五木寛之のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「語り合うときは、同好の士や同業者ではなく、違った世界の人たちと話し合うことがとても大事だ」
この箇所を読んで、野矢茂樹氏の著作『はじめて考えるときのように』に書かれていた「変なひとと出会う。……共感よりも違和感や反感の方がだいじだ」という言葉を思い出しました。
なぜ大事かというと、異質な交流こそ自分の殻を打ち破ってより深い人間になる原動力になるからだと理解しました。
同質な人と出会って、共感したりされたりすると心地よく、自分は間違っていなかったと安心するので、そのような人と会うことに重きを置きがちですが、それだけではダメなのだと本書を読んで改めて思いました。
今の自分には、自分と違う世界の人と会う機会はなかなかないのですが、せめて他の人が薦める自分では選ばないような本を読むことで自分の世界を拡げることができればと思いました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレジャケ買い、があるのならば、タイトル買い、というものもあって然るべきでしょう。
私、両親の面倒をゆるーく見始め、自分たちの衰え・勘違い・言い違いで夫婦喧嘩が始まる昨今、本作サブタイトル「オレたちはどうボケるか」が激しく刺さり、購入に至りました。
確か他のブロガーさんが紹介してた本だったと思います。
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本作は御年90を超えた、作家の五木寛之氏の老年エッセイであります。
ボケたくないけど、ボケるのは必然。だったらなるべくライトに、かるーくボケましょう。みたいな話。
当然、ボケは人によってそれぞれなので、「あくまで私の体験ですが」という但し書きで、こうした方が良い、ああした方が良い、ということが書いてありました。
具体的には補聴器や杖などのツールの積極的使用、転居などの環境変化(これは若い時からのおすすめのようですが)などなど。あとは仏典からの引用多し。
ただ、ひっかかったのは、家族への言及が殆どなかったことでしょうか。昭和の時代の方でしたら致し方ないかもしれませんが、いま配偶者を差し置いて自分だけで物事を決定できる家庭は多くはないと思います(奥さんに断りなしに転職・引っ越しとか。できませんよねえ)。
もちろん、五木氏が勝手に引っ越したとかの記述はないのですが、夫婦のぶつかり合いとか葛藤についての記述がなく、このあたりは物足りなさを感じました。
うがった見方をすれば、お金はかなり稼いでいらっしゃり、奥さんも自立しておりかつ旦那さんの自由をお許しになる優しい方。ならばボケ防止でもなんでもすんなりできそうですよねーと。まあ、氷河期世代の僻みなんですが。
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ボケは諦観して、だったらより良くボケよう、という方向性には同意であります。
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ということで、五木氏のエッセイでした。
高校生の頃、『青春の門』シリーズを読み、大人になったらあんなドラマチックで肉感のある世界に会えるのか、と興奮しました。が、私の人生は平凡でした。
本作を読んで、そんな過去の自身の稚拙さも回想しました。
当然ですが、人生は人それぞれ。意思をもって歩んでいくべきでしょう。氏の人生は私の人生とはかなり違うのだなあと感じた次第です。 -
Posted by ブクログ
小説というよりもポエム、
自己啓発というよりもスピリチュアル、
そんな本。
「食って寝るだけの人生なんて嫌だ」
「あいつらと私は違う」
“意識高い系”という言葉が一時期流行ったが、「意識が高いこと」、それ自体は何の問題もない。問題があるとするなら、「私はあいつらとは違う」と、周囲を下にみるような態度をとるときだ。はみ出しものでかまわないが、だからといって、私以外のその他を蔑めば、愛のない人となる。
では、周囲に手を差し伸べることが「愛」か。裕福な人が貧しい人を支援すれば、それが「愛」なのか。
──ぶっちゃけ、「胡散臭い本である」と、私はそう思った。
その印象は最終章を読むことで少し変わったが、「『私』と『大衆』を明確に線引し、分けている」という印象は最後まで拭えなかった。
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「物語として楽しめるか?」といえば、面白いとは思わなかった。
しかし、「なぜこの本が爆発的に売れたか?」を考えることには価値があった。
出版当時の時代背景、ヒッピー、宗教、保守、体制批判、自由……。
本書が「影響力のある、パワーのある作品」となったのは、当時の時代背景や価値観によるところが大きいだろう。
しかし、「時代は繰り返される」ならば、本書に希望をもらう読者は再び現れるだろうし、そういった意味では普遍的名著といえる。