五木寛之のレビュー一覧
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講座の内容を書籍化しているもので、すべて「ですます」の話し言葉で書かれてある。とても分かりやすく読みやすい。
有名な「悪人正機」など、思想そのものの解説などは、本書においてはほとんどない。あくまで著者が考える親鸞像を語るものだ。
お題は「人間・親鸞をめぐる雑話」であり、著者は何度も、自分はこう思います、こうではないかと推測しています、という風に言っている。つまり、親鸞について本当のことなんて分からない、いくつかの書物をもとに想像するほかない、というスタンス。
そのスタンスに共通するものとして、諸行無常、がある。親鸞その人だって、どんどん変わっていったし、矛盾もあるのだと。変わらない根本の思想はあるが、それでも「親鸞ならこう答える」といった断定は不可能であり、それをすると生きた思想ではなくなってしまう、と。
まったくもってその通りで、論理的で、普通のことだと思う。
でも、宗教と聞くとついつい「正解」がある気がしてしまうので、こういう語りを聞く(読む)と、まぁたしかにそうだよなと納得してしまった。
肝心の親鸞についてだが、著者はできる限り多角的に観察しながら、なおかつ自分はこうだと思う、と言う。その態度自体が、親鸞的、あるいは法然的だと感じた。
親鸞も法然も、「他の神仏を軽んずるな。だが私には阿弥陀如来だけだ」というふうな、配慮された言い方をする。この感覚は現代の我々にとても馴染む気がする。
あと、仏教と音楽の関連がおもしろかった。念仏を聴く集まりの描写は、もうそのまんま音楽フェスとかレイブみたいな感じだ。
インドとか中国とか日本とかいろいろあれど、どこも音楽的な伝え方を大事にしていた。念仏は音楽そのものだ。
親鸞は晩年、和讃をたくさん書いた。五七調の歌だ。日本においてはそれが演歌にまで影響を与えているし、憲法も五七調あるいは七五調がある。その地域に住む人たちにとって、"馴染む"からだ。
ちなみにインドでは八、八、八、八、というリズムが馴染むそうだ。
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ネタバレ大好きな姜尚中さんと五木寛之さんの対談集なんだから読むしかないでしょ。
5つの対談のうち,第1部は2008年~2011年。第2部は,東日本大震災後の2012年~2013年の『週刊朝日』に掲載されたモノ。第3部~第5部は「語り下ろし」です。
いずれの話も,お二人の深い思想の一端が現れていて,いろいろと考えさせられました。ま,どこかで読んだ話題もあるにはあるのですが,そんなことは気にならない。
特に相手の作品を挙げながら(あるいは第3者の話題で),話が進んでいくあたりがおもしろいです。ま,こっちはそれらの本の全部を読んでいるわけではありませんがね。
第5部は,入水自殺した西部邁についての話だった。保守論壇の有力な人物だったのに,なぜ…。中庸,鵺,というキーワードが心に残った。 -
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第56回(1967年)直木賞受賞作。戦後20年ほどの日本と東欧を舞台とした5編の短編集。
50年近く前の作品だが、先日読んだ『一度は読んでおきたい現代の名短篇』にて表題作が紹介されていたのをキッカケに手にした。
主人公の行動がとにかく熱い。時代背景もあるが、今読んでも濃い。
五木寛之の作品というと、『大河の一滴』の大河物語はまだしも『百寺巡礼』のように静かで心落ち着くイメージが強くいのだが情熱溢れる作品。そしてどれも短篇で終わらせたくないようなプロット。初期はこのような作品を書いていたとは思いもよらなかった。
ハードボイルド小説、ミステリ小説、青春小説、色んな要素をもった作品群だ。
新装版では、解説もまた熱い。まさに、噛まれた! -
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人生を4つに分けて考えます。
25歳までが「青春」
50歳までが「朱夏」
75歳までが「白秋」
100歳までが「玄冬」
人生100年時代では白秋期は晩年ではありません。
むしろ人生の収穫期であると、著者は言います。
その収穫期を実り多く過ごすためにどうするべき
か。人生の先達である著者に学ぶ一冊です。
例えば「定年後をどう生きるか」ではなく、
「白秋期をどう生きるか」と考えると、なぜか
大きな自由を手にいれたような気分になるのでは
ないか。
再就職で会社に居残るか、それとも新しい道を
行くか。人生の最大の選択期をポジティブに
捉えることができるのではないでしょうか。 -
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ネタバレ五木寛之の本はたぶん何冊か読んだことがあるが、本書は成熟した日本社会がこれからは人口減少、少子高齢化によって「下山」の段階にあると説いていた。確かに、日本は高度経済成長期のような、世界第2位の経済大国の時代を過ぎ去ったように思える。教育やIT、企業経営、政治など様々な分野で遅れをきたしているというニュースも良く見る。これからは中国やインドなど途上国と呼ばれた国がどんどん経済成長を強めていくと思う。海外の大学生は本当に話していてすごい優秀と思うし、日本人よりも勉強していると思う。これから日本が下山していく時代でどのように社会を形作る必要があるのか考えていきたい。
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ネタバレ人生に目的などはないが、他者と触れ合いながら自分の人生を一生懸命生きることによって、色々なことがつながってきて、生きる意味は後から理解できることなのかなと感じる。
対外的にいえば、世の中には色んな考えの人がいるから、個々人のキャパを広げ、それら凡ての人々を許し許されるようなあたたかい社会(世界)を作ろうね、という繰り返しなのかな人生は。
現実を受け入れ、自分を受け入れ、泥臭く生き、人も受け入れる。
"親鸞が辛辣な口調で徹底的に批判しているのは、そのような善人と悪人を対立させて区別する人間観なのだ。
人間というのは、本当は何をしでかすかわからないじつに不安定な存在なんだぞ、と彼は言っているのだ。良い人、悪い人、などという区別は無意味なことだ。どんな人間でも、いつ、なんどき恐ろしい極悪人になるかもしれない。虫けら一匹さえ殺さずにきた者が、突然、殺人者に変わることだってあるのだ。悪心を抱きながら、なぜか人を助けてばかりいて、世間からりっぱな人だと感心されたりもする。
人間は思うにまかせぬ不安定な存在なのだ。良く生きようと切に願いつつも、犯罪者として刑務所の塀のなかで一生の大部分をすごすような人生もある。そのやさしさのゆえに、他人から利用され、泣きながら暮らさなければならない人もいる。どれほど愛しても、どれほど尽くしても、相手に心のとどかぬこともある。親を殺し、子を殺し、みずからをも殺す者もいる。
そのような者たちを、他人ごとのように扱ってはいけない。指さして嘲り、なんと業の深い連中だと目をそむけたりしてはいけない。必ずしも努力しなかった者だけが世の中からはみだし、沈んでゆくのではない。〈運命〉と〈宿命〉の交錯するなかで、人間は浮きつ沈みつ流れてゆくのだ。
自己を信じて努力する者が成功する。反対に努力しなかった者が失敗する、それは世間の考えかただ。信仰というのはそうではない。善をなさんとして悪をなし、悪をなさんとして善をなすことも、人間にはある。"