五木寛之のレビュー一覧
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未知の時代を目前に、嵐の前の静けさが日本を覆っていた1960年。伊吹信介(いぶきしんすけ)はタバ風の吹き荒む江差(えさし)にいた。そこで会ったオーストラリアの友人・ジョンの「あなたは一度日本を出てみるべきです」という言葉に惑(まど)う信介。特攻船やソ連との関係に揺れる函館を訪れたとき、彼の背中を押す風が吹く。
60年代を舞台に1993年に書かれた作品で、ケータイやネットは存在しない世界なのに旧さを感じない。文庫本で697ページの厚さにたじろいだけれど、読み始めたら一気だった。第9部が週刊現代に連載中で、80代半ばというのに五木寛之の創作意欲には感嘆するしかない。なお文庫本の解説によれば、「青 -
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今まで全く考えもしなかった宗教宗派、それが葬式を機に浄土真宗と関わるようになり、住職から初めて浄土真宗についての話を聞き、親鸞と言う人間に凄く興味を持ったことが五木寛之の最初の「親鸞」青春編を読むきっかけになった。
「青春編上下」「激動編上下」「完結編上」を読んで、いよいよ「完結編下」で親鸞の90歳の生涯が終わる。
61歳で京に戻った親鸞が80歳を超えたところから物語は始まる。
長男の善鸞は親鸞に認められたい一心で京から東国へ赴くが、独自の念仏布教をしたことで東国が混乱し、最終的には縁を切られることになる。
一方、物語のサスペンスの方は竜夫人が親鸞の妻、恵信の妹であることが明かされ、娘のことな -
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だいぶ前に「親鸞」全三部作の第一部(青春編、上下)、第二部(激動編、上下)を読んでから、かなり時間をあけてようやく第三部(完結編、上)を読んだ。その間読みたい本が次から次へと出てきたためなのだか、今この完結編(上)を読んで、すぐに読まなかったことを後悔している。
青春編で親鸞の8歳から35歳までの京での生い立ちと当時の社会風景、登場する色々な人物が親鸞と関わり影響することにわくわくした。そして激動編で越後から東国での36歳から61歳までの専修念仏説法の人生の物語に少しだれた。今回の完結編上巻は61歳にして再び京に戻り、新たな陰謀に巻き込まれる物語。青春編で登場した人物が90歳以上の高齢で登場し -
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とうとう往生、五木フィルターを透した親鸞、いやはや非常に面白かったです。親鸞が主役の一応歴史的ベースと親鸞の仏教思想はベースになっていますが、ものすごく面白いハイパーアクション伝奇小説。この”ありーひん”ミラクル的な事が微妙なレベルでおさえられているところが、”ありそう”すぎてグイグイハマります。
完結編は上下とおして親子の情と人との関係の比較、父親としての親鸞とブデストとしての親鸞の描き方が秀逸。全くブレない親鸞だが、家族を含む回りの人々の受け取り方の違いが非常に興味深い。真理の凝縮やねぇ。なんというか、この小説に描かれる親鸞の考え方は非常に自分自身の考えかたと似ている所があって、ちょっとゾ -
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私は無神論者なので宗教のことはよくわかりませんが、信じることがその人の救いになるものだったらいいのでは?と単純に考えています。
私も無神論者と言いながら、困った時の神頼みはしてしまうわけで(。。;)
なにか切羽詰まった時、選択せねばならない時などは、見えない何かの存在を感じ「今私は試されているのかも」って
考えてしまいます。
そして「なんだ、おまえはその程度のものか」と言われないように、あえて楽な道を選ばずに生きてきました。
親鸞とて生きてる間ずっと苦悩してきたくらいですから、難しいんでしょうね。
思うにどんな教えであっても、解釈の仕方でどうとでもなってしまうのではないでしょうか。
だ -
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冒頭の話があまりにも重すぎて、読むのを一度止めてしまいました。しかし、最近、本棚を見た時に、何故か目に止まり、読み出したら、時間を忘れ、いつの間にか読み終えていました。
【宿業】に対する考え方。
変えられないものは沢山あるが、その中でどう生きるか?
私は、「運命は変えられるものではなく、現実をしっかり受け入れる覚悟をもつことで、寄り添えるもの」との認識を得ました。
以前、啓発本が好きで、読めば人生を変えていけると思っていましたが、その認識の甘さを実感しました。
どんな啓発本より役に立つ本だと思います。
最後に、本文より、
【光がさしたからといって、せおっている荷物が軽くなるわけではない。