五木寛之のレビュー一覧
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比叡山を飛び出し、法然のもとへと走った範宴は、綽空と名を改めることになります。彼は、弁才とともに病人の治療に当たっていたときの彼に手巾を渡してくれた紫野という女性に惹かれていきます。
しかし、やがて紫野は病を得て故郷へと帰ってしまい、彼女の代わりに紫野の妹の鹿野という女性が彼のもとへとやってきます。範宴は、鹿野が彼に寄せる想いに気づきながらも、紫野への思慕を断ち切ることはできません。そんな範宴の態度に傷つけられた鹿野は、彼の兄弟子である安楽坊遵西という僧のもとへと走ることになります。
範宴は、やがて法然の厚い信頼を得るようになりますが、兄弟弟子の間には、そんな範宴に対する妬みがくすぶっていきます。そんなある日、範宴は遵西から、一つの提案を持ちかけられます。彼は、法然の教えを広く世の中に伝えるため、事件を引き起こして、法然の態度をもはや旧仏教徒の対決が避けられないところに追い込もうと画策していたのです。彼は、かつて「六波羅王子」と呼ばれ、現在は「黒面法師」と名乗っている伏見平四郎と手を組み、寺に火を放ち禁裏に攻め入る作戦を立てます。
綽空は、遵西と行動を共にすることはできないと彼の誘いを退けますが、遵西は鹿野を人質にとって、綽空に決断を迫ります。彼は紫野とともに鹿野のもとへ向かいながら、黒面法師のような五逆十悪の者たちに呼びかけるためには、法然の教えをいっそう突き詰めていくことによるほかないと考えます。
後巻もドラマティックな展開を孕みつつ、法然の教えから親鸞が何を受け止め、それをどのように突き詰めていったのかが解き明かされています。「生」についての教えに偏り、「浄土」の持つ意義が薄くなっているのではないかという疑問もありますが、歴史小説という枠組みの中で親鸞という人物を見事に造形化した作品だと思います。 -
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『他力』(講談社文庫)や『蓮如』(岩波新書)などの著書があり、浄土教に造詣の深い著者が、若き日の親鸞をえがいた小説です。
のちに親鸞となる忠範少年は、八歳のころに両親をなくし、伯父である日野範綱の家に引きとられます。ある日彼は、馬糞の辻でおこなわれる「競べ牛」の見物に出かけ、河原坊浄寛という聖や、ツブテの弥七、さらに法螺坊弁才といった、個性の強い男たちに出会います。さらに、日野家の召使いの犬丸から、忠範には彼の祖父・日野経尹と同じ「放埓」の血が流れていることを教えられます。
そんなある日、犬丸が「六波羅王子」という異名をとる伏見平四郎に捕らえられるという事件が起こります。浄寛たちとともに六波羅王子の屋敷に向かった忠範は、戦いの末、犬丸を救出することに成功します。無事に忠範と再会した犬丸は、後白河法皇の命を受けて世間の動きを探っていたことを明かします。そして忠範は、犬丸の推挙を受けて、仏門に入り比叡山の慈円のもとで学問と修行をすることになります。
忠範は、慈円から範宴という名前を授かり、やがて吉水の法然の説法を聞いてくるように命じられます。そのとき、まだ範宴は、法然の教えを受け入れ彼のもとに推参する期が熟していませんでした。しかし若い範宴は、自分のめざす学問と修行は、浄寛たちのような闇に生きる人びとに救いをもたらすのだろうかという悩みをいだくようになります。そんなある日、弁才と再会した範宴は、弁才が病に苦しむ貧しい人びとのために尽くしていることを知り、自分の進むべき道について考えを変えることになります。
前巻では、若き日の親鸞の苦悩が描かれています。ストーリーそのものもおもしろいのですが、ここからどのようにして、親鸞の宗教的な思索が織りあげられていくのかということが、一番気になります。 -
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ネタバレ下降、下山してゆく時代であるこの現代で
うまく生きてゆくための、
二元論、2つの間、二分法の選択に囚われない偏らない、自力でも他力でもない
「無力」という言葉から等の著者の考え方。
とらわれない、融通がきく、柔軟な心。考え方など。
本書では語られていないが、老荘思想に近いモノではと感じた。
第七章の楕円の思想(の紹介)が個人的に非常に新鮮であった。
第八章末の、
「絆が叫ばれながらも、実は絆から外れるような時代に入っている。
そのことを、あらためて覚悟すべき時代が目前にせまっているのです。」
という部分の鋭い指摘に非常に同意。
簡素な文の本だが、逆に読み終えた後の無意識的影響が強く残り、
結果的に心の偏りが矯正された感じ。 -
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親鸞自身が なかなか 悟りを開くことができないことを
自分の業が深いと思っている。
また、女性に対する想いが強く 煩悩を断ち切ることが
できないことも、親鸞をなやませる。
『放埒の血』になやむ。
じつに 人間臭い のである。
仏に つかえる身 であり、仏に 解脱することが
修業であるが 苦行を通じてしか生まれない。
一種の狂信的な行為が 必要なんだね。
基本もしくは 原点で素直に悩む。
『仏とは?』
この問いかけが 親鸞の原動力となる。
範宴は、釈尊に出会うのではなく
聖徳太子に 出会うことが 面白いな。
鹿野に対する 態度に対して
サヨが手酷く しかる ところは、
さすが オンナの目が したたかでもある。
お経とは 声を出して 読むもので
良い声,悪い声というものがあるものだ。
安楽房遵西は、イケメンであり、声がいい。
詠い方は独特で女子を引きつける。
今様、和讃。
ワクをはみ出て はじめて 新しいものの創造が可能である。
親鸞は 自分が満足しなかった故に、
自分を窮地に追い込むことで 切り開いていく。
先人である 法然が すごいんだね。
忠範 範宴 善心 そして 親鸞への 4度名前がかわる。
紫野が 労咳 となり、信心して なおし 恵信 となる。
そして,再び会うことで 範宴は こころの安寧をえる。
法然上人から 善心は 若くして 信頼を得る。
そして、後鳥羽上皇の怒りにより 法然上人 親鸞とも流刑に。
法然上人は 土佐へ 親鸞は 恵信の故郷 越後に 流刑になる。
親鸞の物語も こうやって 小説になると親しみやすいものだ。
親鸞の人となりが 人間臭いが それでも 前に進もうとする
決意が 尊いのだろう。 -
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少し前に読み終わっていましたがレビューを書いていませんでした。
私が学生の頃、五木氏はすでに中年の域に。作家ってこんな感じの生活をしているのか、と思いながら氏のエッセイを読んでいました。
「髪なんか洗わなくても問題はない。フケも出るのは最初のうちだけ、あとはツバをつけておけば形は保てる」
なんてくだりを読んで、えええっ、と思った記憶が。氏のエッセイ、ほとんどのタイトルに「夜」という字が入っていたのも印象的でした。
それが「林住期」などどう老いるか、どう死んでいくか、という分野の本を書き始められ、「衰え」ることとは?を意識するようになりました。
いわゆる健康本みたいなタイトルで五木氏の本を読んだことがない人も手軽に手に取れるのではないでしょうか。
食、呼吸、などなるほど、という点がいっぱい発見できました。 -
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オリエは、歌手を目指して、生活を始める。
作曲家の家に住み込みで、レッスンを受けるが、ていのいい女中だった。
そこで、宇崎秋声にあう。
宇崎は、オリエの歌の中に何かがあると思い、応援することに。
この飄々とした姿。そして、戦争への深い反省。
そういう人もいるのだね。
生命のある歌と生命のない歌。の違い。
新宿で、竹田という男に絡まれるが、
それが縁で、自堕落な生活を始める信介。
ダメな人間として、自分を認識する。
先が見えないのだ。
塙竜五郎が怪我をしたということで、九州に帰る。
塙は、めっきりと老いていた。
長太はおらず、春男が中心だった。
お金が回らない状況だった。
九州に行く汽車の中で 山本というルポライターにあう。
彼が、語るゴーリキー論がいい。
劇に関しては、深く語れないが、文学については、
五木寛之は、深い洞察がで来る。
そんな時に、織江と会う。織江は、高見沢タエという名前で、歌っていた。
プロレスの興業をする。それは、織江から、宇崎に紹介された
花田がとりしきった。花田の弟子の清川が、プロレスを成功させる。
そして、塙竜五郎は、死んでしまい、信介と筑豊を結ぶものは、
織江だけとなる。
信介は、中途半端な自分に嫌気をさす。
カオルと中井の睦まじい姿が、
オリエと信介に影響を与える。
事故にあった信介が、転機をむかえる。 -
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誠実に 自らの行くべき道を模索する青年の姿。伊吹信介。
生くべきための自らの思想の確立を求めて
あらゆる経験を得ようとする。
プロレタリアートという言葉の響きによって、すべてを覆い尽くそうとする。
大学が大学の本来的機能として存在するのではなく
青年の人間集団としての存在。
価値ある生き方への模索。
共産党員の経験を持ちながらも、家族への失意、愛への失意
など 不明確な失意に彩られながら
カオルという女性にあうことによって、激しく変化し、
新たな出発を期す人間。
青年のくぐる門は どこにあるのか。
青年としての体験、性であり、失意であり、誠実さだった。
現実の社会を傍観的に見ながら、
その渦にまきこまれず、人の生き方として描く。
価値なき価値ある人生への確かなものへの模索。
(再読)
信介という個人に、スポットライト。
宮本輝の流転の海は、松坂家族というものを、描こうとしている。
時代の流れもはっきりしていて、時代小説となっている。
青春の門 自立篇 を読みながら,何かが物足りない。
時代の流れが、信介の心象のなかで流れている。
それが,実に単純なのである。
信介の女性の間でゆれ動く心境。
英子、カオル、オリエ。
それにしても,オリエは劇場型純情派なんですね。
石井講師とであい、科学的なボクシングの訓練を受けるが、
どうも,中途半端だね。お試しコースということなのか。
石井講師の彼女とのなれそめや結果は、淡雪のようでもある。
信介はどこまでもおせっかいである。田舎の人間の良さなのか。
そして,カオルと意気投合するのである。初恋の人に似ていたということであるが、
石井が踏み切った理由もよくわからない。
どうでもいい と思ってしまうところに、一つの表現がある。
ふーむ。それではねぇ。
そういうのが、つまらなくしているのか。単調すぎる。
梓先生にであうが、あまりにも,ドラマがなさすぎる。
自分で生活を維持するということを成し遂げようとする信介は偉いと思うが。 -
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この本のタイトルですが、「むりょく」ではなく「むりき」と読みます。80歳になった五木寛之さんの本ですが、先行きのはっきり見えなくなった現在においては、必要な考えと思いました。
「むりき」とは、物事に白黒をつけるのではなく、どちらにもつかず不安定さを肯定する事を意味しています。要は物事にはグレーゾーンがある事を理解し状況に応じてどちらの側にもつけれるような物の見方をする事が必要だとの考えです。
考えのブレナイ人は尊敬されがちな世の中ではありますが、ひとつの価値観で物事を正常だ異常だと仕分けする方が間違いであり、人間はむしろブレがあるのが当り前であり、時代の流れと共にブレル事こそ「生きる」事ではないかと述べられています。
日本は少子高齢化や経済成長の行き詰まり等、登山で言えば下山の時期に来ている。下山の時期にはひたすら上を目指した頃には気付かないものも見えてくる。そして登山とは下界まで無事降りて初めて成功と言える分けで、下山の時期にどう生きるかもこれからの日本人には問われているとも書かれています。
GDPが最盛期の1/10になろうとも、株価がかつての半分になろうとも幸せな生き方が出来る事を追求するには五木流の「MURIKI」の考え方は学ぶ価値のある価値感でないかと中田には思えます。 -
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この本のタイトルですが、「むりょく」ではなく「むりき」と読みます。80歳になった五木寛之さんの本ですが、先行きのはっきり見えなくなった現在においては、必要な考えと思いました。
「むりき」とは、物事に白黒をつけるのではなく、どちらにもつかず不安定さを肯定する事を意味しています。要は物事にはグレーゾーンがある事を理解し状況に応じてどちらの側にもつけれるような物の見方をする事が必要だとの考えです。
考えのブレナイ人は尊敬されがちな世の中ではありますが、ひとつの価値観で物事を正常だ異常だと仕分けする方が間違いであり、人間はむしろブレがあるのが当り前であり、時代の流れと共にブレル事こそ「生きる」事ではないかと述べられています。
日本は少子高齢化や経済成長の行き詰まり等、登山で言えば下山の時期に来ている。下山の時期にはひたすら上を目指した頃には気付かないものも見えてくる。そして登山とは下界まで無事降りて初めて成功と言える分けで、下山の時期にどう生きるかもこれからの日本人には問われているとも書かれています。
GDPが最盛期の1/10になろうとも、株価がかつての半分になろうとも幸せな生き方が出来る事を追求するには五木流の「MURIKI」の考え方は学ぶ価値のある価値感でないかと思えます。