五木寛之のレビュー一覧

  • 選ぶ力

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    改めて日々『選んでいる』ことを実感させられました(^^)何をするにしても、大小はあるものの選んで生活しているんですね。本書では、“健康”というキーワードが多く、今のトレンドを映し出しているといった感じです。死ぬまで“選択”は続くんです(^^;)

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    2018年10月15日
  • 百歳人生を生きるヒント

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    人生後半は下山の心構えで。50代の事はじめ・下山を考え、60代の再起動・下山を実行、70代の黄金期・下山途中を楽しみ、80代の自分ファースト・しがらみから身をひき、90代の妄想のすすめ・想像力で楽しみに浸る。

    既に85歳という実績、過去に人生を語った経験、縦横無尽な古典や体験の引用。

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    2018年10月13日
  • 親鸞(しんらん) 完結篇(上) 【五木寛之ノベリスク】

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    何となく今の感覚で読んでしまうけど、実は住む地が離れるというのは今生の別れを意味する時があるのか……。そして親鸞は遂に歎異抄へ!下巻が気になる!

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    2018年10月10日
  • 青春の門 第一部 筑豊篇 【五木寛之ノベリスク】

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    前半はもの凄くフックがあってよいんだけど、後半はもう炭鉱設定どうでも良くなった感じがもったいない/ ただの中高生の成長記録/ 織江が唯一の救い/ 健気でかわいすぎる/ 織江の幸せを願ってやまない/

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    2018年10月08日
  • 人間の関係

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    五木寛之 著「人間の関係」、2009.3発行です。印象に残ったのは、①夫婦は恋愛より友情 ②歓びノートや悲しみノートもいいけど一番いいのは有難うノート ③自分の役に立つ人間関係を人脈というけど、絶対に相手を利用しない無償の交友が良い。 ③については仕事をやめてから本当にそうだなと気づきました。今は男女、年齢にかかわらず数人の方々と友達付き合いをしていただいています。相性が合ってるんだと思います。話が尽きないです。近所の方、サークル関係、散歩・ウォーキング関係。

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    2018年08月21日
  • 孤独のすすめ 人生後半の生き方

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    五木寛之 著「孤独のすすめ」(2017.7)、「嫌老社会を超えて」(2015.9)を再構成、大幅に加筆したものだそうです。2つのことが印象深かったです。①孤独な生活の友となるのが、例えば本。読書とは、著者と一対一で対話するような行為。誰にも邪魔されず、古今東西のあらゆる人と対話できる。これほど心強い友はいない。②「捨てること」が巷間よく話題になっているが、ガラクタともいえる使ってないマッチ箱、コースター、レコードなどは、「回想」(幸せな時間)の糸口となり、人間不信と自己嫌悪を癒してくれる。

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    2018年07月26日
  • 孤独のすすめ 人生後半の生き方

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    一気に読んだ。著者の意見はとても自分に似ている。人生は青春、朱夏、白秋、玄冬と4つの季節が巡っていく。自分は今白秋あたりか? 孤独のすすめというよりも、老人階級と若者との階級闘争が始まるのを危惧する記述が心に残った。嫌老社会から賢老社会に変えていきたいものである。

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    2018年07月14日
  • マサカの時代(新潮新書)

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    五木寛之 著「マサカの時代」、2018.4発行です。これから先、おそらく、あらゆる予測は外れるだろう。それが「マサカ」の時代なのだ。その「マサカ」の時代に私たちは生きている。「3.11」や「西日本豪雨」、まさに「マサカ」と思います。主題とは外れますが、一番心に残ったくだりは。著者が夕方6時ごろ、映画館の窓口で。窓口の女性「深夜ですか?」著者「いや、いまから」窓「ですから、深夜だと安くなりますけど」著「でも、いま見たいんだよ」窓「深夜じゃないんですね」著「くどいな、深夜じゃない」窓「じゃあ正規の料金で」w

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    2018年07月13日
  • 孤独のすすめ 人生後半の生き方

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    ネタバレ

    五木寛之さんの本は『人間の覚悟』『下山の思想』に続いて3冊目。
    全2冊は夫の本棚から。
    この本はそのタイトルに惹かれ、手にした本。
    既に30万部を突破しているベストセラー。

    2015年に刊行された『嫌老社会を超えて』を再構成、大幅に加筆したうえで、タイトルを変えたそうですが…
    『孤独のすすめ』というタイトルと内容がしっくりこなかった。

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    2018年06月27日
  • 70歳! 人と社会の老いの作法

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    サブタイトルに老いの作法とあるが、宗教を絡めて世情に切込み著書の考えを述べた本。対談形式のまとめで読みやすい。なるほどと思うこともあり勉強になった。

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    2018年06月23日
  • 親鸞(しんらん) 完結篇(上) 【五木寛之ノベリスク】

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    ネタバレ

     常陸の国から京へ戻った親鸞。そこでは、幼い頃に京へ出した長男の善鸞との関わりから、親鸞も様々なことに気づかされ、悟りを深めていく。

     他の本では、善鸞が悪者に描かれる事もあるが、本書では、善鸞をそこまで悪者に描かれてない。どちらかというと、善鸞の妻、涼を悪く描いているように思う。ただ、そこも、陰と陽を描いて、読者にどう感じさせるか、著者の思惑があるのかもしれない。自分の思ったことをずけずけ言うことが悪いのであれば、涼はまぎれもなく悪者だが、逆に、思いをストレートに告げれず、yesもnoも言わない、言えない、いえる強い考えを持たない善鸞が悪者と捉えられる節がないわけではない。

     親鸞が常陸の国を去って時間がたつと、常陸にも親鸞の教えを無理解であったり曲解したりと、色々と問題が出て、混乱してきた。造悪無碍という思想だ。何をしてもかまわない、悪事すら一向に気にするなという考えであり、更に、大胆不敵に悪をなせ、そのような悪人こそが往生できるのだ、とすら主張する者たちも出た。なぜそのような思想が生まれたのか。法然上人の教えは、だれにでもやさしく理解できるところに特長があった。世間から悪人扱いされている者たちも、罪多き賎民と卑しまれている人々も、男も女も、みな平等に往生できる。そう説いた。それまでは、浄土に迎えられる資格のある者は限られていた。善行に励み、徳を積み、信心に励む者たちである。その考えを法然上人はいっきに打ち砕いた。仏は哀れなものを救うために仏となったのだ。と説いた。だから、その呼びかけに念仏 南無阿弥陀仏で応えよ、というのだ。この世で弱き者、貧しき者、悪しき者とされている人々に対してこそ仏の手はさしのべられるのだと。

     ただ、悪人もまた救われる、とは言っても、悪人こそが救われると強調しているわけではない。悪人という言葉も、何を悪人とするのか。殺生をするものを悪人とみなすというのは分かりやすいが、そもそも仏法では、動物の生命は考えても、草木に生命があるとはしなかった。親鸞は、野菜や稲、果物などにも生命があると思うのだった。生命が生命によって支えられている。それを悪とするなら、生きとし生ける者はすべて悪人であり、罪人である。

     「なぜならば」というのが親鸞の口癖だった。その疑問を口にせず、わけもなく念仏に身を任せることが出来たのは、それが法然上人という類まれな人格の肉声だったからだ。法然上人に「ただ信じて念仏なされ」と言われるとき、人は赤子のように素直になる。それは法然上人が偉い人だからではない。上人自身が生ける仏そのものだったからではないか。しかし親鸞は自分はただの人間だと思うのだった。ただの人間が他の人間に何かを信じさせるためには、「なぜならば」とくどいほど説かなければならないのだ。親鸞が心血を注いで『教行信証』を書いたのも、そのためだった。

     浄土に生まれるとは、死んで極楽へいくという意味ではない。それは、闇の中にいた自分が、光の中に出てくるということだ。これまでの自分とは違う、あたらしい自分に生まれ変わるのだ。死んだ後のことなど誰も分からない。浄土とは光の国ということだ。絶望の中にいた人間が、希望の光に出会う。浄土に生まれるとはそういうことだ。しかし人は迷う。心細くなることもある。だから念仏に励まされる。それを信という。信じるということは迷信ではない。人に勇気と悦びを与えるものが信なのだ。迷信は、人を恐れさせ、迷わせ、心細くさせる。あれをしてはいけない、これをしてはいけない、とうるさく言う。しかし信にはそれがない。信とは、勇気が生まれ、心が明るくなるものだ。死後の不安を抱えている限り、人は幸せになれない。死んだ後、自分は光の国に行くのだ、と固く信じたとき、生きている喜びとなる。

     人を一人も殺せぬ、というのは、自分が善き心の持ち主だからではない。人は自分の思うままに振舞うことが出来ないのだ。人は自らの計らいを超えた大きな力によって左右されることがある。こうしようと願って出来るとか、ああはしまいと決め手避けられるとかいうものではない。絶対にこれだけはやめておこうと誓いつつも、そこへ入り込むこともある。だから、善人、悪人、などと人を簡単に分けて考えてはいけない。人を殺すなど決してしまいと思っていても、本当は分からないのだ。いつ人殺しをするかもしれない。それを業のせいである、という。しかし、業とは、世間で言う宿命ではない。結果には必ず原因がある、ということだ。人は決してわが計らうままに生きられない。その願うとおりにならないことを、業を背負っているという。みな大きな業を背負って生きている。その恐れと、不安の中にさしてくる光を他力という。救われる、というのは、そういうことではないか。

     念仏一筋、ということは、つまりは数々の神、仏の中から、阿弥陀仏という仏さまをひたすら頼むことだと教えられました。弥陀一仏などというが、この国の多くの人々は、大昔は阿弥陀様のことなどよく知ることもなく暮らしていた。先祖代々その中で生きてきた風俗、習慣などは、いまの私たちの体と心の中に伝わってきている。空で雷が鳴れば雷神様が怒っていると思い、田には田の神様が、海には海神様がおられると感じる。道端でお地蔵様を見れば手を合わせる。人はそのように自然に感じるものだ。その中で、法然、親鸞の説く、弥陀一仏、選択(せんちゃく)とは、多くの神々や諸仏の中から、阿弥陀仏という仏を選択したのではないということだった。かわらのつぶてのごとき我らに、阿弥陀仏の方からてを差し伸べてくださったのだ。ほかにどこにも行きようがない我らに手を差し伸べてくださった仏が阿弥陀様。ああ、ありがたい、という声が念仏になった。そして、ただ一筋にその仏に帰命する。念仏者がたのむのは弥陀一仏。そんな念仏者を健気と思って陰ながらに見守って下さる神々や諸仏がいる。だからこそ、世の神々や諸仏を軽んじてはならない。これを冥衆護持(みょうしゅうごじ)という。

     信じて念仏すればいかなる悪人でも浄土に往生できる、と教えられれば、小躍りして喜ぶ人もいるはずだ。悪を恐れるべからず、と思い、阿弥陀仏という仏は罪人を救うためにこそおわすと考えれば、造悪無碍という穴に陥る者もいよう。逆に、おのれの悪を自覚せよと教えられれば、清く正しく未を謹んで生きてこその念仏者と思い込む罠にはまりやすい。賢善精進(けんぜんしょうじん)とよばれるその姿勢は、とかく世間の受けも良く、無難な道であるが、そこには他力よりも自力を恃むおごりがある。念仏を唱えれば生きながらに仏になる、ということではなく、信心が定まれば、その地で仏となる未来が確かに約束されるということだ。それを即得往生(そくとくおうじょう)という。しかし、そのことを即身成仏の秘儀のように誤って受け取るものもいないわけではないのだ。

     親鸞は90で没した。本小説は、事実を元にして創作されたフィクションだが、小説の中で親鸞が話す内容、根本にある親鸞の教え、考えは、親鸞の本当の教えをいささかも踏み外していない、と宗門からも高く評価されているという。法然は生きながらにして、仏のような存在であったというが、親鸞は人間親鸞だったし、親鸞自身も、自分は罪深く、欲深い人間だ、といつも言い、思っていた。だから、民衆にとって、親鸞の教えは胸にす~~っと入っていったであろうし、この人は本当のことを言っている、この人の言うことは信じれる、と思ったのだと思う。

    全2巻。

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    2018年05月29日
  • 下山の思想

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    何年も前に買っていたもの
    この年末に書棚の整理をしていた時に
    無造作に突っ込んでいた積読の一冊
    どこで、買ったのかも忘れている
    だいたい、買ったことを忘れていた

    何気なく、読み始めてみると
    ふーーむ
    なかなか面白い
    五木さん独特のセンテンスが短くて
    文章のリズムが心地よい

    年明けの
    ぼーっ とした気分のまま
    活字を追っている
    日向ぼこのように心地よい

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    2018年05月21日
  • 新老人の思想

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    飾らない言葉で、本音で書いているので、とても語りかけられているようで、読みやすい。

    「自分のことを棚に上げて」がモットー

    P 83〜 タイプA,B,C,D,E 自分はどれになるだろうな?って思った。自分はどれになりたいかな。 先進技術志向型と放浪志向型ならいたいかなって感じた。

    豊かなについてもっと考えてみようっと。

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    2018年05月13日
  • 孤独のすすめ 人生後半の生き方

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    そうなんですね。老人大国の先陣をきってるニッポン。あらためて実感しました。
    2年後オリンピック開催のいま、前回の時とは国民の意識は明らかに違っていますね。
    五木さんの危惧されている話には共感しましたが、タイトルはこれでいいのかな。
    とチョッピリ思いました。

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    2018年05月10日
  • 70歳! 人と社会の老いの作法

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    75歳にして思うこと

    私も、本年、75歳に突入して、どんな本かな?と、興味半分読み始めた。
    何年かすると、私も、いつかは、老いて死んでいかねばならないのかなと少し寂しくなった
     他の、五木寛之さんの本を読んで、五木寛之さんの人生観が、私たちに近いものがあり共感を持っていたが、この本は、釈さんの意見に添った感じの内容が多く、私には、理解できないことがあり、ちょっと、がっかりした。もう少し、五木寛之さんにどうしたら悔いなく死ねるのかどういう風に生きれば、悔いなく死ねるのかズバリ教えてほしいという感じがした。

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    2018年05月03日
  • 無力 MURIKI

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    五木寛之さんの「無力(むりき)」(2013.4)、宗教的色彩もあり、五木さんの本にしては難しかったです。自力でもなく他力でもなく無力、「?」です(^-^) ただ、読んでて考えることは多々ありました! 自力か他力か、人間か自然か、心か体か、生か死か、意識か無意識か・・・。そして琴線に触れる文も~。人間は重力という他力によって立っていられる。重力がなければ、猛烈なスピードで自転する地球の表面からあっという間に宇宙へ吹っ飛ばされてしまう。本当に不思議なことだと思います!

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    2018年03月30日
  • 親鸞(しんらん) 完結篇(下) 【五木寛之ノベリスク】

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    覚蓮坊一味とのアクションシーンを経て思想的な内容に移る。家族関係を見ると親鸞はやはり特異な存在であった。ほぼフィクションだが、遵念寺のモデルが気になる。2018.3.7

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    2018年03月07日
  • 蓮如物語

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    親鸞の教えを説いて人々を救うというシンプルな話ではある。だからこそ、蓮如の人柄の良さと情熱が伝わってくる。子供でもわかりやすい文章。この絵師のような、口は悪いが自分の世界で生きる人は小説の登場人物として好かれそう。
    母には会えなくても、蓮如は救われたのだろうか。

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    2018年02月02日
  • 親鸞(しんらん) 激動篇(下) 【五木寛之ノベリスク】

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    前巻のエンタメ系から少し思索らしき展開になってきたと思ったが、下巻で再びチャンチャンバラバラが始まった。しかし、念仏という言葉では簡素なものの深く意味するところを説明するのは難しいだろうなと思った。2018.2.2

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    2018年02月02日
  • 親鸞(しんらん) 激動篇(上) 【五木寛之ノベリスク】

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    流罪で越後に移った親鸞と妻、恵心。異様な祈祷師外道院との出会い。親鸞の心の迷い、変遷。2018.1.30

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    2018年01月30日