五木寛之のレビュー一覧
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親鸞自身が なかなか 悟りを開くことができないことを
自分の業が深いと思っている。
また、女性に対する想いが強く 煩悩を断ち切ることが
できないことも、親鸞をなやませる。
『放埒の血』になやむ。
じつに 人間臭い のである。
仏に つかえる身 であり、仏に 解脱することが
修業であるが 苦行を通じてしか生まれない。
一種の狂信的な行為が 必要なんだね。
基本もしくは 原点で素直に悩む。
『仏とは?』
この問いかけが 親鸞の原動力となる。
範宴は、釈尊に出会うのではなく
聖徳太子に 出会うことが 面白いな。
鹿野に対する 態度に対して
サヨが手酷く しかる ところは、
さすが オンナの目が -
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少し前に読み終わっていましたがレビューを書いていませんでした。
私が学生の頃、五木氏はすでに中年の域に。作家ってこんな感じの生活をしているのか、と思いながら氏のエッセイを読んでいました。
「髪なんか洗わなくても問題はない。フケも出るのは最初のうちだけ、あとはツバをつけておけば形は保てる」
なんてくだりを読んで、えええっ、と思った記憶が。氏のエッセイ、ほとんどのタイトルに「夜」という字が入っていたのも印象的でした。
それが「林住期」などどう老いるか、どう死んでいくか、という分野の本を書き始められ、「衰え」ることとは?を意識するようになりました。
いわゆる健康本みたいなタイトルで五木氏の -
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オリエは、歌手を目指して、生活を始める。
作曲家の家に住み込みで、レッスンを受けるが、ていのいい女中だった。
そこで、宇崎秋声にあう。
宇崎は、オリエの歌の中に何かがあると思い、応援することに。
この飄々とした姿。そして、戦争への深い反省。
そういう人もいるのだね。
生命のある歌と生命のない歌。の違い。
新宿で、竹田という男に絡まれるが、
それが縁で、自堕落な生活を始める信介。
ダメな人間として、自分を認識する。
先が見えないのだ。
塙竜五郎が怪我をしたということで、九州に帰る。
塙は、めっきりと老いていた。
長太はおらず、春男が中心だった。
お金が回らない状況だった。
九州に行く汽車の中 -
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誠実に 自らの行くべき道を模索する青年の姿。伊吹信介。
生くべきための自らの思想の確立を求めて
あらゆる経験を得ようとする。
プロレタリアートという言葉の響きによって、すべてを覆い尽くそうとする。
大学が大学の本来的機能として存在するのではなく
青年の人間集団としての存在。
価値ある生き方への模索。
共産党員の経験を持ちながらも、家族への失意、愛への失意
など 不明確な失意に彩られながら
カオルという女性にあうことによって、激しく変化し、
新たな出発を期す人間。
青年のくぐる門は どこにあるのか。
青年としての体験、性であり、失意であり、誠実さだった。
現実の社会を傍観的に見ながら、
その渦 -
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この本のタイトルですが、「むりょく」ではなく「むりき」と読みます。80歳になった五木寛之さんの本ですが、先行きのはっきり見えなくなった現在においては、必要な考えと思いました。
「むりき」とは、物事に白黒をつけるのではなく、どちらにもつかず不安定さを肯定する事を意味しています。要は物事にはグレーゾーンがある事を理解し状況に応じてどちらの側にもつけれるような物の見方をする事が必要だとの考えです。
考えのブレナイ人は尊敬されがちな世の中ではありますが、ひとつの価値観で物事を正常だ異常だと仕分けする方が間違いであり、人間はむしろブレがあるのが当り前であり、時代の流れと共にブレル事こそ「生きる」事で -
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この本のタイトルですが、「むりょく」ではなく「むりき」と読みます。80歳になった五木寛之さんの本ですが、先行きのはっきり見えなくなった現在においては、必要な考えと思いました。
「むりき」とは、物事に白黒をつけるのではなく、どちらにもつかず不安定さを肯定する事を意味しています。要は物事にはグレーゾーンがある事を理解し状況に応じてどちらの側にもつけれるような物の見方をする事が必要だとの考えです。
考えのブレナイ人は尊敬されがちな世の中ではありますが、ひとつの価値観で物事を正常だ異常だと仕分けする方が間違いであり、人間はむしろブレがあるのが当り前であり、時代の流れと共にブレル事こそ「生きる」事で