五木寛之のレビュー一覧
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全2巻。
ただ、続篇で「激動篇」が2巻あり、
現在「完結篇」が連載中。
坊さんだけどそんなに抹香臭くない。
特に序盤の本著は、幼少時代から始まることもあり、
冒険したり仲間に助けられたり戦ったり、
素直にワクワク読み進められる。
吉川英治版より、より「冒険活劇」なイメージ。
ただ、執筆年数、物語内の年数ともに長いので、
序盤で活躍したキャラ、
キーになるだろうと予想されたキャラ達が、
どんどん影が薄くなり、
使い捨てられてる感じがある。
まだ完結してないので何とも言えないけど、
すっきりしない感じが残りそうで不安。
何はともあれ完結を待っています。 -
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ちくま文庫が、五木寛之の過去の著作から「隠された日本」というシリーズを組んで、今年度くらいから月1ペースで文庫本を出している。「歴史の基層に埋もれた、忘れられた日本を掘り起こす」がコンセプトらしい。
五木寛之さんは全く読んだことなかったけれど、そのシリーズ第1弾「中国・関東 サンカの民と被差別の世界」は大変おもしろく読んだ。なので、今回の「大阪・京都 宗教都市と前衛都市」も、せっかく大阪にいるしと思って期待して読み始めたが、、、ちょっと期待はずれ。
「サンカ~」の方は、被差別の世界に詳しい沖浦氏が登場したり、いろんな当事者の方への取材がベースにあったりしたのに対し、「大阪・京都編」は、かつて住 -
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久しぶりに五木寛之を読んでみた。
いつ以来だろう、彼の小説を読むのは------
高校時代に初めて読んで嵌り、大学に入ってからもかなり読んでいた。
社会人になってからは殆ど読んだ記憶がないので、四半世紀ぶりくらいになるのかもしれない。
あの頃は、純文学、大衆小説、推理小説と三つに色分けされていて、推理小説は別格でエンタメ小説として分類されていたが、彼のような大衆小説は、純文学より一段低いものとみなされていた。
でも、それがとても面白かったんですね。
もっとも、人気があって作品が売れたからこそ、“大衆小説”として純文学界から蔑まされていたということもあったのだけれど。
「蒼ざめた馬を見よ -
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ふーむ。
林三郎の書生となって、飛躍するかと思ったら、
林みどりとの間だけに 縮小してしまった。
おい。おい。
それで、オリエのマネージャーになると言うのは、
ふーむ。なんじゃそれ。
という感じだね。
ブルジョアジーとプロレタリアートという図式のなかで
今の時代の流れをつかみきれないものがあるのだろう。
それで、再起 なのだろうか。
信介の行動原理は、敵が明確であれば、立ち向かう時に、
勇気をふるい、たたかう。
歴史の中の個人、歴史との関わり合い、
貧乏であったという過去の生い立ちから、
プロレタリアート意識なるものに、そぐわない何かがある。
食べて、生活するだけでは、物足らない。
オリエ -
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青春の門 堕落篇 五木寛之(著)
北海道の演劇活動が失敗し、緒方、トミちゃんも東京に行った。
オリエは、ホステスをしながら、歌をうたっていたが、
その歌いぶりに、井原プロのオトコにスカウトされる。
オリエは、東京に行くことを決意する。
信介も、英治にあったりして、オリエのピンチを
助けてもらう。
英治は、意外とお茶目。手先が器用だね。
そして、北海道から、東京に舞台が移る。
トミちゃんのたくましさ、旺盛な勉強しようとする意欲。
それに、圧倒されながら、信介は、学校に通うことにする。
オリエの自分で切り開こうとする、しっかりした姿勢に、
信介は、ヤキモチを焼き、喧嘩さえしてしまう。 -
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創造活動をしながら,巡業する劇団活動。
北海道から 南下する予定だったが、
北海道 函館,そして,札幌で 終わってしまう。
劇をどのようにつくるのか?
激しい論議がありそうで,核心に迫らない。
港の沖仲仕に ヤクザが介入。
そういえば,山口組はこれで,事業を確立したはず。
昼ご飯が高いと反乱するが、結果として 尻すぼみに。
あまり,戦略もなく、挫折。
トミちゃんは強姦され,丸玉食堂の親父は アーナキストとしてめざめる。
有効な方法がないところに、小説になっていない。
なぜか,血液の比重がたらないように
物語も 比重がたらないような気がする。
青春の門が 2000万部も売れたと言うが
時 -
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学生時代に読んだが,いまの歳になって、
この本を 読むとは思わなかった。
伊吹信介 が 記憶していることから、
18歳となり 大学に行く ところで、おわる。
昭和という時代が,雰囲気として立ち上る。
みんなが 飢えから 解放されようとしていた。
しかし,時代の動きが あまりにも,排除されているような気がする。
私小説的な手法になりすぎている。
信介は 重蔵の息子であることに誇りを持ち
父親に助けられながら,自分であろうとする。
図抜けた存在ではないが,義理 という言葉が
妙に似合う 若者である。
年長者に対する言葉遣いなど いまの時代からみると
難があるが,許される範囲であるかもしれない