五木寛之のレビュー一覧
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親鸞自身が なかなか 悟りを開くことができないことを
自分の業が深いと思っている。
また、女性に対する想いが強く 煩悩を断ち切ることが
できないことも、親鸞をなやませる。
『放埒の血』になやむ。
じつに 人間臭い のである。
仏に つかえる身 であり、仏に 解脱することが
修業であるが 苦行を通じてしか生まれない。
一種の狂信的な行為が 必要なんだね。
基本もしくは 原点で素直に悩む。
『仏とは?』
この問いかけが 親鸞の原動力となる。
範宴は、釈尊に出会うのではなく
聖徳太子に 出会うことが 面白いな。
鹿野に対する 態度に対して
サヨが手酷く しかる ところは、
さすが オンナの目が したたかでもある。
お経とは 声を出して 読むもので
良い声,悪い声というものがあるものだ。
安楽房遵西は、イケメンであり、声がいい。
詠い方は独特で女子を引きつける。
今様、和讃。
ワクをはみ出て はじめて 新しいものの創造が可能である。
親鸞は 自分が満足しなかった故に、
自分を窮地に追い込むことで 切り開いていく。
先人である 法然が すごいんだね。
忠範 範宴 善心 そして 親鸞への 4度名前がかわる。
紫野が 労咳 となり、信心して なおし 恵信 となる。
そして,再び会うことで 範宴は こころの安寧をえる。
法然上人から 善心は 若くして 信頼を得る。
そして、後鳥羽上皇の怒りにより 法然上人 親鸞とも流刑に。
法然上人は 土佐へ 親鸞は 恵信の故郷 越後に 流刑になる。
親鸞の物語も こうやって 小説になると親しみやすいものだ。
親鸞の人となりが 人間臭いが それでも 前に進もうとする
決意が 尊いのだろう。 -
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少し前に読み終わっていましたがレビューを書いていませんでした。
私が学生の頃、五木氏はすでに中年の域に。作家ってこんな感じの生活をしているのか、と思いながら氏のエッセイを読んでいました。
「髪なんか洗わなくても問題はない。フケも出るのは最初のうちだけ、あとはツバをつけておけば形は保てる」
なんてくだりを読んで、えええっ、と思った記憶が。氏のエッセイ、ほとんどのタイトルに「夜」という字が入っていたのも印象的でした。
それが「林住期」などどう老いるか、どう死んでいくか、という分野の本を書き始められ、「衰え」ることとは?を意識するようになりました。
いわゆる健康本みたいなタイトルで五木氏の本を読んだことがない人も手軽に手に取れるのではないでしょうか。
食、呼吸、などなるほど、という点がいっぱい発見できました。 -
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オリエは、歌手を目指して、生活を始める。
作曲家の家に住み込みで、レッスンを受けるが、ていのいい女中だった。
そこで、宇崎秋声にあう。
宇崎は、オリエの歌の中に何かがあると思い、応援することに。
この飄々とした姿。そして、戦争への深い反省。
そういう人もいるのだね。
生命のある歌と生命のない歌。の違い。
新宿で、竹田という男に絡まれるが、
それが縁で、自堕落な生活を始める信介。
ダメな人間として、自分を認識する。
先が見えないのだ。
塙竜五郎が怪我をしたということで、九州に帰る。
塙は、めっきりと老いていた。
長太はおらず、春男が中心だった。
お金が回らない状況だった。
九州に行く汽車の中で 山本というルポライターにあう。
彼が、語るゴーリキー論がいい。
劇に関しては、深く語れないが、文学については、
五木寛之は、深い洞察がで来る。
そんな時に、織江と会う。織江は、高見沢タエという名前で、歌っていた。
プロレスの興業をする。それは、織江から、宇崎に紹介された
花田がとりしきった。花田の弟子の清川が、プロレスを成功させる。
そして、塙竜五郎は、死んでしまい、信介と筑豊を結ぶものは、
織江だけとなる。
信介は、中途半端な自分に嫌気をさす。
カオルと中井の睦まじい姿が、
オリエと信介に影響を与える。
事故にあった信介が、転機をむかえる。 -
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誠実に 自らの行くべき道を模索する青年の姿。伊吹信介。
生くべきための自らの思想の確立を求めて
あらゆる経験を得ようとする。
プロレタリアートという言葉の響きによって、すべてを覆い尽くそうとする。
大学が大学の本来的機能として存在するのではなく
青年の人間集団としての存在。
価値ある生き方への模索。
共産党員の経験を持ちながらも、家族への失意、愛への失意
など 不明確な失意に彩られながら
カオルという女性にあうことによって、激しく変化し、
新たな出発を期す人間。
青年のくぐる門は どこにあるのか。
青年としての体験、性であり、失意であり、誠実さだった。
現実の社会を傍観的に見ながら、
その渦にまきこまれず、人の生き方として描く。
価値なき価値ある人生への確かなものへの模索。
(再読)
信介という個人に、スポットライト。
宮本輝の流転の海は、松坂家族というものを、描こうとしている。
時代の流れもはっきりしていて、時代小説となっている。
青春の門 自立篇 を読みながら,何かが物足りない。
時代の流れが、信介の心象のなかで流れている。
それが,実に単純なのである。
信介の女性の間でゆれ動く心境。
英子、カオル、オリエ。
それにしても,オリエは劇場型純情派なんですね。
石井講師とであい、科学的なボクシングの訓練を受けるが、
どうも,中途半端だね。お試しコースということなのか。
石井講師の彼女とのなれそめや結果は、淡雪のようでもある。
信介はどこまでもおせっかいである。田舎の人間の良さなのか。
そして,カオルと意気投合するのである。初恋の人に似ていたということであるが、
石井が踏み切った理由もよくわからない。
どうでもいい と思ってしまうところに、一つの表現がある。
ふーむ。それではねぇ。
そういうのが、つまらなくしているのか。単調すぎる。
梓先生にであうが、あまりにも,ドラマがなさすぎる。
自分で生活を維持するということを成し遂げようとする信介は偉いと思うが。 -
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この本のタイトルですが、「むりょく」ではなく「むりき」と読みます。80歳になった五木寛之さんの本ですが、先行きのはっきり見えなくなった現在においては、必要な考えと思いました。
「むりき」とは、物事に白黒をつけるのではなく、どちらにもつかず不安定さを肯定する事を意味しています。要は物事にはグレーゾーンがある事を理解し状況に応じてどちらの側にもつけれるような物の見方をする事が必要だとの考えです。
考えのブレナイ人は尊敬されがちな世の中ではありますが、ひとつの価値観で物事を正常だ異常だと仕分けする方が間違いであり、人間はむしろブレがあるのが当り前であり、時代の流れと共にブレル事こそ「生きる」事ではないかと述べられています。
日本は少子高齢化や経済成長の行き詰まり等、登山で言えば下山の時期に来ている。下山の時期にはひたすら上を目指した頃には気付かないものも見えてくる。そして登山とは下界まで無事降りて初めて成功と言える分けで、下山の時期にどう生きるかもこれからの日本人には問われているとも書かれています。
GDPが最盛期の1/10になろうとも、株価がかつての半分になろうとも幸せな生き方が出来る事を追求するには五木流の「MURIKI」の考え方は学ぶ価値のある価値感でないかと中田には思えます。 -
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この本のタイトルですが、「むりょく」ではなく「むりき」と読みます。80歳になった五木寛之さんの本ですが、先行きのはっきり見えなくなった現在においては、必要な考えと思いました。
「むりき」とは、物事に白黒をつけるのではなく、どちらにもつかず不安定さを肯定する事を意味しています。要は物事にはグレーゾーンがある事を理解し状況に応じてどちらの側にもつけれるような物の見方をする事が必要だとの考えです。
考えのブレナイ人は尊敬されがちな世の中ではありますが、ひとつの価値観で物事を正常だ異常だと仕分けする方が間違いであり、人間はむしろブレがあるのが当り前であり、時代の流れと共にブレル事こそ「生きる」事ではないかと述べられています。
日本は少子高齢化や経済成長の行き詰まり等、登山で言えば下山の時期に来ている。下山の時期にはひたすら上を目指した頃には気付かないものも見えてくる。そして登山とは下界まで無事降りて初めて成功と言える分けで、下山の時期にどう生きるかもこれからの日本人には問われているとも書かれています。
GDPが最盛期の1/10になろうとも、株価がかつての半分になろうとも幸せな生き方が出来る事を追求するには五木流の「MURIKI」の考え方は学ぶ価値のある価値感でないかと思えます。