五木寛之のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
人生とは選択の連続である…とは,そのとおりです。
最近,テレビで見たお笑いのネタに,「レストランで,希望のメニューや量や味を必要以上に細かく聞かれる」というのがあって,笑ってしまいました。
こっちが選択しているつもりがなくても,私たちは,日々,選択しながら生きているんだと思います。意識しなくても…です。
今回の衆議院選挙は,選挙に行かなかった人も,「選挙に行かない」という選択をして,結果的には,多数派を支持していることになるのですよね。
選択しながら生きていることを,もう少し意識的にとらえることができれば,今より,主体的に生きていくことができるかも知れないなと思いました。
五木さんの文章は,読みやすくて好きです。 -
Posted by ブクログ
「1960、70年代の青年のバイブルだった」と帯にあるように日本が敗戦から、いや敗戦後に生まれた世代にとって海外に出て行くことが新しい価値観や思想を手に入れていく過程であり、今ならば外こもりと言われるような旅の中で出会う人たちと様々な出来事は未知である部分が多かったのがデカいのだろう。
日本が内籠りになってしまった前の十年は海外の文化を取り入れて熟成されたガラパゴス的な日本文化のひとつの形だったが世界へ目を向けれる人が、若い世代が減ったようにも感じられた。世界に目を向けなくても日本自体が進んでいる国で面白いのだから、でも内側からも外側からも見える客観性が必要だと思うのは僕がやはり年をとって青年ではなくなったからか?
いろんな視線、角度を持てる方がきっと世界はまだ拓けるしもっと近くなると思いたいし、そっちの方が面白いはずだ。
今、読むとやっぱり旅に出たいよねって思うし、出たら帰らないのだろうなとも思う。 -
Posted by ブクログ
五木寛之のエッセイ集。五木さんは若い頃よく読んだ作家の一人です。
"青年は荒野をめざす"とか"蒼ざめた馬を見よ"などですが、そのせいか最近出すエッセイも"大河の一滴"を始め何となく惹かれるので読んでいます。
1932年生まれ、いわゆる戦中時代の人であす。ですから元々人生に対してあまりポジティブなイメージを持っていない。
しかし、その姿勢がこの時代にあってはしみじみとした良さを発揮しているような気がしています。
この本でも、日本人が昔から当たり前に持っていた神も仏も一緒に家の中に祀っていることとか、おてんと様に手を合わせるとかの自然信仰(アニミズム)を礼賛しています。
お陰様とかご縁と言う言葉に託された日本人の心を取り上げて、乾いた感情しか持てなくなったこの社会を憂えているのです。
印象深い話題は童話の青い鳥のお話の本当の結末です。
果たして、チルチルミチルが青い鳥を見つけたと思った途端に青い鳥は逃げて行きます。
その結末に込められた意味は何なのか‥その謎を彼は今も考えていると言います。
生きるとは‥幸せとは‥誰もがふと立ち止まる時に思う事だが答えは出せないのかもしれない。そんな時、手に取ってみるとと少し安らぐような一冊です。 -
Posted by ブクログ
「山登り」にたとえての筆者の世界観を綴ったこのエッセイは、山好きな父から教わった登山者の心得そのままでした。
登山者にとって山の登りはきついもの。登っているときは早く楽になりたいと思って一生懸命に足を運びます。途中、歩きながら決して上を見てはいけません。バテてしまいます。これからの距離や、自分が登って来た道を見たいなら、一度立ち止まってから見ること。
これが父から教わった「登り」の極意です。
そして、待ちに待った頂上制覇の歓喜。苦しい道のりから解放され、山頂の風に吹かれて味わう達成感と爽快感は経験者にしかわかりません。
その後にあるのは「下山」。登り以上に気をつけて一歩一歩踏みしめるように下らねばなりません。長時間下ると、膝がわらうように、かくかくしてきます。あわてて歩くと、前のめりになり、そのまま落下してしまいます。「下り」はある意味、登り以上にキツいものなのです。
筆者は最初の方の章で現代を「下山の時代」と言い現わし、現代日本の行く末と今何をすべきかを述べていました。その他の章でも、煩悩や今様。法然の話、病人大国日本の話、長寿とブッタの話と、あまり上昇気分を感じさせないエッセイが続きました。
「考え方が暗いと昔から言われる」と筆者自ら述べていましたが、やはり全体的にはタイトルそのものの下流志向。「下山」の考えが満載でした。
でもそれをマイナスとしているのでなく、「下山思想」を自信をもってエンジョイしようと提言されているのは流石です。
山登り同様、下りは気を緩めてはいけない大事な通過点なのですから。そしてその先にはまた新たな目標という山があるのですから。
久し振りに読んだ筆者のエッセイですが、少し初期の頃と変わったかなと感じました。初期の頃のエッセイでとても印象深かったのがあります。
筆者が、奥さまのことを「配偶者」と書いていたことと、「メロンパンの皮の部分が大好きだ」と書いていたこと。筆者の日常をさりげなく書きつづってあったあのエッセイ。
はてさて、あのエッセイは何と言うエッセイだったのでしょう?。
私の記憶違いでなければ、あのエッセイからは「下山の思想」は伝わってこないのです。