五木寛之のレビュー一覧
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ふーむ。
林三郎の書生となって、飛躍するかと思ったら、
林みどりとの間だけに 縮小してしまった。
おい。おい。
それで、オリエのマネージャーになると言うのは、
ふーむ。なんじゃそれ。
という感じだね。
ブルジョアジーとプロレタリアートという図式のなかで
今の時代の流れをつかみきれないものがあるのだろう。
それで、再起 なのだろうか。
信介の行動原理は、敵が明確であれば、立ち向かう時に、
勇気をふるい、たたかう。
歴史の中の個人、歴史との関わり合い、
貧乏であったという過去の生い立ちから、
プロレタリアート意識なるものに、そぐわない何かがある。
食べて、生活するだけでは、物足らない。
オリエ -
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青春の門 堕落篇 五木寛之(著)
北海道の演劇活動が失敗し、緒方、トミちゃんも東京に行った。
オリエは、ホステスをしながら、歌をうたっていたが、
その歌いぶりに、井原プロのオトコにスカウトされる。
オリエは、東京に行くことを決意する。
信介も、英治にあったりして、オリエのピンチを
助けてもらう。
英治は、意外とお茶目。手先が器用だね。
そして、北海道から、東京に舞台が移る。
トミちゃんのたくましさ、旺盛な勉強しようとする意欲。
それに、圧倒されながら、信介は、学校に通うことにする。
オリエの自分で切り開こうとする、しっかりした姿勢に、
信介は、ヤキモチを焼き、喧嘩さえしてしまう。 -
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創造活動をしながら,巡業する劇団活動。
北海道から 南下する予定だったが、
北海道 函館,そして,札幌で 終わってしまう。
劇をどのようにつくるのか?
激しい論議がありそうで,核心に迫らない。
港の沖仲仕に ヤクザが介入。
そういえば,山口組はこれで,事業を確立したはず。
昼ご飯が高いと反乱するが、結果として 尻すぼみに。
あまり,戦略もなく、挫折。
トミちゃんは強姦され,丸玉食堂の親父は アーナキストとしてめざめる。
有効な方法がないところに、小説になっていない。
なぜか,血液の比重がたらないように
物語も 比重がたらないような気がする。
青春の門が 2000万部も売れたと言うが
時 -
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学生時代に読んだが,いまの歳になって、
この本を 読むとは思わなかった。
伊吹信介 が 記憶していることから、
18歳となり 大学に行く ところで、おわる。
昭和という時代が,雰囲気として立ち上る。
みんなが 飢えから 解放されようとしていた。
しかし,時代の動きが あまりにも,排除されているような気がする。
私小説的な手法になりすぎている。
信介は 重蔵の息子であることに誇りを持ち
父親に助けられながら,自分であろうとする。
図抜けた存在ではないが,義理 という言葉が
妙に似合う 若者である。
年長者に対する言葉遣いなど いまの時代からみると
難があるが,許される範囲であるかもしれない -
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著者は、浄土真宗の他力の思想に深く共感しながらも、しかし同時に自力をも否定しない。それどころか、どちらか一方を採用する二分法的な考え方自体を改めなければならないとする。そして花田清輝の「楕円の思想」(真円の中心点は1つであるのに対し、楕円は2つの中心点を持つ)を引き合いに出して、自力と他力という2つの力点間を自在に往復し、どちらにも偏らない(力まない)生き方=「無力(むりき)」を提案する。
「本来、人間は時に右へ、時に左へと揺れ動いていくものなのに、その認識を欠いたまま、どちらに落ち着きたがっているような気がしてなりません」(p.65)
少なくとも現代社会において、このようなどちらにも落ち -
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著者によれば、現在の日本は下山の時を迎えているという。
敗戦後、先進国を目指し世界第二位の経済大国に上り詰めた。
ここまでが登山である。
バブルで頂上を迎え、今は下山の時であるという論旨である。
登山でも実際に下山時の方が遭難が多いと聞く。
いかに上手く下山するかは大事であることに同意する。
たしかに欧州の先進国がそうであったように、今後の日本は経済的に大きな発展は見込めず、ある意味で国家として成熟していく時期だと思う。
そういう成熟していく下山であれば良いが、後半で書かれているノスタルジーのすすめは馴染めない。
同意できる部分もあるが、価値観が合わない部分も多く、いまひとつすっきりしな -
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上り坂、下り坂、栄枯盛衰、そして人生において、社会でも、国家にも当てはまるだろう。改めて、下山と名をつけ、語られる内容には、大きな意味があるのか?大戦後、日本は発展を遂げ、世界でも屈指の経済大国になった。バブル、経済低迷、近隣諸国の台頭、中国の発展。今からは、緩やかに下山もよいではないか?
同様のことは過去の歴史の中で繰り返されてきたことだと思う。先哲の意見を参考にしたいと考えるものである。
疑問
・現代では60歳(定年)が下山を始める歳か?
・下山は、あきらめや放棄ではなく新しい物差しで人生を成熟させるものである。ゆっくりと振り返りながら、到着点では安心。善悪という二者択一の決め方は当て -
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自分は思っているほど完璧ではない。むしろ、瑕だらけである。にもかかわらず、多くの人はそれに気付いていないか、あるいはそれに気付かないふりをしている。だから「自分は大丈夫」「自分に限って……」というような思考に陥ろうとするのである。
本書は五木さん流の「覚悟のススメ」。どうせ完璧ということには、なりっこない。だったら、それを「覚悟」し、そのうえでの行動を考えるべきではないか。
日本は所詮小国。今後、世界を引っ張るほどの力は復活しないのではないか。
心に「愁い」があるのは当たり前。「鬱」には誰もがなる。
「悪」はみんなの心に等しく存在する。
などなど。つい、根拠もなく期待してしまっ -
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相変わらず浄土真宗開祖の話とは思えない冒険活劇。どったんばったん。
前作は子供から大人への成長譚だったのですが、本作「激動編」の親鸞は初めから結構いい大人。
さすがに貫禄も出たろうと思ってたんだけど、どっこい持ち前の草食男子っぷりは健在で。
もう、なにしろ全然自分で決められない。いろんな事を。
見た感じお坊さんなもんだからまわりにいろいろ聞かれるんだけど、
んー、え、ちょっと、分かんないです。逆にどう思います?という相変わらずの調子。
しっかり親鸞!ちゃんとして!
それでも実直な言動で次第にまわりに味方が集まってきます。
というか、誰かが守ってあげないと、このひとまるで生きて行けないもんだか