五木寛之のレビュー一覧
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ネタバレ豊昇龍、優勝と大関昇進、おめでとう!「君が代」の前に「モンゴル国歌」を演奏して欲しかった!国技だから君が代はわかる。でも、外国の力士を認め、その力士達が頑張り優勝したのだから、優勝力士の国歌を演奏しその栄誉を称えるべき!相撲協会に猛省を促します! 昨年卒寿を迎えた五木寛之さん「うらやましいボケかた」、2023.3発行。医療の専門家は「できるだけ歩け」と言う。その一方で「無理をしてはいけない」とも言う。氾濫情報の中で数千万人は立ちすくんでいる。こども家庭庁もいいが、ひざ・こし庁でも新設したらどうかw 数千万票が政府与党の支持に回ることはまちがいない。
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巧妙な物語。1966年。ソ連は、言論統制が敷かれていた。Q新聞外信部記者の鷹野隆介は、新聞論説主幹の森村から、社を辞めてソ連に行き、アレクサンドル・ミハイロフスキイの未発表の長編小説を密かに入手することを命じられた。この命令自体がかなり危ない。それを鷹野は引き受けることに。
ユダヤ系市民の3代に渡る家族の物語は、ソ連では発表できない。これを持ち出して、西側で発表する。そして、鷹野はミハイロフスキイの家に訪問するが、ミハイロフスキイの妻に拒絶される。
困っていた。キーロフ劇場に行ってみようとして、劇場でオリガとあった。オリガは強引に席を譲れという。それで譲ったら、劇がおわってから誘われる。そのままいい関係になってしまう。
オリガはミハイロフスキイの仕事を手伝っている学生だという。とんとん拍子に、ミハイロスキーの本を手に入れた。題名は『蒼ざめた馬を見よ』だった。西側で発行することで、賞賛を浴びる。
ところが、ミハイロフスキーが逮捕されたというのだが、全く別人だった。その作品は偽物だったのだ。ソ連には自由がないということを見せつけ、言論統制されているということを見せつけるための作品だった。
鷹野は、戦争の引き上げの時に、朝鮮にいて、死者を焼く日が決められていた。「焼き日ですよ、焼き日ですよ」という声が、耳元で聞こえるのだった。
当たり前だと思い込んでいたことが、仕組まれていたことを鷹野はしる。さすが、直木賞をとっただけある。言論の自由とは何か? -
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本書タイトルの「孤独」というようりも,本書の元となった単行本のタイトルに使われていた「嫌老」という言葉の方が,より心にずしりとくる内容の本でした。
「嫌老」という言葉は,著者の五木さんの造語で,今,ATOKで変換しようとしたけれでも,まだ変換用の辞書には入っていないようです(でも,嫌韓なら,すぐに変換できる)。そのうち,嫌老でも変換できるようになるのが,ある意味,怖い社会になってきたということですね。変換できなくてよかった。
さて,この「嫌老」。少子高齢化社会が生み出す新たな階級闘争の原動力となるのではないか…五木さんはそう危惧しています。元気なくせに働きもしないで年金で暮らしている裕福な老人。一方では,なかなか正社員にさえも慣れずに,いくつもの仕事をこなしているのに,生活にゆとりが出ない若者社会。この2極分化は,もう始まっているのかもしれません。
そこで必要なのは「元気な高齢者ははたらきましょう」「社会に貢献しましょう」ということになります。それこそ,高齢者の生きがいにもなるでしょう。ただ趣味で時間をつぶすだけではなく,何か,賃金をもらえるようなこともやりながら,老いていく。下山の思想は,そういう高齢者の働き方改革でもあるのでしょうね。
下山,孤独,嫌老,そして,非断捨離,どれもこれも,高齢化社会を見つめるための面白い視点です。 -
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2016年に出版。なにゆえ、五木寛之は人生をかけて『青春の門』を書くのだろうか。
伊吹信介という筑豊生まれの若者の限りない好奇心の広がりを時代に翻弄されながらも、なにをしたらいいのか?悩む信介が、頼もしい。時代は、1961年、日本は復興の道をひたすら走っている。
北海道から、奈良に向かう信介。和辻哲郎の『古都巡礼』に導かれながら。海外に行こうと思ったから、余計日本のことを知りたくなっている。そして、ハーレーダビットソンに乗せられて、牧オリエのラジオの公開録音を聞きに大阪に行く。牧オリエが大きなプロダクションに入ったことで、脚光を浴びるようになる。信介は、オリエに会いたいと思ったが、オリエのマネージャーの懸命に「会わないでくれ。いまだにオリエは信介のことが好きだから」と言われる。時代を変えるような歌手になる。そのような逸材を大切にしてほしいと懇願される。このマネージャーの真摯さがいい。オリエの未来を見ている。オリエの信介宛の手紙が披露される。
函館に戻り、パスポートなしにハバロフスクに向かう。それも、銀座2丁目の娼婦のカオル、右翼の大物影之原隆元、ルポ船の親玉、岩本、公安警察の安川、元新聞記者の西澤、ジョンと襟子という奇妙な団体による密入国。いかにも、怪しさ満々の一行だ。
西澤の友人だった伊庭は、死んだと思われていたが、ハバロフスクで伊庭と出会う。
伊庭は、ハバロスクにいる理由があった。モスクワから離れたハバロフスクは、その近くで原爆の実験さえも行われていた。それが、日本人捕虜のシベリアの強制労働の歴史と死が深く眠っている。
その一行は、パーティに招かれ、スミルノフ将軍からはシベリア地区の分離独立の企てを手伝えと言われる。ふーむ。シベリアの独立って、あるのか。ロシアの知らない部分が突出する。伊吹信介は、ウォッカの飲み過ぎでぶっ倒れる。けっこう、カワイイのだ。
そういう信介に、恋心を抱く17歳のアニョータ。父親が日本人である。アニョータは、信介の布団の中に裸で侵入する。そして、鳩の声のような嗚咽を漏らす。信介は、オリエ、襟子そしてアニョータと渡り歩く。素朴な男は、モテるのだ。有名だったら、周作くんのように文春砲でいじめられそうだ。まぁ。結婚していないから自由だけどね。信介の軽さもいいなぁ。据え膳食わぬは、日本男子の恥なのか。それにしても、カオルは、エセーニンの詩を歌うとは。五木寛之の心得たツボ。
信介は農場の手伝いをし、馬の世話を焼き、アニョータに、徹底的にロシア語を教えられ、アニョータとヨーロッパに向かう。襟子は、娼婦をしていたおばあちゃんの故郷に向かう。それにしても、伊吹信介、どこに行くのだ。漂流する中で、日本人であることを自覚する。 -
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物語は昭和35(1960)年。水原弘 黒い花びらという歌が流行っていた頃。伊吹信介。25歳になった。舞台は、北海道の江差。風が強く吹く街で、伊吹信介は青春をする。
1980年に第六部再起篇が刊行された。それから、間を置いて1993年に、第七部挑戦篇が刊行される。
五木寛之は、ライフワークにしている。1932年生まれなので、1993年は五木寛之61歳である。
その長い間の休みの間があっても、『青春の門』の雰囲気は変わらない。伊吹信介は、前向きに生きようとするが、成長はしていないような気がする。この挑戦篇、688ページもあるのだ。
伊吹信介は、トミ子の依頼で、トミ子の父親、アーナキストの丸谷玉吉の遺骨を北海道の江差の鴎島の海にばら撒こうとする。
伊吹信介は、高校生の立原襟子に出会うことで、恋に落ちる。立原襟子はロシア人の血が4分の1流れている。母 立原百合江は、バー「トスカ」を経営する。ジャズに詳しい。ロシア人の血が2分の1流れている。トスカは、ロシア語で「心が萎える」という状態で、「ふさぎの虫」と訳される。普通のトスカなら恋に生きると言う意味を持つが、五木寛之は「ふさぎの虫」と言う。百合江は、奔放で繊細。このふさぎの虫で自死行為をする。
伊吹信介を追いかける全学連の下部組織全文工に所属するの岸森猛志。岸森は、組織のお金を持ち出したと言う疑惑で伊吹信介をおう。二人は、鴎島で海に落ちそうになるところを海野に助けられ、丸谷玉吉の菩提寺である正覚院に居候することになる。岸森は、バーに通い、立原百合江と恋仲になる。岸森は、全文工の奴らに、組織を抜け出ると言うことで、査問を受け、目にタバコの火を突っ込まれ失明の直前にまでいく。査問という事で陰惨な暴力行為は許せない。百合江は岸森を大切にする。
正覚院にいるオーストラリア人のジョンは、北前船の研究をしている。北海道江差は、北前船の港だ。このジョンは、知識が深い。ジョンのおかげで物語の深みが出る。世界をバックパッカーで歩き回り、フィンランドにいるときには、イギリス情報員の手伝いもする。ロシアの諜報を手伝う。また、丸谷玉吉は、若いころエスペラントの普及に従事していた。エスペラントの歴史にも深い造詣がジョンにはあった。そういえば、エスパラントって昔あったね。現在は、AIによる自動通訳の時代。感慨深い。
なぜエスペラントが、広がらなかったのかの考察がよくされている。
ジョンは、信介に「あなたは一度日本を出てみるべきです」と言う。信介は、そうだと納得して、ロシア、ハバロスクに行くことにする。五木寛之の海外のイメージは、ロシアなんだね。中国、東南アジア、アメリカではないところに、五木寛之らしさが出る。
信介は、短期間で海外へ行く資金を確保するために、札幌で出会った新聞記者の西澤。正義感が溢れているが、新聞記者をやめて、やばい仕事をしている。北方領土問題は、意外とわからないものがある。そこに、お金の匂いがあり、右翼の大物の影之原隆元、公安警察の安川などが入り乱れてくる。伊吹信介は、西澤を頼る。ひょんなことから、カオルにも出会うことに。伊吹信介の周りは、西澤、カオル、ジョンなど怪しい人でいっぱいである。カオルが娼婦と言われるが、その知的水準は高い。ミステリアスな女だ。
どういうわけか、伊吹信介を中心にして、立原恵理子、西澤、カオル、ジョンたちのグループではバロスクに行くのだ。不思議な人の集まり。伊吹信介は、ソ連へ渡り、シベリアを横断し、ザメンホフのいたポーランドへ行こうと思う。 -
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ネタバレリチャード・バックの本は、読み始めるとたちまち辺りに静謐で夢の中の様なふわふわとした浮遊感に包まれる感じがして、プロペラ機で1人空を飛行している時はきっとこんな感覚なのかな。と夢想してみたり昔からとても好きなのだが、最近になって第四部があった事を知り今回初めて完成版を読んでみた。
不思議な世界のカモメの話は、人間社会に生きる私たちがその意味を考えるうえで示唆に富んだ内容ではあるけれど、第三部までは童話(?)寓話(?)的な世界観の色が強く、説教くさく感じないまま物語は終わるという印象を持っていた。
第四部ではジョナサンが会得した飛行技術や「カモメとはどんな存在か」を若いカモメ達に教えていく中で、やがてジョナサン自身が神格化され、本質であるはずの飛行技術を学ぶ者や自分とは何者かを考えるものがいなくなっていく。
きっと仏教やキリスト教も、はじめは「隣人に愛を持って接する」とか「家族を大事にする」とかシンプルな事が本質であったはずなのに、誰が何を言ったかとか教義の解釈の違いとか、本質的ではない物事で人々が分断されていく事を示唆しているように思う。
第三部までの構成では「星の王子様」的なファンタジーなお話の印象が強いが、第四部を含めると人間社会とリンクする部分も相まってフワフワとした読後感の心地良い感覚が少し薄まる気がして、そこがイマイチという感想もよく見かける。
けど、この完成版の方が物語全体としては起承転結がはっきりしていて分かりやすく、個人的には「アリ」かなと思う。