五木寛之のレビュー一覧

  • 青春の門 第八部 風雲篇 【五木寛之ノベリスク】

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    ネタバレ

    密入国したシベリアでの無理やりな展開でなんとか信介の旅を続けさせようとすることに、本来のストーリーとは別のところでハラハラする。

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    2023年05月18日
  • 私の親鸞―孤独に寄りそうひと―(新潮選書)

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    親鸞の言葉が、心の中に抱えていた罪の意識と孤独から、私を救ってくれた。五木寛之氏が、過酷な引き揚げの記憶と、親鸞と歩んだ半生を語る書籍。

    敗戦後、北朝鮮から引き揚げる際、言葉にできないような体験をし、「自分は許されざる者」との思いを抱いていた氏は、30歳を過ぎて、親鸞の教えに触れる。どんなに深い罪を抱いていても救われるという教えは、自分にも生きる資格があると思わせてくれた。だがその後、親鸞について勉強すればするほど、親鸞という人、その思想がわからなくなっている。

    浄土真宗の門徒の親鸞像は、親鸞に関する物語などを「聞」くこと(聞法)で形作られてきた。
    一種のフォークロア(民間伝承)のようなも

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    2023年05月09日
  • 青春の門 第七部 挑戦篇 【五木寛之ノベリスク】

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    良く練られた大河の展開で相変わらず面白いが、都合の良い出会いを積み重ねていくにつれてリアリティが欠けてくる。また、ロシアの蛮行が世界を混乱させている現在の読者としては、本作の魅力も幾分色褪せていると感じる。

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    2023年05月07日
  • かもめのジョナサン【完成版】

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    いろいろと思うことはあった。だが上手く文章にできない。本好き、哲学とか道徳とか好きな人は一度読んでみる価値はあると思う。これを読んでどう思ったか、人によってきっと違うと思うから、できることなら誰かと感想を言い合いたい。

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    2023年04月19日
  • 青春の門 第九部 漂流篇 【五木寛之ノベリスク】

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    「青春の門」の、「第八部 風雲篇」および「第九部 漂流篇」を続けて読んだ。

    第九部の「解説」によれば、この物語の来歴は下記のようなものだ。
    もともと、「青春の門」は「週刊現代」の1969年6月19日号から連載が始まったものらしい。連載開始から既に半世紀以上が経過している。また、第八部の連載がスタートしたのは1993年で、本にまとまったのが2016年であるらしく、連載開始から本にまとまるまでに20年以上を必要としている。また、第九部の連載開始は2017年からであり、2018年には完結している。単行本になったのは、2019年9月、文庫になったのが2021年9月のことだ。現在も「週刊現代」では、こ

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    2023年03月20日
  • 青春の門 第七部 挑戦篇 【五木寛之ノベリスク】

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    第1部〜第4部までは、まだ学生時代に読んだものであったが、最近になって続編があるのを知って、第5部以降を順次読み出している。

    これまで、あっちこっち放浪したり、誰彼と無く一般人とは言えないような人達との付き合いが羨ましくもあったんだが、ここにきて少し飽きてきた。

    ま、それでも最後まで付き合おうとは思っている。

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    2023年03月17日
  • 青春の門 第三部 放浪篇 【五木寛之ノベリスク】

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    放浪、エロ、暴力とエンタメ要素満載で相変わらず面白い。現在の視点でみると頭でっかちな学生の議論は滑稽に思えるのだが、当時の時代を懐かしむという新たな魅力が出ている気がする。

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    2023年01月26日
  • 青春の門 第二部 自立篇 【五木寛之ノベリスク】

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    本作の時代背景はひとつ上の世代のものだがイメージできる。ストーリーは突っ込みどころ満載であるが、楽しい成長物語である。街や世相の描写が懐かしい。続きも読みたい。

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    2023年01月09日
  • 生きるヒント ―自分の人生を愛するための12章―

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    暗い後ろ向きな内容や、共感できない部分もあるけど、考え、努力し、自分の存在価値を認識して生きていくことの大切さを確認しました。フランクルの夜と霧を引用。

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    2023年01月05日
  • 親鸞(しんらん)(上) 【五木寛之ノベリスク】

    購入済み

    親鸞周辺の登場人物が

    主人公は浄土真宗の開祖ということで大変に有名な親鸞であるが、高名な宗教家を扱っているのしては、あまり抹香臭くない作品である。創作であるとは思うが、親鸞周辺の登場人物が大変に生き生きと魅力的に描き出されている。
    しかし、現代と比べて人の命が門灯に軽かった時代だったんだなと感じた。

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    2022年12月03日
  • 百寺巡礼 第十巻 四国・九州

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    シリーズ最終巻。四国および九州の寺がとりあげられています。

    九州では、ヤマト政権の中心地から離れた太宰府をたずね、それよりもさらに長い歴史をもつ観世音寺に、古代からの九州と朝鮮半島の関係の跡を見ようとしています。さらに長崎では、鎖国状態にあった江戸時代において、中国との交流の窓口であり、異国情緒をふんだんにただよわせる街のようすに著者の連想はおよんでいきます。

    四国では、「お遍路さん」の隆盛に触れつつ、現在の日本人の心のなかにも受け継がれている信仰のありかたについての考察が展開されています。また人吉別院では、一向宗の禁制が敷かれるなかで、「隠れ念仏」と呼ばれる、信仰を守ってきた人びとのこと

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    2022年09月16日
  • 百寺巡礼 第九巻 京都2

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    第九巻は、第三巻につづいて、京都の寺がとりあげられています。

    著者は、三千院では「大和坐り」と呼ばれる、正座のような姿勢の観音菩薩と勢至菩薩に出会い、二尊院では双子のように並んで立つ釈迦如来と阿弥陀如来のすがたを目にしますが、それ以上にめずらしいのは永観堂の「みかえり阿弥陀」で、この仏像をめぐるエピソードを紹介しながら、阿弥陀信仰について考えを深めています。

    高台寺では、豊臣秀吉の死後の北政所の晩年が紹介されています。著者は「豊臣秀吉という人物には、これまであまり興味がなかった」と述べつつ、秀吉の死後に彼の思い出をいだきながら豊臣家の滅亡を目撃し、二十数年間を高台寺で過ごした「ねね」という

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    2022年09月16日
  • 百寺巡礼 第八巻 山陰・山陽

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    第八巻では、中国地方の寺がとりあげられています。

    本シリーズでもっともハードな巡礼となった三仏寺投入堂にはじまり、鴎外・森林太郎の墓のある津和野の永明寺などが紹介されています。

    瑠璃光寺では台風の直後におとずれることになった著者が、伝統建築の強さへの驚きを語っています。さらに阿弥陀寺では、東大寺再建のために尽力した重源の人物像にせまり、そのエネルギーがなにに由来するものであったのかということについて、考察がおこなわれています。

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    2022年09月15日
  • 百寺巡礼 第七巻 東北

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    第七巻では、東北の寺がとりあげられています。

    巻頭の序文で著者は、「仏教は縄文的な東北には、きわだって異相の侵入者である。そして、その異文化の受容と根付きの過程に、私たち日本人の心象風景が象徴的に透視できるような気がする」と述べています。こうした著者のまなざしは、日本が単一国家として統合されていく動きの裏面に、複数の文化が併存していたという考えかたが述べられているところにはっきりと現われています。著者は、奥州に一大勢力をきずいた藤原氏を「平泉幕府」とみたて、これにならって源頼朝が鎌倉を「第二の平泉」として形成したのではないかと論じています。

    慈覚大師円仁の名前が、東北の地に大きな存在感をも

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    2022年09月15日
  • 百寺巡礼 第六巻 関西

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    第六巻では、和歌山・大阪・兵庫など関西の寺がとりあげられています。

    高野山をおとずれた著者は、空海がこの地に道場を開く前から、山岳信仰の聖地であったことに注目し、仏教が在来の神と融和し、それをとり込みながら信仰のかたちがつくられてきたことに触れています。これまでも著者がさまざまな機会に語ってきた、日本の仏教に見られる「寛容」さですが、空海という人物には、たしかにさまざまな信仰のありかたを包み込んで総合するような広さを感じます。

    また融通念仏宗の総本山である大念仏寺では、開祖である了忍の像を、すばらしい美声で声明をとなえるシンガーにたとえるなど、著者らしい表現が見られて、おもしろく読みました

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    2022年09月15日
  • 百寺巡礼 第五巻 関東・信州

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    第五巻では、東京と鎌倉を中心に、関東・信州の寺がとりあげられています。

    山のなかにひっそりとたたずむ寺だけではなく、町のなかで庶民の暮らしに寄り添って寺にも興味をおぼえるという著者は、東京の浅草寺や柴又帝釈天などをおとずれて、著者自身が「虫瞰」と表現する低いまなざしでそれらの魅力を見ようとしています。

    他方、鎌倉では、蘭渓道隆および無学祖元によって開かれた建長寺と円覚寺がとりあげられ、鎌倉武士の精神がどのようなしかたで禅の道を希求することになったのかということについて、著者自身の考察をまじえながら、寺の案内がなされています。

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    2022年09月15日
  • 大河の一滴

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    開始:2022/9/15
    終了:2022/9/23

    感想
    上滑りした小手先の知識ではない、深みのある知恵。自分の中の澱を掬い出し陽の光に当ててみる。それは意外にもキラキラ輝いているのかも。

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    2022年09月23日
  • 百寺巡礼 第四巻 滋賀・東海

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    第四巻では、滋賀県などの寺がとりあげられています。

    本書によると、人口あたりの寺の数がもっとも多いのは滋賀県とのことで、本巻でも比叡山、三井寺をはじめ、六つの寺が紹介されています。

    織田信長が一向宗と長年にわたって抗争し、比叡山を焼き討ちにしたことはよく知られていますが、信長によって焼かれた寺は延暦寺だけではなく、本巻で紹介されている西明寺なども甚大な被害をこうむりました。著者はそれらの事実に触れながら、信仰を守ろうとした人びとのすがたに目を向けようとしています。

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    2022年09月14日
  • 百寺巡礼 第三巻 京都1

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    第三巻では、京都の寺がとりあげられています。

    金閣寺(鹿苑寺)と銀閣寺(慈照寺)では、ともに室町幕府の将軍でありながら、まったく異なる個性をもつ足利義満と義政の二人の人物像についての考察を展開しつつ、両者がそれぞれどのような考えにもとづいて、これらの建物をつくることになったのかということが論じられています。

    また、東本願寺および西本願寺をあつかった章では、東西分裂にいたった経緯を語りつつ、ともに親鸞の教えをいまに伝えていることが説かれています。

    清水寺の章では、宗派にこだわらずにお参りできることに著者は注目しており、それを「多神教的」ないし「神仏習合的」と呼んで、宗教の対立が激化する現代

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    2022年09月14日
  • 百寺巡礼 第二巻 北陸

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    第二巻では、北陸地方の寺がとりあげられています。

    「真宗王国」と呼ばれる北陸が舞台で、著者自身も親鸞や蓮如にかんする本を多数刊行しているということもあって、本書でも著者の親鸞観・蓮如観などが語られています。また、庶民の生活に密着して救いを説いた浄土信仰に対する著者の考えも開陳されています。

    他方で著者は、大乗寺や随龍寺、永平寺といった、禅宗の寺院にもおとずれており、「伽藍随龍、規矩大乗」と呼ばれるそれぞれの寺の特色や、永平寺につたわる道元の厳しい修行の道などにかんしても、著者自身の目に映ったすがたが、率直に語られている印象です。

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    2022年09月13日