五木寛之のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
私はまだ死を意識したことがない。そのような境遇になった際、人はなぜ生きるのかを自ずと考えるようになるのだろうか。筆者は結論として自分のためでなく誰かのために生きると述べている。自分はまだその境地に達していない。達するかどうかは分からないが…最後の章「人生の四季」で日常なんとも言えない一種の虚無感のような深い愁いを感じるとき、それは人間が生きていることの真実に触れている瞬間だとある。元気に前向きにという感覚が善とされる一方で前述の愁いを排除されている時代。が、愁いを世界の全ての人々が共有し、長い歴史の中でそういうものを大切にしながら生きてきている。強く生きる必要はない、弱く生きたっていい。生きていることが大事。この箇所に大変感銘を受けた。
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Posted by ブクログ
母のおすすめで読んでみた。
五木寛之さんの著書を読むのは初めてなのに、最終章って、、エッセイって、、と思いながら読み進めた。
93歳の著者の現在地を知ることができる。迷いのない言葉に圧倒される。この先の世界の行く末を見たいと語る著者の好奇心に驚いた。私もこうありたいと思う。
誰かのためにという思いがエネルギーとなり自分の命を支えるという。私はなぜ生きるのか?誰のために生きるのか?考えるきっかけを人生の先輩にいただくことができた。貴重な読書体験となった。ありがとうございました。
著者が私と同じ年頃にはどのような作品を書いていたのか、興味がある。他の著書も読んでみようと思う。
20260919 -
Posted by ブクログ
本屋で文庫版を購入。
帯に書いてあった「もう覚悟を決めるしかない」という文言と「濁世を生き抜く究極の人間論」という文言に惹かれて手に取った。
押し付けがましくなく、とても謙虚というか柔らかく、それでいてはっきりと自分の考えを物申している…そんな風に受け取れた。言い回しに読者への配慮や敬意のようなものが感じられる気がして、穏やかな気持ちになれたというか。
素直に内容を受け取ることができたように思う。
初版が発売されたのが今から27年前。
たしかに本の中で取り上げられる出来事やニュースにはだいぶ過去のものだなと感じるものもあったが、語られている内容そのものに古さは感じなかった。技術の進歩により、27年前当時の自分には想像し得なかった世の中になっているけど、人間の悩みみたいなものはずっと変わらない…むしろ世の中が便利になればなるほどそういう悩みが色濃くなってきてるのではないかと思った。
本の中で特に好きな文章。
「息絶えた秩序より、生きて〈命〉をもつ無秩序を愛する」
「自分のなかにある濁って混ざりあったあざとい色、それをそのまま見つめ、認めてみる。そしてそのなかに流れる、大いなる宇宙からの生命の流れにまかせてみる。あたかも一滴の大河のように。」
年に一度ぐらいの頻度で読み直して染み込ませたたいと思える1冊。 -
Posted by ブクログ
オーディブルで。93歳になるのに、現代の風潮に敏感で、好奇心は青年と変わらないように思う。先生がそう生きているのは、敗戦後、北朝鮮から引き上げる時にお母様を亡くしていたかららしい。お母様は教師をしていて、文学を好み、東京に住むことを夢見ていた。そのお母様のぶんも、自分が生きようと思ったという。
現代ではあまり聞かない「暗愁」という言葉。アメリカの「ブルース」にあたるものは、これではないかと言う。生きることに対する憂いというか、やりきれなさ、運命の抗えなさに対する諦め、かなしみ。どうしようもなさを受け入れること。漱石や鴎外は、好んで使っていたその言葉は、おそらく戦後の復興に際し、前を向き、発展することこそが尊ばれた過程において、すたれたのではないか。私の子供時代も根暗は嫌われていた。頑張ることが善という学校教育において、暗く沈んだ気持ちでいることは、悪いことだった。でも本当は、その気持ちは大事なことだったんじゃないか。そんな話を聞いて、腑に落ちた。あと、人間は誰かのために生きるものだということも。実感として、ようやくわかるようになった。 -
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正直、思ったより普通だった。
もちろん、伝えたいテーマは凄く分かる。
「ただ生きるためだけに生きるな」
「群れに流されず、自分の飛び方を見つけろ」
みたいなメッセージはかなり強く感じた。
たぶん時代背景込みで考えると、かなり多くの人に刺さった作品なんだろうなとも思う。
でも、自分にはそこまで深くは刺さらなかった。
理由を考えてみると、ジョナサンがあまりにも理想的すぎたのかもしれない。
孤独を恐れず、周囲から否定されても折れず、自分の信念を貫き続ける。でも現実の人間って、そんなに強くないと思う。自分もそうだから、「かっこいい」「美しい」とは思うけど、完全には感情移入できなかった。
あと、かなり神話っぽいというか、寓話的だった。
現実の泥臭さより、“精神性”の物語という感じ。
たぶん自分は、人間の弱さや矛盾、不完全さを描く作品の方が好きなんだと思う。
それでも、この作品が長く読まれている理由は分かる気がした。「何のために生きるのか」という問いに対して、真正面から答えようとしている作品だから。
もし読むタイミングが違ったら、もっと刺さっていた気がした。今の自分にとっての『ファイト・クラブ』みたいに、人生のバイブルになっていた可能性も普通にあると思った。 -
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「語り合うときは、同好の士や同業者ではなく、違った世界の人たちと話し合うことがとても大事だ」
この箇所を読んで、野矢茂樹氏の著作『はじめて考えるときのように』に書かれていた「変なひとと出会う。……共感よりも違和感や反感の方がだいじだ」という言葉を思い出しました。
なぜ大事かというと、異質な交流こそ自分の殻を打ち破ってより深い人間になる原動力になるからだと理解しました。
同質な人と出会って、共感したりされたりすると心地よく、自分は間違っていなかったと安心するので、そのような人と会うことに重きを置きがちですが、それだけではダメなのだと本書を読んで改めて思いました。
今の自分には、自分と違う世界の人と会う機会はなかなかないのですが、せめて他の人が薦める自分では選ばないような本を読むことで自分の世界を拡げることができればと思いました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレジャケ買い、があるのならば、タイトル買い、というものもあって然るべきでしょう。
私、両親の面倒をゆるーく見始め、自分たちの衰え・勘違い・言い違いで夫婦喧嘩が始まる昨今、本作サブタイトル「オレたちはどうボケるか」が激しく刺さり、購入に至りました。
確か他のブロガーさんが紹介してた本だったと思います。
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本作は御年90を超えた、作家の五木寛之氏の老年エッセイであります。
ボケたくないけど、ボケるのは必然。だったらなるべくライトに、かるーくボケましょう。みたいな話。
当然、ボケは人によってそれぞれなので、「あくまで私の体験ですが」という但し書きで、こうした方が良い、ああした方が良い、ということが書いてありました。
具体的には補聴器や杖などのツールの積極的使用、転居などの環境変化(これは若い時からのおすすめのようですが)などなど。あとは仏典からの引用多し。
ただ、ひっかかったのは、家族への言及が殆どなかったことでしょうか。昭和の時代の方でしたら致し方ないかもしれませんが、いま配偶者を差し置いて自分だけで物事を決定できる家庭は多くはないと思います(奥さんに断りなしに転職・引っ越しとか。できませんよねえ)。
もちろん、五木氏が勝手に引っ越したとかの記述はないのですが、夫婦のぶつかり合いとか葛藤についての記述がなく、このあたりは物足りなさを感じました。
うがった見方をすれば、お金はかなり稼いでいらっしゃり、奥さんも自立しておりかつ旦那さんの自由をお許しになる優しい方。ならばボケ防止でもなんでもすんなりできそうですよねーと。まあ、氷河期世代の僻みなんですが。
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ボケは諦観して、だったらより良くボケよう、という方向性には同意であります。
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ということで、五木氏のエッセイでした。
高校生の頃、『青春の門』シリーズを読み、大人になったらあんなドラマチックで肉感のある世界に会えるのか、と興奮しました。が、私の人生は平凡でした。
本作を読んで、そんな過去の自身の稚拙さも回想しました。
当然ですが、人生は人それぞれ。意思をもって歩んでいくべきでしょう。氏の人生は私の人生とはかなり違うのだなあと感じた次第です。