五木寛之のレビュー一覧

  • 林住期

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    五木寛之さんのエッセイはいくつか読んでいます。
    最近は「百寺巡礼」の旅をしています。
    石山寺、瑠璃光寺、観世音寺、興福寺、崇福寺に行きました。
    寺を巡る紀行文とこの本とは内容に関連があります。
    マイミクさんの日記でこの本のことを知り、読みました。

    古代インドでは、「四住記」という考え方が紀元前後に生まれたということです。

    林住期とは年齢では50歳から75歳までを指します。
    25歳までは「学生期」といい、勉強中の時期です。
    50歳までは「家住期」といい、家族をつくり、働き、子どもを巣立たせる時期です。
    75歳からは「遊行期」といい、死を見つめて生きる時期です。

    「林住期」の生き方は「必要」ということから離れ、興味本位でやるということです。
    報酬とビジネスを無視してやることが大切といいます。
    耐用期限を過ぎた心身を労りながら、楽しんで暮らすのが理想です。
    林住期に学生に戻るのも一興です。

    そうありたいものですが、林住期のわたしたちは子育てを終えていません。
    子どもが自立し稼ぐようになっていればよいのですが、就職難やリストラもあり、そう簡単に現役引退ができない現状があります。
    ただ、気持ちだけは「林住期」の意識を持って生きていきたいと思います。

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    2009年10月04日
  • 百寺巡礼 第九巻 京都2

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    インフルエンザ禍で街も閑散とする中、出掛けるも能わず読む本の、巡礼の旅はもう一度戻って京都へ。
    近くにあるのに行ったことがないところも多くて、ほんとに奥が深いよね。
    『転変のなかに寺と寺をとりまく風景だけが歳月をこえて生き続けている。そこに身をおくことで、私たちは時間の流れの外側に立つような、ふだんは感じることのできない世界に触れることができる』とあるけれど、今回も紹介される十のお寺に十の物語があり、それぞれに興味深い。
    中でも永観堂の「みかえり阿弥陀」のお話しのなんという暖かさ。
    知恩院の項に法然、親鸞、蓮如と続く念仏の教えの源流が述べられているが、『日本人のこころのなかに非常に深く、そして広く、根強く地下水脈のようにいまも生きつづける』仏の教えの包容力の大きさに今更ながらに心が洗われる。
    終章、提起される現代の“浄土”について、理念は変わらねど語る言葉は時代に合わせて変わらねばならぬとすれば、それは仏の教えに留まらず企業経営にとっても同じだと。

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    2011年07月18日
  • 百寺巡礼 第八巻 山陰・山陽

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    第8巻は山陰・山陽。
    こちらもまた行ったことないお寺ばかりだけれど、地域的には何となく親しみがありますね。
    それにしても巻頭の三佛寺投入堂の何という奇観。
    いつもは寺を訪ねて奔放に話を広げる筆者も今回ばかりはひたすら登頂というか登坂の経緯に終始する。
    崖に張り付く不思議な堂宇の尽きせぬ魅力。右半身不随となった土門拳がそれでも弟子に引かせて何回も登ったとあるが、確かに写真を見れば確かにこれだけで腹一杯。
    そして終章の“川底に沈んだ幻の中世都市”のお話。
    草戸千軒町遺跡のことは全く知らなかったけれど(芦田川の中洲というと福山競馬場もほんの近くな訳で)、それらを見下ろす明王院の五重塔の在り様に歴史の多重性を読む。
    それらの驚くべき話に挟まれて語られる騒々しい現代における信仰への思い−『生きた人々の信仰心のすがたというものは、こんなふうに清濁がごちゃごちゃになっている中にあるのではないか』 日の光溢れる境内から薄暗い内陣の荘厳な雰囲気に身を置き独りごちる。
    『日常生活のなかではあまり感じることがないような感情が、身体の深いところから湧き上がってくる。寺を訪れるというのは、じつは、こういうことなのかもしれない』−確かにそう思えるこの頃。

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    2020年09月14日
  • 百寺巡礼 第四巻 滋賀・東海

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    五木寛之さんの「百寺巡礼」は文庫本で10冊あります。
    奈良、北陸、滋賀・東海、関東・信州、関西、東北、山陰・山陽、四国・九州、京都1,京都2、と分けられています。
    滋賀県の三井寺、延暦寺、石山寺に行こうかと思い、ガイドブックとして読みました。
    味わいのある紀行文です。

    日本で一番人口あたりの寺が多い県は、滋賀県だそうです。
    寺の総数も京都府よりも滋賀県が多いそうです。
    奈良か京都が寺は多そうですが、意外な事実です。

    石山寺は瀬田川の畔にあります。
    瀬田川は琵琶湖から流れ出て、京都にはいると宇治川と名前を変えます。
    石山寺と宇治がつながっているわけです。

    五木寛之さんは土砂降りの日に石山寺を訪れています。

    石山寺を訪れた文人は数多いようです。
    鴨長明、松尾芭蕉、本居宣長、島崎藤村などです。
    藤原道綱母、紫式部、清少納言、和泉式部、菅原孝標女など平安期の女流作家も多数訪れています。
    和泉式部日記には7日間参籠したと記されているそうです。
    紫式部はここで「源氏物語」の構想を得たとされています。

    五木寛之さんは門前の店でしじみ飯を食べています。
    窓から瀬田川を一望しながら、これまでに石山寺を訪ねた人々に思いを寄せています。

    わたしは2009年3月に石山寺を訪れました。
    琵琶湖から瀬田川に沿って歩き、しじみ飯を味わい、石山寺の中を歩きました。
    私が行ったときは季節がよく、天気にも恵まれ、気持ちのよい石山寺を楽しむことができました。

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    2009年10月04日
  • 青春の門 第一部 筑豊篇 【五木寛之ノベリスク】

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    このシリーズは、1、筑豊篇2、自立篇3、放浪篇4、堕落篇5、望郷篇までを4年ほど前に従兄弟にもらった。
    6、再起篇までは買い足して読んだが。7、挑戦篇8風雲篇は未読。5、望郷篇の後半から6、再起篇の前半までが少しブレというかスムーズに話は進まない感覚はある。

    五木寛之さんは昭和46年ぐらいにはその時点での単行本を多く読んでいたが『青春の門』だけは未読だったので6巻を一気に読んだ。そのあと、あまり本を読まない家内も一気に読んだので。五木寛之さんの読者を惹きつける筆力のすごさを再認識したシリーズである。素晴らしいエンターテイメントだと思う。
    五木さんは「のぶひろし」をはじめ数種のペンネームで作詞も多く手がけておられてヒット曲も多い。
    昭和46年ごろかその後、「車」に凝っておられた時期もあって東名高速をあてもなく往復したとか。
    「車」に関する短編も短編も面白く読ませてもらった。

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    2009年10月04日
  • 人間の覚悟

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    1回目「明らかに極める」諦める・・・。ムムム。
    2回目「・・・やはり世間はひとつのフィクションなのでしょうか」納得。

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    2013年08月24日
  • いまを生きるちから

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    おととい購入して一気に読む。

    日々感じていること、
    感じているのに言葉にできないこと
    うん、、そうそう、、、
    これを私は感じていたの!
    言葉にしてくださってありがとう!五木先生!という感じ。

    目に見えるものだけを信じる時代ではない。
    目に見えないものもまたあわせて信じていくことが、人間の幅になるということ。

    父性的な「理」や「智」だけで日本はここまで着たけれど、

    母性的な「情」というものもまた見つめなおす時期なのではないかということ。

    日本人のアニミズムを見直すということ

    アニミズムとは、木にも草にも虫にも、山にも川にも、ありとあらゆるものに「魂」があり、そしてそれを「生きている」と感じる原初的な感覚といわれています。

    こういった感覚は俳句をしていて、日々感じること。

    今の環境問題にも、このアニミズムの感覚は新しい思想ではないかと提言されています。



    紹介されている先人の言葉でわたしが気に入ったもの!
    これ!っとおもったもの。

    「自分探しは近代の病である」
    「自分とは自然のなかの一部分である」


    (野口三千三)*体操思想家で芸大の教授。

    最近鳥を見ても、花を見ても、その単純さに力強さを感じる。
    惹かれてならない。

    食べて、寝て、生きて、呼吸ができて、よく眠れて、夢が見れて
    動くことができて、それでいいではないかと。

    そんな当たり前のことが一番大事で、、、、
    年をとると失うものもおおいけれど、その代わり当たり前であったことの
    有難さもまた感じるということも真理。
    年をとると生きやすくなるというのも日々実感している。

    自分へのこだわりを捨てて、
    生き物としての自然を自分の中に見る。
    シンプルに。


    これってとてもヨガ的!
    俳句的!

    複雑になりすぎた世の中だから、
    少し自分というものを捨ててみるという勇気も必要なんだろう。

    今年はぐるぐるといらないことを考えずに、
    自分の中の自然を大事に、見つめる。
    実践する。
    頭じゃなくて、行動に重きを置く。
    わたしに一番必要なことだなあ、、、、、と。

    便利になってしまった世の中だから、これはかなり意識しないとできないこと。

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    2009年10月04日
  • 五木寛之自選文庫〈エッセイシリーズ〉 風に吹かれて

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    ネパールのポカラの宿で見つけて読んだ本。

    砂浜で車が動けなくなってみんなで力を合わせることの感動、
    スカートにフェティシズムを感じるなど、
    純粋な気持ちが描かれていて印象深いものだった。

    まだ全部読んでいないな、、、

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    2009年10月04日
  • 百寺巡礼 第四巻 滋賀・東海

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    百寺巡礼の旅も4巻目を数え、私の住む滋賀県へ。
    それにしても滋賀県が人口当たりの寺院の数で全国一であるのみならず、単純に寺院の数で比較しても京都より多いなんて知らなかった。
    そう言われてみると、散歩していてもそこかしこで確かにお寺に突き当たるもんね。
    で、そうやってお寺を見ながら歩いていて、また気が付くことに、路傍に祀られているお地蔵さんが多いこと。
    歴史の舞台にして、交通の要所、本編の中にも度々「信長の焼き討ち」が出てくるけれど、そうした地勢と歴史の中で、近江の人たちががそこにある色々なものを拠り所にして生きてきたことを偲ばせる。
    昨年沢山の本を読み、心震わすことも多かったが、何より感じたのは“ただ生きることの尊さ”だったような気がする。
    自然や風土に関して“全てのものに命がある”という仏教の教えも載っているけれど、年の初めに昇る朝日に、自然と手を合わせ、今年一年もしっかり生きたいと念ずる。
    最澄が言う、自分が持てる能力を謙虚に社会のために生かし、日々そのために努力して、それぞれの場で一隅を照らす人こそ、国宝と。

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    2020年09月14日
  • 百寺巡礼 第三巻 京都1

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    このひと月の間、京都の町は紅葉見物の人で賑わい、東福寺もまた例外ではなく、淀への乗り換える駅のホームから溢れそうな人にうんざりする。
    百寺を巡る旅も第3巻で京都に入る。
    金閣、銀閣、東と西の本願寺、南禅寺、清水寺、東寺など観光客にも馴染みの深い寺を巡りながら、しかし描かれる風景は雑踏の観光客とは一線を画し、朝廷や室町幕府が置かれた京都ならではの歴史の上に、夫々の寺と仏の教えがそうした時の権力や民衆とどういう関わりを持ちながら今日まで生き抜いてきたかが語られる。
    北山文化や東山文化の栄華を描きながら、一方でそれが鳥辺野や化野の地獄図の上に成り立っていたこともあわせて語り、金閣の輝きは無名の民草の血と汗の輝きと喝破する。
    あるいは、信じることでおのずと大きな力によって自然にひきよせられるという〈他力〉の真髄や、ひとつの生命は無限につながる過去の因縁の結果として生まれたものであるという東方浄瑠璃浄土の思想など、相変わらず端々に思わず頭を垂れる一節が展開される。
    こうしてみるとこれらお寺のことを何も知らずにお参りしていたことを改めて知る。
    ご朱印集めじゃいかんのだ。

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    2020年09月14日
  • 百寺巡礼 第一巻 奈良

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    押し付けがましくなく柔らかで、衒いなく素直に古寺への感動が書かれていて好感が持てる。
    淡々と書かれてるんだけれど読んでいると、まるでお寺にいるようなリアリティがある。

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    2009年10月04日
  • 百寺巡礼 第一巻 奈良

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    日差しは変わらず夏の強さも木陰の風は秋の気配を運ぶ彼岸の中日。
    そんな日に読むこの本の、なんとまあ清冽で凛とした佇まいに溢れていることか。
    仏の掌の上で慈しまれるように仏像を愛で、未訪の寺はもとより既知の場所でも改めて訪れたくなる描写と薀蓄。
    人情溢れるひっそりとした山里で凛と立つ室生寺。
    花の寺の俗っぽさに現代の巡礼を見る長谷寺。
    大衆の志や信心に支えられ立つ二つの塔が時を超えた景色を見せる薬師寺。
    命を投げだしても遂行された鑑真の遺徳を偲ぶ唐招提寺。
    一瞬一瞬の天候に応じ変化する苔の海に伎芸天のおわす秋篠寺。
    聖徳太子から親鸞へ受け継がれた平等思想に思いを馳せる法隆寺。
    日本人の心の渇きを癒す斑鳩の里にある中宮寺。
    仏教伝来というカルチャーショックの中心地の飛鳥寺。
    二上山の彼方に浄土への思いを募らす當麻寺。
    日本が日本たるに必要であった大仏をいただく東大寺。
    ただ寺を巡礼した紀行文にあらず、話題はそこから白秋や堀辰雄に飛び、またあるいは怨霊信仰や浄土信仰に及び、思想や学問に大事なこと、インターナショナルということ、和魂洋才、渡来人や女性について、などなど縦横に語られる。
    あと9巻続くのでこれはとても楽しみ。☆一つは今後のために取っておく。

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    2020年09月14日
  • 生きるヒント ―自分の人生を愛するための12章―

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    イランでの買物の仕方、朝顔が咲くのに必要な条件が心に残った。悲しみを知るものだけが大きな幸せをしることができる。

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    2009年10月04日
  • 生きるヒント ―自分の人生を愛するための12章―

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    五木さんの本を読んだことがなかったので。

    12の章がありますが、「占う」という章があって、占い勉強中の私は嬉しかった。

    イスタンブールでの買い物の話、「悲しいではないか!」というあいさつの話が印象的。

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    2009年10月07日
  • 青春の門 第二部 自立篇 【五木寛之ノベリスク】

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    青春の門第二部。
    主人公の信介は東京の大学へ…
    東京は信介にとってどんな街なのか。

    織江はそんな信介を追い深みにはまっていく…

    筑豊育ちはやたらモテ男な気がする…

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    2009年10月04日
  • 五木寛之自選文庫〈小説シリーズ〉 奇妙な味の物語

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    車を愛し、車から愛されすぎた美貌婦人の悲劇。
    自著の返本の山にうもれて窒息死するベストセラー作家。
    sexを試み、ポルシェを走らせ、大人の快楽を駆け足で味わってしまう9歳の少年。
    ユーモラスで残酷でピュアな香高い17の物語。
    心の奥底にひそむ悪魔的快感をよびおこす、傑作ホラー短編集。

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    2009年10月04日
  • 青春の門 第一部 筑豊篇 【五木寛之ノベリスク】

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    五木文学のスタート本。
    「伊吹信介」に憧れた高校時代。
    「自立編」「望郷編」と待ち望んでは読み、はまって行った。

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    2009年10月04日
  • 雨の日には車をみがいて

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    五木寛之さんには珍しい作品。
    恋と車は青春の象徴のようなもの。「2CV」が雪の坂道を登って行く姿はなんとも言いがたいです。

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    2009年10月04日
  • おとな二人の午後

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    人気異邦人作家二人が古都ローマを散策し、人生の宝物について談笑する。ブランド・買い物・住まい・靴・車・ワイン・年齢・健康法・政治・宗教・教育etc。ユーモアあふれるカフェでの歓談にはじまり“二人の午後”は、時代の変わり目をどう生き抜くか、二十五歳以降いかに美しく生きていくか、についての結論へ―。五木思想と塩野哲学がコラボレイションする優雅でセクシーな旅とおしゃれと人生への誘い。

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    2009年10月04日
  • おとな二人の午後

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    I氏は季節に1度しか頭洗わないんだってよー。
    健康にいいとか言ってるし、確かにフサフサしてるけど、
    絶対に、ク・・・ク・・・

    S氏は、鼻がもげそうでは無かったのだろうかと
    そればっかり気になってしまった。

    この本を読む資格無し>私

    髪の毛が臭いのはおいておいて、おおっ、と
    思うことはたくさんあった。
    七生さんの力強さ、時に強情さ、私にはこちらがまだこころよい。

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    2012年07月10日