五木寛之のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ前半は越後編。
京の都から、恵信の故郷であり、且つ、叔父の統括する越後に流人として送られた親鸞。物語は新潟の浜での外道院との遭遇から始まる。ここから外道院と親鸞との不思議な親交が始まる。親鸞を警戒し、味方にならぬのなら除こうとする外道院、外道院から河川の権利を収奪せんとする役人側という展開。色々な権謀術数の中、不思議なことが多々起こり、物語は進む。その中で徐々に念仏者を増やしていく。その途中から流人としての罪を許される。
後半は関東編。
一方で鴨の河原で親しくした河原房浄寛改め香原崎浄寛に招かれ関東へ赴く。関東でも領主の政治的計らいから、布教に勤め、その輪を拡大していく。その間にも自己の存在や -
Posted by ブクログ
ネタバレ上下巻を通しての感想。
簡単にいうと幼い頃から、親鸞という名に至るまでの話。
後白河上皇、平清盛やら歴史上よく知られている人物が登場し、末法の世としてその頃の世情が描かれる。
そんな中、世俗の民と心安く語らい、ツブテの弥七や法螺房など無頼の徒と出会い、彼らと固く結ばれる。没落貴族の出である幼い親鸞が出家を決意し、比叡山に登り、座主に贔屓にされる中、仏教を極めようとするが、途中から聖徳太子に導かれ法然上人の念仏に帰依し、比叡山を去る。そこで法然からも格別の期待をかけられ念仏にを進化させて行く。途中、紆余曲折はあるものの、法然から受け継いだ信念を曲げずにひたすら突っ走って行く。
最終的に弾圧され、 -
Posted by ブクログ
ネタバレ親鸞が越後で流人として過ごし、そこを出て常陸の国で教えを広めるまでの話である。
人々は生きるために戦い、殺生を重ね、だましあい、争いあってその日を生きなければならなかった。世間で悪とされる行為を、だれが避けることが出来ただろう。そして、人々は死後の地獄を恐れた。無間地獄の恐ろしさを世に広めたのは仏門の僧たちである。生きて地獄、死んで地獄。救いを求めて仏にすがろうとすると、よろずの仏はみな、差し出された人々の手を振り払って去っていく。お前達のような悪人を救うことは出来ないと。去っていく仏達を見送り、呆然と立ちすくむ人々に向って、法然上人は力強く語りかけたのだ。あれをみよ、すべての仏達が去っ -
Posted by ブクログ
ネタバレ五木寛之 著「自分という奇蹟」、2015.9発行です。末期癌の患者さんに名医は3つのことしかしないそうです。①触る、絶えず触る ②痛みを聞く(自分の痛みのように感じる)どんな手段でも痛みはなくす ③褒める(その人の存在を認める) この本は「人間とは~」を語ったエッセイだと思います。冒頭、阪神淡路大震災、東日本大震災、アウシュビッツの話をされてます。そして生きていることの価値、今日生きている素晴らしさ、いかに生きるよりまず生きることと。確かに、生きている、それだけで奇蹟、そんな気がしてきました。
生きていることにまず価値があり、どのように生きたかなどは二番目、三番目に考えていいこと。生きてる -
Posted by ブクログ
ネタバレ五木寛之 著「新老人の思想」、2013.12発行、著者81歳の時の作品です。読み応えがありました。時代を超えて、永遠に変わらないもの、人間の欲、男女の情、人生の期限、そして生病老死。右を向いても左を見ても年寄りばかりという時代。どう生きるかよりどう死ぬかが問題となる時代に入った。60歳~90歳は、死をどう迎えるかと体のケアを。古稀とは第三の人生の前半の出発点であるにすぎない。豊かさとは何か、何を捨て何を残すか、自分のライフスタイルを貫ければ嬉しいですね。
老人の自立と独立を説いた書。五木寛之「新老人の思想」、2013.12発行、再読。 ①養生は大人のたしなみ ②後期高齢者への3つの難関は、 -
Posted by ブクログ
夫の本棚から選んだ一冊。
五木寛之さんの本は2冊目です。
たくさんの作品を書かれているのに、小説は読んだことがない。
1冊目も夫の本棚にあった【人間の覚悟】だったから。
五木さんの書かれるこの類の本がしっくりする年代に入ったのだと思う。
戦後の日本の発展は凄まじかった。
敗戦国でありながら、他国が驚くスピードでGDP世界第2位にまで登りつめた。
それが中国に抜かれ、じわじわと下降線をたどっているような実感がある。
登山と同じ、頂上を目指してただがむしゃらに登ってきた。
しかし、登ったからには当然、下らなければならない。
五木さんは、「戦後六十年の「登山の時代」が終わって、「下山」にかかる -
Posted by ブクログ
「孤独のすすめ」が面白かったので、こちらも読んでみました。50代は人生後半戦の準備期間。しっかりと気持ちと生活を切り替えて60代以降に備える。60代からいよいよ心身ともに思い通りにいかなくなるが、徐々に重荷を下し、70代は人生後半の黄金期、80代でいろいろと人生の精算をして、90代は体が動かなくても人生振り返りつつつ想念の中で過ごす。
100年ライフ時代では、惜しまれつつ去るという意識はなくなり、去ってあたりまえという認識になる。今よりも、孤独で去るという感覚が増すかもしれない。
まだまだ余生という感覚を持つには早いのだが、超高齢化社会を迎える日本の40代、50代はこのような意識を持ちつつ人生 -
Posted by ブクログ
五木寛之は、昭和6年生まれで現在85歳であるが、70代頃から自らの年齢に合わせて人の生き方に関するエッセイを多数執筆している。
本書は、2015年刊行の『嫌老社会を超えて』を再構成し、大幅加筆した上で書下ろしを加えたもの。
題名は「孤独のすすめ」であるが、全体を通して書かれているのは、副題の「人生後半の生き方」であり、原本題名に繋がる「嫌老社会」(老人を嫌悪する社会)を回避するための社会の在り方である。
本書から何を感じ取るかは、世代や現在の環境などにより異なるのだと思うが、知命を超えつつアラフィフとは言えない年齢に達した私としては、今後の自分の人生も想像しつつ、人生後半の生き方として以下のよ