五木寛之のレビュー一覧
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おととい購入して一気に読む。
日々感じていること、
感じているのに言葉にできないこと
うん、、そうそう、、、
これを私は感じていたの!
言葉にしてくださってありがとう!五木先生!という感じ。
目に見えるものだけを信じる時代ではない。
目に見えないものもまたあわせて信じていくことが、人間の幅になるということ。
父性的な「理」や「智」だけで日本はここまで着たけれど、
母性的な「情」というものもまた見つめなおす時期なのではないかということ。
日本人のアニミズムを見直すということ
アニミズムとは、木にも草にも虫にも、山にも川にも、ありとあらゆるものに「魂」があり、そしてそれを「生きている」 -
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百寺巡礼の旅も4巻目を数え、私の住む滋賀県へ。
それにしても滋賀県が人口当たりの寺院の数で全国一であるのみならず、単純に寺院の数で比較しても京都より多いなんて知らなかった。
そう言われてみると、散歩していてもそこかしこで確かにお寺に突き当たるもんね。
で、そうやってお寺を見ながら歩いていて、また気が付くことに、路傍に祀られているお地蔵さんが多いこと。
歴史の舞台にして、交通の要所、本編の中にも度々「信長の焼き討ち」が出てくるけれど、そうした地勢と歴史の中で、近江の人たちががそこにある色々なものを拠り所にして生きてきたことを偲ばせる。
昨年沢山の本を読み、心震わすことも多かったが、何より感じたの -
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このひと月の間、京都の町は紅葉見物の人で賑わい、東福寺もまた例外ではなく、淀への乗り換える駅のホームから溢れそうな人にうんざりする。
百寺を巡る旅も第3巻で京都に入る。
金閣、銀閣、東と西の本願寺、南禅寺、清水寺、東寺など観光客にも馴染みの深い寺を巡りながら、しかし描かれる風景は雑踏の観光客とは一線を画し、朝廷や室町幕府が置かれた京都ならではの歴史の上に、夫々の寺と仏の教えがそうした時の権力や民衆とどういう関わりを持ちながら今日まで生き抜いてきたかが語られる。
北山文化や東山文化の栄華を描きながら、一方でそれが鳥辺野や化野の地獄図の上に成り立っていたこともあわせて語り、金閣の輝きは無名の民草の -
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日差しは変わらず夏の強さも木陰の風は秋の気配を運ぶ彼岸の中日。
そんな日に読むこの本の、なんとまあ清冽で凛とした佇まいに溢れていることか。
仏の掌の上で慈しまれるように仏像を愛で、未訪の寺はもとより既知の場所でも改めて訪れたくなる描写と薀蓄。
人情溢れるひっそりとした山里で凛と立つ室生寺。
花の寺の俗っぽさに現代の巡礼を見る長谷寺。
大衆の志や信心に支えられ立つ二つの塔が時を超えた景色を見せる薬師寺。
命を投げだしても遂行された鑑真の遺徳を偲ぶ唐招提寺。
一瞬一瞬の天候に応じ変化する苔の海に伎芸天のおわす秋篠寺。
聖徳太子から親鸞へ受け継がれた平等思想に思いを馳せる法隆寺。
日本人の心の渇きを -
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仏教的な因果律やキリスト教的な予定説を矛盾させない表現としても「大河の一滴」という言葉は優れていると思う。上流からの流れに合流していくという因果律的な要素、その流れに従い循環していくという予定説的な要素。
昔、読んだ事があって、その再読だと思い込んでいたが、それは遠藤周作の『深い河』であった。『深い河』では、インドの聖なるガンジス河が「すべてを包み込む大いなる存在」として描かれ、
人間の業・苦しみ・死を受け入れる象徴として描いた小説であったが、本来、私が読みたかったのはこちらの方で、久々に再読してみようと手に取ったのが『大河の一滴』。あれ、小説者かなかったかな・・と慌てて調べて別物だと気付く -
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小説というよりもポエム、
自己啓発というよりもスピリチュアル、
そんな本。
「食って寝るだけの人生なんて嫌だ」
「あいつらと私は違う」
“意識高い系”という言葉が一時期流行ったが、「意識が高いこと」、それ自体は何の問題もない。問題があるとするなら、「私はあいつらとは違う」と、周囲を下にみるような態度をとるときだ。はみ出しものでかまわないが、だからといって、私以外のその他を蔑めば、愛のない人となる。
では、周囲に手を差し伸べることが「愛」か。裕福な人が貧しい人を支援すれば、それが「愛」なのか。
──ぶっちゃけ、「胡散臭い本である」と、私はそう思った。
その印象は最終章を読むことで少し変