五木寛之のレビュー一覧
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2016年に出版。なにゆえ、五木寛之は人生をかけて『青春の門』を書くのだろうか。
伊吹信介という筑豊生まれの若者の限りない好奇心の広がりを時代に翻弄されながらも、なにをしたらいいのか?悩む信介が、頼もしい。時代は、1961年、日本は復興の道をひたすら走っている。
北海道から、奈良に向かう信介。和辻哲郎の『古都巡礼』に導かれながら。海外に行こうと思ったから、余計日本のことを知りたくなっている。そして、ハーレーダビットソンに乗せられて、牧オリエのラジオの公開録音を聞きに大阪に行く。牧オリエが大きなプロダクションに入ったことで、脚光を浴びるようになる。信介は、オリエに会いたいと思ったが、オリエのマネージャーの懸命に「会わないでくれ。いまだにオリエは信介のことが好きだから」と言われる。時代を変えるような歌手になる。そのような逸材を大切にしてほしいと懇願される。このマネージャーの真摯さがいい。オリエの未来を見ている。オリエの信介宛の手紙が披露される。
函館に戻り、パスポートなしにハバロフスクに向かう。それも、銀座2丁目の娼婦のカオル、右翼の大物影之原隆元、ルポ船の親玉、岩本、公安警察の安川、元新聞記者の西澤、ジョンと襟子という奇妙な団体による密入国。いかにも、怪しさ満々の一行だ。
西澤の友人だった伊庭は、死んだと思われていたが、ハバロフスクで伊庭と出会う。
伊庭は、ハバロスクにいる理由があった。モスクワから離れたハバロフスクは、その近くで原爆の実験さえも行われていた。それが、日本人捕虜のシベリアの強制労働の歴史と死が深く眠っている。
その一行は、パーティに招かれ、スミルノフ将軍からはシベリア地区の分離独立の企てを手伝えと言われる。ふーむ。シベリアの独立って、あるのか。ロシアの知らない部分が突出する。伊吹信介は、ウォッカの飲み過ぎでぶっ倒れる。けっこう、カワイイのだ。
そういう信介に、恋心を抱く17歳のアニョータ。父親が日本人である。アニョータは、信介の布団の中に裸で侵入する。そして、鳩の声のような嗚咽を漏らす。信介は、オリエ、襟子そしてアニョータと渡り歩く。素朴な男は、モテるのだ。有名だったら、周作くんのように文春砲でいじめられそうだ。まぁ。結婚していないから自由だけどね。信介の軽さもいいなぁ。据え膳食わぬは、日本男子の恥なのか。それにしても、カオルは、エセーニンの詩を歌うとは。五木寛之の心得たツボ。
信介は農場の手伝いをし、馬の世話を焼き、アニョータに、徹底的にロシア語を教えられ、アニョータとヨーロッパに向かう。襟子は、娼婦をしていたおばあちゃんの故郷に向かう。それにしても、伊吹信介、どこに行くのだ。漂流する中で、日本人であることを自覚する。 -
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物語は昭和35(1960)年。水原弘 黒い花びらという歌が流行っていた頃。伊吹信介。25歳になった。舞台は、北海道の江差。風が強く吹く街で、伊吹信介は青春をする。
1980年に第六部再起篇が刊行された。それから、間を置いて1993年に、第七部挑戦篇が刊行される。
五木寛之は、ライフワークにしている。1932年生まれなので、1993年は五木寛之61歳である。
その長い間の休みの間があっても、『青春の門』の雰囲気は変わらない。伊吹信介は、前向きに生きようとするが、成長はしていないような気がする。この挑戦篇、688ページもあるのだ。
伊吹信介は、トミ子の依頼で、トミ子の父親、アーナキストの丸谷玉吉の遺骨を北海道の江差の鴎島の海にばら撒こうとする。
伊吹信介は、高校生の立原襟子に出会うことで、恋に落ちる。立原襟子はロシア人の血が4分の1流れている。母 立原百合江は、バー「トスカ」を経営する。ジャズに詳しい。ロシア人の血が2分の1流れている。トスカは、ロシア語で「心が萎える」という状態で、「ふさぎの虫」と訳される。普通のトスカなら恋に生きると言う意味を持つが、五木寛之は「ふさぎの虫」と言う。百合江は、奔放で繊細。このふさぎの虫で自死行為をする。
伊吹信介を追いかける全学連の下部組織全文工に所属するの岸森猛志。岸森は、組織のお金を持ち出したと言う疑惑で伊吹信介をおう。二人は、鴎島で海に落ちそうになるところを海野に助けられ、丸谷玉吉の菩提寺である正覚院に居候することになる。岸森は、バーに通い、立原百合江と恋仲になる。岸森は、全文工の奴らに、組織を抜け出ると言うことで、査問を受け、目にタバコの火を突っ込まれ失明の直前にまでいく。査問という事で陰惨な暴力行為は許せない。百合江は岸森を大切にする。
正覚院にいるオーストラリア人のジョンは、北前船の研究をしている。北海道江差は、北前船の港だ。このジョンは、知識が深い。ジョンのおかげで物語の深みが出る。世界をバックパッカーで歩き回り、フィンランドにいるときには、イギリス情報員の手伝いもする。ロシアの諜報を手伝う。また、丸谷玉吉は、若いころエスペラントの普及に従事していた。エスペラントの歴史にも深い造詣がジョンにはあった。そういえば、エスパラントって昔あったね。現在は、AIによる自動通訳の時代。感慨深い。
なぜエスペラントが、広がらなかったのかの考察がよくされている。
ジョンは、信介に「あなたは一度日本を出てみるべきです」と言う。信介は、そうだと納得して、ロシア、ハバロスクに行くことにする。五木寛之の海外のイメージは、ロシアなんだね。中国、東南アジア、アメリカではないところに、五木寛之らしさが出る。
信介は、短期間で海外へ行く資金を確保するために、札幌で出会った新聞記者の西澤。正義感が溢れているが、新聞記者をやめて、やばい仕事をしている。北方領土問題は、意外とわからないものがある。そこに、お金の匂いがあり、右翼の大物の影之原隆元、公安警察の安川などが入り乱れてくる。伊吹信介は、西澤を頼る。ひょんなことから、カオルにも出会うことに。伊吹信介の周りは、西澤、カオル、ジョンなど怪しい人でいっぱいである。カオルが娼婦と言われるが、その知的水準は高い。ミステリアスな女だ。
どういうわけか、伊吹信介を中心にして、立原恵理子、西澤、カオル、ジョンたちのグループではバロスクに行くのだ。不思議な人の集まり。伊吹信介は、ソ連へ渡り、シベリアを横断し、ザメンホフのいたポーランドへ行こうと思う。 -
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ネタバレリチャード・バックの本は、読み始めるとたちまち辺りに静謐で夢の中の様なふわふわとした浮遊感に包まれる感じがして、プロペラ機で1人空を飛行している時はきっとこんな感覚なのかな。と夢想してみたり昔からとても好きなのだが、最近になって第四部があった事を知り今回初めて完成版を読んでみた。
不思議な世界のカモメの話は、人間社会に生きる私たちがその意味を考えるうえで示唆に富んだ内容ではあるけれど、第三部までは童話(?)寓話(?)的な世界観の色が強く、説教くさく感じないまま物語は終わるという印象を持っていた。
第四部ではジョナサンが会得した飛行技術や「カモメとはどんな存在か」を若いカモメ達に教えていく中で、やがてジョナサン自身が神格化され、本質であるはずの飛行技術を学ぶ者や自分とは何者かを考えるものがいなくなっていく。
きっと仏教やキリスト教も、はじめは「隣人に愛を持って接する」とか「家族を大事にする」とかシンプルな事が本質であったはずなのに、誰が何を言ったかとか教義の解釈の違いとか、本質的ではない物事で人々が分断されていく事を示唆しているように思う。
第三部までの構成では「星の王子様」的なファンタジーなお話の印象が強いが、第四部を含めると人間社会とリンクする部分も相まってフワフワとした読後感の心地良い感覚が少し薄まる気がして、そこがイマイチという感想もよく見かける。
けど、この完成版の方が物語全体としては起承転結がはっきりしていて分かりやすく、個人的には「アリ」かなと思う。 -
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いかに孤独と向き合うかの本ではなく、いかに老いるかを考察する本。または社会的問題としての高齢化社会の論考。
身体の衰え、認知機能の低下、社会からのリタイア...老後の孤独は若い頃のそれとは異なり、場合によっては大変苦しいものになるだろう。自分もそれに対する恐怖心はある。
諦める=明らかに究める。来し方行く末を想い、自分の現状、今後の見通しをしっかり見極め、次の世代に譲るべきものはちゃんと譲り、なるべく子供の世話にならずに往生していきたいもんである。しかしそうできなくなることも十分ありうる。
また、人口問題の結果、世代間の格差、対立があり、五木氏は「嫌老感」と呼んでいるが、我々第二次ベビーブーマーが高齢者になる頃には今よりもさら「本格的な嫌老社会」になっているわけで、どのように老いていくかは自分にとっても決定的に重要なことである。「豊かで元気な高齢者」という階級が生じ、若者との間に階級闘争が起こりうる不安にも言及。急激な少子高齢化に日本社会が何の手立ても見出すことなくここまできてしまったことがつくづく悔やまれる...
今更的なお話もあるが、下山の話、ガラクタの話、回想の話等なるほどーな言及も多く、じっくり考えさせてもらえた。しかし、宗教に対する著者のいいとこどり的な態度では一神教の心理や精神は理解できないだろうなとは感じた。
「私はこの世界がどう変わっていくのか見ていたい。日本だけではなくアジアが世界全体がこの先どのような変貌を遂げていくのが目撃したい知りたいそのために長生きがしたいと思う」
「もし自分が少しでも長く生きたいと願っているならばその原動力は一体何かという自問自答は老いの時代を送るためのひとつの糧になり得るのかもしれません」
「自分の死生観を託せる宗教を見つけ学ぶことは死に対する恐れを振り払う上でかなり有意義なことであるとふと感じます。それは宗教というよりも宗教的な生き方と言った方がいいのかもしれません」 -
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「青春の門 第七部 挑戦篇」の舞台は、北海道の江差・函館。第六部までは、主人公の生まれた九州・筑豊、そして、大学入学後は東京が舞台だったので、新たな地での物語の始まりである。
第六部までの物語は、「筑豊という日本の一地方から東京の大学に進学した主人公の伊吹信介は、東京という地で、これまでに会ったことのないような人に出会い、これまでに経験したことのない経験を積み、成長していく物語」という風に要約できるかと思う。この第七部も伊吹信介の成長物語であることに変わりはないが、部隊が北海道に変り、今後ロシア、更には東欧諸国に展開していくことが想像できる。伊吹信介は、ロシア、あるいは、東欧の国々で、同じく、色々な人と出会い、色々な経験をしながら物語が展開していくはずだ。物語の規模が拡大した、というか、グローバル化しているのだ。この小説の第六部の刊行は1980年、そして、この第七部の刊行が1993年なので、その間、13年間のブランクがある。そういう意味で、これまでの流れは、ある程度リセットされ、新しい地、新しい舞台で、物語がリスタートしたという印象を受けた。
第七部の時代設定は、1960年になっている。60年安保の年であり、社会党の浅沼委員長が右翼の少年のテロを受けて死亡した年である。最近、続けて読んでいる、大江健三郎の芥川賞受賞が1958であり、浅沼委員長刺殺をイメージする右翼少年の物語である「セヴンティーン」「政治少年死す」が書かれたのが1960年、1961年のことなので、時代的にはちょうど重なる。
いずれにしても、フィクションの話であるが、大江健三郎の描く主人公と、五木寛之の描く、この伊吹信介の違いは大きい。主人公が実際に違うというよりも、それは、大江健三郎と五木寛之が、この時代をどういう風にとらえていたのか、この時代の青年の悩みは何だと考えていたのかの違いである、もちろん。 -
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1.著者;五木氏は小説家・随筆家。少年時代は、父親から古典の素読や詩吟を教えられたそうです。小説を読む事を禁じられたので、坪田譲治や江戸川乱歩を隠れて愛読。中学以降は、ドフトエフスキー・ゴーリキー等を読み漁る。「さらばモスクワ愚連隊」で作家デビュー。「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞、「青春の門」で吉川英治文学賞他、多数受賞。「大河の一滴」等、仏教に関する著作も多い。
2.本書;1990年代に雑誌「ミセス」に連載された。「生きるヒント」シリーズは累計600万部を超えたヒット作品。著者のあとがきです。「僕らは鋼鉄のような強い意志を持った人間ではありません。迷いながら、その時々の気分で生きている適当な生活人です。そんな人間が、少しでも元気で、少しでも自信を持って生きてゆけるような、そんな“生きるヒント”を探してみました」と。30年間経っても、風化しない著者のメッセージが、私達の人生に勇気をくれます。「歓ぶ」~「想う」までの12章構成。
3.個別感想(印象的な記述を3点絞り込み、感想を付記);
(1)『1章;歓ぶ』より、「僕はこの年になっても、安いコロッケをトースターで焼いて食べながら幸福を感じる事が出来ます。超一流の料亭で御馳走になっても不味いものは不味い。・・・私達は歓びを持って生きたい。それを持っているだけではなく、自分から探し出す事に慣れなければならない。どんなに詰らない事であってもいい、それを今日一日の収穫として大事にしたい」
●感想⇒❝よろこぶ❞とは、❝喜ぶ=一般的に嬉しい時❞・❝悦ぶ=他人を喜ばす時❞・❝歓ぶ=歓声をあげる程に嬉しい時❞などがあります。五木氏は、❝歓ぶ❞を使っていますが、私は単純に❝喜ぶ❞を使います。私は物事に感動した時に喜びます。これまでに、幾多の喜び(感動)がありました。家族を持った時(結婚・子供の誕生)、進学・就職、海外での経験(アルゼンチンでタンゴショーの舞台を見た時;ベテラン歌手が歌唱を終えた際、観衆が総立ちになり、拍手とアンコールの嵐に包まれた)など、枚挙にいとまがありません。最近では、そのような大きな喜びは減りましたが、五木氏の様に、コロッケの美味しさに舌鼓を打つ喜び、早朝にコーヒーを飲みながら読書する喜び、庭の花木の成長を育む喜び等、生きる喜びを噛みしめています。心の持ち方一つ。喜びは何処にでもあるのではないでしょうか。
(2)『2章;惑う』より、「“本を読む” “芝居を見る” “音楽を聴く”・・これらはみんな、昔は趣味と考えられていた。しかし、僕はそれを単なる趣味でないと思うのです。それは人が生きていく事の本質なのではないか。人間は、本来そういう事をする為に、生きているのであってその時間と余裕を生み出す為に働くのです。働く事自体が目的ではない」
●感想⇒“人間が生きていく事の本質”と“働く事自体”の考え方について、私の考えは、五木氏とは少々異なります。 “本を読む” “音楽を聴く”・・等は、確かに心の豊かさをもたらします。しかし、“働く事”も重要な意味を持っています。働く事には、①世の中の利便性を高める ②家族の生活を支える ③自己実現(高度な人間欲求の満足感)等の意義がある考えます。“仕事と人間の本質”をグッドバランスで維持することが大切と思うのです。こうした考えは、五木氏のような小説家と私のようなビジネス社会で生きてきた者という生活体験の差から生じるのかも知れません。いずれにせよ、“刻苦勉励、骨身を惜しまない生き方”をしたいものです。
(3)『7章;知る』より、「私達が注意しなければならない事は、安易にマスコミから流れ出す情報を鵜呑みにして、何かすべての真実を知ったつもりになってしまう事でしょう。私達は疑い深くなければならない。そして情報というものに対して一方的な受け身の姿勢でいてはならない。何か変だな、と心の片隅でふっと感じた時には、その感覚を信じて、大きく自分の目を見開き、世間で言われている一般的な知識というものに疑いの目を向けなければならない」
●感想⇒久しく情報化時代と言われて、良くも悪くも情報が市中に氾濫しています。私達は、新聞・テレビ・雑誌等、情報の嵐に晒されています。例えば、テレビが、××にガン抑制効果があると放映すると、××は品薄となり、店頭から一時的に姿を消します。マスコミには、ともすると世論を誘導する力があるように思えます。従って、私達は自分なりの判断基準を持って、それらに対抗しなければなりません。知人に、新聞は全国紙しか読まないという人がいます。しかし、知識人の中には、“地方紙の方が、事実を誠実に伝えている”と言う人もいます。何事も偏りのない情報収集が必要ですね。先人の知恵に謙虚に学び、真実を見極める力を養い、人伝でなく可能な限り現地現物に徹して、自分の目で事実を確かめる事です。“百聞は一見に如かず”ですね。
4.まとめ;作家が人生や生き方について書いたエッセイーは多くあります。本書は、それらとは一線を画しています。著者は言います。「これはいわゆる“人生論”ではありません。また、生きる思想というような大袈裟なものでもありません。タイトルどおり、生活していく上でのちょっとした“ヒント”です」と。私は、難解な言葉や、著名な思想家の言葉を頻繁に引用している本を好みません。本書は、自分の考えを、語るように平易な言葉で綴っており、理解し易く仕上がっています。前述(2)で書いたように、私の考えとは少し異なる点もありますが、本書をいつもそばにおいて、生活の中で迷いが生じた時に、読み返したい一冊です。(以上) -
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ネタバレ飽く迄も人間として生き抜いた親鸞。悪人正機と他力本願、そして名号。すべてを語るのは難しいが、極限まで凝縮すれば凡そこの三大要素に帰結する。
何かの本で、或る人が松下幸之助に成功の秘訣を訊ねたとき、松下曰く、それは運だと答えたらしい。では運を得るにはどうすれば良いのかと訊ねると、曰く、徳を積むことだと。
成る程、いま、他力に就いて思索をめぐらせれば、このときの松下の言には頷かされるばかりである。
親鸞は作中、幾度も危機に陥った。それはもう開幕から暴牛に殺されかけ、六波羅童や傀儡師たち、対立する僧らや、果ては雨乞いの為に命懸けの念仏を唱える羽目にもなった。難行苦行の果てに幾度も命を落としかけた。
思い出したいのは、いつでも誰かと結んだ縁が親鸞の佑けになったということである。親鸞自身には、自力で状況を打開する術は無かった。しかし扶けて呉れる誰かがいつでも彼の側にいた。
名作『君たちはどう生きるか』の作中でコペル君は世間の人々を分子に喩えた。これも言い得て妙である。
或いは、世間とは途方もない大河のようなものかもしれない。人間はその中の水分子の一つ、1H₂Oに過ぎない。
河にはいつでも流れがあるが、分子の分際で河の流れを変えることは出来ない。流れをつくるためには、他の水分子と結合しなければならない。そうして結合に結合を重ね、遂に流れを変えるに至ったとき、それは果たして1 H₂Oの自力だろうか。
古今東西、凡ゆる哲学者や思想家たちが追究した真理の一端が、こんなところにもせせらいでいる。 -
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時々、誰かに知恵を授かりたいなぁ、と思うことがあって、そんな時思い出す人は美輪明宏さんと、五木寛之さんだったりする。お二人ともいくつになっても聡明で、おごらず、言葉に含蓄がある。
「林住期」というタイトルから“臨終”を想像するが、まったく逆である。人生後半の50歳〜75歳までこそ、輝かしい黄金期だと説く。満を持してジャンプする時期だと。「できれば生活のために働くのは五十歳で終わりにしたい。社会への義務も、家庭への責任も、ぜんぶはたし終え自由の身として五十歳を迎えたい」この言葉は若い人にも希望を与えるのではないか。なんとか五十歳までは頑張ろう! というエールにもなる。
そのためにどういう心持ちで生きていったらいいか‥ひとつの指南をしてくれる。
「鬱という字は、草木が勢いよく茂るさま」でもある、と。林住期は枯れ期ではない。生い茂る時代ということかもしれない。 -
ネタバレ 購入済み
典型的な大河小説ですよね
親戚から要らなくなったという文庫本を貰い、私も学生時代、途中まで読みました。
五木寛之氏の小説、基本的には通俗的でエロも結構あるし、まぁ性少年だった頃に読んでちょっとドキドキした部分もありましたね。
夜中にふと起きたら主人公のご両親、している最中で、主人公も親子3人で愛し合っている淫夢?もみたりしていましたので……作者もそういう経験があったのかも知れません。
織江さんを相手に、いわゆる筆おろしをした後も、口淫のみOKな大学生のお姉さんとかも出てきますし、売血は社会問題にもなっていましたが、作者も結構、経験があったようですね。
シリーズのガイドブックとしては悪くない出来で、まぁ長く読み伝えられてきた小説だけのことはありますね。実際は3分で分かるというよりは、もう少し時間、かけて読むべきでしょうが。
私もシベリア鉄道等、本当は乗ってみたいですね。
五木寛之氏は仏教系大学の聴講生になってから書かれた小説も非常に良いですよ。