五木寛之のレビュー一覧
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五木寛之さんの作品は、「青春の門」などの小説やエッセイなど、若い頃によく読みました。本書も確か一度読んだと思うのですが、まだ若かった自分には、五木さんが仰ることが何か暗く、後ろ向きに感じて、当時はあまり本書に対する印象は良くなかったような記憶があります。五木さんの70代の作品(2008)で、これから日本も世界も自分も下り坂になっていくので、その中で覚悟を決めて生きていかねばならないと説いています。あれから17年。どうでしょう、本書で言っているような社会の閉塞感がまさに、日本、世界を覆ってきているではありませんか。自分も人生後半戦に入り、若い頃とは異なる人生観を持つようになってきました。なんと、作家の、五木さんの感受性とは凄いものなんだろうと、今、感じます。
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自分はこの長大な物語をとても気に入っており、過去2度通読している。3度目となる今回も、主人公伊吹信介が通過していく時代と、関わっていくさまざまな人々とのやり取りを味わい尽くそうと楽しみにこの筑豊篇を手に取った。
物語序盤のこの筑豊篇において大きな存在感を放つ登場人物は何と言っても塙竜五郎だろう。新興ヤクザの親分といういかつさを持ちながら、伊吹重蔵の忘れ形見である息子信介を実の息子のように慈しみ、竜五郎が信介にかける言葉のひとつひとつが重みと深みを持つ。厳しい渡世の中で人間模様を知り尽くした人物であることが伺え、器の大きさを感じるばかりである。 -
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(2018/7/7)
85歳の五木寛之さんの考えに全面的に賛成。
騒ぎすぎるテレビ、週刊誌に振り回される人々。
ヘルスを話題にしてきた日刊ゲンダイがヘルシーを話題にするようになる、、、
病院に行かない五木さんがひざが痛くついに行くことを決心、、、
極めつけは身体語を聴く。
そう、医者は人間を同じものととらえ、パターンで病状を見る、治療法を考える。
自分のことが一番わかっているのは自分。
医学知識は豊富だが自分の身体がわからない医者の判断と、
医学知識はないが自分の体は一番わかっている自分の判断、
五木はどちらも半々だったら、自分の判断を取ろう、
というのはまとも。
いちいち頷ける。
自分で考えて自分で決めたい!
段階の世代800万人が駆け抜けるこの数10年。
人生100年時代とはいえ後数十年で去っていく。
その時代をどう生きるか。
その15年あとの私もうかうかしてはいられないが。
いい本。
字が大きくて1時間で読める。
「健康でありたい病」の私たち
(日本列島を覆う「健康という病」
風呂にもおちおち入れない ほか)
健康情報とどうつき合うか
(どの記事も充実していておそろしい
医学は進歩し、専門家の意見は分かれる ほか)
養生するか、病院頼みか
(ついに軍門にくだるか
左脚の痛みとの格闘 ほか)
「身体語」を聴くということ
(養生は「身体語」をマスターすることから
片頭痛を治めようとした話 ほか)
健康寿命と老いについて
(年寄り笑うな、あしたの自分
元気で長生き、が叶う人は少い ほか) -
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(2010/7/10)
五木親鸞の下巻、上巻からちょっと間をおいて、ようやく読んだ。相変わらず一気に読める。
法然の説く念仏教の意味をついに理解して弟子となり、かねてから愛する女性と再会し妻とする。いわゆる破戒。
世俗にもまれながら、本当の念仏教を極め、広めてていく親鸞、、、ではなく、範宴、棹空、善信、親鸞!あら棚成長段階を迎えるごとに名を変える。
仏教でもキリスト教でも、元の教えはシンプルなはず。釈尊(仏陀)もイエスキリストも民衆とともにあり、教えをたれていたはず。それがいつしか階層化する。修行したものだけが教えを理解できるような形にして、民衆を下におき、僧侶が、牧師が、神父がなんらか権限を持つ。政治に係わる。
何で、虎の威を借る狐かな担ってしまうのだろう、人間って。
人の上にたちたがるんだろ。
親鸞はそれに真っ向から戦った。
無論法然もそうだった。民衆に念仏だけでいいと教えながら、法然自身は戒律を敗れなかった。叡山にとらわれていた。
親鸞はそうではなかった。妻帯し、肉を食い、世俗にまみれる。そして、どんな善人にも悪がある、だからみな南無阿弥陀仏と唱えることで極楽にいけると説く。
地に足のついた宗教家だ。
親鸞と法然は互いを信じあっていたというのがいい。その上で、法然の教えを自ら体現し伝える親鸞。
かくありたい!
いま一度吉川英治親鸞を読むべきだろうと思う。 -
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(2010/5/28)
学生時代、歴史小説を読み漁った。
巨人の星(梶原一騎)、心技体(二子山勝治)に続いて人生に影響を与えた宮本武蔵を皮切りに、吉川英治の長編は全部読んだ。新書太閤記、私本太平記、新平家物語、三国志、新水滸伝、そして親鸞。
ついでに司馬遼太郎の坂之上の雲、竜馬が行く、国取物語、山岡荘八の徳川家康。
話がそれた。そう。学生時代以来の「親鸞」を五木寛之で読んだ。
ヒーローのいる小説と比べ、親鸞は理解しにくかった覚えがある。俗っぽいお坊さん、程度の認識だったかもしれない。「善人尚もて往生をとぐいわんや悪人をや」の意味も十分理解できなかった。
今回の五木親鸞はまず、楽しい。冒険活劇のように、まだ親鸞と名乗る前の11歳の忠範少年を活躍させる。史実ではないのだろうが、暴れ牛が目に浮かぶようだ。続いて比叡山で修行する29歳の範宴。俗から離れた僧のあり方に疑問を感じ、市中に身を置き始める。女性と出会い、、、ってところで上巻は終わり。
楽しく読ませてくれる。
下が楽しみ。 -
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捨てない生きかた
マガジンハウス新書 001
著:五木寛之
断捨離と対極にある考え、それは、捨てないという精神です
いやむしろ捨てられないという考え、記憶、そして、語り継ぐのは、ヒトであり、モノであると、筆者はいっています。
モノとは、記憶を呼び覚ます装置である、それを「依代」(よりしろ)と呼んでいます。「憑代」(よりしろ)とも書きます
捨て去ることの難しさ、記憶とは遺産、捨てようとしても捨てられない、身体に刻まれた、肉体的な記憶です
最後に筆者はこう結んでいます。とても、いい言葉だと思いました。
人は裸で生まれてきて、ゴミに囲まれて死んでいく そういうものではないでしょうか。
記憶という自分が生きてきた証、また時代という歴史の記憶させ呼び出してくれるモノたちに囲まれて過ごす人生は、とても豊かなもののように思います
私たちの後半生は、芳醇な回想の時代であり、黄金の時代なのです
気になったのは、以下です
・多くを入手して、多くを捨てる という方法は、決して持続可能なライフスタイルではありません
・モノに囲まれる生活が孤独を癒す
・記録ではなく、記憶を大切に
・Together Alone という言葉があります。 和して同ぜず という意味です
・生きている限り、執着は消えない
・相手を尊重しながらも自分を捨てず、お互いの人格を大事として距離をおく
・ぼくがモノを捨てないのは、そのガラクタたちを自分の所有物とは思っていないからです
ガラクタとぼくとは対等な友人関係です
ほくは、ガラクタたちと友だちとして、付き合っています
・人生の四つの季節 青春、朱夏、白秋、玄冬
・人生百年時代の生き方を登山として考えることもできるでしょう
下山にこそ、登山の、つまり人生の本質があるように気がしています
・昨日が見えないものには、明日も見えない
・昭和の歌を、現代の万葉集に
歌というのは、とても強力な依代だと思います
昭和の歌を集め直して、万葉集のようにして残しておいてはどうかと考えています
※五木寛之氏は、有名な作詞家でもある
・手本と見本の違いが面白い
手本は優れた立派なもの、見本と言うのはどれを選ぶかのサンプルです
・人づき合いは、浅く、そして、長く
・ガラクタにあふれた部屋こそ自分の城
人生には、ひとりぼっちになることが必ずあります
今まで所属していた組織や人間関係から離れる、強烈に孤独を感じてします
そういう状況が訪れたとき、気がついたら自分には何ものないというのは寂しいものです
しかし、モノにあふれた部屋にいればだいじょうぶです
ガラクタという強い家族、強い味方がいるという感じがするからです
・捨てることの難しさを知った親鸞
すべて捨て去ったつもりでいたけれども、じつは、心のなかには、それがしっかりと残っている
簡単なことではないな、と納得して「なるほどこういうことか」と言ったのだ
・親鸞は弟子一人ももたず候
同じ信仰をともにする仲間としての付き合いはあるけれども、弟子師匠と言うことは一切なし、親鸞はそういったのです
・記憶の遺産、捨てようとも捨てられない、身体に刻まれた、肉体的な記憶です
・日本のいたるところで、時代の記憶がどんどん消えつつあるように思います
記憶を捨て去っていけば、フラットで平板、平面的で薄っぺらになっていくばかりです
実際、日本の町というものは、どんどんそうなっていっているような気がします
・歴史の中には、隠そうとされるもの、忘却が望まれるものが、必ず含まれています
モノとして何かのかたちが残っていれば、それを依代にして、記憶は蘇り、物語として語られていきます
・過去を振り返ってこそ、文明は成熟する
成長の時期には、邪魔なものは、捨てればいい。成熟するためには、いろんなものを抱え込んでいたほうがいい
・語り継ぐのはヒトであり、モノである
目次
まえがき 「捨てない生きかた」も悪くない
第1章 モノやヒトとの距離感
第2章 人生百年時代は「ガラクタ」とともに生きる
第3章 私流・捨てない生活
第4章 捨てることの難しさ
第5章 失われつつある、町の記憶
第6章 この国が捨ててきたもの
あとがき 人生百年時代は「豊かな回想の時代」であり、「黄金の時代」
ISBN:9784838775019
出版社:マガジンハウス
判型:新書
ページ数:200ページ
定価:909円(本体)
発行年月日:2022年01月
発売日:2022年01月27日第1刷 -
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折れない、錆(さ)びない諦(あきら)めない五木寛之93歳が日々のなかで見出した心に刺さる不朽の名言。「逆転の発想」で古今東西の名言を読む、大反響ロングセラー〈名言〉シリーズ最新刊!「私はこれらの言葉に支えられて生きてきた」右を見ても、左を見ても、息苦しい世の中である。誰も明日の世界を予測することはできない。そんな中で、磁石の針のように一つの方向を指し示してくれる言葉がほしい⁉️私が思う千年の名言とは『この時代に生まれて、今後、千年も後まで残る明日の言葉』である。学者や思想家の言葉だけでないアスリートや経営者、そして生活者の言葉のなかに、不朽の名言が隠されている。この一冊の本に集められた言葉たちは、まちがいなく読む人の心を励ましてくれるだろう⁉︎」(目次)
第1章 いま、その時の言葉から
第2章 すべては一瞬だと思いたい
第3章 忘れがたい人びと
第4章 歳月を超えて 第5章 みずみずしい晩年 -
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ネタバレ人は人でしかないんだと思いたいと思った。
能力、考え方、時代、色々な物事が混ざり合って今の自分がいると思った。
そんな簡単じゃないぜえ、自由
そもそも自由って自由じゃなかったりするぜ。
それがそもそもの間違えだぜ
そんな事を言ってちゃあなれねえぜ、自由。
みたいな考えが右往左往しながら読みました。
4章は、宗教とかニヒリズムを感じられて面白かったです。
考え方も普遍的ものなんて無いのかもですね。
ベルセルクの魔女さんが言ってたみたいに円環ではなく螺旋なんでしょうね。
五木寛之さんの批評を全部読むと、色々な角度からの見方があると勉強になりました。 -
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ネタバレ織江は本名牧オリエに戻り、「あの夏に帰りたい」が大ヒット、ベストテン上位に。一方、伊吹信介25歳は、西沢、ジョン、カオルらと、公安の監視下、非合法でハバロフスクに。日本人捕虜の中には現地のロシア娘と結婚した者、ウクライナ人の娘と結婚した者もいた。ロシアは何10万人ものウクライナ人をシベリアに強制移住させ原子力の施設を建設。信介はウクライナ人の母の娘アニョータとユーラシア大陸横断の旅をすることに。パスポートなしでの横断、命がけでロシア語をアニョータから学ぶ信介。明日は出発。♪夜霧の彼方へ別れを告げ♪ 五木寛之「青春の門 第八部 風雲篇」、2016.12発行、427頁。