五木寛之のレビュー一覧
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五木寛之(1932年福岡生まれ、引揚者)と姜尚中(カンサンジュン、1950年熊本生まれ、在日二世)の「憂」「愁」対談です。「漂流者の生きかた」、2020.7発行。いろいろ考えさせられました。今は、明日が分からない時代。そして、あらゆる分野が「鬱(うつ)」の方向に進んでいる。敗戦は国破れて山河あり、東日本大震災は山河破れて国あり。日本国民、自分は生き残った。なぜ彼らは死んだのだろうか。(この本にはないですが、コロナもそうですね)日本国民の在日化(日本人が国を信用しなくなった)が。
平均的な日本人の願いは、健康、カネ、平和に尽きる。これは、言葉を換えれば、最大の不安三つ(健康、カネ、戦争・地震など -
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ネタバレ上巻に続けての一気読みでした。
どこまでが史実に則しているのかはわかりません。
でも、読み終えてそこに間違いなく親鸞が生きた時代を垣間見ることが出来た。
続編も楽しみに読み進めていきたい。
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内容紹介
親鸞は比叡山での命がけの修行にも悟りを得られず、六角堂へ百日参籠を決意する。そこで待っていたのは美しい謎の女人、紫野との出会いだった。彼が全てを捨て山をおりる決意をした頃、都には陰謀と弾圧の嵐が吹き荒れていた。そして親鸞の命を狙う黒面法師。法然とともに流罪となった彼は越後へ旅立つ。
内容(「BOOK」データベースより)
親鸞は比叡山での命がけの修行にも悟りを得られず、六角堂へ百日参篭 -
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ネタバレ発刊された時から読みたくて入手したものの、ながく手をつけずに寝かせていた一冊。
今が読むタイミングだったのだろう。
不思議とそんな気がする。
感想は下巻を読み終えてからとし、上巻では評価のみ。
説明
内容紹介
馬糞の辻で行われる競べ牛を見に行った幼き日の親鸞。怪牛に突き殺されそうになった彼は、浄寛と名乗る河原の聖に助けられる。それ以後、彼はツブテの弥七や法螺房弁才などの河原者たちの暮らしに惹かれていく。「わたしには『放埒の血』が流れているのか?」その畏れを秘めながら、少年は比叡山へ向かう。
内容(「BOOK」データベースより)
馬糞の辻で行われる競べ牛を見に行った幼き日の親鸞。怪牛に突 -
ネタバレ 購入済み
人の勢いのピーク…
約30年ぶりの読破。地理的だけでなく時間軸のスケールの大きさが、今の時代で読み直しても新鮮。人が持てるパワーのピーク・限界を越えつつある自身にも考えるところがありました。
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ネタバレ昭和7年(1932年)生まれ、五木寛之さんのとらわれない生き方、輝いてますね!読んでて楽しくなります(^-^)「とらわれない」、2016.11発行。①私は、科学というものを信じない。人が生きる基本は食べること、息をすること、そして眠ること。これにまさる重要事項はない。②歩くことも生き甲斐になる。俳句、囲碁、音楽をたしなむのと同様、体と向きあうのも一つの生き甲斐なのである。「何を楽しみに生きているんだ」の問いに「歩くこと」と(^-^) ③笑顔はお金のかからない布施 ④出る杭は打たれるが、出ない杭は腐る。
都心のホテルで地下からエレベーターに乗った。1Fで高僧らしき人が青年僧を連れて乗り込んだ -
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ネタバレ1932年生まれ、五木寛之さん、80歳の時の著書「なるだけ医者に頼らず生きるために私が実践している100の習慣」、2013.4発行、「養生の実技」(2004.12)を大幅修正し、改題したものだそうです。特に次の3つに注目しました。①三つの休め(「気休め」「骨休め」「箸休め」)②手足の刺激が脳や心臓を活性化、体の末端を大切にする。「脳トレ」でいつもやってます(^-^) ③日本酒は最初の盃一杯を三分かけて飲む。(車の暖機運転と同じ)
五木寛之 著「なるだけ医者に頼らず生きるために私が実践している100の習慣」、2013.4発行、著者80歳の時の作品です。何度も繰り返し読み、かつ私の習慣にもな