五木寛之のレビュー一覧
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今年のはじめ、飼っているペットが亡くなりました。こういう日が来ることは、もちろんあらかじめわかっていました。この子がいなくなったら自分はどうなってしまうんだろう。そう想像したこともあります。しかし、そのとき私に訪れたのは、不思議に落ち着いた気持ちでした。それは、「こんなときだからこそ、この子のためにもしっかりしなくちゃ」と自分で自分を励ましたのではありません。悲しさよりも、「もうあの子はいないんだな」という淋しさがありました。そして、とにかく目の前のことをひとつひとつやろう。そういう気持ちになったのです。
その瞬間ふと頭に浮かんだのが「他力」という言葉でした。私の中で、がらりと世界が反転するのを感じました。私はそれまで、自分がその子のお世話をしてあげていると思っていました。しかし、それは逆だったのです。その子が私に、ご飯をあげたり、遊んであげたり、トイレの始末をしたり、そういう役割を与えてくれていたのです。そうすることによって、私にかけがえのない時間をくれたのです。それと同じように、私は「生きている」のではなく、もっと大きな力によって「生かされている」。そのことに気づきました。そしてこの本を手に取りました。
他力はもともと仏教(浄土真宗)の概念です。しかしこの言葉は、他人を当てにした怠けや甘えの姿勢という、本来とは違った意味で使われてしまっています。けれどもこの本は、他力という言葉の本来の意味、正しい使い方を説いたものではありません。もっと広く、勇気を持って言えば世界にも通じるような、新しい言葉として命を吹き込もうとしています。
著者の『他力』がアメリカで出版されることになったとき、非常に強い抵抗に遭ったことが書かれています。アメリカは自力を絵に描いたような国です。彼らの建国そのものが自力思想の上にあるといっても過言ではないのですから、他力などとても受け入れ難いに違いありません。しかし、アメリカは熱心なキリスト教の国でもあります。彼らはある意味われわれ日本人よりも信心深い人たちです。キリスト教の人たちは困難にぶつかったとき、「神が与えた試練」という言い方をすることがあります。この「神の御心」「神の思し召し」こそ、他力にも通じる考え方ではないでしょうか。
「自他一如」という言葉があります。これは「自力も他力も結局は同じことだ」とか、「同じものを反対から見ているだけだ」ということではありません。自力の及ばないところに他力があり、他力を知ることによって再び自力が生まれてくる。そのような円環ではないか。本書には次のように書かれています。
「他力とは自力の反対のことではありません。自分で意識してそれを求めるものでもない。求めると求めないとにかかわらず、いつしか私たちの存在を包みこむ力なのではないでしょうか」
まさにこれは、私がペットと別れたときに感じた不思議な落ち着きの感覚そのものでした。気づいたとき、私はもうその中に包まれていました。ペットの死は自分の力ではどうすることもできない。しかしどうすることもできないと悟ったときに、自分のやるべきことが見えてきたのです。
現代は自力を善しとする世界です。それは支配から逃れるために必要な考え方だったに違いありません。ある時代にはそれが歴史を動かす大きな力になりました。けれども、「自力の及ばないものがある」ということさえ認めさせてもらえないのだとしたら、それはなんとも生きづらい世界ではないでしょうか。何事も自分の責任において判断・決定・行動し、その結果もすべて自分の責任に帰する。そうして独りよがりな人間が蔓延る一方で、自分の責任の及ぶ範囲のことしかやらない後ろ向きな人間で溢れている。著者が「他力」という言葉を21世紀のキーワードとして再生させたいと考えた気持ちは非常によく理解できます。 -
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無数の病をかかえつつ、50年病院に行かない作家が徹底的に研究し実践しつくした、常識破りの最強カラダ活用法、満載。【目次】
第1章 不信と不安の時代に折れずに生き抜く知恵(健康は人生の目的;「身体語」をマスターする〜
第2章 私の「気やすめ」養生法(私はこんなふうに養生につとめてきた;非常識といわれても〜
第3章 私の実感的養生法(できるだけ病院にいかないという生きかた;きょう一日の養生を考える
第4章 腰痛との長い付き合い(腰痛が訴える命の悲鳴;腰痛かかえて東北紀行〜
第5章 私が感じる素朴な疑問(ストレスは本当に悪玉か?;現代はストレスが激化しているのか?
私自身の体験と偏見による養生の実技100 -
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御年九十歳になる著者、五木寛之さんは九十歳の壁を「直撃せずに 迂回する」 「よじ登るのではなく回り込む」と知恵のあることを仰っています。そんな五木さんでも「加齢の難しさは、全身くまなく 均一に衰えるのではなく各所バラバラに変化していくことにある」そうで、変形性ひざ関節症を抱えて今は杖の生活とのこと。そうであったとしても、九十歳で明瞭な文筆活動が出来ることに驚きです。作家を生業(なりわい)としてきた人の脳は衰えないのですね!
六十五歳で大好きな車の運転をやめた著者。懸命ですし、柔軟です。運転は「できるけど、しない」という一つの美学を感じます。「要するに老人は〈邪魔をせずに〉生きていけばいいのだ。 それが自然のあり方なのだ」と。その言葉には達観した境地を感じます。
戦中、戦後を経験した方なので「国家がいざとなれば 国民に対してどんな非道なこともできる」というのを身をもって知った最後の世代がおっしゃる言葉は含蓄があります。手を洗う習慣が無かったのも過酷な時代を生きてきたからだと。もちろん今は新型コロナウィルスの影響で習慣づいたそうです(笑)
この本のタイトルの、羨ましいボケ方の処方箋が書いてあるわけではありませんので、読んだ方はがっかりするかもしれませんが、人は、必ずボケる。ならば「ほんわか と少し緩んだ感じにボケる/人に好かれる ボケ方をする/世の中を明るくするような楽しいボケを目指す」のがテーマだと。すなわち、ここで答えを出さない。これから100歳に向かって五木さんが生きていく姿勢がこのタイトルの答えなのでしょう。
「体は枯れても、心は枯れない。その不自然な矛盾が高齢者の生き方を厄介なものにする」‥と。枯れない心を抱えていることは幸福ではないのでしょうね。老いてのちも楽ではない百歳人生の荒野。「青年だけが 荒野を目指すのではない。 老人の行く手にもまた荒野が広がっている」と言いながらも、湿っぽくならなずに、ぺこぱ の漫才のようにツッコミと見せかけてフォローする、九十歳のつぶやきが、ゆるく優しいエッセイです。
シニアの方にお勧めの本だと思います。
【目次】
九十歳の壁を回り込む
間違いだらけの人生だ
寒さ暑さも還暦まで
下を向いて歩こう
ゆっくりした ボケかた
加齢は各所 バラバラに進む
人間の体は奥深くて面白い
こども 庁より「ひさ、こし庁」
運転できるけどしない
人はどんな事態にも慣れる
「はい、はい、お先にどうぞ」
無理をしないで ボチボチと
言葉の渦に流されながら
ながら 養生法のすすめ
マスクの捨てがたい 効用
男たちに覚悟はあるか
明日 どうなるかはわからない
きたるべき超インフレ時代
単身 社会の幸福とは
一瞬の出会い、 忘れぬ記憶
変わる時代と変わらぬ 意識
思いがけない不意の涙
百年人生の荒野を行く
「死」は思索から現実へ
記憶の海に漕ぎ出だせば
ようやく「禿」の仲間入り
体は枯れても、心は枯れない
もはや、こわ いものなしですな
出口はどこかにあるものだ
卆寿 にして知ること
風雨 強かるべしと覚悟する
明鏡止水いまだ遠し
極楽浄土という世界 -
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大阪は商売のまち―というのが現在の我々の認識だろう。しかし、大坂~大阪は宗教都市として発展してきた歴史がある。
大阪を南北に貫く大動脈「御堂筋」は、もともとは北に津村御堂、南に難波御堂という2つの寺院を結び付けていたことに由来する。また、道頓堀にかかる橋は戎橋や大黒橋など、神様たちの名前がつけられている。当初は大坂と呼ばれていたが、土に返るという字を嫌って大阪と改められたという。
16世紀に蓮如上人によって築かれた石山本願寺は、いまの大阪城の建っている場所にあったとされる。その周辺に寺内町と呼ばれる都市が形成されていき、現在の大阪の原型が出来上がった。寺内町には全国から訳ありの多様な人々が集まり、商業から文化芸能に至るまで、大阪を形成する要素が宗教都市のフレームの下に成立したのだ。
その後織田信長との10年に亘る戦闘を繰り広げ、信長と秀吉はこの大阪の活力を楽市楽座や河原者を文化人として扱うといった形で自らの経済力に吸収していった。結果として、徳川幕府のような東国の封建文化とは異なるフラットかつ闊達な大阪という独自の都市が形成されていった。