五木寛之のレビュー一覧
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いかに孤独と向き合うかの本ではなく、いかに老いるかを考察する本。または社会的問題としての高齢化社会の論考。
身体の衰え、認知機能の低下、社会からのリタイア...老後の孤独は若い頃のそれとは異なり、場合によっては大変苦しいものになるだろう。自分もそれに対する恐怖心はある。
諦める=明らかに究める。来し方行く末を想い、自分の現状、今後の見通しをしっかり見極め、次の世代に譲るべきものはちゃんと譲り、なるべく子供の世話にならずに往生していきたいもんである。しかしそうできなくなることも十分ありうる。
また、人口問題の結果、世代間の格差、対立があり、五木氏は「嫌老感」と呼んでいるが、我々第二次ベビーブーマーが高齢者になる頃には今よりもさら「本格的な嫌老社会」になっているわけで、どのように老いていくかは自分にとっても決定的に重要なことである。「豊かで元気な高齢者」という階級が生じ、若者との間に階級闘争が起こりうる不安にも言及。急激な少子高齢化に日本社会が何の手立ても見出すことなくここまできてしまったことがつくづく悔やまれる...
今更的なお話もあるが、下山の話、ガラクタの話、回想の話等なるほどーな言及も多く、じっくり考えさせてもらえた。しかし、宗教に対する著者のいいとこどり的な態度では一神教の心理や精神は理解できないだろうなとは感じた。
「私はこの世界がどう変わっていくのか見ていたい。日本だけではなくアジアが世界全体がこの先どのような変貌を遂げていくのが目撃したい知りたいそのために長生きがしたいと思う」
「もし自分が少しでも長く生きたいと願っているならばその原動力は一体何かという自問自答は老いの時代を送るためのひとつの糧になり得るのかもしれません」
「自分の死生観を託せる宗教を見つけ学ぶことは死に対する恐れを振り払う上でかなり有意義なことであるとふと感じます。それは宗教というよりも宗教的な生き方と言った方がいいのかもしれません」 -
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「青春の門 第七部 挑戦篇」の舞台は、北海道の江差・函館。第六部までは、主人公の生まれた九州・筑豊、そして、大学入学後は東京が舞台だったので、新たな地での物語の始まりである。
第六部までの物語は、「筑豊という日本の一地方から東京の大学に進学した主人公の伊吹信介は、東京という地で、これまでに会ったことのないような人に出会い、これまでに経験したことのない経験を積み、成長していく物語」という風に要約できるかと思う。この第七部も伊吹信介の成長物語であることに変わりはないが、部隊が北海道に変り、今後ロシア、更には東欧諸国に展開していくことが想像できる。伊吹信介は、ロシア、あるいは、東欧の国々で、同じく、色々な人と出会い、色々な経験をしながら物語が展開していくはずだ。物語の規模が拡大した、というか、グローバル化しているのだ。この小説の第六部の刊行は1980年、そして、この第七部の刊行が1993年なので、その間、13年間のブランクがある。そういう意味で、これまでの流れは、ある程度リセットされ、新しい地、新しい舞台で、物語がリスタートしたという印象を受けた。
第七部の時代設定は、1960年になっている。60年安保の年であり、社会党の浅沼委員長が右翼の少年のテロを受けて死亡した年である。最近、続けて読んでいる、大江健三郎の芥川賞受賞が1958であり、浅沼委員長刺殺をイメージする右翼少年の物語である「セヴンティーン」「政治少年死す」が書かれたのが1960年、1961年のことなので、時代的にはちょうど重なる。
いずれにしても、フィクションの話であるが、大江健三郎の描く主人公と、五木寛之の描く、この伊吹信介の違いは大きい。主人公が実際に違うというよりも、それは、大江健三郎と五木寛之が、この時代をどういう風にとらえていたのか、この時代の青年の悩みは何だと考えていたのかの違いである、もちろん。 -
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1.著者;五木氏は小説家・随筆家。少年時代は、父親から古典の素読や詩吟を教えられたそうです。小説を読む事を禁じられたので、坪田譲治や江戸川乱歩を隠れて愛読。中学以降は、ドフトエフスキー・ゴーリキー等を読み漁る。「さらばモスクワ愚連隊」で作家デビュー。「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞、「青春の門」で吉川英治文学賞他、多数受賞。「大河の一滴」等、仏教に関する著作も多い。
2.本書;1990年代に雑誌「ミセス」に連載された。「生きるヒント」シリーズは累計600万部を超えたヒット作品。著者のあとがきです。「僕らは鋼鉄のような強い意志を持った人間ではありません。迷いながら、その時々の気分で生きている適当な生活人です。そんな人間が、少しでも元気で、少しでも自信を持って生きてゆけるような、そんな“生きるヒント”を探してみました」と。30年間経っても、風化しない著者のメッセージが、私達の人生に勇気をくれます。「歓ぶ」~「想う」までの12章構成。
3.個別感想(印象的な記述を3点絞り込み、感想を付記);
(1)『1章;歓ぶ』より、「僕はこの年になっても、安いコロッケをトースターで焼いて食べながら幸福を感じる事が出来ます。超一流の料亭で御馳走になっても不味いものは不味い。・・・私達は歓びを持って生きたい。それを持っているだけではなく、自分から探し出す事に慣れなければならない。どんなに詰らない事であってもいい、それを今日一日の収穫として大事にしたい」
●感想⇒❝よろこぶ❞とは、❝喜ぶ=一般的に嬉しい時❞・❝悦ぶ=他人を喜ばす時❞・❝歓ぶ=歓声をあげる程に嬉しい時❞などがあります。五木氏は、❝歓ぶ❞を使っていますが、私は単純に❝喜ぶ❞を使います。私は物事に感動した時に喜びます。これまでに、幾多の喜び(感動)がありました。家族を持った時(結婚・子供の誕生)、進学・就職、海外での経験(アルゼンチンでタンゴショーの舞台を見た時;ベテラン歌手が歌唱を終えた際、観衆が総立ちになり、拍手とアンコールの嵐に包まれた)など、枚挙にいとまがありません。最近では、そのような大きな喜びは減りましたが、五木氏の様に、コロッケの美味しさに舌鼓を打つ喜び、早朝にコーヒーを飲みながら読書する喜び、庭の花木の成長を育む喜び等、生きる喜びを噛みしめています。心の持ち方一つ。喜びは何処にでもあるのではないでしょうか。
(2)『2章;惑う』より、「“本を読む” “芝居を見る” “音楽を聴く”・・これらはみんな、昔は趣味と考えられていた。しかし、僕はそれを単なる趣味でないと思うのです。それは人が生きていく事の本質なのではないか。人間は、本来そういう事をする為に、生きているのであってその時間と余裕を生み出す為に働くのです。働く事自体が目的ではない」
●感想⇒“人間が生きていく事の本質”と“働く事自体”の考え方について、私の考えは、五木氏とは少々異なります。 “本を読む” “音楽を聴く”・・等は、確かに心の豊かさをもたらします。しかし、“働く事”も重要な意味を持っています。働く事には、①世の中の利便性を高める ②家族の生活を支える ③自己実現(高度な人間欲求の満足感)等の意義がある考えます。“仕事と人間の本質”をグッドバランスで維持することが大切と思うのです。こうした考えは、五木氏のような小説家と私のようなビジネス社会で生きてきた者という生活体験の差から生じるのかも知れません。いずれにせよ、“刻苦勉励、骨身を惜しまない生き方”をしたいものです。
(3)『7章;知る』より、「私達が注意しなければならない事は、安易にマスコミから流れ出す情報を鵜呑みにして、何かすべての真実を知ったつもりになってしまう事でしょう。私達は疑い深くなければならない。そして情報というものに対して一方的な受け身の姿勢でいてはならない。何か変だな、と心の片隅でふっと感じた時には、その感覚を信じて、大きく自分の目を見開き、世間で言われている一般的な知識というものに疑いの目を向けなければならない」
●感想⇒久しく情報化時代と言われて、良くも悪くも情報が市中に氾濫しています。私達は、新聞・テレビ・雑誌等、情報の嵐に晒されています。例えば、テレビが、××にガン抑制効果があると放映すると、××は品薄となり、店頭から一時的に姿を消します。マスコミには、ともすると世論を誘導する力があるように思えます。従って、私達は自分なりの判断基準を持って、それらに対抗しなければなりません。知人に、新聞は全国紙しか読まないという人がいます。しかし、知識人の中には、“地方紙の方が、事実を誠実に伝えている”と言う人もいます。何事も偏りのない情報収集が必要ですね。先人の知恵に謙虚に学び、真実を見極める力を養い、人伝でなく可能な限り現地現物に徹して、自分の目で事実を確かめる事です。“百聞は一見に如かず”ですね。
4.まとめ;作家が人生や生き方について書いたエッセイーは多くあります。本書は、それらとは一線を画しています。著者は言います。「これはいわゆる“人生論”ではありません。また、生きる思想というような大袈裟なものでもありません。タイトルどおり、生活していく上でのちょっとした“ヒント”です」と。私は、難解な言葉や、著名な思想家の言葉を頻繁に引用している本を好みません。本書は、自分の考えを、語るように平易な言葉で綴っており、理解し易く仕上がっています。前述(2)で書いたように、私の考えとは少し異なる点もありますが、本書をいつもそばにおいて、生活の中で迷いが生じた時に、読み返したい一冊です。(以上) -
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ネタバレ飽く迄も人間として生き抜いた親鸞。悪人正機と他力本願、そして名号。すべてを語るのは難しいが、極限まで凝縮すれば凡そこの三大要素に帰結する。
何かの本で、或る人が松下幸之助に成功の秘訣を訊ねたとき、松下曰く、それは運だと答えたらしい。では運を得るにはどうすれば良いのかと訊ねると、曰く、徳を積むことだと。
成る程、いま、他力に就いて思索をめぐらせれば、このときの松下の言には頷かされるばかりである。
親鸞は作中、幾度も危機に陥った。それはもう開幕から暴牛に殺されかけ、六波羅童や傀儡師たち、対立する僧らや、果ては雨乞いの為に命懸けの念仏を唱える羽目にもなった。難行苦行の果てに幾度も命を落としかけた。
思い出したいのは、いつでも誰かと結んだ縁が親鸞の佑けになったということである。親鸞自身には、自力で状況を打開する術は無かった。しかし扶けて呉れる誰かがいつでも彼の側にいた。
名作『君たちはどう生きるか』の作中でコペル君は世間の人々を分子に喩えた。これも言い得て妙である。
或いは、世間とは途方もない大河のようなものかもしれない。人間はその中の水分子の一つ、1H₂Oに過ぎない。
河にはいつでも流れがあるが、分子の分際で河の流れを変えることは出来ない。流れをつくるためには、他の水分子と結合しなければならない。そうして結合に結合を重ね、遂に流れを変えるに至ったとき、それは果たして1 H₂Oの自力だろうか。
古今東西、凡ゆる哲学者や思想家たちが追究した真理の一端が、こんなところにもせせらいでいる。 -
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時々、誰かに知恵を授かりたいなぁ、と思うことがあって、そんな時思い出す人は美輪明宏さんと、五木寛之さんだったりする。お二人ともいくつになっても聡明で、おごらず、言葉に含蓄がある。
「林住期」というタイトルから“臨終”を想像するが、まったく逆である。人生後半の50歳〜75歳までこそ、輝かしい黄金期だと説く。満を持してジャンプする時期だと。「できれば生活のために働くのは五十歳で終わりにしたい。社会への義務も、家庭への責任も、ぜんぶはたし終え自由の身として五十歳を迎えたい」この言葉は若い人にも希望を与えるのではないか。なんとか五十歳までは頑張ろう! というエールにもなる。
そのためにどういう心持ちで生きていったらいいか‥ひとつの指南をしてくれる。
「鬱という字は、草木が勢いよく茂るさま」でもある、と。林住期は枯れ期ではない。生い茂る時代ということかもしれない。 -
ネタバレ 購入済み
典型的な大河小説ですよね
親戚から要らなくなったという文庫本を貰い、私も学生時代、途中まで読みました。
五木寛之氏の小説、基本的には通俗的でエロも結構あるし、まぁ性少年だった頃に読んでちょっとドキドキした部分もありましたね。
夜中にふと起きたら主人公のご両親、している最中で、主人公も親子3人で愛し合っている淫夢?もみたりしていましたので……作者もそういう経験があったのかも知れません。
織江さんを相手に、いわゆる筆おろしをした後も、口淫のみOKな大学生のお姉さんとかも出てきますし、売血は社会問題にもなっていましたが、作者も結構、経験があったようですね。
シリーズのガイドブックとしては悪くない出来で、まぁ長く読み伝えられてきた小説だけのことはありますね。実際は3分で分かるというよりは、もう少し時間、かけて読むべきでしょうが。
私もシベリア鉄道等、本当は乗ってみたいですね。
五木寛之氏は仏教系大学の聴講生になってから書かれた小説も非常に良いですよ。 -
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「青春の門」第6部は「再起篇」という題名がついている。第5部の「望郷篇」では、信介は、生まれ故郷の筑豊に戻り、世話になった塙竜五郎の最後を看取ることとなった。その後、ひょんな偶然から実業家の早しに見込まれ、林の家に書生的な立場で住み込むことになるところまでが、第5部だ。
第6部では、林家を出て、プロの歌手となっている織江のマネジャーとして再出発することになる。だから、「再起」という言葉は、実業家の林の庇護のもとでの恵まれた暮らしを捨てて、再度、自分の力で世間と渡り合っていこうという意味合いとなる。普通、再起と言えば、失敗とか挫折とかといった状態から、再び立ち上がって元の状態に戻ることを言うと思う。信介が林家にいたことは、別に失敗でも挫折でもないので、最初、再起という言葉は大げさかなと思った。
しかし、五木寛之にとっては、青春の只中にある者が、誰かの庇護のもとでリスクの少ない生き方をすること自体が、失敗であり、挫折になるのであろう。そういう風に解釈した。 -
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第5部にあたる「青春の門 望郷篇」の単行本は1979年に発行されたとのことなので、今から40年以上前の話になる。
私は第1部の「筑豊篇」から読んでいるが、第2部の「自立篇」から第4部までの「堕落篇」までは、あまり好きではなかった。伊吹信介という筑豊出身の青年は、正義感に溢れた竹を割ったような向こう見ずの性格であったはずであったのであるが、上京してからの信介は、まずは「頭で考える」いじいじした行動をとる人物として描かれており、そういう点が好みではなかった。
ただ、この第5部になって、もともとの思い切りの良い伊吹信介が戻ってきつつある気がする。そういう意味では、久々に「青春の門」を楽しめた。本書は、現在のところ第9部まで発行されているようだ。あと4部、楽しんで読みたい。 -
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ネタバレ本書にてシリーズ完結。
無知故にどこまでが史実かはわかりません。
もとより、親鸞に纏わる資料事態も少なく、その生涯には不明なところも多いようです。
始まりとなる青春篇が世に出た時から気になっていた本書を含めた三部作。
私の中の親鸞は本書の中が全てと言っても過言ではありませんが、出会えて良かったと思える作品でした。
内容(「BOOK」データベースより)
偉大な師にして父親の親鸞に認めてもらおうと善鸞は東国行きを志願するが、父子の懸隔はかえって広がる。一方で最後の闘いの時も迫っていた。怪僧・覚蓮坊、謎の女借上・竜夫人、若き日に出会ったツブテの弥七、黒面法師らとの、永く深い因業が解き明かされる。そして、九十歳で入滅―。入魂の三部作、完結。
著者について
五木 寛之
1932年福岡県生まれ。朝鮮半島より引き揚げたのち、早稲田大学露文科に学ぶ。PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門』(筑豊篇ほか)で吉川英治文学賞を受賞。81年より一時休筆して京都の龍谷大学に学んだが、のち文壇に復帰。2002年にはそれまでの執筆活動に対して菊池寛賞を、英語版『TARIKI』が2002年度ブック・オブ・ザ・イヤースピリチュアル部門を、04年には仏教伝道文化賞を、09年にはNHK放送文化賞を受賞する。2010年に刊行された本書は第64回毎日出版文化賞を受賞し、ベストセラーとなった。代表作に『戒厳令の夜』、『風の王国』、『風に吹かれて』、『百寺巡礼』(日本版 全十巻)など。小説のほか、音楽、美術、歴史、仏教など多岐にわたる活動が注目されている。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
五木/寛之
1932年福岡県生まれ。戦後朝鮮半島から引き揚げる。早稲田大学文学部ロシア文学科中退。’66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、’67年『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞、’76年『青春の門』で吉川英治文学賞を受賞。’81年から龍谷大学の聴講生となり仏教史を学ぶ。ニューヨークで発売された『TARIKI』は2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門銅賞)に選ばれた。また’02年度第50回菊池寛賞を、’09年にNHK放送文化賞を、’10年には長編小説『親鸞』で第64回毎日出版文化賞特別賞をそれぞれ受賞した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) -
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ネタバレやらかしたぁ〜(><)
シリーズ第2作となる激動篇を読み終え、そのまま本棚に手を伸ばしシリーズ最終となる完結篇の上巻にあたる本書を手にしたつもりでした...
何か少し話が飛んだなぁ...
なんて思いながら読み進め、ふと手を止めた時に...
!(◎_◎;)
上巻だと思い読み進めていたのはシリーズ最終巻となる完結篇の下巻‼︎
①本棚に収納する順番が間違えていた
②よく確認もせずに読み始めた
③なんとなく違和感を感じながらもすぐに物事の世界に没入していた
以上の理由から、大失態をやらかしてしまったのです...トホホ
気がついた後に慌てて本書を手にとり、先程読み終えました。
☆4つの理由にはそんな背景があり、決して本書の内容に不足がある訳ではありませんので(^人^)
さて、いよいよ完結篇です。
京に留まる親鸞もすでに80歳を過ぎました。
無知故に親鸞が何歳で浄土へ旅立たれたのかは存じませんが、医学が進歩した現代であっても80歳の男性といえば平均寿命よりも長生きで、まして西洋医学もなく、祈祷や薬草などに頼っていた時代に生きた人としては間違いなくその時は迫っているのでしょう。
親鸞の長男である善鸞をそそのかし、親鸞が人生を懸けて書き上げた「顕浄土真実教行証文類」を持ち出させた覚蓮坊。
東国より親鸞のもとへ戻った唯円、私財を投じ遵念寺を建立しようとする竜夫人、等々...
下巻を半分ほど先に読んでしまった私には、ようやく話が繋がってきましたが、複雑に絡み合った今生での縁。
絡まった糸をどう解し、その先に何が待ち受けているのか。
いよいよ完結です。
説明
内容紹介
東国から帰洛した親鸞に魔手が伸びる。専修念仏を憎悪する怪僧・覚蓮坊が、親鸞の長男・善鸞をそそのかし『教行信証』を奪おうとしたのだ。だが、その前に立ちはだかったのは、数奇な半生をたどり、宋の富商に身請けされたという謎の女借上、竜夫人だった。このふたりと、親鸞の因縁とは? 入魂の三部作、完結。
内容(「BOOK」データベースより)
東国から帰洛した親鸞に魔手が伸びる。専修念仏を憎悪する怪僧・覚蓮坊が、親鸞の長男・善鸞をそそのかし『教行信証』を奪おうとしたのだ。だが、その前に立ちはだかったのは、数奇な半生をたどり、宋の富商に身請けされたという謎の女借上、竜夫人だった。このふたりと、親鸞の因縁とは?入魂の三部作、完結。
著者について
五木 寛之
1932年福岡県生まれ。朝鮮半島より引き揚げたのち、早稲田大学露文科に学ぶ。PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門』(筑豊篇ほか)で吉川英治文学賞を受賞。81年より一時休筆して京都の龍谷大学に学んだが、のち文壇に復帰。2002年にはそれまでの執筆活動に対して菊池寛賞を、英語版『TARIKI』が2002年度ブック・オブ・ザ・イヤースピリチュアル部門を、04年には仏教伝道文化賞を、09年にはNHK放送文化賞を受賞する。2010年に刊行された本書は第64回毎日出版文化賞を受賞し、ベストセラーとなった。代表作に『戒厳令の夜』、『風の王国』、『風に吹かれて』、『百寺巡礼』(日本版 全十巻)など。小説のほか、音楽、美術、歴史、仏教など多岐にわたる活動が注目されている。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
五木/寛之
1932年福岡県生まれ。戦後朝鮮半島から引き揚げる。早稲田大学文学部ロシア文学科中退。’66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、’67年『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞、’76年『青春の門』で吉川英治文学賞を受賞。’81年から龍谷大学の聴講生となり仏教史を学ぶ。ニューヨークで発売された『TARIKI』は2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門銅賞)に選ばれた。また’02年度第50回菊池寛賞を、’09年にNHK放送文化賞を、’10年には長編小説『親鸞』で第64回毎日出版文化賞特別賞をそれぞれ受賞した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) -
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「五木寛之」を代表する作品のひとつ『青年は荒野をめざす』を読みました。
昔っから、読もう、読もうと思っていて、なかなか読めてなかった作品… ようやく読みました。
-----story-------------
青春の冒険を描き共感を呼んだ「五木寛之」の代表作
モスクワ、ヘルシンキ、パリ。
ジャズとセックス、薬。
20歳の「ジュン」の冒険を求めた青春の彷徨。
熱狂と頽廃の先にあるものは何か
ジャズ・ミュージシャンを目指す二十歳の「ジュン」は、ナホトカに向かう船に乗った。
モスクワ、ヘルシンキ、パリ、マドリッド…。
時代の重さに苛立ちながら、音楽とセックスに浸る若者たち。
彼らは自由と夢を荒野に求めて走り続ける。
60年代の若者の冒険を描き、圧倒的な共感を呼んだ、「五木寛之」の代表作。
解説「植草甚一」
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「五木寛之」が、実際にソ連と北欧を旅した際の経験が下敷きになっており、主人公の青年「ジュン」が、横浜~ナホトカ(当時のソ連 極東シベリア)~モスクワ(当時のソ連)~ヘルシンキ(フィンランド)~ストックホルム(スウェーデン)~コペンハーゲン(デンマーク)~パリ(フランス)~マドリッド(スペイン)~リスボン(ポルトガル)~ニューヨーク(アメリカ)と旅する模様が描かれた作品です。
■第一章 霧のナホトカ航路
■第二章 モスクワの夜はふけて
■第三章 白夜のニンフたち
■第四章 地下クラブの青春
■第五章 人魚の街のブルース
■第六章 パリ・午前零時
■第七章 南ヨーロッパへの旅
■解説・植草甚一
「ジュン」に感情移入しつつ、次はどんな出来事が待っているんだろうかと、ワクワクしながら読みました。
様々な土地を巡るだけでなく、移動手段もフェリー、貨物船、国際急行列車、航空機、乗用車等々… 多様なところも、旅情をかきたてますね。
そして、自由と夢を求めて、もがきながらも前に進もうとする姿勢に共感… 愉しく読めましたね、、、
十代のときに、この作品に出合っていたら人生が変わっていたかもしれないなぁ… と思いました。
もう冒険できる年齢じゃないけど、、、
もう一度、青春時代をやり直せるなら、こんな人生を歩んでみたいな… と思わせる作品でしたね。
読んでいると、ジャズ聴きたくなりましたねぇ… 自分で演奏できるのが理想だけど、楽器を奏でることなんてできないもんね、、、
久々にジャズに浸りたくなったな。
「青年は荒野をめざす」… イイ言葉ですね。