五木寛之のレビュー一覧

  • 生きるヒント ―自分の人生を愛するための12章―

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    1章「歓ぶ」では、『歓び上手』って素敵だな、思いましたし、3章「悲しむ」で『悲しいではないか』と明治のころの文学青年や政治青年らが挨拶を交わし議論する話では、日本が成熟していく過渡期の良き時代に思いを馳せ、アサガオ研究家の話で『アサガオの蕾は朝の光によって開くのではないらしいのです。逆に、それに先立つ夜の時間の冷たさと闇の深さが不可欠である』という報告に、詩的な感動を覚えたと言う著者の感性にこそ感銘を受けました。
    7章「知る」では、柳宗悦の言葉『見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ』ー見てから知るべきである、知ったのちに見ようとしない方がいい、は同感です。アートを見るとき、人と接するとき、先入観によらず自身がどう思うかを大切にしたいと常々思っているから。
    最後の著者からのメッセージでこれは「人生論」ではなく生活していく上でのちょっとした「ヒント」ですと仰っておりましたが、生きて暮らしているだけですごい、とちっぽけな自分でも認めてもらえたような気持ちになれるいい本でした。

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    2022年03月13日
  • 青春の門 第二部 自立篇 【五木寛之ノベリスク】

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    学生時代、新宿のジェスパ、どん底、しょんべん横丁の信濃屋?で屯していました。
    新宿の寿司屋の大将が作った、イカの塩辛はいまでも、思い出します。 大将と良く飲んだなー、学生ですので、安酒です。

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    2022年03月01日
  • 背進の思想(新潮新書)

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    36のテーマ、ひとつのテーマ約5ページ前後。今の時代にどう適応していくのか?前に進む事だけでは無い、反時代的に生きる事も必要とのこと。「確かに」と思える事多々あり。

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    2022年02月20日
  • 金沢あかり坂

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    懐かしい金沢、内灘、浅野川、間の抜けた方言。五木寛之が金沢に住んでいた事を初めて知った。私の場合高校の3年間を過ごしただけだが、この街に永く住むと抜けられなくなるという感覚はわかる気がする。

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    2022年02月16日
  • 青春の門 第一部 筑豊篇 【五木寛之ノベリスク】

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    40年以上前に読んだことがあるが、織江のことしか、思いだせなかった。 私より、20年前の時代であり、自立編も楽しみ!
    私の時代は、赤線は、ありませんでした。
    仕送りで、3畳の下宿は、3500円で、毎日ジーンズで過ごしました。 童貞でした。

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    2022年02月15日
  • 青春の門 第一部 筑豊篇 【五木寛之ノベリスク】

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    「青春の門」は物語自体も長いが、非常に長い期間をかけて書かれている小説である。1969年、というから今から50年以上前に「週刊現代」で連載が始まっている。1970年に「第1部筑豊編」の単行本が発行された後、1980年の「第6部再起編」までは定期的に単行本の形で発行がなされている。その後、発行のペースがゆっくりとなり、1993年に「第7部挑戦編」、2016年に「第8部風雲編」、そして、2017年からは第9部に相当する「新・青春の門」の連載が書かれ、2019年に「新青春の門第9部漂流編」の単行本が刊行された。ネットで見ると、作者の五木寛之は、第10部の構想をインタビューで話しており、少なくとももう少し話は続くようである。
    私は高校生の頃に読んだ記憶がある。何部まで読んだかは忘れたが、少なくとも、この第1部の筑豊編、および、大学生活を始めた第2部自立編は読んだ記憶がある。今回、私の方も40年以上ぶりに読んでみた。
    私は筑豊ではないが九州出身である。私の故郷の方言と筑豊方言は異なる部分も多いが、そんなには遠くなく、懐かしく読んだ。本筑豊編では、主人公の伊吹信介の父親や母親の世代の登場人物には劇的なことが起こるが、信介自体には特に劇的なことは起こらない。思い切りの良い性格をしている反面、普通の若者の限界を超えるような経験はしていないし、それが物語として語られるわけでもない。しかし、それはそれで、「普通の」若者である大部分の人間にとって、ある種の共感を感じる部分もある。

    劇的な、手に汗握るようなストーリーではないので、すぐにでも続くを読みたい、という類の本ではないが、第2巻以降も、ゆっくりと読み続けていきたいな、と思わせる物語だ。

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    2022年02月12日
  • 捨てない生きかた(マガジンハウス新書)

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     親鸞、浄土真宗の話しは、JR上野駅公園口を思い出した。浄土真宗は子供が多く、食べる為に外に出る。
     捨てないでエントロピーが増加して死ぬのかな〜

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    2022年01月30日
  • 親鸞(しんらん) 激動篇(下) 【五木寛之ノベリスク】

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    京都の東本願寺、西本願寺、知恩院、六角堂、青蓮院、ゆかりのある史跡を訪れて、法然、親鸞の跡を訪れてみたいと思いました。5巻、6巻と、京都へ向けて何が起こるのか楽しみでなりません。

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    2021年10月30日
  • 親鸞(しんらん)(下) 【五木寛之ノベリスク】

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    親鸞として改名して越後に流罪として流されるまでが描かれている青春篇。面白くて一気に読んでしまいました。

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    2021年10月24日
  • 親鸞(しんらん)(上) 【五木寛之ノベリスク】

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    とても面白く読みました。はじめは、時代小説なのに文体は普通で違和感を感じていましたが、最後にはすっかりなれてのめり込みました。下巻が楽しみです。

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    2021年10月20日
  • 林住期

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    人生100年時代、4分割すると50~75才が林住期と。ある程度役目を果して迎える黄金期、人に寄って差はあれど本当にやりたかった事をやれる時期、色々考えさせられました。

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    2021年09月24日
  • 風の記憶

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    ネタバレ

     五木寛之「風の記憶」、2001.1文庫、1994.4刊行。作家の自画像、人間を探す旅、語りながら見えてくること、時分の花を読むの4部構成エッセイです。表紙は五木玲子夫人の「向日葵」、解説は村松友視氏。①直接会って肉声で教えを受けることを面授(めんじゅ)という。私は面授しか知りませんが、これからはオンラインが増えるのでしょうか・・・。②免疫とは風邪や怪我を自然に治す働きだけでなく、一個の人間の人格、自己を成り立たせる根源的な活動である。③人はみな大河の一滴。

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    2021年07月13日
  • 人間の運命

    購入済み

    希望の光を求めて

    作者が巻末に、過去の体験談を元に考え方の道筋を照らしてくださった気がした。心のどこかで読み手の私が求めていた言葉が見つかった気がして、少しだけ心が軽くなり、生きるヒント道筋に気付けたと思います。

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    2021年06月25日
  • 孤独のすすめ 人生後半の生き方

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    ●年をとると、どのように生きるべきか戸惑っている人が少なくないと言われます。
    ●本書はそうした人々に老いの現実を肯定的に受け止めて生きていく言葉を贈っています。孤独な生活の友となるのが、例えば本だと。読書とは、著者と一対一で対話する行為で、心強い友。人生の後半期は自分で登ってきた山を降りていく時期なので、景色を楽しんで下山することだと言う。
    ●確かに、リタイアした人の中には、仕事一筋でやってきた人ほど何かしていないと自分だけが取り残されたという不安に駆られる人が多いと言われます。私は、老いを気楽に受け止めて、現役より自由な時間が膨大に増えるメリットを活かして、好きな事をやれば良いと思います。社会への恩返しになるような事であれば、なお良いですが。
    ●一方、現役の人は自分の納得出きる生活を追求する事です。それには、時折は現状の棚卸しも必要と思います。

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    2021年08月01日
  • 生きるヒント ―自分の人生を愛するための12章―

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    人生は生まれた時から死へむかって1日ずつ接近してゆく旅。自分の五感(第六感も)を大切にして感謝の気持ちで過ごすこと。謙虚にそして自分を肯定しつつ。

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    2021年05月03日
  • 生きるヒント ―自分の人生を愛するための12章―

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    さくっと読める長さ。生きていくうえで、うんうんそうだよね、確かに、と頷ける内容や、新しい知見もあり、こう思っていたのは私だけじゃなかったのか!や、そうかこういう捉え方もできるのか、と考えながら読めた。

    以下読書メモ
    >>>>>
    ・〈よろこばせ上手〉は、自分を喜ばせることから始めた方が良さそうです。その結果として、他人に対してもひらかれた暖かい視線で接することができるのではないかと思います。

    ・ 知恵の悲しみ=知的に充実すればするほど、大きな悲しみを味わうことになりかねません。

    ・ 偶数と奇数と比べてみると、偶数は、割り切れて合理的で儒教に近い。奇数は、2で割ると必ず一つ残る。その一つ余った存在に気づき、受け入れるのが道教だというのです。本来、人生や人間の存在など、公式で割り切れないものばかりです。割って割り切
    れない存在を許容することが大切なのではないか。奇数に興味をもつことは、惑いの時代を楽しく生きていく上でのヒントになると思います。

    ・ 惑うというのは、実は、人間に与えられたすごい能力の一つなのではないかと思います。惑っている人間にしか見えない大事なものがあるにちがいない。惑って立ち止まった人間にしか、美も、真実も、見えないのではないか。

    ・ 真のユーモアの源泉は、哀愁である。 byマーク・トウェイン
    → この言葉は、私たちにさまざまなことを考えさせます。私たちが本当に明るく生きるためには、暗さを直視する勇気を持たなければならないのではないか。本当のよろこびというものを知る人間は、深く悲しむことを知っている人間なのではないか。

    ・アサガオの蕾は朝の光によって開くのでないらしいのです。逆に、それに先立つ夜の冷たさと、闇の深さが不可欠である、という報告でした。

    ・ ただ、私たちは、悲しむべきときに悲しまない人間にだけはなってはいけないと思うのです。暗いものを暗いと感じ、悲惨なものを悲惨と見、そして怒るときは怒り、その気持ちを率直に友人や家族たちにぶちまけて悲懺慷慨するような、そんな人間のありかたのほうが、魅力的に感じられるだけです。

    ・シャー・アッバス・ホテルというイランで最も古く最も美しいホテル

    ・農夫、漁民、山の民たちは、それまでは、物言わぬ砂のような大衆でありました。「物言えば唇寒し」で、ひとことでも危険なことを言ったり、お上の批判や悪口を言ったら、すぐに首が飛ぶ。ただ黙々と蟻のように働けばよいのだという長い習慣の中で、余計なことを一切言わない。実用的な用件以外に言葉を発することを忘れてしまった無数の人々に対して、蓮如は、まず、自分たちの念仏に関心のある人は集まれ、と呼び掛けます。村落の中の有力者や親切な人の家に、まず、みんなで集まりなさいと。朝は星がのこっているうちから働いて、日が暮れても働いて、家に帰ったうに倒れて寝るという生活をしている人たちに、それ以外の時間を持ちなさい、念仏をする時間を持ちなさい、法話、つまり信仰について語りあう場を持ちなさいと、しきりに言うわけです。その信仰を語りあう場というのが、「講」とよばれた組織なんですね。それによって牛馬のように働き、食べて、寝るだけだった人々が、田植えの時期をどうする、水の配分をどうするという実利的なこと以外の精神のありかたについて喋り合う場を持ちはじめるのです。集まり、そこで、宗教的、哲学的な、つまり、極楽とは何だ、本当に念仏の力はあるんだろうかとかいった、信仰について語り合うことをはじめたのです。

    ・ 私たち日本人は、〈喋る〉ということに関して十分になれていないし、まだまだ熱心ではありません。多く喋ることによって試行錯誤をくり返し、喋ったための失敗も重ねることが大切なのです。しかしその失敗の中から、やがて洗練された喋り手、深みのある喋り手として、私たちは成長していくことができるのではないか。そのためには、まず喋ること。人がなんといおうと喋ることによって人間は成長するのです。よきお喋りのできる女性こそ、魅力的な女性であると、ぼくは固く信じています。

    ・ 物を〈知る〉ということは逆にそれだけ悲しみが深くなったり、憂鬱さが色濃く感じられたりする、そういう感じも一面ではあるのです。〈知る〉ということは、じつは悲しいことではないか、つらいことではないか、ふっとそんなふうに思う。

    ・ 見てから知るべきである、知ったのちに見ようとしないほうがいい、という意味でしょうが、じつはもっと深い意味があるような気がする。つまり、われわれは〈知る>ということをとても大事なこととして考えています。しかし、ものごとを判断したり、それを味わったりするときには、その予備知識や固定観念がかえって邪魔になることがある。だから、まず見ること、それに触れること、体験すること、そしてそこから得る直感を大事にすること、それが大切なのだ、と言っているのではないでしょうか。

    ・実際にものを見たり接したりするときには、これまでの知識をいったん横へ置いておき、そして裸の心で自然に、また無心にそのものと接し、そこからうけた直感を大切にし、そのあとであらためて、横に置いていた知識をふたたび引きもどして、それと照らしあわせる、こんなことができれば素晴らしいことです。そうできれば、私たちのうる感動というものは、知識の光をうけてより深く、より遠近感を持った、豊かになることはまちがいありません。

    ・ 柳宗悦が戒めているのは、知識にがんじがらめにされてしまって自由で柔軟な感覚を失うな、ということでしょう。おのれの直感を信じて感動しよう、というのです。どんなに偉い人が、どんなに有名な評論家が、自分とまったく正反対の意見をのべていたり解説をしていたとしても、その言葉に惑わされるなということです。

    ・自分の感性を信じつつ、なお一般的な知識や、他の人びとの声に耳をかたむける余裕、このきわどいバランスの上に私たちの感受性というものは成り立たねばなりません。それは難しいことですが、少なくとも柳宗悦の言葉は、私たちに〈知〉の危険性というものを教えてくれます。

    ・しかし、できれば私たちはさまざまのことを多く知り、知る歓びの中に生きながら、しかもその知識によって惑わされないような、こういうと、言葉は矛盾しますが、そのふたつの難しさの中で、きわどいバランスをとって生きていかなければいなりません。勉強をすることは、大事なことです。本を読み、知識をうることは歓びです。もしかわりに、それが悪いことだとしても、人には何かを知らずにはいられない本能というものがあります。私たちは人間として、本来、知ることを喜ぶ気持ちを持っている。しかし、知ることの危うさ、知ることによって失うものの大きさというものにも気づかないわけにはいきません。このプラスとマイナスの、ふたつの極の間をさまよいながら私たちは生きているのです。つい、ため息が出てしまいそうですが。

    ・今でもチベットやインドのほうでは、山を聖なる山として崇拝し、その山の麓を、足で歩かずに、膝で尺取り虫のように進みながら何年間もかかって巡礼をしている人もいます。そんなふうに山を深く尊敬しているのを見て、何をやっているんだろうと笑う人もいるかもしれないけれども、ぼくはかえってそういう人びとに、ある崇高なものを感じたりすることがあるんです。

    ・空気や水はもちろんのこと、社会からうけるさまざまな精神的な養分、それに太陽の光や、あたたかさや、その他もろもろの資源を、目に見えない根を、この宇宙全体に張りめぐらしながら、人間は自分の命をささえ、そして生きつづけているのです。生きる
    ということ自体がじつは労働の所産であり、目に見えない努力がそこに払われている。そのことを考えますと、どのように生きるかということよりも、ただ生きてこの世に存在しているということ自体が、すでに驚くべき価値ある行為であるように思えてくるのです。

    ・生存していること、この世の中に存在していること、このことで人間は尊敬されなければならないし、すべての人は自分を肯定できる。人は己れの人生をそのまま肯定しなければならない。余力があれば、世のため、人のためにも働けるにちがいない。いまはただ、こうして暮していることだけでも、自分を認めてやろうではないか、と。そこから、本当に希望のある、前向きな人生観が生まれてくるのではないでしょうか。そんなふうに今、ぼくは人生というものを受けとめているところです。

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    2021年04月05日
  • 心が挫けそうになった日に(新潮文庫)

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    現代日本は識詞率が低いと書かれているのを読んで、はっと我に帰った。詩を詠むのは古臭い、分からない、難しいという意識が先行して詠まないが、五木さんの御本を読んで、詩の面白さがどこにあるのか、詩を通して異文化を知ることの魅力を感じることができた。
    詩を詠んだから何かが起こるわけではない。しかし識詞率が低いことで知らない詞の世界を知ることはできない。知らないことを知ることの面白さ、そのことの大切さを実感した。
    自分を異端児と捉えて日本人を見詰める五木さんの考え方から日本人はいかにのんびりしていて呑気なのか改めて気付かされた。難民の話が途中で出てくるが、情勢が目まぐるしく変わる今、難民の話を対岸の火事のように思っているようでは日本も世も末だなと感じてしまった、、、。
    何事にも新たな視点で考えること、知ることが大事だと気がついた。

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    2021年03月30日
  • 心が挫けそうになった日に(新潮文庫)

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    生きる力は日常の営みの中にある?
    そのささやかな触れ合いが、エピソードが自分を励ます。結局人との触れ合いなのかな。

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    2021年03月11日
  • 生き抜くヒント(新潮新書)

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     趣味は養生wとの五木寛之さん、「生き抜くヒント」2020.10発行、35のヒントが紹介されています。私のお気に入りは次の3つです。①三種の神器の変遷: 鏡・剣・玉→テレビ・洗濯機・冷蔵庫→パソコン・携帯・カード→あくび・ためいき・貧乏ゆすり(健康のためw) ②3Kの変遷: キツい・汚い・危険→高学歴・高収入・高身長→健康・経済・孤独(高齢者に大切なこと) ③コロナの時代: うつらぬ用心&うつさぬ気くばり。
     老いと病いを道連れに、ピンピンソロリに向かって、うつらぬ用心、うつさぬ気配り。石原慎太郎氏と同日生まれの五木寛之さん、今年90歳です。「生き抜くヒント」、2020.10発行、再読。①著者の養生は趣味、気やすめの遊びとか ②怖い転倒と誤嚥の予防は、すべての動作を(無意識でなく)意識して行うこと ③健康のための三種の神器は、あくび・ため息・貧乏ゆすり(理にかなってると思いますw)

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    2021年03月09日
  • 白秋期 地図のない明日への旅立ち

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     五木寛之 著「白秋期」、2019.1発行。百歳人生、50~75歳は白秋期。60代から始まる黄金時代。著者が振り返って、もっとも自分らしく生きることができたのが白秋期だそうです。健康、経済(お金)、孤独の3K(不安)を乗り越えて。著者が設定した道標は、コンパクトな生活、浪費しない、車の運転をやめる、粗食にする、自分本位の生き方をする など。健康、命、寿命に関しては、自分の体と仲良くいい関係をつくること。そのためには、いい加減に生きる、そしていい加減の手加減が重要と。また、深い呼吸を勧めていらっしゃいます。
     座禅、ヨガ、気功、太極拳・・・、すべて「深い呼吸」。本川達雄氏の「ゾウの時間 ネズミの時間」によると、哺乳類は一生に5億回の呼吸を。その観点からも「深い呼吸」を。

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    2021年02月18日