五木寛之のレビュー一覧
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チェック項目5箇所。病気が治らない、完治しないのであれば、私たちにできることは、それが顔を出して暴れないように、なだめすかしておとなしくさせておくことだけです。人間が自分でできることなど、たかが知れている、「できるときはできる。できないときはできない。人事をつくしたあとは天命を待てばよい」。「加」は加えること、「減」は引くことです、ものごとを足したり引いたりして、ちょうど適当な「いい加減」が「良い加減」なのです。「清潔」という言葉には、何かしら不自然な感じがつきまといます、人間は本来、バイ菌と共生しているのです、皮膚には何十種類もの常在菌がすんでますし、体内にも無数の微生物が暮らしていて、それ
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比叡山を飛び出し、法然のもとへと走った範宴は、綽空と名を改めることになります。彼は、弁才とともに病人の治療に当たっていたときの彼に手巾を渡してくれた紫野という女性に惹かれていきます。
しかし、やがて紫野は病を得て故郷へと帰ってしまい、彼女の代わりに紫野の妹の鹿野という女性が彼のもとへとやってきます。範宴は、鹿野が彼に寄せる想いに気づきながらも、紫野への思慕を断ち切ることはできません。そんな範宴の態度に傷つけられた鹿野は、彼の兄弟子である安楽坊遵西という僧のもとへと走ることになります。
範宴は、やがて法然の厚い信頼を得るようになりますが、兄弟弟子の間には、そんな範宴に対する妬みがくすぶってい -
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『他力』(講談社文庫)や『蓮如』(岩波新書)などの著書があり、浄土教に造詣の深い著者が、若き日の親鸞をえがいた小説です。
のちに親鸞となる忠範少年は、八歳のころに両親をなくし、伯父である日野範綱の家に引きとられます。ある日彼は、馬糞の辻でおこなわれる「競べ牛」の見物に出かけ、河原坊浄寛という聖や、ツブテの弥七、さらに法螺坊弁才といった、個性の強い男たちに出会います。さらに、日野家の召使いの犬丸から、忠範には彼の祖父・日野経尹と同じ「放埓」の血が流れていることを教えられます。
そんなある日、犬丸が「六波羅王子」という異名をとる伏見平四郎に捕らえられるという事件が起こります。浄寛たちとともに六 -
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ネタバレ下降、下山してゆく時代であるこの現代で
うまく生きてゆくための、
二元論、2つの間、二分法の選択に囚われない偏らない、自力でも他力でもない
「無力」という言葉から等の著者の考え方。
とらわれない、融通がきく、柔軟な心。考え方など。
本書では語られていないが、老荘思想に近いモノではと感じた。
第七章の楕円の思想(の紹介)が個人的に非常に新鮮であった。
第八章末の、
「絆が叫ばれながらも、実は絆から外れるような時代に入っている。
そのことを、あらためて覚悟すべき時代が目前にせまっているのです。」
という部分の鋭い指摘に非常に同意。
簡素な文の本だが、逆に読み終えた後の無意識的影響が -
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親鸞自身が なかなか 悟りを開くことができないことを
自分の業が深いと思っている。
また、女性に対する想いが強く 煩悩を断ち切ることが
できないことも、親鸞をなやませる。
『放埒の血』になやむ。
じつに 人間臭い のである。
仏に つかえる身 であり、仏に 解脱することが
修業であるが 苦行を通じてしか生まれない。
一種の狂信的な行為が 必要なんだね。
基本もしくは 原点で素直に悩む。
『仏とは?』
この問いかけが 親鸞の原動力となる。
範宴は、釈尊に出会うのではなく
聖徳太子に 出会うことが 面白いな。
鹿野に対する 態度に対して
サヨが手酷く しかる ところは、
さすが オンナの目が