五木寛之のレビュー一覧
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今年の2月に第1巻を読んだのに続き、第2巻を読んだ。
主人公の伊吹信介は、大学入学のために、筑豊から東京に出て来る。初めての東京で、筑豊にはいないタイプの人たちと出会い、戸惑いながら大学生活を始める信介の姿を描いている。
この小説の年代は小説には書かれてはいない。ネットで調べると、信介が大学に入学したのは、昭和29年(1954年)であるという記述がいくつか見つかった。正確に昭和29年かどうかは別にして、おおよそ、それくらいの年代の話であろう。
信介が大学に入学したのは、私が生まれる前の話であるが、それでもモデルになっている大学は、私の母校であり、親しみを感じる。私自身も九州出身であり、大学に入 -
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1章「歓ぶ」では、『歓び上手』って素敵だな、思いましたし、3章「悲しむ」で『悲しいではないか』と明治のころの文学青年や政治青年らが挨拶を交わし議論する話では、日本が成熟していく過渡期の良き時代に思いを馳せ、アサガオ研究家の話で『アサガオの蕾は朝の光によって開くのではないらしいのです。逆に、それに先立つ夜の時間の冷たさと闇の深さが不可欠である』という報告に、詩的な感動を覚えたと言う著者の感性にこそ感銘を受けました。
7章「知る」では、柳宗悦の言葉『見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ』ー見てから知るべきである、知ったのちに見ようとしない方がいい、は同感です。アートを見るとき、人と接するとき、先入観によら -
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「青春の門」は物語自体も長いが、非常に長い期間をかけて書かれている小説である。1969年、というから今から50年以上前に「週刊現代」で連載が始まっている。1970年に「第1部筑豊編」の単行本が発行された後、1980年の「第6部再起編」までは定期的に単行本の形で発行がなされている。その後、発行のペースがゆっくりとなり、1993年に「第7部挑戦編」、2016年に「第8部風雲編」、そして、2017年からは第9部に相当する「新・青春の門」の連載が書かれ、2019年に「新青春の門第9部漂流編」の単行本が刊行された。ネットで見ると、作者の五木寛之は、第10部の構想をインタビューで話しており、少なくとももう
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希望の光を求めて
作者が巻末に、過去の体験談を元に考え方の道筋を照らしてくださった気がした。心のどこかで読み手の私が求めていた言葉が見つかった気がして、少しだけ心が軽くなり、生きるヒント道筋に気付けたと思います。
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●年をとると、どのように生きるべきか戸惑っている人が少なくないと言われます。
●本書はそうした人々に老いの現実を肯定的に受け止めて生きていく言葉を贈っています。孤独な生活の友となるのが、例えば本だと。読書とは、著者と一対一で対話する行為で、心強い友。人生の後半期は自分で登ってきた山を降りていく時期なので、景色を楽しんで下山することだと言う。
●確かに、リタイアした人の中には、仕事一筋でやってきた人ほど何かしていないと自分だけが取り残されたという不安に駆られる人が多いと言われます。私は、老いを気楽に受け止めて、現役より自由な時間が膨大に増えるメリットを活かして、好きな事をやれば良いと思います。社 -
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ネタバレさくっと読める長さ。生きていくうえで、うんうんそうだよね、確かに、と頷ける内容や、新しい知見もあり、こう思っていたのは私だけじゃなかったのか!や、そうかこういう捉え方もできるのか、と考えながら読めた。
以下読書メモ
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・〈よろこばせ上手〉は、自分を喜ばせることから始めた方が良さそうです。その結果として、他人に対してもひらかれた暖かい視線で接することができるのではないかと思います。
・ 知恵の悲しみ=知的に充実すればするほど、大きな悲しみを味わうことになりかねません。
・ 偶数と奇数と比べてみると、偶数は、割り切れて合理的で儒教に近い。奇数は、2で割 -
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現代日本は識詞率が低いと書かれているのを読んで、はっと我に帰った。詩を詠むのは古臭い、分からない、難しいという意識が先行して詠まないが、五木さんの御本を読んで、詩の面白さがどこにあるのか、詩を通して異文化を知ることの魅力を感じることができた。
詩を詠んだから何かが起こるわけではない。しかし識詞率が低いことで知らない詞の世界を知ることはできない。知らないことを知ることの面白さ、そのことの大切さを実感した。
自分を異端児と捉えて日本人を見詰める五木さんの考え方から日本人はいかにのんびりしていて呑気なのか改めて気付かされた。難民の話が途中で出てくるが、情勢が目まぐるしく変わる今、難民の話を対岸の火事