の春のように
独りというこの運命も
ありのまま辿れるように
というものがあって、これなんかも、人間は結局独りだという孤独と、けれども愛する人の傍に居たいという繋がりを持つ事の矛盾の葛藤が、短い詞に込められています。
『あきらめる』が『明らかに究める』、諦念ではなく達観するという意味であると著者は言いますが、これなんかも、『人間一人』を『明らか』にし、それでも『繋がりを求める』という『究め』が人間なのだと思い知らされます。そして、そのバランスが崩れると、太宰治のような道化師になったり、あるいは逆に秋葉原殺傷事件の犯人のように逆恨みしてしまうのではと思います。
関係を築き、それを続けていく行為の最上は、結婚して子どもを育てていく事だと思います。現代ではこの営々が崩れてきているから危ないのです。それは、『覚悟がないから結婚できない』のか、『結婚できないから覚悟がない』のか、どちらかは分かりませんが、最近特に思うのは、彼女作ってエッチしたいという事です(笑)。どうにも性欲が止まらないです……。
欲と言えば、引用にもあったように、香山リカの理性主義は反対です。先に感情があって、それを理性が律するのであって、情を排して理性だけにするというのは、人間そのものを否定しているように思います。「理性がなければケダモノと同じだ!人間だけが理性を持っている!」と言われそうですが、理性一辺倒では駄目だと言いたいのであって、それは科学者でもそうだと思います。パッションが無ければ研究はできません。
要がなければ扇は開かない。ここでの要は情で、扇は理性。両方なければ意味がありません。これもバランスの問題ですが、き要は情なので、それを大事にしないといけないと思います。
僕の評価はA-にします。
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人口が減り、高齢化が進んでいることを、正面から受け止めることなく、未だに所得アップや売上げ増大というものに向かって流れる現代。
現状をしっかり見据え、下手な期待や闇雲な楽観視をすることなく、等身大の身の処し方をしていかないと、国や会社は何も守ってくれないよというメッセージと受け止めた。
何となく分かっていながら、受け止められない自分がいる。
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年を重ねるに従って、様々な状況に置かれ、より良い選択をせまられる。
自分の寿命がどれだけで、どう生きるべきか、考えさせられる時期くる。
まだ、仕事に追われてそうした余裕もない。自分の思うように生きて、なおかつ、人から惜しまれ死期を迎えられたなら幸せだろうが、うまくいかない事ばかり。考えさせてくれる本だ。
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日本人に洋魂は持てない。西洋の思想や行動の根底にはキリスト教精神があるということ。だから、見えるところだけ取り入れてもうまくいくはずがない。(第四章)
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人間は情動で動くもの、知識や言葉としてではなく、人間に内包され蓄積されたルサンチマンなるものを非常に重く見ています。
とりあえず生きているということで、人間は生まれた目的の大半は果たしている。存在する、生存して行くこと自体に意味がある。
生きることの大変さと儚さを胸に、この一日一日を感謝して生きていくしかない。そう覚悟しているのです。
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[ 内容 ]
そろそろ覚悟をきめなければならない。
「覚悟」とはあきらめることであり、「明らかに究める」こと。
希望でも、絶望でもなく、事実を真正面から受けとめることである。
これから数十年は続くであろう下山の時代のなかで、国家にも、人の絆にも頼ることなく、人はどのように自分の人生と向き合えばいいのか。
たとえこの先が地獄であっても、だれもが生き生きした人生を歩めるように、人間存在の根底から語られる全七章。
[ 目次 ]
第1章 時代を見すえる
第2章 人生は憂鬱である
第3章 下山の哲学を持つ
第4章 日本人に洋魂は持てない
第5章 他力の風にまかせること
第6章 老いとは熟成である
最終章 人間の覚悟
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
年の功といいますか、悟りの境地といいますか、
「なるほどそういう見方もあるのか」と、何度も感心しました。
流れには逆らえないのか。
覚悟とはあきらめることであり、「明らかに究める」ことであるという著者の言葉は
どこか悲しげな声に聞こえました。
Posted by ブクログ
■『生きるヒント』以来、五木寛之の本を読んで「意志」を持つことの再認識。
○どんな人でも、自分の母国を愛し、故郷を懐かしむ気持ちはあるものだ。
しかし、国を愛するということと、国家を信用するということとは別である。
私はこの日本という国と、民族と、その文化を愛している。しかし、国が
国民のために存在しているとは思わない。国が私たちを最後まで守ってくれる
とも思わない。(P7)
○国民としての義務をはたしつつ、国によりかからない覚悟。最後のところで
国は私たちを守ってくれない、と「諦める」ことこそ、私たちがいま覚悟
しなければならないことの1つだと思うのだ。(P9)
■これは会社にも、組織にも、コミュニティにも当てはまる。
○これまでの自分をいったん捨てさったところから、新しい生活がはじまる。(P14)
■わかるというということは、昔の自分が一度死んで、新しい自分(新しい行動規範で動く自分)
が誕生したという点で、事件なのだということ。
○戦後五十年は躁状態。現代は避けようのない鬱の時代。(P40-46)
○人間は、最後は一人で死んでいきます。夫婦であれ親子きょうだいであれ、他の人と一緒に
死ぬことはできません。だれでも最後は一人なのです。しかし、そのことが分かっている
人間同士が身を寄せ合って一緒に何かをしていくからこそ共同作業というのは尊いのだと、
考えなければなりません。(P94)
○人間はDNAの二重螺旋構造のように、善と悪の両方を内包して、悩みながら生きていく
しかないのであって、少なくとも、そういう悪を抱えて生きているという意識のかけら
ぐらいは持つべきだろうと思います。(P160)
○トルストイが言ったように、「知識人や芸術家は一介の農夫に学ぶべき」なのだという
気もしています。いかに優れた知識やセンスを持っていても、彼らが自然とともに
生きていく中で養い、体得している情念にはかなわないものがあると思うのです。(P165)
○親鸞は、弟子一人もつくらず、と言いましたが、それは結局のところ、人は一人でいく、
ということなのではないか。(P172)
○自分の親もきょうだいも、夫婦も子どもも、自分の一部ではない。むしろすべての人々が
兄弟、家族であると考える。それは逆に人間は最後は一人という考え方と同じです。
人生は孤独で、憂いに満ちています。あらかじめ失うとわかったものしか愛せません。(P190)
■一人でいることが当たり前。友達、家族がいるのは、尊い奇跡。
Posted by ブクログ
ちょっと前の本だけどコロナの混乱を予見したような記述もあり興味深く読んだ。
戦前戦後も含めた圧倒的な経験値は貴重だよな。
このような人達が亡くなると戦争抑止力が無くなってまた戦いが始まるような気がする。
Posted by ブクログ
自分は思っているほど完璧ではない。むしろ、瑕だらけである。にもかかわらず、多くの人はそれに気付いていないか、あるいはそれに気付かないふりをしている。だから「自分は大丈夫」「自分に限って……」というような思考に陥ろうとするのである。
本書は五木さん流の「覚悟のススメ」。どうせ完璧ということには、なりっこない。だったら、それを「覚悟」し、そのうえでの行動を考えるべきではないか。
日本は所詮小国。今後、世界を引っ張るほどの力は復活しないのではないか。
心に「愁い」があるのは当たり前。「鬱」には誰もがなる。
「悪」はみんなの心に等しく存在する。
などなど。つい、根拠もなく期待してしまったり、忌避してしまったりということと真正面から向き合う「覚悟」を忘れてはならないのである。本書を読んで「覚悟完了」してはいかがか。
【目次】
覚悟するということ――序に代えて
第一章 時代を見すえる
第二章 人生は憂鬱である
第三章 下山の哲学を持つ
第四章 日本人に洋魂は持てない
第五章 他力の風にまかせること
第六章 老いとは熟成である
最終章 人間の覚悟
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生き方についての哲学書。
古典的なニュアンスを持つが、現代の若者から共感されそうな生き方を説いていると思う。
現代の若者とはいっても、自己啓発していつか成功してやる、という野心的な方ではなく、時代の流れに任せて、自分の裁量を自覚して今を生きる方。
1日1日を大切に、1歩1歩自分の頭で考えて生きる、そういう考え方を学べた本です。
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人間の一生を見つめる一貫して揺るがない著者の思想は、一日にして寄るべき世界が崩壊した敗戦と、そこから始まる引き揚げに伴う想像を超えたであろう地獄の経験が重く揺るがない土台になっている。
ロシアのトスカ、ブラジルのサウダージ、中国の悒、韓国の恨といった、
愁(憂い)のような情感に著者が強く共鳴するのもうなずける。
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「覚悟」ということについて、仏教的視点から解説した本。「覚悟」とは「あきらめる」ことだが、ここで言う「あきらめる」とは今使われるような「途中でやめる」というネガティヴな意味合いではなく、「明らかに究める」という意味。
著者曰く、現代は「鬱」、「下山」といった言葉で括られる時代。何だか寂寥たる感じがするが、これは「あきらめる」しかない。こういう苦しい時代では「おれが、おれが」と我を張って独善的になるよりも、「他力」を頼って行きていく方が安楽なのだと思った
本書で言うとおり、憲法で保障されているような権利も、安心も安全も実は儚いものなのかもしれません。聖徳太子の言うとおり「世間虚仮、唯仏是真」なのだということを考えさせられる。でも、そういう視点に立って初めて見えてくるものもあるのだと思う。
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一日一日を感謝して生きること
生きてるだけで素晴らしい
そこには壮大な営みがある
あきらめる 明らかに見極める
生きることははかない
業を背負って生きる 悪人
けして楽なものではない
Posted by ブクログ
ちょうど、地震や津波、原発問題で心が揺れているこの時期に、タイムリーな本でした。めぐりあわせ。今回のことで、生き方に悩む人はぜひ一度読んでみてください。
「それ以来、私は、地震や津波が来たりして政府が『動くな』と言ったら、すぐに逃げるつもりですし、逆に逃げろと言ったら動くまいと思っています。どれだけ国を愛していても、政治のシステムが民衆を最優先するとは考えませんし、たとえば新型インフルエンザは心配ない、と言われたら逆だろうと考える。」
「・・生き延びて、引き揚げてこられた人間は全部悪人なのだ、そういう意識は一生、自分の中から消えることはありません。こうして生きている自分も悪人なのだと覚悟しています。」
最近読んできた仏教の本とも重なり、『全てのものは無常である』という考えが根底にあります。でも、難しい語り口ではなく、実例を交えながら説明してあるのでわかりやすいです。
Posted by ブクログ
覚悟とは、現実をしっかり見極める、うけとめるという著者の考えも理解した。
そのうえで自分のしたいように生きていきたいと思った。
また、ボケた老人に尊厳はあるのかという問いに対する著者の答えは、新しい発見につながった。
なにかのせいにせず自己責任で生きていくのは時として、自己否定につながってしまうときもあるのではないかと思う。けど他人のせいにもしない。ようは天命だと思ってうけとめるのがいい と自分と交えて結論づけた。
Posted by ブクログ
「覚悟」とは「諦める」こと。
「諦める」とは「明らかに究める」こと。
つまり総じて「覚悟」とは、希望でも、絶望でもなく、事実を真正面から受けとめることであるという。
なるほど。お見事!
Posted by ブクログ
戦後の復興期を躁の時代といい、バブル崩壊以降のこの停滞期を鬱の時代と表現する。確かにそうかもしれない。そして「覚悟」を決める時期であると続く。覚悟とはあきらめることであり「明らかに極めること」。事実を真正面から受け止めること。ただ、今一つピンとこない。著者の主張の本質にたどり着いていないからかもしれないが、「枯れたように生きること」と感じた。それはなんだか違うような気がする。