五木寛之のレビュー一覧
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親鸞の言葉が、心の中に抱えていた罪の意識と孤独から、私を救ってくれた。五木寛之氏が、過酷な引き揚げの記憶と、親鸞と歩んだ半生を語る書籍。
敗戦後、北朝鮮から引き揚げる際、言葉にできないような体験をし、「自分は許されざる者」との思いを抱いていた氏は、30歳を過ぎて、親鸞の教えに触れる。どんなに深い罪を抱いていても救われるという教えは、自分にも生きる資格があると思わせてくれた。だがその後、親鸞について勉強すればするほど、親鸞という人、その思想がわからなくなっている。
浄土真宗の門徒の親鸞像は、親鸞に関する物語などを「聞」くこと(聞法)で形作られてきた。
一種のフォークロア(民間伝承)のようなも -
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「青春の門」の、「第八部 風雲篇」および「第九部 漂流篇」を続けて読んだ。
第九部の「解説」によれば、この物語の来歴は下記のようなものだ。
もともと、「青春の門」は「週刊現代」の1969年6月19日号から連載が始まったものらしい。連載開始から既に半世紀以上が経過している。また、第八部の連載がスタートしたのは1993年で、本にまとまったのが2016年であるらしく、連載開始から本にまとまるまでに20年以上を必要としている。また、第九部の連載開始は2017年からであり、2018年には完結している。単行本になったのは、2019年9月、文庫になったのが2021年9月のことだ。現在も「週刊現代」では、こ -
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親鸞周辺の登場人物が
主人公は浄土真宗の開祖ということで大変に有名な親鸞であるが、高名な宗教家を扱っているのしては、あまり抹香臭くない作品である。創作であるとは思うが、親鸞周辺の登場人物が大変に生き生きと魅力的に描き出されている。
しかし、現代と比べて人の命が門灯に軽かった時代だったんだなと感じた。 -
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シリーズ最終巻。四国および九州の寺がとりあげられています。
九州では、ヤマト政権の中心地から離れた太宰府をたずね、それよりもさらに長い歴史をもつ観世音寺に、古代からの九州と朝鮮半島の関係の跡を見ようとしています。さらに長崎では、鎖国状態にあった江戸時代において、中国との交流の窓口であり、異国情緒をふんだんにただよわせる街のようすに著者の連想はおよんでいきます。
四国では、「お遍路さん」の隆盛に触れつつ、現在の日本人の心のなかにも受け継がれている信仰のありかたについての考察が展開されています。また人吉別院では、一向宗の禁制が敷かれるなかで、「隠れ念仏」と呼ばれる、信仰を守ってきた人びとのこと -
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第九巻は、第三巻につづいて、京都の寺がとりあげられています。
著者は、三千院では「大和坐り」と呼ばれる、正座のような姿勢の観音菩薩と勢至菩薩に出会い、二尊院では双子のように並んで立つ釈迦如来と阿弥陀如来のすがたを目にしますが、それ以上にめずらしいのは永観堂の「みかえり阿弥陀」で、この仏像をめぐるエピソードを紹介しながら、阿弥陀信仰について考えを深めています。
高台寺では、豊臣秀吉の死後の北政所の晩年が紹介されています。著者は「豊臣秀吉という人物には、これまであまり興味がなかった」と述べつつ、秀吉の死後に彼の思い出をいだきながら豊臣家の滅亡を目撃し、二十数年間を高台寺で過ごした「ねね」という -
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第七巻では、東北の寺がとりあげられています。
巻頭の序文で著者は、「仏教は縄文的な東北には、きわだって異相の侵入者である。そして、その異文化の受容と根付きの過程に、私たち日本人の心象風景が象徴的に透視できるような気がする」と述べています。こうした著者のまなざしは、日本が単一国家として統合されていく動きの裏面に、複数の文化が併存していたという考えかたが述べられているところにはっきりと現われています。著者は、奥州に一大勢力をきずいた藤原氏を「平泉幕府」とみたて、これにならって源頼朝が鎌倉を「第二の平泉」として形成したのではないかと論じています。
慈覚大師円仁の名前が、東北の地に大きな存在感をも -
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第六巻では、和歌山・大阪・兵庫など関西の寺がとりあげられています。
高野山をおとずれた著者は、空海がこの地に道場を開く前から、山岳信仰の聖地であったことに注目し、仏教が在来の神と融和し、それをとり込みながら信仰のかたちがつくられてきたことに触れています。これまでも著者がさまざまな機会に語ってきた、日本の仏教に見られる「寛容」さですが、空海という人物には、たしかにさまざまな信仰のありかたを包み込んで総合するような広さを感じます。
また融通念仏宗の総本山である大念仏寺では、開祖である了忍の像を、すばらしい美声で声明をとなえるシンガーにたとえるなど、著者らしい表現が見られて、おもしろく読みました -
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第三巻では、京都の寺がとりあげられています。
金閣寺(鹿苑寺)と銀閣寺(慈照寺)では、ともに室町幕府の将軍でありながら、まったく異なる個性をもつ足利義満と義政の二人の人物像についての考察を展開しつつ、両者がそれぞれどのような考えにもとづいて、これらの建物をつくることになったのかということが論じられています。
また、東本願寺および西本願寺をあつかった章では、東西分裂にいたった経緯を語りつつ、ともに親鸞の教えをいまに伝えていることが説かれています。
清水寺の章では、宗派にこだわらずにお参りできることに著者は注目しており、それを「多神教的」ないし「神仏習合的」と呼んで、宗教の対立が激化する現代